Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「小さいおうち」の前売り券

2014年01月31日 21時40分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 1月も最後の日となった。それなりに活動的に過ごしたので特に早いとか、なかなか時の経つのが遅かったというような感慨は湧かなでいる。しかし昨日も記したように風邪をひいてしまった。
 本日は明日の退職者会の新春のつどいに向けて、静養を決め込んだ。夕方からは2時間ほど熟睡した。しかし鼻水は時々出てくる。下痢もおさまらない。
 夕食時のお酒は、コメントで葦原の山姥様に言われたとおり飲まなかった。まぁ当たり前のことでことさら発表することではないが、せっかくご指導いただいたので感謝の気持ちを込めて記載させてもらっている。ありがとうございました。
 普段からこのように素直であるべきなのだが‥。

 明日は11時までに中華街の会場について打ち合わせ&準備作業が控えている。

 さて本日は昼前に出かけて(先日はウォーキングは控えて電車利用)、久しぶりに映画を見ることにして、山田洋次監督の「小さいおうち」の前売り券を手に入れてきた。
 戦前、決して暗い世界だけではなかった。明るい世界のすぐ裏にあのむごい戦争が着実に進行していた時代。貧富の差が極限まで進み、中層以上の人々は平和と明るい世界を謳歌していたともいえる。戦争は暗い世界の先にあるだけのものではない。明るい世界の裏に戦争が進行しているのである。このことを描いてるのがこの映画だと思う。あの戦争をどのようにとらえているのか、興味がある。あの時代をどうとらえ、どう総括するか、今も戦後処理は終わっていない。きちんと終わっていたら今の政権のようなことはしてはならないはずだ。

 夫婦二人での映画は「先祖になる」以来である。今度は有料。月曜日に見に行く予定。

横浜の中華街は「春節」

2014年01月31日 11時57分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今朝も鼻水が出始めた。クシャミは出ないのだが、今度は下痢症状。ここ10年以上は軟便-下痢気味なのだが、それがひどくなった。風邪の一種であろうと思うが、本日は用心をしなくてはいけない。
 実は明日、退職者会の「新春のつどい」が横浜の中華街で行われる。幹事としてのお仕事がある。久しぶりに顔を合わせる人も何人か来てくれる。休むわけにはいかない。

 横浜の中華街は昨日から「春節」ということで賑やからしい。 春節娯楽表演(しゅんせつごらくひょうえん)ということで、2月1~2日、8~11日まで獅子舞・龍舞・舞踊・雑技等の中国伝統文化の豪華絢爛な公演がある。
 明日は晴れる予報なのでかなりの人出が予想される。一時中華街は人通りが少なくなったといわれた時期もあるが、今は平日の昼間もなかなかの人通りである。

 神戸の南京町と比べるとなかなか面白い。広さは圧倒的に横浜の方が広いので、店舗数、訪問者、経済規模などは横浜の方がおそらく何倍もの差があると思う。しかし各店舗のあり方などは、神戸の方がアジア的、東南アジア的な雰囲気を持っている。歩いて回っただけなので詳細は分からないが、この雰囲気の違いが楽しい。
 法律上は問題があるが、路上に大きくはみ出した店の品物、屋台のような形態での食品の販売などなど。どちらかというと横浜は店舗内での勝負。神戸は店頭での勝負ということらしい。もっても最近の横浜での「栗」の路上販売が激しい。メニューを持った呼び込みも凄くなっている。競い合いの仕方が横浜と神戸で違っている。
 多分味も、食材も、メニューも違いがあるに違いない。そこまでは私も通ではないのが残念である。

 私も妻も人出はあまり好まないので、確か昨年見に行ったこともあり、当分は見に行くことはないと思う。

本日からの講座

2014年01月30日 21時12分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日からの3回連続講座はこれ。現在の状況を反映して教室は満杯の盛況であった。講座名は「「富国強兵」化する中国とどう向き合うか」
 饗庭孝典という講師、確かNHKに出ていたと思っていたが、ここに掲出した紹介によると20年ほど前に退職していた。私でも名前を知っていて、顔も見覚えがあるということは、かなり有名なのであろう。
 講座は始まったばかりなので、内容について判断はできないが、現代中国の社会の歪とそれによって何がもたらされようとしているか、現在の中国政治中枢の動向の分析など、期待して見ようかとは思う。
 中国・韓国・日本、今とても危うい時期に直面していると思う。それは政治家が撒いた種である。同時にその政治家を押し立てたそれぞれの国の内部は、残念ながらそれぞれに危機が煽られるだけの根拠がある。


