Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

参加してみたいシンポジウム

2012年11月30日 20時43分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は神奈川大学の公開講座「ヨーロッパの芸術を旅する」の3回目の講義。ヴェネツィアとイタリア・ルネサンス絵画ということで、ベリーニ、ジョルジョーネ、ティツアーノ、カラヴァッジョの作品を取り上げながら説明を受けた。
 いつも16人前後の受講生でゆったりした気分で受講できる。50人募集のところだから大学としてはたいした収入にはならない採算割れかもしれない講座だが、受講する側としてはなかなか好ましい。







 講義の始めに、明日と来週の参加無料・参加申込無料の二つのシンポジウムの紹介・宣伝があった。
 ひとつは、明日12月1日の「東アジアの日本研究の現状と未来」と題した国際シンポジウム。午前中は「日本と韓国における日本研究」、午後は「中国における日本研究」、夜にかけて「東アジアの日本研究が目指すもの、全体討論」
 もうひとつは来週12月8日、9日の2日にわたって行われる「二つのミンゾク学-多文化共生のための人類文化研究-」という国際シンポジウム。8日は「民族の交錯-多文化社会に生きる-」と題して、沖縄・アイヌ・在日の視点からの報告。9日は「ミンゾク研究の光と影-近代日本の異文化体験と学地-」と題して、戦争中の民族学の展開の研究発表等。
 私の興味としては、8日なのだがすでに予定が入っているので、1日の午前中と、8日の午前中の基調講演。ならびに9日のシンポジウムに参加してみようと思う。無料かつ事前申込不要というのもそそられる。
 1日は主催は神奈川大学人文学研究所。8日・9日の主催は神奈川大学日本常民文化研究所。後者は故網野善彦氏が設立に関わったといわれる研究所のはず。

 なかなか刺激に富んだ企画を行っている。目を離さずに注視していきたいものだ。

がん検診の再検査

2012年11月29日 20時00分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本質は久しぶりに午前中に5キロを軽くゆっくり走り、3キロをウォーキングした。とてもすっきりとした汗をかくことが出来た。8キロを走りとおすこともできたが、ここは自重、我慢ということで切り上げた。
 幸い本日は朝起きぬけも、午後も鼻水に血が混じることはなかった。これが明日以降も続いてくれるとうれしいのだが。しかし風邪をひいてからまるまる4週間ぶりの回復というのが何といっていいやら、うれしいと同時にどうしてこんなになってしまったのかという思いが混じりあっている。
 次の写真はいつもウォーキング・ジョギングの途中のある家の庭先に長く咲いている一重の薔薇。最近はこのような花を見るととても心が落ち着く。ホッとする。



 本日午後からガン検診の再検査があった。
 前立腺については腫瘍マーカーは異常なし、問診での結果により直接触診や超音波診断などを受けたが、結果としては問題なし、肥大もないとの結果になった。
 大腸の内視鏡の検査予約は12月4日に決まり、その結果は12月20日とのこと。
 胆嚢と肝臓の嚢胞については本日CT検査を実施、12月6日には結果がわかるとのことだったが、20日に大腸の検査結果と一緒聞くことにした。医師からはおそらく心配はないと思う、とのことであった。
 異状があれば20日前にも連絡があるらしい。

 妻の膵臓の再検査の結果は6日ということらしい。異状が無いよう祈るのみだ。

 ということが本日の結果。

 最終結果は20日まで先延ばしになったが、それもしょうがない。これまでと同じ生活を少なくとも20日までは満喫できることとなった。
 いろいろ心配してメールをいただいた方、ご心配をおかけしました。ありがとうございました。

寒い1日、ようやく冬本番

2012年11月28日 23時43分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から冷え込みびっくりした。昨日は風は強かったものの陽射しもあった。しかし、本日は陽射しはなく寒そうなので、厚手のセーターを引っ張り出して着たが、いざ地下街や店舗に入るととても暑く感じて往生した。真夏よりも冬のほうが着るものの選択は難しい。
 かかりつけの医師からは冬場は血圧が高めになるので、薄着はよくないと言われた。
 血圧も130-80と減量後、退職後安定していて薬の処方がなくなっていたののだが、140-85の水準になったので、このようなアドバイスを受けた。もともと厚着が嫌いで、冬場でも人よりは1枚薄着だし、枚数が同じでも下着は袖なしかランニングシャツ、外套も薄手だし、下着もランニングシャツか袖なし。ズボン下など着用したことがない。これを指摘された。部屋の暖房も20度より温かいほうが良いともいわれた。長年というかごく小さい頃からの習慣を変えるというのはなかなか蒸すがしい。

