Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日も猛暑日か

2022年07月31日 22時04分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

                                   

 一昨日、大通公園に一群のタチアオイがかろうじて咲き残っていた。もう夏の終焉を予告しているのだろうか。その割には猛暑日が続く。暑さに打ちのめされた散策者が数名、木陰のある一角へと急いでいた。
 フラワー緑道の薄紫の名を知らない花もじりじりする太陽のもと、まぶしさに白さだけが印象に残ったままベンチを後にせざるを得なかった。

 月が替わる明日は、さらにうだるような暑さになる予報になっている。本日のように35℃を超えるのであろうか。
 昼前には眼鏡を受け取りにいかないといけない。午後からは友人が来宅する予定になっている。

 


突然眼鏡が壊れる

2022年07月31日 18時03分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 正午過ぎにテーブルから立ち上がったとたんに、触っていもいない眼鏡のレンズの片方がポロリと床に落ちた。膝が痛いのでしゃがめないし、レンズが外れたために床のものも見えない。妻に床を探してもらってようやく外れたレンズを見つけてもらった。
 反対側のレンズも外れかかっており、左右共にフレームにレンズが嵌らなかった。

 14時ころから団地の周囲の住宅街をゆっくり散歩するつもりでいたが、急遽横浜駅にある眼鏡店でレンズを嵌めて貰うことにした。
 眼鏡店では、フレームを止めている溶接部分が劣化して外れてしまっている、お盆で夏休みと重なり修理に3週間と、費用7000円とのこと。3週間も眼鏡なしで暮らせるわけがない。
 やむなく、現在のフレームより少し小さめで、値段は同等程度のフレームに交換し、店でレンズを削ってもらうことにした。3年と少しで壊れてしまったことには納得はできないが、背に腹は変えられない。出来上がりは明日昼前。費用は工賃と合わせて1万9千円程度。

 お金は持たずに出かけたので、クレジットを利用。電子マネーでは数種類使っても2万円近い金額にはならないので、クレジット払いにしてもらった。突然の出費は痛い。

 ということで、杖を突いての散歩はお預け。もっとも横浜も15時過ぎに35.2℃を超えて猛暑日。散歩に出かけなくて良かったようだ。35℃を超えた時間帯は、横浜駅に向かうバスの中、また眼鏡店の店内で涼しく過ごしていた。


「犬の記憶」(森山大道) から その3

2022年07月31日 14時25分06秒 | 読書

   

 「犬の記憶」(森山大道)の「八月の旅」から「時の化石」までの5編を読み終えた。

「『門を出れば我も往く人秋の暮れ』与謝蕪村は、先人松尾芭蕉の旅に憧れ、ひきかえてしがらみに流される我が身のつたなさを嘆いてこの一句を読んだ。自家の門からたった一歩だけ往来に足を踏み出すことで、蕪村は旅を経験したのである。‥どうしようもない自分を抱えてオロオロと自室を旅するしかない蕪村は、‥蕪村は一貫した心の旅人ではなかっただろうか。芭蕉の山野を、陋屋で過激にトレースした蕪村は、芭蕉とはちがう意味で、したたかな旅の達人だった‥。」(八月の旅)

「いつどこへ旅しても、僕につきまとういい知れぬ不安。といえば体裁よく思われてしまうそうであるが、本人はほんとうにつらい。むろん現実からぷっつり切れ、自意識を捨て切ることなど生きている以上いかなる事態においてもありえないから、それを旅に望むことは不可能である。むしろ旅とは、そうして丸抱えしてしまっている自分のぬきさしならなさを、未知の時空に投げ入れることによって、さまざまな擦過の過程のなかから、自分のなかにさらに新しい自意識の覚醒をはかることであろう。僕の内にひそむ、過去の経験による多くの記憶と、未知への予感から生まれる記憶との交感によって、かならずしも、自覚的ばかりではない自分を発見し、予見する行為のひとつのかたちが、例えば旅である。」(八月の旅)

「人間が持っているように、街も夢や記憶を持っている。人間の記憶がさまざまな混成系であるように、街もあらゆる物質と時空が交錯する混成体である。街は、人間の持つすべての欲望と相対的な絶望をもしたたかに蚕食して生きつづけてきた。」(街の見る夢)

