Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

飛行機事故

2024年12月29日 22時58分43秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 午前中に家を出る直前、韓国での飛行機事故の第一報に接した。今年の正月二日の羽田空港での事故を思い出した。一報では死傷者数は少なかったが、帰宅してみると死者が179名、助かったのは2人だけのような報道になっていた。アゼルバイジャン航空機の撃墜の報道も含め、飛行機事故の恐ろしさを見せつけられた。

 戦争が露出し、軍人だけでなく市民の死傷が当たり前のように報道され、事故や災害による死傷に対しても「またか」という感情が頭をまたげてきそうな時代になってしまった。
 戦争が常態化することで国土や都市基盤・機能の維持が困難になれば、災害も事故も甚大化する。人災の度合いが高まる。

 何気ない道端の紅い葉に、不安な要素を嗅いでしまった。


 


俯き歩きが怖い

2024年12月11日 11時39分19秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 最近気がついた自分の体の変化の一つにショックを受けた。
 歩いているときやウォーキングをしているとき、視線がすぐ目の前の路面ばかりを見ていることにハッとした。
 実は、昼・夜とわず、狭い歩道などで目の前に人が忽然と現れてびっくりすることが度重なった。相手がスマホ歩きをしているときだけでなく、こちらもまた前方を見ずに俯いて歩いている自分に驚いた。ウォーキングの時も同様である。
 そして人混みの激しい横浜駅の地下街や繁華街などでも俯いて歩いているのである。多分多くの人が私を避けてすれ違ってくれているのであろうと思うと申し訳ないと思ってしまう。
 年齢を重ねたかたが、腰や肩を丸めて俯き加減に歩いている姿を見て、60代の時はできるだけ俯かずに歩こうと思っていた。
 振り返ってみると、ここ2~3年、そのような体験を繰り返しているのではないだろう。もしかして眼球の動きも年齢とともに遅くなっているのだろうか。

 先週あたりから、前方を見て歩くこと、俯かずに胸を張って歩くことを心掛けている。そうはいっても足もとを見ないと蹴躓く原因にもなる。足もとを見るのが基本になってしまわないように、「姿勢を正して、足もとを見るのはときどき、基本は前方」をブツブツと口の中で繰りかえしている。
 俯いて歩くのが状態になっては、スマホ歩きの人と変わらない自分になっていたことに愕然としている。


自家用車のない生活

2024年11月09日 21時52分43秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨日退職者会ニュースは校了、印刷工程へ。今回は2校までで確定できた。午前中に「田中一村展」の感想の第一回目もアップできた。友人との忘年会のお知らせのホームページの記事も昨日アップ済み。本日は気分的はおおきな達成感。

 本日の最高気温は17.0℃、平年より1℃ほど低い。しかし昨日よりは1℃ほど高いらしい。
 妻は昼直後に、私は午後からの打合せのために少しの時間差で出かけた。打合せを終わり、18時過ぎに帰宅するとすでに妻は帰宅。夕食の準備を始めていた。

 明日は、入院をした親族を見舞いに親とともに行くことになった。都内までは親も体力を使い大変であるが、やむを得ない。できるだけタクシーを使い、負担を軽くしたい。
 本当は自家用車があればいいのだが、私は免許は持っていない。妻は免許はいまだに更新しているものの、もう50年近くも運転をしていない。車を動かすことはほぼ不可能。我が家は自家用車とは縁のない生活を続けてきた。
 しかもすでに私の先輩・友人は自家用車を手放したり、免許返納を口にする年齢になっている。


人材不足なのか人材が出てこないのか

2024年09月28日 10時49分52秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 自民党の総裁が石破茂になった。
 高市早苗と拮抗などという物騒な観測記事も流れた。現に決選投票で逆転して石破茂になった。さすがに小泉、河野、小林という選択は消えた。

 高市早苗の演説を以前に聞いて、日本の歴史の歪曲理解の上に立って「強い日本」・「美しい日本」などと殊更に言いつのり、国家論とも言えない国家観を振りかざして、冷酷に戦争のボタンを押す人であると直感した。権力志向があまりに強すぎる。その国家観のために批判する国民や他国民を抑え込むことを躊躇わない政治家であるとも感じた。

 消去法でいえば、石破茂しかいないのだろうか。もはや、人材もバランス感覚を持った人材も、戦争を回避する胆力のある人も、見当たらない、あるいは表には出て来れない自民党になっているようだ。

