予定していなかった二次会にも参加して、無事に帰宅。日付の変わる間際に帰宅したのは久しぶり。
明日休養日。
同期会では、昨年の入院以来の状況を同期で医師になった友人に相談。いろいろとアドバイスを受けた。
講演会場は満員。16時過ぎに終了。二人の講師が、合わせて82頁の資料で講演。なかなか統計数字が読み込めなかったが、帰っての宿題である。
演題と講師は「カジノ幻想を学ぶ」(鳥畑与一静岡大学教授)、「ハーバーリゾート構想」(水上裕之横浜港運協会常務理事)。
昨日一緒にハイキングに参加した10人のうち7人も参加。
終了後誘われたが、本日は同期会優先。
これより中華街へ。
朝、目が覚めてから、ふと間違いがあったようだと頭の中に疑念が湧いてきた。
昨晩最後の記事、間違っていたので訂正。午後の予定、みなとみらい地区での講座ではなかった。横浜へのカジノ誘致に反対する山下公園傍の会場での講演会であった。
夜の同期会は本日30日のスケジュール帳を確認しながら記載したのだが、午後については来週12月7日を見ていた。
朝起きたときはすっきりした目覚めであった。気持ちの良い「伸び」をすると同時に、頭の中に先ほどの疑問が浮かび上がった。不思議なものである。寝る前には自覚していなかった「間違えたかもしれない」という「とげ」のような引っ掛かりが脳のどこかに潜んでいたのであろう。しかし睡眠は支障なく、そしてすっきりと目覚めた。目覚めとともに脳が働きはじめ、その「とげ」が自己主張を始めたようだ。
このときの脳内の生理的なメカニズムはどんな具合になっているのだろうという疑問もわいてきたが、そこまでこだわると果てしない疑問符の連続になり、収拾がつかなくなるので遮断。急いで記事を訂正する方向に軌道修正した。
これより着替えて耳鼻科へ。服用している薬がなくなった。嗅覚異常の改善の薬ということなのだが、果たして効果が出ているのだろうか。匂いの感覚はこれまでとは変わりがない。
私にはもう匂いを嗅ぐという習性そのものがなくなっている。
夕方横浜駅方面に向かって歩いていたら、三日月とそれより地平線側に金星、三日月より上方に土星を見つけた。土星はかなり月に近い。
宵の明星=金星よりさらに地平線側に木星が見えるはずだったけれど、ビルの影になっていたか、すでに地平線よりも下に沈んでしまっていたか、見ることは出来なかった。
先ほど夜のウオーキング中に目に入ったのはおおいぬ座のシリウスとこいぬ座のプロキオン、この二つの星は冬なればなるほど目立ってくる。冬の大三角をつくるもう一つのペテルギウス(オリオン座)はやはりこの二つに較べると星としては少々見つけにくい。
オリオン座の全体を見つけるとそちらの雄大な形に目が吸い寄せられてしまう。その星座の形からペテルギウスを見つける方が自然である。少なくとも私の頭の中では・・。
明日は、午前中は耳鼻科、午後からは山下公園の傍の会場で、「横浜へのカジノ誘致」に反対する講演会。夕方からは中学・高校の年1回の同期会。3年ぶりの参加である。
団地の管理組合の理事の間は会議の日程も重なり、無理であった。隔年くらいには参加して仲の良かった友人の顔を見るのも悪くない。現在は生き方も違っているが、それを前提に昔話をするのも楽しい。
明日は退職者会のこなさなくてはいけない「仕事」のことは忘れることにする。
朝からのハイキングは無事終了。集合時間の30分前に何とか間に合った。そして久しぶりに晴れて気持ちの良い散策が出来た。初冬の紅葉、山茶花、みかんなどの景色も良かったが、雪を被った富士山・丹沢山系の景色が澄んだ空気で鮮明に見えた。横浜のみなとみらい地区などの高層ビル群もよく見えた。
農専地区や寺院、歴史のスポットなどを9時半から12時半までかかって廻った。約1万3千歩ほど。総勢40名余、私の属する退職者会の10名で終了後にランチを兼ねてビールで打ち上げ。
私は帰りは二つほど手前の駅で下車して再び歩いて帰宅。
家で一服がおわり、これより再度出かけて、横浜駅で所用を済ませてから喫茶店でコーヒータイムの予定。
昼前に出かけたときは、傘を差す人と刺さない人が半々であった。みなとみらいホールを出て外の様子を見ると、傘を差している人がほとんどの本降りの雨。
杖を突いた親と一緒なので、近くの駅からタクシーで帰宅。タクシー待ちで時間を取られるかと心配したが、すぐに乗ることができて助かった。
深夜になりようやく雨があがり、少しだけ夜のウォーキング。寒かった。
久しぶりにピアノの音を満喫。このところパソコン作業中は、CDではなく、外国のインターネット放送でクラシックばかりを聴いていた。スイスの放送局で、ドイツの曲が中心のように思える。今はアントニオ・サリエリの曲も流れている。
