Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

今月6回目の2万歩超えだが‥

2016年03月31日 23時00分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 後楽園駅から小石川後楽園を散策し、播磨坂の桜散策、茗荷谷駅経由で横浜に戻ったところ、歩いた歩数は2万歩をわずかに超えた。歩いた時間は約3時間20分なので1時間当たりちょうど6000歩。この程度で運動になったのかはわからないが、足の筋肉にはそれなりの疲労感はある。
 明日は本日よりも気温が2℃低く16℃、しかも風が少し強いらしい。本日よりは肌寒く感じるようだ。明日の予定は今のところない。わずかな量だと思うが事務作業を処理しないといけないようだ。

 明日事務作業をしながら聴くのは何にするか、いろいろ物色した結果、やはりブラームスを聴きたくなり、徳永二男と伊藤恵のコンビによるヴァイオリンソナタ全曲盤をひっぱり出してきた。本日はもう聴く気力はないので、明日のお楽しみ。

小石川後楽園と播磨坂の桜

2016年03月31日 21時42分51秒 | 山行・旅行・散策
 本日は暖かい陽射しに、恵まれ昨日に続いて桜を見るために小石川後楽園と茗荷谷の播磨坂を訪れた。

   

 横浜から東京駅経由丸の内線で後楽園駅を経て小石川後楽園に向かった。小石川後楽園は幾度も行っているが、桜の開花の時期に訪れたのは初めてのような気がする。園内の桜は満開とのネット情報を頼りにしていたが、枝垂桜をのぞいて5分咲き程度であった。また想像していたよりも桜の木は少なかったが、人出はそれほどなくゆっくりと散策できたのは嬉しかった。

   

 小石川後楽園から茗荷谷駅傍の播磨坂までは歩いて30分ほど。小石川植物園のすぐ近くである。文京区のさくらまつりが行われており、道路の中央の広い遊歩道の半分は花見客がシートを敷いて楽しんでいた。桜は散り始める直前の風情で枝いっぱいの桜を楽しむことが出来た。播磨坂の一番下までを往復、遊歩道には桜以外にもさまざまな花が咲いている。
 茗荷谷駅から丸の内線を利用し、池袋駅経由で横浜に戻った。

                                          


            

モーツアルト「弦楽五重奏曲第5番、第6番」

2016年03月31日 10時56分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 モーツアルトが亡くなったのは1791年12月。そのほぼ1年前の1790年12月モーツアルト34歳の時に書き上げたのがこの第5番(K.593)。最後の年にモーツアルトは多くの「傑作」を書き上げている。ピアノ協奏曲第27番、6つのドイツ舞曲、アヴェ・ヴェルム・コルプス、オペラ皇帝ティートの慈悲」、オペラ「魔笛」、クラリネット協奏曲そしてこの弦楽五重奏曲第6番等々、さらに未完に終わったものにホルン協奏曲第1番、レクイエム。これらは生活の困窮のために借金を重ねる一方で、これらの美しい曲を量産している。
 ここに収録されている第5番も第6番(K.614)もいかにもモーツアルトらしい軽快で美しい曲である。これらを聴くとモーツアルトを堪能したという気持ちになる。
 私はこの2曲を聴くときの要はチェロの美しさとヴァイオリンの軽快な旋律だと思って聴いている。ただ、第3番、第4番のインパクトが私には大きかったので、この2曲が「モーツアルトの弦楽五重奏」という刷り込みが出来てしまったためか、CDはあまりかけていない。今回久しぶりに聴いて、あらためて最後の年の作品にうっとりとした。
 録音は1989年。購入は1990年を過ぎてからだと思う。現役時代一番忙しい時だったので購入当時はあまり聴いてはいない。2000年を過ぎてから時々かけていたと思う。第3番・第4番もおなじような頃に購入したが、貴重な夜中のわずかな時間に聴いていた。こちらは聴きながらそのまま眠ってしまった記憶がある。

