Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

近距離が見にくい

2019年10月31日 21時57分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 校正刷りをチェックしてみたが、おもて面を見ただけで眼がショボショボ。とても裏面までは見ることができなかった。本日のチェックは断念。
 検眼を30分以上続けて疲れたが、まだ回復しきっていなかったのだろうか。あまり無理をするのもよくないようだ。

 20分ほど濡れタオルで目を暖めていた。この文章も実際の大きさの150%まで拡大して打っている。

 これより夜のウォーキング。近距離を見るのはつらいが、5~10m先を見る分にはショボショボしないので、気分転換を兼ねて、ゆっくりとしたペースで歩いてくることにした。

 


物忘れ

2019年10月31日 21時09分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 早くも印刷所から退職者会ニュースの校正刷りが贈られてきた。早いものである。さっそく今晩チェックのうえ、明日返信メールの予定。

 本日は眼科で当面の眼鏡の処方箋を作ってもらった。いろいろとレンズを入れ替えて試したが、はやり右の調整だけではうまくいかなかった。左のレンズも変えないとバランスがとれず、目もつらかった。

 その処方箋をもって横浜駅まで歩いて、今使っている眼鏡をあつらえた眼鏡店でおおよその値段を聞くつもりでいた。数か月の仮の眼鏡なので、いちばん安いもので良い。ところが横浜駅につくまでにその目的が頭から抜けてしまい、そのまま喫茶店に直行し、コーヒーを飲んで寛いでしまった。
 気がついたら夕食時間が30分ほどに迫ってしまい、慌てて帰宅。眼鏡店は明日にでも再度行ってみることにした。

 しかし30分歩いているうちに自分の目的を忘れてしまう、というのは困ったものである。妻にも呆れられてしまった。緊張感が少々なくなったのだろうか。あるいは認知機能の劣化なのだろうか。さすがに意気消沈してしまった。


首里城炎上

2019年10月31日 13時52分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日まずびっくりしたのは、首里城の火災。ほぼ全焼のようである。原因かなにかはまだわからないという。私は二度訪れている。
 首里城は、1945年に沖縄戦で破壊、1992年に正殿などが復元、2000年、遺構部分が世界遺産登録。明治政府による琉球処分から140年の今年に消失とは‥。
 ツィッターにはこんな情報があった。「首里城復元に携わった沖縄県立博物館の田名真之館長は「復元の苦労を知っているだけに火災は信じられない。資料がなく宮大工もいない中で、材料になる木を台湾から持ち込むなどして復元が進められた多くの人の英知が詰まっている建物です。言葉にならない思いです」と話した」

 そして大臣、いや内閣も炎上している。首里城は貴重だが、この内閣果たして炎上して惜しむほど「貴重」といえるだろうか。

 2名の大臣の辞任。これがしかも罷免ではない。この事態については検察が捜査もしていない、あるいは捜査しているという情報すらないというのが、わたしには理解できない。
 文部科学大臣の「身の丈」発言。私にはあの内閣、あの与党では当然のような発言だとあきらめてしまうのが怖い。

 


干柿・吊るし柿・柿すだれ

2019年10月30日 23時48分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★干柿の山の機嫌のいまひとつ      大牧広
★柿すだれ村を離れて子を成せり     山本千之
★半日の陽を大切に吊るし柿       甲斐遊糸

 小学校5年・6年のころ、横浜市の西部で、畑の一部を造成した秋宅地に引っ越した。その20戸ほどの住宅街の傍に、その土地を手放した藁ぶきの農家があり、柿の木が3本ほどもあった。毎年見事に柿が実っていた。柿を収穫するとすぐに納屋に柿が干された。きれいにすだれ状に吊るされた柿の美しさに目を瞠った。学校の帰り道、夕陽に照らされた吊るし柿はことのほか美しいと感じたのはこのときの体験である。
 干柿というと向井潤吉の作品を思い浮かべるが、このときの体験に基づいている。そっくりな風景であった。
 是非食べたいと思っていたのだが、両親とも干柿は好まなかったので、高校を卒業するまで干柿というものを食べる機会がなかった。大学生になって仙台で初めて自分で購入してとても美味しく感じた。
 それから毎年、かならず干柿を買って食べることにしている。

