Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

今年の店じまい

2013年12月30日 23時37分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食前に家電量販店に行って来て、DVD-Rを10枚購入してリカバリーディスクを作成した。2時間もかかってしまった。しかし一応これでこのパソコンで行うべき最低限の設定は終了したように思う。
 写真編集ソフトは適当な感じのものがなく、結局買わずに帰宅した。
 フリーソフトをいくつかダウンロードして使い勝手を見てみることにした。先ほどから二つほどダウンロードしたのだが、画像のイメージ補正はこれまで使っていたものよりもいろいろできるようだが、ファイルサイズを変えずに解像度を変更したりという作業がうまくこなせないようだ。ブログにアップするのにファイルサイズの変更が必要なことがよくある。まだよくこなせていないので、もう少しダウンロードしたソフトを使いこなしてみようと思う。

 正月にかけての宿題が増えたようで少々うんざりしている。

 そんなわけで妻は掃除に、洗濯に、正月の準備に忙しい年末であったが、私はこのウィンドウズ8相手に、睨めっこの一週間になってしまった。何も手伝わず、何の役にも立たない夫を演じてしまった。

 さて、本年もこのブログにおつきあいくださりありがとうございました。本日で今年のブログの更新は終了、店じまいとします。
 来年の開店は3日とする予定です。来年もまた今年以上に皆さんの閲覧を期待いたします。よろしくお願いいたします。

 来年はどんな年になるか。政治的には我が国のトンでも首相と、周囲の国の政治首脳たちの、私には理解できないふるまいに振り回される一年になることだけは確かなようである。
 逃げ出すこともできない。ますます戦後の日本の形は私の思いとはズレていく。40数年この思いはますます強くなっている。特に今年はこの思いが強くなった。歳は取りたくないものだという実感が募っている。
 これ以上記載すると気分が落ち込むので、この辺でとめておこう。せめて正月5日まではのんびりと過ごしたいものである。

 それでは再度、来年もよろしくお願いいたします。


今年もいよいよ大詰め

2013年12月30日 17時01分28秒 | 山行・旅行・散策
 パソコンとにらめっこの時間はどんどん過ぎてゆく。際限がない。どこかで区切りをつけないとおかしくなりそうである。1日中パソコンと睨めっこの仕事というのはとても大変なことであるとあらためて感じる。体にも目にもよくないし、精神衛生上も悪い。
 人間、体を動かしていることが必要である。それを前提にしない労働というのはこれは人間というか、動物としてのもっとも基本的なことを否定しているようだ。頭脳労働なんて格好良く言ってみたりしたって、所詮同じようなものだ。
 ということで、今日は久しぶりに昼過ぎから2時間ほどかけて12キロをジョギング&ウォーキングに行ってきた。折り返し点の公園で20分ほど休憩したから、気持ちのいいペースで走り、歩いたと思う。7キロは走ったと思う。
 先ほどまでかかってペイントソフト・ドローイングソフトをインストールしてみた。これまで使っていなかったが、ソフトは購入していた。このウィンドウズ8でも動くようだ。しかしあまり使わないかもしれない。
 ひと段落したので、リカバリーディスク作成のためのDVDと写真編集ソフトを購入しにこれから横浜駅まで出かけることにした。
 これで往復8000歩にはなるから、1日の歩行目標は大きくクリアできそうである。25日以来である。すっかり体がなまってしまった。


今週のお酒

2013年12月29日 23時08分33秒 | 料理関連&お酒
   

 24日に購入してもうほとんど無くなってしまったが、豊永蔵という熊本県湯前町という球磨地方の米焼酎。豊永酒造の製品。
ネットでの検索では「原料米を生産する契約農家の方々をはじめ焼酎を造る蔵自体が「オーガニック認定」を受けている。旨い焼酎を造ろうと思ったら良いモロミを、そのためには良い麹を、良い麹作りには良い蒸し・・・と。蔵元であり杜氏も務める豊永史郎さんの真面目な人柄が良く出ている。やさしい味わいの本格米焼酎、それが「豊永蔵」。焼酎造りの原点を見つめ、新境地を模索する」とある。
 たしかに口当たりが滑らかで、刺激を特に感じないが、上品さを感じる。おいしいと思う。


