本日は午前中に親のかかった内科で私もインフルエンザの予防接種をしてもらった。市の補助があり、65歳以上は一律2300円。昨年は摂取しなかったと記憶しているが曖昧。「お酒はほどほどに、過激な運動は控えてほしい。お風呂では構わないが接種した個所はこすらない事、あまり高温で長湯はやめた方がいいと思います」とのことであった。
お酒は遠慮した。夜のウォーキングは少しだけ控え目に30分ほど、お風呂は軽くシャワー程度、というつもりである。
インフルエンザの予防接種、待合室にいた8人内半数の4人が接種を受けていた。予防接種する人はかなり多いようだ。
さらに耳鼻咽喉科で親の診察後に「私は匂いを感じなく鳴り始めてもう二十数年経つ。最近はほとんど感じない。どこで受信したらいいか」と聞いてみたところ、「耳鼻科でまず診ます」とのことであった。ということで来週あたり時間の合間を縫って、この耳鼻科を受診してみることにした。
★店の灯の明るさに買ふ風邪薬 日野草城
★風邪心地部屋の四隅の遠さかな 遠山陽子
第一句、風邪は冬の季語であるが、今年はまだ秋なのにインフルエンザの流行が早い。薬局の風邪薬は症状を和らげるだけである。「風邪位なら仕事を休むな」というブラックな職場は、糾弾されても批判されても後を絶たない。日本企業の非人間性が世界で呆れられている。
だが子どもが熱でも出すと何とか楽にしてやりたくて、遅くまで開店している薬局を探したものである。開いている店を見つけたときの安堵感は忘れられない。
第二句、ひとり暮らしでインフルエンザにかかって寝ているときの心細さは、男女・老若関係ない。枕もとのティッシュがなくなったり、水が飲みたくなったり、何をするにしても体を動かすのがつらい。空腹になったり、トイレにも行きたくなるのに、起き上がれない自分が情けない。
風邪で長時間、下からの視線でしかも天井以外のものを見ると普段は狭い部屋も広く感じる。まして縁側の硝子戸や襖、障子やそこにはめ込まれたガラス窓の向こう側の景色などをその視点で見ると普段見慣れた景色も変わって見えるし、新しい発見もある。
畳の目も新鮮にまじかに見える。その拡大して見える畳の目の向こうに、遠近感が誇張されて畳の端っこまでの距離も遠く感じる。そんな視点に驚いている作者がいることに気がつくのが大切な鑑賞なのだと思う。
気持ちが萎縮して布団の上の虫にでもなったような視点で部屋を見つめる。するといつ治るかという不安が募る。回復する希望があれば耐えられるが、なかなかそうはならない。
学生のときに一人で心細かった時、クラスメイトが心配してきてくれた時は本当にうれしかった。しかしその人に風邪をうつしてしまった。感謝と同時に、今でも申しわけなく思っている。