Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

毒を花へ変換

2022年09月30日 21時00分21秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先ほど帰宅。飲み屋でスマホを見たら、三遊亭円楽が亡くなったとのこと。

 笑点は時々見て楽しんでいたので残念である。芸そのものの評価は私にはわからないが、なかなか味のある芸を見せてくれていたと思う。桂歌丸との掛け合いも笑いを誘っていた。春風亭昇太との掛け合いも良かった。毒があるようでも嫌味のない毒、というのは難しいのではないか。
 最近の笑点もよく見ている。人によってはつまらなくなったというが、昇太との掛け合いはこれからが毒も熟成しそうな様子で、楽しみにしていた。毒を花に変える魅力があったのだと私なりに合点していた。年齢も私の一つ上(学年では二つ上)、何となく身につまされた。合掌。

 ということで、本日はハイボール2杯でおとなしく帰宅。

 

 


ゴキブリと秋の虫の音

2022年09月30日 10時25分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝から太陽が顔を出して気持ちのいい日である。妻が玄関の外の北側の階段室を掃除するために、南側のベランダにおいてある塵取りと箒を手に取り、室内に持ち込んだとたんに悲鳴を上げた。
 箒の先に立派に黒光りしたゴキブリがついていたらしい。それが部屋の中で箒から床に落ちていた。むろんゴキブリも慌てたようだが、妻はそれ以上に驚いている。私にゴキブリ用に殺虫剤を持って来いと慌てている。
 ひと吹きで、うまい具合にゴキブリに当たりすぐにひっくり返ってくれた。いつもは封筒のような袋状の紙に入れて口をテープでふさいで捨てるが、今回は塵取りに箒で入れて、そのまま北側の草むらに捨てていた。

 妻が階段室の掃除を始めると今度は、洗濯機がスズムシのような小さな高音を出し始めた。モーターの軸が曲がっているような音である。妻の悲鳴のように大きな音ではないが、止まらない。妻に聞くと以前から時々鳴りやまなくなる、とのことであった。だんだん鳴っている時間が長くなっているらしい。
 こちらはすぐには対処できない。対処するというよりは、もう10年以上は使っているので、そろそろ洗濯機そのものを買い替える時期なのであろう。
 今のところ、スズムシに近い秋の虫の音に聞こえることもないので、こちらはしばらく様子見である。


購入した3冊

2022年09月29日 22時53分04秒 | 読書

 昨日から本日にかけて購入した書籍は3冊。
1.「画聖 雪舟の素顔 天橋立図に隠された謎」(島尾新、朝日新書)
2.「北斎漫画入門」(浦上満、文春新書)
3.「キリスト教美術史 東方正教会とカトリックの二大潮流」(瀧口美香、中公新書)

 1冊目の著者島尾新氏は、雪舟の研究家で有名。2冊目の著者浦上満氏も、北斎漫画のコレクターとしても名が通っている。
 3冊目のキリスト教美術史に関係する本はいくつか目を通しているので、ちょっと敬遠しかけたが、ビザンティン美術の専門家の目を通したキリスト教美術史ということで、新たな視点があることを期待して購入した。こちらの著者は若い。

 「「海の民」の日本神話」が読み終われば、直ちに読み始めたい。順番は掲載した順に。


秋雨

2022年09月29日 21時31分52秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 

 午前中は曇り空、昼過ぎから太陽が顔を出した。この太陽にだまされて傘を持たずに家を出た。ところが17時過ぎに組合の会館を出てみると本降りの雨であった。慌てて近くのいつもの居酒屋に駆け込んで、雨が上がるのを待つという名目で、生ビールを3杯。しかしなかなか降りやまない。
 レインアイよこはまの画面で確かめると時間雨量に換算して5ミリ程度の雨が降り続いた。一時は10ミリ程度の雨の区域が通過したらしい。いつまでたっても雨が上がらないので、やむなく雨に濡れながら近くの鉄道の駅まで歩いて、横浜駅経由でバスを利用して帰宅。
 降水確率30%というのは傘を持参するべきだ、という意見を尊重するべきであった。後悔先に立たず、である。

★秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな       中村汀女
★秋雨や夕餉の箸の手くらがり        永井荷風

 家に着いてベランダから雨の様子を眺めていると、帰宅までの少々慌てた気分が一気に沈静化。涼しさも感じられて、雨を眺める心のゆとりが生まれた。
 第1句はもう少し秋も深まったころにぴったりの句であろうか。寒さが感じられる。
 第2句はすでに今の季節でもうなずける句だと思う。現在では夕餉の時に照明が暗いという場面は無いのかもしれないが、広い畳と現在よりは高い木製の天井板、裸電球の世界では夏に比べて暗い、というのが私のような世代に十分実感できる。

 


天の川・流れ星

2022年09月28日 22時54分52秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 明日の準備は一応出来上がり。宿題が終わったような気分。NHKのFM放送の「聴き逃し」でブラームスの晩年のクラリネット五重奏曲を聴いている。ウィーン弦楽六重奏団のメンバーによる演奏とのことである。

 妻から団地でキンモクセイ(金木犀)の花の匂いがした、と言われた。嗅覚のほとんどない私にはわからないので、どこに咲いているか、もすぐには見当がつかない。40代初めまでは、匂いのきつい花は、匂いで花のありかがわかったが、今はとても無理である。
  明日は時間があれば、団地内を少し歩いて探してみたいものである。

 そして芝生で盛んに鳴いていた秋の虫の音も少し下火になってきた。昼間の蝉の声も時々聞こえる程度である。季節はどんどん進んで、影も長くなり、秋の星座であるベガスス座とアンドロメダ座がこの時間に天頂に見えるようになった。が、暑さはまだまだ続くようだ。来週も30℃近くまで最高気温が上がるらしい。

 天の川、流星は秋の季語。

★天の川怒涛のごとし人の死へ        加藤楸邨
★今日ありて銀河をくぐりわかれけり     秋元不死男
★死がちかし星をくぐりて星流る       山口誓子
★流星の使ひきれざる空の丈         鷹羽狩行

 星のことを記している最中に、雨が降り出した。5ミリ程度の強さの雨であるが、音を立てて降っている。明日は傘を持って出ないといけないのだろうか。

 ブラームスと俳句と、虫の音と雨の音と・・・少し贅沢な時間を過ごした。


秋麗

2022年09月28日 21時24分36秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★秋麗やわが影壁につきあたる       木下子龍
★秋麗の産後まばゆき妻迎ふ        能村研三
★老の身に忙を賜はり秋うらら       林 翔

 第1句、今年はなかなか涼しくはならないが影は例年のとおりにちゃんと長くなってきている。
 第3句、こんな風な心境になってみたいものである。「押しつぶされる」といつも悲鳴を上げている自分もこのようなゆとりが欲しいものである。


日常を取り戻す準備の日

2022年09月28日 18時30分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は好天、湿度も36%と低く、気持ちのいい気分であった。ただし、最高気温は27.2℃と平年より2.4℃高い気温とのこと。
 近くの店に洗口液を買いに出かけただけ。右膝の休養日なので、いつも以上に杖を突いてゆっくりと歩いた。痛みはほとんどない。三日前までと変わらない。

 明日は美術史のオンライン講座の第6回目「東西の交流と文明(13~14世紀の美術、モンゴル帝国、元支配下のイスラーム世界、鎌倉文化)」という内容。これより20頁もの資料の打ち出し。
 夕食後は、明日の夕方からの会議の資料作り。休養日とは日常を取り戻す準備の日。

 ゲルハルト・リヒター展の感想はどう記載していいのかまだ悩み中。


明日は膝の休養日

2022年09月27日 22時11分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 久しぶりに二日続けて東京まで出向いた。昨日は竹橋にある国立近代美術館でゲルハルト・リヒター展、本日は国会周辺の集会へ新橋駅から往復歩いた。
 昨日は1万2千歩、本日は1万歩。これ以上歩くのは今の右膝の状態からは無理。膝よりもそのまわりの筋肉がまず強張って痛くなる。それを無理して歩くと膝に痛みが電気のように走るようになる。こうなるともう歩くのが限界の時のようだ。
 こういう状態にならないように、少しずつの回復を測らなくてはいけないのは重々承知をしているが、つい無理をしてしまう。

