Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ボテロ展

2022年05月31日 22時02分45秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 Bunkamura ザ・ミュージアムを訪れて、「ボテロ展 ふくよかな魔法」を見てきた。表題が示すように、ボテロというとそのふくよかでボリュームのある質感で有名である。
 この質感がボテロのすべてかと思っていたのが誤解だったと思った。ボテロ自身もその量感が自らの作品の大きな特質であることは述べている。確かにこの質感・量感は画家独自のもので、そして嫌味もなく私の意識の中にすんなり入り込んでくることに驚いた。
 しかし私が誤解だったと思うのは、爆発するような色彩であった。特に会場の始めのほうで圧倒されたのが「黄色の花」「青の花」「赤の花」の3つの作品である。色彩が壁から湧き出るような画面に足がすくんだ。また色面の丁寧な塗り方にも目を見張った。
 またその直前に展示されていた「オレンジ」や「洋梨」にも圧倒された。詳しくは明日以降記載するつもりでいる。とりあえず、チラシをアップしてみることにした。


感謝!600万PV、150万UU突破

2022年05月31日 08時40分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先週の金曜日これまでのトータル閲覧数が600万PVを超え、昨日トータル訪問数が150万UUを超えた。両者の数がどういう数なのか、いまひとつ私の頭の中では理解できていないが、いづれにしても長い間、多くの方にこのブログを見に来ていただいたことは確かである。

 実質13年近く、このブログを閲覧された方、訪問してくれた方に心よりお礼申し上げます。

 繰り返し訪問してくれる方もたくさんおられること、とても嬉しい。また新たに訪問された方の足跡もある。心から歓迎します。

 気に食わない記事、読んでみて「頓珍漢だ」と思われる記事もあるかと思いますが、ご容赦願いたい。
 また間違いを丁寧に指摘されてもいる。フェイスブックやツイッターにも連動しており、そちらで閲覧・訪問されている方もおられる。いろいろなチャンネルがあることもまた私なりに刺激になっています。

 今後とも閲覧、訪問をよろしくお願いいたします。

 


ブラームス「ホルン三重奏曲、クラリネット三重奏曲」

2022年05月30日 22時06分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 ブラームスのお口直しということで、本日はブラームスの「ホルン三重奏曲」と「クラリネット三重奏曲」を聴いている。こちらのほうを一昨日から聴けばよかったとおおいに反省。
 ホルン三重奏曲はホルンがラルス・ミヒャエル・ストランスキー、ヴァイオリンがペーター・ヴェスター、ピアノは岡田博美。2002年の録音。
 クラリネット三重奏曲は、ペーター・シュミードルのクラリネット、タマーシュ・ヴァルガのチェロ、岡田博美のピアノ。2004年の録音。
 この2曲の組み合わせ、以前にCDを別の演奏者のものがあったとばかり思っていたが、誰の演奏なのかも記憶になく、持っていること自体が単なる勘違いだったと悟り、50代半ばで購入した。
 クラリネット三重奏曲のほうが、いかにも晩年のブラームス然として、私好みである。

 本日はこの曲で心を沈めたい。

 


ブラームス「ピアノ協奏曲第1番」

2022年05月30日 21時19分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日、ブラームスのピアノ協奏曲第1番を久しぶりに聴いた。先日聴いた第2番と同じく、ツィマーマンのピアノ、バーンスタイン指揮のウィーン・フィルの組み合わせで、1983年の録音である。
 しかしどうもこの第1番が耳に煩わしく感じてしまった。曲になじめないうちに最後まで聴いてしまった。なじみのある主題などが聴こえてくるのだが、聴いていて落ち着かない。
 ブラームス自身によるピアノで行われた初演では不評だったとのことであるが、ピアノ協奏曲に対するイメージが当時の聴衆に受け入れられなかったのだといわれている。当時の聴衆ほど私の耳は超えてはいないが、ここ数日の私の気分が欲していた管弦楽の音の響きと違っていたのだと思う。
 ブログの記事を書きながら2度ほど聴いて止めてしまった。しかし、自分の気分と違う曲を選択してしまったこと、悲しいだけでなくちょっとショックであった。それも十分に曲のイメージを知っていながらの選択であった。


