Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

春の嵐

2018年02月28日 23時49分47秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 23時過ぎから雨が降り出し、今は大きな雨音がし始めた。レインアイよこはまの標示をみると私の住んでいる地点では、最大で時間当たり20ミリとなっている。この雨は明日明け方まで続く予報が当たったようだ。

★春荒れの富士を丸ごと洗ひけり     長田良輔
★ひとことが残す乱あり春疾風      太田静子


 かかわりのある人のひとことが、心に強く刺さるときがある。こちらの精神状態にもよるが、これが意外と尾を引くものである。しかしその人ばかりを責められない。私も他人に対してそのようなひとことをいったことがあるかもしれない。確かにいっている。その場で「まずかった」と思っても、口から出た言葉は戻らない。ヘタに言い訳めいたことを言えば言うほど、相手に深く突き刺さる。そんな時は沈黙するしかないのもまた、世の常なのかもしれない。「乱」とはまた大仰ないいようだが、受け取った方の心の痛みは深いのだ。
 しかしそれがどうして「春」なのか。たぶん春の芽吹きの季節、生命が旺盛な活動を開始する直前の痛手は極めて大きな傷となる。疾風のような鋭い一撃なのだろう。

明日は春の嵐

2018年02月28日 20時51分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は8時に起こされ朝食を摂ったものの、眠くてすぐにまた寝てしまった。気がついたら11詩を過ぎていた。体内に危惧を入れた検査になるわけだから、それなりに体力が消耗していたのだと思う。11時に目が覚めたときはすっきりとした気分であった。
 記事を投稿してから、ウォーキングにでかけた。気温は高いようで15時の段階で13.5℃もあったようだ。3月中旬ごろの気温らしい。これから雨が降るらしく、明け方は春の嵐となるらしい。
 本日予定していた幾つかはすでに実行済み。これから神奈川大学のエクステンション講座の一覧と睨めっこをして、4月以降の受講講座を考える予定。

「図書3月号」から

2018年02月28日 15時10分16秒 | 読書
 いつものように覚書として。



「石油ランプと幽霊船のある静物画」     司 修
・長崎原爆のプルトニウムを製造した〈ハンフォード核施設〉の汚染水は、地下タンクに埋められていて、漏れが問題視され、ガラス状の個体にしてすべての浄化作業が終わるのは今世紀末だといいます。核の安全など信じられないのです。私は冷戦時代に受けた恐怖がいまだ続いています。「恐怖」ほど人間をしばりつけるものはないのだから、気をつけろと自らにいいきかせるのですが、「恐怖」はすぐ後ろに隠れるだけで存在し続けます。

「痛切に時間を生きる」           渡仲幸利
・(ベルクソンは)経験の外で論じることを頑固なまでに避け、経験がことばと化す転回点の前へとさかのぼって経験の源を求めた。経験を進化することが、かれの仕事の正体だった。‥われに返って痛切に時間を生きる瞬間がかならずあり、そういう瞬間に味わわがにいない時間の手ごたえは、すでにめいめいの真剣な哲学のはじまりのはずである。‥時間は経験の核なのである。音楽を聴くとき、ぼくたちは、大好きなフレーズにさしかかろうとするたびに、これを聴きのがすまいとしい、ただ聴くのではなく勤めて聴こうとするものだろう。‥時間は瞬間瞬間生みなおさなければ持続しない。

「木下惠介の美-没後二十年に寄せて」    原恵一
「自由な思考のために」           出口治明
「九鬼周造の押韻論-天球の調に聴く」    小浜善信

・詩には言葉の意味のほかに、音数としての律(リズム)と音色としての韻(ライム)という聴覚的・音声学的要素がなければならないと九鬼はいう。‥三好達治などを批判して、詩と音楽は不可分であり、「うた」としての詩には韻律を欠くことはできないと主張する。いうまでもなく、人間の一呼吸の時間の長さはどの民族においてもほぼ一定で、一呼吸で発音される音綴量もほぼ一定のはずである。事実、日本詩を含めて、どの言語によるものでも、詩の一句は図らずもほぼ十音綴から十二音綴に収まっている。‥日本では豊かな押韻詩の伝統が形成されることはなかったにしても、そのことをもって本来日本詩に押韻は適さないと即断すべきではない。極限の短詩形である短歌や俳句の領域においてさえ人麻呂や芭蕉は押韻を強く意識していた。