 本日は新しいパソコンでスキャナー画像を取り込み、それをノートパソコンに移して画像処理をしてから、再び新しいパソコンに取り込んだ。かなり面倒である。早くウィンドウズ8で快適に動く安い画像処理ソフトを購入したいものである。

ウィンドウズ8に手こずる

2013年12月29日 20時22分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先日新しいパソコンが届いた。最初のセットアップとネットへの接続を搬入した方にお願いしてあったのだが、どうもウィンドウズ8の画面操作がよくわからない。
 いじくっているうちに、画面が固まってしまってどうしようもなくなり、パソコンサポート会社のいつもお世話になっている方に来てもらったりして、ようやくひと段落がついた。いつの間にか五日も経ってしまった。
 新しいソフトもいくつか購入しなくてはいけないようだ。どうしても必要なのが、画像の編集ソフト。これまで使っていた軽くて使い慣れたものがインストールできない。安くて軽くて操作性がいいのがほしいのだが、よくわからない。アドビの製品は高いので手が出ない。
 単体のスキャナーはメーカーのホームページからドライバーソフトはダウンロードできるものの、機械を接続すると画面が固まってしまう。二回目は何とかリフレッシュ機能で回復したが、それまでの設定をもう一度すべてやり直す羽目になり、これで一日つぶれた。ウィルス対策ソフトも二度インストールする羽目になり、三台用のものを購入しておいて助かった。
 複合機のプリンターは快調に動くのでこちらのスキャナーを使っているものの、画像編集ソフトを購入しないと画像を取り組んでも処理ができない。またドライバーソフトが昔のスキャナーのものの方がはるかに使いやすい。これは何とか改善の方法を考えないといけない。
 「一太郎」はこの際思い切って最新のものを購入した。この一太郎を自分なりに快適な操作ができるようにカスタマイズしなくてはいけないが、まだそこまでは設定しきれていない。年末年始の宿題である。
 もうひとつ気になったのがフォント。ずいぶんいろんなフォントが入っているのだが、気に入らないフォントが多数入っている。私の気に入ったフォントと入れ替えようとしたが、これが削除できない。なかなか不便だ。
 住所録を兼ねているハガキ作成ソフトは今のバージョンがインストールできて助かった。PDF用のアドビのソフトもインストールできたが、今年の初めにサポートが終了している版である。特に支障はないのでこのまま当分使う予定である。
 さて、このウィンドーズ8は立ち上げてもそのままウィンド―ズの画面にならない。アプリが画面いっぱいな並ぶ画面となってからそこからウィンドーズの画面に入っていくのだが、これを省略してウィンドーズの画面に直接なる無料ソフトを、サポートに来てもらった方に教えてもらった。これはとても助かった。楽でもある。しかもクラシックスタイルにもできる。
 またワード・エクセル・アウトルック・ノートなども最初どこにあるのかわからず往生したが教えてもらえた。私にはエクセルは必需品である。ワードでは自分で文章を作ることはないのだが、送られてくる文書との関係からはやはり必需品。普段はフリーメールばかりでアウトルックはまず使うことはないのだが、無いと困るもののひとつである。その方からはプリンターのメーカーの製品の評価なども細かく聞くことが出来た。とても助かる。
 しかしこのパソコンの設定はパソコンの前に張り付いていなくてはなかなか処理できない。体を動かさずに5日間、いらいらしっぱなしであった。そろそろ明日あたりから体を存分に動かしたいものである。
 明日は画像編集ソフトとUSB3.0用のハブとケーブルを購入しに横浜駅傍の家電量販店にでも出向いてみようかと考えている。いいソフトが見つかればいいのだが‥。25日のイベントで撮影した画像の編集を年明け早々には終えなくてはいけない。
 しかしこのウィンドウズ8の操作に慣れるのはいつのことだろうか。この機械、できればあと15年は動いてほしいと思う。そのころまで生きていればの話だが‥。

