Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は防災訓練の日

2015年08月31日 21時50分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日から神奈川大学のエクステンション講座の今年度の後期の受付が始まる。4年目にあたる今年は受講する宇座は少し少な目にする予定。
 受講料もかかるが、同時に当然だが時間もだいぶ取られる。もう少し時間が自由になりたい。平家物語の購読と、美術の鑑賞講座、そして時事的な講座をバランスよく受講したいものである。時間がかさならないようにしないともったいない。

 明日は休養日兼休肝日としよう。しばらく休肝日がなかった。

 さて、ここまで記しているうちに気付いた。明日は防災訓練の日。現役時代は忙しい日であった。このほか1月17日前後も震災対策訓練となった。情報伝達などシステムへの入力作業や、模擬的な電話による受伝達、器具機材の点検など慌ただしかった。通常業務も並行して行われており、悲鳴が上がることもしばしば。だいたいが時間外にずれ込んだ。


マーラー「交響曲第1番」

2015年08月31日 19時48分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 実に久しぶりに管弦楽曲を聞きたくなった。それもフルオーケストラの壮大な曲を聴きたくなった。
 ということでひっぱり出して来たのがマーラー(1860-1911)の交響曲第1番「巨人」。指揮はエリアフ・インバル、演奏はフランクフルト放送管弦楽団で1985年2月の録音。発売当時はとてね評判になっていたCDである。発売の翌年位に購入したように記憶している。
 グスタフ・マーラーの出生は現在のチェコでオーストリアで活躍した。「私は三重の意味で故郷がない人間だ。オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人として」と本人が語っているそうであるが、このようなアイデンティティの欠如が多くの人に好まれる根拠という指摘もある。抒情性のある交響曲と歌曲で有名である。
 マーラーの11曲の交響曲の中でも55分前後と比較的短く、合唱を伴わず、みずみずしく親しみのある旋律が続くこと、などから演奏される機会が多い交響曲である。
 第1楽章はオーボエとファゴットの特徴的な美しい動機主題からはじまりチェロがひく第1主題が美しい。軽快な第2楽章もいいが、私は初めて聞いた時第3楽章のゆっくりとした楽章の美しさに大いに惹かれた。オーボエとヴァイオリンののおどけたようなのんびりとした行進曲風の掛け合いが何ともおもしろい。ファゴットに引き継ぐ旋律の扱いも気に入っている。終楽章の劇的な構成は好き嫌いはあるようだが、最後のコーダに現われるホルンを中心とした金管楽器は聞かせどころである。

とりとめもなく友人と‥

2015年08月31日 18時35分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 8月最後の本日は午後1番で先輩というか友人と横浜駅で軽く飲みながらよもやま話で楽しい時間を過ごした。考えてみたら本日は平日。午後2時はまだランチタイムであったが、そこは二人共現役を退いているのでまったく気にしないで約束をしていた。
 ランチタイムのサラリーマンに混じって、お酒をのむと云うのはどこか背徳の匂いもする。もう一方で宮仕えの肩の荷が降りた解放感もある。どちらかというと前者の比重の方が多いかもしれない。それはまだ退職して日が浅い証左だと云われたこともある。10年もすると気にならなくなるということを聞いた。ただしその時まで元気で生きていたら、という前提であるが‥。
 昨日のことや、政治のこと、退職者会のこと、今後の生活の予定など撮りとめもなく3時間ほどを過ごした。このようなことをざっくばらんに話をできる先輩や友人というのはとてもありがたい。ただただ感謝である。

 酔ってフラフラと自宅まで歩いたが、少しだけ雨が落ちてきた。

12万人が国会正門前を埋め尽くす

2015年08月30日 23時04分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
★毎日新聞は以下のように伝えている。
<安保法案抗議集会>国会議事堂取り囲み「戦争法案反対!」(毎日新聞) 15:51
 参院で審議中の安全保障関連法案に反対する市民らの大規模な抗議集会が30日、東京・永田町の国会議事堂周辺であった。学生や子連れの親、戦争を知る高齢者など、世代や立場を超え危機感を持つ人々が正午過ぎから国会を取り囲み、「戦争法案反対」を訴えた。
 市民団体「戦争をさせない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催する「国会10万人・全国100万人大行動」の一環。同団体の呼び掛けで29、30の両日、抗議の集会やデモが全国47都道府県の計300カ所以上で開かれた。同法案を巡る抗議集会としては過去最大規模とみられる。

