Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の読書はすべて断念

2021年10月31日 22時25分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 頭も疲労気味であまり難しい本は、本日のところは敬遠。「図書11月号」も「日本美術の歴史」(辻惟雄)も「万葉の時代と風土」(中西進)も敬遠。本棚に眠っていた「しぐさで読む美術史」(宮下規久朗)はカラー刷りの作品が小さ過ぎて断念。
 こういう時のために数冊未読のものを置いてある推理小説などもめくってみたが、それもなかなか頭に入らず、途中で放り出した。

 結局、ベットの中でボーッとしていた。精神的(と思われる)疲労には読書は不向きのようだ。雨も上がったようなので、短時間だが夜のウォーキングに出かけることにした。

 ウォーキングの後、開票速報を一通り眺めてから、退職者会ニュースの原稿の仕上げを少々。どんな議事にしたらよいか、結果を見てから‥。


百円ショップは侮れない

2021年10月31日 20時17分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は寒く感じたが、実際に出かけてみるとそれほどの寒さは感じなかった。太陽が顔を出して明るいと暖かく感じ、太陽が隠れていると気温が低く感じる、というのは間違いではないと思う。
 横浜駅での買い物の必要が生じて出かけた。横浜駅の地下街やいつもの家電量販店、百円ショップは人出が多く、歩くのも支障があるほどの人通りであった。書店もレジには多くの人が並んでいた。
 残念ながら目当ての商品は家電量販店を舐めるように探したが、販売していなかった。15年前には家電量販店で販売していたが、アナログのものの販売割合はどんどん低くなっているのであろうか。販売しているのか聞いた店員は面食らっていたので、最近は扱ったことはないようだった。
 探していた商品の類似品は隣の百円ショップで見つけて購入。一応役には立つことがわかって、ホッとしている。百円ショップの品揃えは侮ることは出来ない。

 本日のテレビは開票速報ばかり。見ていてもつまらない解説者のつまらない感想を聞いてもつまらないので、深夜までは読書タイム。何を読むか、まだ決めていない。

 


低投票率は誰に利するか

2021年10月31日 18時39分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中から弱い雨が降り出した。昼食後、雨が強くならないうちに、3人で投票所へ。学校の広い体育館を投票所にしつらえたいつもの場所。団地のすぐ向かい側にあるので楽である。
 いつものように閑散としている。市長選の時よりも少し人出は少ないように見えたが、果たして投票率はどうなったのか。報道では前回よりも低いというところもあるが、ツイッターなどでは投票の受付まで長い列が続いているところもあるとのことで、どの情報が正しいのかわからない。

 与党は投票率はあがらないほうが有利と言っているようなので、ぜひとも投票率が上がってもらいたいものである。政権当事者が低投票率を願望するなどとは、どうしようもなく地に落ちたものである。


「図書11月号」 その1

2021年10月30日 22時36分20秒 | 読書

 岩波書店の「図書11月号」が届けられていた。昨日気が付いたが、読みとおす気持ちのゆとりはなく、本日もほとんどない。
 本日は、表紙絵の作者である司修の解説だけに目を通した。

・[表紙]夢見手のフロッタージュ     司  修
「夢の記憶は、目覚めた瞬間に録音しても、確実であるといえません。しかし、夢見手にとって、出会った一冊の小説が永遠に「真実」を刻印するように、不確かな記憶をなかったことに出来ません。」


モーツアルトを堪能

2021年10月30日 21時33分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は久しぶりにオンラインの音楽鑑賞会。モーツアルトの3曲、ドンジョバンニの序曲、ヴァイオリン・ソナタ第21番、交響曲第40番。いづれも好きな曲が3曲並んだ。
 ずっと葬儀のことで頭がいっぱいだったので、こういう時間はいい休養になる。ありがたい。風呂の長湯とともに、私にもっとも適したストレス解消法である。

 明日一日は休養日。午後から投票に出かけてから、久しぶりにコーヒータイムを楽しみたい。選挙結果は気になるが、明日の夜まではあまり余計なことは考えずに頭の中を空っぽにして置きたい。
 明後日の1日は、今回の選挙のこととは別の打合せ、会議があり、その取材で出かけなくてはいけない。結構慌ただしい。


葬儀の準備

2021年10月30日 19時04分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日これまで大変お世話になった血縁の叔母が亡くなり、病院の手続きや葬儀の段取りで忙しかった。
 昨日はブログを更新出来なかった。何十年ぶりに更新しない日が出てしまった。世話になった叔母なので、それは致し方ないと思う。享年96歳であった。16年前に叔父が亡くなってから、昨日亡くなる最後の日まで一人暮らしを貫いた。脱帽である。

