Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

スマホの電話帳機能に異状発生

2013年04月30日 18時28分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 1ヵ月近く前からスマホの電話帳機能がおかしくなった。かかってくる電話やメールでは電話帳に登録してある名前が表示されるのだが、電話帳を立ち上げてこちらからかけようとしてもデータを読み込まなくなりエラー表示になる。編集機能を利用しようとしてもエラー表示となってしまう。あわててあるフリーメールのアプリを利用してデータをそのアドレス帳に取り込んでみたらこれはうまく成功した。
 電話帳機能が満足に使えないのはとても困る、というか何のための電話機能か、ということになる。ドコモショップがいつも人が多いので延び延びになっていたがようやく本日空いているのを見計らって相談した。
 いろいろ調べてもらい、問い合わせてもらった結果、「ホットメールのアプリを使っていないか。これが電話帳の機能と相性が悪くて起動しなくなる、との情報がある」とのことであった。ホットメールのアプリをダウンロードしていたが、実際に使う際はブラウザのブックマーク機能の方が使いやすいのがわかり、もっぱらこちらを利用していた。アプリは必要ないとすぐに判断できたので、担当者の前でこれをアンインストールしたら、電話帳機能がキチンと立ち上がった。編集機能も機能した。
 担当者にはこのメーカーの機種だからなのか、あるいはアンドロイドそのものの特質なのかということを聞くのを忘れてしまった。しかし基本的なアプリでもあるので今後のことが少々心配。メールのアプリやブラウザ利用でいろいろな場面で数種類を使い分けている。ホットメールのアプリのアップグレードを行ったら不具合が生じたようだ。もし他のメールでも同様のことがあるととても困る。
 アドレス機能はひとつのメール機能に集中していると今回のようにある機能がダウンしてしまうともうお手上げになってしまう。複数のメール機能にそれぞれアドレスを過不足なく登録しておかないといけない。バックアップにならないと痛感した。面倒だが安全な利用のためにはやむを得ない。

横浜フィルハーモニー管弦楽団第69回定期演奏会

2013年04月29日 21時38分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日お昼過ぎにセキセイインコの雛に餌を与えてから、午前中にアップしたブログの予告どおりにMM地区に出かけた。実は25日松崎裕のモーツアルトホルン協奏曲全曲演奏会の時にチラシを手に入れていた、「横浜フィルハーモニー管弦楽団第69回定期演奏会」が一人1000円で、全席指定で当日券あり、とのことだったので「入場できたら御の字」のつもりでみなとみらいホールに行ってみた。ランドマークタワーからみなとみらいホールまで、かなりの人ごみが続いた。

 多少不安になりながらも13時半くらいについたのだが、さいわい切符は「好きな席は指定できないがまだある」とのことだったので迷いなくお任せで切符を購入。近くのコンビニでおにぎりとお茶を用意してから会場に入った。さて席はどこになったのかなと切符を確かめたら、舞台裏のP席。
 曲目が、交響詩「魔法使いの弟子」、交響詩「ローマの噴水」、公共組曲「シェエラザード」というように金管楽器が活躍する曲目ばかりなのであった。「この席では聞きづらいのに」と思ったが、もう購入済みだし、1000円で2時間以上が有意義に過ごせるのは贅沢と思い、そのまま席に着いた。
 舞台後方席で聞くオーケストラは初体験。しかしこれは面食らった。私は指揮者から見て右手の後方席だった。足元にトロンボーンとテューバ、トランペット。右手の舞台中央の後方から左奥が打楽器群となり、その前が木管群。ホルンが私から見て一番右手でバイオリンの後ろに位置している。
 私が戸惑ったのは三点ある。ひとつは私がオーケストラにかかわったり、就職後にオーケストラのCDを盛んに聴いていた頃は、指揮者から見て左手奥に金管のトランペットとその左にトロンボーン、トランペットとトロンボーンの前がフルートとオーボエとファゴット。ホルンは舞台の右手であった。その後ろに打楽器群だった。この配置にまずビックリした。最近は室内楽ばかり耳にしているので、この配置が最近のオーケストラだと納得するのに時間がかかった。
 戸惑いの二番目は、この後方席では楽器が演奏者の背中に隠れて見えないので、どの楽器がなっているかすぐに判然としない。しかも私が慣れ親しんだ楽器群と位置がまるで違うので、鳴っている楽器のほうに視線がすぐに向かない。ホルンが鳴っているのに目が自分から見て左のほうをさまよってしまう。
 戸惑いの三番目は、音が合成されて聞こえないのだ。弦と管楽器がまったく別々に鳴っているように聞こえる。オーケストラの醍醐味は楽器の掛け合いと同時に合成された音響の楽しみがある。それがかなわないのだ。聞いていて管楽器の奏者になったような気分となる。
 ということで、後方席で聞いているとオーケストラの細かい疵がどうしても耳についてしまう。その上、聞きなれた曲なので思い通りの音に聞こえないのはつらい。それで休憩を挟んだ後半は、後方席にもどらず、3階席に空席がいくつか見えたので、それを目当てに席を勝手に移動させてもらった。(ゴメンナサイ)。前方席で一番奥、舞台から一番遠くの席で「シェエラザード」を聞いた。結果として移動してとても良かった。
 まずオーケストラの音がキチンと合成されて聞こえる。さらに金管も弦楽器も過不足のない音量にそろって聞こえてくる。何よりも聞こえてくる音の方向を見ればそこに当の鳴っている楽器が視線の先に見える。いくら昔の配置とは違う楽器の並び方でも音が鳴ると同時にそちらに視線を動かすことが出来る。いくらかの配置に関する戸惑いはあってもすぐに慣れるものだということを体感した。
 そしてこのシェエラザード、なかなか良かった。特にバイオリンのソロが大変すばらしかった。また、木管のフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットのそれぞれのソロも良かった。さらに、木管と弦との掛け合いの部分の音のバランスもタイミングも感心した。
 プログラムの記述を読むと、アマチュアとしての苦労や思いが、オーケストラを経験したことのある私には十分伝わってきた。好感のもてるプログラムの作り方である。
 しかも一人1000円でオーケストラの音を2時間体験できるのは、とてもうれしい。プロにはない親近感もある。次回の第70回は12月8日(日)、ベートーベンの第9ということだが、聞く機会に恵まれるだろうか。