 さらに登山をするようになって里山に降りて来た時に吊るし柿があるととてもホッとしたものである。吊るし柿があると、そこには人が住んでいる証である。無事下山して、間もなく温泉、あるいはバス停がすぐ傍にあるという印でもあった。


眼科のかかりつけ医

2019年10月30日 20時58分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日木曜日は近くのかかりつけの眼科におもむいて、眼鏡のことについて相談してみることにした。左目だけ今迄のレンズを利用し、右目は白内障の手術の結果を受けて新しいレンズにするということが果たして可能なのか、目に余計な負担はかけないか、いろいろと聞いてみたいことがある。果たして何という判断を示されるだろうか。

 時間があれば、耳鼻咽喉科で「匂い」を感じないことについて診察も受けてみたい。歳とともにいろいろなところが悪くなり、綻びが出てくるようだ。


眼科と講座と‥

2019年10月30日 20時26分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は午前中は市民病院の眼科で診察、午後は本郷台駅前のアースプラザで「古代史セミナー」の4回目の講座。

 眼科では、左目の白内障手術をするか否かは、再来週の視野検査の結果次第という結論を言われた。緑内障を医師はかなり気にしている。今の視力に合う眼鏡については左目は現状、右目は新しいレンズも可能ということを言われ、眼鏡店ないしかかりつけ医との相談ということにした。いろいろ問いかけたがメガネなどについては普段世話になっているかかりつけの医師の方が相談しやすいので、そのような結論になって逆にホッとした。



 午後は五体史セミナーの第4回目。今回の講座は森田喜久男氏の「神話の中の世界-ヤマタノオロチ退治の神話を中心に」。古代史というよりも神話とその変容といった内容で、私の興味をおおいにひく抗議であった。このような講座がもっとあると嬉しいのだが。

 帰宅途中で処方された点眼薬を薬局に取り行こうとしていたが、すっかり忘れてしまった。薬局の目の前を歩いたのだが、思い出さずに通り過ぎてしまった。またまた情けない話である。明日、どうしても薬局に行かないと薬が切れてしまう。

 


雨、ようやくあがる

2019年10月29日 23時36分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 雨は上がったようである。本日の最高気温は昨晩日付が変わったころの16.8℃、0時14分とのことである。昼間はそれよりも低かったことになる。
 15時半頃に傘を差しながら横浜駅まで歩いてみた。特にひどい雨ではなかったので、ズボンも濡れることなく横浜駅にたどり着けた。
 考えていたよりも買い物客が多く、地下のスーパーもレジは並んでいた。恃まれた買い物をしていると昔お世話になった上司に出会った。軽く会釈をした後、一言、二言声を掛け合って分かれた。向こうも私のことを覚えており、元気そうな様子になんとなく嬉しくなった。喫茶店で1時間ほど目を瞑っていた。寝てはいなかった。肩の凝りも少し治ったような気分になった。

 昨日のインフルエンザの予防接種の後、かなり赤くなっていることに気がついた。少し熱を帯びて少しだけだがむくんでいる。痛みはないが、用心に越したことはない。また少々下痢気味である。予防接種と消化不良、あまり関係はないように思えるが、果たしてどうなのだろうか。本日も風呂では軽く洗うだけにしたほうが良さそうである。

 22時前に夜のウォーキングに出かけてみた。インフルエンザの予防接種の後なので過激な運動は控えなくてはいけない、ということで40分ほどゆっくりと。
 空はすっかり雲がなくなり、星がみえていた。しかし眼鏡があっていないので、それほどよく見えたわけではない。しかも23時過ぎに濃霧注意報が発表になった。


★秋霖に濡れて文字なき手紙かな    折笠美秋
★秋の雨しづかに午前をはりけり    日野草城

 「秋霖」は秋の長雨。文字が雨で濡れて読めなくなった手紙。手紙だから封書、差出人がわからないのだろうか。しかし封をあければ読めないことはないが、さびしい秋の雨のようにいろいろ考えさせられる内容の手紙と作者は想像が出来ている。
 これが封書ではなく葉書ならば、時候の挨拶でなければ、困ってしまう事態。これでは俳句にはならなくなる。  


