Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

この一年のご訪問に感謝

2024年12月31日 19時27分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 この1年のご訪問とお目通し、心より感謝申し上げます。
 ここ数年、身辺雑記の割合が多くなり、俳句・美術鑑賞・読書感想・エッセイ等の割合がどんどん低下してしまっています。それにも関わらず、多くのお目通し・ご訪問があり、嬉しい限りです。

 世の中は、世界も日本もますますきな臭くなり、住みにくい世の中へと傾斜しています。その傾斜は角度が大きくなってころげ落ちるように、人びとを巻き込んでいます。日本だけは平和、という「常識」は通じなくなっているように感じます。

 来年こそはもう少し内容の濃い記述や、私なりの感動体験を、記すことができるよう努力したいと思っています。同時に住みにくい世の中に対する鋭い批判精神を持ち続け、それが少しでも匂う記事をアップしたいものです。

 来年もこれまでと変わらず、よろしくお願い申し上げます。

   

 


明日は特に何をするでもない大晦日

2024年12月30日 23時15分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は大晦日。一応一年の締めくくりという節目。一年の反省も、来年の豊富も特に考えていないが、気分だけは節目を迎えるつもりで、少し神妙にするべきなのだろう。

 ゆっくり風呂に入り、体を少しばかり入念に洗い、早めにベッドに入り、明日に備えたい。とは言え、明日何をどうしようか何も考えていない。
 少し早めに起床し、早めに朝食を済ませ、部屋を少しばかり片付け、いつもより少し長くウォーキングをこなし、開いている喫茶店で一服しながら読書、早めに家に帰る。
 アクセントとして一眼レフカメラを持ってフラワー緑道で写真でも撮影することくらいだろうか。
 結局いつもと変わらない日常を繰り返すだけである。

 明後日の元旦は親の体調を見ながら、どのように過ごすか考えることとしたい。

 


早くもおせち料理

2024年12月30日 18時59分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 頼んでいた伸し餅を昼過ぎに受け取るために近くの和菓子店へ。一枚だけであるが、小さな鏡餅も袋に入れるとかなり重い。帰りはバスにて帰宅。

 夕方、元日から海外旅行に出発する娘夫婦が、一足早く我が家にやってきた。元日から旅行というのはうらやましい限りである。
 百貨店のおせち料理が冷凍で昨晩届いた。妻の用意した煮しめや栗きんとん、チャーシューと合わせて一足早い元旦料理を餞別代りに本日の夕方に用意をした。ただしお餅ではなくご飯で我慢してもらうことに。お餅は小さめに切って冷凍庫へ。屠蘇の用意もないが、昨日購入した日本酒を少しばかり用意をした。
 変則的な年末年始の食事会であるが、慣習に縛られるような我が家ではない。

 二人が帰宅後は、夜のウォーキングの予定。


飛行機事故

2024年12月29日 22時58分43秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 午前中に家を出る直前、韓国での飛行機事故の第一報に接した。今年の正月二日の羽田空港での事故を思い出した。一報では死傷者数は少なかったが、帰宅してみると死者が179名、助かったのは2人だけのような報道になっていた。アゼルバイジャン航空機の撃墜の報道も含め、飛行機事故の恐ろしさを見せつけられた。

 戦争が露出し、軍人だけでなく市民の死傷が当たり前のように報道され、事故や災害による死傷に対しても「またか」という感情が頭をまたげてきそうな時代になってしまった。
 戦争が常態化することで国土や都市基盤・機能の維持が困難になれば、災害も事故も甚大化する。人災の度合いが高まる。

 何気ない道端の紅い葉に、不安な要素を嗅いでしまった。


 


