Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ソフトの更新終了

2025年02月08日 09時28分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 日本語編集ソフト「一太郎」の更新は特に問題もなく無事終了できた。前回の更新が実に12年前。ついでにPDFの編集ソフトも更新した。こちらも同様に12年ぶり。
 私はどうもワードが苦手。「一太郎」では縦書きの新聞がそのまま編集出来てずいぶん助かっている。私は一太郎とエクセルを常用している。
 レイアウト枠がない通常のビジネス文書ならば、一太郎で編集してそのままワードに変換して保存できるので、ワード使用者とも共有できる。一太郎でワード文書も読み込める。私なりにおおいに重宝している。エクセルの表の貼り付けも自由である。

 本日も朝から寒い。窓枠は内側が結露でかなり濡れている。この1週間、寒波の襲来以来ひどくなっている。雑巾で窓枠の結露をふき取るのは重労働である。妻に任せてばかりで、私はサボっている。役に立たない夫である。

 本日もこれより外出。


ソフトの更新

2025年02月07日 20時43分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中所用があり出かけた。昼食後喫茶店で読書タイムをとろうとしてリュックを探ったが、入れたつもりの本が入っていなかった。どうも入れようとしてテーブルの上に置いたまま外出してしまった。やむなく、昼食後のひとときはメールチェックで時間を潰した。
 読書が出来ないと、一日を無駄に過ごしたような気分になってしまう。あまりいい傾向ではないと、思っているが直しようがない私の性格である。

 昼食後の一服ののち、組合の会館に出かけ、会館に置いておいたノートパソコンを持ち帰った。15.6インチなのでそれなりに重い。持運び用ではないが、時々組合の会館で使うこともある。共用のパソコンは使いづらい。自分なりにカスタマイズして使い慣れたもの、反応の早いもののほうが使い勝手は格段にいい。

 購入した新バージョンのソフトが宅配業者を通して配達された。デスクトップのパソコンにインストールを何とか完了。これよりノートパソコンにもインストール。本日の作業はこれで終了したいもの。

 明日は読書タイムは確保できそうもないし、このブログの投稿も可能とは思えない。が、読書中の本はリュックに入れ忘れないようにしたい。

 


マイナ保険証の不思議

2025年02月06日 22時30分30秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 緑内障の点眼薬がほぼ無くなった。午前中に眼科で点眼薬の処方をしてもらい、午後に処方箋をもらって薬局へ。いつも思うのだが、病院ではマイナ保険証の受付をするように声をかけられることはほとんどない。
 薬局ではオウム返しのように訪れるたびに、「マイナ保険証は持っていませんか」と声をかけられる。顔を見知っている私にも声をかけてくる。私はそもそもマイナンバーカードを所持していない。保険証の紐づけを行う前提すら整っていない。私は処方箋と薬手帳を渡してそのままベンチで待つだけ。
 そして不思議なことに多くの患者は処方箋と薬手帳を提出してから保険証の読み取り機械と苦闘している。受けつけの事務員はその間に要領よく処方箋を打ち込み、薬剤師に書類を回している。
 敢えて保険証に処方された薬の情報を、医・薬一元化のために入力する必要性が今一つ伝わってこない。処方された薬の情報は病院の医師が入力済みである。あるいはカルテに記載済みである。私には二重手間で入力しているようにしか思えない。政府は、政府は病院よりも薬局をターゲットにしてマイナ保険証の普及促進と、医・薬の情報一元化を薬局を通して、薬局の手間の増で進めているとしか思えない。医療情報の一元化というのは果たして国民的合意を得たことなのだろうか。いつも不思議に思っている。手段が先行して目的があいまいなままことが進んでいないか。
 マイナンバー制度そのものについてはまったく否定はしないが、どうして保険証と紐づけいなければならないのか、いつも首を傾げている。
  私は保険証の期限が切れた時点で添付されてくるはずの資格確認書をそのまま保険証代わりに使い続けると思う。