雨、ようやくあがる

2019年10月29日 21時01分56秒 | 天気と自然災害

 雨は上がったようである。本日の最高気温は昨晩日付が変わったころの16.8℃、0時14分とのことである。昼間はそれよりも低かったことになる。
 15時半頃に傘を差しながら横浜駅まで歩いてみた。特にひどい雨ではなかったので、ズボンも濡れることなく横浜駅にたどり着けた。
 考えていたよりも買い物客が多く、地下のスーパーもレジは並んでいた。恃まれた買い物をしていると昔お世話になった上司に出会った。軽く会釈をした後、一言、二言声を掛け合って分かれた。向こうも私のことを覚えており、元気そうな様子になんとなく嬉しくなった。喫茶店で1時間ほど目を瞑っていた。肩の凝りも少し治ったような気分になった。

 昨日のインフルエンザの予防接種の後、かなり赤くなっていることに気がついた。少し熱を帯びて少しだけだがむくんでいる。痛みはないが、用心に越したことはない。また少々下痢気味である。予防接種と消化不良、あまり関係はないように思えるが、果たしてどうなのだろうか。本日も風呂では軽く洗うだけにしたほうが良さそうである。

 22時前に夜のウォーキングに出かけてみたい。インフルエンザの予防接種の後なので過激な運動は控えなくてはいけない、ということで40分ほどゆっくりと。


里芋が恋しい季節

2019年10月29日 14時50分09秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 リビングルームに小さなガスストーブを出して点けている。暖まったので消すとすぐにまた点けたくなる。かといって長い時間点けていると21℃を超える。なかなか面倒な気温である。
 朝からの雨は止むことがない。思い切って、15時を過ぎたら出かけてみることにした。

 家で閉じ籠っていると体がだれてくる。気持ちもメリハリが効かずにダレてくる。テレビもやはりつまらないし、目が疲れる。

★月山の雲の犇めく芋煮会         後藤杜見子

 芋煮は好物である。若い頃はあまり口に出来なかったが、妻がよく作ってくれる。南東北出身の妻には馴染んだ味なのである。地域によって味付けや、具材に差がある。それぞれにこだわりがある。芋煮会は確かに外で、しかも川べりでワイワイと大勢で食べるのが美味しいのだろうか。だが横浜近辺ではそのような場所はない。秋ではなく、花見の季節にかぎられてしまう。その時は里芋がなくて寂しい。
 若い頃、私は大勢で外でワイワイと食べるという経験がほとんどなかった。少ない家族で食べる以外の体験少なかった。せいぜいごく親しい叔父・叔母を交える程度。学生時代・就職後少しずつそれにも慣れてきた。そうすると学生時代を過ごした南東北での芋煮会を体験しなかったことが残念に思えるようになった。

 


豪雨被害

2019年10月29日 11時35分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 予報どおり朝から雨。雨といっても5ミリ未満である。昨日はとても暖かであったが、本日は肌寒い。一日中降り続く気配である。気分としては家に籠ってしまいそうだ。

 豪雨の後なので、被災した地域にとっては要警戒の雨だとおもう。また復旧作業にも支障であろう。
 宮城県北部に在住の友人宅には被害はなかったと確認できた。ある別の知人は宮城県丸森町に在住で大きな被害があったとの情報を貰った。
 今のところ、学生時代の友人2名、組合の関係で1名の被害となっている。友人・知人と相談をしていきたい。

 今しがた印刷所に最終の原稿を送信。ホッとしている。このあとは校正刷りが送られてきたら再度チェックをして、来月18日に組合の会館に配達してもらうのを待つ。
 校正刷りを見るときは原稿を送ったときよりも客観的に見ることができる。やはり時間の経過ということは大切なことだと思う。自分の原稿の段階では何回読みなおしても、自分の思い込みで読んでいるので、間違いを飛ばしてしまう。
 さらにプロの編集者の手が加わることで、他人の作品のような感じにもなる。これも大切なことだとおもう。
 だが、校正刷りが確定して印刷工程に入り、実際に組合の会館にとどくまでの一週間は毎回ドキドキである。だが記事はあの内容で良かったのか、別の視点から見ると違った解釈をされてしまわないか、書くべき内容は網羅したか、などなどの不安が頭の中で大きくなってくる。
 こればかりは幾度経験しても慣れてしまうことはない。


