Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

満月と木星が並んで美しい

2018年04月30日 23時42分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜のウォーキングを30分ほど。満月と木星が並んでいていい眺めであった。こんなに近づいて見えても満月の明るさに負けない木星の輝きに驚く。5月27日にも同様に満月と木星が近づく。

 なお、5月5日から7日かけて、明け方の空で月と火星と土星が接近して見える。こちらも明るい惑星ふたつが月の明かりに負けずに輝いているのが美しい。特に5日の土星は月に接するばかりに近づくという。

 夜明け前なので見ることのできる人は少ないかもしれない。私も多分難しい。

本日の衝動買い2点

2018年04月30日 22時27分39秒 | 読書
 夜、久しぶりに読書タイム。

 明日の午前中は組合の会館へ出向いて若干の作業。シートパソコン持参で持参データの補正を行ってみる予定。使い勝手の検証といったところ。

   

 さて本日の衝動買いは、次の2冊。
1.「点と線から面へ」(ヴァシリー・カンディンスキー、ちくま学芸文庫)
2.「俳句5月号・追悼金子兜太」
                           
 1はなかなか手ごわい文章である。ちょっと理解できない文章が並ぶ。訳が悪いとは思えない。現代芸術に科学的な視点で理論構築をはかろうとした論考。パウル・クレーの「造形思考」(ちくま学芸文庫)を購入するつもりでいたが、こちらのほうが1巻本で安価なのでつい誘惑に負けた。どちらも読みたい。
 2は先日亡くなった俳人金子兜太の追悼号。

 以下立ち読みの範囲で‥。

★青春の十五年戦争の狐火     金子兜太

 「前年に、集団自衛権の行使が容認され「専守防衛」を基本とした戦後日本の安全保障政策が大きく転換した平成二十七年の句である。『私の青春は、戦争という船に乗せられて、船酔いの連続だった。しかし、いま船酔いはおわった。これからは、ぜったいに、船酔いなどしないぞ、と私はおもった。そして〈見て〉やる。徹底して見てやる。暗部から見るのではなく、暗部を見てやる』(「峠について」(金子兜太))。これは敗戦後、帰国する際の船中の決意である。「見る」ことは以後の俳句原点であり、金子兜太が終生堅持した生の根拠であった。」(「声と言葉と眼光と」(高野ムツオ))

妄想のあとは愚痴‥

2018年04月30日 18時51分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝の妄想の時間の終了とともに先週から約束をしていた昼食と買い物に出かける時間になっていた。慌てて着替えて、リュックを空にしてお供。なんでもパンの専門店のイートインコーナーの割引券の起源が本日までとのこと。たかだか○○〇円のため‥と愚痴を言っては昼食にありつけなくなる。買い物といくつかの品物の値段の下調べ等につきあう。リュックは水物で重くなり、ヨロヨロと帰宅。それでも8000歩ほど歩行となった。缶酎ハイ1箱の配達を頼んだことで一応満足。
 帰宅後一服して一人で反対方向の横浜駅まで歩いて往復。ノートパソコン用の品物を溜まったポイントで購入。テンキーボード、USBハブなどの取り付けが完了。懸案のPDF閲覧・作成・編集ソフトは何とかインストール出来て、ホッとしている。フォントはまだいくつか入れないといけない。
 ようやく5月中旬の幹事会から活用できる。

朝からの妄想

2018年04月30日 10時29分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 通りがかり人様から昨晩の記事に感想をいただいた。その感想を読みながら、一瞬朝から妄想の世界に浸った。通りがかり人様から「天体と地上の仕分け」という刺激的な表現をいただいた。

 「天体と地上の仕分け」、という表現にドキッとした。私もその仕分けがわから無くなることがある。否、わざとわからないようにしている。両目の焦点をずらして、物が二重に見えるようにすると、立体視できたり、別の模様が浮かび上がる図があるが、天上を見あげる視点と、地上を水平視する視点が混乱してしまうことがある。どんな時に起きるのか、分析したことはないが、必ず眩暈をともなってそんな瞬間が訪れることがある。
 科学史的には、ガリレオまでが、地上あっての天体で、それ以降は天体あっての地上といえる。私は履歴書を書くとしたら形の上では「天体としての地球」を「学んだ」ことになっています。それは「天体あっての地上」→「天体としての地球」の視点であった。
 しかし私が身を置きたかったのはどうもそのような世界ではなかった。地上のことにこだわり続けて、あれから50年近く経ってしまった。

 地上のことにこだわりつづけたけれども、本当は心の奥底では、太陽に近づき過ぎて海に落下したイカロスとは反対。木星・土星よりさらに太陽から遠くの極寒で暗い世界、あるいは太陽と他の恒星の中間点、はたまた銀河系ともうひとつの銀河系の間の温度という概念が希薄になり、星々の輝きも少ない世界により惹かれる異端児です。
 きっとそのような星では、地上と天上との区別も、方角という区別もつかず一切の音が消えた世界があるのでしょう。そんなところに息をひそめて生きていたいです。いろいろな妄想をたくましくしながら。そしていつしかそんな妄想すら忘れてただ何もなく、無の世界に体も意識も拡散してしまいたい。

