我が国の首相が普段使うことばの漢字表記が読めないということと、その普段使っていることばが頭の中でリンクしていない、ということに多くの人は驚きあきれている。そして一国の首相としての適格性に疑問を持ってしまった。それがいつも繰り返されて慣れてしまうのが恐ろしい。政治に慣れは禁物である。腐敗が始まる。
だが、もっとも大事なことがまだ指摘されていない。国会答弁の文章や、国連総会の発言の文章について、事前にチェックも読み合わせも行われていない、という重大なことが明らかになっているのだ。それを何ら反省し、改善していない、ということをもっと批判しなくてはいけないと思う。ましてそれを擁護する議員や、「識者」や取り巻きがたくさんいる。
多くの不思議なことば使いがあるなかで最近、「背後」を「せぃご」と読んだことも記憶に新しい。読んだ本人が、「はて、こんなことばはあったかな」と普通は立ちどまる。あるいは事前に原稿を読んだときに立ちどまる。立ちどまらずにそのまま読んで平然としている、ということは、「せぃご」という聞いたこともないはずのことばが「正しい」とその場で思い込んでそのままにしてしまった、ということに他ならない。繰り返しになるが、原稿に書かれたことばと、頭の中にあることばがまったくつながっていないのである。どのような教育を受けてきたのか、多くの批判者がその過程に疑問を呈している。
首相や政府の閣僚たる者、国会や国連総会や公的な演説では「正しい日本語」できちんと伝えるという基本をまずは官邸の責任、政府の責任、そしてさらには首相自身の責任として、こなしてもらわねばならない。事前の読み合わせ、事前チェックをキチンとするのが当たり前である。政治とはことばによって展開するものであるから。民主主義とは、組織で意思決定をし、組織としてことばを発していくのが基本である。むろん首相ないし総裁としての思いや方針はあるだろう。それも組織として検証しながら、さまざまな観点から軌道修正していくのが民主主義である。
「日本を取り戻す」などというスローガンが好きな政治家が、正しい日本語にあまりに鈍感・無頓着であることに、「恥」を感じないとすれば、とんでもないブラックユーモアでしかない。ましてや、教育行政の統括もまた政府の重大な仕事である。日本語の乱れが、政治家、それも保守の政治家から始まる、というのもまたあまりのブラックユーモアであろう。
むろん演説では、誰でも言い間違えはある。しかし「せぃご」などということば使いは、言いよどんだり、呂律がまわらなかったりというものとはまったく異質な間違いである。これら話題になった変な発言は、「言い間違い」とは言わない。「ことばを知らない」というのが正しい。「言い間違い」として「擁護」することは、正しいことばと、それを使って社会を動かす政治というものに対して、唾を吐きかけるのと同じではないか。
また「ことば」によってマスコミに登場する「識者」こそ、このようなことばをないがしろにする政治家をキチンと批判する義務もある。言い間違いの揚げ足取りではなく、ことばによる認識のゆがみを正さなくてはならないはずだ。
ことばに敏感でなくなった政治家と、「失言」が相次ぐ政治家のお粗末な「論理ならざる論理」「人を傷つける暴論」とが私には直結して見えてしまう。
政治家ではない私も、労働組合の役員としての発言や、今はその退職者会の役員としての発言は、他の役員ときちんとすり合わせをした上で、慎重にする。常に複数の視点から鑑みて、まちがいがないか、会員を傷つけたりしないか、言い間違えや、知らないことばをつかっていないか、組合や会の方針と齟齬はないか、出来るだけの精査をする。それが組織の役員としての責任である。支部長としても支部の執行委員会での議論を踏まえない発言はしないし、挨拶や演説は基本的には事前に執行委員会に諮るものである。諮る時間がない時は、新しいことは言わずに、以前の発言を踏襲する。
同時に個人での発言・ことば使いについても、何歳になっても慎重にならなければならない、と思っている。祝辞、弔辞、友人への手紙、会議での発言、先輩との会話等々、発言したことの是非や、その発言が誤解を与えていないか、相手に失礼だったのではないか、常に意識していることが「おとな」の条件でもある。
政治家ならなおさらである。私たちはそのようにして生きているのではないだろうか。これは生涯つづくことである。わたしはいつも反省ばかりである。人からの指摘もあるし、あとから自分で気がつくこともある。それをしないと独りよがりと云われる。
だが、もっとも大事なことがまだ指摘されていない。国会答弁の文章や、国連総会の発言の文章について、事前にチェックも読み合わせも行われていない、という重大なことが明らかになっているのだ。それを何ら反省し、改善していない、ということをもっと批判しなくてはいけないと思う。ましてそれを擁護する議員や、「識者」や取り巻きがたくさんいる。