クーラーを購入

2022年05月30日 17時53分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日の最高気温は28.2℃と発表になった。昨日よりも1.7℃低い。しかも風もあった。だが、私は昨日よりも暑いと感じた。
 昼前に家を出て、神奈川大学の生協の書籍部まで歩いた。本を注文し、最寄りの私鉄の駅までバスを利用した。バス停まで1000歩ほど歩いたのだが、あと50mというところでバスが来て、発車してしまった。生協で本を注文してから3分ほど他の書籍棚を見て回ったのがいけなかった。
 バスが見えたので少し早めに足を動かしたが、もともと無理。久しぶりに汗をかく歩き方をした。それで暑く感じたのであろう。バス停で15分も待つことになってしまった。さいわい木の影があり、直射日光に当たらなかったのが救いであった。

 駅の近くのスーパーに入っている喫茶店で妻と待ち合わせをして昼食。買い物の付き合いの後、私は横浜駅まで再びバスを利用。いつもの通り有隣堂、家電量販店、百円ショップ、本日はさらに東急ハンズまで出かけていろいろと思案をめぐらした。
 パソコンルームのクーラーをどうしても購入したくなり、排気筒を付けるための窓枠を自作することを思い立ち、材料を見て回った。なかなかいいアイデアは浮かんでこない。
 製品を本日妻と見て回り、室外機を使わないクーラーを購入。我が家への配達は明後日となった。本体が到着してからしばらくは気温はさほど高い日はないようなので、気分的にはゆとりはある。これから設計というかアイデアを具体化する。アクリル板、ベニヤなどなど材料もそろえなくてはいけない。

 買い物をしたときに妻がサントリーの缶ビールを手に取ったので私が思わず「桜を見る会に無償でお酒を提供した会社だ」と小さな声でつぶやいたら、妻もすぐに察したようで、さっと他の会社のビールに取り替えた。「製品を知ってもらうために無償提供した」と言い訳しているようだが、会社の悪名が行き渡ってしまったようだ。


「日本美術の核心」6~8章

2022年05月29日 21時59分11秒 | 読書

   

 本日「日本美術の核心」の第8章「庶民ファーストなアート」を読み終わった。残るは第9章・第10章と「おわりに」である。

「白隠が道を開き、仙涯がその上を悠々と歩んだ禅画は、高い悟りの境地に達した禅僧が、自らの心の内なる仏を、自らの筆で描き出したものである。そのような宗教絵画は世界を見渡しても他に類を見ないのではないだろうか。」(第6章「素朴を愛する」)

「アートにおけるわびは、自然の味わいを残した器物への愛」と定義すればわかりやすいのではないか。「自然の味わい」は「素朴な味わい」と言い換えても良い。そのように定義すれば、わびは素朴を愛する美意識に包摂されることになる。」(第7章「わびの革命」)
  ここがどうしても私には理解できなかった箇所である。「自然の味わい」=「素朴な味わい」ということは自然=素朴なのだろうか。もっとも私には「わび」の何たるかが理解できていないのだから、これ以上議論は続けられない。それは承知をしているつもりである。自然=素朴というのは、器物への人の関りをできるだけ排除するということなのだろうが、それならば陶芸も、鋳物も、織物も、紙も、茶室というしつらえも、茶という製品からも人為、工芸というものを排除することになる。どこに線引きが出来るのであろうか。またそれを享受する人間自体が社会的な関係に溢れていいる。どうしても私には理解できない点である。
 人為をどの程度排するか、人間関係に無理を強いない、などのことであればその危うい志向のバランスの上に「芸術性」を見据えることについては私は異存はない。
 著者の断定の仕方には無理を私は感じた。

「日本美術の最大の特徴は庶民化(あるいは商品化)がすすんだことにあると筆者は考える。‥庶民的であることは大きなウェイトを占めていた。」(第8章「庶民ファーストなアート」)
「江戸時代初期に屏風の商品化とそれに伴うデザイン化が進んだことの背景には、購買層(富裕な商人層)の広がりがあるだろう。‥浮世絵版画の庶民性については述べるまでもなく、安価でありながらも高度に洗練された江戸の錦絵は、内外でも高く評価されている。文字絵や判じ絵は江戸中期以降主としてその錦絵の中で発達したが、それらは識字率が高かった江戸の町人が楽しむものであった。」(第8章「庶民ファーストなアート」)
 「江戸の町人」という限定はいかがなものか。江戸以外の京・大阪に限らず各藩の城下町、そして農山村漁村等も同様に識字率は高かったのではないだろうか。