年度の変わり目といっても‥

2016年03月30日 22時04分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 妻は桜の季節はあちこちの桜を見に行くのを楽しみにしている。しかし横浜・東京では今年はまだ桜は見ごろになっていない。住んでいるところの近辺もまだまだ1分~2分咲きといった程度である。しかし木によっては5分咲きといったものもある。開花宣言の後の冷えで花期が長引いているだけでなく、木による差も顕著になっているようだ。
 本日は私も横浜駅までの往復がてら桜の木を探しながら歩いたが、確かにまだまだの木が多い。
 今度の3日(日)の天気予報は曇りとなり、気温も20℃近くになると表示されたので、取りあえず多磨霊園に墓参を兼ねて花見の予定をたててみた。まだ天気予報は変わる可能性が高いが、予定はたてておかないといけない。

 明日31日で3月も最終日、明後日から年度が替わる。退職した現在は年度末も年度初めも大した意味合いはないのだが、それでも落ち着かない。どこかそわそわしている。

 明日・明後日はその年度替わりでもあり、部屋の片づけに少し挑戦してみる気になった。

「奇想の系譜」(辻惟雄)から「鳥獣悪戯-長沢蘆雪」‥あらためて水墨画の迫力を感じる

2016年03月30日 19時51分55秒 | 読書
 「南紀での蘆雪の制作は、応挙から学び取った画法の基礎の上に、主観性、表現性を加えることによって、師の画風をのり越えようとするする彼の意欲をあらわしたものといえるが、以後、四十六歳でなくなるまでの十数年間の彼の仕事も、おおむねこの線に沿って発展した」。

   

 「「山姥図」は漱石の「草枕」の中でふれられており、江戸のグロテスク絵画の傑作として定評のあるものだけに、蘆雪の全作品の中でもっとも劇的な緊張哉のある作品であって、老醜のすさまじさ、いやらしさをこれほどの正攻法で描き出した日本画の例を他に知らない。曽我蕭白の怪奇な寒山拾得や仙人たちが、超現実の国に住むのに対し、蘆雪の山姥図には‥市井の卑俗な現実に根ざす実感がある。‥蕭白の怪奇画の影響なしに、この山姥図は生まれなかった」。
 これらの指摘を踏まえて
 「応挙という師風をあまりにも完璧に身につけすぎた器用さが仇となって‥応挙という<水>を離れることはできなかった‥晩年のグロテスクへの傾倒も、蕭白という天才の後とあっては、しょせん二番煎じを免れなかった」。
 「しかしながら蕭白の面目は‥線描の達人としの水際立った腕前にあり、「鳥獣戯画」‥以来の線の芸術としての日本絵画の伝統を十八世紀上方の庶民的な世界に再現した画家として評価されるべき」
 「鬼面人を驚かす演出を期待した、天明寛政期の京市民の、沈滞に反発する鋭敏な美意識を見落としてはなるまい。‥それは伝統主義のアカを落とした、身軽なかたちで、幕末の江戸市民に受け継がれる」

 長沢蘆雪の作品を系統的に見たことはないのでこの指摘を私はそのまま受け入れるのだが、師や先行世代の影響からの脱却、そして同時代の潮流との格闘、このことが蘆雪という画家におおきな影を落としたことを指摘していることは、辻惟雄という評者を私が大きく評価したいところである。長沢蘆雪という絵師・画家はそういった意味ではその格闘が私どもにはわかりやすいのかもしれない。当然わかりにくい絵師・画家もいる。何かの契機・糸口を見つけるとス―ッと喉を通るように了解できる場合もある。



 さて「画面空間に、側面性の奇妙に欠如したものが多い‥。「虎図」にしても、岩面の極端なクローズアップの割には、こちらに迫って来るような印象が不足している。(蘆雪が独眼であったという)伝説をにわかに信ずるわけにはゆかないが、片眼の資力が弱くて遠近がはっきりし仲ってということは考えられる」という叙述があるが、どう評価したものか。片眼と立体性の欠如とははたして結びつくものだろうか。これは私の宿題としておこうと思う。



