Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

錦糸町で軽く一杯

2013年03月31日 23時45分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
      

 すみだトリフォニーホールの演奏会が20時に終了。21時までかかるかと思ったが早めに終了した。
 結果としては第一部が12時から14時、第二部が16時から18時45分、第三部が19時から20時。しかし充分シベリウスを堪能した。いい日曜日であった。
 14時から16時の休憩を利用して両国駅まで往復2.時の5キロ、17時45分から19時の休憩に亀戸駅まで往復1.2キロを駅前の「北斎通り」を歩いてエコノミー症候群対策。
 なかなかいい町並みと感じた。

 残念ながら大納言様とは接近遭遇することはなかった。

 しかしながらこの津軽稲荷神社、駅前の解説に江戸時代の言葉として「本所に過ぎたるもの二つあり、津軽大名、炭や塩原」とあるが、これはどのように理解したらよいのだろうか。本所に津軽大名=弘前藩という東北辺境の田舎大名がふさわしくないというのか、それとも本所・深川という末端御家人の屋敷が並ぶ決していい環境ではない箇所に大名屋敷の上屋敷・中屋敷があるのがふさわしくない、というのだろうか。前者とすると東北の地をずいぶん虚仮にした言い方であるが、後者ならばかなり自嘲的な云いである。
 津軽神社には町内会館が併設されていてその案内標識に「津軽藩下屋敷跡」と記され、駅前の表示には「中屋敷跡」とある。上屋敷以外は非公式の屋敷地だから中・下はそれほど厳密でもないし、時代によって代わった可能性もある。あんまり細かいことを記載すると嫌われるけど、でもちょっとだけ気になった。

<追記>葦原の山姥様から、「Fsさんの解釈は穿ち過ぎと思いますよ(笑)。これは塩原多助を津軽藩と列び誉め称えたもので、津軽藩を貶めたわけではないでしょう。‥圓朝が噺のモデルに選んだくらいですから、憧れをもって広く人々に知られていた人物だったのかもしれませんね」とご指摘を受けた。どうもこのご意見の方が正しいようだ。私の不明・穿ちすぎでした。ご指摘ありがとうございます。

   

 もう一つ気になったのが、野見宿禰神社。神社といいながら、境内は閉じられていて一般の参拝を許していない。どういう理由かはわからないのだが、相撲協会の参拝もあるという中で、こんなに人を寄せ付けようとしない神社の在り様にビックリ。事件や事故、施設への悪戯があったのだろうか。あの程度の柵では入ろうと思えば入れるので、悪意のある進入は止められない。
 wikiには「なお、以前は境内は相撲ファンや観光客に広く 公開されていたが、現在では協会の閉鎖性を象徴するように固く門を閉ざし、関係者のみしか 境内に立ち入ることができなくなっている」などと記載されてしまっている。ここはひとつ管理者である相撲協会に人を配置してもらって公開してほしいものだ。歴代横綱之碑は辛うじて見えたが字を読むことが出来るほどには近づけない。
 


 この近辺の桜は今が見所だったようだ。写真は緑川公園。横浜の方が少し早く満開を迎えた。なかなか桜の木が多く、楽しむことが出来た。錦糸町駅前の錦糸公園の桜も見事であった。公園の中にある千種稲荷の灯明の赤色が妙になまめかしく目に付いた。この頃にはあたりは暗く、携帯電話のカメラではこの桜も千種稲荷の雰囲気も写らなかった。残念。

 同時にこの駅前の北斎通り、街路灯もユニークなデザインで統一しており、いい雰囲気だ。北斎の版画や絵を街路灯の下部に貼り付けている。本所割下水(現在の墨田区亀沢)に生まれた北斎を街づくりに位置づけているということらしい。

   


 休憩時間に歩いたのと、横浜駅から自宅まで歩いたので、結局本日は24000歩を歩いたことになり、目標を達成できた。


シベリウスの室内楽曲

2013年03月31日 10時56分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日はシベリウスの弦楽四重奏をはじめとする室内楽曲の演奏会。シベリウス協会というところが主催。昼の12時から夜21時位までか。全10曲の長丁場。これで前売り券3000円とうれしい価格。
 場所は錦糸町のすみだトリフォニーホール。初めて行くところだ。錦糸町まで横浜から約40分。ちょっと遠い。21時までかかるとして、夕食をとって帰宅すると23時過ぎだろうか。
 感想は明日に・・

 

