Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

0.3ミリリットル

2024年11月26日 11時26分43秒 | 病い

 昨日の午前中に新型コロナワクチンを接種。
 深夜になってから、妻はかなりの高熱と節々の痛みが出た。すぐに解熱剤を服用させたが、明け方まで高熱が続いた。妻は接種のたびに高熱を出す。朝食の段階でかなり下がってきたが、まだ平熱ではない。
 私も寝付いた頃に寒気が始まり、37℃台半ばまで。平熱が他のかたに比べて0.5程度低い私にしてみれば、38℃程度の発熱に等しい。私も深夜に解熱剤を服用。私は朝には平熱に戻ったが、ワクチンを接種した左腕だけでなく全身の節々が痛む。
 高齢の親は節々が痛む程度で、発熱は今回もないとのこと。体質によるのであろうが、こんなにも差があるのは不思議である。
 接種した量はわずか一人当たり0.3ミリリットルと表記されている。これだけで全身に反応が出るものなのだろうか。不思議と言えば不思議である。

 過去数回は私は強い倦怠感に見舞われた。今回は今のところ倦怠感はない。午後には近くの店までは食材などの買い物に出かけてみたい。
 


減量計画は無事終了

2024年11月05日 22時51分53秒 | 病い

 朝から昼にかけていつものかかりつけの内科で、採血・採尿・体重測定の検査。待合室は連休明けということで、それなりの人数の患者がいたのですぐには順番は回ってこなかった。
 体重は6月中旬に減量を初めて、急激すぎたきらいはあるが、9月初旬までに-15キロの目標を達成。血圧があまりに低くなりすぎたこともあり、1キロほど元に戻してからじっくりと2か月かけて-2.5キロとすることが出来た。血圧もいい数値のところで安定した。検査結果が出て医師の診断は来週の予定。
 一応これにて減量計画は終了するつもり。とはいえ、急激に食事をもとに戻すわけにはいかないので、少しずつ炭水化物の量を増やすこととしたい。9月以降は少しずつ饂飩や蕎麦、お粥を食べ始めた。そろそろパン食や中華麺・スパゲティなども食べ始めたい。
 ということで、本日の昼は妻とラーメン店に入り、今年に入って初めてラーメンを食べてみた。もともと量はそれほど多くない店で、一人前を注文したものの、食べる量を減らしていたので量が多いと感じた。スープはほぼ残した。食べられる量は明らかに少なくなっている。



 スーパーでの買い物につき合ってから、近くの公園のベンチひと休み。買い物の一部を私のリュックに詰め、私は横浜駅まで歩いて喫茶店へ。「古墳と埴輪」の読書を再開。第3章を少しばかり復讐した後、第4章「古墳の儀礼と社会の統合」を少々。
 いつものとおり書店、家電量販店、百円ショップを一回りしてから、ウォーキングを兼ねて帰宅。残念ながら読書はあまり進まず。
 帰宅してみたら、退職者会ニュースの初校が送信されていた。ありがたいことにとてもきれいにできあがっている。しかしチェックの結果、3カ所ほどの修正をお願いした。

 明日も一日出かける予定。病院で新型コロナのワクチンとインフルエンザワクチンの情報や値段も聞いてきた。コロナワクチンが自費になったので、二つ合わせて一人5200円となってしまう。いつ接種するか、相談である。


ぎっくり腰、本格化

2024年10月13日 21時06分33秒 | 病い

 しかし桜木町駅で駅のホームに降りたとたんに腰の痛みがひどくなり、歩くのが困難になった。しばらくホームで立ちつくして痛みをこらえてようやく歩き出すことが出来た。杖を持ってこなかったことを悔やんだ。

 JR桜木町駅前のライブ会場は陽射しがあまりに強く、またランドマークタワーの1階の会場は着いたとたんに休憩となり、断念。クロスゲート会場に引き返した。腰の状態からして、他の会場に出向くことは困難であった。2ステージが終わってから、そろりそろりと歩いてやっとの思いで横浜駅に戻り、バスにて帰宅した。バスは1台待って、座って帰宅。
 しかし降りるために立ち上がったとたんに痛みが走り、床に座り込みそうになった。握り棒つかまってなんとか持ちこたえた。
 2~3分ゆっくり歩くと、痛みが出なくなる。だが、とても無理は出来ない。杖をついて歩着たくない。明日一日おとなしく養生したい。
 


降圧剤の減薬

2024年09月13日 20時55分57秒 | 病い

 昨晩いつものように血圧の測定をしたが、測定結果がとても低かった。先週の金曜日に降圧剤を少なくしてもらったばかりであったが、まだ低すぎる測定結果であった。本日再度診察を受け、さらに減薬の指示をもらった。明日からは一回の量は変えずに、一日に二回から一回へ変更。これまでの薬の量の半分となった。これでしばらく様子見である。