 スキャナーの動作がおかしいと思ったのは勘違いのようであった。動作設定がうまくいかないと思っていたのは、操作の誤りであったようだ。特に異状なくちゃんと動いた。

インフルエンザではないようだが‥

2014年01月30日 20時14分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は組合の会館までの往復約16キロメートルを歩いた。初めは雨も降っていなかったが、4キロほど歩いたところで降り始め、途中から傘が必要になった。気温は暖かめであった。

 実は昨日からときどき鼻水が止まらなくなり、その時にクシャミもひどくなった。昨年暮れに病院で処方されたピーエー配合錠を規定量の半分の1錠を服用して症状を抑え込んだ。夕食後も1錠服用してみた。
 ウォーキングで汗をかなりかいたが、冷えないようにかなり気を使った。今夜は用心して早めに就寝することにする。

 昨日は埼玉県でインフルエンザの流行に関して「警報」、本日も東京都と神奈川県に「警報」なるものが出たらしい。この警報がどのようなものなのかはわからないうちに、マスコミでどんどん広がっている。きちんとした定義をまず知らせてもらわないと、「警報」という言葉だけが独り歩きして言葉の「猛威」がインフルエンザ以上に人々を不安に陥れないだろうか?

 本日から始まった講座をアップしようとしたが、スキャナーの具合がうまくいかない。今日中‥にもとに戻ってほしいのだが。

暗算とウォーキング

2014年01月29日 23時10分29秒 | 山行・旅行・散策
 本日は一日横浜市歴史博物館の研修室・講堂で講座。昼休みには45分ほどの軽いウォーキングで、始めて横浜市営地下鉄センター北駅の東側を歩いてみた。戸建ての住宅やマンションが並び、また親水公園や池もあり、街路樹もきれいに剪定されていて、明るい街並みではある。駅前の商業施設も充実している。地域全体として安価な商業施設が充実しているかどうかまでは見極めることは難しいが、駅の建物の中の施設はそれなりに安価であるようだ。
 私などが住みやすいと感じるかどうかもまた即断はなかなかできない。この歳になると住環境に即応できるかと言われればなかなか難しい。これまでの慣れた住環境がいいに決まっている。慣れるまでの気苦労はいろいろありそうである。
 こんなことを記載しても、今のところを引っ越すつまりはまったくない。だいたい引っ越すためには金銭的にまとまった金額がないと無理である。この前提をクリアできない。しかしいろいろ想像してみるのは面白いものがある。
 講座が終了してから、センター南駅を経由して仲町台駅まで歩いてみた。何度か仲町台駅からセンター南駅までは親水公園の道を歩いたことがある。この道は変化に富んで楽しい道である。本日はこの道ではなく幹線道路に沿って歩いてみた。意外と近い。気持ちのいいウォーキングであった。
 途中で中原街道を横切るのだが、ここでちょっと勘違いして中原街道を川崎方面に500メートルほど行ってしまった。センター北駅の本屋で一応地図を見て道路を確認していたのだが、情けなかった。
 今回なぜ方角を間違えたかというと、今日は実に久しぶりに暗算をしながら歩いたせいだと思う。暗算と言っても特に難しいことではない。追い越していく自動車のナンバープレートの4桁の番号を認識して、最初の2桁と最後の2桁を足すのである。たとえば、45・78ならば45+78=123という計算をする。
 むかし中学生の頃からこれをいつもしながら歩いていた。交通量が多くなるとなかなか追いつかない。時には数台飛ばさないといけなくなる。このスピードに追い付くためにはかなりの計算力が必要だ。一時は45×78=3510などの計算にも挑戦したことがある。算盤を習っていたことはないので、頭の中で数字を並べて筆算のようにしてやっていたがかなり早くできた。
 今は掛け算は到底無理だが、足し算は中学生のころと比べても遜色なくできているような気分でいる。多少の頭の体操にはなると思う。
 これをしていてつい方向を見失ってしまったのだ。どうも二つのことを同時にこなすのが歳とともに無理になって来たのかもしれない。悲しいことである。

