Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

生涯学習講座の選択

2023年02月28日 21時54分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

  夕食後「知っておきたい地球科学」の第4章から二つほどの節を読んでいるうちに寝てしまった。だいぶお疲れのようである。自分の体とはいえ、その状態をなかなか把握できていない。



 明日から2023年前期の神奈川大学の生涯学習エクステンション講座の受付開始。どんな講座を受講するか、これよりガイドブックのチェック。ここ数年は前期は講座を受講していない。後期に受けたい講座が多い。金額もあがっているようなので、厳選しなくてはもったいない。以前は数をこなしていたものであるが、そうもいかなくなった。


強い風に煽られる

2023年02月28日 18時54分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 組合の会館まで往復、帰りがけにコーヒータイムで久しぶりに「知っておきたい地球科学 ビッグバンから大地変動まで」を読んだ。最後の第4章「地震・津波・噴火」ももう半分まで読んだが、どうも今ひとつしっくりこない。
 理由は少しわかってきたので、読み終わった段階での感想を記すときに触れたい。

 しかし本日はもう2月末日。たぶん明日、明後日には岩波書店の「図書3月号」が配送される。いつもならばそちらを優先する。「知っておきたい地球科学」の読了がまた先延ばしになってしまいそうである。

 15時前には最大風速が、横浜市内で11.4mを超える南西の風、東京都千代田区で8.1mの南風のということで関東地方の春一番の要件を満たしているような気はするが、はたして同なのだろう。
 また気温の一日の上下が大きい。昼間歩いているときは薄いダウンのコートをリュックにしまいこんだ。帰宅時はコートを着ないと風が冷たく、風邪をひきそうであった。自宅の道路では、強い風に煽られて体を持っていかれそうになってびっくり。
 春間近という実感もあるが、極端な気温の上下や強い風などで体が悲鳴を上げなければいいのだが。


いろいろと慌ただしい、いつも慌ただしい

2023年02月27日 21時09分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日何年も前には亡くなった先輩の住んでいた東横線の新丸子駅から武蔵小杉駅まで歩いてみた。先輩の住んでいたところは東横線の西側の多摩川沿い。そこから武蔵小杉駅までは線路の西側をよく歩いた。本日は数回一緒に行ったことのある新丸子駅の東側の商店街から武蔵小杉駅までを歩いた。十数年前のたたずまいのままの商店街で懐かしかった。武蔵小杉駅まではわずか400mというが、東側を歩くと遠く感じた。私の膝の所為もあるが、ちょっと寂しい道のせいかもしれない。
 武蔵小杉駅の構内の喫茶店で一服して、後は電車とバスを乗り継いで帰宅。

 この2~3日、退職者会ニュースの最後の仕上げでフーフー言いながら、家の造作のことでいろいろと頭を悩ましていた。妻と相談しながら、一応の結論めいたところまで辿り着いた。これから少し慌ただしくなる。

 退職者会ニュースは記事を一つほど差し込むことにした。見た目がどうなるか、はっきりしないがやってみることにした。明日朝までに印刷所にメール送信しないといけないので、今晩は遅くまでかかりそう。

 この慌ただしさは、私自身の性格に起因するのだといわれるが、今回の家の造作の件はふっと湧いたように出てきて、振り回されている。


第三者の目の獲得

2023年02月26日 22時17分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 古今和歌集仮名序の書き写しと、読書を少しでも再開しようと思ったがどうも気分が前に進まない。ボーッとしていたい、という誘惑に負けている。お疲れ休みを脳または体から要求されているみたいである。

