Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

井上雅之展「光の貌」への案内

2017年09月30日 23時50分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 「光の貌」展、井上雅之氏ご自身から直接丁寧なご案内をいただいた。横浜市内の個展会場で説明をいただいてから、いろいろとお話をうかがう機会を得た。
 井上氏は雁皮紙に渋柿、墨、アクリル絵具を用い、丹念に色を重ねて、大気や水面でさまざまな表情を見せる光線を独自の色彩感覚と造形意識で捉えようと格闘している。そして深みのある色を追及している。
 私はこの光線の不思議な効果と、浮かび上がる色彩と楕円の緊張関係が気に入っている。さらに色彩そのものに深みをもたらす紫のグラデーション、楕円と黄色の関係も気に入っている。

 案内のリーフレットをスキャナーで取り込んだが、この深い色合いは残念ながら復元できていない。実際に目にしてこの独特の深い色合いを味わってもらいたいと思う。

 Rectangle(方形)シリーズは「物体とそのまわりの空気との力の関係、光線が物体を捕らえる緊張を表現した」
 See through(透過考)シリーズは「天空から降り注ぐ光は、照射や透過によって人間や自然を見抜くかのように浮き彫りにする。私たちのまわりで浮遊する光との緊張の表現に発展したもの」
 See through(MIZUKAGZMI)は「海や川の水、月や太陽の光、何億光年から漸くたどり着いた胞子や光、私たち人類の故郷を思い起こさせる。天空(宇宙)から降り注がれる光と身近な水面という大きな鏡の舞台で感じるものの表現」


 という作者自身のことばがなかなかいい。

 実は私は水面にあたる光の印象ではなく、遠くの銀河系宇宙や巨大な天体と、そこから発せられる光や重力波の広大なエネルギーが、私達にとどくまでに尖った先鋭なエネルギーが変化しつつ私たちの目にそっと届くまでに変容していくようすを連想した。光のエネルギーもまた遠大な距離を進むうちに生命体に受け入れられるように、その尖った角を丸めて、そして深みを増していく。そんな長い時間の経過を思わせる黄色の線が私には印象的であった。
 また、重力場を光が突き抜けていくような気分も味わった。そんな頓珍漢ともいえる感想を御本人の前で披露したことがある。きっと作者も面喰ったと思うが、にこやかに聞いてくれた。

 今回はどのような印象を私は持つのだろうか。私のその時々の意思のありように従って様々な表情を見せてくれる作品は嬉しい。特に苦心されているであろう色彩がどんなイメージを私に与えてくれるか、楽しみにしている。

 2017年10月14日(土)~10月22日(日)
 なるせ美術座:東京都町田市南成瀬4-7-4(横浜線成瀬駅徒歩7分)
        【http://www.narusebijutsuza.com/

「図書10月号」

2017年09月30日 21時03分04秒 | 読書
 10月号で読んだ記事は、
★水のビアノ                   司  修
 「音は、白い鯨と黒い鯨が別れの挨拶をするために、声を張り上げいるのでした。海水を響かせるのです。それはなんとも悲しいのですが、悲しみに絶望するのではなく、悲しみを受け入れる儀式なのでした。
 毎号心に残る絵が表紙を飾る。作品と作品を語る文章がいい。
★文楽の「藝」                  山川静夫
 「土に植物を植え丹精をこめて育て上げる「藝」が文楽にはあり、眩しい存在だ」
★「明暗」の構成                 十川信介
★〈対談〉食と精をめぐる思考の冒険        赤坂憲雄・藤原辰史
★まだ踊れる                   ギリヤーク尼ヶ崎
★大きな字で書くこと「父  その4」       加藤典洋
★考える、考えない                齋藤亜矢
★アンモニア、脳に乱入              高橋三千綱

美術展はしばらく自重か‥

2017年09月30日 13時40分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 最近は美術展や美術作品の感想がすっかりご無沙汰になってしまった。ジャコメッティ展の感想の宿題が残っているのに、書けていない。彫刻というのはどうも苦手意識が先に立ってしまう。今のところお手上げ状態である。何時かは書きたいとは思っているのでその思いは手放さずにいようと思う。
 行きたい美術展はいくつかあるものの、残念ながら財政状況も厳しい。しばらくは自重することになりそう。しかしいかないとストレスが貯まるような気分でもある。

 昨日岩波書店の「図書10月号」が到着。現在並行して読んでいる「中原中也」(佐々木幹郎、岩波新書)と「ピアニストの時間」(舘野泉、みすず書房)はおやすみ。先に「図書10月号」に目をとおしている。