「〈ジブリ飯〉の香りに誘われて」       松井玲奈
・〈ジブリ飯〉の一番の秘密。それは、どの料理も誰もが味の想像ができることなのではないかと考えた。そながよく知っている料理を、誰もが「美味しそう」とワクワクできるように描く。簡単そうでとても難しい事だ。

「編集する三木清(中)」            大澤 聡
「自分が持っているものを好きになる」     高橋三千綱
「火神岳と神の湯」              三浦佑之

・今と変わらず、古代の人も温泉好きだが、日本書紀によれば、天皇や皇子が湯治に出かける記事が舒明天皇の頃から現れる。‥おそらく七世紀に入って温泉が湯治場として見出されて流行し、それに呼応するように風土記の温泉記事も頻出するのかもしれない。

「読書様々-中島敦「山月記」」        柳 広司
・「読む」とは何か?「怪談」を取り上げた回で「近代小説は音読より黙読に適している」と書いた。逆に言えば、近代小説以前はは音読が中心だったということだ。‥「山月記」にはデビュー作に相応しい、恍惚と不安が感じられる。「選ばれてあることの/恍惚と不安と/二つわれにあり」。太宰ほどの面の熱さを持ち合わせていない中島敦は己の心境を「山月記」の作中で「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」と言い表している。“これでどうだ”という己の才能への高慢までの自負と、一方で“これで本当にかいていけるのか?”という自信のなさ、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」が混然一体、ないまぜになって作品から滲み出ている。

「大きな字で書くこと-中原中也(1)」     加藤典洋
「弥生人と絵文字」              齋藤亜矢

・最小限のタッチでものの形を表す。同じものの描き方は、だいたい決まっている。そういう点で、弥生人の絵は、ヒエログリフを思わせるところがある。古代エジプトの象形文字だ。それは、類似性のあるアイコンから、類似性のない恣意的なシンボルへと変わるプロセスだ。アイコンなら誰が見ても「なにか」がわかるが、シンボルとなると、前提知識、リテラシーがないと意味を理解できない。でもそのぶん、文脈によって流動的な意味を生み出せるようになり、より多様で複雑な内容の伝達が可能になっていく。もしも弥生人に文字があれば、どんなことを書き記したのだろうか。

「革命前夜」                 プレディみかこ

明日のための覚書

2018年02月27日 23時10分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 病院から戻ったら「図書3月号」が届いていた。休養がてら目をとおしたが残り3編ほど。覚書風の記録を明日記載予定。
 四月からの神奈川大学エクステンションセンターの申し込みは明後日から。受講する講座の選定を明日中にする必要あり。
 退職者会ニュースの記事の一部訂正を印刷所に送信。これは急ぎ。本日中に送信準備を終えたい。団地の管理組合の会議のための資料作りも始める必要あり。

 並べてみると結構慌ただしい。

バッハのフーガとシューべルトの即興曲

2018年02月27日 21時15分34秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 久しぶりにピアノリサイタルを聴いた。FHK-FMで放送していた「ベストオブクラシック -アンリ・バルダ ピアノリサイタル-」の後半から以下の7曲を聴いた。。
「四つの即興曲 作品90(D.899)」シューベルト作曲
「平均律クラヴィーア曲集 第1巻から“前奏曲とフーガ ロ長調 BWV868”」バッハ作曲
「平均律クラヴィーア曲集 第1巻から“前奏曲とフーガ 嬰ト短調 BWV863”」バッハ作曲
「平均律クラヴィーア曲集 第1巻から“前奏曲とフーガ ヘ短調 BWV857”」バッハ作曲
「四つの即興曲 作品142(D.935)」 シューベルト作曲
「即興曲 変イ長調 作品29」 ショパン作曲
「ワルツ 変イ長調 作品64第3」 ショパン作曲