「人はたった現在(いま)を生きている。生きているという実感が一瞬でも持てるとしたら、それはたった現在(いま)をおいてほかにはない。生きていたという過去(むかし)には、もはや何の手ざわりもない。自身が過ごしてきたはずの時間にじつは何の実体もなく、自己証明の手がかりすらないとこを知ったとき、人はそのあまりの不確かさにいいしれぬ不安とおそれを抱くのではないだろうか。あげく現在(いま)生きているという実感すらあやふやな自分を知ることになる。‥一変してしまった風景をまえにすると、僕はふと自身の生のたよりなさとともに、かつて見た風景をほかに向けて証明することすら出来ないことを知る。」(再会)


二日月

2022年07月30日 23時14分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 昨日は新月であった。19時過ぎに西の空を見たら、二日月が細く地平線に沈もうとしていた。なかなか風情のある姿である。しばらく眺めていた。雲にかくれてしまい、5分ほどで見るのを諦めた。
 天気予報を見ると、明日は本日よりも暑いらしい。しかも風も弱い。本日以上に暑さが厳しく、過ごしにくいようだ。
 これでは外に出るのは、勇気がいる。どうやったら心地よい汗をかくことが出来るだろうか。

 


心地よい汗をかいた

2022年07月30日 21時19分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 家の近くのフラワー緑道まで遠回りで3500歩ほど。朝の病院の付き添強いで1500歩ほど。帰りに2000歩ほど。合わせて7000歩ほども歩いた。
 特にフラワー緑道までの3500歩は炎天下を歩いて、汗をだいぶかいた。心地よい汗であった。

   

 フラワー緑道の木陰のベンチで冷たいお茶を呑んで一服してから数枚の写真を撮ってみた。気に入ったもの撮れなかった。いつものようにありきたりの写真である。シオカラトンボを見つけたが動きが早く、杖を突いていてはとても追うことはできなかったばかりか、1分もかからないうちに視界から消えた。
  収穫は、久しぶりに汗らしい汗をかいたことである。杖を突いてのんびりとした散歩であるが、強い日差しを背中から受けて下着がびっしょりとなるくらいの汗をかいた。気持ちよく汗が出てきたことが何よりも嬉しかった。汗が出ないで体に熱が籠るようならばどうしようかと心配していた。

 明日も膝の状態が悪化していなければ、この程度には歩いてみたいものである。


汗のかき方

2022年07月30日 13時44分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は歯医者に通う親の付き添い。すぐ近くなので往復10分の歩行と、待合室での待機だけで済んだ。

 しかし暑い。丸8か月運動らしい運動をしていないので、そろそろ皮膚にある汗腺も退化し始めている可能性がある。汗が出ずに体温を放熱しなくなり、熱中症にかかりやすくなるといわれた昔を思い出す。
 小学校高学年からあまり外で遊ばなくなり、体育の教師とはとうとう高卒までそりが合わないまま(というより敵意を持ち続けて)10年以上をすごした。外で汗をかいて走り回ったり、散歩することすらしなかった。
 大学に入って、徒歩通学の時間が長くなり、授業もつまらなかったので、仙台市内をずいぶん歩き回った。そのころから汗をかく心地よさを知るようになった。体を動かすことが楽しくなったと思う。性格も少しだけ明るくなったような気分になった。はた目から見てどう見えたかはわからないが。

 だからスポーツは苦手で、歩くことばかりしていた。歩くこと、ジョギング、山歩き以外の体の動かし方はまったく知らないに等しい。ボールを投げることの基本も知らずに、三里塚現地で石ばかり投げていたら、二日目には肩を痛め、小石ひとつ3mも飛ばせなくなって今に至っている。

 この歳になって、膝と腰に負担をかけずにどう体を動かして、汗をかく運動をしたらいいのか、暗中模索である。


贅沢なコーヒータイム

2022年07月29日 23時28分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日土曜日の気温も湿度も本日と同じくらいのようだ。横浜駅の周辺は人出が多いと思われる。私の周囲でも家族が感染したなどの報告がちらほら。身近に迫ってきている。繁華街に近づかずに昼間の時間を過ごしたいものである。昼間の暑い時間帯は家に籠り、夕方以降に周囲を散歩するのがいいと思われる。
 しかし膝のことを考えると途中に喫茶店があるコースでないとつらい。財布の都合から言えば、現金払いではなく、電子マネーが使えるところがありがたい。使えない場合は、ドリップまたはサイフォンで丁寧に淹れたコーヒーを出してくれるところが嬉しい。
 普段は安いコーヒーを電子マネーで喫することで節約。週に1回くらいは、現金で多少高くとも丁寧に淹れたコーヒーで、ゆったりした時間と気分を味わいたいと思う。ケーキやパンなどはいらない。砂糖やミルクなどもいらない。店主がおしゃべりなのも困る。客が他にいなくとも放っておいて欲しいのである。
 コーヒーの味は、酸味が少なく、苦みとコクが優っている豆を用意してほしい。音楽がかかっているとすれば、テンポのゆっくりとした曲。