花冷え

2013年03月30日 15時21分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中走りにでようとしたら、妻からリクエストの相談。ジョギングコースの途中にある味噌製造会社で「月に1回の味噌やキムチの工場直売会をやっているから、何か購入してみたら?」とのこと。
 いつものコースを行って折り返してしばらくしたところにその会社はある。しかし品物を購入した後は歩いて自宅にもどることになる。自宅から折り返し点を過ぎてその工場までは約5.5キロ、その後自宅までは約3キロ。汗をかいた後に荷物を持って歩いて帰ってくると寒さで風をひいてしまわないかとちょっと躊躇したが、「好きなものも買って来ていいよ」の一言と、私も以前から除いてみたいと思っていたこともあり、承諾してしまった。
 といっても今さら好きな味噌といわれても特に思い浮かばない。そして味噌の販売価格の相場も知らない。おいしそうだと思ってもそれが安いのか、高いのかの判断も出来ない。そんな状態のまま、お札数枚を持って走り始めた。ここら辺が自分でもよくわからない、私のいい加減さだと思う。
 昨晩かなり散ってしまった桜の残りの風情を味わいながら走った。寒いけれど、ゆっくり走っているうちに心地よい汗が出て来た。折り返し点を過ぎ、その味噌製造会社にたどり着くと工場の入口にテントを張って販売している。月に一度そのような催しをしているのはポストに入るチラシで知っていたが、ジョギングコースから約50mほど奥まったところにあるので、実際にやっているところを目にしたのは初めてだ。10人近くの人が訪れていただろうか。
 会場の前でウィンドブレーカーを脱いで汗がひくまでしばらく待ってから、敷地に入っていった。社員からは「この寒さでTシャツ一枚を着て、手にはよれよれのウィンドブレーカー、ちょっと怪しい人」と思われたかもしれない。人の眼がかなり恥ずかしかった。
 まず、おいしそうなキムチを3種類見つけて、白菜キムチをゲット。次にいよいよ本命の味噌のコーナーに。麹味噌や田楽味噌、辛味味噌などがパックに入っていたので、生の野菜をつけてつまみにするのに良さそうな田楽味噌をゲット。麹味噌と両方試食してみたが、この田楽味噌の方が生の野菜をおいしく食べられそうだった。
 次に「江戸甘味噌」が目に付いた。戦後途絶えかけていた味噌だったらしいが、復活したと以前に聞いたことがある。麹の甘さがいいらしい。味噌のバックを買わなかったので、米・大豆・食塩・酒精だけの原材料であることを確認の上、500グラムで500円のパックをゲット。
 最後に神奈川県で栽培されている「津久井在来」という品種の大豆を使ったという味噌のいわれを書いたチラシが目に付いた。この品種の大豆はあまり生産されていないらしい。そういうこだわりというのはなかなか惹かれるものがある。ということでこの味噌を500グラム入りの包み600円也のパックをカゴに入れた。
 その他酒のつまみになりそうなものもあったが、もう重く感じたので会計をしたら1880円。一番高い味噌で1キロ1800円だったか、これは遠慮した。
 妻に言わせると、我が家ではスーパーで500グラム400円くらいの味噌を買っていたとのこと。

 案の定、汗をかいた体が冷えてきてちょっと寒く感じたので、できるだけ早く残りの3キロを歩いて帰宅した。家につく頃には再び汗も出て来て、体は冷えてしまうことはなかった。

 昼食前に田楽味噌を一匙舐めてみたが、なかなかいい。豆腐に乗せても、そのままでも、野菜につけても、焼味噌にしても良さそうだ。応用が利きそう。塩味はほとんど感じない。味の強く感じる日本酒にも焼酎にも合いそうだ。
 江戸甘味噌も「津久井」という名の味噌もまだ、封を開けていない。ちょっと楽しみだ。

 そろそろ出かけようと外の様子をみるとさっきより一段と冷えていそうな感じだ。だんだん冷えてくるのだろうか。花冷えという言葉がぴったりの一日だ。


桜吹雪

2013年03月29日 21時29分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 暖かい上に風が強い一日、とうとう私の団地内外のソメイヨシノもこの風ですっかり散ってしまったようだ。道路にうずたかくといっても大げさでないくらいに花びらが堆積している。
 とうとう4月の声を聞かないうちにソメイヨシノが散ってしまうことになった。不思議な感覚だ。

 昼前に二週間に一度のかかりつけの医院に出向き、一日1回の高血圧の薬を処方してもらった。前回計測したら120-70ということで、「二週間後にも同じような結果だったら薬は再度中止してみようか」ということだった。今回計測したら126-75という値。医師いわく「130-85なら間違いなく処方するのだが、微妙なところかな。服薬していてこの値ということは‥」としばらく考えてから、「もっと弱い作用の薬で二週間様子をみようか」との診断。私としては服用は中止したかったが、とりあえず医師の判断にしたがってみることにした。二週間後にどうなることやら。

<今晩の団地の桜>
   

 明日は夕方から中・高校の同窓生何人かと脳梗塞で倒れたM君を見舞いに転院した病院に行く予定。

夜の桜見物

2013年03月28日 22時57分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日夕刻にジョギングに出た時は大変暑く、ウィンドブレーカーを着ていたのだが、蒸し風呂のようになって辛かった。この気温では、半袖のTシャツに半ズボンといういでたちでも十分であった。
 さらに夕刻のジョギング以外ほとんど体を動かしていないので、先ほど1時間ほど自宅の周囲を軽く汗ばむ程度にウォーキングをした。夜も遅いので別のウィンドブレーカーを着て出たがこれでも暑かった。
 21時過ぎから22時半近くまで歩いたが、途中ジョギングをしている人にずいぶん出会った。同時にこの時間だから仕事帰りの男女の勤め人が多く行き交い、酔っぱらいもかなり歩いている。やはり1月や2月とは違い、人の歩く姿も春らしくゆったりと感じる。