今年最後の失敗

2024年12月29日 21時36分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は何も予定がない日とのんびりしようとしたら、年末の買い物に駆り出された。とはいえターミナル駅の商業施設にあるスーパーでの買い物。購入品は配送を頼んだので、私のリュックは重くならずにホッとした。
 商業施設に併設された喫茶店でサンドイッチで軽く昼食。そこでわかれて私はいつものとおり横浜駅へ。家電量販店で正月用の日本酒の4合瓶を購入。日本酒は嫌いではないが、1合以上飲めない。口のなかがべたつくような感じになってしまう。日本酒は1合の半分の5勺が私にはちょうどいい量である。自分では滅多に購入しないのだが、正月だけは屠蘇用に毎年購入。
 10月に家電量販店で購入したノートパソコン代のポイントが残っていたので、1800円也の4合瓶を奮発した。購入後は再び喫茶店に入り、一服。

 実は家を出た時、私は一足先に家を出たのだが、妻と約束したのとは違う別の系統のバス停に行ってしまった。妻と合流することができず、私だけウォーキングで商業施設に向かう羽目に。私が到着する間に妻は買い物を済ませてしまっていた。いつものことだが、私はほとんど役に立たなかった。
 しかしそのために大幅にウォーキングの歩数を稼いだ。

 


静かな年末の様相

2024年12月28日 23時00分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕食後には「図書1月号」を読み始めた。4編ほど。装丁が少々変わったようだ。

 21時過ぎに夜のウォーキングに出かけた。いつもは22時過ぎに30分ほどのウォーキングだが、本日は近くの私鉄の駅までの往復約5000歩ほど。はじめは寒かったが、戻ってきたときは汗をかいていた。
 街中は大手のドラッグストアの支店は2軒とも既に店仕舞い。2軒とも折り返し点のすぐ傍であったので出入り口の貼り紙を見たら、明日から4日まで休業になっていた。いつもは明るい駅前も心なしか暗く、静かな年末の様相であった。大きなターミナル駅はまた別の顔で、明るく賑やかであるのだろう。

 年末年始、我が家は特に遠くに出かける予定は皆無。普段から不信心の極みの私をはじめ、「初詣」なるものにこだわる夫婦でも親子でもない。妻は干支の土鈴が欲しくて近くの寺と神社に顔を出すのに同行する程度。特に私は本堂や拝殿に向かって手を合わせることもしない。境内に足を踏み入れるときや鳥居をくぐるときに、礼儀上一礼はするがそれ以上は勘弁してもらっている。妻の土鈴収集がなければ多分初詣にも行かない。
 退屈しのぎに、そして人混みが何となく恋しくなって、3日には横浜駅近くで箱根駅伝を見に行くものの、行くたびに選手の後ろの監督車の異様な怒鳴り声を聞いて、いつもながら嫌になって帰ってくる。大きな怒鳴り声での精神訓話と「一、二」の掛け声。幼稚園児でも嫌がるであろう。「指導」とは恐れ入る。聞いているこちらが恥ずかしくなる。
 一度怒鳴り声を発しないチームを見かけて、翌年応援してみたが、他の区間のテレビ報道でそのチームも怒鳴り声だか罵声だか区別のつかない大声を出しているのに気がついて、どのチームも応援することを私は辞めた。私には科学的なスポーツのあり様にはとても思えない。

 さて、今年はどんな年末・年始となるのであろうか。昨年の年明けは能登半島地震と羽田の航空機事故で幕が開いた。あのような事態は起きてほしくないものである。


やっと年賀状投函

2024年12月28日 18時36分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ようやく年賀状作成が終了。昨晩遅くなり、プリンターの音は隣に迷惑になりそうなので、裏面の印刷を本日の朝に持ち越し。昼過ぎからあて名・差出人面を印刷。14時過ぎに投函できた。
 その足で早足で少し遠回りして横浜駅まで。駅周辺のオフィス街のいつもの喫茶店で一服。「鬼の研究」(馬場あき子)を開いたが、疲れが出たためか、うつらうつらしてしまった。無理して読書を続けても頭の中に入らないので、素直にうたた寝を継続。

 目醒めたのち頼まれた買い物をしようと喫茶店を出たものの、何を頼まれた忘れてしまい、思い出すまで地下街の書店でウロウロ。10分ほどでようやく思い出した。
 思い出したものを購入して帰宅したのが18時直前。