 膝の痛みを考えると対象は限られる。考えつく散歩コースには1軒のみ。コースは限られてしまう。

 


「犬の記憶」(森山大道) から その2

2022年07月29日 21時41分14秒 | 読書

 この著作、なかなか濃密で優れた文章である。連作の短編小説を読んでいる気分になる。写真家の文章として読むよりも、私は優れた小説家の小説の世界を逍遥しているような心地よさがある。
 「犬の記憶」15編のうち、「もう一つの国」までの6編を読み終わった。少し長すぎるが結果的には小説的ではない部分を引用してみた。

「生まれ落ちた、というだけではなく、まして親しんだというわけでもない。面影などといってみたところで所詮幻影である。‥幻影に心情を寄せることは詮ないし、幻影に向けてシャッターを切ることもできない。過去を現在に、現在を過去に重ね合わせて見ることが記憶を検証することではない。もとより記憶とは、自身の内部に懐かしく立ち現れる。かく在りきイメージの再現行為などではなく、現在を分水嶺として、はるか前後へと連なっていく大いなる時間に向けて、したたかにかかわって心の領域のことだと思うからである。」(陽の当たる場所)

「少年期に通り過ぎたいくつかの街の雑踏と、そこに漂っていた匂いとの出会いの記憶から僕の戦後体験は始まっているからだ。その時期はおよそ昭和二十七、八年ぐらいまでに当たり、そのころで僕の少年時代も終わっている。‥現在、ときに気弱になってしまったときに、めくるめく思い出として、そこに生きて在った人々も風景も、なにもかもが輝いた輪郭を持っていたかのように僕の目に映るあの戦後の記憶が、一種逃避的なノスタルジーとなって懐かしく錯覚されてくるのだろう。しかし実際のところ、あのころが僕にとって、飛び帰りたいほど甘美な日々であったという記憶など何ひとつあったわけではなく、むしろ両親の世代の人たちにとっては二度と在ってほしくない時代であったことは想像にかたくない。‥本当はカメラを手に、実際に立ち会ってみたかった唯一の地点(時代)でもあった。」(壊死した時間)

「国道を疾駆していると、一瞬の出会いののちにはるか後方に飛びすさっていくすぺてのものに、とりかえしのつかない愛着を覚えていいしれぬ苛立ちにとりつかれてしまうことがしばしばだった。ことに夕暮れどき、フロントガラスの片隅をかすめてつとに街角に消えていった女の仄白い横顔や、白昼、畑のなかに立ちつくす少年のなまざしなどは、いつか見たスクリーンの映像に似ていつまでもなまなましく目に焼きついている。垣間見、無限に擦過していくそれら愛しいものすべてを僕はせめてフィルムに所有したいと願っているのに、欲しいもののほとんどはいくら撮っても網の目から抜けこぼれる水のようにつぎつぎと流れ去ってしまって、手元にはいつも頼りなく捉えどころのないイメージの破片のみが、残像とも潜像ともつかない幾層もの層をなして僕の心の中に沈み込む。」(路上にて)

「その夜('68/10/21国際反戦デー)新宿の町は異様な暗さにつつまれていた。‥しかし、僕が大きな衝撃を行けたのは、そのことよりも、むしろ新宿の町全体をつつむ不思議な静けさであった。じっさい耳をおおいたい喧噪であったにもかかわらず、僕の目に映った暗い光景は、むしろ無言劇をみるように奇妙な静ひつであった。‥「なあんだ、こんなことだったのか」路地の暗がりにはロープを張りめぐらし、逃げ込む学生を自警団と称する一団が角材で袋叩きにしていた。昨日まで表通りの商店で学生を相手ににこやかに商売をしていた商店界の男どもである。‥見事な返信であった。「そうか、そういうことだったんだな」不夜城を誇る新宿のまばゆい夜景は一夜にして暗澹と不気味な闇の光景に転じていた。僕は乾いた気持ちで、早い記憶にある戦時中の警棒団や灯火管制を思い出していた。「わかったよ、いいものを見せてもらったよく覚えておこう」名状しがたい恐怖感といいしれぬ絶望感、そして索漠として冷えた気持ちをかかえて僕は青山の仕事場に戻って暗室に入った。‥そしてあれからすでに十四年が経ってしまった。いま時代は一見静かにみえている。しかし実体はさらに凶悪になってしまったと思う。あの新宿の黯い一夜は、完全に予行演習であった。そして僕は、相変わらず夜の来るのがとても恐ろしい。」(夜がまた来る)