 そんな時間と空間を妄想した朝のひととき‥。晩春の陽気な日の光を浴びながらこんな妄想は、どこかで人の世に背を向けている証拠でもあります。

図書5月号(岩波書店)

2018年04月29日 23時34分35秒 | 読書


 昨日届いたのが岩波書店の広報誌「図書5月号」。表紙の絵「弁当箱の中の景色」(司修)とそれに付随する画家自身の文章は毎号すぐに眼をとおす。昨日も同様。

・弁当箱の中の景色    司修
「箸なんてなくても手で食べられるのに、そう思うと腹立たしくてなりませんでした。すると、「あなたの欠点はそれですわ」と女性はすましていうのです。」

 しかし他に読みかけの本があるので、それを読んでからこの図書5月号を読むことにした。

明日が満月

2018年04月29日 21時31分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 家電量販店でラベル紙や和紙様のプリンター用の紙、ネット接続用の端子、ノートパソコン用のテンキーボードやマウスなどを探したり、SSDのメモリー、USBハブ、いくつかのソフトなどの値段を調べ、物色しているうちに2時間ほどが経過してしまった。結局購入はせずに喫茶店でのコーヒータイムの時間もほとんどなくなってしまった。

 横浜駅は連休ということもあり、大勢の人出があり、地下街は歩きづらい。喫茶店ものぞくことは覗いたが、座るところもないように見えた。またかなり騒々しかった。
 足が疲れていたが、そのまま歩いて帰宅。途中広いイートインコーナーのあるコンビニで缶コーヒーで短い一服。この2階にあるイートインコーナーは普段は人は多くないのだが、本日はやはり中学生・高校生などがたくさんたむろしており、少々騒がしかった。15分程で早々に退散。

 月齢13.4の月が美しい。明日が満月。18時頃、西の空には宵の明星と冬の大三角が今にも沈みそうな位置に見えていた。同じころに月が東の空に登り、初夏らしい夕方の空であった。

 明日は少しでも読書タイムが欲しいものである。


五月来る

2018年04月29日 14時50分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 朝から昼食をはさんで団地の管理組合の作業。ようやく終了。晴れ渡っているが、風が強い。これから新書を1冊持って出かける予定。横浜駅でコーヒータイムがとれれば、読書タイムだが、いろいろと見て回らなければいけないところもある。
 連休が合わる間際の5月5日が立夏。しかし今年は4月にすでに夏日が幾日もあり、「すでに夏」の気分である。5月来る、という季語には5月を喜んで迎える語感が含まれるのだそうだ。確かに日常でも否定的には使わない。「1年ももう5月」というのはあまり聞かない。「やっと5月になった」という使い方はよく聞く。好ましい時節である。

★子の髪の風に流るる五月来ぬ       大野林火
★坂の上たそがれながき五月憂し      石田波郷
★夏めくやアルキメデスのバスルーム    鈴木ひさし



読書タイムが確保できるか

2018年04月28日 21時13分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 18時過ぎに3次会終了後に帰宅。銭湯にでも入るつもりであったが、歩いているうちにいつの間にか自宅前まで来ていた。。酔いが醒めてから、印刷会社の担当者と電話連絡等を行い、別の印刷の仕事も依頼。シャワーを浴びてしばらくボーっとしていた。
 シャワーを浴びたときに肘から手の甲までが、赤くなっておりお湯が沁みた。顔もやはりお湯が沁みた。日焼けをしたらしい。本日の陽射しはかなり強かった。メーデー会場は海からの照り返しもあり、紫外線は強い場所。日焼け効果抜群であった。
 1日(火)までは晴れで気温も25℃ちかくになるらしい。
 明日・明後日とちょっと時間がありそう。できれば読書タイムで読みかけの「近代日本一五〇年」(山本義隆)を読んでしまいたいと思っている。はたしてそのような時間が取れるか。
 本日は早めに寝るに限る。

メーデー式典終了

2018年04月28日 13時01分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 いったん家に急いで帰って退職者会ニュースの記事と写真をはめ込んで、原稿を印刷会社に送信しなくてはいけない。その後、酔い覚ましを兼ねて少しウォーキングにいそしみたいものである。赤い顔をして繁華街を歩くのは気が引けるし、人混みは避けたい。繁華街を避け遠回りをしてのんびりと帰りたい。

 酔いが醒めかかった段階で500円未満で入れる銭湯でもあれば、嬉しい。タオルは持参している。家から持ってきたのではなく、組合の支給品を退職者会でも有料で譲りうけたものがある。むかしは野球帽だったが、このタオルのほうが利用価値もあり、好評である。

