図書2月号を読み終えた。目を通したのは以下の諸編。いつものように覚書。
・[表紙に寄せて]ハロゲンランプ 杉本真維子
「行事をたのしめるていどには/へいぼんでいたいものだが/それがもっとも/むつかしい/炬燵のおくふかくまでもぐって/ハロゲンランプのなかにある/国を/じっと見る」
・春と旅立ちを待って 佐藤志敦
・チェンニーノ・チェンニーニと
その「絵画術の書」をめぐって(上) 森田義之
「ルネサンス期フィレンツェの顕著な特徴は、それぞれの地区や街区における社会的・経済的な異種混交性であった。都市の中に富裕層だけが居住する地区は存在しなかったし、貧民しか住んでいない地区もなかった。どの地区も大きな邸館と小さな家、織物工房と小売店、、教区聖堂と修道院が入り混じっていた。」
・幸せになる能力(たぶん) 森本あんり
・花盛りの庭 奥本大三郎
・海を渡った鎌倉のユリ 入江真理子
明治・大正期の球根栽培と輸出
「明治から日本がユリの球根を大量に輸出していた。・・・(ユリは聖母マリアのアトリビュートとされるが)戦前まで欧米ではユリ球根は栽培できず、輸入が主流であった。産地はシリア、パレスチナ、エジプトなどで、キリスト教発祥地に近い場所から来る高価な花だった。明治半ば球根の輸出が本格的に始まった。日本のユリ、特に白いテッポウユリは欧米でイースターリリーと呼ばれた。・・・明治・大正期の横浜港ではユリ球根が生糸や絹織物、お茶に続く輸出品となり、最盛期には年間約4000万球の球根が海を渡り・・・。明治20年頃、鎌倉群玉縄村や大船村、豊田村(栄区)、三浦村などでヤマユリやテッポウユリ球根の栽培が行われた。」
・できごとの場所 水俣、上湾、浅草 大坂紘一郎
「表現に必要なのは、展示会場ではない。人びとの声や行動が引き合い、場そのものがものがたりを紡ぎ出す力を持つとき、それが「できごと」を生む原動力となる。・・・くらがりは想像を喚起し、未発の可能性を引き出す。「できごと」が起こるために必要なのは、その情感が押し込められた場所そのものなのである。」
・みたことのない景色へ 宮本文昭
「小澤征爾さんは常に「完全な理想の完成型」を求めて何度でもトライすることが生きている自分の証明だったのかな、と空想してしまう。」
・イスタンブールで聴くイエスタディ 阿部成樹
・子規編輯「古白遺稿」考 復本一郎
・ドイツの中の「日本写真」 結城 円
・グローバル・シェイクスピア 前沢浩子
「シェイクスピアはイギリスの誇りとして、この400年間を生き延びてきた。果たしてこれからはどうだろう。・・イギリスの国語としての個別性はどのようにして保たれるのだろか。・・グローバル化した経済と国民国家の文化的ヘゲモニーはどのように交差するのだろうか。厳しい問いを突きつけられながら、シェイクスピアの変容は未来に続いていく。」
・二月には厄払い 柳家三三
・不調の波 髪の乱れた女たち 中村佑子