ようやく原稿確定

2019年10月28日 23時30分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は特に予定が入っていないが、お昼までには印刷所に送る原稿の最終版を送信する予定。妻にもチェックしてもらったものの、複数の編集委員に見せるとやはり6か所ほどのミスが見つかった。日にちと曜日が合っていない個所も見つかった。情けないという思いがいつもこの段階で頭の中に浮かび上がってきて、自己嫌悪に陥る。

 明日は雨、ひょっとしたら一日降り続く可能性があるらしい。

 明後日には市民病院の眼科で再度の診察。ここで今後の予定、特に左目の手術の見通しと眼鏡の新調について医師の考えを聞いておきたい。
 年末にかかって読書時間が確保できないのはつらいものがある。さらに明後日の午後は古代史セミナーがある。診察後に本郷台駅のアースプラザまでは時間がかかる。果たして間に合うか、ヤキモキしている。


インフルエンザの予防接種

2019年10月28日 21時33分35秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は午前中に親のかかった内科で私もインフルエンザの予防接種をしてもらった。市の補助があり、65歳以上は一律2300円。昨年は摂取しなかったと記憶しているが曖昧。「お酒はほどほどに、過激な運動は控えてほしい。お風呂では構わないが接種した個所はこすらない事、あまり高温で長湯はやめた方がいいと思います」とのことであった。
 お酒は遠慮した。夜のウォーキングは少しだけ控え目に30分ほど、お風呂は軽くシャワー程度、というつもりである。
 インフルエンザの予防接種、待合室にいた8人内半数の4人が接種を受けていた。予防接種する人はかなり多いようだ。
 さらに耳鼻咽喉科で親の診察後に「私は匂いを感じなく鳴り始めてもう二十数年経つ。最近はほとんど感じない。どこで受信したらいいか」と聞いてみたところ、「耳鼻科でまず診ます」とのことであった。ということで来週あたり時間の合間を縫って、この耳鼻科を受診してみることにした。

★店の灯の明るさに買ふ風邪薬      日野草城
★風邪心地部屋の四隅の遠さかな     遠山陽子

 第一句、風邪は冬の季語であるが、今年はまだ秋なのにインフルエンザの流行が早い。薬局の風邪薬は症状を和らげるだけである。「風邪位なら仕事を休むな」というブラックな職場は、糾弾されても批判されても後を絶たない。日本企業の非人間性が世界で呆れられている。
 だが子どもが熱でも出すと何とか楽にしてやりたくて、遅くまで開店している薬局を探したものである。開いている店を見つけたときの安堵感は忘れられない。

 第二句、ひとり暮らしでインフルエンザにかかって寝ているときの心細さは、男女・老若関係ない。枕もとのティッシュがなくなったり、水が飲みたくなったり、何をするにしても体を動かすのがつらい。空腹になったり、トイレにも行きたくなるのに、起き上がれない自分が情けない。
 風邪で長時間、下からの視線でしかも天井以外のものを見ると普段は狭い部屋も広く感じる。まして縁側の硝子戸や襖、障子やそこにはめ込まれたガラス窓の向こう側の景色などをその視点で見ると普段見慣れた景色も変わって見えるし、新しい発見もある。
 畳の目も新鮮にまじかに見える。その拡大して見える畳の目の向こうに、遠近感が誇張されて畳の端っこまでの距離も遠く感じる。そんな視点に驚いている作者がいることに気がつくのが大切な鑑賞なのだと思う。
 気持ちが萎縮して布団の上の虫にでもなったような視点で部屋を見つめる。するといつ治るかという不安が募る。回復する希望があれば耐えられるが、なかなかそうはならない。
 学生のときに一人で心細かった時、クラスメイトが心配してきてくれた時は本当にうれしかった。しかしその人に風邪をうつしてしまった。感謝と同時に、今でも申しわけなく思っている。

 


読書する気力と目の疲労

2019年10月28日 14時40分11秒 | 読書

 本日は予報では最高気温21℃となっていたが、それよりも暖かいと思われる。朝から病院を三つと薬局を二つ回った。ゆっくりと歩くのでかえってくたびれる。
 これより夕方まではひとりでいつものように横浜駅まで往復歩いてウォーキングとコーヒータイム。
 明日はまた雨の予想で、いかも最高気温が16℃となっている。気温の上下が相変らず大きい。そして雨という予報を見ると気分が落ち込む・