 みなとみらいホールで2時間余、充実した時間を過ごすことが出来たので、横浜美術館には寄らずにそのまま帰宅した。

 今朝8.5キロのジョギング中にちょっとふくろはぎが痛くなり、帰り道3キロほどは歩いた。明日の午後は天気はくずれるとのことなので、自重して足の回復を待つことにしたい。

連休3日目

2013年04月29日 10時33分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 連休3日目。昨日我が家にやってきたセキセイインコ、とりあえず最初の晩は無事に過ごした。小さな篭の中にトイレットペーパーの芯を入れたらその中に半身を入れて寝ていた。すっかりお気に入りのようだ。朝は寝坊のようで8時過ぎてもその芯から出てこない。やむを得ず芯を動かして起こした。朝の食事は勢いよく、貪欲に食べていた。食後は妻の手の中や懐の中でくつろぐように抱かれている。そうすると大きな糞をする。また突然羽ばたきを始める。くつろいでいる証左だとうれしいのだが‥。

 昨日は桜木町-MM地区-高島町と歩いた。人出がかなりあった。昼食のためベトナム料理の店に行ったが、そのビルのレストランは何処も店の外まで人の列。空いているところはなかった。やむなくビルを変えて、コーヒーの広い店構えのチェーン店で軽食に切り替えた。さいわい席は空いてはいたが、人が多くて店の中も落ち着かなかった。例年よりも近場で連休を過ごす家族連れやカップルが多いらしい。店の中での人の会話が騒々しくて、早々に出てきた。
 しかしランドマークタワーの近辺も人通りが多く、落ち着かない。そそくさとセキセイインコの購入を予約した店に行き、早めに雛を抱えて帰宅した。

 久しぶりに通りがかり人様のコメントが入り、安心しうれしかった。引き続きよろしくお願いします。

 これからジョギングに出かけ、午後からは好天に促されて再びMM地区へ出かける予定。横浜美術館も再訪してみたい。人出は減りはしないだろうが、どこか落ち着くところを探したい。

背黄青鸚哥(セキセイインコ)をもう一羽

2013年04月28日 22時01分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 背黄青鸚哥(セキセイインコ)をもう一羽購入した。2年前に購入した背黄青鸚哥が一人身のオスなので、相方をということで生後二ヶ月あまりの雛を購入した。ただしまだ雄雌は区別がつかないので、ひょっとしたらオスなのかもしれないが、これは賭けのようなもの。雌雄どちらにしろ、前に購入した鸚哥と相性が良いとうれしいのだが‥。
 頭と尻尾の白いところが特徴。ここが気に入って購入した。
 以前から飼っている鸚哥の名は「ナナ」である。これはレインボーという種から七色→ナナと相成った。今回は雛だから「ヒナ」、生まれが静岡と記載されていたので「シズ」などの候補があったが素直な子になれということで「ナオ」となった。
 購入して我が家についてみるととてもおとなしい。健康そうで店では羽をバタバタさせ元気であった。また同時に店に来た他の4羽と較べても元気に動いていた。慣れていないので緊張してるのかとも思っているが、それでもガサガサ動き回らない。手に取ると最初は嘴で人間の指をつつくがすぐにおとなしく手の温もりに身をまかせている。人間の腹の上に乗せると温かさを求めて上着の間にもぐりこんだり、腹と腕の間に身を入れようとする。なかなかかわいげな仕草である。妻はかなり気に入った様子だ。
 2年前に購入した鸚哥と較べるとやはりひと回り以上小さい。尾が四分の一ほどしかない。餌を食べる勢いは強い。しっかり食べている。当分は一日3回ほど手で餌をやらなくてはならない。手がかかる分楽しいのであろう。

「百花繚乱」展 感想

2013年04月28日 17時49分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 この山種美術館の「百花繚乱」展、ネットで検索していたら鈴木其一の四季花鳥図と牡丹図が前期展示ということになっていた。この作品を見たくて出かけた。色彩が溢れるような其一は2008年の東京国立博物館の大琳派展で見て以来記憶に残っている江戸末期の画家で、酒井抱一の弟子にあたる。

   

