20時半ころに帰宅。久しぶりに一人で居酒屋に入った。ハイボール1杯と焼酎の水割り2杯。
居酒屋に入る前に、右膝の関節に痛みを覚えたので、痛み止めを服用するとともに噴霧式の消炎鎮痛剤を購入。しかし居酒屋にいる間に痛みは消えていた。
ここ数日とは違って、朝から強い日差しで、セミが再び活発に鳴き始めた。相変わらずこの団地はミンミンゼミが主流である。しかしアブラゼミの割合も高くなってきた。ツクツクホウシは確かに夕方に聞くことが多い。
★夜の蝉人の世どこかくひちがふ 成瀬櫻桃子
★落蝉に一枚の空ありしかな 落合水尾
★それは少し無理空蝉に入るのは 正木ゆう子
★みんみんや血の気なき身を貫徹す 福永武彦
第1句、どうしても世の中の流れと隔たりがある自分。それを意識すればするほど、世渡りは上手くいかない。開きなおることのできない仲間が多くいた。。
第2句、蝉は仰向けになって弱っている。そして最後のひと鳴きを鋭く発する。目にはわずかな時間を地上で鳴き続けた時の青空を見ているはずだ。
第3句、ずいぶんとなまめかしい句だと思った。
第4句、確かに蝉の体は乾ききっている。そうでなければあのように澄んだ声にはならない。天上の声なのだろうか。
本日は昼過ぎに出かける予定。帰りは遅くなる。
台風11号の進路予想を見ると、台風11号の南に熱帯低気圧があり、これと絡んで複雑な動きをするらしい。この熱帯低気圧も台風に発達するという。複雑な進路を今後取りそうである。
気象庁の17時少し前の情報は次のようになっている。
令和4年台風第11号に関する情報第29号
2022年08月30日16時55分 気象庁発表
非常に強い台風第11号は、31日朝から昼前にかけて大東島地方にかなり接近し、記録的な暴風となるおそれがあります。大東島地方では、31日未明には風速25m以上の暴風域に入り、猛烈にしけるでしょう。暴風やうねりを伴った高波に厳重に警戒してください。また、奄美地方でも、うねりを伴った高波に警戒してください。
[台風の現況と予想]
非常に強い台風第11号は、30日15時には日本の南にあって、1時間におよそ30キロの速さで西へ進んでいます。中心の気圧は935hPa、中心付近の最大風速は50m、最大瞬間風速は70mで中心から半径95キロ以内では風速25m以上の暴風となっています。
台風は日本の南を西へ進み、31日朝から昼前にかけて大東島地方にかなり接近する見込みです。大東島地方通過後、台風は発達しながら南西へ進み、2日から3日にかけては沖縄の南でほとんど停滞しますが、その後、北上して4日午後には東シナ海へ進む見込みです。
以下略。
最大瞬間風速70mというと人は当然立っていられず、車も横倒しになる強さである。熱帯低気圧との関係でどこまで発達し、どのように進むのか、また東シナ海に進んだ時の九州への影響など、まだまだ目が離せない。
本日の横浜での雨もこの台風とは無関係とはいえない雨である。
「KAGAYA 星空の世界展」を妻と見てから昼食を食べに、そごう美術館の上のレストラン街をのぞいたけれども、安くても2000円前後もかかってしまう。残念ながらお昼にそれほどの金額は払えない。同じ東口のポルタで一人1000円未満の昼食を注文した。
あとで考えてみれば、西口まで戻ればさらにもっと安く食べることも出来た。昼食の値段を見るだけで、横浜駅東口と西口の違いがおのずとわかる。
西口の喫茶店でコーヒータイム&読書タイムののち外に出ようとしたら、路面が濡れていることに気がつき驚いた。帰りもバスを利用。一つ手前のドラッグストアでペットボトルのお茶を6本ほど購入した。歩いて帰る途中から雨が再び本降りとなり、家に突いた頃にはすっかり濡れてしまった。
これほどの雨になるという天気予報ではなかったと思う。そしてかなり肌寒く感じた。最低気温が明け方4時ころの20.4℃、最高気温が11時前の26.0℃であった。
明日の最高気温の予報が33℃にもなっており、7℃も高くなるらしい。これはかなり体に負担のかかる温度変化である。
現在、雷・濃霧注意報が横浜市域に出ている。濃霧注意報というのは珍しい。
久しぶりに美術館へ出向いた。といってもごく近く、横浜駅東口のそごう美術館で開催されている「KAGAYA 星空の世界展」(7.23~8.31)。会期は明日までである。
思ったよりも多くの来場者がいて、チケット売り場では15名ほどが並んでいた。夏休みの子どもをも対象にした展覧会でもあるが、大人が見ても十分に楽しめる。私のように元天文少年崩れでも同様。