柿と月と虫の音と‥

2017年09月29日 22時56分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年初めての柿を食べた。柔らかくなった柿は妻は苦手らしく、すべて私のところに回ってくる。私は柔らかくなった柿が好物である。崩れそうになった柿もいい。柔らかくなりかかった柿もいい。1個丸かじりがうれしい。柿が出回ると、酔った時はかならすといっていいほど柿を食べてから寝ることにしている。現役のころは春・夏・冬には干柿を用意することも多かったが、最近は高価なので遠慮している。
 柿を食べると秋になった気分となる。他の食べ物よりも秋の季節感を味わうことができる。

 さて本日は上限の月、それもほとんど半月。月の入りは23時45分位ということで、団地の西の出入り口まで100mほど歩いて富士山の方向に沈む月をしばらく堪能した。富士山は見えず、また星もほとんど見ることはできなかった。月を囲むように雲があり、月の光の変化を充分に楽しむことができた。

 柿と月、そして虫の音を楽しんだ。半ズボンでは寒さを感じたので、先ほど帰宅。本日はこれにて就寝。

誘われてフラフラと‥

2017年09月29日 21時33分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日講座終了後、とくに用事はなかったが組合の会館によってみた。しかしそこにいたのはいつもの飲み友達。つい誘われるままにいつもの中華料理店兼居酒屋に入ってしまった。ホッピーで焼酎を3杯飲んでから、別れてフラフラと歩いて帰ってきた。
 昼間寄っていないときはだいたい1万歩ほどの距離、本日は酔っていることもあり、1万2千歩ほどかかって帰ってきた。ゆっくり歩いたので約2時間。関内駅周辺、桜木町・野毛界隈、横浜駅西口いづれも大勢の人でごった返していた。歩いて帰るとこのような場所を通ることになる。
 普段はあまり意識しないのだが、今日は金曜日であった。人が大勢出ていることがようやく理解できた。

本日の講座

2017年09月29日 21時09分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の講座は専修大学の土生田純之教授の「朝鮮からの渡来文化」と題した講演。
 考古学の立場から続日本紀に記された、霊亀二年(716)五月辛夘、現在の埼玉県日高市、飯能市周辺に駿河、相模、上総、下総、常陸、下野の七国から高麗人1799人を移住させて建郡したという記事を、検証するもの。
 飯能市周辺の遺物の状況から、渡来系遺物がほとんど認められず、わずかに朝鮮半島南部産の銅鋺が出土することから、移住した人はすでに七国で暮していた渡来系の人々が集められて高麗郡の建郡に連れてこられたという仮説を立てている。出土する土器がそれぞれ七国の特徴を備えているという指摘がされていた。
 まだ墓制の話など大変興味深く、説得力のあるものであった。



本郷台駅前

2017年09月29日 10時22分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後からは本郷台駅のアースプラザで開催される講座に向かう。久しぶりの講座。横浜駅から京浜東北・根岸線で30分かかる。大船まで東海道線か横須賀線で行って、京浜東北・根岸線で一駅もどる方法もある。これは朝のラッシュ時に接続がうまく行くと5分ほど早くつくことがある。ただし大船の駅構内を小走りに移動しなくてはいけない。昼間は試したことはないし、時刻表で確かめたことはない。エネルギーを考えると、乗り換えなしの方がいい。
 本郷台駅前は同じ1970年代の住宅公団などの大規模開発で生まれた洋光台駅や港南台駅、あるいは古くからある大船駅に較べると静かである。アパートが林立しているが、商店は少なく、人通りはあまりない。アースプラザという県立の大きな施設があり、その利用者は多いが、若い人が訪れることはあまりない。区役所もあり、県立高校もあり、警察学校もあるのだが、静かで落ち着いている。
 現役時代の最後の4年間はここの職場に通った。記憶にあるのは駅前のコンビニと喫茶店と寿司屋、仕事帰りによく通って飲んだ蕎麦屋である。現役時代には「アースプラザ」には入ったことはなかった。

秋、深まる

2017年09月28日 22時16分19秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 30分ほどのんびりと夜のウォーキング。ウォーキングというよりも、近くのドラッグストアで買い物をしてきた。洗口液とトイレットペーパー。洗口液は重いので近くで購入するに越したことはない。
 涼しいというよりも寒かった。薄い半袖のTシャツと半ズボンではそろそろ風邪をひいてしまう気温になってきた。虫の音も心なしか寒そうに聞こえる。