 不思議なことでこの暗算、途中でなかなか止められない。そろそろ疲れたから止めようと思っても車を見るとついナンバープレートを見てしまう。途中で歩いている方向を確かめるために立ち止っても意識はナンバープレートを追いかけている。
 この止められないということが「老い」なのかもしれない。急な意識の切り替えができないのかもしれない。
 暗算をしながら車や信号、周囲に対する意識、危険回避の意識が疎かになるとこれは危険だ。「ながらスマホ」となんら変わらない危険が待ち受けているかもしれない。用心しながら挑戦することにしよう。




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本日の贅沢

2014年01月29日 20時33分58秒 | 料理関連&お酒
   

 本日購入したのは、「紫王道」という芋焼酎。熊本県多良木町にある「恒松酒造」の製品。1199円也。
 恒松酒造のホームページでは「熊本県山江村の農家との契約栽培芋(黄金千貫)をひとつひとつ手作業で選別し、米黒麹1.2トンに対し芋6トンの割合で仕込んだ贅沢な本格焼酎です。麹菌は厳選した黒麹を用い、無濾過で瓶詰めし、芋本来の風味を大事に残しました。飲み方は焼酎6お湯4の6:4のお湯割がお勧めです」と記載されている。
 さらに長文の由来所が記載されているが、それはホームページを読んでいただきたい。

 紫の瓶に入っていてちょっとまばゆい感じだが、思わず購入してしまった。一緒に写っているのはコンビニで購入した「チーズたら」136円也。

 恒松酒造という醸造元になんとなく親しみも感じた。初めは気づかなかったが、仙台で過ごした5年の内、最初の一年お世話になった下宿がここと同じ「恒松」さん方であったことを思い出した。珍しい苗字であった。学校まで10分ほどの近くにあり、食事もとてもおいしかった。相場どおりで6畳間で二食付きで2万円ぐらいであった。ギリギリ一年いて、いろいろな事情があり自炊で6畳台所付8000円の学生用アパートに移った。年度の途中でいなくなって収入のあてが途絶え、迷惑をかけたと思う。




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「地中に埋もれた江戸時代の道具たち」展

2014年01月28日 23時26分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 神奈川県立歴史博物館で「眞葛焼」展と同時開催で、「地中に埋もれた江戸時代の道具たち」展を開催していた。遺跡からの出土品から神奈川県下の町と村の暮らしぶりを浮き彫りにしようという展示である。
 私の目的は眞葛焼であったが、この展示も見てきた。この展示室を見てからでないと眞葛焼展が見られない仕組みになっている。
 私が小さい頃はまだ明治時代以前に生まれた方もまだいたし、明治初めの頃は江戸の雰囲気を色濃く残していたから、江戸時代というのはそんなに遠くの歴史のかなたの世界ではなかった。私が生まれたからすでに62年。明治末年生まれの人もすでに100歳を超えることになり、明治時代すら遠い世界である。江戸時代の記憶はもうすでに無くなっている。
 江戸時代というものが、いくら書物が豊富に残されていても、生活ぶりをうかがうものは遺跡から発掘されたものなど考古学の世界になってしまったのかもしれない。
 そういう私も江戸時代の世界はとても想像できない。落語や芝居や小説で聞いていても、今住んでいる世界のあり様とはかけ離れているということも、共通するものがあるということも、どちらもよく理解できていないのではないだろうか。

 そういった意味で今回の道具から生活を想像することを目的とした展示というのは面白い。普段テレビや映画で見る江戸時代というものが、現実の江戸時代とはかなり違うということも実感できる。
 速足の見学ではあったが、刺激はいろいろあった。無料の配布された28ページものパンフレットももらったので、これからじっくり目を通して勉強しようと思う。

   