私が学生時代までは、星空と風景写真を同時に画面の中に入れるのは「邪道」といわれ、「天体写真」は「学術写真」でなければならない世界であった。多分にデジタル写真によって星と風景が合体する「星と風景の写真」がもてはやされるようになったのではないかと思っている。
これによって天文ファンがおおいに増えたことを思えば、この世界の確立者には大きな栄誉が与えられてしかるべきと思う。
各種星雲やさまざまな形の銀河の写真、宇宙最深部の写真や、太陽系の各惑星の拡大写真などは興味深くそれだけでも見ていて飽きないものである。しかし見る人によっては多少の色合いの違いがあっても点だけの「星」だけが映っていて、つまらないと思う場合が多い。
人は未知の世界であっても、身近な地球の自然や都市風景と絡めることでその世界がより身近に思えるものである。それが宇宙への興味の入口になればさらに嬉しいものである。それがひとつの「美」として確立されたともいえる。
例えば月食や日食、彗星の出現にワクワクするのは、それらが宙空にかかっているだけでなく、地平線や山並みや夕焼け、そして都市風景、人工物、人に身近な自然物などと組になって目に飛び込んでくることで、身近に感じるからではないか。
世界を見る目、宇宙を見る視点が拡がることが、ものの見方が豊かになることに繋がるといいのだが。
明日も本日と同じように曇の一日、気温もあまり変わらないとの予報。しかし雨の確率が少しだけ高いようだ。
気温が下がり始めて、蚊が飛び交うようになった。蚊もあまりの暑さでどこかにかくれていたのであろうか。夜になって部屋の中に入り込んでいる。おとといも昨晩も、そして今晩も点でいる。電気蚊取り線香を使用しているがそれでも飛んでくる。
ここ数年、蚊が顔の周囲を飛び回っても、手で叩き潰せない。白内障の手術のためなのか、ごく近くでは遠近がわからない。遠近感の喪失である。特にパソコン作業をしているときは読書用の眼鏡である。これは中近両用でも近点重視の眼鏡である。顔の近く、10~20cmの範囲は見えてもとっさに遠近の判断が出来ない。
蚊だけではなく、ゴキブリの動きも活発になった。さいわいにも家の中では今年の夏はまだ見かけていない。だが夜、団地の中の道を歩いていると、道路上で動いているゴキブリを見かける。とくにゴミ集積場のネットのあるところで見かける。これも夜目で、遠近感がなく、足で踏みつぶすのが難しい。いつも逃げられる。
そういえば、先週の昼間、蝉が顔にぶつかった。これは蝉も驚いたと思うが、私もとっさに顔をずらすことが出来なかった。見えなかったのである。緑内障の見えていない方向から飛び込んで来たのかもしれない。
どうも歳を取ると蚊にもゴキブリにも、蝉にも馬鹿にされているようで気分が悪い。
杖をついて歩いていて気がついたことがある。自然とうつむいて歩いてしまうこと。当然前をしっかり見ていない。1mほど先の足元を見て歩いている。スマホ歩きに似た歩きになっている可能性があるかもしれない。目の前にスマホ歩きの若者が現れ、ハッとすることも多くなった。しかしスマホ歩きよりは視界は広い。たいていこちらのほうが先に気がつく。スマホ歩きのほうが後から私に気がつくようだ。
暑さが少し和らいできたので、バスも横浜駅の一つ手前で降り、地下街を歩かずに喫茶店や公園のベンチまで歩いてみた。人通りは少なく、直射日光にも晒されず、10分ほどならば汗もかかずに歩くことが出来た。
帰りは、書店や家電量販店をのぞく必要があったので、地下街や人通りの多いところを歩かざるを得なかった。しかし早くは歩けないものの、できるだけ時間をかけることなく歩いた。
本日は久しぶりに茶碗にウーロン茶葉を直接入れ、熱い湯を注いで飲んでいる。最高気温が26.9℃、現時点では23℃を下回っているらしい。熱いお茶が美味しく感じるような気温になったのが嬉しい。
★古稀の杖つけば新涼集まれる 竹下陶子
★新涼の水の重たき紙コップ 山本紫黄
第一句、暑さにたじろいでいたものの、思い切って杖を突いて外に出ると、以外に暑さを感じない。風、太陽、草の色、蝉の声など自分を包む大気が、すでに秋を漂わせている。そんな風に取ってみた。
第二句、喫茶店で出される水も暑さでグイっと飲むのではなく、一口ずつ飲むようになる。コップを持つ手に水の重みを認識する瞬間が生まれる。秋の重みというべきか。
台風11号は九州に向いていた進路を変え、西に進んで大東島に向かっている。その後、南西に進路を変えてから沖縄を通過し、突如北に進路を変えるような予想になっている。この予報通りとすると来週いっぱい列島は台風の影響を被るようだ。
