この2枚の絵を見ながらこんなことを考えた。
「若冲と蕪村」展では、2枚の「売茶翁像」が展示されていた。2枚とも水墨画である。1枚はだいぶ黄ばんでしまっているのだが、1757年42歳の作品。もう1枚は1789年74歳の作品。
両者そのまま並べて見ると、前者は実に細かく描きこんでいることに気がつく。籠や衣、髪など丹念に描写している。
一方後者は前者に比べて、墨の色がかなり濃い上に、筆使いはかなり大胆である。それほど細かいところには留意していない。籠の編目など筆の跡は太い。だが、的確な描写である。衣については裾の色が濃いために少し重い感じもする。それが風の強さを強調しているようでもある。衣が風に煽られている感じが強くなっていないか。
顔に着目すると、前者は老いをきれいに描いているように感じる。髭は整えてはいないが白く清潔に見え、汚らしさはない。歯も、抜けてはいるが、口元にしまりがある。黒眼が生きている。顔全体が正面を凝視し、生気がある。
後者は老醜も描いている。髭が黒く清潔さがない。歯の抜けている様が前者より強調されていて口元にしまりがない。黒眼が淀んでいる。全体に皺が深く、髪も弱々しい。顎が出っ張ることで少し下向きになり、凝視というよりも口をあけて力なく眺めている風情である。
明らかに後者の作者が74歳の作の方が老いというものを見つめ、そして内に老いを囲っている。前者の42歳の作者は老いを理想化している。
解説によると「売茶翁」とは黄檗宗の僧、月海元昭(1675-1763)。前者には売茶翁自身が83歳という高齢をおして書いた賛がある。
後者は、売茶翁の没後に描かれたので、端正な字の賛は別人。しかし売茶翁83歳の像となっている。
私は今64歳。現役の頃と比べて老いを実感はするが、まだまだ切実に思うことはない。自分が40歳代の時に83歳の老いをどのように想定していただろうか。そんなことはときどき考えるが、よくわからない。やはり、この若冲の作品のように自分なりの理想の像を想定したと思う。それだけは確かだと思う。
若冲は後者の像を描く前年の73歳のときに天明の大火で家を焼かれ、信仰を寄せていた相国寺も焼亡している。かなりのショックを受けたらしい。描いた翌年の75歳の時にはかなりの大病を患っている。大火後、老いを感じたり体調が思わしくなかった可能性は大いにある。老いというのが身近に、そして我が身のこととして自覚した可能性は強い。
このことが前者とは違う老いを描いたことに繋がっていると解釈してみた。
当時は50歳を過ぎれば老境だったかもしれない。70歳代、80歳代というのはまた極めてまれであったろう。そこで感じる老いというのは今よりもさらに切実だった可能性はある。
私がこれからごく近いうちに老いを実感せざるを得なくなった時、このように客観的に老いを描くことが出来るであろうか。画でなくとも文章で老いを綴ることができるであろうか。そんなことも考えさせられる。