 さて今後の政治はどのようになるのか。私が政治の世界に関心を持ち始めてから60年近く、自分の思いからはどんどん離れていく現実の政治にいつも絶望している。政治への関り方は年代を追うごとに変化しているが、絶望をバネにして関わっていることは間違いない。バネが経年劣化で壊れないでほしい。

 野党も人材は豊かとは思えないが、多少の光はあるような期待はある。この絶望が、私の立ち直れない絶望にならないでもらいたい。


「秋」の変化

2024年09月24日 10時32分37秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 朝起きると、伊豆諸島や小笠原諸島で津波注意報の情報が流され、驚いた。
 震度情報がないまま津波注意報である。地震の深さが10キロ、マグニチュード5.9ということまでは報道されている。すでに八丈島で最大50センチの津波が観測されているとのこと。今のところ被害はないらしい。

 本日は昨日よりも涼しい朝である。昨晩からは屋外よりも屋内のほうが温かく感じた。今朝も南北ともに窓をあけ、空気を存分に室内に入れている。寒いくらいなので、室内でも長ズボンを引っ張り出してきた。
 朝洗面台の前の窓ガラスを少し広めにあけてみた。前の道路を職場に向かう団地の住民が歩いているのを見かけた。小学生も通っていった。
 夏の暑さが続いていた一昨日までは、熱気が室内に流れ込んでくるので、洗面台の前の窓ガラスはほぼ閉めていた。窓の外を通る人をここ3か月以上、見かけることもなくなっていた。
 通る人の顔は見えないが、朝に窓の外に人の姿を久しぶりに見て、新鮮な気持ちになった。人の動きも軽やかに、そして明るく感じた。服装もどこか弾んでいるように思えた。
 酷暑の大気と陽射しに押しつぶされるように歩いていたに違いない自分の姿と重ね合わせて、「秋」を強く感じた。
 大気の湿度と気温の違いで、こんなにも見える景色が変わるものであることをあらためて感じた。


健康を食い物にする

2024年08月06日 22時40分15秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 読書に倦んだ時や、時間つぶしに時々テレビをつける。すると特にBSのチャンネルでは、医師の処方する薬以外の医薬品や健康食品の類、いわゆる老化に抵抗するための化粧品や「医薬品」なるもののコマーシャルばかりを絶え間なく続けている。
 違和感はいくつもあるが、まずどうして自然過程としての「老い」の兆候がそんなにも忌避すべきことなのか、まるで「悪」者としてそれらを目の敵にしている。
 嘘か本当化はしらないが、60代、70代で色白で「シミ」「シワ」などのない女性の顔がまず大写しに出てくる。それがあたかも人生の最大の「価値」であるかのように。これを繰り返されるとあたかも真実のごとくに聞こえてくる。コマーシャルの繰り返し効果というものなのであろう。
 しかもタイムセールのごとくに購入を煽ること煽ること。見ていてあまりの品の無さにコマーシャルが始まると他のチャンネルを変えても、同じコマーシャルが流れている。それを大手の薬品メーカーまでが行っている。余程の需要と儲けが見込まれるのであろう。

 自然過程にこれほど抗わなくてはならないという強迫観念は、何処から来ているのだろうか。

 核家族化や所謂非婚化が進行して、家族や「家」の形態の変化もまたそこに噛んでいるのかもしれないと、ふと感じることもある。
 三世代の同居などは望むべくもない都市住居のあり様とそれにともなう世代間の意識の差、「年寄り」のあり様の変化があるようだ。現に私も、親世代や子供の世代との同居には躊躇する。近すぎず・離れすぎずの頼り・頼られる生活が身についている。
 老年になって一人ないし夫婦ふたりの、孤独ともいえる年齢になってわかるのであるが、自分よりも高齢の自立している親世代や、親に頼らずに生きている子供の世代から求められる高齢者の役割は、縮小している。
 同時に反作用として、祖父母世代の孫世代への過剰ともいえる接近も目に付く。高齢者が定年を迎え職を離れることで、これから先の人生で果たしてどんな生きざまが残っているのか、不安になるのだろうか。結果として自身の健康への関心が高くなり、孫世代への過剰な接近が始まったとも思える。
 定年後の長いと思われる人生や、孫世代との関りから、「若さ」や体力ばかりが強調され、それが「生きがい」として提供されることになってしまったのではないか。本末転倒ともいえる。「生きがい」のための体力づくりではなく、体力づくりが「生きがい」として強調されている。過剰な「若さ」へのこだわりに繋がっていないか。
 自然過程としての「老い」の兆候が、これほどまでに忌避される社会は、果たして「健康」なのであろうか。