★朝日新聞は以下のように伝えている。
 参院で審議中の安全保障関連法案に反対する市民によるデモが30日、東京・永田町の国会議事堂前や周辺を埋めた。主催者発表によると、参加者は12万人で、安保法案をめぐる抗議行動では最大。参加者が歩道からあふれて、警察側が車道を開放した。市民らは国会議事堂を真正面に見据えた車道に帯のように広がり、雨の中、「戦争法案廃案」「安倍政権退陣」と叫び続けた。
 国会だけでなく、霞が関や日比谷周辺まで、プラカードやのぼりを持った人たちであふれた。警察関係者によると、国会周辺だけで約3万3千人。
 主催したのは、平和運動を続けてきた市民らでつくる「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」。5月に立ち上がった都内の大学生らがつくる「SEALDs(シールズ)」のほか、大学教授や研究者らの「学者の会」、子育て世代の母親の「安保関連法案に反対するママの会」など、この夏に次々と出来た団体が加わり、ともに声を上げた。

 国会の正門前の車道を埋め尽くしたのは、1960年の安保闘争依頼55年ぶり。しかも今回は道路幅が3倍になってから初めての快挙。警察も手をこまねいて、車両を放置して退散するしか出来なかったようだ。永田町駅の出口の前も規制は出来ず、そのまま放置せざるを得なかったようだ。
 私の撮影した写真であるが、すごい人の波であった。私は正午から16時まで、永田町駅出口と憲政記念会館の近くの桜田門の間を3往復してみた。ものすごい人の波をかいくぐりようやく退職者会の面々と合流できた。



 この写真はツィッターより。

「戦争体験者のお話を聞く会」、とぎれとぎれの感想

2015年08月30日 10時23分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩の「戦争体験者の話を聞く会」は50人ほどの参加者で、なかなかいい話を聞けた。横浜大空襲時に小学校高学年だった方の被災体験、最後の特攻隊として辛うじてたまたまのめぐりあわせで出撃を免れた方の体験の話を聞いた。会場からも体験談を話した方もおられた。
 また大勢の参加ではなく、膝を交えるような小集会形式であったのが好ましく感じた。
 政治党派が主導権を持った集会では議論の方向が決められかねない場である。もちろん主催者の思いはいろいろあるのだろうが、それが前面に出なかったことが良かったようだ。
 横浜大空襲の模様や被災者の体験談はいろいろな冊子やパンフレットになっているが、それは目に触れやすいところには出回っていない。もったいないような気がする。
 被災体験者の高齢化が進み、このようにじかに肉声を聞く場面はどんどん失われていく。

 いづれにしろいい企画だったと思う。

明日は国会へ

2015年08月29日 23時58分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく帰宅。久しぶりに戸塚駅で夕食、というよりもホッピーと日本酒、揚げ出汁豆腐と味噌を添えた生キャベツ。鮮魚が売りの店だったが、安く切り上げたのは悲しかった。本当はサンマの刺し身か、白身魚の刺身三種盛を注文したかった。だが、財布が心もとなかった。
 明日は朝から国会前に行く予定である。帰りが何時になるのだろうか。退職者会の取材も兼ねて行く。どんな報告ができるか、カメラも重く感じるかもしれない。天候も心配である。

戦争体験者の話を聞く会

2015年08月29日 17時39分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
本日は18時過ぎから「戦争体験者の話を聞く会」。同時に横浜大空襲のパネル展示も行われる。
退職者会の会員が地域の方と企画したとのことである。応援も兼ねて参加することにした 。
入場料500円、しかも大学生以下無料ではたぶん赤字だと思う。

ブラームス「弦楽四重奏曲第3番」

2015年08月28日 22時50分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 先ほどからブラームスの「弦楽四重奏曲第3番」を聴いている。演奏はプラハ弦楽四重奏団。1979年の録音と記されている。今年の2月の末にすでに取り上げている。
 最初の交響曲第1番と同時期に作られ、その前年1875年42歳の時に公開されている。かなり完成度の高い曲として有名である。
 私は出だしの弾む主題と第2楽章の静かな曲想が好みである。さらに第3楽章のヴィオラ協奏曲ともいうようなヴィオラに焦点を当てたことも捨てがたい。ヴィオラの魅力たっぷりである。他の楽器が弱音器をつけるという大胆な処方である。第4楽章はブラームスお得意の変奏曲。ブラームスの魅力たっぷりの曲である。第2楽章、第4楽章のヴァイオリンが美しい。