 そして役員の一人から早速いくつかの誤変換やら誤字の指摘をしてもらった。そういう指摘を受けてから再度原稿を見ると他にも訂正すべき個所がいくつか見つかった。誤字・脱字ではないが、表の罫線が切れたりしているところが見つかった。
 他のかたから指摘を受けるとその瞬間から自分の原稿を第3者の視点で見られるようになる。不思議である。この他者の目を獲得するには、何らかの刺激・切っ掛けが必要なのだろう。
 しばらく時間をおく、というのもいい手段である。他者からの指摘というのもある。プリンターで打ち出してみるというのもあるようだが、これは私の場合はあまり効果がない。その他どんな方法があるだろうか。また人によって効果のあるものとないものは入れ替わる。
 これは原稿のチェックだけでなく、他には応用できるものもあるかもしれない。人は自分自身を客観的に見ることはとても困難であるが、自分の生みだしたもの、創造したものを客観的に評価することはできる。またそれができないと、社会人としては半人前の烙印を押されるはずだ。


木星・金星と富士

2023年02月26日 21時03分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほどは20分程度しか散歩の時間がなかった。2500歩ほど。途中で木星と金星と富士山を見つけて数枚撮影してみた。
 スマホを手摺りに押し付けて三脚代わりに固定してみた。左上の隅が木星、その右下に金星。写真にしてみるとわかりにくいが、実際は木星も金星も実によく目立つ。
 木星からさらに天頂近くには上限の月も出ている。半月になるのは明日。

 今朝は富士山がとても美しかった。朝見る富士山は雪を被るととても近くに寄ってくるように大きく見える。夕方になって雪が見えなくなると遠くに逃げてしまう。
 そんな追いかけっこがまた楽しいものである。

 明日はいつものかかりつけ医で高血圧等の薬の処方をしてもらう予定。午後からは息抜きにちょっと遠くの、普段はあまり行くことのない駅を探してその界隈を散策してみたい。


ようやく原稿完成

2023年02月26日 17時49分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝から17時30分までかけてようやく退職者会ニュースの3月号の原稿ができた。それなりにきちんとしたものができた、と自画自賛。これから各役員にPDFに返還の上送信して、チェックをしてもらう予定。明日の朝には印刷会社の担当者に校正刷りの作成を依頼をする。
 今回は難産、というよりも前会長の訃報などがあり、記事の数は少なくなり、写真の選定から記事の原稿作りまでほとんど私が作るという状態になってしまった。
 表も多いので、割付の自由度が少ないと苦労をするものである。

 もう昏くなりかけているが、これより散歩で体をほぐしたい。45分位は散歩できるであろうか。本当は美味しい喫茶店まで遠回りをしながら歩いて往復したいが、時間が無くなってしまった。


