本日の帰宅途中、横浜駅の書店にふらっといつものとおり立ち寄る。「季語百話」(高橋睦郎、中公新書)を著者に惹かれて購入。俳句に関係した書籍というだけでなく、短歌や詩、古代から現代までの引用もふんだんにある。俳句に関する本、たくさん出ているが、新書等で食指を動かされる本はなかなかない。著者の高橋睦郎は、岩波書店の「図書」に「詩の授業」を連載中で、私は欠かさず読んでいる。終了後の出版を待望している。
最近新書等の選択の眼が鈍っているようで、こちらが勝手に「このような内容だろう」と思い込んで購入し肩透かしをくらうことが多い。
資力の点から単行本には手を出さず、購入はもっぱら文庫・新書類に限っているが、それでも肩透かしをくらったときはひどく落ち込む。昔は「著者が悪い」と八つ当たり気味であったが、最近はそれを見抜けなかった自分を呪うことの方が多い。歳とともにだんだん自虐的になってきたのだろうか。選択する眼が鈍っているようなので、少し読書の方向をかえようかと思い始めた。
そこで気づいたが、最近は小説に眼を通さなくなった。3年ほど前、夏目漱石を高校の時以来久しぶりに再読しかけて、前期のものを読み返した。後期のものにまだ手をつけていなかった。そこで「行人」以降の作品の再読を再開しようかとも思うのだが‥。なかなか踏ん切りがつかない。
再読したからといって、自分がどんな立派な感想なり評論を書けるわけではない。「読むことが目的」といわれればそうかもしれない。しかしまぁ、もともと小説なのだからそれで良しとしよう。
最近新書等の選択の眼が鈍っているようで、こちらが勝手に「このような内容だろう」と思い込んで購入し肩透かしをくらうことが多い。
資力の点から単行本には手を出さず、購入はもっぱら文庫・新書類に限っているが、それでも肩透かしをくらったときはひどく落ち込む。昔は「著者が悪い」と八つ当たり気味であったが、最近はそれを見抜けなかった自分を呪うことの方が多い。歳とともにだんだん自虐的になってきたのだろうか。選択する眼が鈍っているようなので、少し読書の方向をかえようかと思い始めた。
そこで気づいたが、最近は小説に眼を通さなくなった。3年ほど前、夏目漱石を高校の時以来久しぶりに再読しかけて、前期のものを読み返した。後期のものにまだ手をつけていなかった。そこで「行人」以降の作品の再読を再開しようかとも思うのだが‥。なかなか踏ん切りがつかない。
再読したからといって、自分がどんな立派な感想なり評論を書けるわけではない。「読むことが目的」といわれればそうかもしれない。しかしまぁ、もともと小説なのだからそれで良しとしよう。