 昨日、病院に駆けつけた時はすでに霊安室に安置され、病院の手続きもそこそこに、いつも退職者会で御世話になっている葬儀社に急遽依頼して、そこに運び込んだ。本日は葬儀の細かな段取りを行った。

 葬儀のお手伝いは労働組合の大切な役割で、私も数多くかかわったが、実際の葬儀を当事者としてかかわると肉体的にも、精神的にもきつい。父親の葬儀の時の組合員のお手伝いはとてもありがたかった。
 叔母にはお子さんがいなかったので、もう一人の叔母と私の親の意向を考慮しながら、私といとこと二人が実質的な事務責任者である。
 午後からは叔母の家の片付け。一人暮らしを続けたといっても90歳を超えれば、なかなかきれいに片付けている、というわけではないので、整理も時間がかかっている。まだ終わらない。

 今朝起きる前に脹脛がつって辛くて目が覚めた。昨日は無理な姿勢をしていたわけではないので、この原因はわからないが、湿布をしたら何とかおさまり、朝まで充分に寝ることが出来た。本日も特に激しい運動はしていないが、全身の疲労感が強い。

 妻と娘をはじめ、少ない親族総出での片付けは賑やかである。


長年働いていた建物が解体

2021年10月28日 23時32分37秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 明日は、現役時代に所属していた職場を訪問予定。

 実は私が働いていた職場が取り壊され、隣の駅に出来た新しい建物に移転した。この取り壊された建物ができたのが1976年1月10日。私が就職して9か月目にできた。私が採用された1975年4月から準備室だった職場が正式に所属として発足し、開設された。しかし建物がまだ完成しないので、隣の区の職場に居候していた。晴れて独立の建物に移転したのが解体された建物である。
 以来、33年間その建物で執務した。当初は大規模造成中の戸建て団地の端っこにあり、毎日トラックの巻き上げる埃との格闘であった。周囲には商店もなく、中華料理店が1店だけあって何とか昼休みの食事は確保できた。しかし病院もなく、地下鉄の駅もなく、ちょっとした買い物もできなかった。

 一応ターミナル駅からバスが出てそれで通ったのだが、時刻表通りならば15分で到着するはずなのに雨が降れば満員になり、30分以上もかかった。1年後に地下鉄が開通し、大規模商業施設も進出。周囲に商店がようやくでき始めた。
 新しい建物の内部の造作もゼロから開始し、少しずつ機材や調度品を揃え、何とか形になったのが3年後。しかしその時点では手狭になってしまった。事業の拡大や業務移管で人員も増え、備品も拡大。増築がなったのが、10年後であった。
 だからとても愛着がある建物であった。建物のひとつひとつのシミや傷や、調度品の配置に思い出が詰まっている。それが解体されるのを見るのは寂しいものがあった。

 1976年1月から2021年4月まで45年3か月で取り壊されてしまった。最後の時点で働いていた人は新しい建物でわくわくはしていると思うが、当初からいた人間には感慨深いものがある。
 建物だから永久に存続するものではない。しかもウナギの寝床のように長い敷地で、決して使い勝手が良いわけではなかったが、そこは働いていた人間の工夫で乗り切ってきた。すでに故人となった先輩の知恵と工夫が詰まった使い勝手であった。
 また川沿いに建っており、建物の裏手には川に大きく枝を伸ばしたソメイヨシノが5本、毎年見事に咲いてくれた。窓全体がソメイヨシノに彩られ、来所する人が階段を上がるとまずその景色に感嘆の声を上げたものである。文句を言いかけてきた人もこの一瞬で少し気分が和らいだと思う。

 ということで、現在いる仲間が古い庁舎の最後の中の様子を撮影してくれていた。それを見に行くつもりでいる。私にとってはとても寂しい。


もう初校ができた

2021年10月28日 21時36分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の夕方には、印刷会社から退職者会ニュースの初校が送られてきた。随分と早いので驚いた。私の割付がしっくりこないところも読みやすいような割付にしてくれた。
 いくつかの訂正をお願いして、第2校を待つ段階である。もっとも11月1日にならないと確定しない記事と写真もあり、迷惑をかけている。
 私の原稿づくりは難産だったが、印刷会社のほうの手際がよくて、とてもありがたい。
 予定では5日に確定して、8日から印刷、15日に届けてもらう段取りである。

 本日はだいぶ草臥れた上に、すでに予定の歩数には達したので、夜のウォーキングは中止。

 