「夜更けのカウンターで、数人の男が酔いしれている。落とした背中にはごたごたとややこしい浮世のオリがへばりつき、酒で脂ぎった顔には生活の翳がある。ひとまず現実を理想をすべて語りつくした果てに、カウンターの荒野の上に一人ぼっちの我が姿を映している。」(もう一つの国) 





多忙だった日

2022年07月29日 18時06分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 33.6℃にもなったが、意外と多忙だった本日。9時半まで「犬の記憶」(森山大道)を読んでいた。何となく、こなさなくてはいけないことがあるようで、何となくそわそわ。いざ体を動かしてみるとこれもやらなくてはいけなかった、あれをしてなかった、と思い出すことばかりで慌てた。体を動かさないとボケると言われるが、ひょっとしたらこういうことなのかもしれない、と合点。
 まず先月友人から手紙と本を寄贈してもらった。まだそのお礼状すら出していなかった。1か月の放置という大変失礼なことをしてしまった。急いでお礼状をしたため、打ち出して封入。横浜駅の郵便局で投函。
 退職者会の仕事でこなさなくてはいけなかった事項をふたつ思い出し、急いで組合の会館にて処理。同じく銀行ATМで通帳記入。

 ようやく14時過ぎに喫茶店でホットドッグとアイスコーヒーで昼食兼一服。読書タイムを15分ほど。友人と打ち合わせの日時の設定。
 帰りはドラッグストアで鎮痛解熱剤を購入してから、家電量販店と書店をいつものとおり一回りして帰宅。鎮痛解熱剤は病院で処方されるものすら品薄で支障が出ていると報道があった。膝の痛みが発症して以来、鎮痛剤がないととてもつらい日々が続いている。少しずつ服用する量は減らしている。

 それとなく現役時代の時のような慌ただしい一日であった。

 本日は、久しぶりに8000歩も歩いてしまった。今晩から明日にかけて膝が痛まないか、不安である。


昼寝という習慣

2022年07月28日 18時16分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後からは、親のMRI検査のための通院に付き添い。15時という予約時間の20分ほど前に到着したが、結局家に戻ったのが16時半。行きも帰りもタクシーを使った。
 本人も疲れたようだが、私ども夫婦も疲れた。つまは検査時間の間に食材等の買い物にも出かけていた。

 すっかり晴れ渡り、昨日よりも陽射しが強かった。ただし湿度は昨日より低かったのはありがたかった。
 帰宅後、一服しているうちにうつらうつら。もう少し読書をしようかと思っているうちにいつの間にか昼寝。最近は昼寝の時間が増えてしまった。

 都内では4万人を超す感染者が出たとのニュース。これまで身近な人には感染者がいなかった。しかしここ数日、身近でも友人などの関係者が感染した、という知らせが相次いでいる。ひしひしと押し寄せてきている。
 いつどこで、誰がかかってもおかしくない状況が続いている。

 


「犬の記憶」(森山大道) からその1

2022年07月28日 13時13分32秒 | 読書

      

 午前中は「犬の記憶」(森山大道)を読む。始めの2編「陽の当たる場所」と「壊死した時間」、最後の方の2編「写真をさようなら」と「そして光と影」、ならびに「あとがき」。

「同人誌〈PROVOKE〉は‥二年足らずで終刊した。その2年の歳月は、70年安保へ向けて激動する、いわば突出した(ラディカル)政治の季節とぴったりと符合していた。‥いかなる思想を挑発しえたか、いかに写真を変革しえたのか、またメンバーがそれぞれ自己を挑発しえたのか、僕には何の結論もない。おそらく永遠に結論など出ないだろう。‥1970年に〈PROVOKE〉が解散したあと、‥時代にとっても自分にとっても、どこかひとつ「終わったな」という思いだった。‥現実との間に相対的な肉ばなれを感じ始めていた。その間隙がひめがっていったとき、僕には自分を襲う喪失感が何であったのかがはっきり見え始めてきた。‥僕を襲い続けていた喪失感とは、僕のあまりにも遅すぎた青春の終焉のことであった。」(写真よさようなら)

「僕にはつくづくあるひとつの感慨が在る。それは当時をあまりに無我夢中でいきていたためにかえって実感が淡かったものとしか思えないが、1970年を頂点とする、60年代後半の数年間の時代の存在である。その時代の数多くの記憶は僕にとって、この手から逃げていった〈哀しい鳥〉を追う口惜しさとしてあり続けている。‥かかわったひとつの時代に、かくまで愛惜を持ちつづけることにおいて僕は以て瞑すべきかもしれない。」(あとがき)