★帰るのはそこ晩秋の大きな木      坪内稔典
★石のベンチに空き缶一個置く 晩秋   森 洋彦


 晩秋はだいたい今の暦で10月から11月初め。冬の様相が迫って来る。寂寥感を引きづっている季語であろう。
 引用の句、いづれも若い抒情が読まれている、とわたしは解釈している。
 第1句、晩秋のどこかの庭か、学校か、公園かの作者の思い出の場所にある大木。さまざまな想い出と共にある木というのは誰にでもある。思い出とともにあるということは、過去の自分がそこに仕舞われているということでもある。転移すればそれは生命の象徴となる。
 第2句、定型にこだわると「晩秋のベンチに空き缶ひとつ置く」とでも添削されるかもしれないが、それではとてもつまらない句になる。石のベンチ、ひとつの空き缶にこだわるとどうしても字余りで破調になってしまうのだろう。また「晩秋」を、余韻を持たせて最後に響かせたいのであろう。「晩秋」という季語の語感をこの句の作者は最大限生かしたかったことがうかがえる。成功しているかどうかはまた別の問題としてある。

 さて本日の朝、山梨県にすむ友人から葡萄一箱をいただいた。いつもツィッターに連携しているこのブログをリツィートしてくれている友人である。とても美味しい葡萄である。たしか昨年もいただいたような気がする。果物には目がない私は、さっそくつまみ食いをしている。
 「何かお返しを」ということで、あれこれ悩んでいる。和菓子がいいか、洋菓子がいいか。あるいは中華菓子の方がいいか。横浜ならではのものを何とか近いうちに探したい。

眼圧はとりあえず下がった

2017年09月28日 20時54分08秒 | 天気と自然災害
 眼科で緑内障の点眼薬を処方してもらいに15時ちょっと前に出かけた。眼圧は一応許容範囲の中に納まってくれた。眼科を出ると、雨が上がっていたので、横浜駅まで歩いてみた。湿気があったものの、涼しい中を歩きつづけた。結局横浜駅からさらに桜木町の駅まで歩いて引き返した。
 横浜駅に着くころには少し降り始めた。横浜駅の地下街にある喫茶店で読書タイム。17時以降雨が少し強まったもののそのまま家まで歩いて帰宅。

雨がいったんあがった

2017年09月28日 10時33分48秒 | 天気と自然災害
 明け方の雨はすごかった。レインアイよこはまの画面を追っていくと一時は時間換算雨量50ミリの雨の区域が私の住んでいるところをいくつも通過していった。画面で見る限り神奈川県東部と千葉県に大雨が降ったようだ。特に千葉県では避難勧告が出ている地域もある。
 横浜市域では、洪水警報は解除になったが、大雨警報(土砂災害)と強風・雷注意報がまだ解除になっていない。
 現在は雨はあがった。太陽がいっときだけだったが顔を出した。

 本日から日曜日の団地の会議のための資料作りを開始。できれば本日1日で仕上げたい。明日は午後から講座があったので、時間が取れない。

洒落にもならない

2017年09月28日 10時16分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 安倍が疑惑から逃げおおせるため、そして、政治的・外交的無能力を隠蔽し、憲法改悪のための強権をもくろんで国会を論戦を避けて解散するときめたら、野党の民進党まで解散の危機に落ちこむとはどうしようもない。笑い話にもならない。
 笑い話になるのは、政治がまともになったときである。しかし今度はどちらに転んでも、「国家」の論理が前面に出てくる政治が横行しそうである。笑い話ではなく悲しい話である。

 「国権よりも民権を」、ということばをあらためて声高に叫びたくなる。

 私は「国難」ということばには、鳥肌が立つほど違和感を持つ。情報が世界中を飛び交う時代、国難は降って湧いて出てくるものではない。「国難」は外交・内政ともに政治の力が弱まり、影響力が後退し、そして何よりも為政者の無能によってもたらされるものである。
 「国難突破」のための国会解散とはなんとも自己矛盾である。国難突破のために力が欲しいというのである。国家の危機ならば、百家争鳴、議論を尽くし、対立者の意見も入れ、議論を前に進める度量が問われる。その度量が無いから「国難」なのである。
 わたしは「国難突破」とか「政治に強力なリーダーシップを」といわれるたびに、そんな時ほど「分権と権利の拡大」が必要と思う。そんな政治が私はのぞんでいる。