 さてここで取り上げる作品は虎図は水墨画である。山姥図は彩色画。だが、「海浜奇勝図屏風」についてはわからない。蘆雪の画集などを見てから判断したいが、この奇怪な迫力からすると水墨画のような気がしている。はたしてどうなのだろうか。

新宿御苑に花見

2016年03月30日 13時01分08秒 | 山行・旅行・散策
   

 昨日は陽気に誘われて新宿御苑に花見で出かけた。新宿三丁目駅で下車したのち、コンビニでおにぎりとお茶を購入して、新宿門から入場した。
 料金は200円、大変な人混みでチケットを購入するのに約10分ほど並んだ。広い園内は外国人が約半数、日本の観光旅行の立ち寄り個所として定着しているようである。
 ソメイヨシノは全体としてはまだ2~3分咲きのように思われるが、花がかなり開いた木もあり、そこは大勢の人が写真を撮影していた。
 園内の外周をゆっくり歩きながら各種のサクラをはじめ花木を楽しむことが出来た。週末はさらに多くの来園者が見込まれる。早いうちに訪れて良かったようだ。新宿の高層ビルがヨーロッパで見たゴチック様式の大聖堂のようにも見えた。
 枝垂桜はちょうど見頃のようで、特に大勢の人が集まっていた。

                                                   


 帰りは大木戸門から出て、新宿三丁目駅まで歩いた。途中静かな喫茶店を見つけて一服。チェーン店ではない落ち着いた店でのむドリップコーヒーは格別である。
 新宿三丁目駅付近で妻は大久保近辺での買い物に行き、私は18時からの国会前集会に出かけた。






「奇想の系譜」(辻惟雄)から「狂気の里の仙人たち-曽我蕭白」

2016年03月29日 23時24分35秒 | 読書
 曽我蕭白の作品は私はよくわからない。辻惟雄氏は「私はさきに、彩色「群仙図屏風」の画中に描かれている波に、北斎の「神奈川沖浪裏」の先取りといってよいような要素があるのを指摘した。確かに、蕭白と北斎とは、似通ったタイプの画家といえる。扱う画題に保守的と同時代的の違いはあっても、鉱物質ともいうべき乾いた非常な想像力、鬼面人を驚かす見世物精神、怪奇な表現への偏執、アクの強い卑俗さ、その背景にある民衆的支持、といった点が共通している」と記載している。
 なるほどと思うが、しかし「アクの強い卑俗さ」、「鬼面人を驚かす見世物精神」‥ゆえに私にはどうしても近寄りがたいものがある。鑑賞の眼の前におおきな高い塀が聳えている感じがする。私が中に入ることをあらかじめ拒否しているような気分になる。まだまだ私には曽我蕭白を理解できる力が無い、と諦めている。



 唯一の例外がこの「雲龍図」である。画面中央部が欠けているらしいが、この作品を私は東京国立博物館の数年前の展示で初めて見た記憶がある。その時の驚きは今でも忘れられない。大きな画面から今にもはみ出しそうな龍のユーモラスな顔にたまげた。そして何よりも巨大な画面にもかかわらず、キチンと前もって下書きを念入りにしてから描いたかのような緻密な描き方、白隠の書画のように途中で端折ったり描き切れなかったりという破たんを見せずに念入りに描きこんでいることにすっかり脱帽してしまった。
 そして龍の顔はユーモラスとはいえ「アクの強い卑俗さ」、「鬼面人を驚かす見世物精神」とは無塩の遠くの地平にいると感じた。
 残念ながらこの絵についての論評はこの書ではない。この書の校正の途中にこの作品の情報が辻惟雄氏にもたらされたという。であるので、この作品に対する言及も読者に委ねられてしまっている。まだまだ私はこの作品を語るだけの力量が無いことを告白するしかない。
 しかしこんな迫力のある作品を描けるということだけで、曽我蕭白という絵師の存在の大きさを思い知らされたと思っている。

