先ほどようやく帰宅。日付の変わらないうちに帰宅出来た。東京都内で呑むと、そしていつもの仲間と5~6人で呑むと、24時を回るか回らないかということがある。情けない年寄りの集団である。他の客に迷惑はかけていないと思っているが、思っているだけで実際のところは何とも言えない。つい声が大きくなって煩いと思われている可能性は大きい。
いつものとおり私は横浜駅で降りてからは30数分かけて歩いてきた。それなりに酔いは覚めた。歩きながら500ccのウーロン茶を飲み、家でさらに熱い煎茶を2杯ほど飲んで落ち着いた。お酒を呑んだ後にウーロン茶と煎茶は欠かせない。特に夏に飲む冷えたウーロン茶は喉と食道に心地よい。
以下、とりとめのない、そしてまとまらない思いをだらだらと‥。
飲みながら「明日はもう12月、早いもんだな」という感想をみんなが述べていた。私は同意も反論もしなかったが、みんなとはちょっと違った感想を持っている。
現役の頃は確かに「もう年末、師走だな」という感慨が多かったが、退職後は「もう年末」という気持ちとも、「まだ一年が終わらない」ともちがう。割と自分の脳内の時計、体内時計と物理的な時間の流れに差がない。もう334日経ってしまった、あるいはまだ365日経たないのか、という感慨がわいてこない。この感覚は退職後5回目の年末であるが、あまり変わらない。友人と話をしていても特に相手感覚に異論はない。異論があっても感覚の問題なので議論にはならないので、頷いているだけである。
生まれて初めて日記をつけるような感覚でこのブログに毎日記事をアップしているからなのか、「仕事」を離れて「責任」がなくなったからなのか、原因はまったくわからない。時間の流れに感想を述べること自体が興味の対象でなくなったのかもしれない。
気にならないことは、気にしない方がよさそうなので、あえて時間にこだわらずにこれからも息をし続けたいと思っている。
ただし、正月を迎えると「今年はもう〇〇歳になるのだな」という感想は重く頭に湧いてくる。来年は66歳である。あと何回、意識がはっきりして正月を迎えられるのか、切実になってきた。そういった意味では、正月になるのを厭う気持ちは毎年強くなっている。それが「もう年末」という感慨の根拠なのだろうか。そこらあたりはどうもよくわからない。
いつものとおり私は横浜駅で降りてからは30数分かけて歩いてきた。それなりに酔いは覚めた。歩きながら500ccのウーロン茶を飲み、家でさらに熱い煎茶を2杯ほど飲んで落ち着いた。お酒を呑んだ後にウーロン茶と煎茶は欠かせない。特に夏に飲む冷えたウーロン茶は喉と食道に心地よい。
以下、とりとめのない、そしてまとまらない思いをだらだらと‥。
飲みながら「明日はもう12月、早いもんだな」という感想をみんなが述べていた。私は同意も反論もしなかったが、みんなとはちょっと違った感想を持っている。
現役の頃は確かに「もう年末、師走だな」という感慨が多かったが、退職後は「もう年末」という気持ちとも、「まだ一年が終わらない」ともちがう。割と自分の脳内の時計、体内時計と物理的な時間の流れに差がない。もう334日経ってしまった、あるいはまだ365日経たないのか、という感慨がわいてこない。この感覚は退職後5回目の年末であるが、あまり変わらない。友人と話をしていても特に相手感覚に異論はない。異論があっても感覚の問題なので議論にはならないので、頷いているだけである。
生まれて初めて日記をつけるような感覚でこのブログに毎日記事をアップしているからなのか、「仕事」を離れて「責任」がなくなったからなのか、原因はまったくわからない。時間の流れに感想を述べること自体が興味の対象でなくなったのかもしれない。
気にならないことは、気にしない方がよさそうなので、あえて時間にこだわらずにこれからも息をし続けたいと思っている。
ただし、正月を迎えると「今年はもう〇〇歳になるのだな」という感想は重く頭に湧いてくる。来年は66歳である。あと何回、意識がはっきりして正月を迎えられるのか、切実になってきた。そういった意味では、正月になるのを厭う気持ちは毎年強くなっている。それが「もう年末」という感慨の根拠なのだろうか。そこらあたりはどうもよくわからない。