 このパソコンは一体型で、ディスプレイが23インチワイドと大きい。おかげで一太郎を立ち上げると、90パーセントの大きさでA4がほぼ2ページ横に並べて表示できる。これは見やすいし、編集しやすい。新聞などの編集にはとてもいい。
 その上、作業速度は極めて速くなった。作業の途中で保存などしても、そのための時間がまるで気にならない。これも購入してよかったと思うことの一つである。

 そして何よりも重要なことは、正月用の日本酒を購入しなくてはいけない。

 

年末になってあわただしい

2013年12月26日 21時44分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から沖縄ツアー報告書の機関紙(新年号)用のバージョンを作成。結局3時過ぎまでかかってしまった。
 出来上がったものを組合の会館まで届けてから、横浜駅にもどって1000円の理容店で散髪。年内に散髪をすませようという人でとても混んでいた。妻に頼まれていた買い物をすませて帰宅。
 さいわい雨は上がっていて時々日もさしてきた。

 しかし帰宅後は退職者会のブロックの会報の仕上げ作業を行ったため、結局1日中退職者会の作業をしていたことになった。

 来年1月から2月の毎土曜日に5回ずつ開催される横浜市歴史博物館の二つの講座が受講できることになった。通知が一昨日到着。詳細は正月明けに掲載予定。10時半から15時まで。結構大変そうだが楽しみである。横浜の古代史と近世史各2500円だ。

無事業務終了

2013年12月25日 23時37分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 仕事は無事終了。何とか何ごともおこらず、写真も多分上手く取れて終了できたと思う。
 若い担当者と楽しく「反省会」をして盛り上がった後、関内から歩いて帰宅。カメラ2台と3脚の重みがあったものの、約8キロを歩いた。
 夜空に浮かぶ白い雲が美しいと思った反面、明日の天候の崩れを予見するような雲もあり、眺めてあきない空であるとも感じた。
 明日は沖縄の報告書のダイジェスト版の作成で1日がつぶれそうだ。年末になってあわただしい。

 イベントの最後に旧知の職員Yさんが会場いっぱいの参加者を前に「南京玉すだれ」を披露して場を和ませてくれた。派手な衣装を着て会場の視線を一気に引き寄せる芸に感心し、注目を集め続ける話術にも驚嘆した。また子供を舞台に立たせ会場をわかせる即興も大したものであった。子供を単にダシとして利用するのではなく、引き出された子供自身に満足感をもたらす仕方に芸の確かさを感じた。
 本人は「話術と子供・お年寄りの引っ張り込みがないと場が持たない」と言うだけだったが、そんなことはない。それが出来て「芸」だと思う。昔年末年始に入院した時、60代のご夫婦が入院患者のために手品を披露する慰問があった。手品のネタをほぼ無言で20いくつを次々披露するのだが、見ている方はあまり感動しない。手品自体は年季も呼吸も合っているのだが・・。話術が無かった。プロは少数のネタでも話術で観客を引き込み、何人かを引っ張り出して参加させ、場を盛り上げる。それが芸というものだ。
 本日の「玉すだれ」には確かに「芸」があった。普段はボランティアとして老人ホームなどを訪問し、披露しているとのこと。大いに感心し、勉強になった。そのような方と昔から親しくさせてもらっていたこと、嬉しかった。

 実はこの方は私どもの組合員である。その他パソコンの設定や照明などの差配、まとめ役など私どもの組合員が要所要所で活躍している。とても誇らしい気持ちになる。長いつきあいをさせてもらってとても嬉しい。私どもは千余名の中の百余名と一割の組合員だが、いろんな意味でみんな底力があると思う。その底力を発揮している。私がこの百余名の方々の「支部長」などとなっていたこと、誇らしいと云うより、図々しいというか厚顔というか、ありがたいというか、顔が赤らんでしまう。
 さらに私どもの組合員かどうかは別として若い職員が明るくこの職場を盛り上げているのは頼もしい。
 とてもいい時間、いい1日を過ごさせてもらった。