多くの不思議なことば使いがあるなかで最近、「背後」を「せぃご」と読んだことも記憶に新しい。読んだ本人が、「はて、こんなことばはあったかな」と普通は立ちどまる。あるいは事前に原稿を読んだときに立ちどまる。立ちどまらずにそのまま読んで平然としている、ということは、「せぃご」という聞いたこともないはずのことばが「正しい」とその場で思い込んでそのままにしてしまった、ということに他ならない。繰り返しになるが、原稿に書かれたことばと、頭の中にあることばがまったくつながっていないのである。どのような教育を受けてきたのか、多くの批判者がその過程に疑問を呈している。
首相や政府の閣僚たる者、国会や国連総会や公的な演説では「正しい日本語」できちんと伝えるという基本をまずは官邸の責任、政府の責任、そしてさらには首相自身の責任として、こなしてもらわねばならない。事前の読み合わせ、事前チェックをキチンとするのが当たり前である。政治とはことばによって展開するものであるから。民主主義とは、組織で意思決定をし、組織としてことばを発していくのが基本である。むろん首相ないし総裁としての思いや方針はあるだろう。それも組織として検証しながら、さまざまな観点から軌道修正していくのが民主主義である。
「日本を取り戻す」などというスローガンが好きな政治家が、正しい日本語にあまりに鈍感・無頓着であることに、「恥」を感じないとすれば、とんでもないブラックユーモアでしかない。ましてや、教育行政の統括もまた政府の重大な仕事である。日本語の乱れが、政治家、それも保守の政治家から始まる、というのもまたあまりのブラックユーモアであろう。
むろん演説では、誰でも言い間違えはある。しかし「せぃご」などということば使いは、言いよどんだり、呂律がまわらなかったりというものとはまったく異質な間違いである。これら話題になった変な発言は、「言い間違い」とは言わない。「ことばを知らない」というのが正しい。「言い間違い」として「擁護」することは、正しいことばと、それを使って社会を動かす政治というものに対して、唾を吐きかけるのと同じではないか。
また「ことば」によってマスコミに登場する「識者」こそ、このようなことばをないがしろにする政治家をキチンと批判する義務もある。言い間違いの揚げ足取りではなく、ことばによる認識のゆがみを正さなくてはならないはずだ。
ことばに敏感でなくなった政治家と、「失言」が相次ぐ政治家のお粗末な「論理ならざる論理」「人を傷つける暴論」とが私には直結して見えてしまう。
政治家ではない私も、労働組合の役員としての発言や、今はその退職者会の役員としての発言は、他の役員ときちんとすり合わせをした上で、慎重にする。常に複数の視点から鑑みて、まちがいがないか、会員を傷つけたりしないか、言い間違えや、知らないことばをつかっていないか、組合や会の方針と齟齬はないか、出来るだけの精査をする。それが組織の役員としての責任である。支部長としても支部の執行委員会での議論を踏まえない発言はしないし、挨拶や演説は基本的には事前に執行委員会に諮るものである。諮る時間がない時は、新しいことは言わずに、以前の発言を踏襲する。
同時に個人での発言・ことば使いについても、何歳になっても慎重にならなければならない、と思っている。祝辞、弔辞、友人への手紙、会議での発言、先輩との会話等々、発言したことの是非や、その発言が誤解を与えていないか、相手に失礼だったのではないか、常に意識していることが「おとな」の条件でもある。
政治家ならなおさらである。私たちはそのようにして生きているのではないだろうか。これは生涯つづくことである。わたしはいつも反省ばかりである。人からの指摘もあるし、あとから自分で気がつくこともある。それをしないと独りよがりと云われる。
現在横浜市域には、大雨(土砂災害、浸水等)・洪水・暴風・波浪警報、雷・高潮注意報が発令されている。テレビの報道などからは、風速50メートルという予報もある。こうなると実際に体感したこともないので、どのような状況になるか想像もできない。大阪などのテレビ画面でしかその様子はわからない。体感するのとテレビ画面で見るのとは大違いと思われる。
横浜市では各区、避難所も設置済みというメールが届いた。私は道路・下水・河川・公園の維持管理で現場対応ばかりだったので、避難所の運営に駆り出されたことはないが、大変な業務だといっていた。携わる業務が多岐にわたっている。
【⇒http://www.bousai-mail.jp/yokohama/ 】
JR東日本と歩調を合わすかのように地下鉄・私鉄も多くが減便・運転見合わせ等を予定をしている。
今のところ横浜市域では雨は降っておらず、風も吹いていないが、これがかえって油断を招きかねない。
横浜市では各区、避難所も設置済みというメールが届いた。私は道路・下水・河川・公園の維持管理で現場対応ばかりだったので、避難所の運営に駆り出されたことはないが、大変な業務だといっていた。携わる業務が多岐にわたっている。
【⇒http://www.bousai-mail.jp/yokohama/ 】
JR東日本と歩調を合わすかのように地下鉄・私鉄も多くが減便・運転見合わせ等を予定をしている。
今のところ横浜市域では雨は降っておらず、風も吹いていないが、これがかえって油断を招きかねない。
16時の横浜市からの防災メールでは、市域の一部に避難準備・高齢者等避難開始を発令されたことが記されている。
★平成30年9月30日16時00分、避難準備・高齢者等避難開始を発令しました。避難に時間のかかる方やその支援者の方などは避難を開始してください。