ウクライナの戦争に思う

2023年02月25日 22時00分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ロシアのウクライナ侵略の論理と、日本が中国に進出した過去がそのまま二重写しに見えてしまう。
 「日本民族を守る」だとか「帝国の利益を守るため」とか言っていたのが、そのうちに「アジア民族を解放」のためと言い出して、アジア各国に土足で侵略した。そこで傀儡政権を作って日本の利権を最大限確保した。その過程でいかに多くのアジアの人が犠牲になったことか。その挙句無理がたたり、補給線を断たれ、多くの徴兵された日本兵が捨て駒として無残に殺され、特攻を強いられた。国内も無差別の都市爆撃に晒され、原爆を落とされ、戦災孤児を生んでしまった。戦局を見誤り、多くの日本兵が中国にも東南アジアにも取り残され、悲惨な運命に翻弄された。
 ロシアの「論理」を聞いていると、かつての「大日本帝国」がたどった道を思い出す。泥棒が家に押し入り、「お前の仲間は俺が気に食わないやつが多い。そいつはお前の家を乗っ取るかもしれない。俺が居座ることでそいつを排除できる。安い手間賃だと思え。これからもお前の土地を守ってやるから貢物を出せ」と開き直っているようなものである。ヤクザのみかじめ料の言いぐさと同じである。
 もともと戦争は始めるのは簡単だが、収めるのがもっとも困難である。中世のように傭兵が戦うのではない。近代の「国民国家」樹立以降、自国民を煽りその「総意」という大義が近代・現代の戦争には必要である。逆に言えば自国民が納得しない終戦のした方を為政者はできないし、それは為政者がもっとも怖れることである。戦争を煽った為政者自身の首を締めることになるからである。
 少なくともロシアの為政者は、戦争責任を問われたかつての日本の為政者の敗戦直後の屈辱を知り、ヒトラーの末路を自ら演出したからこそ、戦争を収めるのがますます困難になって、自分の首を締めているとしか思えない。停戦が実現しても経済破綻や国家の威信は地に落ち、ロシアという枠組が解体してしまうのはまぬがれないのではないか。
 戦争は勝っても負けても苦しむのは社会を支えている民衆である。その民衆に飢えを強い、生命を差し出させ、みずからの延命しか考えない為政者の牛耳る政府や国家には退場してもらうしかない。
 日本では、敗戦直後の処理の最中に東西対立・冷戦構造ができ、戦争責任が不問にされてしまった。A級戦犯が復活し、侵略した国への謝罪と反省がないまま、経済復興がアメリカの後押しで優先されて、賠償も放棄された。日米地位協定も含めて、他国からはアメリカの属国としか見てもらえていない。
 そして昨今、「侵略が進出」に代えられ、「アジア解放の大義が復活」し、沖縄の集団自決は「自発的な選択」とされ、「自衛のための敵基地攻撃」が声高に言われるまでになった。
 だがしかし、すべての戦争は「自衛」のために始まる。私はウクライナの人々の抵抗のあり様に注文をつける気は現時点ではない。それはウクライナの人々の選択が優先されることは確かだ。しかしながらいづれウクライナもまた「武器」と「戦争」という論理に振り回されるようにならないことを切に願っている。アメリカ・NATO対ロ・中の代理戦争と、消耗戦、核戦争への道筋は避けなくてはならない。武器だけではない抵抗もまた必要である。私はその抵抗に賭けたい。
 日本が攻撃を受けないための最低限の前提は何か、それは一世紀近く前の侵略戦争の反省をきちんと行い、戦争責任を明確にし、真摯な謝罪をすることである。それ無くして相手国の国民を含めて信頼は得られない。信頼無くして平和共存はない。信頼されないまま武力を増強するとそれは自衛と称しても、他国には脅威としかうつらない。「何を今更」ということばは通用しない。まずは真摯に誠意を相手に見せなければ話し合いは進まない。
 同時に日本は無差別都市空襲、原爆投下というアメリカの戦争犯罪の犠牲にもなった。この教訓もまた今の世界の紛争拡大局面の中で、強いイニシャティブを発揮できる糧にしてほしい。この動きがまた他国からの信頼の獲得に繋がる。例えば「窮鼠猫を噛む」北朝鮮の為政者には、日本に武器を向けると世界を敵に回してしまうという意識を持たせることの努力が必要なのではないか。その見通しをつけるのが外交の手腕である。
 日本も今からでもきちんと戦争責任を明確にし、責任を取り、アジアの国々さらに世界各国に信頼されるようになってほしいと思う。残念ながらかつての大日本帝国と戦後日本は憲法上は断絶しているが実態は断絶していないのである。未だに首相ですら明治憲法下の初代伊藤博文から通算で数えていることでもそれがわかる。こんなことすらできないのでは他国からの信頼など得られることなどできない。「建国記念の日」があったり、「神の国」発言をする政治家が選ばれるようでは無理である。

 


ゴールが見えてきた

2023年02月25日 11時25分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースは面積としては8割あまりまでは完成。裏面は完了した。おもて面が残っている。なんとかゴールが見えてきた気がしてきた。
 これより出かける。夜にもう少し進捗をはかれるかもしれない。記事の項目は決まっているし、内容の目途もついてきた。

 朝から根をつめてパソコンの前で作業をしていたら、とても肩が凝ってしまった。これをほぐすように肩をゆっくりと回しながらバス停まで。人と会う間も続けたいが、相手に失礼になってしまう。自重。

 


