Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

俳句12句

2018年06月30日 22時01分35秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日展示した「俳句12句」は次のとおり。

  生きている幅

・雷一閃輸液の管の青白し
・冬怒涛藍濃きところ高々と
  過疎地の雪掻き
・生きる幅だけの雪掻き雀舞う
・カタカナの言葉に詰まり秋あかね
・特攻碑に尾は蒼穹へ赤蜻蛉
・墓場まで秘して行くもの春疾風
・いくさ世の語りに似たりすずめ蜂
・冬満月地を這う風と祠まで
・病葉落つ輪廻がひとつ終わる夜に
・訃の滲むはがき携え寒すばる
・どこよりも青き梅雨晴れ骨納む
・炎天に墓石するどく手を焦がす



大量の汗をかいて快調

2018年06月30日 21時40分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 組合の会館内での展示を見てから、横浜駅まで戻り夕食を摂って先ほど帰宅。
 午前中に何本かの樹木の伐採・剪定を行い、大量の汗をかいた。2時間ほどの作業だったのだが、随分と体力を使った。しかし意外と疲れていない。大量に汗をかく作業のほうが、すっきりとするのかもしれない。疲労が少しずつ蓄積するような体の使い方よりも、体内の毒素が出来ってしまうほうが、ひょっとしたら体には良いのではないか。
 心地よい筋肉痛と赤くなった腕の皮膚が、健康の証しのような気がしている。

 さて、明日の午前中は団地の管理組合の会議、午後から再び組合の会館まで出向く予定。会議の資料は出来てはいるが、まだ打ち出しをしていない。明日の朝、早めに起きて印刷することとしたい。
 夕方から展示者を中心に慰労会を兼ねて居酒屋に出向く予定にしている。

本日も暑い

2018年06月30日 08時28分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も暑い夏の陽射しが照り付けている。パジャマは半ズボンにしたほうが良いようだ。あまりの暑さに昨晩は寝ている最中に無意識に、ズボンを脱いでしまっていた。それでも暑くて6時前にいったん目が覚めた。

 本日は団地のなかでの屋外作業を正午まで2時間ほど。

 作業終了後午後から会館に出向いて展示を見に行く予定。鑑賞者ではなく、展示する側の立場としての参加。展示のパネルの微調整、参加者、の状況・感想、リーフレットへの注文、会場の写真撮影等々。出品者への挨拶などは基本的には会長・事務局長に任せるのだが、ニュースの記事のための取材も兼ねて出品者の思いなども聞いておく必要がある。
 とはいってもいつもの80人規模の会議室を会場にしているのでそんなに駆けずり回る必要はない。疲労感たっぷりの今の私には助かる。

水物ばかりが欲しくなる

2018年06月29日 23時07分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 いつも夕食時に飲み切る缶チューハイ350cc缶は半分も飲めなかった。代わりに喉が渇いて牛乳を2合ほどがぶ飲み。どうも水物ばかりが欲しくなる。ヨーグルト、煎茶、そして先ほどはアイスキャンディーに手を出した。
 暑さにまいっているようでもある。

 明日は団地のなかでの作業を10時から昼まで。昼食後に妻と会館まで展示を見に行くことになっている。夕方は妻と外食予定だが、何処にするかまだ何も決めていない。
 中華はしつこそうなので食指は動かない。食欲自体があまりない。明日のようすを見てから決めるしかない。明日もまた暑そうである。


岩波書店「図書7月号」 (1)

2018年06月29日 21時51分02秒 | 読書


 帰宅するとすぐにシャワーを浴びてベッドへ。しかし寝付かれないので、届いたばかりの「図書7月号」を読んでみた。夕食前に一眠りできた。
 寝てしまうまでに目をとおしたのは、以下の文章。

★王様の面            司  修

★湖尻記者の墓前に本を捧げる   樋田 毅

★1968年、戒厳令の夜、マリはプラハを去った     冨原眞弓

 50年前のチェコスロバキアの「プラハの春」の話。ふとソ連をアメリカに置き換えれば現在の日本と同じかと‥。
「『なくなったのは自主規制という名の検閲。新聞も放送も生き生きとして、見違えたわよ。‥。心底うんざりだった。自分の気にのことを決めるのに、いちいちそれのお偉方の顔色を窺わなけきゃならないことにね。』4月には改革案が出た。チェコとスロヴァキアの自治。思想と表現の自由。特に放送と出版における検閲の俳誌。中央集権の緩和。『きっとソ連の軍事介入がある。スパイがどこにいるかわからない。流言蜚語が飛びかい、誰もが疑心暗鬼になる。『怖いのは、身近なひとが信じられなくなったこと。友人とか家族とかね。知ってる、いちばん多いのは、親を密告する子どもだって?』『あのとき、銃をかまえていた兵士たちは、とてもわかかったなと。わたしとおなじか、いえ、もっと若い、十代なかばの子どもたち』『きっと食い詰めて軍隊に入った農家の子たちだったのね』」