 有名な「朝顔図屏風」、「萩月図襖」や着色の「風神雷神図」ほど色彩の妙はないが、金泥を背景にした夏・秋の草花と鳥の色が美しい。金泥を背景にしているので目立たないが黄色の向日葵は形も色も右隻の中心をなして存在感がある。この向日葵一点に焦点をしぼって描けばゴッホのひまわりになるような、燃える色・形を連想させる。
 普通は左右ともに大きな古木を中心に据えるのだろうが、この絵は草花だけを主役に、その下にたたずむ控え目な鴛鴦と鶏を配している。夏の図の中心は向日葵、秋の図の中心は菊。配色の難点は金泥の背景だ。これが銀色ならばもっとそれぞれの花の色彩が浮き出るように目立つのに、と思うのは的外れなのだろうか。
 できればこの絵の全体が映っているカードが欲しかったのだが、どういうわけか左右それぞれ中心部分を拡大したもののみを販売していた。これはもったいないというか、どうしてこんな処置をしたのだろうと思ってしまった。
 もう一枚の牡丹図も色彩が美しい。これはカードは販売していなかった。残念。ホームページには小さいながらも図が載っている。小品だがこれはバックの金地に花と葉の色がよく映えている。私の好みである。

 この展覧会の目玉として荒木十畝(1872-1944)の「四季花鳥」がチラシなどに取り上げられている。「伝統を墨守した画家といわれるが、「守旧漸進主義」を掲げ伝統を基礎に象徴主義的作風から、精神性を強く打ち出した優美な絵画世界を構築した」画家ということらしい。この「四季花鳥」、秋の紅葉の赤が私にはあまりにあざとい赤に思えて敬遠してしまった。
 この作品を大きく写したこの展覧会のチラシもこの絵の部分を大きく拡大して図案化している。確かにこのように切り取れば、赤の彩りも落ち着く。デザインした方の目に同意は出来る。良い判断とは思う。しかし原作を見せるという立場からするといかがなものか。どうもこの山種美術館は作品の部分的な拡大図を多用するようだ。作品の鑑賞という立場からして好ましいことなのだろうか。私にはちょっと残念な気がする。作品全体は展示で見て欲しいということなのだろうが、カードまで部分の拡大図というのは疑問符がついてしまう。



 また速水御舟(1894-1935)の「名樹散椿」もこの展示の目玉になっている。「徹底した写実、細密描写から代表作「炎舞」のような象徴的・装飾的表現へと進む。長くない生涯に多くの名作を残し、「名樹散椿」(めいじゅちりつばき)は昭和期の美術品として最初に重要文化財に指定。腸チフスにより40歳で急逝」と解説がある。この椿は「京都市椿寺の椿。白・紅・桃色・紅白絞りと種々の華麗な花を咲かせ、しかも山茶花のようにひとひらずつ散る五色八重散り椿として有名」ということだ。「日本画の写実的な部分に、大胆にキュビズムに似た表現を取り入れた意欲作」という評価になっている。
 この絵を初めて目にしたのだが、「山茶花みたいな散り方で変な椿」と感じてそのまま通り過ぎた。それでも何となく気になってカードを買ってみて以上の知識を得た。そういわれてみれば、幹と枝の描写はちょっと変わっている。また構図も大胆である。好みは分かれるかもしれない。私は椿の頂部をカットしたのはいいと思うのだが、散った花弁が散らばる苔の生えた地面をもっと大胆に大きく描いてほしいと感じた。左の金色の何もない空間が何となく空虚に無駄な、寸詰まりの空間に感ずる。下にカットした地面があれば、その金色の空間を下支えして安定すると思うのだが‥。
 私の感覚は俗っぽいかもしれない。つまらない安定感を優先しているかもしれない。次の瞬間にはこの不安定感がこの絵の心髄ともおもうこともある。いろいろ考えるということは良い作品といえるかもしれない。
 なお、残念ながら酒井抱一の「立葵図」は後期の展示で見ることができなかった。

      
 

84回神奈川中央メーデー

2013年04月27日 22時11分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は第84回神奈川中央メーデーに参加。自宅から歩いて朝9時半に会場到着。現役の組合員は市庁舎から会場までデモ行進のため、我々退職者会の会員は場所取りがてらブルーシートを広げるのを手伝ったり、飲み物や弁当の手配のお手伝い。あるいは日向ぼっこやらで時間をつぶす。
 舞台では前段のイベントで、かなりにぎやか。われわれ年寄りには少々スピカーの音量が強すぎて、隣同士の話がなかなか聞こえづらい。
 私どもの組合はどうも退職者のほうが元気がいいようで、各種のイベントの参加率もかなりいい。それだけ財政運営は大変なのだが‥。
 現役の組合員の支部で挨拶を交わし、退職者同士の挨拶やおしゃべりをこなし、他の支部の役員とも話し、それなりにあわただしく時間が過ぎていく。私は就職して翌々年から支部の末端の役員になって以来、メーデーというのは「役員の厄日」と教わってきた。弁当や飲み物の配布から交通費の支給、追加の飲み物などの調達、家族連れ参加者の子供の面倒、旗の管理、シートやゴミの管理と廃棄‥終わると体がくたくたであった。家に着くとそのままベッドに直行して翌朝まで寝ていた。
 それに較べれば、やはり退職者会の会員としての参加は気が楽だ。12時半前に式典は終了して、現役の組合員も交えて野毛の飲み屋に繰り出し、結局15時過ぎまでワイワイガヤガヤと居酒屋に貢献。ある意味ではこれがメーデーの大きな役割になってきた。
 私は再び1時間ほど歩いて酔いを醒ましながら、いつもの銭湯&サウナへ。露天風呂は好みである温めなので、実に気持ちがいいのでつい長風呂。サウナはごく短時間、6分×3回で切り上げた。
 天気が良かったため、顔が日に焼けていて、顔を洗うと少し沁みた。酔いの所為ではなく日焼けで鼻が赤くなっていた。