対象区域の詳細については、こちら。
【⇒http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/kikikanri/taifu-sonae.html#kankoku】
(港南区、磯子区、戸塚区の詳細については、各区役所に問い合わせ。)
<取るべき行動>
対象区域にお住まいの、お年寄り、子ども、障害のある人、病気の人など、避難に時間を要する方やその支援者の方は、避難行動を開始してください。
避難場所への避難が困難な場合は、建物の2階以上(斜面と反対側の部屋)に緊急的に避難しましょう。
対象区域外にお住いの方も、低い土地の浸水、河川の増水やはん濫、土砂災害に十分警戒いただくとともに、テレビやラジオ、インターネット等で最新の気象情報を確認してください。
▼災害情報TOPへ【⇒http://www.bousai-mail.jp/yokohama/ 】
横浜市域には、「大雨・強風・雷・波浪注意報」が発令されている。16時30分現在、レインアイよこはまを見ると横浜市域では弱い雨の区域が南から北に移動している。
★平成30年9月30日16時00分、避難準備・高齢者等避難開始を発令しました。避難に時間のかかる方やその支援者の方などは避難を開始してください。
対象区域の詳細については、こちら。
【⇒http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/kikikanri/taifu-sonae.html#kankoku】
(港南区、磯子区、戸塚区の詳細については、各区役所に問い合わせ。)
<取るべき行動>
対象区域にお住まいの、お年寄り、子ども、障害のある人、病気の人など、避難に時間を要する方やその支援者の方は、避難行動を開始してください。
避難場所への避難が困難な場合は、建物の2階以上(斜面と反対側の部屋)に緊急的に避難しましょう。
対象区域外にお住いの方も、低い土地の浸水、河川の増水やはん濫、土砂災害に十分警戒いただくとともに、テレビやラジオ、インターネット等で最新の気象情報を確認してください。
▼災害情報TOPへ【⇒http://www.bousai-mail.jp/yokohama/ 】
横浜市域には、「大雨・強風・雷・波浪注意報」が発令されている。16時30分現在、レインアイよこはまを見ると横浜市域では弱い雨の区域が南から北に移動している。
先ほど10時30分ころ、横浜市から以下の防災メールが届いた。
★現在、横浜市域に台風24号が接近しており、本日(30日)の夜以降、激しい風雨となる可能性があります。
この台風は、暴風域を伴って本日の夜から明日の明け方にかけて神奈川県に最も接近する見込みです。
今後の気象情報に十分注意してください。また、災害への備えを、早めにもう一度確認しましょう。
①風で飛ばされそうな物は固定し、家の中へ
②側溝や排水溝の掃除
③避難時における持ち出し品の確認
④避難場所や経路の確認
⑤お住まいの地域等に関するハザードマップの確認(市ホームページ>市政トピックス>命を守る!洪水ハザードマップ等)
※ 避難情報が発令されたら、隣近所で声を掛け合い、いち早く安全に避難しましょう。
▼災害情報TOPへ 【⇒http://www.bousai-mail.jp/yokohama/】
さらに次のようなニュースもあった。
★JR東日本は30日、台風24号の接近に伴い、同日午後8時以降、首都圏の全ての在来線を終日運休すると発表した。
東北新幹線などについても同時刻以降は運休の可能性があるとしており、駅やホームページなどで利用客に早めの帰宅を呼び掛けている。10月1日は始発から平常通り運行するという。
JR東によると、まず午後5時に中央線で高尾以西の運転を取りやめ、1時間後に上野東京ラインや湘南新宿ライン、京葉線などをストップさせる。午後8時には運休する対象を山手線や東海道線、中央快速・総武線、京浜東北線、埼京線、常磐線など首都圏全ての在来線に拡大する。
東北、上越、北陸、山形の各新幹線も午後8時から運休する列車があるとしている。
【⇒https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180930-00000028-jij-soci】
★現在、横浜市域に台風24号が接近しており、本日(30日)の夜以降、激しい風雨となる可能性があります。
この台風は、暴風域を伴って本日の夜から明日の明け方にかけて神奈川県に最も接近する見込みです。
今後の気象情報に十分注意してください。また、災害への備えを、早めにもう一度確認しましょう。
①風で飛ばされそうな物は固定し、家の中へ
②側溝や排水溝の掃除
③避難時における持ち出し品の確認
④避難場所や経路の確認
⑤お住まいの地域等に関するハザードマップの確認(市ホームページ>市政トピックス>命を守る!洪水ハザードマップ等)
※ 避難情報が発令されたら、隣近所で声を掛け合い、いち早く安全に避難しましょう。
▼災害情報TOPへ 【⇒http://www.bousai-mail.jp/yokohama/】
