Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

皆既月食を見ながらウォーキング

2018年01月31日 23時34分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ワインレッドの皆既月食を見ながら夜のウォーキングをしてきた。約5000歩ほど。本日は風もなく、それほど寒いとは感じなかった。空はおおむね晴れていたが、ところどころ薄い雲がある。それが次第に天頂付近に集まってきたので月が見えにくくなるかと心配したが、さいわいそのようなことにはならなかった。
 以前にも月食はあったが、見る機会はなかった。皆既月食を見たのはたしか高校生のころと、就職して間もなくの頃ではなかったろうか。確かな記憶ではないので自信はない。
 気持ちにゆとりがないと月食を見ることもなかったのではないか。団地のなかでは高校生くらいと思われる男の子が写真を撮っていた。声をかけようと思ったが、遠慮した。いつものウォーキングコースでは立ちどまって月を見る人はいなかった。あの不思議なワインレッドの色を観ないなんてもったいないな、と思いながら時々止まって空を眺めた。


月食が始まった

2018年01月31日 21時05分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 20時48分から月食が始まった。むかしもらった双眼鏡をひっぱり出してきて月を堪能している。月面を楽しんでいるうちに、次第にかけ始めたのがわかる。
 月の左下、雨の海からかけ始めている。ウサギの足もとからである。
 南側のベランダから見ることができるのだが、さすがに寒い。ずっと双眼鏡を片手に見ているのはつらい。ときどきベランダに出てみることにした。

生れてはじめてのアカギレが痛い

2018年01月31日 20時03分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 生まれて初めて両手の指がアカギレとなった。右手の2本、左手の1本の指の先が長さ3ミリ、深さ0.5ミリほど避けて赤く下層の皮膚が見えている。水に触れると沁みていたいだけでなく、パソコンのキーボードに触れても痛みが走る。両手の甲と、10本の指の第2関節までの甲側が赤く荒れている。
 特に支障になるのが右手の親指の先のアカギレである。何をするにもピリッと痛みが走る。キーボードをたたくにも一番使う指でもある。その都度痛みが走る。
 やむなく本日皮膚科に行ってきた。処方されたのは保湿クリームと傷用のステロイド剤。これを一日に数回塗ることを言われた。
 女性の医師からは「最近になって水仕事、土いじり、掃除洗濯なとを始めたか」と聞かれ、頭を掻きながら「何も」と答えた。とても恥ずかしい思いがした。家では家事を何もしない男、ということが見透かされてしまった。
 保湿クリームとごく少量のステロイド剤を塗ってみたものの、両手ともにいつのまにか使っているので、すぐに塗布したものはなくなってしまう。手袋をしてはパソコンも動かせない。やむなく、ステロイド剤を塗布した後に、右手の親指に絆創膏を貼ることにした。小さい絆創膏ならばキーボードをたたいてもとくに気にはならないことに気がついた。


部屋も体も冷え切った

2018年01月31日 10時25分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩家に着いてガスストーブを点火したところ、室内の温度が6℃という表示になった。そしてなかなか10℃まであがらない。このストーブを購入して10数年、室内温度では初めての低い表示であった。むろん旅行してきた三陸や八戸の気温からすれば暖かいということになるが、横浜に住み慣れてしまった身にはつらいものがある。居間も私の部屋もほぼ1時間たってやっと10℃の表示になった。暖かいと感じるようになったのは12時近くになってから。
 1時過ぎてから風呂に入ってベッドにもぐり込んだら、今度は布団がすっかり冷たくなっており、なかなか眠れない。3日間でこんなに冷えてしまうのかと驚きながら、ようやく3時半過ぎて寝入ったようだ。恥ずかしながら寝る前に布団乾燥機で布団を暖めておくべきであった。
 50代までは、布団が冷たくて眠れないというときといのは、パソコンで根を詰めたときであった。帰宅後21時ころからずっと休みなしにパソコン操作を続け、明け方3時過ぎに布団に入った時などで経験している。風呂に入ってもなかなか手足の冷えは解消されなかった。そのようなとき以外は布団が冷たいと感じることはなかったと思う。