「無言館」の紹介パンフの資料集め

2017年09月27日 22時38分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日図書館で無言館関係の書籍を探した。いつもいく図書館に4冊もあった。いづれも窪島誠一郎の著作。野見山暁治の文章が載っている本は残念ながらなかった。しかしこの4冊あめば、11月の1泊旅行で訪れる際の小さなパンフレットは作れそうである。来週に駆りてきて挑戦してみたい。4冊ならば同時に借りることができるはずだ。

 外ではぽつりぽつりと降り出した。雨の区域は西から東にながれている。間もなく本降りの区域にすっぽりと入ってしまう。

サバサンドをはじめて食べる

2017年09月27日 19時17分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 17時20分過ぎに横浜市には、大雨・洪水・強風・雷注意報が発令された。15時過ぎから空が暗くなりはじめ、17時過ぎにはすぐにでも雨が降りそうな気配となってきた。夜のウオーキングは無理そうなので、駅から家まではかなり遠回りをして歩いてきた。気温は低く、湿気もあり、空気が肌に纏わりつく感じであった。汗が蒸発せずに皮膚の上を流れ落ちるのがわかる。これでは汗が体温調節の役割を果たさない。熱中症の患者が発生しやすいと思った。
 帰宅してから天気予報を詳しく見ると、横浜市域では雨は23時頃から降り始めるようだ。夜のウォーキングはいつものとおりできるかもしれなかった。
 本日の昼、初めて入った家のそばの喫茶店で、生れてはじめて「サバサンド」なるものを食べた。コッペパンに焼いたサバの半身とトマトの薄切りとレタスが挟んである。サバの右ブラとトマトの食感が意外と合うようだ。なかなか美味しかった。トルコの料理と聞いたが、妻はすでに娘の家でご馳走になっていたという。
 本日入った店では、サバ丼もあった。しかしサバサンドが890円、サバ丼930円と高めの値段設定。たまにしか食すことはできない。

狐の嫁入り

2017年09月27日 11時48分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明け方に少し降ったような痕跡が道路にあった。そして先ほど日が照っているのにバラバラと降ってきた。天気雨、狐の嫁入りといわれる。そして午前中には、横浜市内の一部で降るという予報どおりである。降る場所まで当たっていた。
 私には天気雨の不思議よりも、この正確な予報の方が不思議で、狐に化かされたような気分になった。レインアイよこはまの画面を見ると、あと二つほどの小さな雨の区域が私の住む地域をめざして北上している。特に強い雨の表示ではない。傘はなくとも問題はなさそうである。
 夜からは雨だというが、それまでは昨日のように気持ちの良い天候であるといいのだが。

 「狐」は冬に分類される季語。
★すつくと狐すつくと狐日に並ぶ     中村草田男

 夏の季語と冬の季語に同じ「狐の提灯」というのがある。
 夏の季語としての「狐の提灯」は「宝鐸(ほうちゃく)草の花」の別名という。
★狐の提灯古みち失せて咲きにけり    水原秋櫻子

 冬の季語としての「狐の提灯」は「狐火」のこと。墓地で見かけるという青白い火のことをいう。「狐の提灯」としての用例は見つからなかった。今ではすっかり死語に等しいと思う。「狐火」でないと意味は通じない。
★狐火や一くせのある顔が寄り      山上実雄

 狐の嫁入りという語は季語にはない。季節を問わず出現することになっている。

喫茶店に求めるもの

2017年09月26日 23時33分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日までは本日購入した本の読書タイム。明後日からは日曜日の団地の管理組合の会議の資料作りを始めなくてはいけない。

 本日夕刻に気がついたが、私の団地から歩いて10分もかからないところに2軒目の喫茶店が出来ていた。喫茶店というよりも洋風の甘味処という設えである。店の壁際を奥の方に向かって低いカウンターが続いている。低い椅子なので疲れないと思う。コーヒーの味はどうだろうか。春頃にできた喫茶店は10数名しか座れないが、コーヒーは美味しい。ちょっと明るすぎる嫌いはあるが、悪くない。
 本日入ろうとした喫茶店はさらに遠く、図書館の最寄り駅に近い。図書館から7~8分で、こちらも狭いが落ち着く。本日休みだったのはとても残念であった。
 昔に比べて喫茶店が少なくなったが、それでもじっくりと探せば意外なところにあるものである。
 ただしチェーン店と違って少々高い。そして電子マネーが使えない。チェーン店以外の喫茶店は、10人くらいで満席になる店が多く、マスターが話しかけてくる場合があるので、これが困る。読書したいし、読書していなくてもボーッさしていたい気分なので、放っておいてもらいたいのだが、なかなかうまくいかないものである。
 偏屈な老人の客は扱いづらいと店の人は思っているだろうが‥。