 本日も風呂の中で揉み解し、たっぷりと湿布薬を塗りこんで、寝ないと膝が危ないことになりそうである。
 明日はさいわいに、予定が入っていない。いくつかのパソコン作業をこなしているうちに、一日が暮れてしまいそう。

 本日もこれにて作業は終了。

 


国会前から帰還

2022年09月27日 20時47分35秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 国会前の集会が終わり、私が役員をしている退職者会の参加者のうち10名ほどで集会後の飲み会を行った。国会前から新橋駅前まで歩いて、6年前までやっていたお魚の美味しい清潔な感じのお店に言ったが、もう閉店して他の店に代替わりしていた。
 やむなくガード下に新しい店を見つけ、19時半まで楽しい時間を過ごした。

 本日の集会には、公式発表で1万3千人。確かに5年前の戦争法以来の多くの参加であったと思う。小室等が登壇し、作詞:谷川俊太郎 作曲:武満徹の「死んだ男の残したものは」を歌った。
 私たちにはとても懐かしい曲である。実に懐かしい。1965年のベトナム戦争に対する反戦歌として、私は森山良子の歌で初めて聴いた記憶がある。中学生の頃に口ずさんでいた歌である。
 第3番までは、男と女と子どもは「他には何も残さなかった」という歌詞であるが、第4番に至って「兵士」は「他には何も残せなかった」というのが、中学生の私の心に響いた記憶がある。
 第5番と第6番は「安易に希望を歌っていないか」という批判が当時あった。今の時代にはこれが無いと通用しない歌なのかと、本日あらためて考えてみたが、何とも結論は出せないと思った。同時に明るい希望を歌っているかに思えて、「他には何も残ってはいない」という繰り返しのフレーズはそれを否定していると考えられる。
 さまざまなことがこの時代以降にあり、すっかり捻じれてしまったオジサン世代の、暗く捻じれに捻じれた感想である。

1.死んだ男の残したものは
 ひとりの妻とひとりの子ども
 他には何も残さなかった
 墓石ひとつ残さなかった
2.死んだ女の残したものは
 しおれた花とひとりの子ども
 他には何も残さなかった
 着もの一枚残さなかった
3.死んだ子どもの残したものは
 ねじれた脚と乾いた涙
 他には何も残さなかった
 思い出ひとつ残さなかった
4.死んだ兵士の残したものは
 こわれた銃とゆがんだ地球
 他には何も残せなかった
 平和ひとつ残せなかった
5.死んだかれらの残したものは
 生きてるわたし生きてるあなた
 他には誰も残っていない
 他には誰も残っていない
6.死んだ歴史の残したものは
 輝く今日とまた来るあした
 他には何も残っていない
 他には何も残っていない

 帰宅したら、妻から「テレビには映っていなかった。どこにいたの」とからかわれた。とりあえず無事に帰宅出来てホッとした。
 右膝はなんとか痛くならずに済んだ。明日は膝を大切にして、あまり出歩かないようにしたい。


ゲルハルト・リヒター展 2

2022年09月27日 10時56分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日は間もなく出かけるので、とりあえず昨日訪れたゲルハルト・リヒター展のチラシと、展示目録から解説部分をアップしてみる。作品の感想は明日以降に持ち越しさせて貰うことにした。
 理解できること、理解できないこと、不思議に思うこと、共感できる作品、戸惑う作品、いろいろと並べられて、私の感性と理解力では消化不良はまぬがれない。

   


講演会終了、明日に向けて

2022年09月26日 22時26分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 18時半からの講演会は時間どおりの20時に終了。横浜駅に戻り、軽く呑みながら夕食。明日の国会前の行動に備えて、21時半には家に帰着。
 講演は、「我が国の財政について」と題して、つい最近まで財務省の事務方に在籍されていた方が講師。客観的に見た日本の財政事情の深刻な問題点とそれをもたらした現況についても言及があった。とても興味深く、そしてわかりやすい講演であった。