ついに時計を購入

2015年08月28日 21時04分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 まずは朝のうちにいつもの内科の病院で診断を受け、降圧剤をさらに弱い薬にしてもらった。自宅で図った血圧が低いので昨夜寝る前飲むべき薬を飲まずに病院へ行ったら、140-80という測定結果となった。やはり薬は飲んだ方がいいようだ。しかし状況を踏まえて効果の弱いものにしてくれた。自宅で測定しながら状況を見極めようと思う。私見だが、この間5キロちょっと体重を落とした結果かなと思っている。

 中華街の集合時間まで時間的な百合とがあったので、つい腕時計を購入してしまった。ウォーキング用に歩数が表示されるものにした。昨日はメーカーの販売員に在庫はないと云われたが、本日量販店の店員に直接確かめたところ在庫があるという。最近はメーカーの販売員がフロアーをうめているが、直接店員に聞いた方が確実な情報を示してくれることが多い。ただし店員はかなり忙しい。なかなかつかまらない。歩数を数えながら歩いて、カウントが正しいことを確かめながら30分ほどウォーキング。涼しいので汗はかかなかった。
 いづれ家の周囲を歩いて再度確認する必要がある。

 昼からの慰労会が終了したのち、10数人でカラオケ三昧。私は歌うのが極めて不得意なのでみんなの歌をひたすら聴いていた。しかし聴くのは楽しいものである。歌わない分一人で楽しく飲んでいた。
 その後3人で3次会をめざしたが、横浜スタジアム前の公園内で花壇に座りながらビールを片手に入場する人々の様子を見ていた。広島カープファンとベイスターズファンが交差する場所の近くであった。いづれの家族連れも楽しげに歩いていた。とても微笑ましい。子育てが終わった我々には少し羨ましくもある光景であった。

 試合が始まる頃に腰を上げて家をめざして歩き始めた。少しだけ雨がパラついたが気にせず歩きとおした。


5時半に目覚め

2015年08月28日 06時06分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 宵っ張りの私が風呂にも入らず10時に寝てしまって、30分ほど前に眼が覚めた。シャワーでも浴びないと体が汗ばんでいて気持ちが悪い。
 朝のうちにいつもの内科に云って降圧剤を処方してもらうつもりであるが、ここ3日ほど家で血圧を測ると、上が115~130、下は78~85の間をウロウロしている。ときどきふらつくことがある。充分に低いので薬を止めるか、変えるかした方が良さそうな気がしている。ひょっとしたらお盆休みの週だったかもしれないが、病院へ寄ってみることにする。
 11時半に中華街に集合。イベントの反省会の後、昨日届いた校正刷りを三役と相談して、ゴーサインならば印刷所に連絡。その後夕方まで他の役員の方と二次会の予定。

 懸案の腕時計は購入する方向で妻と合意したが、在庫が店に無く、結局は注文もしなかった。10月の旅行の案内書を購入して妻はいろいろと楽しんでいる。

伊藤若冲「梅花図」「花卉・箒に鶏図」

2015年08月27日 20時36分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 水墨画というのはあまり関心がなかった。展示される作品の多くは書かれた紙がかなり劣化して色が変色しており、輪郭がはっきりしない。また墨の色も褪せているように感じていた。暁斎など江戸の最末期以降では鮮明なものもあったが、そのようなマイナスイメージの先入観が強いためか振り向くことはなかった。食わず嫌いの部類だったと思う。同時に学校でならう美術の授業では西洋絵画が主で東洋、日本の作品は重きを置いていなかったことも無縁ではなかったと思う。
 いつの頃だったか、はっきりは覚えていないがこのマイナスのイメージは大きく変わった。多分若冲の展示か、暁斎の作品を見てからだったと思う。

   