 さて本日も昨日と同じく、昼間は喫茶店で「鬼の研究」(馬場あき子)を読み、帰宅後は「ルドン 生涯と作品 改訂版」(山本敦子)を読んで過ごした。

 明日は、所用があり朝9時には自宅を出る必要がある。早寝の予定。


読書再始動

2025年02月05日 21時41分09秒 | 読書

 本日は親の通院の付き添い。体調の回復が遅ければ、妻に付き添いをお願いしようと思っていたが、さいわいにも充分に回復出来た。
 午後からの通院で、薬局で薬を処方してもらって帰宅したのが16時すぎ。それから地下鉄で横浜駅まで出向いて、親に頼まれたカイロなどを購入。喫茶店で1時間ほどの読書タイムとした。
 読んだ本は読みかけのままにしていた「鬼の研究」(馬場あき子)の再読から。これまで読んだところを少しばかりさかのぼって復習。第4章「天狗への憧れと期待」の第2節「天狗と飛行時間」、第3節「無道の智者」を再読してみた。情けないことに覚えていない箇所がたくさんあった。次回からは第4節「天狗山伏」へ進む。明日以降続きを読み進める予定。
 これまで読んだところまでを読み返したのち、「もっと知りたい」(東京美術)シリーズの「ルドン 生涯と作品 改訂版」(山本敦子)を読み始めた。帰宅後、夕食時間を挟んで60%程を読んだ。



 ルドンはとても惹かれるのだが、生涯も作品背景も充分には理解できていない。私は晩年の色彩の爆発ともいうべきパステル画・油彩画に至る過程などを知りたい。三菱一号館美術館に展示されている《グラン・ブーケ》にはいつも圧倒される。印象派の色彩の把握とは基本的に違っているのではないか。あの色彩がもたらされる意図に触れてみたいと感じてきた。むろん黒の時代の象徴的な作品の意図もおおいに知りたい。
 ルドンの作品は興味の尽きない作品ばかりである。

 


カワヅザクラとコブシ

2025年02月04日 22時28分35秒 | 近くの自然

   

 土・日は家で寝ていたので、歩数計はそれぞれ30数歩止まり。昨日は5000歩少々歩いてみた。本日は、ゆっくりながら旧東横線の鉄道敷に設けられたフラワー緑道を経由して横浜駅まで歩いてみた。
 昨日は最後の300歩程で脹脛が攣りそうになったが、本日は家に着いたときに1万歩超えであったが、ふらついたり、足が攣ったり、膝に違和感があったりはしなかった。

 フラワー緑道の一番横浜駅側に植えてある3本のカワヅザクラと2本のコブシがかなり綻びていた。
 カワヅザクラの花芽は緑色が鮮やかになってきた。コブシの目は羽毛が初々しく美しい。
 立春とはいえ、寒気が南下して寒い。植物はカレンダーを内包しているようだ。
 日ごとに花木が変化するのは楽しみである。カワヅザクラよりも遅く咲くヨコハマヒザクラはまだまだ花芽が硬く小さい。スマホのカメラでは捉えきれない。
 いづれもスマホのカメラでピントが合っていないのはお許し願いたい。


読了「図書2月号」

2025年02月04日 21時19分07秒 | 読書

 

図書2月号を読み終えた。目を通したのは以下の諸編。いつものように覚書。

・[表紙に寄せて]ハロゲンランプ    杉本真維子
行事をたのしめるていどには/へいぼんでいたいものだが/それがもっとも/むつかしい/炬燵のおくふかくまでもぐって/ハロゲンランプのなかにある/国を/じっと見る

・春と旅立ちを待って         佐藤志敦

・チェンニーノ・チェンニーニと
  その「絵画術の書」をめぐって(上)  森田義之
ルネサンス期フィレンツェの顕著な特徴は、それぞれの地区や街区における社会的・経済的な異種混交性であった。都市の中に富裕層だけが居住する地区は存在しなかったし、貧民しか住んでいない地区もなかった。どの地区も大きな邸館と小さな家、織物工房と小売店、、教区聖堂と修道院が入り混じっていた。