 さて、先ほどようやく義母の死にともなう欠礼ハガキの印刷が終了した。少々出すのが遅くなった。年賀状と違って勝手も違うので、自分でデザインするのは止めにして、郵便局に一括裏面の印刷を依頼し、あて先だけを自分で印刷した。
 宛名印刷に幾枚か失敗をしてしまったため、あわてたが何とかおさまった。

 私のハガキ印刷ソフトはもう15年ほど前のものをそのままバージョンアップしないで使っているので、この平成の自治体大合併に対応していない。そこに該当する場合いちいち手入力しなおさなくてはならないので面倒だ。かといってバージョンアップ版を購入するのも面倒だ。
 このソフトと互換性のあるより安価で操作性の良いソフトを見極められれば、現在のデータをそのまま利用できるのだが‥。
 さらに9万円台で購入した16~17年位前のレーザープリンターも動作が遅いのが気になってきている。最近のレーザープリンターはもっと動作も速いし、両面印刷も出来るし、さらには安価だ。これもそろそろ買い替えのことを考えなくてはならない。
 その上、ウィンドウズ8となっている。これは当面まだこのXPが快調なので買い換える予定はないが、それでも昨日・今日と実に久しぶりにまたまたブルー画面が出現した。ちょっと不安になってきている。ドキドキしながら使い続けるのも嫌だ。
 だんだんと追い込まれていくようだ。

 がん検診で再検査の通知が来て、明日の午後がその説明ならびに一部再検査の予定となっている。はたしてどのようなことをいわれるか。

ちょっと贅沢な夕食調理

2012年11月27日 20時58分33秒 | 料理関連&お酒
 本日は今月初めての夕食づくりとなった。午後家を出るとき、冷蔵庫の野菜室の点検を忘れたので、野菜は重複するのを覚悟でスーパーに出向いた。今回はあらかじめ何を作るかの予定はたてずにスーパーで気ままに材料を選びながら献立を考えることにした。
 さらにちょっと贅沢な素材を買ってみようかとも考えていた。
 実際に鮮魚コーナーを物色していたところ、まず生食用の海老が4尾で281円と安売りをしていた。思わずそのままカゴに放り込んだ。次にワタリ蟹をぶつ切りにしたパックが278円でこれも購入。これで魚はおしまいと思ったが、ブリのカマが1切れ250円と聞いて決して安くはなかったが、カマの塩焼きを食べたい衝動に駆られて買ってしまった、ちょっとオカズが多いと思ったが‥。
 次に野菜コーナーで甘唐辛子、ピーマン、キャベツ、ナス、ニンジン、かぼちゃのスライス、長ネギ、大根を購入。帰宅後点検したら、ピーマン・キャベツ・ニンジン・カボチャは冷蔵庫に入っていた。これはすぐ腐るものではないので許してもらうしかない。
 帰る途中で考えたのは、蟹汁と海老の塩焼き。学生時代の作り方で野菜炒め。帰宅時間が18時だったので大急ぎで調理した。
 海老と蟹汁ということで、一見贅沢だが、値段は安く済んだ。野菜の方が高かったと思う。



1.蟹汁
 材 料:ワタリ蟹、長ネギ、にんじん、ダイコン、ダイコン葉、味噌
 作り方:ア.ワタリ蟹とは水で洗って鍋へ
イ.ニンジンを一口大に切って鍋へ
ウ.アとイを火にかけて煮立ったらアクを取る
     エ.ダイコン・長ネギを一口大に切って鍋へ
     オ.味噌を溶きいれる
     カ.ダイコンの葉のみじん切りを適量入れる

2.海老の塩焼き
 材 料:海老、竹串、塩
 作り方:海老に竹串を刺し、塩を少々ふりかけ、魚焼器で焼く

3.野菜炒め
 材 料:甘唐辛子、ピーマン、キャベツ、椎茸、カボチャ、ナス、油、塩、胡椒
 作り方:ア.適当な大きさにそれぞれ切る
     イ.カボチャ、甘唐辛子、ピーマンをまず炒める
     ウ.塩・胡椒を適宜ふりかける
     エ、イに大まか火が通ったところで、椎茸、ナス、キャベツを適宜加えながら炒める

4.ブリカマの塩焼き
 材 料:ブリカマ、塩
 作り方:ブリカマに適当に塩を薄くふり、魚焼器へ

 今回は海老もブリカマも塩焼きなので、共に塩はごく軽くした。
 野菜炒めは学生の頃にさかんに作ったが、今回はタマネギ、モヤシ、ニンジンなどの定番材料はいれなかった。そして中華料理のように強い火力で炒め方ではなく、当時のように野菜がしんなりするまで火を通し続ける、蒸し焼きに近い炒め方をした。私にとってはなつかしい味である。ブリカマは皮のついた側は塩が浸透しないので、少々醤油をかけて食べた。
 これらのおかずに、キャベツの浅漬けを添えて出来上がり。野菜炒めに挽肉かベーコンを細かく切ったものを加えようと思ったが、海老とブリで十分と考え今回は野菜だけとした。
 あとはビールを注いでおしまい。
 出来上がりまでに1時間。