「第6章から第8章にかけて、素朴と庶民化という大きなテーマのもとに議論を勧めてきた。‥「はじめに」で述べたように、日本美術のオリジナリティはファインアートをはみ出す部分にあると筆者は考える。ファインアートの多くはリアリズムを基調とするが、そこからの利率区の方向は二つに分かれるだろう。一つはデザイン性を追及する方向、もう一つは素朴な味わいを追及する方向である。その意味で美術の大半を占める庶民的なアートはきわめて重要な存在であり、大局的にはわびの美意識もそこに含めることができるというのが筆者の主張である。」(第8章「庶民ファーストなアート」)


29.9℃

2022年05月29日 18時41分27秒 | 天気と自然災害

   

 本日の横浜の最高気温は29.9℃となっている。30℃となるという予報はほぼ的中、むろん今年の最高気温である。真夏日にはわずかに届かなかったようだが、このくらいまでの暑さでこの夏は終わってほしいと思う。
 湿度が低かったようで、不快な暑さではなかった。歳のせいで暑さを感じなかったのではなく、湿度が低かったからであると思っている。歳のせいだということにはしたくない心理ももちろんある。
 明日は本日と同じくらいの気温と湿度であるらしい。
 いつものとおりフラワー緑道を少しだけ歩いて横浜駅まで。喫茶店で「日本美術の核心」を少々。しかし日曜ということもあり、喫茶店は混んでいたので、短時間で退散。
 有隣堂の文庫本売り場、文具売り場、百円ショップ、家電量販店のソフト売り場を回ってから、バスにて帰宅。
 帰宅後はブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴いている。

 


シジュウカラとウグイス

2022年05月29日 10時59分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 私の住んでいる団地の中で、ここ数日はシジュウカラ(四十雀)が盛んに鳴いている。近くと遠くで同じように鳴き交わしているので、オス同士の縄張りの主張と思われる。
 ここ数年は四十雀の声が盛んであるが、数日前にはウグイス(鶯)の声が何日か続いた。不思議なことに両者の声が同じ日に聞こえることはない。少なくとも私の耳には聞こえてこない。数年前には鶯の声が聞こえる日のほうが多かった。
 四十雀と鶯はともに大きさは雀くらい。そして餌はともに、雑食性で植物の種子や木の実、小さな昆虫・蜘蛛で競合している。
 四十雀と鶯、縄張りが重なるとどちらかがどちらかを駆逐するのであろうか。ここらへんのことはよくわからない。ネットで調べても記述は見つけられなかった。
 両者ともによくとおる鳴き声である。

 


本日のフラワー緑道 続き

2022年05月28日 21時00分41秒 | 山行・旅行・散策

         

 本日の最高気温は横浜で26.8℃とさいわいにも30℃は超えなかった。予想では28℃となっていたので、それよりも低かった。湿度も44%と低かったようでさわやかな体感であった。
 久しぶりにメッシュの野球帽を被ってフラワー緑道を歩いた。カメラを持ちながら歩いたこともあり、汗はかかずに横浜駅まで歩いた。階段や坂は緩やかでも手摺りや壁などに手をかけながらゆっくりと歩いた。

 明日は30℃を超えることは今のところ確実らしい。明日は予定は入っていない。

 


本日のフラワー緑道

2022年05月28日 19時29分23秒 | 山行・旅行・散策

         

 フラワー緑道を写真を撮りながらフラフラと歩いて横浜駅まで歩いてみた。歩き始めと横浜駅近くでは右膝に痛みがあった。途中はカメラに気を撮られたためか痛みは感じなかった。
 家電量販店で室外機付きのクーラーを見たが、消費電力が2.5kW以上もあり、リビングルームとパソコンルームを同時には使用できないことが分かった。
 水冷式は実質加湿になってしまうので、購入は無理。室外機のないものも排気のホースはどれもが2m異常は長くはできない、とのことでこれも断念。結局扇風機に頼るしかないことが分かった。
 したがって購入は断念。今年もパソコンルームで暑い夏を我慢するしかない。


気分は爽快だが・・・

2022年05月28日 11時17分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 気がついたら9時まで熟睡してしまった。睡眠時間9時間近く。朝7時ころいったん目が覚めたが、すぐにふたたび熟睡。就寝時も、7時に起きたときも、眠りにつくまではほんのわずかな時間であったと思う。横になってすぐに寝息を立てていたと思う。
 起床したときの気分は爽快であった。