 1938年生まれ、私よりも13歳年上の駆け抜けた1945年から1970年、私の体験と感慨と並べながら読み進めたい。


明日から「犬の記憶」(森山大道)

2022年07月27日 22時26分22秒 | 読書

   

 明日から読む本は本日購入した「犬の記憶」(森山大道、河出文庫)
 明日は親の通院の付き添いで午後は出かける。
 午前中は家にいて、涼しいところで読書が出来ると嬉しい。
 明日は本日よりも雲は多く、湿度は少しだけ低いようだ。しかし気温は33℃と同じという予報になっている。雨は振っては欲しくはないが、もう少し涼しくなってもらいたい。


「石ころ人生」(六角精児バンド)

2022年07月27日 21時45分45秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 私はあまりテレビを見続けるということをしない。特にワイドショーやお笑い番組はほとんどみない。短い番組でよく見る番組はいくつかある。

 先日見ることのある番組を数えてみた。
 NHKが意外と多かった、というか、ほとんどがNHKの番組だった。番組の種類は思ったよりも多かったが、短い番組がほとんどだった。
 「2355」、「日曜美術館」この二つはぼ毎回。時々見るのは、「ピタゴラスイッチ」、「地球タクシー」、「72Hours」、「新日本紀行」、「呑み鉄本線日本旅」、「コズミックフロント」、「プレミアムカフェ」。
 民法ではときどき見るのは、「演歌の花道」の語り部分、「孤独のグルメ」、たまに「笑点」。

 この程度であるが、先日「呑み鉄本線日本旅」で流れている六角精児バンドの「石ころ人生」が気に入ったので、購入してしまった。
 なかなか面白い。特に最初の3曲「ディーゼル」、「愛のさざなみ」、「お父さんが嘘をついた」が大変気に入っている。


無理の利かない体に‥

2022年07月27日 18時00分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今朝から家族の都合で、朝の予定は午後に持ち越し、午後の約束は延期してもらった。大変な迷惑をかけてしまった。

   

 午後になって、神奈川大学の生協へ注文していた本を受け取りに出かけた。購入した本は「犬の記憶」「犬の記憶 終章」(共に、森山大道、河出文庫)。
 支払いを終えてから、バスにてターミナル駅まで乗り、喫茶店で一服。蒸し暑さにうんざりしていると、特に体を動かしたわけではないのに、大量の汗が吹き出てきた。
 半年以上もウォーキングで汗を流していない。体が暑さに慣れていないことや、運動をしていないことなどが原因で、熱中症のような症状が出てしまった可能性がある。
 しばらく喫茶店の椅子にもたれて、ボーッとしていた。30分ほどのうちに汗もひいたので、タクシーで帰宅。タクシー代相当分が財布に入っていてホッとした。

 この暑さになれるのはとても無理なことではあるが、しかし無理の聞かない体になってしまったものである。


読了「聖母の美術全史」

2022年07月26日 23時20分19秒 | 読書

   


 「聖母の美術全史 信仰を育んだイメージ」(宮下規久朗、ちくま新書)を読み終わった。本日読んだのは、第7章「近現代の聖母 衰退から変奏へ」と「おわりに」、「あとがき」。

「かつて美術の主流であった宗教美術は、教会や寺院と不可分の関係にあり、宗教空間の中で息づくものであった。‥本来の場所の光や雰囲気の中ではじめてその真価を発揮する。‥19世紀に美術館や展覧会といった精度が出来、‥美術作品は教会や宮殿といった建築や場所の制約を受けない、自立した存在であると目されるようになる。宗教美術は、神話や風俗を描いたものと同等に格下げされたのである。」(第7章「近現代の聖母」、1.「十九世紀美術の聖母」)

「聖母子や「慈愛」の擬人像が近代社会で世俗したものが母子像だと見ることが出来る。聖母子への嗜好がキリスト教や教会の制約から逃れてより普遍的な母性を表現したものに発展したとみてもよいだろう。」(同、2.「世紀末から二十世紀の聖母」)

「聖母は紀元後の人類のほとんどの文化史に影を落とし、美術の主要な要素を形作ってきた。母子という、人間社会に見られる最大の愛情を結晶させ、彫琢したのが聖母像だったからである。この世に苦悩や悲嘆のあるかぎり、聖母のイメージは今後も人々の心情と造形の中から消え去ることはないであろう。」(おわりに)