 さて下を見ながら住宅街を歩いていたら、道路が白く浮き出て見えた。よく見たら桜の花が散って積もっていた。はっと思って見上げると、防犯灯に照らされて桜がボーっと浮かび出るように空にあった。家の傍の公立中学校の校庭に差し掛かっていたのだ。しばらくこのソメイヨシノを見上げていたが、防犯灯のほのかな明かりに照らされた桜というのもなかなか情緒がある。暗い住宅街なので余計に夜空に浮かび上がって見える。新しい発見がうれしかった。
 それにしても春休みの無人の学校に散ってしまう桜というのは、さびしさがある。

そろそろ活字が恋しくなってきた

2013年03月28日 17時59分45秒 | 読書
 昨夕から瞬間的だが39℃を越える熱を出した母を、今朝10時過ぎに近くの総合病院に、タクシーで連れて行ったものの、診療が終わり帰宅したのは13時過ぎ。さいわい総合感冒薬+αの処方で済んだのでほっとした。
 本日は気温も上がり、花見日和であったが、墓参りは来週に延期。しかし病院の周囲の桜もまた見ごたえがあり、順番を待っている間に病院をひと回りして目の保養になった。

 昨年4月以降、読書があまり進まなかった。各種講座に追われたり、体力づくりに精を出したり、旅行に、山行にあわただしかったが、それは理由にはならない。さぼっていただけのような気もする。
 俳句の結社誌は目を通している。しかしそのほかでは美術展の図録の解説や各種リーフレットなどずいぶん目を通したが、読書らしい読書から遠ざかっていたなぁと反省している。購入した本はいく冊もあるのだが、目を最後まで通していないで、机の上にたまっている。
 そんなこともあり、とりあえず読み安い本からということで、「西洋美術で読み解くキリスト教の謎」(田中久美子、宝島社)と「名画の謎-旧約・新約聖書編」(中野京子、文芸春秋)を昨日から、本日の病院での待ち時間に読了。
 エルグレコ展やラファエロ展での感想に訂正というか、認識不足であった点を追加しなくてはならなくなった箇所がある。二点ほどをそれぞれのところに加筆することにした。
 まず、エルグレコ展の感想の中で、最初に「受胎告知」の絵についての感想。「解説では欄干と記載されているが、この壁のようなものは室内をあらわすのかはんぜんとしない」と記した。確かに室内か、バルコニーか、中庭か判然といないのだが、この「区切られた空間設定」というのは、マリアの懐胎の無原罪性=処女懐胎の舞台設定の一つの要素ということなのだそうだ。
 次に、ラファエロ展で、人物の衣服の「赤」が効果的である旨を記した。聖母像にも赤があることを記したが、聖母の衣服は赤と青という決まりがあるとのことであった。
 いづれも特に間違いや頓珍漢の感想ではないが、そのような決まりごとがあったということを本日中にそれぞれの記事に加筆することにした。
 西洋絵画の解説書としてはもう一冊「名画の謎-ギリシャ神話編-」(中野京子)も購入してあるのだが、これはちょっと後回しにして、本日の午後は「百年前の日本語」(今野真二、岩波新書)を読み始めた。ちょっと私の期待や問題意識とは違うが最後まで読み終わってから感想を記してみようと思う。
 少しずつ、机の上にたまった本を片付けていかなくては収拾がつかなくなる。

温奴とホウレンソウサラダ

2013年03月27日 23時09分13秒 | 料理関連&お酒


 またまた久しぶりになってしまったが、夕食にチャレンジ。
 私の夕食献立は、こだわりのメニューやレシピがあるわけではない。普段ごく当たり前に供されるようなメニューのように飽きが来なくて、簡単に作ることが出来て、食材に偏りがなければいいという程度である。凝った料理や見た目の鮮やかさなどは考慮の外だ。どちらかというと肉より魚が多いと思う。そして出来るだけありあわせの材料で出来るようにしている。ただし煮込み料理や揚げ物は少ないと思う。1時間位、かかっても1時間半以内に出来上がるものをめざしている。また揚げ物や煮込み料理は苦手なので、あまり出てこないと思う。時には挑戦したいとは考えている。
 なお、妻の料理に不満があるわけではなく、料理の献立を考える楽しみ、材料を確かめたり買出しをする楽しみ、作る楽しみ、食器を並べる楽しみ、片付ける面白味を、忘れたくないためである。妻から言わせると、「私がボケたときに何も出来ないと困るから少しはなれときなさい」ということになり、私から言わせると学生時代の調理の経験を忘れないためということになる。