明日は退職者会のハイキング。市内のコースを歩く。私はお客さん気分で参加するつもりでいたが、いつの間にか責任者になっている。ということで集合時間の30分前には集合場所に行かないといけなくなった。8時20分には家を出なくてはいけない。
退職者会の「作品展」に出品する組写真をいくつか用意しているが、あと2枚ほどこれから選択して加工予定。 今晩は1時位には寝たいものである。
30代前半の中野翔太・金子三勇士という若手の2台のピアノ演奏。みなとみらいホールで行われた。プログラムは次のとおり。
【第一部】
ドビュッシー作曲・デュティユー編曲 《ベルガマスク組曲》より第3曲〈月の光〉
モーツアルト作曲 《2台のピアノのためのソナタニ長調 K.448》
リスト作曲 《パガニーニ大練習曲S.141》より第3曲〈ラ・カンパネ〉 (金子三勇士ソロ)
ミヨー作曲 《スカラムーシュ 作品165b》
【第二部】
ラヴェル作曲 《水の戯れ》 (中野翔太ソロ)
ホルスト作曲 組曲《惑星 作品32》より第4曲〈木星〉
ドビュッシー作曲 小組曲(連弾)
ラヴェル作曲 ラ・ヴァルス
プログラムとしてはとても魅力的なものだと感じた。
第一部の冒頭のドビュッシーの曲を編曲したデュティユーという作曲は初めて聞いた。ベルガマスク組曲の「月の光」がさらに美しいビアノのデュオになっていた。解説に記載のとおり「優雅で精妙な作風」というのがいい形容だと思った。
第1部のモーツアルトもリストも好ましい演奏に聞こえた。ミヨーという作曲家、有名なので名前は知っているし、どこかで聴いたこともあるかもしれないが、曲の印象は皆無であった。
第2部のラヴェルも気持ちよく聴いた。ホルストの惑星は私は管弦楽版の方がずっと好みである。もともとピアノデュオ用の曲であったといわれているが、私はもともと構想自体が管弦楽であったと理解したいのだが、確証はない。ピアノ2台の迫力をもってもやはり管弦楽の音の厚みと重厚さは出てこない。若い二人のエネルギッシュな演奏でもっても難しいのだろう。ピアノデュオならではのニュアンスを果たしてホルストは想定していたのだろうか。ホルストの管弦楽法が光っているということであろう。
第2部の最後の2曲のドビュッシーとラヴェルは私は初めて聴く曲であった。特に「ラ・ヴァルス」は印象深い曲であった。
久しぶりにピアノ曲を堪能した。
個人的にはドビュッシーのベルガマスク全曲とリストの「パガニーニによる大練習曲集」全曲を聴きたくなった。この二つの曲集はむかし適当なCDを探しているうちに頭から忘れてしまっていたものである。密かにCDを購入する算段を考えなくてはいけない。
昨日、校正が終了して再度校正してもらっている方に送信したのが3時半ころ。すぐに布団にもぐり込んだ。8時に起床して朝食を食べてものの、眠気には勝てず、再び10時まで寝てしまった。
一応誤字・脱字、言い回しの改善、行数の訂正や段落分けの改善などはしたつもりである。どう判断してもらえるか、ドキドキしている。
目覚めたときから雨、昨日よりは暖かい。これよりみなとみらいホールへ。
やはり途中で寝てしまった。
本日は最高気温が今のところ21時に記録した11.2℃となっている。12月下旬の気温ということらしい。カーテンを開けてみたら窓の結露か凄かった。内側のレースのカーテンが窓に触れると張り付いてしまう。張り付いてしまわないように静かにカーテンを閉めた。
空は一面の雲。次第に雨の区域が南から北上してきて、まもなく降り出しそうである。先ほど歩きながら雲の向こうに月の光が淡く見えないかと探してみたが、本日は新月、月はもともと見えない日であった。
空を見ながら歩いて、転んだとき、「実は月を探していたんです」と言い訳をして、相手が月が見えない日であることを知っていたら、かぎりなく恥ずかしいことである。
ということで、本日は旧暦の11月1日である。
明日は、昼前から親とともにみなとみらいホールでの音楽会。チケットを安く手に入れることができた。
久しぶりにみなとみらいホールに入る。
本日は帰宅時間が遅くなった。久しぶりに友人と石川町駅の傍の居酒屋で呑んだ。ひとり2500円ほどで済んだ。
そのあと横浜駅を経由して自宅まで1万余歩を歩いて帰ってきた、昔から酔うとあちこち歩いて帰る癖があり、今回も同様。仙台にいた学生時代も呑んでからよく歩いた。当時も3時間くらい歩くのが癖で、日付が変わってからアパートにたどり着こともしばしば。