モーツアルト弦楽四重奏曲第20番、第21番

2023年02月24日 23時21分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 日比谷野音の集会から横浜に戻り、一人で夕食を食べながら軽く2杯をいただき、つい先ほど帰宅。
 天気予報では雨は時間雨量1mm程度ということであったが、集会の途中からは5mm程度の本降りの雨になってしまった。弱い雨の予想だったので合羽も用意せずに座っていたので、お尻から濡れてしまった。また傘の滴でダウンコートもかなり濡れた。
 デモは傘を差して足をひきづりながらではつらいので途中でお暇を貰った。



 帰宅後は本日の昼間に続いて、モーツアルトの弦楽四重奏曲の第20番と第21番。第21番、第22番、第23番は「プロシャ王」と呼ばれている。晩年のモーツアルトの傑作の一つと私は思っている。プロシャ王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世に献呈される予定であったが、生活苦でそれが叶わずごく安い値で出版されたようだ。
 第21番と第22番はチェロを得意としたヴィルヘルム2世を意識して、チェロが充実しているという。確かに低音の重みがあり、曲全体に厚みがある印象である。
 「ハイドンセット」や「プロシャ王セット」に含まれない第20番は、線が細く感じる。悪くいえば印象が軽い。具体的な理由を示せと言われるととてもできないのが悲しい。
 プロシャ王セットは私の好みの曲想である。


今夜は雨

2023年02月24日 16時21分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝から退職者会ニュースの原稿づくり。パソコンの前に座っている時間は長いのだが、なかなか進捗しない。ようやく面積で全体の70%程度ができあがったところ。日曜日までにはできあがらないと間に合わない。なんとかなるだろうという楽観的な思いは捨て去って、少々焦り始めている。
 しかしいくら焦っても前には進まないのも事実。今晩はこれから出かけなくてはいけないし、明日は午前中しか作業ができない。日曜日の一日に3月号の出来がかかっている。
 本日も書き写しは150字程度を昼食前に行った程度。隔月刊の退職者会ニュースができあがらないと何事も前に進まない。年に6回の悲鳴、今年の最初の悲鳴である。

 外は寒くそして既に雨が降ってきたようだ。天気予報では15時から24時まで雨が降ることになっている。雨は1ミリ未満という予報である。傘だけでしのげそうである。


「プラハの春」から56年

2023年02月23日 22時53分21秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 ごく短いながら「古今和歌集仮名序」の書き写しの続き。100字に満たない段落だったが、まったくしないよりはいいだろうと思い写した。本日の個所はひらがなが割と多く、漢字は少ない。
 漢字、仮名の歴史の中で私がいつも感心するのが、音や訓の区別というよりも、訓読みの場合の送り仮名という発明である。平安時代初期には既に現在に通じる送り仮名の基本ができあがっている。この仮名序でも送り仮名の現在に通じる送り仮名のあり様が伝わってくる。この送り仮名が確立して、漢字が日本語の表記に定着できたと思う。

 さて、明日はロシアのウクライナ侵攻から1年。「ウクライナに平和を」ということで日比谷野音での集会がある。雨が降る天気予報になってしまったが、明日は退職者会の責任者の一人として参加予定。
 集会のスローガンは、「ロシアの即時撤退、原発に手を出すな、核使用という恫喝は許さない、すべての戦争と戦争準備に反対」となっている。主催は「戦争をさせない1000人委員会」等の3団体。東京駅までの銀座デモは膝の具合を見ながらの判断。

 ウクライナ和平の前提はどう考えても、ロシアが軍を撤退させることが前提になる。これではロシアは納得しないので、和平の提案にはならない、という意見があるが、武器を持たない私たちは、このような世論を盛り上げるしかない。
 1967年のプラハの春から22年後の1989年、チェコスロバキアのビロード革命がいつも私の頭の中にある。1967年のロシア軍戦車部隊以上に凶暴なロシア軍ではあるが、戦車で人を支配することはできない。このことを22年かけて証明した世界史的なチェコスロバキアの独裁政権崩壊、そして同じ年に28年間の分断の象徴だったベルリンの壁の崩壊と東ドイツ政権の崩壊、この教訓は大切である。
 歴史の教訓化が苦手と揶揄される日本であるが、そうではないことを期待するしかない。いくら「甘い幻想」と言われようと、若い人に伝え、そして手放したくない教訓である。
 


