Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「雪」の俳句

2019年01月31日 23時01分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 雪の句はたくさんある。雪は多くのことを感じさせる。雪は実にさまざまな感覚を吸い寄せる。そして雪は人を感傷的にさせる。雪は人の感覚を鋭敏にさせる。
 まだまだあるが歳時記より目についた句を8句ほど。艶めかしいものもある。

★降る雪や玉のごとくにランプ拭く      飯田蛇笏
★雪降れり時間の束の降るごとく       石田波郷
★雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし   飯田龍太
★雪はげし抱かれて息のつまりしこと     橋本多佳子
★音なく白く重く冷たく雪降る闇       中村苑子
★窓の雪女体にて湯をあふれしむ       桂 信子
★雪まみれにもなる笑ってくれるなら     櫂未知子
★深雪晴わが影あをき虚空より        深谷雄大

講座の申込み

2019年01月31日 22時14分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日はいつも受講している「古代史セミナー」の3月の講座を往復はがきで申し込んだ。両講座ともとても興味がある。

 昼直後には、65歳以上1000円の理髪店で散髪。明日から1100円に値上げとなる。理由は値上げだけではなく、3日が退職者会の新年会で司会役なので、一応それまでに調髪はしておきたかった。

先ほど団地の会合が終了、ふだんならばこれから夜のウォーキングに出かけたいのだが、残念ながら雨。ウォーキングは諦めた方がよいようだ。今月はずいぶんと歩いた。休養日も必要である。

 雨は止むことなく降り続き、少しずつ強まっている。風も出てきた。八王子では雪がいったん雨に戻ったらしいが、気温が急激に下がっているとの報道もある。予報が難しいのであろう。




横浜も今晩から雪の予報

2019年01月31日 18時23分21秒 | 天気と自然災害
 所用があって関内まで出かけた。曇り空で今にも降り出しそうだったが、それほど寒くは感じなかった。幾つかの用事を済ませ、短時間だが友人と会い、喫茶店にいたら雨が降り出した。
 降ったり止んだりを繰り返しているようす。帰宅はJRで横浜駅まで。横浜駅からバスに乗ろうとしたものの、降ってはいないので、歩いて帰ることにした。しかし途中から少し強い雨となり、止むことがなくなった。
 せっかく歩き始めたのでそのまま家まで歩いたが、ダウンコートはだいぶ濡れてしまった。傘をさしたのだが、両腕はどうしても濡れてしまう。リュックはほとんど水をはじいてくれていた。防水スプレーの効果があった。

 夜遅くには雪に変わると天気予報ではさかんに注意を呼び掛けている。余談は許さないし、用心するに越したことはないのだが、気温があまり低くないように思われる。素人の「感触」なのでまるで当てにはならない。
 雪になると、団地の中の樹木の被害が心配である。年度末での被害発生は困る。昨年は幾本が大きな枝が折れてしまい、業者に出動してもらった。

 明日は南岸低気圧も通過し、晴れとの予想だが積れば雪掻きに精を出さないといけない。また腰が痛くなる。

「図書2月号」 その2

2019年01月31日 10時51分47秒 | 読書
 朝出かける前に30分ほどの読書タイム。次の3編。

・漱石公案 --釈宗演『禅海一瀾講話』と父母未生以前本来の面目--      小川隆
 漱石の「門」の主人公宗助が参禅して「父母未生以前本来の面目とは」という公案を与えられた話について。
「日本ではよく、己はおろか父母さえもが未だ生まれていない時、という語釈が見られるが、結論から言えば、これは父母からまだ自分が生まれていない時、のいである。‥無学祖元の語録『仏光録』で「父母未生以前本来の面目」如何という問いに、祖元が「生まれた後と大差ない」と答え、弟子が「私の今の貌がそれです」と答えているのなどをみれば、この語が、生まれた後の今の顔との対比の下で、生まれる前の顔-現世の意味づけ価値づけに分節され以前の自己-を問うものであるとは明らかであろう」

・京橋川の畔で              竹原陽子

・私のこと その1 バルバロイ      加藤典洋




「図書2月号」 その1

2019年01月30日 22時21分19秒 | 読書


 本日「図書2月号」到着。本日目をとおしたのは、以下のとおり。いつものように覚書とて書きだしてみた。

・表紙:ゴッホの手紙           司  修
「『日本の芸術家たちがお互い同士で作品を交換したことに、僕は前から感心していた。それはお互いに愛し合い助け合っていたしるしだ、彼らの間にはある種の融和があった違いない。きっと情誼に厚い生活で、もちろん、陰謀もないだろう』。私は、日本人もずいぶん変わってしまったと独り言をいいました。」