 妻の感想は、「甘唐辛子、万願寺唐辛子などが好きなんだね」ということ。そういわれれば確かにそのとおりだ。シシトウもすきだ。無意識のうちに、多少高くても買ってしまう。贅沢なのだろうか。味にしまりが出てくるような気がする。そして万が一辛いのが混じっていたら、という緊張感がいいのかもしれない。特にシシトウはその確率が高くドキドキする。この批判は無視をしようと思う。
 次に「ネギがいつも大きすぎる」というもの。味噌汁にしろ、炒めるにしろ、焼くにしろ、長ネギは私は大きく切ったほうが好きだ。大きいほうがネギを食べているという気がする。この批判も、受け付けないことにした。蕎麦屋などで薬味として出てくるみじん切りのネギや、生のまま鰹節と混ぜて醤油で味をつけて熱いご飯にかけて食べるときはみじん切りの方がいいのだが。
 

渋谷での句会投稿句

2012年11月27日 13時29分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日は一日中雨。表参道の近くの会場で行われた句会、17時に終わった頃には本降りとなっていた。終了後の懇親会で遅くなった。横浜に帰り着いた深夜にようやく雨が上がった。

渋谷での句会投稿句
★朴訥な人と語りぬ枯蟷螂
→朴訥な人の微笑み枯蟷螂
★参道の陽だまり無音石蕗の花

つれづれに、途切れっぱなしの感想

2012年11月25日 16時41分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中は実に久しぶりに1時間半ほど歩いた。散歩とウォーキングの中間くらいの速度で歩いた。11月1日以来、風邪とその後遺症にたたられて歩くのがつらかったり、韓国旅行でバスに乗りっぱなしであったり、と心ならずも運動が出来なかった。
 雲ひとつない冬晴れの空のもと、とても気持ちの良い歩き方が出来たと思う。陽射しの中で筋肉を使うということの爽快さ、歳をとってようやく理解できるようになった。

 さて先輩のKさんから、韓国での大統領選挙の様子について問われた。残念ながら韓国旅行に行ったが、大統領選挙が行われていることは知ってはいたが、その内容も把握していなかったので、応えることは出来なかった。
 妻は韓国語が読めるし話せるが、そうはいってもカタコト。テレビのニュースや大統領選挙の公開討論番組など、とても聞き取れないというし、新聞も難しくて読みきれないそうだ。
 私も現在進行形の政治については、日本でも韓国でも考慮の外にあるといってしまっては御幣があるが、切実な関心が薄れている。
 そうはいっても、街中の様子や街をゆく人々の様などへの感想は、これから触れていくつもりだ。
 韓国ははっきりいって日本よりも活気があると思う。人々の暮らし方から強くそれを感じる。当然私なりに違和感もあるが、それ以上に私の日本での暮らし方と較べて、韓国での人々の暮らし方から学ぶものは多いような気がする。本当はそこまで韓国の社会を体験するのが、旅行の目的でもあるのだろうが、そこまでの甲斐性は私や妻にはない。
 自分の関心のある事項に触れながら、少しずつ日本以外の国の様子を体験し直に身に感じられれば、私としては十分だ。自分に関心のあることでの接点を見つけられなければ、単なる野次馬観光になってしまう。そこが難しい。
 昨日の同窓会のとき、先生だった方が「歳をとったら、60歳を過ぎたのであればあれもこれもやりたい、ではだめ。ひとつのことに興味をもってやりなさい」と言われていた。なるほどと思った。
 正月にはベトナムを訪れることになっているが、どのような点にしぼって訪れるのか、今から探らなければならない。本当は韓国を訪れた時と同じ共通の関心事、接点を探して、さらに今後につなげられれば豊かな旅行が続けられるのだが‥。今のところ、古代・中世の歴史的な美術・芸術作品に興味があるが、それだけではまだまだ曖昧だ。アジアでは近・現代史的な事項にも興味はあるが、とても知識は浅くそして曖昧だ。自信はない。
 訪れながら考えるということも必要ということはわかってはいるのだが‥

 昨日は耳鼻科は大変な込みようで診察は断念。吸入だけで済ませた。今朝も鼻をかんだら少量の血が混じっていた。明日の朝早くから耳鼻科に行かないと午後の渋谷での句会に間に合わない。
 渋谷での句会には、俳句を二つ提出しなければならないが、なかなか出来ない。晩酌までに何か考えなければ‥。