横浜市内をめぐり歩く

2021年10月28日 20時46分08秒 | 読書

 本日も横浜市内の4つの区をめぐり歩いた。家についてみると、脹脛と太腿の筋肉がはっており、だいぶ草臥れた顔が、鏡の中に現れた。自分の顔ながら、わびしげである。

 ようやく選挙広報が配布となった。国民審査、比例代表、小選挙区と3つに分かれている。配布するほうも、読むほうも大変である。目を通す暇のない人にとっては、これを見ただけでうんざりしてしまうかもしれない。

 本日は久しぶりに短時間であったが、移動で使った市営地下鉄とバスの中で「万葉の時代と風土」(中西進)を紐解き、「呪と美と――「袖振る」をめぐって」の前半に目を通した。
 本日読んだところは、「茜さす紫野行き標の行き野守は見ずや君が袖降る」(八~二〇)の「袖振る」の解明に当たっている。
 この歌は中学生の頃、教科書で読まされたが、天皇の眼前で「袖降る」という行為が認められるはずがないのに、古代にはどういう意味が込められていたのが、結局わからないまま今に至っている。
 その後も幾冊かの解説を読む機会を得ているが、納得のいくものはいまだに出会っていない。この解説に期待しつつ目を通した。まだこの節の終わりまで至っていない。
 こういう疑問というのは、いったん疑問に思うと、ずーっと気になるものである。
  


話の長い人との会話

2021年10月27日 23時27分58秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 明日の午後もまた市内の移動で動き回ることになってしまった。明日は太陽が顔を長時間顔を出すらしく、気温も20℃を超えるとの予報が出ている。
 できれば移動の合間には本を紐解きたいのだが、いろいろな人と出会うと話が長くなってしまう。

 私は長話が本当は好きではない。しかしそうはいっても長年労働組合の役員であったし、面と向かって相談に乗り、話をするのがなりわいでもある。それは組合の退職者会の役員になった今も変わらない。
 私のほうからはいつも可能な限り手短に話す。相手の話す時間を長めにとって相手の真意を探る。話の長い人は、とにかく話があちこちに飛ぶのと、それを取捨選択しながら聞くのが大切である。相槌をうまく使って、話がそれないように誘導する術もいくつか体得した。この術が大切である。常に、相手の話を無理なく、悟られることなく誘導できれば、これは達人である。その域にはとても達することはできない。
 長話の人の話をおさめるのは、長時間聞くだけが特効薬なのではない。うまく誘導して、訴えたいことの核心を確認し、そのことだけに絞って会話をするようになれば、大体は話はおさまる。
 おさまらなくとも、核心部分のアドバイスだけに絞ってこちらの考えや言い分を伝え、その場の結論として納得してもらう。その他の枝葉は「また今度会ったら解決しよう」とその会話を打ち切らないと、いつまでたっても会話が終わらない。

 だが、この歳になると、たまに会う友人とは「また今度」が通じない。今度会えるという保証できる時間がどんどん短くなっているのである。私のほうも相手のほうも。

 ただし、こちらの話を聞かないのもまた話の長い人の特徴である。滔々と自分の考えをひたすら喋り捲る。こういう場合には、断固として相手の話をさえぎって「あなたは自分のことばかりしゃべって、人の話を聞かないから、私はもう会話しない」と明確に述べて、踵を返して相手からさっさと離れることにしている。
 現役時代は仕事の場合はこれはできないが、退職後は割とそのような場面を自分で作ってきた。これはこれで年寄りならではの知恵だと思う。
 


すっきりしない天気と「仕事」

2021年10月27日 20時57分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

  午前中の予期せぬにわか雨も昼前にはあがり、午後からは太陽が顔を出して気持ちよく晴れた。しかし会議終了後に会場となっていた組合の会館を出ると、曇り空に戻っており、横浜駅についたころには今にも降り出しそうな空模様であった。太陽が顔を出さないので、寒く感じた。
 横浜駅でいつものとおり、有隣堂で新しい本を物色したり、家電量販店でプリンターのトナーの値段やプリンター、あるいはカメラの新商品を物色した。家電量販店で見た商品はすぐに購入する予定はまったくない。購入できるゆとりもない。あくまでも情報収集の範囲。

 さいわいにも雨が再び降り出すことはなく、横浜駅から歩いて自宅まで帰ることができた。

 本日の打合せの中で、ニュースの一部訂正の必要があることが判明。これよりその作業。早めに、印刷会社にメールにて訂正依頼をしたほうがよさそうである。
 いつものことだが、ニュースの原稿の作成はなかなかすっきりとは終了しない。


雨が降り始めた

2021年10月27日 11時39分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝からどんよりとした空模様。何となく寒々しい。天気予報では曇の予報で、傘のマークはついていなかった。しかし雨が降りそうな気配が濃厚であった。
 とうとう9時頃から雨が降り始めた。1mm程度の雨であるが、現在もベランダの雨水排水管からは音がするほどに降っている。