 9時間も睡眠をしたというのは、体のどこが眠りを欲していたのだろうと、考えてみたが思いつかない。体のどこかが疲労し、「休みたい」と主張していたに違いない。おとといだいぶ使って痛みが少し再発した右膝はまだ弱いながら痛む。ここではない。ひょっとしたらこの右膝をかばって他の筋肉を酷使したのかもしれない。
 だが、筋肉疲労ならばだいたいわかるのに、今回はその部位はわからない。筋肉疲労以外にどこか体内で炎症でもあるのだろうか。思考がだんだん悪い方へと傾いていく。朝の気分は爽快だったのに思考が深い井戸に吸いこまれるように落ち込んでいく。これでは精神的にまいってしまうので、原因追及は止めることにした。

 9時半過ぎに遅い朝食を摂り、しばらくテレビの画面を見るともなく焦点の合わない目で眺めていた。
 さいわい、天気も良く、昼は親とともに近くのおいしいコーヒーを飲ませてくれる喫茶店へ行くことになった。その後、妻と親はスーパーへ買い物、私は横浜駅まで散歩することにした。フラワー緑道での気分転換になる。

 妻からこのパソコンのある部屋にもクーラーが必要ではないか、とここ数日言われている。暑がりの私の体調を気遣ってくれているらしい。
 リビングルームから独立しているので、壁面に穴を開けて別途室外機付きのクーラーを設置するか、扇風機以外の移動式のクーラーを探すか、家電量販店で探してみることにした。壁に穴をあけるのは手間も時間も金銭的負担もかかる。
 どんな製品があるのか、家電製品には疎い私はとんとわからない。

 


お疲れ?休み

2022年05月27日 22時46分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日はお疲れ休み、ということにしないといけないようだ。本人には「疲れた」という自覚はないのだが・・。
 本日中に「日本美術の核心」の第8章を読み終わろうとしたが、数ページ読んだだけでまたしても寝てしまった。
 昨日の膝の痛み、あるいは痛み止めのせいではなく、どこか「お疲れ」なのであろう。疲労は、寝てしまうに限る。

 少し長めに風呂に浸かって、早めの就寝、ということで本日は終了。


熱中症に用心

2022年05月27日 21時16分35秒 | 天気と自然災害

 スマホではピント合わせが難しい。狙ったところにピントが合わない。

 本日の最高気温は26.2℃。最大瞬間風速は18.2mの南南東の風、朝の8時半ころに記録している。ベランダも、地下鉄の出入り口も雨がだいぶ吹き込んでいた。雨量は最大で20ミリ程度だったが、風が強かったため、もっと強い雨に感じた。
 最高気温の予想は、土曜日は29℃、日曜日は30℃、月曜日も29℃となっている。真夏日になる可能性が大である。熱中症に用心。

 本日は帽子を被らずに出かけてしまった。横浜駅で地上に出たとき、陽射しの強さに驚いた。髪の毛を3ミリの長さでバリカンで刈っているので、直射日光は頭皮にあまりいい影響は与えない。帽子の必要性を強く感じた。


膝の痛みは少し回復

2022年05月27日 20時34分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明け方から11時くらいまでは激しい雨と風であった。整形外科に向かうのをためらっていたが、11時半ころには雨はほとんど上がり、タクシーで整形外科に向かった。タクシーに乗ってわずか5分で病院に着いた時に風も収まり、雲の切れ目から一瞬ではあったが太陽が顔を出していた。風が強いと回復も早い。

 しかし昨晩の右膝の痛みはすぐにはおさまらず、明け方には筋肉がこわばりその痛みで目が覚めた。朝食後に痛み止めを服用し、湿布薬をたくさん塗って病院に向かった。

 病院でマッサージをしてもらってかなり回復。昼食にうどんを食べ、そのまま地下鉄でいつものとおり喫茶店で読書タイム。「日本美術の核心」の第7章「わびの革命」を読み終わった。

 しかし痛みで眠りがあさかったのが原因だろうか、あるいは痛み止めの作用だろうか。とても眠くなり、早めに帰宅。帰宅途中は膝の痛みがわずかに再発。16時から18時までぐっすりと寝てしまった。気分的には少し落ち着きがない。こういう時はおとなしくしていないといけない。

 


本日のアジサイ

2022年05月26日 21時53分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 帰宅途中で杖を突いて歩いて一息ついたところにあった2株のアジサイ。まったく違った花を付けていた。
 これからしばらくはいろいろな色彩、いろいろな形のアジサイを楽しむことができる。
 梅雨時の湿った空気の中で、美しいアジサイを見つけるとホッとすることが多い。花の鮮やかさと、周囲の光を吸いこむような葉の周囲の暗さが対照的である。花の下にある葉陰の闇がまた見どころである。この闇に深みがあるほど、アジサイの花は美しい。