・幸せになる能力(たぶん)       森本あんり

・花盛りの庭             奥本大三郎

・海を渡った鎌倉のユリ        入江真理子
 明治・大正期の球根栽培と輸出
明治から日本がユリの球根を大量に輸出していた。・・・(ユリは聖母マリアのアトリビュートとされるが)戦前まで欧米ではユリ球根は栽培できず、輸入が主流であった。産地はシリア、パレスチナ、エジプトなどで、キリスト教発祥地に近い場所から来る高価な花だった。明治半ば球根の輸出が本格的に始まった。日本のユリ、特に白いテッポウユリは欧米でイースターリリーと呼ばれた。・・・明治・大正期の横浜港ではユリ球根が生糸や絹織物、お茶に続く輸出品となり、最盛期には年間約4000万球の球根が海を渡り・・・。明治20年頃、鎌倉群玉縄村や大船村、豊田村(栄区)、三浦村などでヤマユリやテッポウユリ球根の栽培が行われた。

・できごとの場所 水俣、上湾、浅草  大坂紘一郎
表現に必要なのは、展示会場ではない。人びとの声や行動が引き合い、場そのものがものがたりを紡ぎ出す力を持つとき、それが「できごと」を生む原動力となる。・・・くらがりは想像を喚起し、未発の可能性を引き出す。「できごと」が起こるために必要なのは、その情感が押し込められた場所そのものなのである。

・みたことのない景色へ        宮本文昭
小澤征爾さんは常に「完全な理想の完成型」を求めて何度でもトライすることが生きている自分の証明だったのかな、と空想してしまう。

・イスタンブールで聴くイエスタディ  阿部成樹

・子規編輯「古白遺稿」考       復本一郎

・ドイツの中の「日本写真」      結城 円

・グローバル・シェイクスピア     前沢浩子
シェイクスピアはイギリスの誇りとして、この400年間を生き延びてきた。果たしてこれからはどうだろう。・・イギリスの国語としての個別性はどのようにして保たれるのだろか。・・グローバル化した経済と国民国家の文化的ヘゲモニーはどのように交差するのだろうか。厳しい問いを突きつけられながら、シェイクスピアの変容は未来に続いていく。

・二月には厄払い           柳家三三

・不調の波 髪の乱れた女たち     中村佑子

 


「特に心配なし」

2025年02月03日 15時34分53秒 | 病い

   

 朝のうちにいつもの内科に通院。病院は空いていた。降圧剤などの処方はいつものとおりにしてもらった。土曜日からの腹痛とひどかった下痢については、発熱もなく、すでに症状も納まっていることを伝えると、「ウィルス性の急性の胃腸炎ではないか、特に心配はないと思われる。夫婦で同じものを食しても症状が出る場合と、出ない場合とがある。疲労やストレスで抵抗力に差が出たのかもしれません」と言われた。
 5日分の胃腸の働きを整える薬を処方されたが、症状が納まっている場合は5日間すべて服用しなくても問題はないみたいであった。

 二日間、家の中でしか動かなかったので、病院の往復で約5000歩。途中のドラッグストアで食材をいくつか購入してから帰宅。家の近くになって脹脛が硬くなり、攣るのではないかと心配した。帰宅後、温まりながら着替えている間に、凝りは解消。しかしわずか5000歩で攣りそうになるのは情けなかった。

 


読了「系外惑星と太陽系」

2025年02月02日 20時33分46秒 | 読書

   