 さて本日はサーモンのバター焼、温奴、ホウレンソウサラダ、納豆。特にこれといった珍しいものはない。当初は納豆は予定に入っていなかった。納豆の賞味期限が切れかけていることに気付いて、あわてて食べることにした。

材料(2人前)
A.ホウレンソウサラダ
 ベーコン2枚、サラダ用ホーレンソウ2把、タマネギ1/2個、胡椒少々、ワインビネガー大さじ2杯、オリーブオイル大さじ1杯。
B.サーモンのバター焼
 サーモン2切れ、塩・胡椒少々、バターまたはマーガリン。
C.温奴
 木綿豆腐1/2丁、ネギみじん切り1/2本、ミョウガ1個、しょうが少々、かつお節削り少々、醤油少々。
D.納豆
 納豆1パック、ネギみじん切り1/2本、醤油少々。

作り方
A.ホウレンソウサラダ
1.ベーコンを幅5ミリから1センチ幅で切って、オリーブオイルを入れたフライパンでカリカリになるまで炒める。
2.サラダ用のホウレンソウは根元を切り落とし、長さ5センチくらいで切る揃えるて、皿に敷く。
3.タマネギは1ミリほどの厚さで輪切りにする。新タマネギであればそのまま。新タマネギでなければ軽く水にさらしてから水をきってホウレンソウの上に並べる。
4.タマネギの上から炒めたベーコンを油を切って散らす。
5.ドレッシングとしてワインビネガーにベーコンを炒めたオリーブオイルを加えて、よくかき混ぜる。

B.サーモンのバター焼
1.サーモンにはあらかじめ塩・胡椒を両面に軽くふっておく。
2.フライパンにバターまたはマーガリンを入れ、1を乗せ焼く。マーガリンを使う場合はバターのときより少し塩を多めにふっておく。
3.焼きあがったあとの油をAの5に大さじ1杯分加える。

C.温奴
1.豆腐(好みで絹漉しでも木綿豆腐でも可)半丁を鍋に入れ水からあたため、お湯が沸騰する直前に火を止める。
2.ネギ、ミョウガ、ショウガをみじん切りにする。
3.削り節は食べる直前に削る。

D.納豆
1.薬味としてネギのみじん切りをかける。

 私は豆腐のこだわりは木綿豆腐なので、今回も木綿豆腐とした。奴豆腐にかける薬味も私は多いのが好みだ。野菜サラダとして食べるように多めに作るのが私のこだわり。ネギ、タマネギ、ミョウガ、オクラ、大葉、海苔、ヒジキ、ニンジンの細切り、大根の葉等々なんでも大量にかけるとおいしい。以前に生のナスをみじん切りにしてかけて食べてみたがとてもおいしかった。
 ドレッシングには冷蔵庫の片隅にあったワインビネガーが目に付いたので今回使ってみた。特にこれにこだわりがあったわけではないので、食用酢であればかまわないが、ベーコンを炒めた油、サーモンを焼いた油を使ったのであっさりした酢がいいのかと思った。
 ドレッシングにサーモンを焼いた後の油を使うのは、生臭くなるのではないか、あるいは味がくどくなるのではないかと心配したが、特にそのようなことはなかった。
 納豆まで食するとやはりちょっと量が多かったが、残すわけにはいかないので食べてしまった。

 夕方になって、母親が熱を出してしまった。私のつくっている横で、母がたべやすいように妻がタマネギをまるごと使った野菜スープを作った。狭い台所で二人であわただしく食事を作った。


 そういうことで、明日の墓参りはまたも延期となった。来週まで延期とするしかないので、急遽叔母二人にも電話入れ。少々あわただしい夕刻となった。

墓参りは延期

2013年03月27日 12時08分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 雨と低い気温‥本日の墓参りは中止。明日に延期とした。しかし明日の天気も心もとない。明日、気温は19℃まで上昇するものの、曇りで午後の降水確率は30%となっている。多磨霊園、いつも横浜の中心部や23区よりは気温が低いらしく、桜の開き具合などにも差があるのが判る。どちらかというと八王子に近い気象環境なのだろう。
 多磨霊園の桜はなかなか見事だ。人があまりいないし、広いし、車もほとんど通らないので好ましい。シートを敷いて宴会をするわけではないので、ゆっくりとのんびりと、桜と他人のお墓の造作を見学しながら園内を歩いてくる。時には有名人のお墓をちょいとのぞいて来る。時々、有名人のお墓を巡る散策の人と行き違うことがある。昔は霊園に管理事務所があり、平日は人が常駐して案内をしてくれたり、著名人のお墓の場所を記載したパンフなども配布していた。今では事務所の建物もなくなってしまった。
 横浜から行くのは遠いのだが、一年に二度訪れる場所としてはこんな環境のいい場所はまずない。

 いつもは横浜からJRなのだが、今回は東横線-副都心線の直通を利用して新宿三丁目駅で新宿駅への乗り換えを考えている。年寄りを連れて行くので最短距離を探さなくてはいけないが、とりあえず現地で考えるしかない。乗り換え時間は約20分あるので何とかなるだろう。

