夕食日に、本日手に入れた資料を封筒詰めにして明後日の会議の資料作りが終了。
さて夕刻家に戻ると岩波書店の「図書6月号」が届いていた。作業終了後に読み始めたが夜のウォーキングで中断。
目を通したのは次の3編。
・「ルクレチア・ボルジア」を観たあと 司 修
ここ数か月、司修の描く表紙の作品が明るくそして鮮明である。何か変化が作者に起こったのであろうかとも思った。
私は「ルクレチア・ボルジア」についての基本的知識がないに等しいので、村松英子の演じるルクレチア・ボルジアとその劇から、作者の夢との関連が皆目見当がつかない。冒頭の作者の姪のエピソードと夢に出てくる少女との関連もわからない。
だが、とても気になる不思議な作品である。
・或る風景 三木 卓
「こんんな鮮やかな色彩あふれた風景をだんだん見ることができなくなっていて、83歳の今、とつぜんそれを取り戻したのである。」
やはり私も「年齢なりの白内障だが、まだ手術の必要性はない」と緑内障の診察のときに毎回言われる。パソコンの画面が見づらくなっている、というよりも不鮮明で見えていない。勘で変換している場合が多い。やはりそろそろ白内障手術を考えた方がいいのだろうか。切実に悩んでいる。
・北斎のたくらみ 朝井まかて
「細部のリアリティがなくては虚構は成立しない。誰しも、それと気づかせない巧妙な嘘には酔いたいが、下手な嘘には興ざめをする。それは現代も江戸時代も変わらない。‥北斎ほどの腕があっての「外し」や「嘘」が真と混然一体となって初めて、観るものをワクワクとさせる遊び心が成立する。北斎はそれをわかっていて、「どうだ」と挑んだ‥」
さて夕刻家に戻ると岩波書店の「図書6月号」が届いていた。作業終了後に読み始めたが夜のウォーキングで中断。
目を通したのは次の3編。
・「ルクレチア・ボルジア」を観たあと 司 修
ここ数か月、司修の描く表紙の作品が明るくそして鮮明である。何か変化が作者に起こったのであろうかとも思った。
私は「ルクレチア・ボルジア」についての基本的知識がないに等しいので、村松英子の演じるルクレチア・ボルジアとその劇から、作者の夢との関連が皆目見当がつかない。冒頭の作者の姪のエピソードと夢に出てくる少女との関連もわからない。
だが、とても気になる不思議な作品である。
・或る風景 三木 卓
「こんんな鮮やかな色彩あふれた風景をだんだん見ることができなくなっていて、83歳の今、とつぜんそれを取り戻したのである。」
やはり私も「年齢なりの白内障だが、まだ手術の必要性はない」と緑内障の診察のときに毎回言われる。パソコンの画面が見づらくなっている、というよりも不鮮明で見えていない。勘で変換している場合が多い。やはりそろそろ白内障手術を考えた方がいいのだろうか。切実に悩んでいる。
・北斎のたくらみ 朝井まかて
「細部のリアリティがなくては虚構は成立しない。誰しも、それと気づかせない巧妙な嘘には酔いたいが、下手な嘘には興ざめをする。それは現代も江戸時代も変わらない。‥北斎ほどの腕があっての「外し」や「嘘」が真と混然一体となって初めて、観るものをワクワクとさせる遊び心が成立する。北斎はそれをわかっていて、「どうだ」と挑んだ‥」