 夕食後に読書を試みた。「系外惑星と太陽系」(井田茂、岩波新書)を読了。読書の意欲が回復しているか心配したけれども、意外とスムーズに読み進んだ。

 「研究の先端では「地球中心主義」は崩れ去り、「第二の地球探し」というようなフレーズではハビタブル惑星の研究はカバーできなくなっている。・・・「第二の地球発見!」なとという見出しに違和感を感じ、「地球に似ていなければ研究対象、興味の大正として意味がないのか?」「地球中心主義にこだわることで、全体像が見えなくなってしまい、地球の位置づけもみえなくなるのではないか?」などと考えてしまう。・・・実際の研究の現場では「地球中心主義」は崩れ去っているのだあるが、専門の研究者の議論であっても「私の視点」が購入し、それが混乱を招くこともある・・・。」(第5章「系外ハビタプル惑星」)
 「ハビタブル条件を、惑星の質量・軌道、水・炭素・窒素の供給にまで条件を捨象してしまうと、太陽系に似た惑星系である必要も、地球に似た惑星系である必要も、地球に似た惑星である必要もななり、さらには惑星である必要もなくなる。」(終章「惑星から見た、銀河から生命へ」)
 「地球生命は、単一の遺伝暗号、決まった20種類のアミノ酸を使う一系統の生命である。この地球生命というたった一つの礼だけである。だが、系外惑星は、液体の水(海)を持つものでも、その海の携帯や他の大気・気候やプレート・テクトニクス、磁場、中心星紫外線・X線などの表層環境には大きな多様性があるであろう。ハビタブル・ムーンのように惑星でない者も、表面ではなく、地下に海を持つものもあるであろう。」(終章)

 人はどうしても「地球」のシステムや環境にとらわれて、広い視野を見失う。政治の世界も「日本」という枠組こだわって「世界」を見てしまう。「世界」性の視点の確保というのは難しいことなのだろうか。
 まして「地球」という枠組を超えるのは厳しい。木星や土星の衛生にハビタブルな条件が見つかったとしても、地球型生命ばかりに気を取られてしまう。
 飛躍すれば、地動説から天動説への転換が、またも求められる時代に突入しているということか。

 今年「図書」を除く初めての単行本の読了である。少しエンジンをかけて読書時間を確保したい。
 


少しだけ回復

2025年02月02日 16時59分17秒 | 病い

 今朝からは激しい下痢はおさまった。明け方にいったん目が覚めた時にコップ半分ほどの白湯を飲んだら、少しだけお腹がゴロゴロとなったもののすぐにおさまった。いつもの時間に起きて血圧測定や薬を服用したときには、お腹の違和感はなくなっていた。
 一番うれしかったのは、薬の服用で白湯を飲んだ時に、ミルクのみ人形のようにすぐに排出されるのではなく、尿として排出されたことである。大腸で水分を吸収する機能が回復した証しと思えた。
 ただし気力は回復せず、ボーッとしたまま。朝のうちに本日の退職者会の「新春のつどい」の栞やら名札シールなどの私の請け負った物品を、取りに来てくれたかたに渡したのちは、ベッドでひたすら寝た。本を枕元に持参したが、手に取る気力も湧かなかった。

 食欲はまるでなく、煎茶で水分補給。朝・昼は固形物を食べなかった。昼過ぎに塩分補給のために半分ほどに薄めたスポーツドリンクを100CCほどと小ぶりの梅干しを食べただけ。先ほど林檎を六分の一程食べてみた。お腹にすんなりと納まってくれたようだ。

 横浜にも雪が降るとの予報であったが、降らなかった。雨も小雨ですんだようだ。しかし気温は低く、最高気温は8.5℃。まったく外に出ていないが、窓越しに見る外の景色はとても寒々しい。

 


参った

2025年02月01日 19時52分02秒 | 病い

 朝から吐き気と腹痛、そして水様性の下痢が続いてダウン。食欲もなく、何もする気が湧いてこない。ベッドと便所の間を行き来している。
 妻は親族の見舞いのために娘と都内へ。寝ているうちにあっという間に時間が経ってしまった。
 夕方になり、吐き気と腹痛はほとんどおさまったが、水分を摂取するとお腹がグルグルと演奏会のよう。水様便はいっこうにおさまらない。

 病院に行きたくとも今日・明日は休診日。明日の退職者会の「新春のつどい」は他の役員には申し訳ないが欠席とさせてもらうことにした。作成した栞などは、明日の朝に取りに来てもらうことになり、申し訳ないがホッとしている。

 先ほど妻と娘が帰宅。見舞いの模様を教えてもらった。
 私は熱が出ないので、インフルエンザではないような気がするが、原因は月曜日の受診まではわからない。

 本日はこれにて短時間の「営業時間」は終了。再度就寝。