ただしまだまだ進路は確定しにくい状況と思われる。しばらくは予報から目が離せない台風11号である。
本日は横浜駅の地下街は空いていた。夏休み明けの月曜日というのが理由なのだろうか。西口に近いオフィス街に近い高層ビルに接した公園のベンチで読書タイム。曇り空で気温も27℃に及ばなかったこともあり、久しぶりに外で読書をした。お供はコーヒーではなくペットボトルの緑茶。風には湿気が多かったものの、柔らかい風で不快感はほとんどなかった。
親に頼まれたベッドの脇に置くラジオを購入。年寄りでも操作しやすいようにボタン類が少し大きめのものを探したが、そのようなものはあまり展示されていなかった。20分ほど探して何とか使えそうなものを見つけた。ユニバーサルデザインはなかなか流通しないのだろうか。
17時前に団地に戻ってきたが、少しだけ雨がパラついたもののすぐに止んだ。
今月になって知人から本を3冊も送ってもらった。1冊は内田樹の本、これはこれから時々拾い読みする予定。もう2冊は小説の文庫本。土屋伸という方の本で、知人の友人ということのようだ。感想を求められている。
小説は久しぶり。割と読みやすそうなので、感想は読み終わってから。小説からは遠ざかっているので、的確に評を述べられるかはなはだ心もとない。
本日は雨の合間にときどき蝉の声がした。またカラスのけたたましい声が一瞬聞こえたがすぐに啼きやんでくれた。好ましい静かな一日であった。秋の到来を感じた。
台風11号が発生して西日本に向かっている。影響がないことを祈りたい。
「犬の記憶 終章」(森山大道、河出文庫)を時間をかけたが読み終わった。文章がなかなかいいので、それを味わいながら読んだので時間がかかったと思う。
21日以降に「青山」を読み終え、昨晩から本日にかけて読んだのは「武川村」「札幌」「国道」「四谷」「あとがき」「文庫本あとがき」「怯える視線 横尾忠則」。
「青山」は「プロヴォーグ」という写真集団のこと。このグループを語るというよりも森山大道による中平拓馬論であったと思う。
「同人の多木浩二は中平の写真とのありようについて“彼は世界に身体を貸し与えている”とぴったりな表現をしたし、少し後輩の荒木経帷は彼の写真について“風景に火炎ビンを投げつけている”とシャレた批評をした。こうしたしたたかな周辺にこういうことをいわせてしまう中平の引力。‥彼の写真をぼくは見すごすことなどできなかった‥。」(青山)
「中平と夜の青山通りに出ると、彼はアッというまに光を放つものの方へ吸いよせられていった。あたかも夏の虫が誘蛾灯の明るみに飛び込んでいくようなところがあった。‥ぼくの目に中平は、夜の街に当るまばゆい光芒から微細な光に至るまで、全身で光と感応し合っているように映った。」(青山)
「武川村」は写真家深瀬昌久との交友録。私は深瀬正久という写真家の作品は記憶にない。しかし森山大道の人を見る目はなかなか面白い。
「札幌」では田本研造という写真家に着目した箇所に惹かれた。
「田本研造と北方写真師たちの視点と視線が、開拓使からの記録・資料という依頼目的が前提であったにせよ、徹底して写真機の持つ即物性を前面に捉えたカメラ・ワークをとったからであった。奇や衒いや趣味性を捨てた視点、情緒や情感や美意識を配した視線。田本研造という卓越した写真師の択んだその方法こそが、たんなる複写の域を脱し、相対的に写真という記憶装置の持つ本質的なリアリティを獲得して、時間を隔てて見るぼくたちに、じつに幾多のメッセージを送り伝えてきたのだ。」(札幌)
「国道」「四谷」は引用略。
「「犬の記憶」のあとがきにぼくはこう書いている。“ひとつの記憶がもうひとつの記憶を呼びさまし、さらに新しい記憶を求めて時間が巡っていく。僕がこれから持つことのできる記憶とは、いったいどんな記憶なのであろうか”と。この「犬の記憶 終章」が、その言葉を書いて以降の時間と記憶への鳥上図の応答だとしても、ぼくは再度、同じ言葉をここに記すほかはない。」(あとがき)
「目前の、圧倒的に生起し流動する外界と時間のさなかに映るものを写しとめようとする行為は、まれに一瞬の快感があるにせよ、ほとんど空をつかむかのような実感である。つねに自己の観念や自意識を、現実という名のいきものとの照応のなかにおいて変更を余儀なくされてしまう。それは、路上を写しつづけるカメラマンのある種宿命なのかもしれないし、だからこそ、キリもなく道草ばかりくりかえしている。あらゆる写真は、道草の所産だという気もしてくる。」(文庫版あとがき)