 もうひとつ気になることがある。私は、健康診断などによる個人を対象にした個別・具体的な診断に重点をおいて、医師との対話、自身の体との対話に重点をおいている。その結果、不特定多数を対象としたコマーシャルによる健康不安の煽りがとても気になる。提供する商品としての医薬品・健康食品があたかもすべての人に有効であるかのようなコマーシャルは、病気の個別性・具体性と、人間集団の傾向とを混同して憚らない。これはわざと混同しているように思うのは私の穿った見方でしかないとは言えない。
 例えばカルシウム摂取が足りない、という一般論は危険である。どのような母集団を想定するかで、傾向は変わるはずである。塩分の多い食事といっても地域差はある。炭水化物の摂りすぎ、といっても年代や職業や性別でも大きな差があるはずである。これらを考慮せずに一般化して、万人すべてに当てはまる傾向としてしまうことは極めて危険である。
 私はこれらの傾向と現状がとても気になる。日本国中、不健康への道を転がり落ちているのではないか。私がテレビをあまり見なくなったのもこういったコマーシャルに嫌気がさしたからでもある。


スポーツは「競う」ものか?

2024年07月28日 19時43分07秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日は、敢えて言わせてもらう。もともとテレビはあまり見ないので、それほど「被害」がないとはいえ、毎日のオリンピック放送の氾濫に閉口している。見たくもない番組のオンパレードにはうんざり。
 以下、あくまでも私の思いである。こんな考えを持つ人間がいることを敢えて記してみる。

 スポーツやスポーツ応援が好きな人を腐すつもりはさらさらないが、私はどうしても現在の「スポーツ」のあり様というのが好きになれない。昔からスポーツというものが大の苦手。体育は学校を卒業するまで常に5段階評価で2ないし3あたりをうろうろ。
 スポーツとは本来関係ないのだが、「体育教師」とは常に相容れない関係であった。「体育教師」とはこういうものだという一般化は危険な決めつけであるが、少なくとも当時、スポーツ音痴というだけで私を蔑む態度と見る眼とが嫌いでいつもそっぽを向いていた。それが余計に彼らの私に対する評価をさらに悪くしていた節もある。
 私のスポーツ嫌いの大半はその「体育教師」に基因はしているが、運動生理学、心理学などそっちのけの彼らが主張するスポーツの「集団性」「画一性」「根性論・気合論」にどうしても馴染めなかったし、今もなじめない。
 グループの人間と同じタイミングでは体は動かないし、同じ格好にならない。私からすれば、そんなことどうでもいいことであり、個々人により違いがあるのは当たり前だと思うのだが、教える側はそれが許せないらしい。
 そんな思いは川崎に転校してきた小学4年生の時からである。私が歩くとき両肘の折れ曲がる側が体側側ではなく前に向くのがおかしいと幾度も歩かされた嫌な思い出がある。最後には「普通の体つきではない」と他の生徒の前で宣告された。
 そんな嫌な体験・思いを続けたくないので、公立中学を敬遠して私立中学・高校に進学したが、変わらなかった。不快な体験・思いは増幅することはあっても弱まることはなかった。
 中学に入ってすぐに東京オリンピックがあり、テレビで鑑賞しろと1週間ほど休校になった。休み明けに体育教師が「日本選手団の一糸乱れぬ入場行進の見事さを見習え、規律こそが第一。他の国の乱れた行進は見苦しかった」というものであった。
 私はあの軍隊式の行進の何処が見事なのか、自由に手を振る他国の選手団の自由さのほうが、人間らしく思えてこの教師の「訓示」に極めて強い違和感を感じた。あの体育教師の頭の中では帝国軍隊がまだ生き残っているのだとも感じた。この思いは後年、吉本隆明の評論を読んで間違っていなかったと納得した。
 エピソードは枚挙にいとまない。そのうちに追々と。
 大学では教養部では体育という科目はあった。授業も受けず、レポートも出さないうちに、紛争の中でいつの間に単位を取得していた。実にいい加減なものであった。