にわかカメラマン

2013年12月24日 22時57分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は久しぶりに8時前に家を出る。退職後起床時間が遅くなった。就寝時間は変わらないので、睡眠時間が伸びている。7時間は寝ている。
 ふつう年をとると寝覚めが早いと言うが、我が家は2人とも寝坊の方だ。8時ころ起きる。
 午前中10時半からの講座に出るのがなかなか大変である。30分早く起きると楽なのだがそれができない。昔からギリギリでないと起きられない。不思議だ。中学から変わっていないことはこれくらいだ。
 9時から10時が組合の会館で打合せ。昔の所属のイベントのカメラマン役が10時から16時まで。その後片付けが17時半過ぎまで。夜の打ち上げに誘われている。このイベント、市長も参加するので分刻みの気の抜けない緊張するイベントである。何年続いているのだろう。随分と大がかりになって定着している。最初から担当のひとりとして関わった仕事でもある。愛着のある仕事であった。それが全市規模のイベントを開催するまでに発展した。
 最初はカメラマンはプロに委嘱したが、経費節減ということでにわかカメラマンとして私に任され、そのまま退職後もシューマイ弁当ひとつの報酬で頼まれている。昔の仲間との楽しい語らいと適度の緊張が年に一度くらいは必要だと思っている。私のことを記憶にない方が担当になれば、お払い箱に行くので、あと2から3年で終了と踏んでいる。


年内最後の通院

2013年12月24日 21時56分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝からいつも月1回ほど通う眼科と内科に朝1番からおもむいた。眼科は始まる10分前に行ったところ1番初めの検査と診察になった。視野検査の結果も変化なしということで同じ点眼薬の処方。
 次に10時に内科に着いたら玄関から靴があふれそうなほど混んでいた。受付をしてもらってから時間つぶしに横浜駅まで散歩。1時間と少しして戻ったところ2人目に呼ばれた。年末年始の休みと連休明けということで混んだらしい。こちらもいつものとおりの処方をしてもらって無事終了。
 近くのスーパーで300円の弁当をひとつを買って、家に戻り二人で食べたが余ってしまった。
 昼からパソコンが到着。しばらくしてからこれをメインに使う予定。明日・明後日・明明後日とあわただしいので、ソフトのインストール等年内いっぱいはかかりそうである。
 どうもいろんなソフト、新規購入が多くなりそうである。

年賀はがき投函

2013年12月23日 21時10分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 年賀はがきを投函するついでに郵便局によってみた。友人に手紙を3通出そうとしたが重さがわからず、いくらの切手を貼れば良いのか分からなかったので。
 郵便局に着いてみてビックリ。郵便や小包等を出そうとしている人が長蛇の列。広い建物から外まで出そうなほどである。窓口では担当が8人ほどでてテキパキと処理しているものの、それ以上の速さで人が列に加わっている。窓口の内部でも職員が走り回っている。列の周囲でも職員が説明に回っている。
 大変なところへ迷い込んだと後悔したが帰るわけにもいかない。幸い難しい案件は無かったようで、15分も掛からずに列がスムーズに進み窓口で所期の用件をすますことが出来た。
 どの手紙も80円で済んだので私もすぐに用事は終わったのだが、郵便用の量りがあればハナから並ぶ必要などなかった。実は前日の夜に近くのコンビニで切手購入の上投函しようとしたら、量りは郵便局の指導で撤去されたという。だからいくらかかるかは自分で量って欲しいというのだ。
 おそらく料金をめぐるトラブルの頻発が原因で、撤去ということになったのかと思うが、なんとも変な話だと感じた。
 10円余分に初めから貼って投函しても良かったと反省したが、もう遅い。しかも年賀はがきを投函するのを忘れ、10分ほど歩いて戻りかけた。慌てて戻ったが情けないオチとなってしまった。
 しかし聞いてはいたが、年末の郵便局の業務はすごいものだとあらためて実感。

