本日までに「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)の第3章「裸体芸術の辿った困難な道」を読み終わり、第4章「裸体への視線」の第1節「見えない裸体」まで目をとおした。
「ミシェル・フーコーは、性について語る人はつねに権力による性の抑圧について語りたがる。傾向があることを指摘し、そうではなく、なぜ性が否定され、いかにして罪と結びついてきたのか、という本質的な問題について考えなければならないと述べている。日本の裸体芸術が困難な茨の道を歩んだのは、権力の乱用のせいばかりではない。文化や社会、あるいは美術のあり方の中に裸体画と相容れない問題があったのであり、こうした内在的な問題を考えることこそが重要である・・。」(第3章 末尾)
「日本には裸体美という概念はなく、これをわざわざ見るということは体的な関心と結びついていたのである。三田村蔦魚によれば、裸体を鑑賞することがなかったわけではなく、それは種に「いかがわしい好奇心から」であった。風呂屋の混浴はたびたび禁止されながら、ずっと行われており、男湯と女の湯の区別のあるところでも、その境界は簡単なものでその気になればいくらだも覗くことができた。しかし、それは「みっともない」行為であり、「・・・卑劣な行為と見做していた」という。・・男女混浴には不文律のおきてがあり、それを犯したものは社会的に無言の精細を受けねばならなかったという。大半の日本人にとっては、浴槽の裸体はわざわざ見るものではなかった。あえて覗き見るという行為は、禁じられているがゆえにエロティシズムを誘発するものであった。」(第4章)
「裸体を凝視する(西洋人などの)野卑な視線に対しては、裸体は隠さなければならないものとなっていく。少なくとも外国人の前では避けたほうがよいものとして、人々の意識に刻み込まれた。外国人のまなざしによって、日本人も裸となることは羞恥心を伴うようになり、自然であった裸体が性的身体に変容してしまった。」(第4章)
第4章からの引用部分は、大方私も同意できる。もう少し、具体例や西洋との比較例などを使った記述も欲しいがそれは無いものねだりというものだろう。
しかし以前にも記載したが、「裸体」が江戸市中でも広範囲に見られたといえども、職人などの庶民レベルであり、裕福な人々やそれなりの武士等の身分のいわゆる「上層部」の人々の意識との落差についても検証が必要な気がする。
以下の指摘はとても魅力のある論であるけれども、日本だけの特質と断定してしまうわけにはいかない。
「近代以前の世界においては、今ほど視覚が優位にはなく、聴覚、触覚、嗅覚なども非情に重要な役割を果たしていた。電灯のない家屋は昼でも薄暗く、顔も人体もはっきり見えることは少なかったに違いない。こうした幽暗な空間の中では、官能はいまよりもずっと触覚によって刺激されたであろう。浮世絵の春画に見られる身体が不自然であり、ながら許容されたのも、当時の人々の性愛のイメージが視覚的なものだけでなく、触覚的な要素や妄想に大きく依存していたからではなかろうか。・・・いずれにせよ、生活風景の中に裸体画あふれながら、それをしっかり「見る」という体験は近代以前にほとんどなかった。」(第4章)
「暗さ」は日本だけではない。西洋も世界中どこでも同じであった。少なくとも1879年のエジソンの実用的な白熱電灯の普及開始までは。白熱ガス灯も1886年以降である。日本で言えば「開国以降」、それも明治10年代以降である。蝋燭や油脂による灯りから電気・ガスに切り替わったのは西洋も日本もほぼ同時期ということになる。
文化の基層となる古代や中世や近世も、共通に「触覚的な要素や妄想に大きく依存して」いたのになぜ、違う状況になっているのだろうか。解明はなかなか困難であるようだ。