★風土記の天皇たち        三浦佑之
「風土記を読んだことがある者なら、いろいろな天皇が出てきて、しかも国によって出てくる天皇に違いがある‥。一覧表にすれば一目瞭然‥。天皇が登場する数では播磨国風土記が他を発して多く、その中でもホムダ天皇(応仁天皇のこと)が半数以上を占めている。」
「纏向(まきむく)の檜代(ひしろ)の宮に御宇(あめのしたしろしめ)しし天皇」とか「大帯日子(おおたらしひこ)天皇」と呼称されるオホタラシヒコは、唯一、五つの風土記のいずれにも登場する。それだけこの天皇の認知度が高いのには、何か理由があるはずだ。」
「出雲国風土記には天皇の巡行が一つもない‥。」
「オキナガタラシヒメは、常陸国風土記や播磨国風土記では天皇とされ、オケ・ヲケの父イチノへノオシハも播磨国風土記では「市辺天皇命」と呼ばれている。(播磨国風土記)に一例しか出てこない「宇治天皇」はホムダワケ(応仁天皇)の子で夭折したウヂノワキイラツコをさす。」
「もっとも遡る天皇が、(常陸国風土記などの)「美麻貴(ミマキ)天皇」と呼ばれるミマキイリヒコ(崇神天皇)だというのは、初代天皇について考えるとき、示唆的ではないか。

★女にも命を賭けさせろ      プレディみかこ

★寺田透先生           加藤典洋





もう梅雨明け?

2018年06月29日 17時30分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 もう梅雨明けとなったらしい。まだ6月なのだが。

 ようやく展示の準備完了。つい先程やっとの思いで家にたどり着いた。最寄りの地下鉄の駅からの1千歩ほどの登り道をふらふらしながら歩いた。他人が見たらどう見えたであろうか。
からだ全体が重石のようにだるい。肝臓が悪いわけではない。日曜からの疲労の蓄積だろうか。

 明日、明後日が終わると、一応一段落である。ほんの少しだが一服できる。



参った(∩_∩;)P

2018年06月29日 13時28分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
組合の会館に戻る。展示の準備作業に取りかかったのだが、写真を貼る追加分の台紙の色が違っている。ひとに任せたのが失敗。伊勢佐木町の有隣堂には在庫がなく、横浜駅までまた戻ることに・・・・。足がだるい。

歴史の累積

2018年06月28日 22時45分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
三次会終了。風呂に入る気力は残っていない。あす朝風呂のつもりで就寝。
石和温泉は前回はいつ来たのかまったく記憶に残っていない。来たことだけは覚えている。駅前の風景も町の記憶もない。
人工的な街というのは住んでいない限り記憶に残りにくいのだろうか。
歴史というのは、時間の累積=人間社会の観念の累積の関数でもありそうだ。挫折と抵抗、衰退と再生を内部に取り込まなければ、節目のない薄っぺらなものにしかならないようだ。記憶に残りにくい。

本日は満月&十五夜

2018年06月28日 15時33分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど調べてみたら、本日は満月&十五夜。

 新月から数えて15日目が十五夜の月である。しかし満月の日とは必ずしも一致しない。一日ズレるときのほうが多いという。今月は同じ日である。
 しかも満月の瞬間は、月と太陽は本日の14時という昼間なので見ることはできない。ちなみに月の出は東京で18時56分、月が没するのは明日の朝5時9分という。

 

本日から石和温泉

2018年06月28日 08時58分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜市域では昨日から明け方まで、強い風に見舞われた。一時おさまったものの再び風の音がしつこく、そして不安をかき立てるようになっている。昨日は外に出るのが億劫で1日中部屋に籠っていた。しかも蒸し暑くて体がだるい。北海道旅行で疲れた体の保養が必要な状態にも思えた。部屋に閉じこもっていることが、休養とは思えないが出そびれた。