 さて、昼からのゲルハルト・リヒター展とその往復、いったん帰宅してからの夜の外出と、杖を突いて歩いたものの1万歩を超えてしまった。美術館では、コレクション展、ボナールの「プロヴァンス風景」とそれにまつわる同時代の日本人画家の作品も見て回ったところで足がパンパンとなり、1階入口の椅子で20分ほど休憩タイム。しかしわずか2時間程度の美術展でここまで足が衰えていたとは驚いた。このわずか10か月程度の杖突き歩行でここまで筋肉が衰えるとは想像もできなかった。

 夜は座って講演会を聞くので特に疲労は無かった。しかし明日は2時間以上も国会周辺の歩道で立ったままでの「国葬」反対集会。歩いたりデモ行進があるわけではないが、だいぶ足が疲れそうである。本日もたっぷりと湿布薬を擦りこんで早めに就寝することにしたい。

 


ゲルハルト・リヒター展 1

2022年09月26日 16時53分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

         

 ゲルハルト・リヒター展を見てきた。かなり疲れたのでいったん帰宅。入口の看板と、気に入った3点をアップして本日の報告としては終了。会場内はそれなりに人がいたが、「混雑」というほどではなかった。
 2時間近く立ち放しで会場内を少なくとも2集したら、足がぱんぱんに張ってしまった。
 いつもながら、自分の気に入った作品はポストカードにはなっておらず、かといって3900円の図録は高値すぎるので、会場内のスマホで撮影した画像を長方形に作り変えるソフトで復元してみた。
 ユーストという作品も気に入ったのだが、残念ながらピントがあっておらず、しかもぶれていたので省略
 最後のカラー作品は「ヨシュア」という題の大きな作品。
 ヨシュアというのは旧約聖書に出てくるモーセの後継者の名によるものと思われる。こういうところは図録の解説が欲しくなるところである


フラワー緑道 3

2022年09月26日 10時41分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 本日は昨日撮ったものをモノクロ仕立てにしてみた。私はどうしてもモノクロにしてみたくなる習性がある。データいじくってカラー情報を削除して、コントラストなどを変化させると、いろいろな表情が出てくる。それを我流で勘だけを頼りに決める。

 本日はこれより竹橋の国立近代美術館のゲルハルト・リヒター展へ。そのあと横浜に戻り、組合の会館、そして夜には山下公園近くの会場で行われる講演会に参加予定。
 朝食も夕食も残念ながら外食である。
 


「「海の民」の日本神話」 3

2022年09月25日 22時59分04秒 | 読書

   

 「「海の民」の日本神話」(三浦祐之、新潮選書)の第5章「北へ向かう、北から訪れる 越前・越中・能登」を読み終わった。

一つの海を挟んで存在する人々の間には、‥ヤマトを介さない独自の交易や流通が古くから行われていたと考えるのが自然なのではないかと思う。旧来の高句麗との独自の関係が、ヤマトの大王によって列島支配が独占されていく段階になると軋轢を生じさせたのである。こうしたあり方は、律令国家が権力を独占し地方を収奪する過程において、陸道によってヤマトへと統一され訓化されていく過程と見合うのであった。それぞれの地域の豪族たちの独自性は、かなりの後の時代まで保持されていた可能性がある‥。」(高句麗使の渡来)。

 当然と言えば当然の結語ではあるが、具体的に日本書紀の記述から読み解いたり、釈日本紀のホンダワケ(応仁)から血筋の疑わしいヲホド(継体)の出自を越前の地の豪族との関係から類推・割り出す方法は説得力がある。

 


フラワー緑道 2

2022年09月25日 21時20分17秒 | 山行・旅行・散策

      

 先ほどの写真の続き。フラワー緑道はしばらく見ないうちにすっかり秋の気配に変わっていた。ただし陽射しはとても強かった。秋の雲もなく、空を見るだけでは季節はわからない。キバナコスモスも盛りを少し過ぎ、アガパンサスは実がすっかり黒くなった。
 蚊に3ヵ所ほど刺されてしまい、かなり痒くなった。近くの公衆便所にて、石鹸水でゴシゴシ洗ってなんとかしのいだ。