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神奈川県立歴史博物館「眞葛焼」

2014年01月28日 22時14分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 横浜が開港となったころ、横浜ではじめられた陶器が眞葛焼と云われるもの。始めたのは初代宮川香山と名乗り、後に帝室技芸員となった眞葛虎之助。京都のの陶工であったが、1972(明治4)年に横浜に眞葛窯を作り、ヨーロッパ向けの輸出陶磁器を制作したのが眞葛焼の始まりとなった。
 四代目宮川香山まで続いたが、1945(昭和20)年の横浜大空襲で被害を受け戦後の再興が敵わず途絶えたという。
 初代宮川香山の陶磁器のことを私が知ったのはもう20年も前であったと記憶している。開港後の横浜の歴史をかじった時にその名と作品のいくつかを写真で見た記憶がある。場所はどこだったか記憶にはない。
 はじめ写真で作品を見たときはあまりに技巧を凝らした装飾過剰で耳目を驚かすだけの作品と感じ、特に興味は惹かなかった。
 その後、神奈川県立歴史博物館に幾度か通ううちに、明治初期の日本のもっとも重要な輸出産業産物のひとつであったこと、洗練されたヨーロッパ調の意匠に通ずるものであること、ヨーロッパのジャポニスムの重要な要素であったこと、アールヌーボーに大きな影響を与えたことなどを知った。それでも技巧過多で芸術的には今一つ、という印象は拭い去ることはできなかった。
 本日初めて実物を見て、写真で見る通りいわゆる「高浮彫」の華麗な立体装飾技法をどのように身に着けたのか?という疑問とともに、その高度な技法にこだわり続けた宮川香山という人物に多少の興味は湧いてきた。確かにその実物を見ると圧倒される技法であることは間違いがない。
 今の世でも猫好きには特に人気があるらしい、猫のうづくまった把手付の水差しは有名であるが、他に風神雷神が彫り込まれた花瓶、鶉が浮き出る花瓶、蟹が淵を這う水盤などが有名である。しかしチラシにもあるように動物とともに浮彫にされた花の紋様がとても印象的である。この紋様がヨーロッパで珍重された根拠のような気がする。
 しかしジャポニスムからアールヌーボーへとヨーロッパの志向が変更するに従い、輸出が減少し、新しい様式への試行が開始され、宮川香山の作品も1990(明治20)年代以降大きな変容を強いられたという。
 私はこの時期にこの変容を受け入れ、新しい作品を生み出した宮川香山という人の力量というか執念はすごいと思った。この時期のものを「釉下彩」の技法というのだそうだ。図様を描いてから透明釉をかけて焼く技法というが、詳しいことは私にはわからない。しかし釉薬の研究を重ね新しい表現を獲得した執念はすごいものだと思う。
 実は本日初めてこの転換した作風の作品を見て、これが初代宮川香山という人の本領のような気がした。パンフレットの2ページ目の「紫釉盛絵杜若瓶」という作品など、とても美しい作品に仕立てられていると感じた。同時に世に有名な蟹が縁を這う水盤の作品が最晩年であることも知った。同じくパンフレットの2ページ目の下に並んでいるそれは、蟹については明治前期の高浮彫の技法だが、その蟹を除けば荒い生地など現代人好みの器に通じる作品である。
 このような技巧にこそ宮川香山という人の本領が発揮されたのではないか、と感じた。耳目を驚かす作品を作っただけの人ではなかったようだ。
 このことを本日認識することができた。

            


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朝寝坊

2014年01月27日 22時35分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から退職者会の新春のつどいのための打ち合わせに出向いた。退職してから、朝がますます遅くなってきている。職場に8時半に出向くために6時半に起きて、7時半には家を出ていたが、今はどうしても8時過ぎまで寝てしまう。就寝する時間は昔と変わらず夜中の2時くらい。午前10時半の講座に出るのがつらいという生活は少々だらけているのだろうか。
 歳を取ると朝早くなるという声を昔から聞いていたが、我が家では反対の現象である。私の母親も朝起きるのが遅くなっている。「早起きは3文の得」というのだそうだが、私には縁の無い教訓のような気がする。

 その新春のつどい、昨年を上回り100名を大きく超える退職者が参加することとなった。みんな元気であるとともに、退職後も参加意欲があるというのはうれしいことである。準備する方はうれしい悲鳴があがる。会場が目いっぱいである。労働組合というものへの参加意識・仲間意識というものが大きかった世代の人達でもある。