 夕方の繁華街、駅構内の人混みもクリスマス商戦と重なりすごかった。早めに帰宅。

「下村観山」展(横浜美術館)‥その2

2013年12月23日 11時44分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
    
  
 ここに掲げた1914年41歳の時の作品「白狐」は発表当初、「木の間の秋」の繰り返しに過ぎないなどの批判を浴びたとのこと。再興第1回院展の出品作とのことである。しかし私にはとても新鮮なものに見えた。「木の間の秋」が洋風の遠近法などの技法が目につくという指摘もあるが、この絵もその延長上にあることは確かだろうが、その技法上の処理が目につかないで、日本画風の画面にてしっくりと収まっているように私には感じる。わざとらしさが目につかなくなっているけれど、様式美を獲得しているのかな、と思う。
 黄葉の状態からは大分秋も深まり、冷気が開いた薄の穂から見るものの身に迫ってくるようだ。現実にはありえない白い狐が画面の色の配合の中から浮き上がってくるのも面白い。加えているように見える葉はカタログでは「稲穂」となっているが、笹のようでもあり薄の葉のようでもあり、よくわからない。稲穂だとしたら何の寓意なのだろう。
 手前の太い木と倒れた木は樹皮から桜の木か、ダケカンバに見える。桜だとしたら秋深い森に春の予兆、狐の繁殖を示したのかもしれないと一人勝手に考えてみた。
 カタログでは左の空白・余白は天心亡き後の観山の喪失感をあらわす、と書いてあるがそこまで読み込むのは、どうであろうか。何か知識の振りかざしにしか思えない。素人に「プロ」の知識をひけらかしているだけのような気もする。「空白・余白が好ましい」といえばいいのではないだろうか。
 これはとても気に入った作品である。

      

 この作品「老松白藤図」は1921年、観山48歳の作品。私はこの絵に圧倒された。右双の太い松の幹のクローズアップにびっくりした。幹のこのような存在感、重量感、力強さを見たのは初めて、と思った。
 そして白い藤の色が印象的だ。右双だけカードを販売していたが、残念ながらこの絵の命ともいうべきこの白が薄くしか写っていない。これはカード制作時の色のチェックが甘かったと思う。台無しである。カタログの色の発色は実際にかなり近いので、この白が映えている。カタログからスキャンしたので、頁の境目が不自然になったのは許して欲しい。
 ただしあくまでも装飾的な景色であることを踏まえないといけない。
 松の枝ぶり、葉の緑のリズムと白い藤の花のリズム、細い枝の感じがどれも対照的である。このリズム感がとてもいい。そして藤の枝や花が、古い松の無骨な肌に対して柔らかさが際立ち、若々しい。カタログでは松の様相に能舞台も想像されると記載されている。あるいは作者はそれを意図したのかもしれない。それにそれに絡む藤というのは何か妖艶なものの雰囲気もある。
 今回の展示では2回ともこの作品の前で時間をかけて楽しんだ。



 これは1930年、作者57歳の時の最後の作品。
食道がんで亡くなったとのことである。衰弱が進む中、1週間かけて制作し翌日から倒れ、8日後に亡くなったとのこと。
 生命力の象徴のような竹の子を静かな雰囲気の中に収めている。緑の葉や芽がみずみずしい。何気ないものが生命感を内に秘めて、それが滲み出し、溢れ出てくるような時間をとらえていると感じた。この絵も私は好きだ。

 なお、小倉山という作品のカードが右双・左双ともに売られている。これはうれしいのだが、よく見ると右双は絹目で印刷も新しい。ところが左双は光沢紙の画面で印刷がいかにも古い。色合いは共に良く出ているのだが、いくら古いカードがあるとはいえ、これは手抜きでは無いだろうか。少なくとも新しい方の右双は、古い左双にあわせて光沢のするくらいの統一性は保って欲しいと思った。

「下村観山」展(横浜美術館)‥その1

2013年12月22日 23時35分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 二度「下村観山」展を見てきた。前回同じ横浜美術館で開催された横山大観展で知ったのだが、下村観山と横山大観は並び称せられるような関係であったようだ。
 大観は1868年生まれ、観山は5歳下の1973年生まれ。そして観山は1930年に57歳の若さで亡くなっている。一方大観は1958年に90歳という長寿で亡くなっている。
 横山大観も下村観山も名前だけは知っているものの、作品を見た記憶もないし、両者の区別もつかない程度の知識しかなかった。
 そして前回横山大観の前半の作品展示をみて、大したものだとは思ったが、人物表現にはそれほど感慨は浮かばなかった。また緑色の使い方に若干の違和感もあった。ただし風景画には面白いところがあると感じた。
 今回私は一瞥して横山大観よりも下村観山の方が私の好みであると感じた。あくまでも好みの問題であると感じているが‥。大観と比べると人物の表情が自然である。中国人を鉤鼻にしてインドより西方の民族のような描き方をしているなど強引さはあるものの、違和感は感じない。隠者や僧の描き方も観山のほうが実際の人間により近い表情・物腰があり、好感が持てる。また遠近の表し方がずっといい。