桜前線

2013年03月26日 20時49分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は少々飲みすぎたので、本日は自粛。朝から家に閉じこもって宿題となっていた「ラファエロ展」の記事をようやくアップした。しかしうまくまとまらなかった。ラファエロ、どうも私には高貴すぎるような気がする。出来すぎていると言っていいのかもしれない。
 どこか破綻というか、大きな冒険というか、破天荒というか、そんなところがある方が私の性にはあっている。

 パソコンと睨めっこしているうちに、夕方になってしまい、あわててジョギングに出かけてきた。夕刻に走るのは珍しい。朝か、せめてお昼前、時々夜も走るが、これは酔っていることが多いのでウォーキングにすることが多い。
 夕方というのは勤め人の帰宅ラッシュや学校の部活の終了時と重なり歩道がいっぱいで走りにくい。また車道の排気ガスが嫌だ。特に中学生・高校生の集団の行儀の悪さには腹が立つのでこの時間帯は避けることにしている。本日は中高生の集団には出会わなくて良かったが、退勤時の車の渋滞には出くわした。そして排気ガスを大分吸わせてもらった。ちょっと不健康だったかもしれない。
 昼間は日も出て暖かであったが、夕方日がかげると寒い。まだまだ3月の下旬なのである。
 桜前線は多少は停滞したが、着実に北上している。「もう少しゆっくり」と声をかけたいのだが‥。

 明日は、多磨霊園に墓参に出かける予定。桜はどうなっているのだろうか。横浜よりは寒いのでまだ持っているかもしれない。


「ラファエロ」展感想

2013年03月26日 16時38分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 3月22日、桜に誘われるように上野に出かけ、国立西洋美術勧で「ラファエロ展」を見てきた。混雑が心配だったが、思ったほどではなかった。それでも人の並ぶ隙間から絵をのぞくことも多かった。ラファエロなどの絵はイタリアにでも行って実際に見る機会でもない限り、実際の絵を見る機会はまずない。案内書や美術全集やネットで見るぐらいだ。

 1月の末にエルグレコ展を見ているので、どうしても対比して見てしまう。両者の、実際に絵画制作などで活躍した時代を比較すれば、ちょうど1世紀の隔たりがある。ラファエロはイタリアのルネサンスの最盛期を代表する画家。エルグレコはマニエリスム後期の画家あるいはバロックの画家であるとされている。
 1世紀という時間の差はかなり大きい。ヨーロッパは内部で激動の時代を経ている。ラファエロの亡くなった1514年の直後、1517年にルターのカトリック批判が公然と開始され、キリスト教をめぐる環境は大きく揺れ始める。しかもスペイン王も兼ねる神聖ローマ皇帝カール5世が1527年にはローマに侵入し略奪の限りをつくしたという時代に突入する。このカール5世の軍の兵士にはルター派の信者が多くいて軍の統制が取れなくなったのが一因とも言われる。
 宗教改革によってスペインのフェリペ2世は皮肉にもエルグレコの時代にはローマカトリックの後ろ盾としての地位を確立している。

 以下、私のあくまでも偏執的なエルグレコ観であり、ラファエロ観であることを承知をして読んでほしい。

 このような時代の中で、ローマカトリックの強い影響の下にいた二人の画家の展覧会を見る機会を得たのだが、私はエルグレコのあのうねり、長大化した破壊的ともいえる人物像や画面の構成に圧倒された。
 正直にいうと、ラファウロのどちらかというと静かなたたずまいの人物造形には、それほど心を揺さぶられなかった。ラファエロ、どうも私には高貴すぎるような気がする。出来すぎていると言っていいのかもしれない。
 どこか破綻というか、大きな冒険というか、破天荒というか、破壊的というかそんなところがある絵が私の性にはあっている。

         

 ラファエロの絵を見て私は「赤」、それも衣服・布地の赤が大変印象に残った。当時の高位の男性は公式な場面では赤の衣服を着用したのだろうか。男の人物像にこの赤の衣装が多いように感じた。しかしこの展覧会で、聖母子像のマリアや父なる神、あるいは他の女性などにも赤の衣服が使われているのに気づいた。そしてこの赤がとても効果的に画面を引き締めいてるように思った。エルグレコの絵では赤・黄・青・緑がバランスよく配置されているのだが、私が今回見た限りでは緑はラファエロではあまり使われていない。他に印象的な色はうすい青があり、ラファエロは効果的に使っているのではないだろうか。

<追記>(以下3行)
 後日教えてもらったのだが、聖母の衣装は赤と青という決まりとなっているとのことであった。ラファエロをはじめ、この赤と青についてはそれぞれの画家の個性がよく滲み出るように思う。