 机とパソコン周囲は、昨日までの退職者会ニュースの原稿づくりのために資料が散らかっている。朝の内に片付けようとしたが、その気にならず放置。明日までには何とか片付けたい。

 本日は午後から会議、終了後情報交換を兼ねて打合せ。身内の会議ではないので、そのまま解散のはず。

 


夜のウォーキングは妖しい

2021年10月26日 23時30分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 いつものとおり夜のウォーキング。太ももの筋肉が心地よい疲労感なので、やめようと思ったが、つい出かけてしまった。
 空には低い雲が空の7割程度に点在している。行きは西に向かって歩いた。西南西の空に明るい木星が顔を出していた。面白いことにちょうど丸く雲に隙間ができて、折り返し地点まで木星がその円の中にずっと見えていた。雲が移動して隠れるが、不思議なことにすぐにまた丸く隙間ができる。木星の光が雲を押しのけているのではないか、と勘繰りたくなった。
 折り返し地点からは今度は道を逆方向に東へ向かって歩く。東の空には月経12.1の月がやはり雲の間から顔を出した。行きと同じように雲が移動してもすぐに丸く隙間が空いて月が顔を出す。木星以上に月の光が雲を押しのけている。
 木星と違うのは、やはり月は明るい。月の光に雲が奥行きのある陰影を作ってくれる。この奥行きのある陰影が、人をおおいに惹きつける原因だと思う。現実の急峻な崖の向こうから夕日や朝日が照らすような奥行き感が、ある。現実なのか、幻覚なのか、わからなくなってしまう。そんなところに月の光の妖しさがある。
 こんなことを思いながら、夜のウォーキングから戻った。夜のウォーキングはいろいろなことが頭をよぎって楽しい。

 明日は午後から会議。


ウォーキング日和

2021年10月26日 21時57分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は横浜市域の磯子区から中区・南区・西区を経由して鶴見区まで移動した。ウォーキングもしたかったので、磯子駅から根岸駅の手前までは歩いた。
 最後は鶴見駅から横浜駅までJRを利用した。帰宅ラッシュ時間帯なので京浜東北線は混雑しているかと心配したが、車内はゆとりがあった。立っている人と座っている人が同数くらい。席は幾つか空いていた。宣言が解除されてすでに混雑が始まっていると思ったが早とちりだったようだ。

 家に着いてみると1万4千歩ほどを歩いていた。それほどの歩数ではないし、細切れの歩行のだった割には太ももの筋肉が疲労している。心地よい疲労感である。
 60代はじめの頃のように、3万歩、4万歩を平気で歩いていたのが懐かしい。過去のことを懐かしむようでは、いよいよ老境ということなのか。

 そろそろ都内の美術館・美術展を訪れたい。この1年半で、混雑する電車に乗る気力が萎えていた。まずは近場の美術館あたりを狙ってみたい。
 先日葉山の神奈川県立美術館を訪れた気力が継続してくれれば、ありがたい。


イレギュラーをプラス思考で何とか‥

2021年10月26日 13時38分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会のニュースの原稿は、他の役員の方からの手直し箇所の指摘があり、それを反映したものを印刷会社に送信しようとしたら、出来上がったファイルが大きすぎて送信エラーになってしまう。PDFだけならば軽いので、他の役員には届いたのだが、印刷所に送る一太郎の原稿は重すぎた。やむなく、データを持参することにした。
 作品展での出品作品を一点ごとに紙面に貼り付けたら、データ容量が大きくなりすぎてしまった。夕方に出かけるつもりだったが、このために14時には家を出ないといけなくなった。
 ちょっとした番狂わせというか、イレギュラーが生じるとあたふたとするものである。歳をとると応用力も低下する。送信できなければ持参するしかないのだが、その結論を得るまでに5分ほどオロオロしてしまった。歳はとりたくないものである。

 本日は昼間では雨の確立が70%だったと思うが、8時半に目が覚めた時は、鳥の声がして、雨が上がっていた。9時半ころには陽が照り始め、晴れ渡った。風はときどき強く吹く。

 ウォーキング日和である。早めに出かけて遠回りで印刷会社、そして所要のあるところまで、横浜市域の南部から北部まで移動距離は大きい。その間をどのような方法で移動するか、考えるのは楽しみである。印刷会社まではJRでの移動にして、その間に考えることにした。すべてバス移動ならば、敬老パスが使えるが、所要時間と乗り換えの接続がはっきりしないので、本日はウォーキングと私鉄路線をできる限り取り入れたい。