 展示は、
第1章 狩野派の修行
第2章 東京美術学校から初期日本美術院
第3章 ヨーロッパを旅する
第4章 再興日本美術院
の4章からなる。
 岡倉天心の影響がいかに大きかったか、展示ではそれに随分触れていた。

 そういう意味で、ここに掲げた大観と観山で描いた日月蓬莱山図ととても興味深い。絵自体は大観32歳、観山27歳だからまだまだ未完成な感は拭えないが、この時点では大観に一日の長を感じた。

横山大観 1900年 日月蓬莱山図 月


下村観山 1900 日月蓬莱山図 日


 日輪と朝の日の出の頃の山と鶴の群れを描いた観山、大観は海を背景とした崖と月の出と鶴の飛翔を描いている。大観の山肌と月の光は落ち着いて画面にその存在を充分にいきわたらせて収まっている。陰翳が実に巧みである。陰の濃い部分が静かに眠っている。しかし観山の山肌は太陽の光線との関係から見て不思議な輝きを持っている。鑑賞者の方に向いている山肌が輝いているが太陽はその向こうにあるので、この輝きは一部無理がある。空気も大観の方が広がりがある。無理なく鶴の飛翔のほうに視線が向かっていって広々とした景色が想定できる。観山の方の山の空気は広がらずに鑑賞者の方に向ってくる。
 これは私が見ても大観の方がずっといい絵である。この頃ならば5年の年の差は大きいと思う。

   

 しかし1903年から1905年のヨーロッパ留学を経て、7年後の1907年、34歳の「木の間の秋」となると、実に大きな飛躍を感じた。西洋画の影響を消化しようとした形跡が生々しく、しかも好ましく感じられる。大観よりも西洋画の洗礼を大きく受けたような絵である。光の陰影と黄色の濃淡による空気遠近法がごく自然に効果的に思える。特に右双の左の白い木の存在が生々しい。実は大観も同じ頃、アメリカ、ヨーロッパを回っている。私は大観展ではその留学による作品への影響を感じなかった。大観はインドの体験はかなり深いものがあったようだが、ヨーロッパをどのように体験し、絵画技術に反映したか今ひとつ判らずじまいであった。



 この1909年、36歳の時の「小倉山」も先の絵と同様の描き方を思わせるが、さらに狩野派の技法なども駆使しているらしい。左双の左の空間が私にはとても好ましいと思える。それは右双の込み入った樹林によってもたらされる効果なのだろう。そして私が一番気に入ったのは、緑の色の配置である。大観の風景画は緑の多用とそのグラデーションに特徴があるが、私にはあまりに緑がくどく感じていた。大観の緑は実に効果的である。赤と黄色の枝が秋に残る緑の雰囲気を引き立てている。藤原忠平の林の中では異様な、ありえないような水干姿が異様に見えないのが不思議である。

「下村観山展」、「三菱一号館美術館名品選2013」展

2013年12月22日 20時12分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 午前中独りで横浜美術館で「下村観山展」を鑑賞。午後から妻と東京駅傍の「KITTE」を初めて訪れ、クリスマスツリーの飾りを見学。その後、少し足をのばして北の丸の近代美術館で開催している「ジョセフ・クーデルカ展」に行くか、ごく近い「三菱一号館美術館名品選2013展」にするか悩んだが、遅い昼食を食べる都合もあり、結局近場の三菱一号館美術館で妥協した。