 以前から「高血圧の薬は一度始めたら薬の量を減らしたり、卒薬は困難」と周囲の人々から聞かされてきた。高血圧の薬を飲み始めてからすでに18年ほども経った。8年ほど前に体重の増加とともに薬の種類が変わり、服薬の回数が増えた。今回、投薬を開始して18年ぶりの大幅な減薬と回数減である。
 他の血液検査の結果や他の投薬との関係などは患者である私にはよくわからない。患者の自己判断は危険。判断はかかりつけ医に任せるしかない。

 久しぶりに関内駅そばの喫茶店で友人と打合せ。

 本日の最高気温は32.7℃。猛暑日ではないが、陽射しは昨日までと同様とても痛かった。大気が澄んで陽射しが直に人の肌に刺さってくるような気分であった。

 


高齢者の通院も命がけ

2024年07月09日 22時46分16秒 | 病い

 明日はふたたび猛暑日の予報となっている。食事抜きの上に、出かける9時には31℃の予報である。その時間帯のバスは混雑が予想されるので、かかりつけ医に行くのは歩いていくことにいったんは決めた。一方で31℃超えの暑い中を歩くというのも考えものである。バス停の様子を見てから再度考えたい。

 私が11時前に帰宅出来れば、親の二日連続の通院は私が付き添って行くのだが、それよりも遅いと妻に頼まなければならなくなる。その時間帯は34℃の予想。私の親の通院はタクシー利用で、暑さを凌ぐしかない。
 超高齢者の通院も命がけである。病院内と薬局内の冷房、タクシーの冷房が命綱。

 


減量を申し渡される

2024年06月14日 21時19分25秒 | 病い

 本日は午前中は歯医者、午後からはいつもの内科に通院。
 歯医者は本日で治療完了。被せていたものが取れてしまったものの復元1本、小さな虫歯になりかけの6本の歯の治療、スクリーニングが終了した。復元の歯以外の治療は特に小さな虫食いのあとの治療だったようだ。5年くらい見てもらっていなかった割には悪くはなっていなかったらしいが、もっと早めに点検してもらったほうが良いようだ。

 そして午後の内科では次回の4週間後までの減量を強く申し渡された。このままでは新たな治療を開始しなくてはいけない、というきついお達し。確かにかなり体重が増えすぎている。
 夏なのでいい機会である。また膝の調子も今のところなんとか上々なので、運動と減食に心掛けなくてはいけなくなった。減量は20代から幾度も成功しているが、成功の鍵は「気力」。
 50代半ばまでは60キロ台前半の体重を維持したものの、気力が減退した60代以降、放置していたのがいけなかったようだ。退職者会での飲み会での飲食は良くないと判ってはいるが自重できるだろうか。果たして今回はうまくいくだろうか。


歯医者

2024年05月13日 13時19分20秒 | 病い

 濃霧注意報は10時過ぎに解除になった。しかし現在は大雨・洪水・強風・雷・波浪注意報が出ている。
 午前中の歯医者の通院には特に支障はない程度の雨と風であった。昨日の予報よりも雨はそれほどひどくはなっていない。午前中よりも雨は弱く、空も少し明るい。しかし今後はどうなるのか、心配である。

 本日歯医者では2本目の歯の治療が1日で終了。金曜日に再度3本目の治療ということになった。しかし通っている歯医者は治療が早いうえに長持ちする。今回も他の歯医者で治療したところが滲みるようになったり、食べ物がはさまったりするようになった歯の治療である。現役時代は、この歯医者と職場の傍の歯医者を交互に利用させてもらったが、こちらの歯医者で直してもらった歯は未だに問題ない。
 私が現役時代に長期入院した総合病院の看護師たちも「腕がいい」と評判であった。
 近くに腕のいい親切な歯医者があるのはとてもありがたい。

 午後からは親の通院の付き添いであるが、まだ通院に踏み切るか、結論は出していない。


ふたりで外出

2024年05月02日 16時27分13秒 | 病い

 バスを使って久しぶりに横浜駅に出向いてみた。連休の合間の横浜駅は混雑していた。咳込むことを心配しながら頼まれた所用をすぐに済ませ、戻ってきた。
 妻と待ち合わせて家の近くの美味しいコーヒーを飲ませてくれる喫茶店で昼食。再びバスでスーパーへ出向いて、親に頼まれた買い物を含めて久しぶりの食材の買い物を決行。妻も鼻水が出始めたとのことで心配したが、帰宅するまでふたりとも咳込むことは無かった。

 家を出てすぐの下りの急坂の途中で、足の筋肉が張ってきた。わずか数日の家籠りでこんなにも筋肉が衰えるものらしい。しかし帰り際にはその痛みも消えていてホッとしている。

