午前中は「マルクス・アウレリウス 「自省録」のローマ帝国」(南川高志、岩波新書)を読了。第4章までは、マルクス・アウレリウスの生きた時代のローマ帝国の歴史的位置づけと彼の事績が中心で、私が勝手に期待した内容とはすれ違いがあった。ただし歴史については知らないことも多くあったので、無駄な読書ではなかった。
第5章以降、マルクス・アウレリウスの生きた時代のローマ帝国の社会と「自省録」への言及となった。
「マルクス・アウレリウスの前に統治した皇帝たちの治世にあっても、死は日常の身近なところにあった。マルクスの治世に入り、大規模な疫病流行と長期間にわたった戦争のために、ローマ帝国の人々、とくに戦争に明け暮れたマルクスは、それまでよりも一層死を見慣れるようになった。目を覆う惨状と大量の死が彼の身近にあり、彼は当地の責任者としてそれを直視しなければならなかった。‥マルクスの死に対する思いとは、「死を自然なものと受け取ろう」ということであったが、これは、ストア派の教説を超えて、おびただしい死に囲まれて生きねばならなかった大帝国統治の最高責任者マルクスの、心の処理の仕方であったと見ることができる‥。」(第5章「死と隣り合わせの日常」)
「マルクスの名誉を求めない思いは、死を自然なものと受け止める考えと呼応している。その根本には、死を自然なもの、肉体の分解と受け取り、来世を否定するストア派の思想があるかもしれない。しかし、それとは別次元で、若き日からそばで見て来たアントニヌスの生き方、働き方に学んだところから醸成されたとも考えられる。」(第6章「苦難と共に生きること」)
「マルクスは、帝国住民の安寧のために働こうと努力した。しかし、その治世において、枯葉疫病大流行、戦争、反乱に遭遇し、危機的状況の中でただ懸命に皇帝の職務に励むことしかできなかった。哲学の理念や政体の理想をめざしてではなく、先帝アントニウスの範にしたがって懸命に働くこと、それが彼の生き方であったといってよいのではないか。」(第6章「苦難と共に生きること」)
ここで自省録からの引用を二つほど。
「(この世で驚くばかりに光輝を放った人びとについても)すみやかに色あせて断節化し、たちまちまったき忘却に埋没されてしまう。その他の人びとは息を引き取る谷否や「姿も見えず、知る者もなし」なのだから。それに永遠の記憶などということは、いったいなにか。まったく空しいことだ。」(自省録第4巻33)
「どれだけの人間が現在たぶん君を讃めていながら、たちまち君を悪くいうようになるであろうことか。記憶も、名声も、その他すべていかに数うるに足らぬものであることか。」(自省録第9巻30)
私としてはこの第5章、第6章を敷衍した記述を期待していたのだが、かなわなかった。しかし「自省録」の理解には役立ったところも多かったと思う。