東京文化会館小ホール(2017年11月8日)で収録~

 このところCDもかけず、そしてラジオのクラシック放送からも遠ざかっていた。実によく耳に入ってくる。ラジオを掛けた時にちょうどシューヘルトの即興曲作品90」が始まってすぐだった。とても懐かしい感じで嬉しかった。そして初めての経験だが、バッハとシューベルトという組み合わせが心地よい。
 不思議なことに、BWV857から即興曲作品142に移るときに、楽章が変わるときのように
間髪を置かずに移行するのに、なんの違和感も持たなかった。この不思議な感覚、意外だった。

本日の検査は楽だった

2018年02月27日 20時12分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の大腸の内視鏡検査は、これまでの中で一番楽に終了した。空気をあまり注入せずに進めてくれた。施術者によってこんなにも違うのだろうか。ポリープを3個撮ったとのこと。一昨年にもいくつか取っている。培養結果は来週。
 今回いわれたことは、ポリープができやすい体質と思われるので来年も検査を受けた方が良い、大腸が横行結腸がとても長いの2点。
 最初の指摘は50歳の頃から言われ続けて毎年内視鏡検査を受けているのもこのためなので、新しいことではない。後者の指摘は今年初めて言われた。ネットの検索では便秘につながることがあるようだが、慢性的な下痢症状である私にはちょっと不思議なことでもあり、来週の受診のときにじっくりと聞いてみたい内容である。50歳の時に医師から「ハイパーな大腸の動き」といわれ、蠕動運動がとても活発といわれた。このこととの関連で、どのうように評価していいものか、わからない。

 検査終了後病院内の別の診療科の待合室のベンチで「大腸の動きを抑える薬」が切れるのを待ち、ガスが出きったと思われる時間まで横になっていた。その後楽しみにしていた院内レストランでいつもの「とろろ昆布うどん」を注文したら、「そのメニューは廃止した」とのこと。ショックが大きかった。代わりに「かき揚げうどん」ならある、という。しかしあまり油っこいものは食べたくないので、断って地下のコンビニにてブルーベリージャムのコッペパン1個を朝食兼昼食とした。
 夕食は昨晩の肉じゃがのほかに、小松菜とサバ味噌煮、ニンジンの胡麻和え。昨晩の肉じゃがのタマネギと小松菜、ニンジンを集中的に頬張った。ともにとても美味しく感じた。

お昼までは休養

2018年02月27日 10時07分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど腸管洗浄剤は飲み終わった。本日は順調に飲み終えた。しかも飲み始めて1時間立たないうちから排便が始まり、こちらも順調と思われる。
 この腸管洗浄剤、レモン味で冷やして飲むと飲みやすいと言われた。まずは一気に200ccを飲もうとすると、少し吐き気がする。ゆっくりと飲まないと危うい。そして冷蔵庫で冷やしていると冬の今の時期は体が冷えてしまう。本日は厚めのセーターを着て、ストーブの前に陣取っている。1時間を過ぎると冷蔵庫で冷やしていた洗浄剤も室温となり、飲みにくくなってくる。
 そんなイライラも飲み終わるととりあえず解消。排便に気をつけながら、昼間ではベッドに横になり休養。
 

大腸内視鏡検査

2018年02月26日 23時31分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は朝7時半から腸管洗浄剤を2時間かけて2リットル飲むことになっている。病院の受付は13時半。
 2リットル飲むのが難行苦行である。10回に分けて12分おきくらいに飲む。最初の2杯400ccは何でこんなおいしくないものを強引に飲まなくてはいけないのか、という思いで飲む。その後は出来るだけ何も考えないようにしてひたすら5杯1リットルを流し込む。そして最後の3杯がとてもきつい。あと3杯、あと2杯と念じつつ押し込むように飲む。最後の1杯はそれこそ涙目で飲む。
 その間に部屋の中を歩き回ったり、下腹部を揉んだしてり蝶の動きが活発になるようにする。飲んだものが出終わる頃が12時半頃であろうか。13時ころにタクシーで病院に乗り付ける。これがいつものパターンである。
 検査は画面を見ながらできるが、しかし台帳が直角に曲がるところはとても痛いので、画面を見るゆとりはあまりない。特に空気を入れながら管を進めるときは、つらい。ポリープがあればその場で切除してくれる。検査後に画像を見ながら説明がある。
 さらにこれでは終わらない。入れた空気が出終わるまでがお腹が張ってつらい。ズボンが入らないときもある。いつも地下の循環器科の待合室が午後は空いているので、そこの椅子に横になって空気が排出されるまで唸っている。
 空気が出終わってから、院内の食堂であついとろろ昆布うどんを食べると生き返ったような気分になる。
 もしもポリープを切除するとその日は刺激物は制限される。なにもなければ食事の制限は特に云われることはない。何事もなく病院の外に出たときは気が抜けたようになる。