 さて妻は日吉の慶応大学の構内の銀杏黄葉と黄落を見に出かけた。本当は俳句の材料を得るために私も行きたかったのだが、先ほどアップしたブログの作成と、この記事を書いているうちに置いてきぼりを食ってしまった。
 休養日ではあるが、何となく気ぜわしい午後を過ごしている。

4度目の韓国(その1)

2012年11月25日 15時13分18秒 | 山行・旅行・散策
 先日参加した私の所属した組合の退職者会主催の「世界遺産を巡る韓国4日間」の旅、私には4回目の韓国訪問となった。
 今は韓国は12月19日投票の大統領選挙に向けて、与党・セヌリ党の朴槿恵、最大野党・民主統合党(以下、民主党)の文在寅、若年層や無党派層から高い支持を受けている無所属の安哲秀による三つ巴の構図となっていた。その後私の帰国した23日に安氏が立候補を辞退し、与野党の一騎打ちという様相である。
 韓国語が理解できない私はテレビのニュースや、野党候補の一本化に向けたテレビ討論が盛んに行われていたようだ。新聞も多少ハングルが読める妻によるとほとんどがこの大統領選挙を巡る報道ばかりであったようだ。
 そのような政治情勢とはまったく関わりないところで、私たちはソウル近郊の世界遺産をバスで巡ってきた。行程は次のとおり。

1日目 11月19日
 昼食後、宋廟(チョンミョ)を訪問。宋廟は李氏朝鮮(朝鮮王朝)の祖先祭祀場。1995年12月ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。李朝歴代の王と王妃などを祭っている。
 青瓦台などを巡ってホテルへ。
 夕食は朝鮮王朝の宮廷料理を再現したという韓定食。

2日目 11月20日
 1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録。
 午前中は、江華島(カンファド)の支石墓(コインドル)を訪問。江華島の高麗山あたりに、コインドル(支石墓)が120箇所余りもみられ、その中でも2000年12月、ユネスコ世界文化遺産に登録された大規模なもの1基と江華歴史館を訪れた。
 昼食前にまた妻が車酔いでダウン。1人でホテルに戻った。タクシーではさらに気分が悪くなるというので、地下鉄を乗り継いだらしい。
 午後は、私一人が皆と同行して昌徳宮(チャンドックン)を訪問。昌徳宮は正宮である景福宮に対する離宮として創建された。現在の韓国国内の宮殿の内、最も創建時の面影を残している宮殿。日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(まさこ)もこの宮殿で暮らした。
 夕方は、南大門でのお土産の買い物に付き合ってからホテルにもどり、妻と合流。
 夕食はオプションなので自由行動として二人で街に出かけた。

3日目 11月21日
 午前中、水原華城(スウォン・ファソン)を訪問。18世紀末に李氏朝鮮第22代国王・正祖が父の墓を移し防護を固めた城である。当時の朝鮮の城塞建設技術の粋を集め、そこに西洋の技術をも合わせた。実学を重視した正祖の理想都市であり、一時は華城への遷都も検討されたが、正祖が死亡し遷都は見送られた。
 1997年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録。
 午後は息抜きとしてソウル市内へもどり明洞(ミョンドン)を見学して、汗蒸幕を体験入浴。

4日目 11月22日
 午前中、自由の橋と、統一展望台を見学。自由の橋は、臨津閣の近くにあり、臨津江に架かる橋のうち最も下流にある橋。鰲頭山(オドゥサン)統一展望台は、展望台は漢江(ハンガン)と臨津江(イムジン河)の合流点を望む標高118mの古代の城跡に建てられ、対岸は北朝鮮。
 昼食後、金浦(キンポ)空港を経て羽田に夜帰着。


 訪れた個々の世界遺産についての感想や、ソウル市内の見聞などは別途掲載予定。とりあえず行程を覚書としてアップすることとした。

横浜での句会投稿句

2012年11月24日 22時19分59秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日はとても寒く感じられた。昨日の夜、中学高校の同期会があり、高校を卒業後42年ぶりに再会した方、同じ大学に進学したのに卒業後37年ぶりに再会した方などと懐かしい話が出来た。当時の先生二人も参加され本当に懐かしかった。
 当時あまり付き合いのなかった方でも、今話をするととても話が通じ合ったりと不思議な体験もある。同じ横浜市に就職した仲間とも6ヶ月ぶりに話が出来た。お酒も料理も、そして話も満腹の夜となった。