 本日から山梨県の石和温泉で1泊。退職者会の出張である。午後と明日の朝の会議で終了。温泉とはいっても会議で団体で行くので、いつものことながら休養にはまったくならない。温泉宿というのは、やはり家族や一人でノンビリ時間にしばられずにいかないと休養・保養にはならない。却って逆効果である。大勢の人が止る必要がある会議では、温泉などが結果的に主催者にとっては便利で手っ取り早いのである。

 昼食後に石和温泉を発して、夕方までに組合の会館にもどり、30日、1日の展示の準備作業を手伝うことになっている。私の展示物である写真と俳句、それぞれまだ展示用に完成していない。何とか間に合わせないと。

 来館者と展示者に渡すリーフレットは本日印刷が完了しているので、それも持参することになっている。30日は朝から団地の作業と打合せで、午後からでないと会場に出向けない。慌ただしい。


本日より「ベラスケス」(岩波新書)

2018年06月27日 23時40分41秒 | 読書


 本日から読み始めた本は「ベラスケス  宮廷の中の革命者」(岩波新書、大高保二郎)。5月の発売。久しぶりに絵画関係の本かもしれない。ちくま学芸文庫の「点と線から面へ」(ヴァシリー・カンディンスキー)をまだ未完のまま放置しているのは気になっているが‥。
 スペイン美術について有名な方だということは知っているのだが、私は著作は初めて読む、と思う。図録の解説や新聞記事をもしも書いていればすでに読んだことはあるかもしれない。自信はない。
 ベラスケスは先ごろ終わってしまった「プラド美術館展」は見ることができなかった。物理的にも精神的には余裕がなかったのは残念。


読了「風土記の世界」(岩波新書)

2018年06月27日 17時50分01秒 | 読書


 本日読み終わった本は「風土記の世界」(三浦佑之、岩波新書)。古事記も日本書紀も一度は目を通読したことがある。そして拾い読みをしたところや、各種の本での引用部分や、その前後を確かめながら読んだところは何か所もある。しかし風土記というのは引用された部分しか読んだことがなかった。
 友人からも風土記は読み物としても極めて面白いと勧められたこともあったが、目をとおすことはなかった。これを機会に目をとおしてみたいと思った。

「現存する風土記が五か国と逸文だけというのは、上総国風土記にかぎらず、残念なことである。当時あった六十数か国のうちの半分でも風土記が遺っていれば、古代の日本列島は、今とはまったく違う多彩な姿を見せてくれたにちがいない。その豊かさは、現存する各国風土記や運よく遺された逸文類を読むだけでもよくわかる。
 まぼろしの風土記からは、遺された風土記と同様に、中央であるヤマトに包み込まれてしまいそうな地方の姿と、それに抗い続ける固有の姿と、その二つが見いだせるだろう。そしてそこから浮かび上がるのは、「ひとつの日本」に括られる途中の日本列島の姿である。もちろな、出雲国風土記は例外的で、ほとんどの国の「解(げ)」の撰録者は中央から派遣された国司層であり、ヤマトの影響力が強いのは明らかである。しかし、それでもたくましく土地の伝承は生き続け、消されたとしても行間から読み取れる情報はさまざまにあったはずである。」(まとめにかえて)

「古事記は七世紀後半には存在していた。そして、そこではすでに、ヤマトタケルは悲劇の英雄であった。その悲劇性が父子の対立を回避するかたちで、八世紀初めには律令国家の正史「日本書」紀に載せられることで、ハクチョウとなって飛び翔るヤマトタケルの死が、国家に公認された歴史となってゆく。ところが、「日本書」紀が成立する直前まで、国家の側にあったヤマトタケルは天皇だった。その一端が常陸国風土記の倭武天皇として定着した。‥(その)倭武天皇の伝承は、天皇家の歴史が確定する以前の、「もう一つ」の歴史や系譜を垣間見せている。古事記でもなく、ましてや日本書紀でもない伝承や系譜が、じつはいくつも存在したのであり、常陸国風土記はその一つに過ぎない。そうしたことを浮かび上がらせてくれるという点だけでも常陸国風土記が今に遺された意味は計り知れないほど大きい。」(第3章常陸国風土記)

「出雲国造が責任者として署名した出雲国風土記は、正式な「解(げ)」ではなく、何らかの理由で国造側によって撰録された書物ではないかという祈念が拭いきれないのである。国主が提出した「解むに対して国造には何らかの不満があり、この書は編まれた。その書が、ヤマト朝廷に「解」として提出されたか、逸れても出雲の側に留め置かれたはわからないが、私撰本とでもいえる書物として出雲国風土記は現存するのではないか。」(第4章出雲国風土記)