 早速会報用に本日のプログラムやチラシをまとめてスキャナーで取り組み、写真を整理した上で、記事を大まか書いた。大きなイベントが終わると必ず後処理がついてまわる。これが終わらないと何事も落ち着かない。

「アメリカ先住民の肖像」展と「百花繚乱」展、明日はメーデー参加

2013年04月26日 23時22分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 本日、お昼前に家を出て、先ほど感想をアップした六本木の東京ミッドタウン内で「アメリカ先住民の肖像」展(フジフイルムスクエア)、そして恵比寿の山種美術館で「百花繚乱」展を鑑賞した。「百花繚乱」展は明後日以降に感想をアップしてみようと思っている。
 しかし、夕方は異状に暑かった。夕陽の中を山種美術館から恵比寿に向かって坂道を降りてきたのだが、暑くてむっとした。気分が悪かった。
 夕方に落雷をともなう強い雨が予想された。さいわい21時ごろに雷が長めに一度鳴ったがすぐに鳴り止み、雨もそれほどひどくは降らずにすんだ。

先ほどアップした「アメリカ先住民の肖像」展は、大納言様に紹介をしてもらったのだが、良い展覧会を紹介してもらったと思う。感謝である。

 コメントの回答に書いたが、1950年代ヨーロッパ人が盛んに日本の風俗や人物を写真に撮っているのを見ると、日本人は、特に武士は撮影者に挑むような、噛み付くような怖い表情が多いと思う。あの写真は1905年ごろ、日本の年号で言えば明治30年代後半くらいだ。ほぼ同時代ともいえる。南北戦争以降の「滅び行く」アメリカ先住民の寂寥感はあるが神々しくも誇りある表情の肖像画との違いが気になっている。そこら辺はどのように表現したらいいのかわからないので、先ほどは触れなかったが、いつか触れてみたいと思う。
攘夷運動を経て、これから欧米の貪欲で野獣のような資本主義の嵐に立ち向かおうという日本の支配階級である武士の思いが溢れているのが、日本の肖像写真であり、かたや、欧米の力の前に屈して滅び行くアメリカの先住民の目、というだけの比較ではないものを感じている。ことばにならないもどかしさを感じている。
 さらに日本人の顔つきは体格もそうだが、開港のころと較べて大きく変わったといわれる。その画期は大正デモクラシーと戦後の2回とも言われる。こんなこともあるいは関係しているのかもしれない。

 明日はメーデーの会場に行かなければならなくなった。組合の退職者会の参加要員になっている。退職者同士の挨拶と現役の時の支部の仲間への挨拶、会場を結構歩きまわらなければならない。写真を幾枚か撮影し、13時にはビニールシートやゴミを片付けた上で、みんなで交流する場所に駆けつけることになっている。
 例年は、デモの沿道の街路樹として植わっているツツジが満開で目の保養になるのだが、今年は少し早めに満開になってしまっている。見た目はどうであろうか。

