本日岩波書店の広報誌「図書2月号」が配達された。モバイルノートパソコンはスキャナーに接続できないことはないが、面倒なのでいつものように表紙の画像は次回。
本日読んだものは、
・【表紙】オスカー・ワイルド 杉本博司
「文学とジャアナリズムはどう違うのか」「ジャアナリズムというものは読むに堪えないし、文学は今日では読まれていない。それだけの違いなのだ」(オスカー・ワイルド、「芸術論」吉田健一訳)
毀誉褒貶、評価は難しいオスカー・ワイルドらしい一句というところか。私は多分食わず嫌いで手を点けることはなさそうである。
・アコークローにさらわれる 平松 麻
「波が引くタイミングに合わせて夜がわたしをひっ掴み、一気に海の中へ連れて行こうとする。いっそ全てをほっぼり出してこのまま海に飛び込むのはどうだろう? そうすればわたしも景色の一部になれるだろうか。さっきまでつかまえたいと思っていたような景色の色に。憧れるモティーフに自分自身がなる恍惚をイメージした。でも鞄の中の絵の具がわたしを引き止める。」
・ドストエフスキーと現代日本 亀山郁夫・中村文則
「(2001年の)池田小事件の犯人をはじめとして、これから紹介する全員(2008年秋葉原連続通り魔事件の犯人、2016年相模原の障碍者殺傷事件の犯人)が死刑判決を受けることになる人たちと、かなり近いところにラスコーリニコフ自身がした、ということをやはり忘れてはならないでしょう。」(亀山郁夫)
「ラスコーリニコフにすごく似ているようで、同時にやっぱり決定的に違いもあるのではないかというように僕は思います。これらの事件は、殺人じゃなくてもよかったということです。彼らは生活の行き詰まりにおいて出口を求めていた‥。何かの代替案としての犯罪であって、それが必ずしも犯罪である必要もなかった‥。ラスコーリニコフはひとつの思想を持つんです。後々にものすごく人類のためになる人間が‥犯罪をする権利がある、みたいな英雄思想‥。でも先に挙げられた三つの事件の場合は、僕から見ると彼らの人生の問題と殺人が実は結びついていないです。‥別の問題があるのに、そこから逃げて彼らは人に対して恨みを持って犯罪に走っているだけだ、という気が、僕はどうしてもするんですね。」(中村文則)
「ドストエフスキーは、おそらく和解の小説を階て終わろうと思ったんですね。それがロシア民衆とかエリートたちと「皇帝との和解」の問題にスライドする。「未成年」における「父と子の和解」の問題に、より歴史的な広がりの中で描こうとしたのが「カラマーゾフの兄弟」の「第二の小説」ということになります。‥しかし作家自身の死によってその目論見は挫折した。」(亀山郁夫)
・染師 吉岡幸雄先生へ 篠原ともえ
「(吉岡先生も)合理的に作業ができないものかとも機械を取り入れるなど試みたようですが、あえなく失敗に終わったそうです。植物染めはやはり古儀に準ずるものであれ。結局辿り着いたのはいにしえからの技法だったそうで、‥。効率や合理性を求める現代社会において、時間をかけて向き合うことの大切さを、先生は暗に教えてくださった‥」