さらに次のようなニュースもあった。
★JR東日本は30日、台風24号の接近に伴い、同日午後8時以降、首都圏の全ての在来線を終日運休すると発表した。
東北新幹線などについても同時刻以降は運休の可能性があるとしており、駅やホームページなどで利用客に早めの帰宅を呼び掛けている。10月1日は始発から平常通り運行するという。
JR東によると、まず午後5時に中央線で高尾以西の運転を取りやめ、1時間後に上野東京ラインや湘南新宿ライン、京葉線などをストップさせる。午後8時には運休する対象を山手線や東海道線、中央快速・総武線、京浜東北線、埼京線、常磐線など首都圏全ての在来線に拡大する。
東北、上越、北陸、山形の各新幹線も午後8時から運休する列車があるとしている。
【⇒https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180930-00000028-jij-soci】
「図書9月号」を遅ればせながら今朝になって読んだ。
・戦争中のお笑い芸人四人組 司 修
・かつてあったいいことは 若菜晃子
「(アメリカの)児童図書館が時代の趨勢に従い変容しているのを目にし、その行く末を案じ、当時の同僚に問いかけたところ、「かつてあったいいことは、どこかで生き続ける」と言ったと書き記している。‥先の見えない暗闇を進んでいくときの確かな光明になる。‥言葉とは、こうして書物を通して、目には見えないところで人々の心に受け継がれていく‥」
私はこのようには楽観は市内異にしている。暗闇は光明を消してしまう。なかったこととして抹殺する。光明とはどのようなものなのか、それすらわからない。抹殺されたものが受け継がれる、とは一般化してしまうことは何も言ったことにはならない。私は暗闇どころか、暗黒の中に放り出されていないか。悲観が私を覆っている。
・ギュスターヴ・モローと亀 稲賀繁美
「レオン・ド・ロニーは日本人画家として最初にパリのサロンに入選を果たした五姓田義松に依頼して、イザナキ・イザナミの国生みの逸話の挿絵を、自筆のフランス語訳「古事記」抜粋に肉筆で描きこませている。パリの山本芳翠は吉松とも親密な仲。芳翠は、なぜ帰国後の大作に海幸・山幸の話題を選んだのか。浦島を乗せる巨大なウミガメを描いた芳翠は、日本通の大画家モローが《オルフェウスの竪琴》の隅に佇ませていた一対の陸亀に想いをはせる折節はなかったのか?」
・ジョン・レノンとブルードン 細見和之
「1840年代の時点で、当時の共産主義者たちの思想が実現されれば国家権力による非常な独裁に至らざるを得ないことを、プルードンは危機感をもって執拗に説いている。その後の社会主義革命の歴史は、まさしくブルードンの予言通りに展開したとしかいいようがない。‥プルードンを読みながら、そして「イマジン」を聴きながら、ここから近代というものをやり直すことはできないものかと、私は一種の夢想に駆られる。」
・江戸の編集者 横田冬彦
「書物とは、ただ作者の原稿を印刷、製本すればできあがるというものではない。‥第一に、文章表記や図版・装幀など造本そのもの。第二に、宣伝や販売の戦略。第三に、本書の読み方・活用に仕方についての手引き。第四に、読者との双方向的関係の構築。‥どのようにその書物を読んで欲しいかを諭し、書物でものを考えるという文化的構造を生み出すための工夫である。これは今日いうところの本の編集者・製作者(エディター・プロジューサー)の役割である。‥日本の「書物文化」の草創期をになった書肆たちの初志と苦心が、作者と読者の間に編集者という役割を生み出した」
・テッド・オア・アライヴの彼岸 ブレディみかこ
・大きな字で書くこと はじめての座談会 加藤典洋
・二次元と三次元 齋藤亜矢
・渡し賃をとられた天皇 三浦佑之
「今回述べてきた問題は、出雲と熊野との関係を考える上で避けて撮れない課題だが、解決の糸口が見つけられないままに時が過ぎる。地理的な隔たりの大きい古代の出雲と熊野とをつなぐのは、回路以外には考えられない。本連載と並行して継続する連載「出雲神話論」(『群像』)のなかで展開できればと考えているところである。」
・戦争中のお笑い芸人四人組 司 修
・かつてあったいいことは 若菜晃子
「(アメリカの)児童図書館が時代の趨勢に従い変容しているのを目にし、その行く末を案じ、当時の同僚に問いかけたところ、「かつてあったいいことは、どこかで生き続ける」と言ったと書き記している。‥先の見えない暗闇を進んでいくときの確かな光明になる。‥言葉とは、こうして書物を通して、目には見えないところで人々の心に受け継がれていく‥」
私はこのようには楽観は市内異にしている。暗闇は光明を消してしまう。なかったこととして抹殺する。光明とはどのようなものなのか、それすらわからない。抹殺されたものが受け継がれる、とは一般化してしまうことは何も言ったことにはならない。私は暗闇どころか、暗黒の中に放り出されていないか。悲観が私を覆っている。
・ギュスターヴ・モローと亀 稲賀繁美