・不忍池を体感すること           鈴木健一
「その土地についてどんなに知識を持っていても、その場に立ってみないとわからないことがある。風の匂いとか、水のせせらぎとか、名物の味とか、五感を通してのみ得ることができる、その土地の雰囲気としかいいようのないものがあるのである。」

・ニューヨークの南方熊楠          松居竜五

・大流行による惨劇から100年 ペイン・インフルエンザ    田代眞人
「(スペイン・インフルエンザにより)膠着状態に陥った世界大戦の最終局面で両陣営の戦力は激減し、パリに迫る西部戦線では、ロシア戦線から戦力を転用したドイツ軍の最終突撃は中止された。それがドイツ降伏の原因ともいわれる。‥スペイン・インフルエンザのの結果、労働力人口不足で戦後の経済復興が遅れ、厖大な賠償金でドイツ経済は破綻し、世界はその後の大恐慌を克服できずに不安定化し、ファシズムの台頭と第二次世界大戦への伏線が敷かれた‥」
「日本でも1918-20年に甚大な健康被害(当時の人口5500萬人のうち45萬人が死亡)と市民生活・社会機能に大きな影響が生じたが、その実態が解明されないまま記憶が薄れている。‥国民の士気を削ぐような健康被害と社会的影響は過小評価され、関東大震災の強烈な記憶の陰で、その5倍もの死者を出したスペイン・インフルエンザの惨劇は忘れ去られた。
「日本がスペイン・インフルエンザからほとんど何も学んでこなかったことを教訓として、その実態をかいめいし、今後必ず起こるパンデミックの災厄を「減殺」するための事前準備と緊急退恵右の確立を‥」


・崖葬墓文化の起源を探る          片桐千亜紀
「独特なのは墓の形だけではない。墓がある「場所」と、外見からは決して知ることができない墓の中での「葬り方」にこそ、沖縄が伝統的に営んできた独特の世界があるのだ。」
「岩陰や洞穴を墓とし、遺骨を風葬して骨化させ、そのまま地上に安置させる葬墓制を「崖葬墓(がいそうぼ)文化」と呼んでおり、民俗学的にはもっと複雑な葬送行為をも含め、それらが行われた墓のことを風葬墓と呼ぶ」
「沖縄は東南アジアに広がる崖葬墓文化の北縁にあたるのではないかと考えている。」
「石垣島の洞穴から約二万年前に遡る旧石器時代の人骨が発見され、‥日本最古の人骨として話題となった。‥白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡と名づけられた‥。その人骨は明らかに‥風葬されたと解釈できるものである。沖縄の崖葬墓文化は旧石器時代まで遡る可能性が出てきたのだ。果たしてそんなことがありえるのだろうか。研究は続く。」


「潮風と砂の考古学」

2019年01月30日 20時44分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 3度目の訪問でようやく県立歴史博物館に入ることが出来た。目的は「潮風と砂の考古学」。学生時代の友人が、「これで100円は安すぎ、砂丘と砂嘴の歴史とのかかわりが面白い」、と感想を述べていた。
 縄文葬期末の海進以降の海岸線での人々の生活、縄文中期の海岸線の後退による新たな土地への人びとの進出、海岸線の歴史が規定する人々の暮らしに焦点を当てた展示である。
 興味深い展示と解説に、2時間近くじっくりと見て回った。友人もビックリしたようだが、65歳以上はこの特別展示だけでなく常設展示も含めて入場料100円、入場してすぐに28ページにも及ぶ立派な解説書を手渡してくれる。会場では読む場所もゆとりもなかったが、この解説書に目をとおしてから、再度訪れてみたい。
 私が知らなかったことの一つとして縄文晩期に関東地方では遺跡が減少するのにかかわらず、湘南の砂丘地帯では遺跡の変化はなく、逆により海側に広がっているということ。一方でこの地域は、弥生前期から中期にかけて「人々の活動の痕跡が見出せない」ということを知った。
 また旧横浜村があった砂嘴(さし)には縄文中後期の土器が出土することなども知った。
 会期は2月17日までである。それまでにもう一度訪れたい。本日は平日の午後、訪れている人もほとんどなく、ゆっくりと見ることが出来た。