「アメリカ先住民の肖像」展 感想

2013年04月26日 21時17分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 このブログにコメントを書いてくれる「大納言」様(ブログ「如月より」の管理人)より紹介をもらった「アメリカ先住民の肖像」展(フジフイルムスクエア)を見てきた。東京ミッドタウンの一角にあるフジフイルムの写真歴史博物館内にある。初めて訪れた。写真歴史博物館と銘打ってフジフイルムの歴代カメラの展示の端のついたての一面を利用した小さなスペースに22点が掲げられている。
 解説によると作者エドワード・S・カーチスは1868年生まれで没年は1952年。独学で写真を学びルーズベルト大統領の経済的支援を得てアメリカ先住民の生活や肖像を撮影、「消え行く文化」を記録したという。日本で言えば明治維新の年に生まれている。
 カーチスはさまざまな技法を使っているらしいが、今回はオロトーン、フォトグラヴュール、プラチナプリントの3種類の技法の作品を展示しているとのことである。私には技法のことは短い言葉だけの説明ではよくわからないのだが、チラシの表紙の「漆黒の外衣」、裏面の1「キャニオン・デ・シェイナヴァホ族」、4「ズニ族の酋長」、6「夢見る乙女」などが今回私の目を惹いた。それらは技法上は、1はプラチナプリント、4はフォトグラヴール、6はオロトーン、表紙の作品の技法は不明、とそれぞれの技法に散らばった。多分それぞれの技法のすぐれた面をキチンと発揮した作品を作っているのであろうと理解した。
 インディアンといわれる人々にしてみれば、ヨーロッパ人の侵入というのは自然災害ですら破壊できなかった彼らの文明を破壊つくした巨大な災厄として、押し寄せてきたのであろう。少なくとも私はそのように教わってきた。
 「消え行く文化」、これには信仰や神話や種族の歴史、言い伝えや生活の知恵、家族の歴史、そして共同体の掟や他の種族との交流などの共同の観念に属することの断絶・忘却・解体・死滅から、生命体としての人間の肉体の死滅までにいたるすべての消滅を意味していたと思う。わずかに残った種族としての生き残りばかりでは、文化も生命体も復活・復元は不可能であるとしか思えないほど徹底した文化否定・破壊・搾取・そして肉体の殺戮が行われたと思われる。
 そんな歴史、しかも短期間の破壊・破滅という結果となった場合、その消え行く文化を撮影するには好奇心だけではその対象なる人々は心を開いてくれない。文化の根っこのところ、生活の根っこのところは見せてくれない。逆にかたくなに拒否されるに決まっている。
 ここに展示されている肖像写真の目は決して撮影者を見てはいない。あるいはヨーロッパの文明の利器であるカメラを見つめてはいない。撮影者の目からそむけた別の空間を、ただし鋭く何かを語りかけるように、あるいは何かの言葉を注意深く聞くように見つめている。そのような人物に撮影者は寄り添うようにカメラを向けている、と私は思った。
 このような撮影者だから撮影される側も、ヨーロッパという文明に心を開くことはなくとも、撮影者の「消え行く文明」に土足でずかずか踏み込まずに寄り添うように振舞う撮影者に心を一定開いたのではないだろうか。それが撮影者を射すくめることのない視線となってあらわれているのではないだろうか。撮影者の姿勢に感心した。
 同時に撮影される「消え行く文化」の担い手の静かな思いがどんなものか、いろいろ想像させてくれる表情にさらに惹かれた。彼らは同情される被写体でもなく、消滅寸前のミイラでもない。確固として生きて来た重みが燐光のように輝いている。そのような表情に見えた。被写体としての彼らに光が当たっているのではなく、彼ら自身が輝いているように思うのは私だけであろうか。
 私が一番感銘を受けたのは、1の「キャニオン・デ・シェイナヴァホ族」という作品だ。うすい光の中、広大な岩山を背景に荒涼として、決して豊かとは思えない平原をいく7頭の馬と人間。彼らに日は当たっていない。かつて彼らが大きな比重を占めたアメリカを象徴するような自然から去っていくさびしい隊列を考えてしまう。あらゆる文化や自然との関係や、そして自分たち内部の関係の一切合財を引きずって去っていく寂寥を感ずる。
 これは私の勝手な読みであって、実際はそうではないのかもしれないが、この22点を見ればこの読みは間違っていないと確信する。私の見方は感情移入が強すぎるかもしれない。きっとそうだろう。もしそうならハズレということで、この文章を無視してほしい。
 さらに6の「夢見る乙女」にも惹かれた。若い少女が異文化の男に、カメラに半身の裸体を晒すということはまず無いとおもう。撮影者とこの「消え行く文化」との関係を物語っている。少女は「消え行く文化」そのものの象徴だと感じた。あるいは少女の所作は、共同体のある観念に基づく儀式、所作などの一環としての行動なのかもしれない。秘められるべき秘儀を撮影者に許したものは何なのだろうか。少なくとも撮影者が「消え行く文化」へ土足で踏み込まずに寄り添うように交流しえた証左なのであろうと感じた。

 あまりに感傷的な見方なのかもしれないが、こんな感想を持って会場をあとにした。あの東京ミッドタウンという現代東京の象徴のような場所とはズレの大きな展示のような気もした。
 良い刺激を受けた写真展であった。紹介してもらった大納言様に感謝である。

モーツアルトホルン協奏曲全4曲

2013年04月25日 22時16分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 昨日の午後、みなとみらいホールでモーツアルトの「ホルン協奏曲全4曲」とディベルティメントK.136ならびに初めて耳にする「音楽の冗談K.522」の全6曲を聞いた。演奏は松崎裕のホルンと、昨日の演奏会のために編成されたアマデウス・カメラータという名を冠した弦楽とホルンの合奏団。
 松崎裕は、元NHK交響楽団のホルンの首席を1980年から2010年までの30年もの間つとめていた。1950年生まれだから私のひとつ上で、30歳から首席をつとめたことになる。
 今回のモーツアルトのホルン協奏曲全曲は私の古くから好きな曲である。多分これまで、ベートーベンのバイオリン協奏曲の次に聞いた回数は多いのではないかと思う。
 私の今持っているCDはペーター・ダムのホルン、ネヴィル・マリナー指揮のアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの演奏で1988年版。昔LP版を持っていたが、誰の演奏だったか覚えていないのが情けない。もうすでに廃棄してしまった。

 この4曲は私は第1番から第4番まで番号順に作曲されていたのだと思っていたら、昨日のプログラムの説明では、2-4-1-3の順番に作曲されたとのことであった。そして演奏順は「1番、ディベルティメント、4番、2番、音楽の冗談、3番」となっていた。
 最初からホルンらしい響きが会場に鳴り響いてとても楽しい演奏であったが、最初の1番は何かしら硬い演奏で細かいパッセージがもたついていたと思う。次第にのびのびとした響きになって行って、最後の3番はとてもすばらしかった。そう、3番の最後の楽章の出だしでホルンが出損なってのやり直しと最後のコーダのちょっとしたつまずきはご愛嬌の範囲であろう。それほどしり上がりに演奏がよくなっていって満足した。
 舞台の下手の演奏者の出入り口のすぐ上の席という安い席であったが、聞きづらいことはまったくなかった。ホルンの響きが、会場の高い屋根までの広い空間を漂っているように感じた。その漂っている響きの尻尾を2階席から見上げるように眺めている、そんな感じで演奏を聴いていた。とても至福の2時間半であったと思う。
 初めて聞いた「音楽の冗談」はモーツアルトが下手な作曲家・演奏家を揶揄して作曲したものという解説で、最後が不協和音で終わるなどモーツアルトらしからぬ曲だが、とても難曲と思った。ホルンの惚けたような調子っぱずれのメロディーが笑いを誘う。私が感心したのは、極めて技巧的な第1バイオリンのパートとそれを極めてダイナミックに音量豊かに弾きこなした崎谷直人というバイオリニストの力量。これはすばらしかったと思う。