 帰途はぶらぶらと多少の距離を歩いてきたが、桜は種類によってさまざまな紅葉の仕方、落葉の仕方があることに気づいた。ソメイヨシノの紅葉と落葉が桜の標準的なものかと勝手に思っていたことになる。帰途に見かけたものは団地の傍の街路樹として植わっている緋寒桜だったが、まず木の全体の紅葉が遅く、しかも上の方はまだ緑が多かった。葉全体が大降りな種類であるが、落葉もまだ少ない。ソメイヨシノは早めに紅葉して、早めに落葉する種類と言い切っていいのだろうか。あるいは天候の不順でこのようになっているのか、もうこれは専門家に聞かないと何ともいえない。しかし少なくとも桜の種類によって紅葉の遅速、落葉の遅速があることは確かなようだ。

 先ほど18頃横浜で震度4の地震があった。この時私は家電量販店の2階にいたが、居合わせた人も私もまったく気づかなかった。地震情報と某新聞社からの号外のメールを5本も立て続けに受診して初めて知った。大きな窓がすっかり覆われている店内は密閉空間である。これは恐ろしいことである。
 そしてJRは若干遅れがでたようだが、市営地下鉄はなにごとも無かったように運行していた。これはこれで恐ろしい。家に電話をしてみると結構揺れたようだ。さいわい各地でも被害は無かったようで良かった。地震は嫌なものである。そうそうに横浜駅を離れ、帰宅した。横浜駅の地下街でも何事もなかったような人の流れ、だれも自信があったことの認識はないようであった。

 さて夕食後、先ほどまでテレビで「隠し剣 鬼の爪」を見た。二度目だが、後半しか記憶にない。映画は本当にたまにしか見ないが、このような映画を見ると映画もいいな、と思う。先日「天地明察」で感想を書いたが、こちらのほうが数段格が上だ。もっともドキュメンタリー的なものと、あくまでも作り話のドラマとを同一に論ずるのはおかしいのだが。
 ただし原作の限界もある。藤沢周平は嫌いではないが、この作品に出てくる主人公が何となくいくら幕末の武士とはいえ、現代に通じすぎている。身分の違う家老を暗殺し、身分を捨てて恋を成就し、蝦夷で生きていこうとする。これはちょっと‥、必殺仕事人シリーズの文芸の仮面を被った二番煎じといわれかねない。それはきっと藩の近代化に目覚め謀反の烙印を押され殺され役の弥一郎や、イギリス式調練という狂言回しといった「近代化」とは違った、それを飛び越えてしまっている現代性である。舞台は幕末の時代と、新しい時代の模索の葛藤のはずなのに、こんな現代性を背負った主人公が出てくるというのは、時代設定が少々無理があるのではないか。ひょっとして明治・大正時代の設定のほうが主人公の現代性を浮き彫りに出来たのではないか、それが必殺仕事人的な映画になる根拠なのではないか、と思った。
 この感想は、映画に対する感想ではなく、藤沢周平という人の作品に対する感想なのだが‥。文句を言っているのではない。小説としては十分に楽しめる作品である。あえてする、無理な批評ということで勘弁願おう。

 「おくりびと」は鳥海山だったが、この映画の雪を被った山はあのなだらかな稜線から見て月山と思う。妻と二人で登った。いい山だ。東北の山は本当に美しい。森が深く水が豊かで懐が広い。


横浜での句会投稿句
★鉄路錆び故郷の味の干菜汁
→鉄路絶えしふるさと遥か干菜汁
★戦世に布団を干して我を干す
→いくさ世や布団を干して我を干す
★白き雲冬三日月の穂の揺らぎ
→遠汽笛冬三日月の穂をかすめ

治らない風邪とその後遺症

2012年11月23日 14時59分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は旅行帰りの休養日にした。11月1日からひいた風邪の後遺症で出かける前には副鼻腔炎といわれ、鼻に少量の血が混じり、それが続いていたが、旅行中もそして本日もそれが続いている。混じっている量は心持ち少なくなっていると感じているし、起きぬけの時の頭の重さも格段に改善はしている。明日午前中に吸入がてら診察を受けてみようと思う。しかし風邪とその後遺症が3週間以上も続くとは考えもしなかった。歳の所為にはしたくないが、それでも回復力が衰えているという表現がふさわしいのだろうか。
 腰の痛みというか違和感はまだ改善されていない。長時間バスに揺られていたので、適度な運動もできず、これはウォーキングの再開で少しずつ改善していくしかないようである。

 雨が上がったと思いウォーキングの支度をして外に出てみたらかすかではあるが、雨はまだ降っている。仕方なくこれから銭湯&サウナで汗を流してから、同窓会に向かうことにした。同窓会でお酒が入れば、旅行の報告のアップは今日は無理になりそう。

 明日は句会、ということであさって以降になりそうな気配である。旅行の記録をアップしておかないと、すぐに忘れてしまう。過去もそうだったし、これからも備忘録としてブログを活用するつもりだ。