 まだ鼻の奥が重苦しく、読書をする気力が湧いてこない。副鼻腔炎にならないようにしたいものである。


モーツアルトと漫才と

2024年05月01日 19時13分24秒 | 病い

 鼻が詰まり、頭が少しばかり重苦しい一日となった。読書する気力もテレビを見続ける気力も湧かず、本日はYouTubeで画像は消して音だけで、モーツアルトの二つのト短調の交響曲、第25番と第40番を聴いていた。
 ともにカール・ベームの指揮、第25番はベルリンフィルで1968年の録音、第40番はウィーンフィルで1976年の録音。もう少しデモーニッシュな演奏かと思っていたら、意外とそんな感じがしなかったのは、聴くほうの私の方の問題かもしれない。

 モーツアルトを聞いた後は、たまたまYouTubeに出てきた、懐かしい夢路いとし・喜味こいしの漫才を数本分聞いた。懐かしかった。テンポがあり、語彙が明瞭で言葉を互いに繰り返し畳みかけるような話芸はたいしたものだとあらためて感心した。

 


歯医者の予約はキャンセル

2024年05月01日 11時14分55秒 | 病い

 気分も気力もかなり回復している。
 雨が降らなければ、近くの私鉄の駅まで往復をゆっくりと歩いて見ようと思っていた。昨日は近くの病院へ妻に付き添われて往復2000歩程を歩くことが出来た。
 新しい薬を服用してもまだ咳こむことがある。気管に負担が掛かっている。無理は禁物であるものの、一方で体を動かしたい欲求もでてきた。
 残念ながら雨が天気予報通り雨が降り始めたので、散歩は断念。
 咳も薬を服用して1時間くらいすると出なくなるが、深呼吸などをすると咳こむことがある。本日は15時からは歯医者の予約をしていた。口をあけて治療をしている間に咳こむと困る。親切で腕のいい歯医者にも迷惑がかかる。本日の予約は連休明けにしてもらった。

 若い頃には、インフルエンザにかかったり風邪をこじらせると、最後に副鼻腔炎を発症して年に数回は耳鼻咽喉科のお世話になった。今回もそんな予兆がする。すでに鼻の奥が重苦しい。嫌な予感がする。

 


回復過程か?

2024年04月30日 16時52分37秒 | 病い

 近くの内科病院で、コロナとインフルエンザの検査をしてもらったら、ともに陰性。病状経過などを印刷して手渡しした上で診察。
 コロナやインフルエンザ以外の「ウィルス性の風邪症状だと思うが、回復過程にあるようだ」と云われた。症状を押さえるため、別の咳止めと痰を出しやすくするという薬を処方された。
 昨日に比べて格段に気分は良くなっている。しかし少なくとも明日まではおとなしくしていたい。未だ咳こむととてもつらい。


病院は明日は開業しているか

2024年04月29日 23時25分06秒 | 病い

 一般的な「平熱」の体温になったが、私の低い平熱ではまだまだ高い。明日近くの内科で感染症の検査をしている病院があるので、訪れてみたい。咳が相変わらずひどく、気管支にかなりの負荷が掛かっているようだ。ただし連休で休診であればお手上げである。

  お見舞いのメールをいくつかいただいた。心から感謝します。

 


なかなか快方に向かわない

2024年04月29日 11時44分29秒 | 病い

 今朝は37℃。平熱が低めの私にとっては37℃台半ばの発熱に相当。朝起き抜けの咳・鼻水はつらかったが、今は一応おさまっている。顔の中心部、鼻の奥が重苦しい。気管支にかなりの無理・負担がかかっているような気がする。
 丸1週間の咳と熱、明日は検査をしてくれる内科に行ってみるつもりであるが、連休で休診になっていないか心配である。

 長引くようなので症状が出てからの経過をまとめて印刷、病院に持参することにした。


熱発

2024年04月28日 21時36分59秒 | 病い

 夕方から熱が出ていたようだ。夕食後に気になって検温したら37.6℃と私にしては高い。平熱が36℃少しである。
 咳止めの薬しか処方されていないので、家にあるアセトアミノフェン250mgを服用。
 明日も病院は休み。悩ましい。咳は変わらずつらい。くしゃみも出始めた。


昨日に続いてベッドの中

2024年04月28日 14時47分42秒 | 病い

 読書もテレビも見る気力が湧いてこない。昨日の午後に続きベッドに縛られている。
 昨日よりは少しばかり楽になった。空咳ではなく、痰が絡むようになり咳をすること自体は楽になっている。鼻水は少しばかり。ともに透明で粘り気がある。
 しかし朝・昼・晩の薬が切れると咳こむことを繰り返す。昨晩は寝ている間に気管支のあたりでゼイゼイいう音がしていた。今は音はしなくなった。

 昼食はソーメンを熱い卵スープに入れてみた。食べやすく、食欲がなくとも喉を通った。少々味が薄かったが、かえってよかったと思っている。

 幸いだったのは、退職者会ニュースの編集作業が終了し、メーデー式典が終了してからのダウンだったこと。