 視力も本調子ではないので、読書というのが選択肢から今のところ外れてしまっている。パソコンだけで疲れてしまう。喫茶店でも目をつぶっていることが多くなった。白内障の治療を早く終わらせたいと思い続けている。


累計訪問者数が90万超え

2019年10月28日 01時39分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 このブログの累計の訪問者数が90万を一昨日に超えていた。普段からこのブログを覗きに来てくださる方に心より感謝いたします。(累計閲覧数というのがよく理解できないが、そちらは437万を超えている。)
 他愛もない事ばかりを記載して、覗いた甲斐がない、といわれるのはつらい。できるだけ、せめて「フーン」と思ってもらえるようにしたいものです。しかしながら、最近は愚痴や、他愛もない身辺雑記の割合が多くなっている、という危惧は強にもっています。できるだけ改善はしたいのですが、なかなか思うようには行かないといったところ。

 さて、このブログを解説したのが2007年7月。最初の記事ひとつをアップしたものの丸2年放置したまま。2回目をアップし、継続的に記事をアップするようになったのが、2009年8月。
 継続的に、とはいっても当初は月30日の半分、15回程度アップする程度であった。毎日1回アップするようになったのが2013年4月以降のようだ。定年後一年経ってからである。

 今では日に3度はアップするようになった。記事を書くのが日課になった。それだけ日常の生活が暇になった、といえるのかもしれない。
 起きている時間のうち、毎日パソコンの前に座っている時間が、半分以上かもしれない。もっともアップする記事を記していたり、そのための調べものをしている時間だけでなく、退職者会のニュースや資料作りの時間も含めてであるけれど。
 記事を考えることが、日常生活の中にすっかり組み込まれてしまった。

 この10年2カ月、ずいぶんいろいろなことがあった。「いろいろなこと」はすべてこのブログにアップしてある。恥ずかしくも58歳以降の私のある意味すべてがここに貼り付けにされ、晒されている。

 自分にとって日常生活の張りとなり、そして訪問してもらった人が何かの刺激になることを期待して、引続き継続していく予定ですので、今後ともご訪問、お願いいたします。

 


2019年10月27日 21時39分03秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 明日は朝から親の通院3か所にお付き合い。退院した時にもらった薬がなくなるとのこと。そういえばリハビリの病院を退院してからもう4週間近くたつ。入院中は3つの病院でもらっていた薬を一括して処方してもらっていた。
 明日は3つの病院を回ることになる。ともに家からは近いのだが、病院から病院は少々遠くなる。そして山の上と下である。診察時間にもよるが、歩行に時間を掛けたいものである。運動にいいかもしれない。
 そして午後には通いのリハビリである。こちらは迎えに来てくれるので見送り。帰りの出迎えは妻にお願いした。

 もう歩行は自信もついたようであるが、その時が一番危ない時期でもある。もうしばらくは外出には付き添わないといけない。もうすでに朝食・昼食は自分で作っている。夕食は一緒の食卓。

★毬栗の夕陽に割れて響きたる      庄司たけし
★三つほどの栗の重さを袂にす      篠山悌三郎

 本日は栗を茹でたのを今年初めて食した。食べ始めると止まらないが、食べるまでになかなか踏ん切りがつかない。皮を剝くのが面倒なのである。しかし食べ始めると止まらなくなるのである。うまいのである。
 私は小さい頃、毬栗は地面に落ちてから割れるのだとばかり思っていた。ようやく最近は樹上で割れてから落ちると教えられた。毬の痛さはすごいものだと思う。到底直接手に取ることはできない。
 しかし毬から出て来たあの茶色の栗は、手によくなじむ。掌で転がしているとあのとんがりの刺激がなんとも言えずに心地よい。手に持っていると握ったり、手のひらで転がしたり、落ち着かないほどにもてあそびたくなる。
 慣れた栗は茹でるために湯の中に入れろ、といわれても馴染んでいるのでもったいない気がして手離せないのだ。不思議な質感を持つのが栗である。