俳句誌2月号投句

2012年11月23日 12時29分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日韓国3泊4日の旅行から無事に帰着した。3泊となると、食事は特に問題はないのだが、やはり自分の家の布団と風呂が恋しくなる。夕べはゆっくりと寝ることが出来た。
 退職して仕事をしていない身ではあっても4日もブランクがあるとやはりいろいろとやらなければならないことが溜まってくる。俳句結社誌への投句の締め切りが迫っているので、今朝からあわてて規程の10句をまとめてみた。頭の中が俳句モードになっていないので、選句や手直しが遅々として進まない。いらいらしてきたがもうまとめないといけないので、まとめた。

 さて朝から雨模様、しかし正午になって雨は上がったようだ。この4日間の運動不足を解消しようと思ったが、断念。
 葦原の山姥様のコメントではこの4日の間に冬が大分深まったらしいが、まだ外をじっくりと観察できていない。ベランダや窓からのぞく限り、確かにもみじの紅葉もすっかり色が深まった。そして欅の木に残っている黄葉もずいぶんと疎らになり、芝生の上に散らばっている落ち葉が多くなっている。桜紅葉もほとんどが落ちている。プラタナスはほとんど裸木となった。
 本日の最高気温は10度との報道。ようやく冬らしくなってきたのだろうか。ずいぶんと時間がかかった。ソウルでは紅葉の赤はとても鮮やかであった。そして木々はすっかり初冬を過ぎて冬の様子。ほぼ葉が落ちて紅葉以外の落葉樹はほぼ葉を落としてしまっていた。
 気温も8度前後だったろうか、朝早くの通勤者の吐く息が白く見えた。朝晩は手袋をしている人も多かった。緯度から判断すると日本で言えば仙台くらいの気温になるのだろうか。東京とは約1ヶ月の差ということになる。湿気は少なかった。
 韓国旅行の感想はいづれまた別にアップする予定。
 また旅行中にいただいたコメントにも出来るだけ早く返事をします。


 響焔2月号投句
列島の神はくれない櫨紅葉
青春の傷に熱あり秋湿り
神将に腑の痛みあり山紅葉
点す灯に昭和のにじむ秋時雨
輝けるビルに裏口虫すだく
黄落や噴水忽と輝けり
赤梨や少女の指の白きかな
秋落暉阿吽の像のひび深く
ためらいて紅葉を踏めり猫の足
イマジンの空にただよい黄落期


明日から韓国旅行

2012年11月18日 20時41分10秒 | 山行・旅行・散策
 相変わらず、鼻の奥が少し重苦しい。朝は鼻が詰まった感じがまだ抜けない。夕べも夕食後に鼻をかんだら赤い血の小さな塊が出てきた。これが出てくるととても鼻はすっきりするのだが‥。
 明日からは現役時代に所属した労働組合の退職者会が企画した世界遺産をめぐる旅の一環として、ソウルを3泊4日で訪れる。今日一日のんびりと明日の支度を中心に過ごした。荷物の用意のあとはスマホの旅行中の設定などでドコモショップに出かけたりした。
 支度は順調に進んだものの、夕べ長時間の銭湯&サウナから帰宅してからどうも腰の辺りが怪しい。案の定今朝起き抜けに腰の筋肉が痛み始めた。本日は日曜日であもあり、腰痛で最近通っている病院も休み。明日の出発にも間に合わない。とりあえず湿布を張り、痛み止めを服用した。リュックに入れたピルケースにあわててこの痛み止めと湿布薬を追加したものの、ちょいと不安である。
 出かけたついでに再び銭湯&サウナに行き、電気風呂で時間をかけてマッサージをしたが、たいした効き目はないようだ。荷物の運搬がうまく出来るだろうか。バスが中心のソウルでの移動、大丈夫だろうかと心配の種は尽きない。そして先ほど夕食前に鼻をかんだら昨日と同じように再び小さな赤い血の塊が再び出てきた。これが出ると鼻はすっきりするし、頭の重いのが短時間ではあるが解消する。しかし寝る頃には頭の重みがまた始まる。

韓国のソウルは最低気温がマイナス2度以下、最高気温は9度前後と暖冬の東京に較べて寒そう。暖冬の東京からおもむきとかなり寒く感じそうである。服装の用意が難しい。

 旅行中はスマホのデータ通信は遮断することにしたので、ブログへコメントいただいても返信は帰国後となるので遅くなる。申し訳ないがお許しいただきたい。スマホへのメールはサーバーにとどまると思うし、私のフリーメールのアドレスをご存知の方はそちらへ送信していただければ帰国後できるだけ早めに目をとおす予定。