 有隣堂では岩波書店の「図書1月号」を入手。寝るまでの読書としたい。


年賀状の作成

2024年12月27日 21時14分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 予定より大幅に遅れていた年賀状の作成。午前中と夕方に図柄を二人で相談しながら作成した。シンプルで余白の多いものを所望する妻と、干支や江戸時代起源の縁起物などは避け、少しだけ凝ったものを作りたい私との間でのやり取りは毎年繰り返される。
 結局妻の要望を入れてシンプルになる。それに私は文章などを添えて、二種類作ることも毎年の行事である。
 ようやく確定したのは夕食後。これより裏面から印刷。明日の朝までに完了するであろうか。
 


日付が変わる直前に帰宅

2024年12月26日 10時23分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩の忘年会は九段下にて、5人で気持ちよく飲むことができた。一次会は友人の紹介のちょっと高級感のある店、泡盛のお湯割りを4杯ほど、美味しく飲めた。焼肉と魚を取り交ぜで網焼きで。
 8時過ぎまで学生時代の友人の会話を愉しんだのち、帰り道が近い一人と渋谷で軽く1時間ほど。渋谷も夜になるとさらにわからなくなるほど変化が激しい。
 地下道を歩いているうちに宮益坂のあたりにひょっこり出たものの、方向などはよくわからず、目についた店に入った。私はハイボール1杯と焼き鳥数本。

 渋谷駅で分かれ、私は東横線に辿り着いてすぐに急行に乗れたのは幸い。歩いて帰宅したら23時半を回っていた。日付が変わる前に無事帰宅。帰巣本能はちゃんと働いている。朝から1万4千歩ほど歩いたものの、5千歩以上は酔って歩いたもの。運動になっているか、怪しいものである。

 先ほど印刷会社から校正刷りの修正版が早くも届いた。これにて校了としたいものである。年内に終了の目途がたちホッとしている。

 


ひと息ついて目覚め良好

2024年12月25日 11時26分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ひと段落出来たので、朝の目覚めもすっきり。しかも風がなく、陽射しがベランダに差し込んで気持ちの良い朝である。
 午前中はのんびり。ボーッとしていた。そして買い物に付き合わされることになった。ここ数日しかめっ面をしてパソコンと睨めっこしていたので、たまに柔和な顔でお付き合いすることにした。
 このブログも愚痴の記述から脱却したいもの。
 昼から年賀状作成と予定していたが、今年は元旦到着は諦めることにした。慌てて作成しても間違いなどのもと。
 昼食は近くのパン店の喫茶コーナーで一緒に食べることにした。買い物につき合ったのち、私は忘年会出席のため横浜駅経由で都内へ。
 気温は低いようだが、風がないのが嬉しい。


クリスマスプレゼントのようなもの

2024年12月24日 23時00分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 ようやく本日午前中に最後の訂正をほどこして三度目の入稿。夕方帰宅すると、いいタイミングで早くも校正刷りが送られてきた。クリスマスプレゼントのようなものである。
 夕食後、校正刷りを他の役員に再送信。年内に最終チェックを終わらせたい。
 印刷会社の担当のかたも年内に目途をつけたいのであろうと推察。年明け早々には印刷工程に入らないと間に合わない。
 今回の新年号、印刷会社の担当者にはだいぶ迷惑をかけてしまった。

 午後には組合の会館に出向いて、協力してくれた書記のかたにお礼をし、現職の役員に年末の挨拶、さらに情報宣伝用の資料をもらってきた。
 だんだんと年末らしい気分になってきた。

 帰り際に喫茶店に入り、「別冊日経サイエンス」の「太陽系新時代 探査機で迫る生命の起源」を30頁ほど。久しぶりに科学雑誌を読んだ。

 明日の午前中は少しのんびりして、午後から年賀状の素案作り。夜は楽しみにしていた友人との本年最後の「忘年会」。都内まで出向く。


難産な「新年号」に振り回される

2024年12月23日 20時31分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 冷たい北風を顔に受けながら、午前中は親の通院の付き添い。