 昨日オーロラツアーのためのズボンが無いと記載したが、本日出かけている間に裏地を起毛しているズボンがあるのを思い出した。帰宅してから洋服ダンスをひっくり返して見つけた。3年ほど前に安売りの店で確か1500円ほどので購入してそのままになっていたものである。
 そして厚手の靴下を100円ショップで4足ほど購入した。これに登山用に使っている毛の靴下を組み合わせれば十分に暖かい。
 さらにズボンを購入しなくて済んだので、安売りのオーバーミトンを一組購入した。

 これで私はとりあえずは購入しなくてはならないものは無くなった。出発は3月末なのでこんなに慌てる必要はないのだが、ウィンタースポーツの用品の特売は2月初めには終わってしまう。3月に入ると品薄になり、値も高くなる可能性がある。購入は早い方が良さそうだ。ただし私は山用の物と昔のスキー用品で何とか間に合った。

 最近日記風のブログが続いている。今週中に横浜市内でどこか見に行くべきところを今夜これからでも探してみようと思う。



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本日のお酒

2014年01月27日 20時01分57秒 | 料理関連&お酒
   


 前回に引き続き今回も山形のお酒。

 ネットで検索すると醸造元にはホームページは無いみたいだが、山形県の酒造組合や販売店のホームページに紹介が出ていた。
「山形と秋田の県境にある小さな集落に忽然と釜炊きの煙突がそびえ立つ、鳥海山の麓にある酒蔵です。全量手造りで少量高品質の清酒を醸していますが、そのほとんどが地元でしか消費されなかった本当に隠れた地酒であり、味わい深い銘酒です。近年ではさらに造りに拘り、「もと擦り」から始める昔ながらの正式な『きもと仕込』を試験的に始めました。今後、さらに注目の酒蔵です!」
 なかなかこだわったお酒のようである。酸度が+14ということで私の口には合わないのかな、と躊躇したことは確かである。しかしはじめに30度ほどに時間をかけて燗をしてみたら口にくどく残らないで飲めた。その飲み方を続けている。




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横浜では霰も混じっていた

2014年01月26日 22時29分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今日の天候は不思議なものであった。麻から曇り空、14時ごろから雨が降り始め、昨晩のように風が強く舞い始めた。
 天候が不安定なためかインコのご機嫌も悪い。かなりイライラしているようで、仕草も鳴き声もキツイ上に、朝の籠の掃除とエサやりの時にかなりきつく噛まれた。籠の外に出しても一か所で遊ばないであちこち齧りまわる。落ち着きがない。

 14時半過ぎにいったん雨が止んだので横浜駅前まで歩き始めたが、再び雨が強く降り始めた。15時近い頃には雲が切れ、日が射し始めたが雨は降りやまない。風も弱まらない。さらに霰(あられ)のような固い氷の粒が時々混じっていた。途中のマンションの入り口などで時々雨宿りをしながら横浜駅まで歩いた。
 横浜駅西口の地下街などを歩き回って18時ころ地上に出るとようやく雨が上がっていた。路面はしっかりと濡れていたが‥。

 オーロラツアーに出かけるために昔使っていたスキーウエアーを着てみたが残念ながらきつい。冬用の厚手のズボンを新たに購入しないといけないようだ。これには少し散財しなくてはいけなくなった。山の洋品店で少々高価な冬山用のズボンを購入するか、安くても暖かいものがあればそれを購入して合羽のズボンを上から着用するか。後者の方がいいのだが、明日・明後日ともう一度探してみる必要がある。

 さらに、我が家の電子レンジの調子がよくない、と妻に言われている。15年使ったものだから寿命らしい。回転テーブルがほとんど動かなくなったし、時々加熱していないこともあるようだ。温度センサーも正確ではなく、実際とは違う表示になることもあるようだ。途中で止まってしまうこともある。
 15年前と比べて値段は安くなっている。付加機能はあまりごちゃごちゃあるのは面倒である。電気量などでの効率性も比較根拠にしたい。