 松崎裕のソロをじっくりと聞いたことはなかったのだが、高音の艶が特徴なのかと思った。
 会場は平日の午後にもかかわらず8割以上が埋まっていて、堤剛に続いて今回も演奏会としては大きな注目を集めていたことがわかる。
 前回の堤剛のバッハ無伴奏チェロ組曲全6曲演奏会といい、演奏者の集大成ともいうべき演奏会を体験できてとてもよかったと感じた。

本日の予定、無事終了

2013年04月24日 22時00分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
あいにくの雨の中、夜のライブも終了。実に懐かしい昔の仲間に会うことが出来た。学生時代からどこかでつながっていた方々とも「あの場面で一緒だったのか」などいろいろの話が出来た。とてもいい時間を過ごした。機会を作ってくれた知人に感謝である。
明日はいつも大変お世話になっている方とお会いする予定。大変嬉しい時間だ。
本日、明日と充実した時間、とても嬉しい。

本日はモーツアルトと和太鼓、コンサート2題

2013年04月24日 11時21分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 風が本日も麻からうなりをあげている。雨が今にも振り出しそうな空である。今年の春は例年に較べて風がとても強いと感ずる。春は風が強い季節だが、こんなにも強い風がこれまでも吹いただろうか。雨も多いのではないだろうか。気温が3月は異状に高かかったが、この風も異状ではないだろうか。

 本日は朝はかかりつけの病院、午後はみなとみらいホールに「モーツアルトホルン協奏曲全4曲」を妻と聴きに行く。夜は、一人で知人の企画したライブに誘われて参加することになった。
 こんなにジャンルの違いがあるコンサートに午後と夜に参加するのは、なかなかない経験だと思う。頭が混乱することは間違いなさそう。

   

 昼の部はいつものみなとみらいホール、今の横浜を象徴するような地区にあるホールで行われる。
 夜の部の会場は横浜駅のとなりの東神奈川駅の傍。そう、あの相模原補給廠からベトナムへ搬出される戦車を村雨橋で阻止した戦車闘争の一番の舞台となった場所である。当時仙台から横浜に帰省していて神大の学生部隊と一緒に戦車の下にいたことをあらためて思い出した。
 当時飛鳥田横浜市長が陣頭指揮をとっていた横浜駅西口の東急ホテルは、駅舎の再開発で解体されたばかりで、現在はない。
 1963年に小学6年のときに横浜市の「健康優良児童」として表彰を受けたときに飛鳥田市長から賞状を直接もらった。1階の赤い絨毯のある貴賓室だった。1972年のこの闘争では連日飛鳥田市長がテレビに映っていた。飛鳥田氏のブレーンの一人として市政の中枢にいたの鳴海正泰氏が東北大出身というだけで、(はっきりいって何の根拠にもならないことは十分承知をしていた)横浜市の採用試験を受けて1975年に横浜市の採用試験に合格して辞令をもらったのが飛鳥田市長。といっても理学部の私には技術系の試験科目はまったく講義を受けたこともない科目ばかり。やむなく事務職の試験を受けるため法学部の友人にアドバイスをもらって夏休み一ヵ月半、行政法・労働法・憲法の関係の書籍を10冊ほど購入して必死になって勉強をした。
 そんなことを夕べつらつらと思い出した。

 コンサートの感想は、明日以降にアップするしかないようだ。

俳句結社誌7月号投句

2013年04月23日 17時28分18秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 俳句関連では久しぶりのブログ掲載となった。先月以来ちょうど1ヶ月ぶり。最近、俳句にかかわる時間が少なくなってしまった。美術館・博物館巡りの感想をアップするための時間が多くなっているのだが、それだけが理由ではない。
 組合の退職者会の方に時間が取られるようになって来た。それも理由のひとつかもしれない。しかしなんだろう。
 決してサボっているわけではないのだが‥。俳句についての感想を述べることに怖さを感じているためかもしれない。それが何に起因するかはわからないのだが‥
 わからないことはわからないと表明して、わかるまで頭の中であたためていることにしている。ひょんなことからすっと理解できることがあるということが最近判ってきた。

俳句結社誌7月号投句
★雪解雫我が心拍と重なりぬ
★春の雨墓誌の一行濡れており
★透明な樹液のながれ梅若木
★昭和の日元素の数も少し増え
★春満月生簀の鯛に夢のあり
★花吹雪少年の日の熾き火燃ゆ
★花冷えや湯船に指の白きこと
★近未来ビルのガラスに木々芽吹く
★大皿に水はじくまま春野菜
★明日穀雨告げるメールや夕明かり

「ルーベンス」展感想(その4)