 就職してから学生時代の友人と丹沢から相模湾の景色を見たいということで、バンガローの予約から下見まで一人でしたことから、登山に目覚めた。最初は丹沢から始め、北関東・山梨などの山を経験の豊かな友人に連れられて登った。
 次第に一人で関東近郊の山から東日本の山にフィールドを広げ、「集団性」「画一性」「根性論・気合論」という呪縛から解き放たれるようだった。一人で体を動かす「スポーツ」がこんなにも楽しく、のびのびとしたものであるか、体感して嬉しかった。それ以来登山とジョギングが病みつきになった。
 登山は単独行、ないし個人の体力を基に、天候の読み、山行の難易度に対する知識と構えを互いに尊重しあえる2~3人の山行を心掛けた。30歳を過ぎてからは家族登山を除いて、ほとんどが単独行になった。
 スポーツとは「個人で行うもの」「自然の力と自分の体力を見極める知力が前提」というのが基本であると思っている。私のスポーツ観はこれに尽きる。これ以上でもこれ以下でもない。これだけである。

 だから「競う」という発想が私にはもともとない。タイムや距離という客観的な指標を目標にすることまでは理解できる。しかし人と競ったり、勝ち負けにこだわったりすることがどうしても理解できない。
 力量を披露しあうこと、自分がどの程度に進歩したか、客観的に自己を見つめる場をすべて否定するつもりはない。
 それでも私には、そのような場に興味がないとしか言い様がない。そんな人間であることを表明すると、ほとんどの人が「理解できない」という。
 さらに「オリンピック」もまったく興味がない。まして「国別対抗」という形態そのものが理解できない。国家によるメダル獲得競争の煽り、メダルの獲得の目的化、いづれも「国威」発揚そのものとしか思えない。

 こういう私は圧倒的に少数派である。そういう自覚はしている。しかしそういう人間がかなりの数存在していることも事実である。意外とこういう人間のほうが多数かもしれない。集団の同調圧力でかき消されてしまっているように思う。
 オリンピックの期間、いつも私にとっては実に憂鬱な期間である。


新しいものには飛びつかない

2024年07月19日 23時06分05秒 | 思いつき・エッセイ・・・



 もう新しいお札は銀行からおろせるのだろうか。市中に出回っているのだろうか。そんなことをふと考える場面に出くわした。

 地下街の通路のど真ん中で、歩いている私の方を向いて立ち止っている60代くらいの男がいた。どうも財布からお札が10枚ほど見えるようにして数えている。真新しいお札らしいということは判ったが、視力が落ちている私にはそれが旧札のピン札なのか、新札なのかはわからないが、色彩は鮮やかに見えた。まして千円札か5千円札か1万円札かまでは判然としない。どちらにしろ、危なっかしいことをするな、という程度で通り過ぎた。

 ここから先は小学校・中学時代の思い出。どこの学校でも、見せたがり屋というものはいて、新しいものをまず学校に持参して得意げに見せたがる。どんなものでも大概は2週間もすると市中に出回って、珍しさは無くなるのだが、この1~2週間の振る舞いは得意の絶頂である。
 どうやってこの新しいものを手に入れるのかはわからないが、小学校のうちは羨望のまなざしで、うらやましがられる。中学生になると、2~3回繰り返すと飽きられる。高校生のときはそんなことをするのは見かけなくなった。あるいはそのような人間とは付き合わなくなったというほうが正しいか。
 しかし就職してみると、不思議なもので新しい電子機器、とくに携帯電話、OS、ソフト、スマホなど休暇を取って徹夜で並んで購入して、他の職員に自慢して回る職員に出くわしたことがある。その得意満面な顔を見て、これが30代の人間のはしゃぎようか、とおどろいたものである。
 あまりつき合いたくはない職員だったので、会話もしなかったが、新しい商品・ものに飛びつく人は何処にでもいるんだ、歳に関係ないのだ、と思ったことを思い出した。

 本日すれ違った還暦を過ぎたばかりのような人もそんな人であったのかとふと、懐かしさがこみあげてきた。新しいお札を見せびらかしたかったのだろうか。あるいは私の勘違いか。