 現役の頃、私の支部の結成20周年事業として組合員に記念品が何がいいか聞いたところ、「普段使っているもので実用的でなおかつもう一つの組合に対してアピールできるものがいい」ということであった。
 いろいろと悩んだ末に、組合名と支部名を織り込んだタオルを2本組合員に配ったことがある。現場作業を抱えている職場なので、目立つ黄色のお揃いのタオルはなかなか好評であった。
 そんなことが懐かしく思い出された。

ただ今、メーデー会場

2018年04月28日 11時45分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日はメーデー。横浜の場合は臨港パークでの開催が定着している。雲が多いが、気温は25℃まで上がるとの予報を信じて、私は半ズボンと沖縄で購入した「かりゆし」という格好で参加した。かりゆしは半袖だが、肘までの長さがある。退職者会は朝9時半に桜木町駅に集合。現役の組合の横に毎年図々しく一角を与えてもらっている。
 私は家の近くの駅の傍のスーパーでブロックの参加人数分の総菜の詰め合わせを購入後、集合時間ギリギリに間に合った。これからお昼まで臨港パークで懇談と写真撮影である。
 終了後は多くの会員は、現役の組合員を誘って野毛界隈に繰り出して騒々しく楽しむのが例年のパターンである。
 野毛の居酒屋さんにとっては客としては歓迎だろうが、例年騒々しくて迷惑をかけているかもしれない。寛大な眼で見てもらうしかない。
 私は今回はいったん帰宅して新聞の原稿を作って印刷会社に送信してから、再び野毛に戻る予定にしている。

明日はメーデー

2018年04月27日 23時05分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 さて、明日はメーデー。4月なのにメーデーとはこれいかに、ということだがいろいろと歴史と連合組織の力量の問題がある。同時に連休という事情もある。日程そのものにこだわる理屈はあまり信用しない方がいいとも思う。
 さらに日本の労働組合の社会的な規定力の低下もまた大きな問題でもある。

 そんなことよりも退職した私どもにとっては、昔の仲間や、現役の組合員との楽しい交流の場である。それを楽しみに参加している。交通費が無くとも、飲み物持参でやって来る会員もいる。みんなどこかで綱かっていたい、ということなのであろう。

 明日は朝が早い。8時過ぎには家を出なくてはいけない。今夜は早寝が肝心。10時を過ぎたら夜のウォーキングを短時間、早めに風呂に入って就寝としよう。


市庁舎へ

2018年04月27日 20時28分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は団地の管理組合の仕事で関内の横浜市庁舎まで出向いた。先月に続いて二か所の職場を訪れた。勝手知ったる市庁舎であるが、市民にとってはなかなか行きづらいところではある。私も退職して6年が経ち、もうすでに知っている職員はこのふたつの職場では皆無である。直接在籍はしなかった局ではあるが、仕事ではそれなりに関係のあった職場でもあるのだが、知っている職員がいないのはどこか心細い。

 職員は、私が在籍しているころから長くて5年から6年で課単位での異動となった。が、果たしてそれがいいことなのか、私には疑問である。役所を理由する側の市民にとっても短期間で職員がどんどん変わることがいい事ばかりとはどうしても言えない。
 短い期間で異動を繰り返してもしっかりと仕事を身につける職員はいる。長く在籍して良さを発揮する職員もたくさんいる。逆に短い期間で異動する職員では腰の定まらないいい加減に仕事をしてしまう職員もいる。長くいるとその仕事に甘えてしまう職員もいる。人事制度というのは大組織になればなるほど、個々の職員の特質をどうとらえ、どう生かすか、きめ細かさが問われる。今の人事制度は世の中のすう勢だというが、それが果たして良いものなのか、いつも疑問を呈して来た。

 これから市の人事制度、どのように変わって行くのか、興味はある。

お茶が大好き

2018年04月27日 10時35分06秒 | 料理関連&お酒
 私は「お茶」が大好きである。いわゆる「茶」の木に由来する「お茶」である。日本の緑茶(煎茶)・抹茶・ほうじ茶、中国の烏龍茶・ジャスミン茶、そして紅茶をいつも携行ないし家に常備している。いづれも無糖のものばかりを飲む。
 ただしほうじ茶、普洱(プーアール)茶は嫌いではないが、飲む機会はそれほど多くない。コンビニやスーパーでペットボトルであまり販売していない事にもよるが、緑茶や烏龍茶も同時に並んでいるとそちらを購入してしまう。
 朝はモーニングカップ1杯以上の無糖の紅茶。ミルクも入れない。朝の定番である。パソコンにつかれると昼前に烏龍茶の茶葉をコップの中に直接入れ、熱湯を注いで飲む。夕方まで何煎でも入れて飲む。出かけるときはペットボトルの緑茶を購入する。スーパーで500cc80円未満のものを事前に購入しておくことも多い。帰宅までに半分は無くなっている。残りは翌日。最近500ccではなく600ccに近いものばかりが販売されているが、リュックが重くなるのでできれば元に戻してほしいと願っている。ただし山登りに使う場合は重宝している。