モーツアルト「弦楽五重奏曲第3番、第4番」

2016年03月29日 12時23分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 モーツアルトの弦楽五重奏曲を昨日に続き聴いている。本日は第3番(K.515)と第4番(K.516)。演奏者は同じでメロス四重奏団を核としている。録音は1986年となっており、昨日の第1番、第2番の前年である。
 添付の解説によると第3番は第2楽章と第3楽章については移動があるらしい。モーツアルト存命中の1789年の初版に随っているとのこと。一般的には第2、第3楽章の扱いはこのCDとは逆である。この正否について論じる力は私にはない。
 この2曲はケッヘル番号が並んでいるとおり、1787年モーツアルトが31歳の時、1か月の間隔で作られた兄弟のような作品と云われる。モーツアルトの楽曲史からいえばもっとも充実した頂点の時期でもあり、翌年には交響曲第40番(K.550)と交響曲第41番「ジュピター」(K.551)が作られている。
 楽曲の充実とは別に生活は苦しくなり、借金がかさむ生活を繰り返している。またこの年は父が亡くなっている。

 この前後の年譜をWikipediaで見ると、
1785年(29歳) 弦楽四重奏曲集「ハイドン・セット」
1786年(30歳) オペラ「フィガロの結婚」(K.492)初演
1787年(31歳) 父・レオポルト死去。オペラ「ドン・ジョヴァンニ」(K.527)初演
1788年(32歳)「3大交響曲」を作曲
1789年(33歳) ベルリン旅行
1790年(34歳) オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」(K.588)初演
1791年(35歳) オペラ「皇帝ティートの慈悲」(K.621)、オペラ「魔笛」(K.620)初演、
       12月5日ウィーンにて死去

 私もこの2曲は好みである。そしてこの2曲はやはり対で聴きたい。そしてヴィオラの魅力を充分に味わえる。さいわい1枚のCDに入っているので重宝している。

 第3番は交響曲第41番「ジュピター」と比肩される。壮大な気分になれる曲といえる。第1楽章からして明るく軽快な気分になる。このCDの第2楽章ののメヌエットは5度の和音が続いており気分的にも開放的になる。第3楽章アンダンテ(通常は第2楽章)はヴァイオリンとヴィオラの二重奏からはじまる。私にはどうしてこんな美しいメロディーをつくれるのかと思うほどに好きである。後半に進むにしたがい天上の音楽になる。第4楽章は稀有壮大な曲。

 第4番は交響曲第40番と比肩される。この第1楽章は、「疾走する悲しみ」とアンリ・ゲオンが評し、小林秀雄が「モオツアルト」の中で同様に「疾走する悲しみ」と記したこと有名である。冒頭のヴァイオリンの奏でる旋律をヴィオラが同じ旋律を続けるところが気に入っている。第2主題も第1主題同様に重苦しさが伝わってくる。同趣向の主題が続くのは珍しい。第2楽章の方が第1楽章よりは「悲歌」の要素たっぷりである。ト短調というのはモーツアルトならでは設定である。第3楽章は瞑想的である。このような静かな瞑想に私はとても惹かれる。第4楽章はさらに気分的には沈んでいく音楽である。

 いづれの曲も5本の弦楽器のバランスがとてもいいと思う。ヴァイオリンもヴィオラもチェロもそれぞれの音色を堪能できる。
 そして私はこの第3番と第4番は父レオポルト・モーツアルトへのレクイエムだと思って聴いている。第3番は天上の音楽、第4番は追悼歌。

   

ようやく雨は峠を越えたようだ

2016年03月28日 23時44分07秒 | 天気と自然災害
 「レインアイよこはま」の画面では横浜市の中央部から横浜港、本牧、磯子、金沢などの海沿いにかけて雨の区域があるが、時間雨量に換算して5ミリ未満の表示となっている。
 私の家の付近では突然のように強い雨音と雷に驚いた。雨は強弱を繰り返しながら次第に弱まっていったが、その後に雷が活発になりだした。久しぶりに雷光と雷鳴が同時というのが2~3回あった。
 雷鳴が近づいてきたので早目にテレビとパソコンの電源を切って、スマホで天候の情報を見ていた。