 「縄文時代以来連綿と続いてきた、砂丘、砂嘴と人間の歴史、刻々と変わり続ける地形を巧みに利用しながら、海砂と人間はともに生きてました。では現代はどうでしょうか。(治山工事や河川工事で)海へ流れ出る土砂の量が少なくなり、浜は痩せ続けています。‥津波や高潮の危険性を向上させているとともに、生息する魚種もかえてしまい漁業にも影響を与えています。」

   

冬の果て、寒の闇

2019年01月30日 12時16分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中はいくつものメールのやり取りで費やされた。本当は読書タイムにしたかったのだが、なかなかうまくいかないものである。ようやく一段落。
 昨日に続いて寒そうな外の気配である。カラスが盛んに鳴いている。団地の中は無風状態なので昨日よりは外は歩きやすいのではないか。

★冬の果布団にしづむ夜の疲れ      飯田蛇笏
★ものの音沈めて深き寒の闇       飯田蛇笏


 最近は、すぐに疲れる。体力のなさ、ということではなく、精神的な疲れや人との関係がしんどい。それを引きづって布団に入ってもなかなか寝付けない。冷たい布団に身を沈めても疲れは撮れないどころかより重症化することもままある。布団に身を入れたときの沈む感覚というのは、寝るということに対する期待をともなう。そこまではいいのだが、そのまま寝付けないときの思いはつらい。
 同時に、雪国の冬の闇の静けさは、関東地方の都会ではめったに味わえない。すべての音を雪が吸収する。私はこの句を中学生のときに国語の授業で習ったときにそれを初めて理解できた。それほど人を納得させる力を感じた句である。


冴ゆる

2019年01月30日 01時11分44秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 冴える、冴ゆる、は冬の季語。冷え切った大気に覆われて感じる寒さをいう。音や光の喩えに使われる。

★冴ゆる道なかの一つに己が影       加藤みつ子
★丸眼鏡冴ゆる肖像無言館         田中利子
★木戸に見し中天に冴え月円か       片倉ゆかり


 第1句、冬は午後になるとすぐに日が低くなり、影が長くなる。まっすぐな道を太陽の方向に向かって歩くと、とても眩しい。帽子をかぶっていても眩しくて、車も見にくく、歩いている人すら見にくい。逆に背中から日があたると前方はるか彼方に自分の頭がある。そして影が濃いのである。その影はあたかも自分の姿を映しているとはなかなか合点がいかない。自分の影をじっくりと見ている作者がいる。
 そういえば確かに信濃の無言館にはそのような絵が飾ってあった。その目は今の自分には程遠いほど、真摯に自分を見つめている。あのような真摯に自分を見つめている目にはお目にかかったことがない。あの無言館の建物は冬は寒い。しかしその寒さ故にあの作品群は輝きを発している。無言館は第二次世界大戦、あの戦争に徴兵された画学生の遺作を集めた美術館。守勢前に自らの生きた証を精魂込めて描いた作品が心を打つ。幾度も訪れたい場所の一つである。
 第3句、冬の月はことのほか目立つ。満月が大きく丸いだけでなく、賭けている部分の丸さもまた際立つ。月の出のまだ低い月ばかりが大きく、丸く見えるのではない。中点の小さく見える月もまたくっきりと鮮明に見える。


「フェルメール」(小林頼子)を読みながら‥

2019年01月29日 23時08分01秒 | 読書


 角川文庫の「フェルメール」(小林頼子)を引続き読んでいる。なかなか進まない。理由は難しいからではなく、私なりに「説得力のある文章」と思われるからである。特に画面構成に力点を置いて、作品の年代の順位を確定しながらの論理展開は説得力がある。
 これまでフェルメールについて「どうしていい作品なのか」と疑問を払拭できていなかった。「なぜ惹かれるのか」まではまだわからないが、後期と思われる作品群の解説に期待してみようと思う。

 フェルメールの作品といわれる作品35点について言及されている。

 もう少し早めに読み終るようにしたい。

締まらない1日

2019年01月29日 21時22分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日もまた失敗をしてしまった。県立歴史博物館に出向いたら、昨日に続いて本日もまた休館日。「資料整理のため休館」と看板に記載してあった。よく読まなかった私の失敗である。何とも情けなく、ガッカリした。
 重い足取りで14時過ぎに予定している会議の場所までブラブラと歩いた。足の運びがのろかった。