 新しいものには飛びつかずに、じっくりと見極めて廃れないものばかりを購入してきた私は、多分この世にさよならする時まで、そのように過ごすと思う。いつも少しばかり時代遅れではあるのかもしれないが、それもまたいいものである。時代から少しだけ遅れて、且つ一歩離れてじっくりと観察すると、見えてこなかったものも見えてくるものである。そのほうが楽しいし、世の中がそれなりに見渡せる。

 


世の中の縮図

2024年07月02日 18時55分00秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日の喫茶店、とても読書に集中できなかった。席を変わったものの、イライラとした気分が納まらなかった。

 私が座った席に後から、至近距離の隣の二人掛けの席が埋まった。若い物静かな女性が座り、対面に年上の女性が座り、面談らしきものを始めた。話の内容は隣の席の私に筒抜けである。
 しかし話の内容はいたって深刻。若い女性は派遣された職場で、ハラスメントもどきの扱いを受け、派遣元に訴えたらしい。その聞き取り調査のようであった。物静かな若い女性は、誠実そうで好感は持てるが、的確には状況が説明できないところもある。端で聞いていてもどかしい気分も伝わってきた。
 聞き取りの女性は、ノートに派遣先の職場にいる職員の配置図、氏名などを記入し、話は進んでいった。聞き取りをしている女性は経験もあるようで丁寧な説明はしている。要領も良さそうである。しかしそこに血が通っているかどうかは、私は判断はできない。
 この若い女性は、ハラスメントをした社員に抗議の意思表示はしたようだ。ハラスメントをした職員は謝罪の意向は示しているようだが、被害を受けたこの女性にとっては、それだけでは納得はいかないようだ。ここについては私も十分了解できる。

 私がイライラしたのは別のことである。こんな大事な相談事を、しかも個人名が飛びかうような聞き取り調査を、短時間利用の一服客を対象にした喫茶店で、そのうえ狭い席の隣の私に筒抜けの会話で、済ませようという派遣会社の対応のひどさである。
 派遣先職場とは離れているのかもしれないが、少なくとも派遣元の会社の一室で、彼女の発言や訴え内容が外に漏れないように配慮する義務があるはずである。
 こんな派遣会社に採用されているこの若い女性にいたく同情した次第である。聞き取り調査をしている女性の対応がひどいものではなさそうなのが少しは救いであったが、それでもこのような喫茶店を選択したのが、彼女であることにもイライラした。

 相談を求めている若い女性は、一人では決して強くはない。労働組合もないのであろう。働くものを守る仕組みが、派遣企業の苦情処理のシステムしかないというのも悲しい現実である。

 この件が、相談を求めている若い労働者に良い方向で解決されることを切に願いたいものである。


「老い」を実感するとき

2024年06月29日 21時11分22秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 午前中は、親の代わりに眼科で薬の処方をしてもらい、ついでに私の左目の毛嚢炎も見てもらった。土曜のために、病院も薬局も混雑。10時半前に病院に行き、帰宅は13時。もう少し早くに病院に行くべきなのだが、朝起きたときに通院のことを忘れていたのが敗因。
 午後からは妻と混雑している家電量販店でUSB接続でバッテリー付きの卓上扇風機を3000円台で購入。持ち運びでき、台所や鏡台、寝室等で有効活用したいとのこと。我が家では2台目のUSB接続の扇風機である。

 大型の扇風機とそれなりの大きさのサーキュレーターはあるものの、台所で立ったり、リビングルームの椅子に座ったりするときに、位置替えや移動が面倒になってきた。扇風機は重く、床に置いてあるサーキュレーターまで屈んで持ち上げるのもつらい。
 ついでに寝室用の温度計&湿度計も購入。従来のものは文字盤が小さく、ふたりともメガネを掛けないと見えづらくなってしまった。

 歳を取ると、いろいろのものが耐用年数を過ぎていなくとも使いづらくなる。文字盤が見にくくなって買い替えなくてはならなくなるものが、出てくる。これまで問題なく移動していたものの移動が面倒になる。これもつい10年前には想定していなかったことである。
 それほど歳を普段は実感しないが、こういう時にふと「老い」を実感し、それを重ねていく。同時に歳を取るとは、お金がかかることであるとも納得する瞬間でもある。買い物のあと、喫茶店に入りふたりでコーヒーを飲みながら、ため息をついた。