「レオン・ド・ロニーは日本人画家として最初にパリのサロンに入選を果たした五姓田義松に依頼して、イザナキ・イザナミの国生みの逸話の挿絵を、自筆のフランス語訳「古事記」抜粋に肉筆で描きこませている。パリの山本芳翠は吉松とも親密な仲。芳翠は、なぜ帰国後の大作に海幸・山幸の話題を選んだのか。浦島を乗せる巨大なウミガメを描いた芳翠は、日本通の大画家モローが《オルフェウスの竪琴》の隅に佇ませていた一対の陸亀に想いをはせる折節はなかったのか?」
・ジョン・レノンとブルードン 細見和之
「1840年代の時点で、当時の共産主義者たちの思想が実現されれば国家権力による非常な独裁に至らざるを得ないことを、プルードンは危機感をもって執拗に説いている。その後の社会主義革命の歴史は、まさしくブルードンの予言通りに展開したとしかいいようがない。‥プルードンを読みながら、そして「イマジン」を聴きながら、ここから近代というものをやり直すことはできないものかと、私は一種の夢想に駆られる。」
・江戸の編集者 横田冬彦
「書物とは、ただ作者の原稿を印刷、製本すればできあがるというものではない。‥第一に、文章表記や図版・装幀など造本そのもの。第二に、宣伝や販売の戦略。第三に、本書の読み方・活用に仕方についての手引き。第四に、読者との双方向的関係の構築。‥どのようにその書物を読んで欲しいかを諭し、書物でものを考えるという文化的構造を生み出すための工夫である。これは今日いうところの本の編集者・製作者(エディター・プロジューサー)の役割である。‥日本の「書物文化」の草創期をになった書肆たちの初志と苦心が、作者と読者の間に編集者という役割を生み出した」
・テッド・オア・アライヴの彼岸 ブレディみかこ
・大きな字で書くこと はじめての座談会 加藤典洋
・二次元と三次元 齋藤亜矢
・渡し賃をとられた天皇 三浦佑之
「今回述べてきた問題は、出雲と熊野との関係を考える上で避けて撮れない課題だが、解決の糸口が見つけられないままに時が過ぎる。地理的な隔たりの大きい古代の出雲と熊野とをつなぐのは、回路以外には考えられない。本連載と並行して継続する連載「出雲神話論」(『群像』)のなかで展開できればと考えているところである。」
家の傍では金木犀が咲いている。団地の近くにあった水路を緑道や歩道に替え、植栽として植えた金木星が大きく育っている。また住宅地の庭にもたくさん植わっている。
しかし私の鼻は金木星の匂いすら感じなくなっている。さすがにまったく感じないのではなく、鼻をくっつけるようにして嗅ぐと何とか匂いを感じる。しかし普段歩いている限りはまったくその存在は嗅覚からはわからない。本日も妻に緑道に咲いている金木星の傍に連れていかれて、ようやくその存在に気がついた。
金木星のあの黒ずんで濃い黄色の花は小さい上に、濃い緑の葉の裏に隠れて、視覚でもわかりにくい。黒ずんだ濃い黄色と、深緑の葉は、目立たない。私の衰えた視力ではとても見にくい。
花というのは、視覚と嗅覚で愛でるものである。だが衰えかけた視覚でしか認識出来ない私は、花というものは寂しさを抜きにしては語ることができない。この嗅覚、結婚してから妻に指摘されるまではあまり気にならなかった。そして年々嗅覚が衰えているのがわかる。昨年まで匂っていたものが、今年は匂わくなった。それは梅の花で分かった。毎春、大倉山の梅林に出かけるたびに寂しさを味わった。
春夏秋冬、それぞれの花には必ず寂しさと孤独がつきまとう。それを前提にして私の鼻のイメージが出来上がっている。
いわゆる腐食集にはそれなりに敏感であったが、最近はそれも自信がなくなってきた。生ごみの悪臭もあまり自覚しなくなった。これはここ10年くらいの減少である。
しかし私の鼻は金木星の匂いすら感じなくなっている。さすがにまったく感じないのではなく、鼻をくっつけるようにして嗅ぐと何とか匂いを感じる。しかし普段歩いている限りはまったくその存在は嗅覚からはわからない。本日も妻に緑道に咲いている金木星の傍に連れていかれて、ようやくその存在に気がついた。
金木星のあの黒ずんで濃い黄色の花は小さい上に、濃い緑の葉の裏に隠れて、視覚でもわかりにくい。黒ずんだ濃い黄色と、深緑の葉は、目立たない。私の衰えた視力ではとても見にくい。
花というのは、視覚と嗅覚で愛でるものである。だが衰えかけた視覚でしか認識出来ない私は、花というものは寂しさを抜きにしては語ることができない。この嗅覚、結婚してから妻に指摘されるまではあまり気にならなかった。そして年々嗅覚が衰えているのがわかる。昨年まで匂っていたものが、今年は匂わくなった。それは梅の花で分かった。毎春、大倉山の梅林に出かけるたびに寂しさを味わった。
春夏秋冬、それぞれの花には必ず寂しさと孤独がつきまとう。それを前提にして私の鼻のイメージが出来上がっている。
いわゆる腐食集にはそれなりに敏感であったが、最近はそれも自信がなくなってきた。生ごみの悪臭もあまり自覚しなくなった。これはここ10年くらいの減少である。
午前中はほとんど雨らしい雨ではなかった。ときどき傘をさす程度で、雨は気にならなかった。午後からも多くても時間当たり10ミリ程度の雨であったが、ずっと降り続いて傘が無いと歩けない程度になった。
先ほどからいったん雨はあがり、小康状態。レインアイよこはまの画面を見るとずくにまた本降りとなる模様。