三日月と大型クレーン

2023年02月23日 20時29分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日はどこにも出かけずにパソコンと格闘で一日が終わってしまうかと心配していたが、歩いて10分ほどのところにあるドラッグストアにティッシュペーパーとトイレットペーパーの買い出しを頼まれた。往復で3000歩ほど。本日は初めての外出となった。
 しかし嵩張る二つの品物を抱えて帰宅してから、洗口液も無くなっていることに気がついた。再び買い物に出歩く気力は湧かずに来週に再度購入することで妥協成立。



 帰宅途中で、ビルの建設現場から大型クレーンの先に三日月を見つけた。もう少し昏くなると、月の下側に木星と金星が見えてくるのであるが、この時間ではまだ空の明るさに溶け込んで見ることができなかった。

 これより、マスクの細工と古今和歌集仮名序の書き写し、そしてもう少し退職者会ニュースの作成を続けてから本日の作業は終了予定。


モーツアルト弦楽四重奏曲第19番

2023年02月23日 14時58分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 退職者会ニュースはやっと面積で6割余りができた程度。なかなかはかどらない。写真の処理も同時に行っているためであろうか。また図版に少々凝った細工を施し過ぎたためであろうか。凝り性の私のこだわりが強すぎるのかもしれない。
 疲れたのでひと休み。そとはなかなかいい天気である。団地の遊び場からは子どもたちの声が、陽の光りのように明るく聞こえる。



 モーツアルトの「ハイドンセット」の第18番、第19番を聴きながら作業をしていた。第19番の冒頭の序奏がとても新鮮に聴こえる。今までも幾度も聴いてきたが、こんなに印象に残ったのは初めてのような気がする。「不協和音」という呼び方がされるようになったのが、この序奏部の不協和音に由来するとのこと。確かにモーツアルトらしからぬ曲想なのかもしれない。この序奏部から主題部にいたる転換にも驚く。こんなにも曲想が明るく転換されるのが不思議でもある


古今和歌集仮名序書き写し

2023年02月22日 22時26分36秒 | 読書

 本日は19日以来、久しぶりに「古今和歌集仮名序」の書き写しを行った。和歌を六つに分類ししている。その一つ目から六つ目までを書き写した。
 この六分類、漢詩の六義に拠った分類だが、六という数字に合わせただけで内容は別物。それも私にはよく理解できない。岩波書店の新日本古典文学大系の注を読んでも、よくわからないようだ。古注にも批判が出ている。これでは高校の古典の教科書に掲載できない、と思われる。教師も面食らいそうである。教えるほうも、教わるほうもこれは共に不幸になる予感がする。

 思い出すと私も高校の時にはここの部分は教わらなかった。自分で図書館で読んでみてわからなくて放り出した記憶がかすかにあるような、ないような‥。
 懲りずにこの先を続けたい。

 本日は市民病院の待合室で「知っておきたい地球科学」の第三章から第四章にかけてを読んだ。感想は後日。

 さて、一時間ほど前から横浜では雨が降り出した。予報よりも早く降り始めた。


春の陽射しを見つける

2023年02月22日 20時42分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 最高気温は10℃に届かず寒かった。それでも病院の帰りがけ、団地の近くの小さな祠の草地には、暖かい陽射しが差し込んでいた。
 明日は暖かくなるようだが、天気予報では金曜日・土曜日と雨のマークがついている。明日の明け方にも雨が降るらしいが、昼間は太陽が顔を出すとのことである。

 明日は昼間は退職者会ニュースの原稿づくり。今晩はもう少し記事を書いてから作業終了。出来上がるまではいつものことであるが落ち着かない。