 さて、次はどんなものを買い替えなくてはならないのだろうか。


「観察」は時間を忘れる

2024年06月28日 21時00分29秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先日、近くの私鉄の駅前のバス停から、家の傍のバス停までバスに乗ることにした。時刻表の時刻まで5分ほどあり、3人目に並んでいた。
 空は厚く雲が垂れこめていたが、雨とは無縁の空。カンカン照りよりも空は見易かった。西空の雲を通して太陽の丸い姿が浮かんで見える。
 雲の構造がその光を透かして見えた。一様に見えても光をとおすとまだら模様に見えた。じっと見ていると不規則な丸い形が連続しているように見え、見飽きることがなかった。太陽と雲が作り上げる空の模様は、美しい。不規則なものほど見ていて飽きないものである。規則性がすぐに判明してしまう模様などは、規則性が気になって落ち着かない。

 しばらく眺めているうちに時計が気になった。すでにバスの時間を過ぎていた。いつものとおり遅れるのだろうと気にせずに空を眺めつづけたものの、バスが来ても気がつかないで空を眺めているのが恥ずかしくなった。
 その時にたまたま視界を燕が横切った。何番目かの営巣のあとらしく、商店街の庇の下に例年のように巣があり雛が孵り、親鳥が餌を運んでいた。燕らしく人の頭のすぐ近くを器用に飛び越し、巣の近くに止まってから、巣に餌を運ぶ。
 燕の姿を追っているほうが、焦点は近くなので、バスが近寄ってきても認識しやすい。頭を小刻みに巡らすのも面白い。そのまましばらく燕を観察。
 こうしていると、バスを待っていても時間が気にならない。世の中には観察したいものが人間以外にもいっぱいある。あるいは長時間観察していても気にならないもので溢れている。

 ふと先頭に並んでいる同年輩のお年寄りを見ると、歩道から車道に身を大きく乗り出して、ひたすらバスのやってくる方向を睨み続けている。なかなか来ないバスに痺れを切らしているらしく、後ろと横から見る姿がイライラしていた。
 そのお年寄りと私の間にいる中学生らしい女の子は、スマホに余念がなく、後ろの小学生の女の子は熱心に物語の本を読んでいる。
 私の心の中では、「体を歩道にひっこめないと危ないよ、来ないバスにイライラしているよりも、空の雲と燕どちらかを「観察」するゆとりを持ったほうが、心が落ち着くよ。小学生の方が心にゆとりがありそうだよ」という言葉が横切った。むろん口に出すことは無かったが、思うこと自体が余計なお節介で、何となく人を見下したような気分になったのは、おおいに反省。こんなことを考えなければ、美しい空と燕の飛翔の印象だけが残っていたはずだ。

 さいわいバスは6分ほど遅れて到着。夕方の道路混雑時には遅れるものである。いらいらオジサンは真っ先に勢いよく飛び乗った。何事もなくバスは発車。

 私と同年輩の年寄と、私の頭の中ではそれぞれに小さなドラマがあった。美しい雲と太陽、燕の飛翔の印象は長く頭の片隅に残った。


年寄りの遠吠え

2024年06月27日 23時28分37秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 12年も前の現役時代と変わり、というか最近の時代の流れに乗らされていうべきか、現金よりも電子マネーによる支払いのほうが多くなった。現役時代は、電子マネーといっても交通系ICくらいで、現金を使わない場合はクレジットカード払いが主であったとおもう。
 私の場合は、スマホを持つようになって電子マネーが主となった。ただしバーコード決済のものは、コマーシャルが余りに軽薄なので、使う気には毛頭ならない。ああいう軽さとノリで、大切な買い物の決済を任せてしまうのが、今の風潮なのだろうか。ちょっと恐ろしい気がする。

 電子マネー、初めは三種を利用していたが、今ももっぱら一種だけ。もう一種は予備でとして登録してある。最近はこの予備はほとんど使っていない。

 さて、スーパーでもドラッグストアでも最近はレジで商品を読み取って合計金額を知らされるばかり。支払い機や電子マネーの読み取りコーナーに誘導されてそこでの決済を求められる。
 年寄りの部類に入ってしまった私などは、初めはとても戸惑った。レジを打ってくれる店員に直接現金を払うか、電子マネーの読み取りをお願いすることが無くなってしまうことに戸惑うのである。
 思い過ごしと言われようと、何か邪険に扱われているという錯覚に陥る。確かにレジでの商品読み取りと、会計という作業は分離はできるかもしれない。
 労働組合の役員としてみれば、それは業務を強引に分離して、人員の削減のための合理化である。ある意味では作業の単純化・人間の機械化をおしすすめて、少しでも機械に任せる業務の割合を増やしている。仕事の熟練化をなくし、単純化して賃金単価の切り下げをはかる理屈付けになる。働く者から「熟練」という付加価値を剥がし取っていく。
 店員に対しては、覚えなくて済む決済方法の選択の面倒さを回避してくれるので、歓迎される面もあるかもしれない。また最近はクレーマーが多い分、客との対面の要素を少しでも減らしてもらいたいという欲求が強いのかもしれない。