動物性たんぱく質を摂取するよう指導を受けたので、昼食は駅の近くの中華料理店で蒸し鶏のランチ。キャベツの千切りの上に蒸し鶏、その上に千切りのネギが乗って、それなりの量で700円。安かった。
ご飯は丼で三分の一程度で満腹。中華料理は油分が多いのではないかと躊躇したが、杞憂であった。中華料理店に入ったのは、1が月半以上も前である。そういえば最近は中華料理店はあまり入っていなかった。
本日は娘夫婦も来て、5人での夕食の予定。外食に出かける気力もなく、家で作ってもらいうことになった。
夫婦であまり本調子ではないので、食もあまり進まず、作る気力も、湧いてこない。食べることに気が向かない上に後片付けの気力もあまりない。家にいるとつい簡単なものばかりになってしまう。
これではいけないとは思いつつ、なかなか元には戻らない。
先ほどからいったん雨はあがり、小康状態。レインアイよこはまの画面を見るとずくにまた本降りとなる模様。
動物性たんぱく質を摂取するよう指導を受けたので、昼食は駅の近くの中華料理店で蒸し鶏のランチ。キャベツの千切りの上に蒸し鶏、その上に千切りのネギが乗って、それなりの量で700円。安かった。
ご飯は丼で三分の一程度で満腹。中華料理は油分が多いのではないかと躊躇したが、杞憂であった。中華料理店に入ったのは、1が月半以上も前である。そういえば最近は中華料理店はあまり入っていなかった。
本日は娘夫婦も来て、5人での夕食の予定。外食に出かける気力もなく、家で作ってもらいうことになった。
夫婦であまり本調子ではないので、食もあまり進まず、作る気力も、湧いてこない。食べることに気が向かない上に後片付けの気力もあまりない。家にいるとつい簡単なものばかりになってしまう。
これではいけないとは思いつつ、なかなか元には戻らない。
先ほどゴミ出しをしたときには微かに降っていた。今は止んでいる。神奈川県内、西から雨の区域が再び横浜市域に迫っている。この雨の区域は広いので、これから長時間降り続きそうである。ただし雨は1ミリ未満の弱い雨のようである。
特に所用はなく、ユックリ1時間ほど歩くだけの予定であったが、妻の通院と買い物に付き合うことになった。特別な用事ではないが、それなりの目的があるのはありがたい。一応同伴者がいるのも安心ではある。休まずに歩くだけなら往復40分、途中でコーヒー1杯を飲んだり、あるいはイートインコーナーのあるコンビニでお茶を飲んだりすれば1時間を超える。
繁華街ではないので、国道から1本横に入った道を歩けば、静かに歩ける。敷地いっぱいに建っている住宅でも、つつましく置かれている植木鉢や道路の植樹帯の樹々を見ながら歩くといろいろの発見もある。小鳥の姿やさえずりも時には聞くこともできる。ウォーキングであわただしく歩くよりも五感は働く。
風もほとんど吹いておらず、しかも雨も微かなので、不快感よりも気持ち良さが勝る。
特に所用はなく、ユックリ1時間ほど歩くだけの予定であったが、妻の通院と買い物に付き合うことになった。特別な用事ではないが、それなりの目的があるのはありがたい。一応同伴者がいるのも安心ではある。休まずに歩くだけなら往復40分、途中でコーヒー1杯を飲んだり、あるいはイートインコーナーのあるコンビニでお茶を飲んだりすれば1時間を超える。
繁華街ではないので、国道から1本横に入った道を歩けば、静かに歩ける。敷地いっぱいに建っている住宅でも、つつましく置かれている植木鉢や道路の植樹帯の樹々を見ながら歩くといろいろの発見もある。小鳥の姿やさえずりも時には聞くこともできる。ウォーキングであわただしく歩くよりも五感は働く。
風もほとんど吹いておらず、しかも雨も微かなので、不快感よりも気持ち良さが勝る。
午前中から午後遅くまで実によく晴れ渡ったが、夕方から雲が多くなり始めた。本日の横浜の最高気温は25.6℃で平年よりも+1.5℃。平年は24℃位。そろそろ長袖が欲しい気温である。しかし台風の影響で、土・日・月と25℃から30℃になるらしい。火曜日からは22℃の予想。気温の差が大きい。
明日は気温は本日と変わらないが、午後からは雨が降る予想。午前中にユックリではあるが、本日と同じように往復1時間ほど歩いてみる予定。昨日は人出の多い横浜駅を歩いて疲れたので、本日は近くの私鉄の駅の近くにある高血圧の薬を処方してもらっている内科までの往復だけで済ませた。明日は特に予定はないが、同じようなコースにしてみる。
混雑する道ではないので、疲れはあまり感じない。杖を突かずともつまずく心配もなくなった。
受診した医院では、市民病院の血液検査の写しを見て、たんぱく質が不足しているといわれた。3週間流動食、三分粥、五分粥が続いた為であろう。肉類は先日作ってもらった豚汁くらいしか喉を通らない。魚の方がずっと食べやすい。医師からは、無理して肉類を摂取するのではなく、魚で十分なので徐々に動物性タンパクを増やすように指導された。
明日は気温は本日と変わらないが、午後からは雨が降る予想。午前中にユックリではあるが、本日と同じように往復1時間ほど歩いてみる予定。昨日は人出の多い横浜駅を歩いて疲れたので、本日は近くの私鉄の駅の近くにある高血圧の薬を処方してもらっている内科までの往復だけで済ませた。明日は特に予定はないが、同じようなコースにしてみる。