「播磨国風土記には、人びとばかりか神もまた普段着で登場する。‥古事記には最初に地上を統治した神として語られ、出雲国風土記では「天の下造らしし大神」と讃え名で呼ばれる英雄神オホナムヂは、播磨国風土記においても国造りの神として語られている。しかし、その「国」は国家としての国といよりは、クニの原義に近い大地といった意味で理解したほうがよい。したがって、そこで語られるオホナムヂ像は、国土を統一した威厳のある英雄神というよりは、民間伝承の主人公ダイダラ坊(ダイダラボッチ)と同様の、ちょっと間抜けな大男といった性格を帯びてしまうのである。‥ちょっと間が抜けていて愛嬌のある紙が語られるところに、民間伝承における日常の語りの真骨頂かあるといえそうである。」(第5章語り継がれる伝承)

「風土記に描かれた女性首長の記事には、ヤマトの王権が列島を制圧する以前の歴史が何らかのかたちで反映している‥。古墳時代以前、日本列島には男の首長もいたし、女たちも首長として土地を治めていた。これは、男と女が対の構造をとって並ぶ存在だということからみれば、当然のありようだった。文化人類学の認識では、古代の日本列島は母系でもあり、父系でもあるような双方的(双系的)な社会だったと考えられている。‥男系的な血統を重視する天皇家においてさえ、アマテラス(天照大御神)という女性神を始祖神として斎き祀り、律令国家の確立した八世紀においても、‥何人もの女性が天皇として即位する。その証しが、これら九州風土記に伝えられた女性首長の記事からは浮かび上がる‥。」(第5章語り継がれる伝承)

「「日本書」の紀としての日本書紀、「日本書」地理志になろうとしてなれなかった風土記、それから遠く離れて存在する古事記、そのように把握することによって、遺された三つの作品を、論理の破綻なく位置づけることができるのではないか。それが、紆余曲折を経てわたしがたどりついた、ひとまずの結論です。」(あとがき)




台風並みの強い風

2018年06月27日 11時59分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は休養日・休肝日。明日からまた1泊で出かけなくてはいけない。

 強い風である。横浜では最大瞬間風速は9時前に19.4メートルを記録している。10メートルを超す南西の風が絶え間なく続いている。洗濯物は干せない。気温も9時過ぎに28℃を超えている。しかも湿度も高い。昨日までいた北海道は雨の標示で20℃以下。
 さすがに体がだるい。どういうわけか特に運動したわけではないが、背中の筋肉痛がある。布団の違いの所為なのだろうか。

 団地の管理組合の土曜日の朝の会議の資料作り。しかし眠い。


枕が変わると眠れなくなる‥

2018年06月26日 22時58分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 9時過ぎに自宅に到着。横浜駅の傍の居酒屋で夕食がわりに、ハイボール2杯とワカメサラダ、ナスとベーコンの炒め物を食べて家まで歩いた。たが、疲れているためかなかなか歩くのはつらかった。帰宅後ずくにシャワーを浴びてポッーとしていた。
 夜遅くまで起きている気力もないので、23時前には布団に入りたい。家の枕が懐かしかった。

 昔から「枕が違うと眠れない」ということをよく耳にした。特に職場でも40代を過ぎると見な同じようにいいだす。私はそれがつい最近まで理解できなかった。実感としてわからなかった。何しろパソコンを根を詰めていじった場合を除いて、すぐに寝てしまう。定年過ぎて60歳も大きく超えてから、それが実感するようになった。
 私の場合は大きな枕で少々高さも高くして使っている。旅館やホテルでは枕が低い上に小さい。それがとても気になるようになった。枕の高さが不足しているととても首が凝る。
 旅館の場合ならば部屋の座布団を2枚ほど重ねて敷布団の下に敷いて寝ると大体解消して気持ちよく寝てしまう。しかしホテルだと枕の下に敷き物がない。昨晩はシャワー室に置いてあるバスタオルを2枚ほど重ねて枕の下に敷いてみた。
 寝てしまえば気持ちよく寝ていたが、寝るまで蛾なかなか寝付けなかった。まだ低いようだ。しかしあまりたくさん持ってくるのも気がひけたので我慢した。この我慢があまりよくなかったのかもしれない。

 家の枕が恋しい、という言葉がよく理解できるようになった。