 ということで、今朝は今でもとても眠い。やはり歳のせいなのだろうか。

 昨晩帰宅したときの記事に「明日からまた普段の生活が始まる」と記載したが、本日は休養日として体を慣れさせないといけないようだ。


横浜に帰着

2018年01月30日 23時50分22秒 | 山行・旅行・散策
 横浜の自宅に先ほど着いた。横浜の空気もまた冷たく、そして乾燥している。久慈市や八戸市で着ていたものよりも1枚少ない服装であるが、28日に横浜を発ったときよりも寒いのではないだろうか。
 明日の満月前の月がちょうど天頂近くにあったが、雲に隠れて微かにしかその姿が確認できなかった。
 妻の両親と兄の墓参を兼ねて、毎年仙台を訪れているが、今年は思い切って北リアス線に乗ってみたいとの妻のリクエストもあり、久慈・八戸まで足を伸ばした。東北といっても妻も私も南東北に住んだことはあるが、北東北にはこれまで住んだことはない。また、旅行や登山でも三陸海岸の北部はまったく訪れたことすらなかった。
 八戸では繁華街から八戸駅まで乗ったタクシーの運転手からは、「この季節に八戸に来る観光旅行の人はほとんどいないに等しい、とても珍しい」と「褒め」られてしまった。確かに海岸の景色を目の当たりにするには風が強く、寒すぎる。街中を歩くのも大変である。
 しかし私どもにも都合がある。夏には年寄り二人で旅行する機会がなかなかない。
 さて、八戸線の車内で、私ほどの年齢の男性がひとり、時刻表を片手にじっと座っていた。一人で鉄道旅を楽しんでいるのだろうか。だが、そのような旅はどうも私には向かない。私一人ならば、定点観測のようにせめて5日間くらい一つの地域に滞在するか、ひたすら三陸海岸を歩き続けるか、どちらかを選ぶと思う。しかし一人暮らしではないので、そのようなことはとてもできない。きっとそんなことをどこかで願いながら、そんな願いは実現することなく、歳を重ねるのが、人生だと思える。

 さて明日からまた普段の生活が始まる。

八戸駅発

2018年01月30日 18時47分05秒 | 山行・旅行・散策
八戸線の鮫駅で下車してウミネコの営巣で有名な蕪島まで寒風の中を歩いたが、社殿の火事で再来年までかけた再建中ということで島には入れなかった。ガッカリ。有人の休憩所でトイレ休憩をさせてもらって、鮫駅に戻り本八戸駅へ。ここでも八戸市美術館は解体中で見学できず。
有名な観光スポットといういくつかの横丁を歩いたが、16時前のためどこも開いておらず、またまたガッカリ。タクシーで八戸駅まで2000円少々。駅構内の店で日本酒2杯200CCと海鮮丼で早めの夕食。
お土産を購入して、ようやく新幹線に乗った。
蕪島、本八戸駅からの八戸の繁華街までの二つのコースの歩きですっかり体は冷えきってしまった。
タクシーの運転手のはなしでは、あの飲み屋は半分は営業をしていないとのこと。人口20数万であの数の飲み屋はまかなえるはずもないと断言していた。
寒い土地で、寒さはきびしい。

久慈琥珀博物館

2018年01月30日 13時22分35秒 | 山行・旅行・散策
久慈で琥珀博物館を見学。なかなか見ごたえのあるいい展示だったと私は感心。勉強になった。琥珀の誕生までの地質学的展示と、縄文前期から続縄文時代、そして古代にかけての流通に関する展示も、示唆に富んでいた。
古代蝦夷の世界と大和王権との拮抗、相互浸透・交流、侵略と抵抗という歴史も思い出させてくれる。円筒式土器も初めて実際に目にした。
これより八戸へ向かって、八戸線に乗車。

三陸海岸の日没

2018年01月29日 22時59分40秒 | 山行・旅行・散策
北リアス線に乗ったのが16時33分。あっという間にあたりはすっかり暗くなった。冬とはいえ暗くなるのがあまりに早い。三陸は西に北上山地が控え、海岸に近いところまで迫っている。知識として知っていることと、体感することとの差をあらためて認識した。
横浜にいて日の沈む西の丹沢や富士は遥かに遠い山である。仙台に住んで西の蔵王も遠い。しかし三陸では西に山が迫っている。夕焼けを見る暇もなく夜である。
あの東北の震災時、3月、日没は私の体に染み込んだ体内時計とは違う厳しさのなかで人々は夜を体験したということに思い至った。体感してみないと本当のことはわからない。災害は現地で判断しなくてはいけないのだ。
そんなこと考えながら、宿に隣接する小規模な漁港に打ち寄せる波を見、音を聞いている。