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栃の実と柿-昨日の補足

2014年01月26日 14時04分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日の今村啓爾教授の話の中で、栃の実は現在では食用にされることはなくなった、との趣旨の話があった。私もその場では疑問にならなかったが、実は妻が栃餅が好きであることに気付いた。講演の内容に意義があるわけではないのだが、縄文以来の食糧、まったく廃れてしまったわけではないと思った。クリが今でも常用であるのに比べたら使用頻度は小さい。
 山形の庄内地方で生まれた妻は、小さいころから栃餅をよく食べたらしい。江戸時代にも飢饉のときの非常食量として栃の木は大事に扱われ、その実を住居に蓄えていたと聞く。今でもお土産用に栃餅はかなり出回っている。
 確かに常用としては栃の実は使われていないと指摘することは私も間違いはないと思う。それでもまったく使用しないわけではないことは確かだ。
 灰汁を抜くのはとても労力がいると聞いている。お土産品などはどのように加工しているのだろうか。
 栃餅は私も好きである。

 次に柿について
 昨日ブログをアップしてからネットでカキノキを検索したところ、日本には弥生時代以降に伝来したとの記述出くわした。(Wikipedia) 梅・桃・杏などとともに中国から伝わったとのこと。
 縄文時代は日本に自生しておらず、また伝来もしていなかったならば、柿は遺跡から出てこないことになる。
 私の不勉強であった。



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閲覧数20万超

2014年01月26日 13時32分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 閲覧数が昨日の段階で20万を超えていました。
 たくさんの皆さんのご訪問ありがとうございます。訪問数も55万を超えて56万7千超を数えました。あらためて御礼申し上げます。

 1年半ほど前まで訪問者数が100位だったものが、最近毎日の訪問数が300を超えることが続き飛躍的に増加しました。
昨年7月にブログ連携にしたことも大きな要因のようですが、それ以前からも徐々に増えてきていました。
 みなさんのご支援に感謝申し上げます。またコメントをいつもいただく、大納言様、葦原の山姥様、通りがかり人様、RW様これからも引き続きよろしくお願いいたします。コメントの投稿はなくとも会う度に「読んでいるよ」と声を掛けてもらえるのも励みになっています。またメールやハガキで激励を受けることもあります。

 美術館・博物館の感想はあくまでも素人のつぶやきです。それも何かを語る契機となるのが楽しくて続けています。いろいろな見方があれことを教えてもらえると私の感想も少しは奥深いものになるかもしれません。
 歴史やその他の専門的な話も、権威や政治的な発想にとらわれない専門家の自由で真摯なものを探しています。

 これからもよろしくお願いします。

風が強い‥

2014年01月25日 23時43分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
先ほどから急に風が強くなった。かなり強い。
強風注意報が出たようだ。

今わが団地は大規模修繕で足場を組み、シートで覆っている。
シートが風にあおられてバタバタと音がしている。
シートが外れている様子ではないので大丈夫とは思うが、今晩は音が気になるかもしれない。

急遽、チョイと団地を一回りしてシートの様子を見てくることに‥。

「縄文人の生活と知恵」

2014年01月25日 22時51分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 横浜市歴史博物館の19周年記念特別講演会が開催された。「縄文人の生活と知恵-横浜の遺跡を中心に-」という題で、今村啓爾帝京大学教授が講演を行った。
 本日と明日は「博物館感謝デー」ということで入館料は無料。こども向けイベントも開催され、博物館は大賑わい。講堂は満席であった。

 今村啓爾教授の話は横浜の遺跡発掘に関わった話から始まり、縄文人の生活ぶり、食物や工芸に関する知識・知恵、自然との関わりなど縄文人の世界を浮き彫りにしてくれた。
 定住に関しては、生活が豊かな中期などでは定住の様相であった。ただ長期の獲物を追っての移動は大いにあり得たとのこと。
 いくつか疑問があったが、質問をすることはしなかった。
 その一つが、縄文時代の文化のピークが中期ということであったが、クリが栃の実やドングリにとって代わる食物の変化がなぜもたらされたのか?という点。講演ではクリばかりが多く植えられたことなどが示唆されたが、天候の変化には触れられなかった。天候の変化についての判断を聞いてみたかった。天候の変化はいろいろな書物で触れられている。自分なりにこだわって調べてみたい。
 二つ目は果実の利用がヤマブドウに限られているとのことであったが、質・量とも豊かな柿については遺物にないのか聞いてみたかった。
 この二つの疑問は次の機会に解明したいと思う。

   



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