そんなことをずいぶんと繰り返した。
結婚してからも変わっていない。そしてどんな場合も必ず家にたどり着くのである。帰巣本能というのであろうか。2時ころに玄関の呼び鈴を押して、幼稚園に通っていた娘に「うるさいです」と怒られたことがある。その時は、それなりにずいぶんと反省をして、以降日付の変わらないうちに帰るようになった、と思う。
少なくとも今はその日のうちに帰っている。
先ほど帰宅してから「わたくし流俳句の読み方・詠み方」の最終校正中。友人にチェックしてもらい、私自身の手直しと合わせて修正。
その上で、娘に最終チェックをしてもらうことになった。娘のチェックは全体の構成も含めてかなり厳しい意見となりそうである。
昨日「あーすぷらざ」での講座終了後、同じ館内で展示されていた「マルティネスさんの影軸写真展」を見てきた。
20数点ほどの写真が掛軸に仕立てられて天井からぶら下げられていた。なかなか面白い着想と思って見てきた。日本の風景だけでなく、世界各地の風景が掛軸で治まっていた。うまくおさまっていると感心した。
ただ惜しむらくは、天井から空間に吊るされているので、一部の掛軸が空調の風で揺れ動く。
これは壁に付くように吊るしてほしかった。風で緩やかに動くのも狙いかも知れないが、観ていると目がまわる。見ていて落ち着かなかった。
試みとしては面白いと思った。
チラシがコピーのため見にくい。印刷しなかったのか、品切れだったのか、残念であった。
原稿を1本依頼されていたのすっかり失念していた。締め切りは28日中であった。いつもは原稿を依頼ばかりしているが、今回は依頼されていた。立場が反対なのである。危なく催促をされるところであった。
自分のつくる冊子の校正に気を取られ過ぎていた。本日中に作り上げて、他の役員の了承を得てから、原稿の内容を確定しで送信することになる。
本日、講座が終了した15時半過ぎ、会場を出ると外の風が冷たく感じた。今のところ正午過ぎの79℃が最低気温として表示されている。これでも平年気温よりも0.3℃高いそうである。
頬にあたる風が冷たくて私には心地よかった。ようやく晩春の趣き、師走の気温になったと思う。
いつもより少し早めだが、これから夜のウォーキング。帰宅後寝るまでに原稿を透き上げたい。
本日の田中史生早稲田大学教授の講座「帰化人・渡来人論争と『日本人』」と大変興味深く聴いた。
明治期の不平等条約改正にかかわる井上哲次郎の「内地雑居論」、田口卯吉の「居留地制度ト内地雑居」からはじまり、韓国併合の過程で喜田貞吉の朝鮮人同化論、早稲田大学総長時代の大隈重信の朝鮮人同化論、戦後の関晃の「帰化人」論、マルクス主義史観のもとでの石母田正などの動向、そして1960年代の上だ正昭「帰化人」論、金達寿の渡来人論などを紹介された。
これらの動向を踏まえ、また日本書紀、古事記、風土記の表記の違いを精査した上で、「異動者としての渡来人」という提起をされた。
・渡来人を古代の「倭」「日本」への移動者として定義。
・移動する身体としての渡来人、その身体を定着させた渡来系移住民、移動する文化としての渡来文化、渡来文化を継承し渡来人を祖とする渡来系氏族を、区別して論ずるべきである。
・ある段階に登場した「帰化」の特質や意義を歴史的に捉える。 などの結論が延べられた。
帰化人・渡来人論争が、「日本人とは何か」と切り離せないところで論じられてきたことも問題点として指摘されていた。
配布された資料を読みこみながら復習をしてみたいと思わせてくれる講演であったと思う。
私の帰化人・渡来人という言葉への違和など、私の素人ながらのおぼろげながらの問題意識に触れた思いがした。
1時間ほど前から1ミリ程度の雨の区域が横浜市域の北部に停滞しながらその範囲を広げている。最低気温は平年に近い8.7℃とのこと。
昼過ぎに出かける予定である。それまでには雨は上がってほしい。最高気温の予想は11℃、昨日よりも10℃も低い。実際よりも気温が低く感じてしまう。
本日の講座は「古代史セミナー9月講座」の最終日。
田中史生早稲田大学教授の「帰化人・渡来人論争と『日本人』」。現代社会で「帰化人」というのは違和感満載の言葉であるが、では「渡来人」という言葉もまたどこかしっくりこない。
そんな思いを持ちながら受講する。
寒く感じるので、着るものを厚手にして外出すると出ると、こんどは地下街や電車の中で熱い思いをする。いちいち脱着しても手に持つのが面倒。移動時にリュックに突っ込んでも重くなる。
結局、薄着が一番出かけるのには適している。ただし風邪をひいたり、体調を崩すデメリットも大きい。真似をされると困る。