 家を出たときは強い風で団地の高木が大きく揺れ、風が唸っていたが、関内近辺は風の強いところと弱いところが極端に差があった。関内は高層ビルが並び、ビル風がひどいみなとみらい地区や、風が吹き抜ける高台と違って、5~10階建てのビルが多い。風をさえぎってくれるビルと、とおりを抜けてくる風が交互に現われる。
 そんな場所をトボトボと30分ほど歩いて組合の会館へ。歴史博物館を見て回らなかった分だけ早く点いてしまい、読書をする気にもならず、ソファーに持たれて、1時間ほど眠ってしまい、起こされた。

 どうにも締まらない一日となった。

冬は大詰めだが‥

2019年01月29日 10時39分14秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明け方から風が唸り声を上げている。外に出ると身が引き締まる。こんな風邪の日に出かけるのは嫌なもの。だが、午後からの回帰というか打合せがあり、どうせ出かけるならば、ということで昨日休館日だった県立歴史博物館に寄ることにした。
 時間が許せば、理容店に行ってみる予定。2月から100円あがるとのこと。2月3日は退職者会の新年会なので、それまでに頭も少しさっばとした方がよさそうである。

 立春は暦の上ではいよいよ冬も大詰め。今年は2月4日が立春なので、3日までが冬。だが実際は、寒さや関東地方の雪の心配はこれからである。なんとか今年は雪は回避してもらいたいものである。
 本日の乾いた冷たい風からは冬の終りや、春近しとは程遠い。
 私が高校3年生のとき、この時期もうすでに授業は行われず、受験に追われていた。まだ共通一次などは始まっていなかった。4校願書を出して3校受検した。それだけでくたびれ果ててしまった。1月から受験で学校に来ない同窓生がたくさんいたと思う。「寒」の内は、授業もどこかの大学の入試問題の解説を数回受けただけだったようだ。それも冬の日が黒板に当り見にくかったので、熱心には聞いていなかった。確か2月と3月は併せて10回も学校に行っていなかったような気がする。3月は受験の結果報告、卒業式の準備と本番の日しか記憶にない。

★厳寒のちりもとどめず巌ふすま     飯田蛇笏
★黒板に三寒の日の及びけり       島谷征良


コーヒーの味

2019年01月28日 23時26分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今日の午後、関内のむかしよく入った喫茶店でコーヒーを飲んだ。関内で昼から午後にかけて会議がある時に、食事のあとによく利用した。退職後も2度ほど入った。昔風の少し照明を落とした木目の黒光りした椅子やテーブルが懐かしい。
 いつものとおりマンデリン450円を注文した。値段がこの10年以上変わっていないように記憶している。店の中は暖かく、級風注意報の出ている寒い外から入ると眠気に誘われそうになったが、30分ほど読書タイム。
 しかしマンデリンのはずのコーヒーなのだが、どうも酸味が強く、そしてコクを感じなかった。いつものマンデリンの味とは違うのだが、そんなに舌に自信はないので、そのまま飲んだ。それとも私の覚えている味が違うものなのか、単に本日の舌の具合が悪かったのか。
 ただし、落ちついた雰囲気と暖かさに満足したので、気持ちよく支払いを済ませて店をあとにした。
 だが、あのコーヒーの味は今思い出しても違う豆だったように思う。

 先ほど、夜のウォーキングを30分ほど行ってきた。風は止み、思ったほど寒くなかった。明日の予報は11℃で本日より2℃低い。本日感じた寒さは強い北風によるものであったことがわかる。

年度末の慌ただしさがそろそろ

2019年01月28日 20時30分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 会議終了後の居酒屋お付き合いは回避、早めに帰宅した。とくに具合が悪いわけではないが、やはり家で食事をするのがうれしいものである。

 所用は早く済んだのだが、県立歴史博物館は月曜なので休館日であった。月曜日だということをすっかり失念していた。県立博物館に着いて「休館日」の標示をみてがっかり、同時に自分のうっかりミスにがっかりした。

 本日は風がとても強く冷たかった。関内近辺で歩いているときにビル風にあおられて野球帽が飛ばされただけでなく、向かい風となった寒風が行く手を阻み、まっすぐに進めなくなった。さらに道路上を細かい砂粒が正面から吹き付けて、目も開けられずしばらく立ちすくんだ。近くのビルのロビーに駆け込んで、しばらくの間、風を避けた。