混雑する道ではないので、疲れはあまり感じない。杖を突かずともつまずく心配もなくなった。
受診した医院では、市民病院の血液検査の写しを見て、たんぱく質が不足しているといわれた。3週間流動食、三分粥、五分粥が続いた為であろう。肉類は先日作ってもらった豚汁くらいしか喉を通らない。魚の方がずっと食べやすい。医師からは、無理して肉類を摂取するのではなく、魚で十分なので徐々に動物性タンパクを増やすように指導された。
・神々しい水晶の椅子の夢 司 修
「クラゲのような小さないきものに、手をひかれて行ったのです。‥私は天上界へ連れていかれたのです。‥その空間は限りがあるらしく、中央に、空間の青を吸い込んだ水晶の椅子があったのです。天上界の墓石のようでもありました。椅子に座っていたのは、縮小された仏塔のようでもあり、厳かな雰囲気を漂わせていたのです。私は「世界の中心」に立っている気分でした。」
・ショスターヴィッチの謎と仕掛け 亀山郁夫、吉松 隆
「吉松:五〇年代末には日本の作曲家の芥川也寸志さんが、ソ連に渡って、ショスタコーヴィチとお会いして話をしたそうですが、もう五十代で、(交響曲)11番を書いて、‥押しも押されもしない巨匠なのに蚊に蚊周りをキョロキョロ見回して神経質で気の弱い幹事だったと言うんですよ。一方で5番とか7番とかの交響曲を聴くと、非常に英雄的で芯の強い、そして反体制的な根性のある人というイメージがあります。‥その落差が謎ですね。」
「吉松:六〇年代の後、13番「バビ・ヤール」、14番「死者の歌」という問題作を発表し、西洋のショスタコーヴィチに対する見方が変わる。ユダヤ問題や死を題材にすることで「反体制的かつ前衛的な」顔を見せた。
「亀山:フルシチョフ体制末期そしてブレジネフ体制になってから、どんどん音楽が内面化していって、14番見たいな傑作が生まれる。」
「吉松:「人間、一番恥ずかしいことが、一番気持ちいい事なんだ。気持ちいいことは恥ずかしんだ」」
・スマートホンで撮る科学写真 伊知地国夫
・自然の「豊かさ」を描きだす 永幡嘉之
「「滅びゆく存在を記録とどめ、写真で後世に伝えたい」と傍観することはできない。絶滅の原因を人間がつくっている以上は、ささやかでも行動せねばと思う。わたしが心躍らせてきた自然環境の「豊かさ」を少しでも次代に引き継ぎたいのだ。」
・市川房枝の恋 進藤久美子
「「政治は国民のいのちと生活をまもるため」にあり、政治世界は、利権追求を旨とする「特殊な」価値観と行動様式がまかり通る場ではなく、「生活の場の常識が通用する」ところでなくてはならない。‥この政治観こそが、「安倍一興支配」の政治閉塞を打ち破る力となるはずである。」
「クラゲのような小さないきものに、手をひかれて行ったのです。‥私は天上界へ連れていかれたのです。‥その空間は限りがあるらしく、中央に、空間の青を吸い込んだ水晶の椅子があったのです。天上界の墓石のようでもありました。椅子に座っていたのは、縮小された仏塔のようでもあり、厳かな雰囲気を漂わせていたのです。私は「世界の中心」に立っている気分でした。」
・ショスターヴィッチの謎と仕掛け 亀山郁夫、吉松 隆
「吉松:五〇年代末には日本の作曲家の芥川也寸志さんが、ソ連に渡って、ショスタコーヴィチとお会いして話をしたそうですが、もう五十代で、(交響曲)11番を書いて、‥押しも押されもしない巨匠なのに蚊に蚊周りをキョロキョロ見回して神経質で気の弱い幹事だったと言うんですよ。一方で5番とか7番とかの交響曲を聴くと、非常に英雄的で芯の強い、そして反体制的な根性のある人というイメージがあります。‥その落差が謎ですね。」
「吉松:六〇年代の後、13番「バビ・ヤール」、14番「死者の歌」という問題作を発表し、西洋のショスタコーヴィチに対する見方が変わる。ユダヤ問題や死を題材にすることで「反体制的かつ前衛的な」顔を見せた。
「亀山:フルシチョフ体制末期そしてブレジネフ体制になってから、どんどん音楽が内面化していって、14番見たいな傑作が生まれる。」
「吉松:「人間、一番恥ずかしいことが、一番気持ちいい事なんだ。気持ちいいことは恥ずかしんだ」」
・スマートホンで撮る科学写真 伊知地国夫
・自然の「豊かさ」を描きだす 永幡嘉之
「「滅びゆく存在を記録とどめ、写真で後世に伝えたい」と傍観することはできない。絶滅の原因を人間がつくっている以上は、ささやかでも行動せねばと思う。わたしが心躍らせてきた自然環境の「豊かさ」を少しでも次代に引き継ぎたいのだ。」
・市川房枝の恋 進藤久美子
「「政治は国民のいのちと生活をまもるため」にあり、政治世界は、利権追求を旨とする「特殊な」価値観と行動様式がまかり通る場ではなく、「生活の場の常識が通用する」ところでなくてはならない。‥この政治観こそが、「安倍一興支配」の政治閉塞を打ち破る力となるはずである。」
明日以降、横浜でも台風と秋雨前線の活動で雨が降り続くらしい。9月に入って雨ばかりのような気がする。
嵐の前の静けさ、本日は実に気持ちのいい秋日和。団地の南側のベランダからは雲は一つも見えない。風も柔らかく微かである。菊日和というにはまだ少し早いかもしれない。園芸店でもまだ菊は蕾であった。
★野菊まで行くに四五人斃れけり 河原枇杷男