2013年04月23日 14時57分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ルーベンスの絵画の中でもこの1611年ごろのアントワープ大聖堂の祭壇画の「キリスト降架」と「キリスト昇架」は日本でもかなり有名だ。特に「キリスト降架」は「フランダースの犬」の最後の場面で登場し、主人公ネロの息を引き取る際に幕が開き月明かりに照らされたこの絵の登場は、実際にこの絵が書物に挿絵として描かれていなくとも印象に残る。
 そしてこの絵の梯子の下で息を引き取る主人公には、この梯子が天国へ登る梯子としての役割をはたし、物語の唯一の救いの場面なのだそうだ。

 実際に、名作といわれるこの絵を祭壇画として眺めて見たいという欲求が私にある。画集でも残念ながらこの絵を見る機会はなかった。今回その絵を忠実に模写したという版画が展示されていて是非見てみたいと思った。
 版画を前にして私は登場人物の動きが大仰ながらも人体表現がそれぞれ極めてリアルで、全体としてもひとつのまとまりがある構成に驚いた。十字架の上からキリストを引っ張り揚ながら徐々に降ろす役回りの男二人、それを下でほぼ全身で支える若いヨハネ、梯子の上で指揮をとるかのように見守るヤコブ、ヤコブの反対側で布とキリストの左腕を支える長老然とした人物は使徒の誰であろうか。その人物の下の女性が聖母マリアであるらしい。下ですでに足を支えているのはマグダラのマリアと思われる。それぞれの役割と動きが実にリアルだ。そして統一的な動きをしている。



 しかし実際のルーベンスの描いた原画では、キリストの身体とその身を包もうとしている白い布に光りが当たり、浮き出るように描かれている。またヨハネは真っ赤な服を着ていて、一番目立つ服装をしている。このヨハネの服の赤がキリストの身体から流れる赤い血と呼応しているのだが、残念ながら版画ではこれが表現できない。
 原画では一番若い弟子でキリストにもっとも愛された弟子の一人のヨハネとキリストが画面の中央で相対している。これが何を表しているのかは私にはわからないが、意味があるのであろう。
 また空は暗く、厚い雲が垂れ込めで陰鬱な場面をさらに暗くしている。その中でのキリストの体に当たる光と赤い服の輝きは鮮烈である。光の当て具合が効果的だ。
 またキリストの肉体は他の画家の描くキリストよりかなり肉付きがよい。復活のキリストでもそうだったが、ルーベンスの描くキリストは肉体的にも立派でそれこそ押しの強さが強調される。多分のルーベンスのキリスト理解がそのようなのであろう。断食による骨と皮だけのようなキリストのイメージが多い中、なかなかユニークな描写だと思う。
 一方でこのようなたくましい肉体と、十字架での死というのが私などは頭の中でうまく結びつかないこともまた確かだ。聖書や古代ギリシャの絵画に人間性が求められる一方で、あまり生々しい肉体は聖書の物語や神話とうまく結びつかないこともある。これは画家にとっては難しい課題であろうと思う。
 この版画、確かに原画の雰囲気を伝えているが、原画を見ないとこの版画は生きてこないと感ずる。

 さて、この「キリスト降架」とついになっているのが「キリスト昇架」。はたしてアントワープ大聖堂の祭壇画にルーベンスの「キリスト昇架」がある。



 こちらもキリストに日が当たり、これは使途ではなく刑を執行する者によってキリストが貼り付けにされた十字架が立てられている図になる。
 これは版画も今回はなかったので、他の本からスキャナーした絵を掲げてみた。
 こちらの絵は「降架」よりさらに筋骨隆々とした作業員により思い十字架かまさに立てられようとしている図だ。十字架の横棒が他の磔刑図より短く、吊り下げられるようなキリストになっている。作業する人間の役割も、全体のバランスも統一が取れていて、有機的によくまとまっている。
 両手と両足に打たれた釘の部分から流れ出る血の赤色が小さいながら妙にアクセントになっている。
 またヨハネが赤い服を着ていたが、この絵でも作業する一人がやはり赤い服を着ている。この赤もまた目立つ。この図でのこの赤の服装の役割は何なのであろうか。また左下の犬は何の役割なのだろうか。背景には緑の木があり、空も青く明るい。これもちょっと気になる。

 他にも気になった作品がいくつもあるが、ルーベンス展の感想としてはこれで終了とする。

 このブログの記事を書きながらずいぶんとルーベンスの絵の解説を読んだし絵も見た。なかなか勉強になった。頓珍漢な感想もあるかと思うが、素人の思い込み感想として大目に見ていただきたい。

「ルーベンス」展感想(その3)

2013年04月22日 23時13分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ぼやぼやしているうちに肝腎のルーベンス展は21日に終了してしまった。しかしやはりまだ書き足りないことがあるので、記してみることにした。

   

 これらの作品は、「トレ・デ・ラ・バラードのための連作とルーベンスの油彩スケッチ」という長い題名がついている。スペイン王フェリペ4世の依頼による、トレ・デ・ラ・バラードという名の館を飾る絵画として注文された122点の連作。ルーベンスとその工房の担当は62点、オウィディウスの「転身物語」から題材をとった古代神話を表した作品。14点がルーベンスの作として認められているそうだが、今回はこの6点が展示されている。
 さらに下の「シルウィアの鹿の死」もフェリペ4世の依頼による狩猟をテーマとした8点の連作の内の1点。
 ヘラクレスの神話の1点を除きいづれも劇的な一瞬の動きを見事に捕らえていると思った。
 どれもが油彩といえども下絵として製作されたものであるが、完成された作品よりもとても生き生きとしていると思う。ドラマチックなロマン主義の絵画の先駆けのような風にも感じるのだが、どうであろうか。
 最初の絵は、いづれも物語のもっとも劇的な部分を、二人の男女だけを浮き立たせて見事に物語全体を象徴していないだろうか。物語のすべての要約がここに定着している。見事な場面設定だと感じた。この劇的な場面設定がルーベンスの人気のひとつなのだと思う。
 そしてながれるような筆致が魅力だと思う。完成品よりもずっと動的で、劇的で、それでいて瞬間を切り取ったときの対象物をきりっと切り取る画家の的確な目が羨ましい。動物の絵に難点があるという人もいるようだ。確かに「シルウィアの鹿の死」を見ても犬が犬らしくもないのだが、それでも実に生き生きとしている。
完成された作品も魅力たっぷりだが、このような下絵に画家の真骨頂を見るのもまた楽しいのではないだろうか。