 客からすれば、これまで店員が仕事としてこなしていたことを客にさせる、ということである。簡単なこととはいえ、無性に腹が立つ。客の側からすると、提案もなしに押しつけられていることに変わりはない。
 こうした結果、レジでの人の並び具合、待ち時間は少なくなっているかというと、決して少なくはなっていない。レジの商品の読み取りもバーコードになり、客がバーコードを自ら読み込ませるという無人のレジも増えている。総じてレジの担当の店員が少なくなり、かえって操作について聞かれたりして店員は慌ただしくなっている。
 客は、とくに高齢の客はその慌ただしい店員達を見て、読み取り間違いや二重の読み取りなどの指摘も「申し訳ないな」と思ってやめてしまう。経営者はそれを狙っているのかと、勘ぐりたくなるのが、端からそれを観察しているのが、やぶ睨みの私のような高齢者である。

 居酒屋やファミリレストランなどでは注文も同様にタブレットになってしまった。こちらのほうがさらに操作は面倒である。私は店員には悪いとは思いつつ、タブレットでの注文はしないで、直接注文することにしている。

 私などの高齢者の発想は古いのかもしれないが、こだわりがある。
 クレーマーを減らすには、過剰すぎる丁寧言葉はやめ、店員の数を増やしたうえで、客と店員の対面時間を増やすことで解決の道を探るしかない。店員は客とのゆとりのある対面時間によって、対話のノウハウを身につけられる。そして店員の数が多ければ、クレーマーの一方的な言い分にも、数人で対応できる。クレーマーの多くは、店員が一人であることによる居丈高になる場合が多いようである。店員が数人で同時に対応すると、クレームの数は確実に減少する。
 経験豊かで定着した店員は経営者にとっては財産である。「客は神様」という言葉だけが独り歩きしていないか。本当は「店員も顧客も財産」なのではないだろうか。
 年寄りの遠吠えだろうが、こういうことはいつまでもつぶやき続けたい。

 年寄りは、機械とばかり会話したくないのである。経験豊かな店員と、ごく短時間でもにこやかな対面でのやりとりを欲しているのである。一言だけでも明るく「ありがとう」と言えれば嬉しいのである。
 もっとも飲み物などの自動販売機やら、駅の切符の販売などすでに世の中の流れである、といわれれてしまう。すでに既成事実はできあがってしまっている。若いときに無意識に受け入れたことが、高齢になってみると違和感をもたらしている。これが「老い」ということなのだろう、と受け入れるしかない。
 とはいえ世の中は高齢化していく。高齢者に冷たい金銭のやり取りを通した社会であっては欲しくない。


追い抜きたくなる衝動

2024年06月26日 20時34分03秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 朝から熱い陽射しのもと、出歩いた。ウォーキングのように歩き、途中の喫茶店で2回休憩。昼以降は疲れたので、汗をかかない程度に歩いた。
 それでも1万2千歩を超えた。横浜駅前では15時前に通り雨があった。横浜市の西部の方では短時間だったもののかなりの強い雨であったらしい。

 本日歩いていてびっくりしたことがある。階段を降りようとして、右膝に痛みを感じなかったのである。ここ3年程、右膝に痛みを感じて、足を引きずって歩くのが当たり前になっていた。あまりに不思議なので、いったん階段を歩くのをやめ一呼吸おいてから、恐る恐る手摺りにはつかまらずに再度階段を降り始めた。やはり痛くない。
 少し足を早めてみたが、やはり痛くない。階段が切れて踊り場でも痛くない。再度階段になってからもスムーズに降りることが出来た。
 ホームまでの7本の階段を終えて、実に不思議な気分になった。今度は地下鉄の平らなプラットホームを端まで早めに歩いた。それでも痛くなかった。これ以上早く歩いたり、続けて歩くと再度痛みが出るのではないか、と心配になって歩行をやめた。
 電車を降りてから、目的地までここ最近にはない早さで3千歩ほど歩いた。心地よい汗が吹き出てきた。ここで喫茶店でひと休み。