 この前期展示で順路の始めの方にで若冲の「梅花図」を見て「やっぱり水墨画はこのくらい黒々としてなくては‥」と思った。そして後期展示でもやはり順路の始めの方で同じ若冲の「花卉・箒に鶏図」を見てさらに感激した。両者の共通点はこの黒々とした部分の力強さである。前者は幹というこの画材の中では一番硬いそして割合の大きな部分にたっぷりと黒を載せている。後者は一番硬いところではなく、存在の中心を黒々と塗っている。私はそれとなく後者の作品に軍配を上げたくなった。
 ただし余白ということを考えると前者の方がいい。円弧を描く梅の枝が紙からはみ出ているのがかえって梅の枝の奔走さ、空間の広がりを暗示している。しかし後者には薄く塗られた部分と黒々と塗られた部分のバランスの良さが際立つ。濃淡のバランスということにかけては後者はすごいと思う。水墨画にこのように濃淡のバランスという視点があるのかと新鮮な驚きがあった。
 ともに縦長の作品なので、視点を下から四分の一くらいのところに固定して、下から見上げるように両者を見ると、前者の方ははみ出た枝の先がとても高いところにあるように見える。手が届きそうもない場所に梅の花が咲いている。
 後者は杜若の花は遠くに見えるが、杜若の葉が黒いだけにそちらに目を奪われ、あまり遠くには見えない。杜若の高さとしてはちょうどいい高さに見える。そして右の鶏はこちらに攻撃しそうな勢いで向かってくるように見える。これは箒の黒い部分の効果だと感じた。
 濃淡のバランス、特に鑑賞する位置からの視点による濃淡のバランスの評価は大切だと思った。今後この点は忘れずに頭の中にしまっておきたい。


ヘンデル「ヴァイオリンソナタ作品1」

2015年08月27日 15時25分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 2日続けてヴァイオリンソナタを聴いたが、やはり私にとってはヴァイオリンソナタの原点はヘンデルである。口直しにはどうしてもこれを聴きたい。
 以前にもグリュミュオーとヨゼフ・スークの演奏のCDを共に掲載したことがある。今回はやはりヨゼフ・スークの演奏を聴くことにした。
 内省的な曲想がチェンバロの音の効果と相まって、現在の私の気持ちに寄り添うように沁みこんでくる。私にとってはなくてはならない曲のひとつである。演奏者もしかり。レコードもこのCD盤と同じものを確か持っていたが、それを廃棄したのちどうしても欲しくてやっとのことで探し出した記憶がある。
 なお、録音は1975年6月、ハープシコードはズザナ・ルージチコヴァー、スークと同じチェコ出身。

原稿作りは一段落

2015年08月27日 11時18分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 退職者会の会報の校正刷りがPDFで送られてきた。明日昼間に三役の了解を得て、印刷に入る段取りとなった。とりあえず2回目の会報が出来上がるメドがついた。ホッと一息である。
 8月11日に着手してから2週間余り、作業日は正味半日単位で5回。こんなところであろうか。
 しかし我々のような素人がつくる版下を印刷用に作り変えるという作業をしてもらえるのはありがたい。さすがにプロだなぁ、と感心するように意向を反映してもらえている。
 この仕事が一段落したので、本日は妻とお出かけ。といっても喫茶店でコーヒーを飲む程度のことであるが‥。

クロード・ドビュッシー&モーリス・ラヴェルの「ヴァイオリンソナタ」

2015年08月26日 20時49分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 ドビュッシーのソナタは最後の作品ということになっている。晩年に6曲のソナタを計画し、チェロソナタ、フルート・ヴィオラとハープのためのソナタ、ならびにこのヴァイオリンソナタを作曲したにとどまった。煌びやかに音をちりばめたような印象は他のドビュッシーの曲とよく似ている。短い曲であるが、どの楽章も美しいフレーズやエピソードがちりばめられている。しかし全体をとおして幾度も繰り返し聴くという選択は私にはなかなかできない。
 ラヴェルのソナタは、ジャズの雰囲気満載の曲である。特に第2楽章はブルースという副題が付いているくらいである。第3楽章は演奏者には腕の見せ所かもしれない。この曲もラヴェルの室内楽曲としては最後の作品である。この曲、第1楽章は今後も聴いてみたい曲である。


やっと一段落

2015年08月26日 15時23分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から雨模様の寒い一日である。出かける予定がなかったので、朝から「伝説の洋画家たち」展の感想の続きを書いていたら、とうとう15時までかかってしまった。まるまる6時間である。
 取りあえずパソコンまわりの資料や図録を片付けて、息抜きに横浜駅まで出かけてみる気になってきた。明日も今のところ予定はない。明後日に退職者会の打合せがある。7月末のイベントの反省会というか慰労会というか、昼食会である。

 夜には昨日聞いたCDで、ドビュッシーとラヴェルのヴァイオリンソナタでも聴いてみることにしたい。