★北風に吹かれて星の散らばりぬ     今井杏太郎
★ふたりして岬の凩きくことも      大木あまり


 明日は特に予定が入っていなかったのに、本日急遽明日の会議が飛び込んできた。午後から出かけなくてはいけなくなった。年度末に向けてどこか慌ただしくなってきた。

気持ちのゆとり

2019年01月28日 11時05分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝は団地で業者と立ち合い。昼前には家を出て、横浜駅、関内駅傍で所用を済ませてから夕方からの会議のために石川町にある組合の会館へ。時間にはゆとりのある一日のスケジュールである。

 可能ならば、神奈川県立歴史博物館で、「かながわの遺跡展 潮風と砂の考古学」を見たい。友人が「おすすめ」とメールを送ってくれた。

 夕方の会議の前のコーヒータイムは、どのような飲み物にしようか、コーヒーか、紅茶か。明るい喫茶店がいいか、薄暗い隠れ家のような喫茶店がいいか、いろいろ思い描くのもまた楽しい。

 会議終了後は、久しぶりに参加者といつもの居酒屋にいくつもりでいる。居酒屋で飲むといっても、本日はまだウーロンハイ1杯くらいでのお付き合い程度にしておきたい。昼と夜の2回とも外食というのは退院後初めて。家にいるときと特に変わったものを食べるわけでもないが、何となく緊張する。
 問題は昼食の量。お店に入ると量が多すぎる上に高いので、コンビニでおにぎりか量の少ない小さな弁当を探すことになりそう。小さい時にずいぶん食べた魚肉ソーセージが食べたいので、1本くらい購入したい。しかしスーパーではだいたい3本か5本まとめて売っている。これでは多すぎる。

「藤沢周平句集」から 二

2019年01月28日 07時21分12秒 | 俳句・短歌・詩等関連


☆「・チエホフを読むやしぐるる河明り 「雪櫟(ゆきくぬぎ)」 場所は(鶴岡でもハンブルクでも、ラトビアのリガでも、バリでも)差し支えない。ただしそこにはかならず読みかけのチエホフから火照った顔をあげて、雨後のほの暗い河明りを見つめる若者がいるだろうと思わせるところに、この句のなみなみでない普遍的な奥行きがある‥。‥そこに顔をのぞかせているのは、多分永遠の青春性といったものであろう。」
「・曼殊沙華みな山に消え夜の雨 「浮鴎」 私は森澄雄の俳句を、どことなく西欧的な感触を持つ硬質の抒情といった印象でおぼえている‥。‥森の風景句には、シュールレリスムの画家たちの絵にみるような一種の光沢のある色彩、陰翳を拒否した明るさがあった‥。その印象鮮明なわりには、やや平面的な風景把握に転機がおとづれるのは、第二句集「花眼(かがん)」からであろう。森は高名な「雪嶺のひとたび暮れて顕はるる」、「餅焼くやちちははの闇そこにあり」といった句で、風景の重層的な仕組み、るいは心象がとらえる事柄の内部風景にまで踏み込んで作句することになる。‥われわれは森の句にみちびかれて、ようやく夜の雨の闇のかなたになお濡れながら咲く曼殊沙華をみるのである。」(青春と成熟 -鑑賞・森澄雄の風景)

★「私は郷里の初冬の風景が好きなのである。暗鬱な雲が垂れこめ、空は時どきそこから霙やあられを降らせる。そして避けるとしか言いようがない雲の隙間から、ほんの僅かの間日が射し、黒い野や灰色の海を照らし出す。そういう日日の反復のあとに、ある夜静かに休みなく雪が振りつづけ、朝になると世界が白くなっているのである。初冬に至って、私が生まれ育った土地は、他の土地と紛れるところのない、まさにその土地であるしかない相貌をあらわすのである。
 郷里では私はふだんより心が痛みやすくなっている。人にやさしくし、喜びをあたえた記憶はなく、若さにまかせて、人を傷つけた記憶が、身をよじるような開墾をともなって蘇るからであろう。‥郷里はつらい土地でもある。私はその夜、めずらしく途中で目ざめ、また海の音を聞いた。‥。★冬潮の哭けととどろく夜の宿  ★野をわれを霙うつな打たれゆく」(初冬の鶴岡)