 不思議なもので、早く歩けると前の人を追い抜きたくなる衝動が湧いてきた。それを押さえて、自分に「無理するな、無理するな」と暗示を掛けるように歩いた。所用を済ませてから、ふたたび喫茶店に入り、昼食として軽くトースト1枚を食べて45分の休憩。

 右膝を痛める前は、前に人がいると追い抜きたくなる衝動を押さえられなかった。考えてみれば、右膝の痛みを抱えながら暮しているうちに、追い抜きたくなる衝動が消えていた。いつの間にか、これが「老い」を加速していたのかもしれない。
 これからは追い抜きたくなる衝動を押さえながら、追い抜かれても気にせずに、なおかつ満足のいく早さで歩きたいものである。追い抜きたくなる衝動は、害にこそなれ、益にはならない。
  


暗闇の淵を覗く

2024年05月04日 21時56分18秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 火曜日に貰った咳止めなどの薬は3種類をそれぞれ1日3回で5日分であった。明日の朝で飲み切ることになる。
 その薬が効いたのか、すでに直りかけていて自然治癒という結果なのか、どちらとも言えないが、症状はかなり改善された。
 確かに服用すると1時間ほどは痰と鼻水が大量に出る。その後3時間ほどは咳も止まり、痰や鼻水も出なくなる。しかし4時間もすると咳と痰と鼻水が少しずつぶり返す。これを繰り返した。また朝は痰と鼻水がまとまって大量に出ていたのが、今朝からはずいぶん楽になった。
 咳という症状が出始めてから11日、症状がひどくなって(こじらせて)から8日もかかってようやく見通しが明るくなった。お酒も7日間も控えている。これは大変なことである。とはいえまだ完治ではない。油断禁物といったところである。

 人間、自宅とはいえ狭いベッドと洗面所とリビングルームの3角形での行き来だけを繰り返していると、思考は下向き、後ろ向き、出口のない暗い迷路をぐるぐる回るだけになる。発熱はないものの、思考が閉じてしまう。
 なんとかものごとを前向きに考えようとしても、「コロナの再発か、気管支炎になってしまわないか」などと悪い方向ばかりに考えが向いてしまう。
 この負の引力はなかなか強く、そして魅力的ですらある。踏みとどまる力がないと底なしの沼に引きづり込まれるような気分になった。
 大げさかもしれないが、覗いてはいけない何かの淵を覗いたようであった。


メーデーも様変わり

2024年04月27日 08時44分39秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日はメーデー式典。先週から天気が思わしくない予報が続いていたのでやきもきしていた。私の属する退職者会もコロナ禍の時を除いて毎年70名前後が参加していた。退職者会の会員も年々高齢化が進むのに、加入者は減少傾向。参加者も少しずつ減少している。悲しいかな、時には現職よりも退職者会の方が参加者が多い時も。果たして今年は何名が集まることやら。

 昨日になって天気予報は雨の予報から曇りになった。昨晩遅くの天気予報では本日の夕方に少し降るらしい。しかし13時までには解散・後片付けをして、みな野毛方面に繰り出している。どちらかというとそれが目的で集まる。

 現役時代は、単組役員よりも支部役員のほうがもっとてんやわんや、本当に末端役員の厄日であった。毎年解散する頃には体力的にも疲労困憊、居酒屋に繰り出してもビール1杯飲んで寝てしまったりしていた。後片付け要員も組合の会館に旗やブルーシートや拡声器やらを倉庫にしまって寝てしまったこともあった。
 そんな現役時代とは大いに様相が違って、退職者会ではお弁当とビールを配付して1年に一度会うだけの会員と近況を語り合い、体調・病気・趣味の話題から家族関係の愚痴や孫自慢を聞き、それなりにゆったりとできる。メーデー自体と同様、年々緊張の度合いが薄れていく。それもまた受け入れるしかない時代である。

 休みも取りづらい現役世代に、せめて家族連れで連休初日を過ごしてもらおうという目論みもあったが、今はその意識も薄れてきた。メーデーはどこへ向かってその様相を変化させていくのだろうか。