野菜抜きはさびしい食事

2018年02月26日 21時46分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに買い物につき合わされた。それなりの量を持たされた。昼に出かけて、蕎麦とコーヒータイムを入れながらゆっくり歩いて帰宅したのが16時。
 明日は台帳の内視鏡検査のため、本日は野菜・海藻・豆類・乳製品と果物などはダメ。魚肉と穀物だけの食事で、アルコールもダメ。毎年一階のことながら、何となく不満。ダメと言われると欲しくなるものである。
 朝食はオカメ蕎麦を他のみ、そこから椎茸・筍・ホウレン草・ワカメを妻に食べてもらった。残ったのは出汁巻き卵と麩と蒲鉾・ナルト。とても寂しかった。特に椎茸の大きなものがひとつ入っていたので悔やまれた。
 豆類はダメでも豆腐は構わないという事で、夕食は牛肉と豆腐とタマネギの煮物。タマネギは選り分けて食べたが、これがとても味気ない。野菜抜きというのはとてもさびしい食事である。21時には下剤を服用。
 これから軽く短時間のウォーキング。


気分も仕事も一段落

2018年02月26日 11時33分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩の地震は特に被害のニュースはないようである。しかし原発関連については何も情報が来ていない。私の見落としであろうか。

 妻の熱は出ていないので、インフルエンザはおさまったようだ。しかし咳や鼻の具合はまだ回復はしていない。1週間ぶりに街に出て買い物に行きたい、とのリクエストがあり、附き合うことになった。荷物持ちを命ぜられたようなもの。

 退職者会ニュースの原稿はわたしなりの最後のチェックと微調整を行い、印刷所の編集担当に先ほど送信。まだ来ていない記事は夕刻までに再度送信することにした。とりあえず作業終了で一段落、ホッとしている。。

福島で震度4

2018年02月26日 01時42分50秒 | 天気と自然災害
 横浜でも長い揺れが続いた。私の家のあたりは震度2であった。遠い震源のためかゆっくりとした揺れ。
 福島県田村市等で震度4という情報が届いた。気象庁の発表では津波の心配はないらしい。
 原発関連の情報は今のところまだ私の処には届いていない。

平成30年02月26日01時33分 気象庁発表
26日01時28分頃地震がありました。
震源地は福島県沖(北緯37.5度、東経141.8度)で、
震源の深さは約40km、地震の規模(マグニチュード)は5.7と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
福島県  震度4  国見町藤田 天栄村下松本 田村市大越町 田村市常葉町
          田村市都路町 いわき市三和町 いわき市平四ツ波 いわき市平梅本
          相馬市中村 楢葉町北田 双葉町両竹 浪江町幾世橋


桃の節句も間近

2018年02月25日 21時36分03秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 15時半からウォーキングに出かけて、ちょうど3時間で2万2千歩ほどになった。久しぶりに3時間のウォーキングでかなり汗をかいた。
 気温はほぼ予報どおりで最高気温が15時頃の8.6℃。風は強くなかったが最初は寒さを感じた。特に日没後は汗をかいたこともあり、ゆっくり歩くと背中が冷たく感じた。
 駅の近くのコンビニやスーパーに入ると店のなかはすでに雛祭りようの売り出し。リクエストのあった寿司とデザートを購入。