 このような雨と雷は局地的なのでおさまり始めれば早いが、見極めも難しい。昼間外を歩いている時でなくて良かったと思う。このような時はコンビニや、スーパー、銀行・郵便局などや、喫茶店に逃げ込むに限る。

モーツアルト「弦楽五重奏曲第1番、第2番」

2016年03月28日 22時51分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 久しぶりにモーツアルトを聴きたくなった。ひっぱり出して来たのは、「弦楽五重奏曲第1番、第2番」。演奏はメロス弦楽四重奏団の4人にもうひとりヴィオラ奏者を迎えている。録音は1987年。購入したのはCDの記載によると1992年頃のようだ。モーツアルトの弦楽五重奏曲はヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ1である。ヴィオラ1のままチェロ2とする編成のクインテットもある。しかしハイドン以降でチェロが2台のクインテットはポッケリーニに110曲と、有名なシューベルトの1曲だけだそうである。ポッケリーニのクインテットは聴いたことはないが、シューベルトのクインテットは特にその編成について違和感は感じなかった。カルテットにヴィオラ1本増えただけと思われるが、耳に入ってくる音の厚みは格段に増すように感じている。
 モーツアルトは弦楽五重奏曲を全部で6曲作っている。そのうちこの第1番はモーツアルトが17歳の時に着手し改作が行われて完成したのは22歳。若い頃の作品。第2番は1787年31歳以降の完成らしい。モーツアルトにすれば晩年の作品といえるかもしれないが、原曲は1772年のセレナーデというから16歳の頃である。
 私は第1番と第2番には格段の差があるとように思う。第2番の方が聴いていて耳に心地いい。このCDを聴くときは、いつもは第1番を飛ばして第2番ばかりを聴いていたと思う。

強い雨と雷にびっくり

2016年03月28日 21時57分41秒 | 天気と自然災害
我が家の周辺はとても強い雨と雷に襲われている。警戒してテレビとパソコンの電源はオフにした。
本日はふとモーツアルトを聴きたくなって、弦楽五重奏曲を聴いていた。感想は雷が去ってから再度続きを書きたい。
雨は少しおさまったようだ。
しかし近い雷がまだ続いている。

土筆を発見

2016年03月28日 14時12分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 家の前が私の済む号棟のゴミ集積場になっている。その横の草むらに今朝になって土筆を見つけた。よく見るとスギナがあるので毎年土筆は顔を出していたはずだが、私も妻もまったく気がつかなかった。
 今のところに引っ越してきて35年は経つがこの玄関前に顔を出した土筆は初めて見た。団地の周囲の斜面などでは時々見かけていた。迂闊であった。
 この分ではウォーキングの折り返し地点の新横浜駅の傍を流れる鶴見川の堤防にも土筆がだくさん顔を出す時期である。堤防なので風が強くサクラも外よりは少しだけ遅く咲く。堤防の土筆はこれから生えてくるのではないだろうか。。
 数年に一回くらいは15~20本ほど摘んできて茹でたりすることもある。ゴミ置き場のすぐ横に生えた土筆なので食欲はわかないが、発見してうれしいもののひとつである。

「奇想の系譜」(辻惟雄)から「幻想の博物誌-伊藤若冲」

2016年03月28日 12時29分52秒 | 読書
 惹かれた部分をいくつか。
「(動植綵絵貝甲図)シュルレアリスムの作品を連想させるような、この驚くべきイメージは、まったく若冲のオリジナリティに属する」
「(動植綵絵の鶏の各図)応挙に比べるとはるかに不正確であり、写生画としてはあまりよい点がつけられないそうだ。‥「(動植綵絵群鶏図)では、抽象模様に置き換えられた羽根のパターンの幻想的な交響と‥トサカの、赤い妖星を思わせるフォルムの反復とが、制作意図のありかを示している。(南天雄鶏図)のシャモの異様な美しさも、彼の内的ヴィジョンの強烈さを物語る。」

