谷川俊太郎の1971年の詩に「平和」という詩があるのを知ったのはそれほど昔ではない。
政治や運動に携わる人びとの思考回路ではない地平で、丁寧に言葉を紡ぐことを谷川俊太郎は自覚的である。それが人びとに広く受け入れられる根拠であろう。
平和 谷川俊太郎
平和/それは空気のように/あたりまえなものだ
それを願う必要はない/ただそれを呼吸していればいい
平和/それは今日のように/退屈なものだ
それを歌う必要はない/ただそれに耐えればいい
平和/それは散文のように/素っ気ないものだ
それを祈ることはできない/祈るべき神がいないから
平和/それは花ではなく/花を育てる土
平和/それは歌ではなく/生きた唇
平和/それは旗ではなく/汚れた下着
平和/それは絵ではなく/古い額縁
平和を踏んずけ/平和を使いこなし
手に入れねばならない希望がある
平和と戦い/平和にうち勝って
手に入れねばならぬ喜びがある
政治の場や、運動に携わっている人間には「反語」的な言葉や文章というのはなかなかなじまないし、それは避けたほうがいい。相手と味方に伝わるのに曲解や誤解を生むからだ。誰もが自分と同じ思考方法を取っているという前提は避けるべきものである、という前提があるからだ。それ自体はとても悲しいことであり、止揚したい気分があるが、現下の状況では宜わないといけない。
身の回りの人びとと政治や運動に携わる人びととの垣根は、状況により一瞬崩壊し、消失することもあるが、それに甘えてはいけない。これは自戒でもある。
この詩、戸惑いを受ける方は「平和」を「手の届かない所」「聖なる所」に置いてしまっている自分をもう一度振り返る必要があるかもしれない。
平和は「日常」にあり、それに「安住」していいのであり、しかし惰性で所与のものではないことは自覚したいもの。
<戦後75年>谷川俊太郎さんロングインタビュー
その1【https://www.youtube.com/watch?v=MJc0rKJKA6o】
その2【https://www.youtube.com/watch?v=C-PmcDVsYiI】
その3【https://www.youtube.com/watch?v=im7pWuSMOLo】
このYouTubeの冒頭のコマーシャルはインタビューの内容とは相容れないが、ここは飛ばして見てほしい。
谷川俊太郎の主張には当然いろいろな判断はあるが、受け入れるにしろ、首を捻ることがあるとしても、議論の出発点として無視できないと、歳とともに大切なものと思うようになった。
>平和それは今日のように退屈なものだ
そのじっかん(実感)をとりもどしたいです🐻!!
返信が遅れたこと、申し訳ございません。
平凡に毎日をきちんと過ごすことの大切さを教えてもらいました。
寂しいものですね。