 喫茶店ではコーヒーを飲むが、時々は紅茶にする。夜の夕食後や就寝前は煎茶ないし烏龍茶。
 こうして一日に紅茶・烏龍茶・緑茶の3種類は必ず飲む。夏場になるといづれもがぶ飲みする。特に運動後は烏龍茶がいい。

 現役の頃、親睦会で購入した煎茶を共用の急須で淹れていたが、人それぞれに茶葉の量や淹れ方に好みがあり、また茶葉の処理が面倒なので私は利用しなくなった。簡便な方法をいろいろ考えた末に、寿司屋さんで出てくる粉茶に、ほぼ半量の抹茶を混ぜたものを自分用の小さな茶筒に入れて保管することにした。これを二掴みほど茶碗に入れてお湯を注いで飲んでいた。こうすると茶葉も丸ごと飲んでしまうので始末が楽であった。また熱い湯でも十分に美味しく飲めた。

 家で飲む紅茶・煎茶の購入は妻に任せ放しである。ただし烏龍茶や妻の好みのジャスミン茶は私が中華街などの近くに寄った時に購入してくる。さまざまな中国茶が並んでいるので、悩むが値段と相談し、安くて大きめの袋に入ったものと、少し高めで小さな袋に入ったものを一袋ずつ購入することにしている。気分次第でどちらかを飲む。昔から台湾製のお茶の人気が高いとよく聞く。比べたことはないし、研究したこともないので、私には理由はわからない。

 最近は抹茶はあまり飲むことはなくなったが、ペットボトルの煎茶を購入するとき、抹茶入りと表記したものを購入することが多い。本当は抹茶は料理に使ってもいいのだが、妻は好まないので、抹茶の消費量は少ない。妻は抹茶は茶筅でたてないと飲まない。抹茶を入れたアイスクリーム、ケーキ、ビザなど意外と洋風の料理に抹茶が合うと思うが、妻に言わせるとそれは邪道らしい。
 無糖の紅茶もまたあまり売っていない。需要が少ないのだろう。残念である。

 茶葉ではないが、コーヒーも嫌いではない。今はやりのエスプレッソ、カプチーノは好まない。できればあらびきの豆を使ったドリップコーヒーがいい。それも酸味のないいわゆるマンデリンかブラジルサントスをストレートで飲む。
 コーヒーのほか、世には茶葉以外の材料を使った「お茶」はたくさんある。麦茶・隈笹茶・柿の葉茶・黒豆茶等々。いづれも嫌いではないが、どうしても敬遠してしまうのが昆布茶。昆布自体は大好きである。昆布出汁もいい。だがどうしても昆布茶は昆布の味が私には強過ぎる。何かの情報で昆布茶は出汁の素として煮物などに使えると聞いた。手軽なのかもしれない。まだ試したことはない。



データの移動作業終了

2018年04月26日 23時38分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の業務終了。昨年度のデータのバックアップと新年度のファイルを二つのハードディスクに保存、パソコン内のデータ領域からは昨年度のデータを削除の上、新年度のデータ用のファイルを作成。

 パソコン内臓のデータ用のハードディスクはわずかに5パーセントほどしかない。画面の大きなデスクトップを購入したら内臓のハードディスクの容量も巨大であった。
 ゆとりは十分過ぎるほどあるのだが、パソコン内臓のハードディスクが昨年壊れて交感果て貰ったこともあり、出来るだけこまめに2台の外付けハードディスクに同じものを保管している。

 昨年はたまたま内臓ハードディスクがまだかろうじて動いているときに内部データを取り出すことができたが、1か月分のデータはまだ外付けのハードディスクにコピーしていなかった。危ういところであった。今後は月に2回ほどはコピーしておこうと考えている。



霧島連山の噴火

2018年04月26日 20時48分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりの家事労働、草臥れたが、気分はいい。妻に師事されながらこなす作業もまた良きかな。
 もうしばらくしたら、夜のウォーキングがてら買い物に出かけることにした。一日家の中の作業ばかりしていたので、明日のための買い物ができていない。
 本日は半袖のポロシャツを着てみたが、二の腕が寒く感じた。半袖の上からウィンドブレーカーを着て過ごした。特に日が沈んでからは寒さを感じるようになった。

 霧島連山のえびの高原・硫黄山周辺で、18時過ぎ、6日ぶりに噴火が発生した。小規模噴火ということであるが、九州南部の火山活動が随分活発のような気がする。大きな災害につながらないことを願いたいものである。