 人間が人間らしく、劇的な動きの中で表現される15世紀のルネサンス絵画は遠近法と人間性を軸に一世紀の間に飛躍的に絵画の世界を変容させたと思う。人体への解剖学的な探求と現実を、画面での効果的に融合させようという努力が多くの画家によって試行錯誤された。その頂点がダ・ヴィンチであり、ミケランジェロであり、そしてラファエロということなのだろう。ラファエロの1500年代初頭はまだ、現実の肉体と画面構成との間で矛盾をきたすように、現実の肉体表現が大きくゆがめられたり、実際にはありえないポーズもあるが、最晩年になるにしたがいそのような破綻のような印象はなくなってくる。
 どの写実的な人物像も、聖母子像もごく自然な姿態に描写されるようになる。夭折した天才画家という評価だが、やはり発展過程で亡くなったという感じはする。
 一般的にはあのふくよかな赤子の造形に多くの人が惹かれる。決して現実の赤子とは同じではないが、しかし絵の中ではごく自然な造形に見えて、しかもほほえましい。ある意味ルノアールの女性像のようにあまりに整いすぎて現実味を失うような危惧すらしてしまう。
 ミケランジェロの影響を受けて、よりドラマチックに、より勇壮に変容しようとしていたラファエロの画業が死によって断絶したのは私にはとてもさびしい。もっともっと飛躍があったのではないだろうか。

 展覧会では有名な「大公の聖母」に人だかりがしていた。この絵、人の肌の色と青と赤の三色ぐらいしか目に付く色はない。あとは黒い背景の中から浮かび上がってくるように人物が静かにたたずんでいる。人物を浮かび上がらせるように、スポットを当てたように人物を描いたのかと私は思っていた。
 解説を見たら背景の黒は後世の書き込みとのこと。エックス線写真による解析では、背景にはダヴィンチのモナリザのように、ルネサンス期の特徴の背景が描かれていたとのこと。ちょっとビックリした。同時にこれは是非その当時の復元も見たいとは思ったが、不可能であるらしい。この背景の黒を消すことも技術的に無理なようだ。しかし長年、この黒がいい、と思っていた私はとても不思議な感覚に襲われた。
 さて、これは是非イタリアに行って見たいのだが、「アテナイの学堂」などの4部作のフレスコ画があるヴァチカン美術館の「署名の間」。これはミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画にある「天地創造」などともに、見逃したくない。

 展覧会では、建築家としてのラファエロにも光をあて、さらにはギリシャ時代の遺跡の保存などにも力をいれたラファエロという人物像にも言及がある。当時画家は、絵画・建築装飾などの総合的な工房の主宰者として活躍していたと聞く。そして版画を手がけ自らの絵画がヨーロッパ全体に広がり、名声を獲得していったとのこともよくいわれる。そのことを再確認して、会場をあとにした。


昼間は雨、夜は風が少しばかり・・の1日

2013年03月25日 23時29分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は雨模様の肌寒い1日。傘が必要なのか、そのままで歩いていいのかの境界のような降り方であった。
 早すぎた桜前線も停滞・・・・もう少し停滞しないと、あまりに早すぎる。

 スッカリ酔ってしまって、今目が覚めた。これは少々情けない。明日からはシャキッとと決意して、再度寝ることに・・。

 風が出てきたようだ。
 

廣江理枝オルガンリサイタル「展覧会の絵」ほか

2013年03月24日 22時14分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
               

 横浜みなとみらいホールで「廣江理枝オルガンリサイタル」を聞いてきた。みなとみらいホールは音響効果が気に入っているが、備え付けのパイプオルガンの演奏を聞くのははじめてである。みなとみらいホールには演奏会は幾度も聞きにいっているのだが、オルガンはなかなか機会がなかった。何回か聞こうとしたが、その都度予定がうまく合わずに15年が過ぎてしまった。
 オルガンの演奏会はかなりの頻度で行われているのだから、聞く機会はいくらでもあったと思う。しかしなかなか重い腰が上がらなかった。オーケストラや、そこで使われる器楽の演奏は時間と金額の折り合いさえつけば問題が無い。しかしオルガンとなると普段聞きなれていない分、ちょっと躊躇したり、二の足を踏んだりしてしまうのだ。
 実は横浜美術館の会員への案内があり、しかも1割引でチケットが手に入るということで、2年前の3月17日に同じ演奏者のリサイタルを事前に申し込んでいた。しかしあの東日本大震災で中止・延期となっていたものである。払い戻しを受けて、もう中止となっていたと思っていたら、再び横浜美術館の会報とともに案内が来た。今回もいい機会だと思い、申し込んだ。
パイプオルガンという楽器は知ってはいるが、その構造や音の特質などほとんど知らない。またどのような演奏家がいるのかもほとんど知識が無い。今回の演奏者である廣江理枝という方、チラシや解説のコピーを添付してあるとおり、とても活躍されている方だと推察した。
 またプログラムを見て、パイプオルガンの雰囲気をバッハからムソルグスキー、そして西村朗の1996年の曲までの幅の広い範囲で聞くことが出来るのも、素人である私にはいいのかな、と感じた。
 なお、このみなとみらいホールのパイプオルガンは「ルーシー」という名がつけられているそうだ。開館と同時にすえつけられたアメリカ製のものらしい。