 昼食後は昨日に続いて退職者会ニュースの新年号の修正などでオロオロ。今度の新年号は難産気味。明日までかかりそうである。印刷会社の担当者には大変申し訳ないが、丁寧に原稿を修正して、校正刷りが早くできるようにすることしかない。

 こういう状況なので、喫茶店での一服も読書の時間もなし。年賀状を作る時間もなかった。せめてこれより短時間の夜のウォーキングで体を動かしたい。


終わったと思った仕事がまだ・・・

2024年12月23日 10時20分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日はブログの投稿を忘れてしまった。忘れた、とは言っても特に記載することもなく、しかしそれとなく慌ただしい一日であった。
 退職者会ニュースを印刷会社に送信すととともに、他の役員にも送信した。その結果、訂正すべきいくつかの指摘があった。
 その処理の段取りを組んでいるうちに、時間が過ぎてしまった。
 印刷所や組合の書記局の年末・年始の休みもあり、新年号はいつもこのように慌ただしい。終わったと思った仕事が、終わっていなかった、というのはつらいものである。

 こんな状態のために年賀状の作成もまだ何も手を付けていない。読書もままならず、喫茶店にも行けずに一日が過ぎてしまった。おとといののんびりした一日がもう一度やって来てほしいものである。

 という愚痴が頭の中で渦巻いた一日であった。


「無為を為す」

2024年12月21日 18時24分52秒 | 読書

 退職者会のニュース原稿づくりも終了したので、二人で桜木町まで出かけてみた。風は少し強めでロープウェーは休止。もともと乗る気はないが喫茶店で軽食とコーヒーを注文し、外を眺めて取り留めもない話をして時間を過ごした。

 夕方になり、風が強まり、厚い雲も出てきた。野毛を一瞥してから地下鉄で横浜駅へ。夕食に弁当を購入。
 平日とは違い、16時過ぎのバスはとても混雑。道路も渋滞していた。団地の中の路面が少し濡れており、予報通り雨がわずかだが降ったようだった。

 老子に「為す無きを為し、事無きを事とし、味無きを味わう」という言葉がある。昔はこれだけが独立して教科書にあり、「為るように為る」、「無理な作為は不要」などという解釈が解説本にも載っていた。
 しかしこの先には「難(かた)きを其の易(やす)きにはかり、大なるを其の細(ちい)さきに為す。天下の難事は必ず易きより作(おこ)り、天下の大事は必ず細さきより作る。是を以て聖人は、終に大を為さず。故に能(よ)く其の大を為す」と続く。

 要するに「ものごとは大ごとになってから対処するのでは手遅れ、初期のうちに対処しよう」という意味だと教師に教わった(ような気がする)。

 こんな難しそうな話とは無関係な日である。特に難しい局面に遭遇しているわけでも、事前に何かの仕掛けをしたわけではない。エネルギーを費やした「仕事」がひと段落して、のんびりと夫婦で何事も為さずに、時間を経つのを愉しんだ。こんな日があってもいい。


夜のウォーキング

2024年12月20日 23時01分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今晩は早めに夜のウォーキング終了。2,500歩程。外はかなり冷えていた。暗い夜道のウオーキング、終バスからも多くの人が下車してくる。男女、老若、偏りなくいる。下車すると、多分下車する前から、多くはスマホだけを見て歩き始める。不用心で怖くないのかと見ている私のほうが他人事ながら心配してしまう。ひったくりや痴漢に「どうぞ好きなようにしてください」と言っているようなものであろう。願わくばすれ違ったとき怯えて、私をそのような人と勘違いでほしいものである。

 これより入浴。入浴後は編集作業に使った資料の後片付けをしてから就寝をしたい。パソコン周囲を片づけると狭い部屋の片付けに繋がる。
 書類の片付けだけだから、大きな音は出ないので、近所迷惑にはならないと思われる。