「井月の内なる芭蕉」復本一郎講演会

2012年11月18日 13時04分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は神奈川大学の連続講演会「日本文化を流れるもの」の第2回目。第1回目は俳句の吟行で筑波山に一泊したため、参加が出来なかった。今回の講師は、去来抄の講読、鬼貫の「独りごと」の講読と俳句実作の二つの講座の講師である復本一郎氏。題目は「井月の内なる芭蕉」ということで、江戸末期から明治期前半の俳人井上井月の俳句を紹介してもらった。西行-芭蕉と連なる、名利を捨てることを実践して得られる文学の世界、いわゆる漂白の文学について言及があったと理解しても良いのだろうか。
 正岡子規は井上井月の存在は知らなかったようだが、芥川龍之介などの力で1921(大正10)下島勲編の「井月の句集」が刊行された。
 正岡子規の俳句革新は、子規が芭蕉に注目している中で発せられたものだが、井月は芭蕉を強く慕い、その著作に精通していたこと、そのことによって子規のいわゆる「月並調」とは違う範疇の俳句として注目を集めたことなど‥。
 講義では芭蕉の句を下敷きとしたいわゆる芭蕉への時空を越えた「挨拶句」を取り上げ、解釈してもらった。昔親しんだ芭蕉の句もあり、あらためて芭蕉の世界に浸ることも出来た。最後に復本一郎氏の現在の「俳」への着目などへの言及もあり、とても有意義な講演会であった。

 復本一郎氏が岩波文庫の「井月句集」で秀句として取り上げた10句の内で私も好きな句をあげると
★梅からも縄引張て掛菜かな
★よき水に豆腐切り込む暑さかな
★稲妻や藻の下闇に魚の影
 そのほかに私がいい思った句に
★蝶に気のほぐれて杖の軽さかな
★長閑さの余りを水の埃りかな


好天好日、気分爽やかに

2012年11月16日 20時47分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は、好天に恵まれて気分も爽やかに街中に出かけた。耳鼻科で吸入をした後、特に目的はなかったが喫茶店で井上井月の句集に目を通したり、家電の量販店を巡ったり、のんびりとした時間を過ごした。
 夕方から神奈川大学の公開講座の「ヨーロッパの芸術を旅する」の第2回目に出席。夕刻から神奈川大学の横浜キャンパスに出向き、学生の間を縫って教室へ。登下校する若い学生の間を縫うように歩くのはとても気恥ずかしいのだが、反面自分が若返ったような気もして、なかなか愉快な経験である。
 本日はフィレンツェのボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ。先週と違って取り上げる作家の数も作品も多いためかいささか駆け足。しかしルネサンス期の絵画を鑑賞する基本的な視点を先週に引き続きわかりやすく講義してもらった気がする
 若干フランドルの方が先行するようだが、しかしほぼ同時代のフランドル地方とイタリア、教わらなければまったくわからないままであった画も、キリスト教絵画でもこれほどのニュアンスの差があるとはわからなかった。特に受胎告知などに見られるマリアの像や赤子のキリストの像に地域的な差があるとは思いもよらなかった。
 さらにフランドル地方が湿潤な気候の中で、油絵の具の絵画を獲得し細密画への道を開いた一方、イタリアは乾燥した気候のもと、フレスコ画を中心とした絵画から花が開いたとのこと。
 今回フィレンツェの絵画を取り上げてもらったわけだが、キリスト教の呪縛のなか、金融資本を基にしたメディチ家が推進した古代ギリシャの復興-秦プラトン主義がキリスト教会とのかなりの緊張関係の中で力を得ていったことなど、読むだけでは頭に入らない事項をわかりやすく説明してもらった。この講座も目を離せないと感じた。
 同時に図録などの本でしか見たことのないこの当時のフレスコ画という技法の絵画を実際の教会や修道院などの建物のなかで鑑賞したいと心から思う。同時にそのフレスコ画が描かれている大理石の建物、そして大理石の彫刻と一体となった現場に立ってみたい。きっと圧倒されるような印象なのではないだろうか。

風邪が治らない

2012年11月15日 22時16分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今月初めに風邪をひいて15日たった。風邪が副鼻腔炎を引き起こしてからも8日が過ぎた。まだ鼻を中心として頭が思い。鼻が出る。クシャミが時々出る。特に朝が苦しい。本日の朝は鼻をかんだら血が一面ににじんでいた。
 神奈川大学の公開講座にいく前に耳鼻咽喉科に出向き、再度鼻を見てもらい、点鼻噴霧液をもらってきた。血は止まったし、洟もスムーズには出る。これで様子を見るしかない。明日からしばらく吸入で通うことにした。
 3日前と2日前、走りに出かけたがこれがまだ鼻にはよくないようで、昨日今日と運動は控えた。しばらく銭湯&サウナで我慢するしかないようだ。何ともいらいらする体調だが致し方ない。