★雛段の後ろに闇のありにけり     飛高隆夫
★雛飾る明日戦争にならうとも     斎藤寛子


 雛人形を飾るようになったのは室町時代以降、さらに紙製の雛から内裏雛のような豪華な人形となったのは江戸時代以降と新しいとのこと。世の中の習俗、日本の古来からとよく言われるが、江戸時代になってからものが多いという。
 私も50代になるまで知らなかったが、段飾りだけでなく、吊るし雛の習俗は各地に今でも残り、江戸時代も庶民はこの吊るし雛が多かったようだ。豪華さを競うのは民間の習俗としては成り立たないものである。
 第1句、何事も表の様相を支える裏の存在がある。表が煌びやかで派手になればなるほど、裏の闇も深くなる。何も雛段の後ろの暗がりだけを指すのではないだろうか。煌びやかで優雅な段飾りの人形が伝わってきた時間にもさまざまな人々の思いが込められている。そんな隠された家族の歴史にも思いを馳せたいものである。
 第2句、雛飾りを飾ることにためらいや周囲への遠慮が存在した時期があった。人びとの嫉妬と羨望とにさらされながら、どんな思いが交錯したのか、一筋縄ではいかない思いが伝わる。「そんな時代もあった」ことすら忘れられようとしている。

明日から食材の制限

2018年02月25日 15時14分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の作業は終了。これより気分転換にウォーキング。目の調子は通常と変わらず。やはり休みをこまめに取りながら作業をするとよいようだ。
 妻のインフルエンザはようやく熱が出なくなった。しかし咳、鼻などの症状はまだおさまらない。薬は本日までの分がある。
夕食の準備をしなくてはいけないのだが、あまりエネルギーが湧いてこない。相談の結果、手抜きをして弁当ないしスーパーで寿司でも見繕ってくることにした。

 明後日27日、私は大腸の内視鏡検査。明日から食材の制限がある。明後日は朝早くから腸管洗浄剤を2リットル飲む苦行である。それを考えると憂鬱になるので、考えないことにしている。とりあえず本日までは食材制限とアルコールの制限はない。


本日も新聞の原稿作り

2018年02月25日 11時59分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は夜のウォーキングの頃から風が強まり、日付が変わったころに瞬間最大風速で10mを超える風が吹いた。その強さ以上に風の唸り声で慌てた。風でベランダのスリッパや鉢植えが飛ばされないよう慌てて移動した。
 朝にはこの風はおさまっており、今は風はない。しかし本日の最高気温の予想は8℃と昨日よりも7℃近く低い。雲が空を覆い、薄暗く、カラスの鳴き声がうるさい。

 今朝は1時間ほど団地の管理組合の打合せなどを行い、先ほどから昨日作った新聞の原稿の手直し作業。昨晩は目がかすんで読めなかったのだが、だいぶ誤変換や罫線などのミスを見つけた。
 一文字11.5ポイントで、縦書き一段12字×44行×7段×裏表2頁。約7000字相当の紙面である。字の大きさは10ポイントでもいいのだが、高齢者が対象の新聞なので思い切って11.5ポイントと大きくした。そして文章よりも写真を多くした方がいいとの指摘のため、慣れさえすれば文章自体にさほど苦労することはない。大変なのは写真の加工と割り付けなどに時間がかかることである。そしてイベントのお知らせなどの囲み記事も多い。
 現役時代のA4版裏表毎週発行の原版づくりも大変であったが、隔月とはいえ、こちらの方が神経は使う。

 この分では夕方まで作業を続けなくてはいけない。また目がおかしくなりそうである。

歩行者に優しくない車のライト

2018年02月24日 23時28分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 退職者会ニュースの原稿に若干の手直しをして、あとは記事を1本待つだけ。果たして明日か明後日に送られてくるだろうか。心配であるが、待つしかない。
 しかしやはり目がつらくなった。目に負担がかかると、白く霞がかかったようにぼやけて見える。やはりどこか悪いのであろう。白内障を云われているので、多分その為だと思うが、素人なりの断定はしない方がよい。次回の緑内障の診察時にじっくりともう一度話を聞いた方がよさそうである。

 夜のウォーキングに出かけてきた。夜特に目がつらかったり、見にくいという事はないのだが、車のライトに照らされるとつらい。視野全体が光に包まれて、前が見えなくなる。ライトを下に向けないで向かってくる車があると横に避けて通過を待つことにしている。テールランプは気にはならないが、とまっている車をじっと見ながら歩くと目がチカチカする。赤い残像が目に残る。車のライトというのは歩行者にはやさしくない。特に視力が弱まってきた人間にはつらいものがある。高齢者はほとんどがつらいのではないだろうか。