森山大道の記憶や他者との関係は、都市、それも脚光を浴びるべくしてある都会風景ではなく、見落としがちな、さびれた、人の視覚に入りにくい箇所と結びついて記憶されるようだ。その徹底ぶりには脱帽する。
私たちの記憶は、都市の風景だけではなく、さまざまな五感によるものである。むろん森山大道の記憶もそうなのだろうが、徹底してこの風景に還元して蓄積され、そして時間の風化に耐えているように思われる。それこそが森山大道という写真家の写真論などだと思うようになった。
雷・強風注意報が発令されている。雷鳴はまだ聞いていない。1ミリ未満の雨が降り続いている。レインアイよこはまを見ていると間もなくこの雨は上がりそうである。しかし次の雨の区域が静岡県から神奈川県西部にやってきている。
やらなくてはいけないことは、たくさんある。退職者会の業務、知人に頼まれた仕事、とりあえず本日は「業務」と「仕事」はおやすみ。
蝉の声も聞こえず、鳥のさえずりも聞こえない。強風注意報が出ているが風の音もしない。静かに雨の降る日曜日である。
少なくとも14時までは読書タイムとしたい。団地の中では子どもの声も聞こえない。
最近はあまり内容のない投稿が多いとの指摘のとおり、身辺雑記が中心になってしまっている。膝の痛みから9か月、コロナ禍での行動制限、それらを内容のなさの理由にはしたくはない。膝の痛みの回復とともに少しずつ本来の美術館巡り等をもくろんでいるので、もう少し待ってほしいと思っている。
身辺雑記でも読んでもらえるような「ひらめき」がある文章を心がけてはいるが、なかなかそのようにはならない。
本日は午前中に33.3℃を記録したのち、気温は上がらなかったようだ。そういえば晴れることは晴れたが、雲が割と多かった。
明日の予想最高気温は28℃。夕刻まで雨のマークが出ている。湿度が高いので、「ホッと一息」とはならない。不快な暑さが続くと思われる。
来週は29日(月)・2日(金)・3日(土)も雨のマークがついており、最高気温が30℃を下回るらしい。ようやく少しばかり気温が下がり始めた、といえるようだ。
本日はこれにて就寝の準備。本日はゆっくりと入浴タイムを確保したい。
午後からの講演会と夕方の打ち合わせ会議は無事終了。講演会の打ち合わせに参加して、それなりに飲んでしまった。気分は遠慮しつつも、手はどうしても酎ハイの入ったジョッキを握ってしまう。意地ぎたない性格が出てしまって、反省。割り勘で楽しく飲めだのが収穫である。
どうも世の中は割り勘で飲んだり、時前の財布で飲むことの方があり得ない人が多いようである。居酒屋でも隣席のサラリーマンが、領収書を求め、「経費で落とす」といっているのに毎回のように出くわす。私にはとても信じられない言葉である。
これが政治家の不正を徹底的に追及できない根拠なのだろうか、といつも思う。
そういえば先日取り上げ田中正造の命日は9月4日、命日だから、ということは特にないが、没後109年であった。
学生時代の1971年に生誕130年、1973年に没後60年ということで書店での特設コーナーなどの催しがあったことを思い出した。映画「襤褸の旗」の制作も没後60年の一環であったのであろう。今頃になって思い出した。
22歳の私からすると、田中正造の死から60年というと、自分が生きてはいなかった時であるから、とても昔のことに思えたはずだ。どんな時代であったか、学校でならった教科書の記述や、本の拾い読み以上の想像が出来なかった。
現在71歳になって60年前というと私は11歳、小学校5年生である。今から60年前は自分が生きていた時代で、しかも周囲や時代を見渡すことが出来るようになった時期であるから、取り巻く時代の雰囲気はわかる。
だが客観的に60年というのはとてつもない昔のことなのだ、とあらためて思った。自分の年齢に驚くばかりである。田中正造は72歳直前で亡くなった。馬には失礼だが、私も馬齢を重ねて71歳を過ぎた。恥ずかしい限りである。
昨晩はとても疲れて、寝る前の入浴を忘れ、服薬も忘れてひたすら気持ちよく寝てしまった。11時前にベッドに入り、3時ころにいったん目が覚めて点眼などは忘れなかったが、8時半まで熟睡。帰宅してすぐに念入りなシャワーを浴びておいて助かった。
10時過ぎにすでに32.7℃まで気温が上昇。お盆が過ぎた時期とは思えない気温である。予想最高気温34℃を超えそうである。
午前中は退職者会の夕方からの会議の資料の作成。何とか間に合わせた。まだ鬚も剃っていない。昼食を食べながら出かける準備作業。
本日はペットボトルの水の携帯は必須。夜は簡単な飲み会がありそう。半分期待しつつも半分は少し腰がひけている。不思議な思いである。