 さて月曜から3泊4日で韓国に団体旅行で出かける。22日に帰国する予定。韓国旅行の報告は帰国後に出来るだけ早く掲載したいが、23日は中学高校の同窓会、24日が句会、26日が俳句誌の勉強会と続くので掲載しきれるかどうか心配なところ。
 その上、本日始めて講評するのだが、先日のがん検診の結果、要再検査ということになり、29日がその説明会。大腸・肝臓・腎臓・前立腺の4項目で引っかかった。
 肝臓は血管腫、腎臓はのう胞、前立腺は肥大のみとのことなのでこの三つ心配はなさそうではあるが、大腸は内視鏡検査を受けなければならないようだ。もっとも大腸の内視鏡検査は昔の病気のときから数えて実に10回目の検査。一度はポリープの切除手術も行ったので、はっきりいって内視鏡検査を受けることは手馴れたというか、病院の看護師に言わせると「プロ」だそうだ。こんなものに馴れたくはないのだが‥。韓国旅行から帰ってしばらくはあわただしい。そして29日の説明以降12月にどのようなスケジュールで検査が入るのかまったくわからない。
 送られてきた文書でも29日にどのような検査をするのか、あるいは検査は別の日なのか、これもはっきりしない。行って見なければなんともいえないようだ。

 そんなことで12月以降の予定がなかなか立てられない。

勉強は楽しみつつ‥

2012年11月15日 21時45分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は神奈川大学の公開講座の「芭蕉・『去来抄』<修行教>を読むその1」と「俳句実践講座 俳句に親しみつつ俳句を楽しむ」の共に3回目の講義。講師はいづれの講座も復本一郎氏。
 前者が去来抄を手がかりに芭蕉の俳諧理論を探ることに力点を置いているので、どちらかというと理論重視の講座。本日も含めて芭蕉の不易流行の論を去来の他の著作での言及、さらには同時代の他の著作、服部土芳の赤雙紙にまで及ぶ講義が続いた。講師の豊かな知識と話術に脱帽している。不易流行の論はとりあえず今回で終了し次に進む。不易流行流行論、一応理解したつもりだが‥
 後者は鬼貫の「独りごと」を丁寧に講読しながら、実作の立場からの説明がなされる。私などにはとても役に立つ。講義と参加者の句会と講師による講評と質疑が交互に行われる。本日の講義も前回の句会での句の質疑から始まるという、あくまでも実作重視である。鬼貫のこの「独りごと」、実作に使える文章となっているし、講師の話もそれに基づいている話なのでとても興味深く読み進めることが出来る。
 いづれも復本一郎氏の講義の構成の仕方、話の魅力に引き寄せられる。もっと早くからこの講座に参加していれば良かったとおもう。今後も続けて行きたい講座だ。



 さて、「武家の古都・鎌倉世界遺産登録推進3館連携特別展」は、神奈川県立歴史博物館と鎌倉国宝館を見てきたわけだが、県立金沢文庫での展示もある。3館分まとめた6ページ仕立ての広報チラシとなっているので、金沢文庫のチラシ部分を本日掲載することにした。多分見に行けないと思うが、折角の機会なので‥。
 私は世界遺産登録推進について言及する立場にはないし、この運動全体を見渡すことは出来ていない。
 だが、この展示を見る限り、鎌倉という都市、政治空間を創出した武士をよりどころとした視点に終始している。はたしてこれでいいのかという疑問というか、別の視点も必要ではないかと感じている。
 鎌倉という時代は時代の大きな転換期であった。武士という階層がこれまでの貴族や仏教をはじめとした鎮護国家の支配体制と肩を並べる政治的な支配力を身につけ、新しい禅宗などの仏教をよりどころとして、やがてそれを凌駕していく大きなダイナミックな流れが見えてくる。今回の展示もそこに力点を置いている。
 しかし思想としての仏教の大きな流れは、禅宗もそうなのだが、国家を支える思想というよりも、個人をどのように救済するのかというところにその思想の立脚点が大きく映ったところに大きな特徴があるとどこかで聞いた気がする。法然や親鸞や一遍などの阿弥陀経の流れ、日蓮などの法華経の流れ、真言律宗などの流れ、さまざまな新しいいわゆる鎌倉仏教の興隆にも鎌倉は大きな舞台となった。そこには個々の民衆を対象とした救済の思想が大きく花開いたのである。
 国家から民衆へ、文化の担い手も大きく変容を始めた時代である。これは中国においても、宋という国に代表される国家のあり方自体、文化のあり方自体が変容した時代でもある。
 このような視点での世界遺産登録運動であることを願いたいものだ。鎌倉時代をもっと多角的に、日本の文化を含む社会全体の大きな変容の中での捉えなおし、歴史観の転換が必要なのではないだろうか。