 プログラムの冒頭のバッハのコラールは始めて聞いた。バッハのオルガン曲は旋律が時間的にずれて重なって進行していく対位法の音楽なので、和声法の音楽を聴きなれた私などの耳にはとっつきにくい印象がある。なかなか曲自体の美しさに身をひたすということにならないもどかしさがある。それでもあのオルガンの聴講な響きは魅力的だ。耳が対位法に慣れ親しまないうちに終了してしまったという感じだ。
 2曲目の西村朗の曲は、18世紀初頭のバッハから一挙に21世紀まで飛躍しての曲なので少々面食らうかと思ったが、そんなこともなくなかなか面白かった。一度しか聞いていないので、何とも詳しく感想がかけない。しかしもう一度聞いてみたいと思ったことは確かだ。和声法によった少し古風な曲らしく聞こえたが、バッハの後に聞くととても新鮮に感じた。曲の構成の特徴などわからないが、1996年ごろからバッハの曲の編集などを手がけていたという。バッハの曲の次に演奏するのにはふさわしいものだったのかもしれない。
 次のブラームスのコラールはバッハのコラールとはずいぶん違ったいる。これもはじめて聞く曲だが、最後がとても美しい旋律の曲だった。ブラームス最晩年の曲にふさわしい楽想・旋律なのだろう。
 リストの「レ・プレリュード」を聞いて、面食らった。もともと交響詩として管弦楽曲であり、これは聞いたことがある。そのイメージとまったく違う。これは、ピアノの編曲ともまったく違う、異質な音楽を聞くつもりで聴かなくてはいけないんだ、と納得したときには、曲の最後の場面になっていた。ただしオルガンの響きを十分に堪能した気分にはなれる。あの圧倒的な音量に身をゆだねることの快感を感じた。
 休憩後の「展覧会の絵」も前曲と同様、私はオリジナルな管弦楽曲やピアノ編曲の演奏は幾度も慣れ親しんでいる。オルガンとなると、元のおもむきとは本当に違う。管弦楽やピアノの演奏のようなメリハリの効いたリズム感や旋律の飛躍などは聞き取れない。重厚というか、重々しいというか、高音部を除けばメリハリの効いたリズムはない。まったく新しい曲として聞くしかないと感じた。
 パイプオルガンそのものは、レコード・CDでは幾度か聞いているが、実際に聞いてホール全体を震わし、腹に響いてくる空気の振動を感じるのとはずいぶんと差があるのではないか。今日は存分にそれを味わえたような気がする。ホール全体を震わせ、腹に響くといっても、最近の電子楽器や巨大なスピーカーのボリュームを目いっぱいにして鳴らす電気的な音とはまったく違う。鼓膜を破るような暴力的な音とはまったく違う。

 このパイプオルガンについて、構造や演奏についての基本的な知識を身につけたいとも感じた。4月から1ドル=100円コンサートとして毎月1回、お昼の40分ほどの演奏会が続けられるらしい。演奏家も曲もバラエティーに富むものなので、オルガンに親しむには面白い企画だ。

 このみなとみらいホールではいつも1回席の後方の中央付近で聴いてきた。今回初めて左右のボックス席の雰囲気を味わおうと、左側後方の二階のボックス席をとってみた。二階席の最前列だったので、1階がすぐ真下に見える。人工的な構造物の上では高所恐怖症のように膝がちょっと緊張して、目をつぶって音に身をひたそうとすると、不安になった。同じ二階席でも一番先頭は今後遠慮することにしようと思った。

 4時に演奏会が終了したので、昨年に続いてこのホールからすぐの掃部山(かもんやま)公園に桜を鑑賞に行った。掃部山公園は訪れていた人は特に多くはなかったが、それでもランドマークタワーをバックにしたソメイヨシノ、シダレザクラを盛んに写真におさめていた。若い人のグループがシートに転がって大分お酒を飲んだようで、奇声を発して大騒ぎをしていたので、早々に退散。近くの伊勢山皇大神宮の境内まで足を伸ばして桜を見てきた。


俳句誌6月号投稿句

2013年03月23日 23時49分47秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 俳句誌6月号投句
★透き通る輸液の管や春寒し
★春の雪いつかは朽ちていく鉄路
★枝垂れ梅放物線の先に川
★一輪を空に捧げて梅古木
★梅の花二時間したら咲くつもり
★紅梅や通奏低音ながながと
★仕舞屋に赤子の泣けり梅日和
★春光をつらぬく一羽峠道
★梅一輪衣一枚脱いでみる
★独りっ子けんけんぱっと桜咲く


次の6句はもう一度再考しようと思う。季語を動かしてみてもいいかもしれない。
☆春の雨墓誌の一行濡れており
☆梅が香や昴のひかり妖艶に
☆透明な樹液のながれ梅若木
☆雪解雫我が心拍と重なりぬ
☆卒業式元素の数も少し増え
☆断層の死活の議論辛夷咲く

