図書5月号を読み終わった。今月号では全部に目をとおした。いつものように覚書として。
・[表紙]火の夢 司 修
「箱の中にいました。ふたを開ける動作で箱は段ボール箱だと知りました。隣の箱に入り、しばらく考えてから次の箱へ移るくりかえしをしていても不安を感じず、ときたまはすかいに曲がって次の箱に入るとき、感動がさざ波のようにやってきて、誰でもいいから、曲がったときのスリリングな快感を伝えたくてしかたがないのです。‥この夢の刺激は、オリオン座のペテルギウスが超新星爆発するかもしれないほど暗くなっている、という宇宙大劇場の開幕を前にしたニュースからなのには驚きです。」
・夢の行き場 沢木耕太郎
「若い時の夢が必ずしも明るいものとはかぎらないが、何かの理由によって未来に霧がかかり、光を失い、夢が道を失うということはよくあることだからだ。‥見ている夢に行き場がなくなる。それは夢が凍りつき、動かなくなるということを意味するのだろうか。その夢が、ある瞬間、スチール写真のように微動だにしななる。それは、もしかしたら、死を間近にしたような恐怖をもたらすかもしれない。」
・「君もそろそろ古代史を」 森本公誠
・人類の危機と人文学への期待 苅谷剛彦
・ボブ・ディランとぼく ピーター・バラカン
・ベビーブーマーの訃報 石内 都
「ベビーブーマーと呼ばれた世代が今、せきを切ったように亡くなっている。‥政府は能天気に100歳時代とかのたまわっている。昨年の訃報の人々は平均寿命を大きく下まわっている年齢だ。何か不気味な現実を感じないわけにはいかない。2020年になって、戦後75年である。日本はオリンピック・パラリンピックの情報ばかりで戦後75年の意識がほとんどない。戦後とはいったいなんなのか。少なくともその戦後の空気を吸い、匂いをかいできた第一次ベビーブーマーの生きのこりとして、加藤さん(加藤典洋)のメッセージをくみとり、終わりのない戦後を考えていかねばと思っている。」
・文庫本文化の楽しみ 東 直子
「本の中の言葉は、書いた本人がこの世にいようとあの世にいようとどこにいようと関係なく、本の中で永遠に同居しているのである。」
・ノンフィクションの楽しみと出会い直す子どもたち 澤田英輔
「30年前に月平均6.3冊だった小学生の読書量は今年11.3冊に、同じく2.1冊だった中学生は4.7冊に増えている。‥‥(今年の調査では)高校生は1.4冊‥。一カ月に1冊も読まない不読者も小学校では7パーセントに満たないのに、高校では半数を超える。‥読むための時間。読みたくなる本。本で繋がる大人や仲間たち。それが揃えば、彼らはもう一度読書生活を取り戻すのではないか。‥」
・漱石全集の読み方(下) 赤木昭夫
・ある日、突然食道狭窄症に襲われた 高橋三千綱
・道を引きずり出すための読書 石川直樹
・黄色い本のあった場所(2) 斎藤真理子
・傷を記憶すること 赤坂憲雄
「震災後に訪ねた友人の家で、90歳に近いもの静かな父親が唐突に、呻き声をあげるように、戦場というのはひどいものだ、殺人・強姦・略奪なんでもあった……と語り出した瞬間がありました。震災の現場と大陸の戦場とが重なった瞬間だったのかもしれません。」
「戦争の傷、広島・長崎の傷、水俣の傷、福島の傷……、それぞれの傷があり、それはどのように記憶として継承されてゆくのか。‥数字はあらゆる傷を不可視かし、ときには、まったく無効化することだって可能なのです。福島の傷は見えない、触れない、だからたやすくなかったことにだてできます。そもそも因果関係を立証することなど、被災者自身にできるはずがありません。」
「石牟礼道子さんは「西南役伝説」のかなで、熊本の百姓たちが語る「西郷戦争」を起点として、近代における銭其記憶を掘り起こしています。それは石牟礼さんにとっては、「あり得べくもない近代への模索」の試みでもありました。‥「西郷戦争は、思えば世の中の展くる始めになったなあ」といい「上が弱うなってもらわにゃ、百姓世はあけん。戦争しちゃ上が替り替りして、ほんによかった」という。こうした百姓のしなやかにして、したたかな言葉を拠りどころにして、常民の歴史を希望の束として編みなおそうとする。‥体制の思想を丸ごと鉄鍋で煮て溶かしながら、「縄抜けの技」を秘得しているかのように「想うてさえおれば、孫子の代へ代へときっと成る」と頬笑む百姓たちの、深い信頼が沈められていたはずです。わたしはいま、福島から、石牟礼道子さんと出会うための道行きへと足を踏み出そうとしています。」
・いまこんなCDがある 片岡義男
・神々を招く帯 橋本麻里
「かざりを眺めるだけでなく、わが身をそれでかざりたい。あるいはかざりの招く霊威を身につけたい、いや、いっそ霊威で身を飾りたい。そんな欲望が、人間と動物を分かつ初源の衣服をそしてそのもっとも象徴的な存在である帯を生み出した。」
・「奥の細道」の宗教地図 長谷川櫂
「「奥の細道」の途中で訪ねたお寺を拾ってゆくと、興味深いことがわかる。主な寺をあげると、
雲巌寺 臨済宗
瑞巌寺 天台宗→臨済宗
中尊寺 天台宗
立石寺 天台宗
蚶満珠寺(かんまんじゅじ) 天台宗→曹洞宗
那谷寺 真言宗
永平寺 曹洞宗
ここから浮かびあがるのはまず鎌倉仏教(臨済宗、曹洞宗)、その外側に平安仏教(天台宗、真言宗)という二つの宗教圏が同心円状に広がっていることだ。もとは平安仏教の領域に、あとから鎌倉仏教が広まったことがわかる。その痕跡が天台宗から禅宗に改宗した瑞巌寺や蚶満珠寺だろう。」
「では平安仏教圏のさらに外にはどんな宗教圏があったのか。‥(松島のくだりには)当時、世捨て人たちが住み着いていた雄島が磯が描かれる。近くの里の人がなくなると、亡骸を岩の窪みに納めて波や風が清めるのに任せた。のちに仏教が広まると、こう風葬の跡が仏道の修行上になった。」
「松島や立石寺に痕跡が残るように、仏教伝来以前の日本では人が亡くなると、近くの渚の岩場や岩山に晒された。その魂も西方の極楽や地下の地獄にはゆかない。そこにとどまって懐かしい子孫や里人の暮らしを見守りつづける。人は命を失うと、魂はすみやかに里から渚や山へ移行する。そうした死生観がかつて日本の島々にはあった。」
・エロとグロの後にくるもの(3) 山室信一
「昭和天皇の教育係も務めた小笠原長生(ながなり)海軍中将がエロ・グロの「次に来るものは「ミリタリズム」即ち「ミリ」かと思います。」と答えている。‥‥エロ・グロの後にミリは確かに来た。}
なかなか読み応えのあった5月号だったと思う。