作者は1930年生まれというから今年88歳なのだろうか。この句、わたしよりも高齢のときの作ではないかと思っている。ネットで検索すると作者の代表句としている解説が多い。
さてこの句、野菊の咲くところが桃源郷のような理想郷と解して、たどり着く不可能性を言及しているのだろうか。あるいは若い頃の仲間を思い出しながら青年期から回想して今年の野菊の季節までに鬼籍に入ってしまった人びとを懐かしんでいるのか。または、一年ないし数年前、一緒に野菊を見た仲間が、立て続けに数名も亡くなった悲しみを詠んでいるのか。
そんな3つの情景を思い浮かべた。私には最後の情景が思い浮かんだ。私ももう5年前に20代の頃の懐かしい仲間と40年ぶりに再会した。その時以来3名の仲間が突然のように亡くなった。自分がもうそんな年齢になっていることに愕然とした。同時に会える時に会うことの大切さ、これからの時間の大切さを実感した。
しかし私の受け取り方だけではなく、「斃れけり」には単なる詠嘆ではなく、「斃れ」という漢字が当てられていることに重要な意味があるとも思える。
「斃」は「疲弊してたおれ死ぬこと」「野たれ死する」(白川静、「字統」)とある。作者はアジア太平洋戦争敗戦時には15歳、直接の戦争だけでなく空襲や敗戦間際の混乱期に無念の死を迎えた仲間、敗戦後の混乱で息絶えた仲間、などが念頭にあったのかもしれない。
情景が読む人によってさまざまに浮かんでくる。若くして亡くなった仲間は、高齢になって野菊の咲く情景を愛おしむということができずに亡くなった。そのことに痛切な当時への批判が含まれているのかもしれない。
嵐の前の静けさ、本日は実に気持ちのいい秋日和。団地の南側のベランダからは雲は一つも見えない。風も柔らかく微かである。菊日和というにはまだ少し早いかもしれない。園芸店でもまだ菊は蕾であった。
★野菊まで行くに四五人斃れけり 河原枇杷男
作者は1930年生まれというから今年88歳なのだろうか。この句、わたしよりも高齢のときの作ではないかと思っている。ネットで検索すると作者の代表句としている解説が多い。
さてこの句、野菊の咲くところが桃源郷のような理想郷と解して、たどり着く不可能性を言及しているのだろうか。あるいは若い頃の仲間を思い出しながら青年期から回想して今年の野菊の季節までに鬼籍に入ってしまった人びとを懐かしんでいるのか。または、一年ないし数年前、一緒に野菊を見た仲間が、立て続けに数名も亡くなった悲しみを詠んでいるのか。
そんな3つの情景を思い浮かべた。私には最後の情景が思い浮かんだ。私ももう5年前に20代の頃の懐かしい仲間と40年ぶりに再会した。その時以来3名の仲間が突然のように亡くなった。自分がもうそんな年齢になっていることに愕然とした。同時に会える時に会うことの大切さ、これからの時間の大切さを実感した。
しかし私の受け取り方だけではなく、「斃れけり」には単なる詠嘆ではなく、「斃れ」という漢字が当てられていることに重要な意味があるとも思える。
「斃」は「疲弊してたおれ死ぬこと」「野たれ死する」(白川静、「字統」)とある。作者はアジア太平洋戦争敗戦時には15歳、直接の戦争だけでなく空襲や敗戦間際の混乱期に無念の死を迎えた仲間、敗戦後の混乱で息絶えた仲間、などが念頭にあったのかもしれない。
情景が読む人によってさまざまに浮かんでくる。若くして亡くなった仲間は、高齢になって野菊の咲く情景を愛おしむということができずに亡くなった。そのことに痛切な当時への批判が含まれているのかもしれない。
やはり繁華街を歩くととても疲れる。慣れれば何とかなるという思いがあったのだが、人混みの中を歩くのは精神的にも肉体的にも大きなエネルギーを使うようだ。本日も帰宅後寝たにもかかわらず、夕食後再び寝てしまった。足の筋肉も少し痛い。約一カ月で衰えた筋肉も元にはなかなか戻らない。
「図書10月号」から
・石牟礼道子の能「沖宮」に寄せて 志村ふくみ
「天草を舞台に、戦に散った天草四郎、生き残った乳兄弟・あや、そして人々の死と再生とを、石牟礼さんは命を削って書き切った。しかし今年の二月、能の完成を見ることなく、石牟礼さんは逝ってしまった。能装束の制作を依頼されたのは約七年前のこと。相応しいと思われる色を幾つかお目に掛けると石牟礼さんは直ちに二つの色を選ばれた。‥色の本性を一瞥のもとに見抜く、恐るべき感性であった。‥異常としか思われぬ自然災害が昨今多発している。能「沖宮」には、そうした事態を生んだ近代に対してこれだけは言い置きたい、という石牟礼さんの思いが溢れている。」
「図書10月号」から
・石牟礼道子の能「沖宮」に寄せて 志村ふくみ
「天草を舞台に、戦に散った天草四郎、生き残った乳兄弟・あや、そして人々の死と再生とを、石牟礼さんは命を削って書き切った。しかし今年の二月、能の完成を見ることなく、石牟礼さんは逝ってしまった。能装束の制作を依頼されたのは約七年前のこと。相応しいと思われる色を幾つかお目に掛けると石牟礼さんは直ちに二つの色を選ばれた。‥色の本性を一瞥のもとに見抜く、恐るべき感性であった。‥異常としか思われぬ自然災害が昨今多発している。能「沖宮」には、そうした事態を生んだ近代に対してこれだけは言い置きたい、という石牟礼さんの思いが溢れている。」