 

ラファエロ展と上野・六義園・目黒川の桜

2013年03月22日 23時10分59秒 | 山行・旅行・散策
 本日は天候に誘われた気分で、出かけた。



 まずは上野の西洋美術館にてラファエロ展をじっくりと見て、上野公園の桜を一通り見学。西郷像まで歩こうとしたが、ものすごい人出にびっくりして都美術館の前の数本の桜を見ながら、国立博物館前の噴水前で東京駅で購入したおにぎり二個で昼食休憩。ラファエロ展の感想は別途掲載予定。



 その後、東京芸大のアートプラザに寄って自動販売機のお茶で一服。そして千駄木駅をとおり団子坂・大観音通り・本郷通りを経て六義園まで歩いた。初めての散策路であるが、戦災を免れた界隈ということで、古い木造の店やお寺が多く、落ち着いた散歩道である。これはまたの機会にじっくりと散策したいものだ。
 そしてそれらの古いお寺の境内ごとに大きな桜の木があるのがうれしい。そのいろいろな表情を見せてくれる桜が見ごろを迎えていて、楽しむことが出来た。桜は木造の家やお寺の建物によく似合う。くすんだ木の建物が桜の花に映えて明るく、温かく感じる。

   

 六義園は以前桜の開花時期が過ぎてから訪れたことがあった。入口近くの大きな枝垂桜の枝振りを見て、いつかは満開の桜の時期に来て見たいと思っていた。かなりの人ごみであったが、この見事な枝垂桜を堪能することが出来た。さらに池の周りをゆっくりと散策できた。心泉亭で抹茶と和菓子のセット500円で休憩もした。六義園は本日からライトアップということであったが、ライトアップは断念。チラシで見る限り、なかなか風情のある散策が楽しめるようである。

      

 六義園は「造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていた。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げた」という説明がある。江戸時代を代表する庭園ということらしい。

 六義園の散策後は、駒込駅からJRで池袋駅に出て、新しくつながった副都心線-東横線を利用して、今度は目黒川沿いの桜並木を散策。
 ちょうど会社のひける頃と重なり、大変な人ごみであったが、それでも人の流れはゆっくりであっても割とスムーズであった。沿道沿いは屋台は規制されて出ていなかったが、中目黒らしく洒落た洋風の店がワインや輸入ビールなどを売っていて、見学者の多くがプラスティックのワイングラスを片手にのんびり散策していた。上野の山で陣取って宴会している人たちよりは、少々若い人が中心だったような気がしたが、どうだろう。
 場所を占めての宴会は出来ないので、人の流れに乗ってゆっくりと桜を楽しむことが出来る。なかなかいい雰囲気だ。私も300円なりの赤ワインを飲みながら歩いた。店で売っているお酒やつまみの値段も安目。なかなかお洒落な散策となった。



 川沿いの桜は川側に思いっきり枝を伸ばして気持ち良さそうに花を咲かせている。都市河川としてコンクリートに覆われた川でも、桜が咲くとガラッとその表情を変える。人が目を奪われて大勢繰り出すのも理解できる。

 5時半頃、安いイタリアンの店を見つけて早いが夕食をとって、横浜に戻った。

周辺でブラブラ花見

2013年03月22日 06時03分01秒 | 山行・旅行・散策
 昨日は、自宅から近くの駅までのとおりの桜とチューリップなどの写真を撮りながら、ブラブラと歩いてみた。曖昧な記憶では横浜緋桜が植わっていると思っていたが、残念ながらそれは無かった。

 横浜緋桜を調べてみると

【生みの親】 桜の新品種作りに取り組んでいる白井勲氏(港北区高田町)。
【特徴】・花は赤みが強く大輪、下向きに咲く。
    ・染井吉野と同じように、葉の出る前に花が咲く。
   ・開花期が早咲き・中間咲き・遅咲きの3タイプ。(花の形態は同じ)
   ・早咲きは3月20日ごろから,遅咲きは4月10日ごろから咲く。
【経緯】1972年ごろに早咲き種の鮮やかな紅色の寒緋桜(かんひざくら)と病気に強い山桜(兼六園熊谷(けんろくえんくまがい)という種類)を交配させ、誕生。1985年1月「横浜緋桜」と命名。農水省に種苗法に基づく品種登録。

と記載されている。大きな幹から枝が出るのではなく、根元から幾本もの幹が出てくるので、幹を見ればすぐにわかる。横浜環状2号線の上永谷付近に幾本も並んでいて、よく鑑賞したものである。早咲きのものだったと思う。説明にもあるとおり鮮やかな紅色で、とても好きな品種だ。横浜公園にも植わっているので近いうちに見に行こうと思う。


 桜の写真の前にチューリップの花芯をいくつか並べてみた。チューリップは花の形愛でるものらしいが、私はこの雌蘂と雄蘂の配列が好きだ。妻に言わせるとあまり良い趣味ではないと言うが、花の美しさは雄蘂・雌蘂の神秘的な形態にもあると思っている。