 美術展の感想は別途掲載予定。

 KITTE」の1階と三菱一号館前のクリスマスツリーを写真におさめた。

 「KITTE」のクリスマスツリー


 三菱一号館前のクリスマスツリー


 さらに「KITTE」の地下で、8つの自治体のゆるキャラが登場するイベントがあり、それを間近でながめた。千葉のチーバ君、鳥取のペントット、長野のアルクマ、静岡の出世大名家康君‥後はわすれたが、なかなか面白い。子どもが大勢押しかけていた。妻もすっかりミーハーになって携帯電話で撮影して楽しんでいた。
 帰りにパティスリーヤナギムラという店で、小さなケーキを購入して帰宅。
 25日は昔の現役で仕事をしていた頃の所属の一年に一度のイベントにカメラマンとして10時から夜まで拘束される。ただし昼のシュウマイ弁当のみの報酬である。市長も出席のため分刻みの細かいタイムテーブルに沿った進行にあわせてシャッターを押し続けなければならない。また80人規模の失敗の許されない集合写真もある。毎年緊張するのだが、今年はその前に朝一番で退職者会の打ち合わせが飛び込んできた。沖縄の報告集のダイジェスト版を作らなければならなくなった。年内はこのイベントで撮影した写真の整理と、このダイジェスト版のための再編集で忙しくなりそうである。到着したパソコンが思うように動いてくれないとお手上げになってしまう。


晴れた寒い一日

2013年12月21日 22時24分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日午前中は退職者会の業務などを少しこなして、年明け早々の会計監査の準備をした。ニュースの原稿も手直し。この仕事は始めるとキリが無い。

 午後は久しぶりに新横浜駅の手前までの往復約12キロのコースを歩いた。冷たい風であったが、全身に汗をかきながら2時間15分ほどで歩いた。18000歩ほどになった。折り返し地点の公園で15分近く休んだので、時速6キロ位だろうか。
 夕方からの団地の管理組合の会議に出席後、食事をしに久しぶりに妻と近くの店におもむいた。

 一日の目標歩数にはあと2000歩ほど足りない。30分ほどしたら5000歩ほどのウォーキングに出かける予定。

 明日は午前中もう一度、下村観山展を横浜美術館で見るつもりにしている。前期の展示がおわり、後期の展示になっているはずだ。午後から、東京駅丸の内口のKITTEのクリスマスツリーを見に行くことにしている。クリスマスツリー、特別見たいとは思わないが、とりあえず年末の雰囲気を味わってみるのも悪くないかなと思っている。混雑がひどければ特に見たい展示もないので、そのまま帰ってくる予定である。

 明後日は一日中新しいパソコンの受け入れのための準備作業に追われそうだ。

 何故か訂正記事を投稿したら訂正にならずに訂正前と訂正後の記事が並んでしまった。スマホからだと時々操作でミスをしてしまうようだ。


けっこう揺れた

2013年12月21日 01時54分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜は震度3。
 宮代町は最近も震度4の地震があったばかり。今回は深さ70キロ、マグニチュード5.3。結構深い。群発というようになるのも困る。これでおさまって欲しいものである。
 