 さて今回の展示では「聖母被昇天」は版画のみが展示されている。この版画は1624年ごろの作らしく、元の教会堂の絵は1618年頃の完成とのこと。
 残念ながらこの絵の実物を見ることができないのだが、それでも教会堂の絵とこの版画とを較べると面白い。同時にこの版画の完成度はとても高いのではないか、と感じた。
 天上から聖母マリアを迎えるためにキリストが書き加えられ、聖母マリアの目の天上を見上げる視点がより強調されたりしているようだ。
 マリアの上に向かう動的な動きが強調されていて、見上げると本当に上に向かって上昇しているようにも見える。エル・グレコの死より10数年あとの作品だが、エル・グレコとはまた違った描き方で上方への動きが誇張された人物像ではないがわかりやすく描かれている。
 それは、下に描かれた使途たち、それも男の使徒たちの大仰とも取れる上方に向かって差し上げられた手によって表されている。まるでベクトル表記の矢印のように天上を指している。はじめはこの手が少し大げさに見えたのだが、下から見上げてみるとそんなにわざとらしくは見えないから不思議だ。見る人の視線を常に意識している画家の目がここにあるように思える。
 実際の教会堂の絵も動きがあるし、多くの人を魅了したらしいが、私はこの版画もとても気に行った。

 一方で気になることもある。それはマリアの顔がちょっと現実的過ぎる嫌いがあること。多分ルーベンスは聖書の登場人物は現実の身近な人間の顔を書いたらしいのだが、あまりに生々しすぎるのではないか。祭壇画としては、仏像の表情などに見慣れた我々は個性が表に出すぎているように思える。
 もうひとつは、実際の祭壇画とは違ってマリアの上にキリストを描いたことによって、マリアの視線、そして下に描いてある使徒たち特に男の使徒の視線がおかしくなってしまっているのではないだろうか。キリストがいなければマリアや使徒たちの視線は、この版画で言えば右上方に向かって一致している。多分そこに描かれていないが神ないしキリストがいるのであろう。そこを見つめている。神を言祝ぐ視線である。
 しかしキリストをマリアの頭の上に加えたためにマリアをはじめ、下の登場人物のたちの視線もキリストの方を、これまでよりも上方に向かわなければならなかったはずだ。視線だけでなく顔の向きも。ところがそれをしていないためマリアの登っていく先、あるいはキリストを登場人物が見ていないのだ。これはとても残念な気がする。
 ドラマチックな場面設定と陰翳の具合のすばらしさが半減しているように感じてしまう。


横浜美術館「賛美小舎」-上田コレクション展(その2)

2013年04月22日 20時39分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 武田州左(たけだくにさ、1962年生)という画家の作品、似た様な作品が並ぶが決して飽きない。解説にもあるように赤い太い線が生命のあふれ出す奔流のような、あるいは地下の地球の深部の対流を思わせるような流れが特徴である。原色の赤が実に生命感溢れる色彩として表現されている。そして屏風や掛け軸といった古来のキャンパスに描いているのが特徴。そして何より仕上げが丁寧だ。職人芸のようにきれいに塗って仕上げている。普通は見ることもないキャンパスの脇も色彩が連続している。私は現代アートの多くが細部や仕上げに無頓着で丁寧でない作品が多く目につくのでほとんどそれだけで悪い評価を下してしまう。この作者は丁寧な職人芸も併せ持つようでいて極めて好感が持てると感じた。


   

 石原友明(いしはらともあき、1959年生)の像は、球形を積み重ねた人体像。絵画というか設計図のような二次元の描画もあるし、同時に透明なプラスチック様の素材を利用した立体もある。通俗にながれる危険ととなりあわせのギリギリのところで踏みとどまっているような造形だ。今ひとつ色彩の横溢があれば良いのに、と最初は思った。しかし確かに何ゆえか心に残る。
 心に残るのは、モノトーンだからこそではないのか。色彩が溢れてはその情感は半減するのではないか、と思い始めた。それが何に由来するのかはわからない。しかし光と影の具合といい、今にも動き出しそうな造形といい、温かみのある画面が特徴だと感じた。


 残念ながらこの他の作家の絵や作品は私の理解を超えていたと思う。作品を鑑賞するのに、理解力が必要かといえばそんなことはないとしか応えようがない。直感のほうがより大事だと思うが、それでもその直感を支えるものが無いといけない。この歳になってしまうと頭の柔軟性もなくなり、理解できる作品はどんどん少なくなっていく。時折このような現代美術に親しむことで頭の柔軟性を維持していこうと思った。