いつものように覚書として。
「石油ランプと幽霊船のある静物画」 司 修
・長崎原爆のプルトニウムを製造した〈ハンフォード核施設〉の汚染水は、地下タンクに埋められていて、漏れが問題視され、ガラス状の個体にしてすべての浄化作業が終わるのは今世紀末だといいます。核の安全など信じられないのです。私は冷戦時代に受けた恐怖がいまだ続いています。「恐怖」ほど人間をしばりつけるものはないのだから、気をつけろと自らにいいきかせるのですが、「恐怖」はすぐ後ろに隠れるだけで存在し続けます。
「痛切に時間を生きる」 渡仲幸利
・(ベルクソンは)経験の外で論じることを頑固なまでに避け、経験がことばと化す転回点の前へとさかのぼって経験の源を求めた。経験を進化することが、かれの仕事の正体だった。‥われに返って痛切に時間を生きる瞬間がかならずあり、そういう瞬間に味わわがにいない時間の手ごたえは、すでにめいめいの真剣な哲学のはじまりのはずである。‥時間は経験の核なのである。音楽を聴くとき、ぼくたちは、大好きなフレーズにさしかかろうとするたびに、これを聴きのがすまいとしい、ただ聴くのではなく勤めて聴こうとするものだろう。‥時間は瞬間瞬間生みなおさなければ持続しない。
「木下惠介の美-没後二十年に寄せて」 原恵一
「自由な思考のために」 出口治明
「九鬼周造の押韻論-天球の調に聴く」 小浜善信
・詩には言葉の意味のほかに、音数としての律(リズム)と音色としての韻(ライム)という聴覚的・音声学的要素がなければならないと九鬼はいう。‥三好達治などを批判して、詩と音楽は不可分であり、「うた」としての詩には韻律を欠くことはできないと主張する。いうまでもなく、人間の一呼吸の時間の長さはどの民族においてもほぼ一定で、一呼吸で発音される音綴量もほぼ一定のはずである。事実、日本詩を含めて、どの言語によるものでも、詩の一句は図らずもほぼ十音綴から十二音綴に収まっている。‥日本では豊かな押韻詩の伝統が形成されることはなかったにしても、そのことをもって本来日本詩に押韻は適さないと即断すべきではない。極限の短詩形である短歌や俳句の領域においてさえ人麻呂や芭蕉は押韻を強く意識していた。
「〈ジブリ飯〉の香りに誘われて」 松井玲奈
・〈ジブリ飯〉の一番の秘密。それは、どの料理も誰もが味の想像ができることなのではないかと考えた。そながよく知っている料理を、誰もが「美味しそう」とワクワクできるように描く。簡単そうでとても難しい事だ。
「編集する三木清(中)」 大澤 聡
「自分が持っているものを好きになる」 高橋三千綱
「火神岳と神の湯」 三浦佑之
・今と変わらず、古代の人も温泉好きだが、日本書紀によれば、天皇や皇子が湯治に出かける記事が舒明天皇の頃から現れる。‥おそらく七世紀に入って温泉が湯治場として見出されて流行し、それに呼応するように風土記の温泉記事も頻出するのかもしれない。
「読書様々-中島敦「山月記」」 柳 広司
・「読む」とは何か?「怪談」を取り上げた回で「近代小説は音読より黙読に適している」と書いた。逆に言えば、近代小説以前はは音読が中心だったということだ。‥「山月記」にはデビュー作に相応しい、恍惚と不安が感じられる。「選ばれてあることの/恍惚と不安と/二つわれにあり」。太宰ほどの面の熱さを持ち合わせていない中島敦は己の心境を「山月記」の作中で「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」と言い表している。“これでどうだ”という己の才能への高慢までの自負と、一方で“これで本当にかいていけるのか?”という自信のなさ、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」が混然一体、ないまぜになって作品から滲み出ている。
「大きな字で書くこと-中原中也(1)」 加藤典洋
「弥生人と絵文字」 齋藤亜矢
・最小限のタッチでものの形を表す。同じものの描き方は、だいたい決まっている。そういう点で、弥生人の絵は、ヒエログリフを思わせるところがある。古代エジプトの象形文字だ。それは、類似性のあるアイコンから、類似性のない恣意的なシンボルへと変わるプロセスだ。アイコンなら誰が見ても「なにか」がわかるが、シンボルとなると、前提知識、リテラシーがないと意味を理解できない。でもそのぶん、文脈によって流動的な意味を生み出せるようになり、より多様で複雑な内容の伝達が可能になっていく。もしも弥生人に文字があれば、どんなことを書き記したのだろうか。
「革命前夜」 プレディみかこ