 しかし「内的ヴィジョン」は具体的に言及はない。自分で考えなさいという投げかけとして、宿題として受け止めておきたい。

「「綵絵」の画面構成は‥一種の無重力拡散の状態に置かれているといってよいような空間である。波状型曲線の組み合わせに還元された動物、植物、鉱物のさまざまのフォルムが、そのつかみどころのない空間のなかで、蠕動し浮遊する。‥(蓮池遊鮎図)の蓮のように、海底都市とか、火星の植物とかいったSF的な連想を喚び起こすものや、(老松白鳳図)の鳳凰の尾羽の桃色のハート型の乱舞のようにサイケデリックな幻覚を誘い出すものすらある。」

 しかし私は火星や海底都市やサイケデリックとまで連想しなかったが、確かに異様な印象は持っていて、その印象をどうとらえるか、言葉でどのように表現したらよいか、わからなかった。

「「綵絵」の画面空間にはまた、ひそかにこちらを凝視する〈眼〉あるいは、こちらの視線を誘引する虚ろな〈のぞき穴〉といったものが巧妙に隠されている。それは群鶏図のなかの鶏の眼のような、生きものの眼だけを意味するものではない。「薔薇小禽図」では、眩暈のするような、バラの花の絨毯模様のなかに組み込まれた無数の白い花がそれであり、「棕梠群鶏図」では棕梠の葉柄のつけ根に開けられた奇妙な小穴がそれであり、「雪中錦鶏図」では、融けかかった雪のまだらがつくり出す幻想的な模様のなかに刳り抜かれた穴がそれであり‥。こうした得体の知れない〈のぞき穴〉の謎解きは、深層心理学の助けを借りても容易ではあるまい。」

 ここもまた謎解きの宿題を課せられたようだ。しかしこの〈のぞき穴〉の指摘には驚いた。しかし画面いっぱいに広げられた無数の花や葉や雪などの装飾性豊かな繰り返しは無限の空間を暗示するだけでなく、若冲の眼、描く対象だけでなく鑑賞者の胸の内も射すくめるような鋭い何かを感じてしまうこともあった。それはこういう風に表現することもできるかもしれないと納得した。

 最後に若冲の水墨画についても指摘があり、「若冲一流のユーモアと風刺」という表現にとどまっているが、水墨画の鑑賞は読者に任されているようだ。



久しぶりに伊勢ブラ

2016年03月27日 21時34分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 所用があって午後に横浜市営地下鉄阪東橋駅まで。その後、伊勢佐木町を5丁目から1丁目までを歩いた。1年ぶりかもしれない。途中古本屋が確か3軒あったと思ったが2軒しか確認できなかった。その内1軒は「来月中旬か下旬に再開」と書いた紙がシャッターに貼ってあった。
 開店していた店は古書店にしては(失礼)綺麗な設え、しかも文庫本は出版社ごとにきれいに並べられていて、とても見やすい。好感が持てる店である。このような店だとつい購入してしまう。今回は装丁もきれいなままの「ギリシャ神話・英雄物語」(キングズレイ、ちくま文庫)を300円で衝動買い。
 人出が多かった。一時は伊勢佐木町は土・日であってもほとんど人出が無かった時期があったと思う。統計を見たわけではないので自信はないけれど、最近人出が戻ってきたのだろうか。
 しかし、馬車道とは雰囲気はずいぶん違う。馬車道がおしゃれな店が並ぶとすれば、こちらは下町的な明るい楽しさ、活気がある。悪く言えばケバケバしく派手な店構えもある。
 歩行者天国をブラブラと腰の痛みが再発しないようにゆっくりと歩いて関内駅まで歩いた。

 帰宅後、眠気が襲ってきて1時間ほど寝てしまった。

 午前中から、夜にかけて退職者会のホームページの作成。6つの報告記事をアップした。まだすべてが終わっていないので明日の午前中に最後の記事をアップすることにした。結構時間がかかった。