 話は変わるが、先日の講座で「小泉首相の構造改革で建設業が打撃を受け、企業数もこれまでに半減、従事者数も半減しており、東北の震災復興に大きな打撃となっている」と指摘があった。予算が消化できず復旧に支障・遅れが生じているという。企業が手いっぱいで入札にかけても応じる企業がなかったり、工期内の竣工が困難な工事も多いという。
 公共投資の行き過ぎた抑制や、業界への一方的で偏見を煽った政治主導の攻撃、請負価格の強引な引き下げで賃金も下落した結果である。また技術系地方公務員の強引な人減らしで予算がついても企画・設計も検査も遅れているらしい。
 政治の貧困が被災を大きくし、復興を遅らせている。そして政治家は責任を取ることをしない。彼を選んだ人間もいまだに選んだことの問題点に気付いていない。気づこうともしない。
 その上に「オリンピック待望論・期待論」である。東京の施設再建という建設ラッシュ期待で、資本も建設業従事者も東北から東京へ吸い寄せられてゆく。賃金は東北よりも東京の方が高い。一層復興は遅れるという悪循環の構造が作られてしまった。
 東京の都市施設のバリアフリーをオリンピックを契機に加速するという、とんでもない議論がまかり通っている。オリンピックがなくてもバリアフリー化はしなくてはいけないのだ。しかも高齢化が進む地方こそ必要なのだ。
 大都会東京の奢りを煽った猪瀬とオリンピック推進派、一部のアスリートや無定見な「ファン」を利用した競技団体や政治家の責任こそ問いたいと思う。全共闘世代の面汚し猪瀬は退場したが、彼の民営化論は少子化・高齢化、過疎化の現実を無視したものであったと思う。上から人を見下す視点であったことに人は気付いて欲しいと思う。
 私はアスリートや若い人たちがオリンピックへの参加という夢を持つことを否定をしているのではない。今の段階で、彼らがオリンピックに参加できるならば参加費用・派遣費用、あるいは養成費を競技団体だけでなく国家が負担をすることについて、国民は異論はないと思っている。それに異議を唱えるものではない。逆に諸外国に出向くということは、若い人たちに対してとてもいい機会を提供することだと考えている。
 前には書いたが、「オリンピックに参加したい、観覧したい」ということと、「東京で開催する」ということは別のことである。
 私などは極論すると、発展途上国の都市基盤整備のために、オリンピックはいわゆる先進国で開催する必要はないと感じている。それこそ国際貢献としては、発展途上国でのオリンピックに日本経済は寄与すべきなのではないだろうか。
 もはやスポーツ施設の整備やオリンピック関連での交通網の整備、オリンピック向け宿泊施設整備で、少子高齢化が深刻な日本の経済の持続的な成長や維持は望めない。それ以外の方途が真剣に求められているのではないだろうか。政治家に真剣に議論してもらいたいものである。


霙も、雹も

2013年12月20日 22時08分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昼前から夕方まで横浜の関内のビルの中にいたのでわからなかったのだが、東京では15時過ぎに霙が降ったとの情報があった。横浜の北部ではそのころ雹が降ったらしい。帰宅したら我が家のある団地でも雹が降ったといわれた。6キロほど離れた場所で随分違う状況だったのだろうか。あるいは私が気が付かなかっただけなのだろうか。ビルの中に閉じこもっていると天候までもがわからなくなる。

 都心での雪は平年より14日早いとのこと、つまり年内に雪が降るということはあまり無いということだ。赤穂浪士の討ち入りは今の暦では年明けということだ。若い頃に聞いた話ではたくさん降ったわけではなく、ほんの少し降っただけだったという。いつの間にか大雪ということになったようだ。その方が話としても一般受けしたのであろう。得てして事実というのはそのように脚色されていく。脚色されたものが事実として流通していく。あるいはある事実についての願望がいつの間にか事実として流通してしまう。事実と願望が逆転してしまうこともある。これは別に江戸時代のことではない。現代でもそうだと思う。

 小学生の頃、学校で遊んでいてトラブルになったり、何か些細な事が起きるといつもそのように事実はないがしろにされて、事実と異なる内容が教師に報告されていた。高学年になるに従い、事実とそれを報告する子どもの内容に大きな隔たりが生ずるようになったと思う。報告する子どもの願望なり、責任を他に摩り替えた報告にいつも私はうんざりしていた。いつも私は醒めた目でそのような事態を見つめていたような気がする。そして教師の理解はいつも事実とは異なるものとなっていた。ひどいときにはその事態の責任は他の生徒に着せられたりしていた。わたしはいつもそれに異議を唱えることが多く、教師に煙たがれていたと思う。
人の話は信用できないということを小学生の頃から身をもって理解していた。そしてそれを鵜呑みにする教師も大人も信用ならないものだということも教えられた。きっと他の大人からみればいやな子どもだったと思う。私は子どもらしくない子どもであった。大人の嘘、というより、大人なんてすぐにだまされやすく、そして信用ならないものだということを身につけていたと思う。
 子どもというのは大人よりも、もっともっと冷静に事態を見つめ、大人を見つめているものである。大人の嘘は常に見抜いていると判断すべきである。