宮古で乗り換え

2018年01月29日 16時48分37秒 | 山行・旅行・散策
0宮古で北リアス線に乗り換え。
まず盛岡で山田線に乗り換えるときに、行き交う人々の靴が仙台とは違うことに気がついた。ほとんどの人は踵までの深い靴か、半長靴。コートも少し厚手か、しっかりチャックを閉めている。北東北と南東北の気温と雪の違いなのだろうと思った。
山田線では山間部は深い雪の切り立った崖の景観が印象に残った。杉の植林、手入れの行き届いた箇所と素人目にも荒れた植林地の差が気になる。
宮古で地元の土産店で煎餅を購入。妻の車内のオヤツ。
北リアス線、まだ海は見えない。

北リアス線

2018年01月29日 13時08分16秒 | 山行・旅行・散策
墓参は予定通り終了。仙台駅傍で何年かぶりに牛タン定食。駅ビル内の牛タン通り、すし通りは相変わらずの混雑で諦めた。牛タンは一時よりは値が下がったように感じた。1200円で満腹。普段の昼食の2倍・3倍以上の値段だが・・・。
これより盛岡-山田線ー宮古経由で北リアス線で田野畑へ。

結局軽くウオーキング

2018年01月28日 23時26分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
夜のウオーキングをするつもりはなかったが、旅館の回りを歩いてみたくなり、歩き始めたら、秋保温泉の中心地まで往復5千歩も歩いてしまった。タオルが凍ってしまったが、体はポカポカした。
これより就寝。

秋保温泉着

2018年01月28日 19時15分43秒 | 山行・旅行・散策
秋保温泉に到着。やはり横浜よりは寒い。
昨年と同じ旅館。風呂に入って思い出した。露天風呂は階段を何段も下らないと入れない。昨年は行きと寒さで凍えそうになったことを思い出して、本日はパス。
夕食は宴会で満杯のためらしく、19時半からとなっている。小高い山の上の大きな旅館である。

本日は夜のウオーキングは諦め。

まもなく東京駅着ー仙台へ

2018年01月28日 13時02分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
午前中の作業は思いの外、体力を使い、疲労困憊。髭を剃るのも財布も忘れて、仙台に向けて出発。もっとも私の財布は100円くらいしか入っていないので、問題はない。
予定より早い列車に乗れそうだが、疲れているので読書タイムにはならず、すぐに寝てしまいそうだ。
昼食はどうなるやら。

皆既月食は見ることができるか?

2018年01月27日 23時24分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 31日の満月まであと4日、本日は月齢10の月が大きく天頂付近に見えた。そういえば31日の皆既月食の満月もスーパームーンでひときわ大きいはずである。
 週間天気予報では31日は曇ときどき晴、という予報なので月食は見られると期待しているが、ひょっとしたら、南岸低気圧が通過する可能性もあるらしいので、断定はできないという。
 明日からの旅行の準備は出来た。しかし岩手県の三陸地方はかなり寒いようだ。

★寒月や猫の夜会の港町    大屋達治



明日は仙台・秋保温泉泊

2018年01月27日 21時02分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は午前中は団地の管理組合の会議とイベント。午後から墓参のため仙台に向けて出立。明日の夜は秋保温泉で宿泊する。明後日の朝に墓参を済ませてから、岩手県の三陸海岸にある田野畑に泊まる予定にしている。
 本日三陸海岸の旅行案内書を買ってきた。街中を歩く時間があるかはっきりしないのだが、取りあえず田野畑の地図や見学個所は頭に入れておく必要がある。新幹線の中では、読む本は決めてある。友人の著作「元慶の乱と蝦夷の復興」(田中俊一郎、郁朋社)を持って行く。感想を著者に伝えなくてはいけない。
 これから30分ほどかけて旅行の支度を済ませてから、いつものとおり夜のウォーキングの予定。このところ寒さが厳しいので、防寒対策を充分して外に出ている。道路にまだ解けずに残っている雪がこわい。