Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

66歳のイメージ

2017年07月31日 23時23分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく「ベルギー奇想の系譜」の感想を書き始めた。結局あまり無理をせずに感想から書き始めている。
 本日中に仕上げるのは無理なので何とか明日午前中にはアップしたい。

 7月が終わろうとしている。定年以降は時間の流れが特に早いとか、遅いとかの感慨がなかった。好きなことをたっぷりこなしているからだ、と人に云われる。そうなのかもしれない。しかし今年は時間の流れが速いという感覚が現役の頃のようによみがえってきた。自分ではやりたくないことを義務感に駆られてこなしているものがあるためなのか、あるいは病気やケガが続いたためなのか、自分では理由はわからない。

 来月になるとすぐに66歳となる。自分がこんな歳まで生きながらえているということは不思議な思いもする。10代や20代の時には考えられなかった。
 計算してみると私が30歳の時に私の父親は66歳であった。私の娘が生まれた年である。その時の私に目に映った父親の像と、今の私の像が重なることがない。あまりにイメージが違い過ぎると思える。頭の中で考えていることはどうなのだろうか。どの程度の差があるのか、これはどうあがいても分からない。当たり前だが、自分の父親といえどもどんなことを考えていたのかはまるで未知である。
 職場の人で今でも親しくお付き合いを願っている先輩の66歳のときはどんな風に私には見えたのか、いろいろ想像してみてもうまく像が結べない。
 ただ退職者会で一緒に幹事をしている何人かの70歳未満のかた達の様子を見るととても元気で溌溂としている。好奇心旺盛で、活動的で体力もある。お酒もよく飲む。野菜を作ったり、さまざまなイベントを企画したり、国会前に日参したり、まさに人生を謳歌している。
 自分の父親はそのような活動的な面はまったくなかった。私とは考え方も行動パターンも別の世界に生きていた。だから66歳のときどんなことを考えていたか想定しようにも、接点も手がかりもない。今、それを追ってみたいとも思わない。

66歳の自覚とは‥

2017年07月31日 20時47分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 17時半から久しぶりに全力のウォーキングを行った。昨年の12月以来だと思う。1時間で8500歩ほど。1時間20分で1万1500歩となった。腰と膝は特に違和感は感じなかった。しかし無理は禁物。明日はあまり歩かないようにして様子を見たい。
 全身から大汗をかき、サウナに入ったように両腕には汗の玉が浮き出て流れていた。シャツから靴下までシャワーを浴びるために脱ごうとしたが、体に貼り付いて脱ぐのに苦労した。帽子も手でしぼってから洗濯機に入れた。ときどきこのような無茶をしたくなる。
 妻に言わせると中学生か高校生レベルだということになる。「まもなく66歳になる自覚がない」と叱られた。

自作のスケジュール帳

2017年07月31日 13時14分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 スケジュール帳に年内の予定を書き込んでみた。定例的なものは月2回の団地の管理組合の会議、月1回の退職者会の幹事会。その他月に4回は退職者会の行事やイベントが加わる。定例的なものは年度末までは書き込めないことはないが、本日は止めた。あまり先まで記載すると何となく憂鬱になる。

 エクセルを使って自分で作り上げたこのスケジュール帳、なかなか気に入っている。退職者会、講座や美術館等の予定、団地関連、家族関係、各種友人関係等色別にしているので、開くとすぐに目に飛び込んでくる。自慢のひとつが8時~22時まで1時間ごとに予定を入れられることである。同じ時間に二つの予定は書きこめないが、現役を退いている今はそのようなことはまずありえないので今のところ支障はない。
 A5で1頁で毎年16カ月分を携帯している。加わった日程は手書きで書きこんでゆく。だいたい1~2週間に一度変更になった分を印刷してA5のファイルに差し込む。このパターンが今では自分なりにすっかり定着した。
 これを作って丸3年。私なりに上出来なスケジュール帳だと思う。ある友人がコピーが欲しいというのでデータとして今年の分を渡したが、使いこなしてくれているだろうか。
 パソコンは無論、スマホでも閲覧はできる。スケジュール帳を携帯するのを忘れたときや移動中に見るのには便利である。しかし電話をしながら日程調整をする時は、やはり、実際に印刷したものを見ながらのほうが私には見やすい。

 現役時代にこのスケジュール帳を作ったら良かったと思っている。混みあった日程管理が大変だったので、印刷するのは週に2回のペースが必要だったと思う。当時はまだカラーのプリンターは印刷費がかかったが、モノクロでも十分使える。セルは色別だけでなくさらにパターン別も利用すればさらに応用力は増すと思われる。

 毎年年末か正月にその年のカレンダーをこのスケジュール帳に反映させるのが面倒と言えば面倒だが、毎月の1日を記入することを12回繰り返すだけで済む。あとは祝日を間違いなく入れ込むことが手作業となる。これは作業量としてはたいしたことではない。逆に祝日を入れ込むのは楽しみでもある。これで向こう一年の大体の流れを自分なりに頭に入れることが出来る。毎日が日曜日の退職者ではあるが、一年のリズムを頭に入れるという行為は、年間のメリハリを自分なりに作り上げるために必要な行為だと思える。

来週は天候不良

2017年07月30日 23時21分49秒 | 天気と自然災害
 近くのドラッグストアに22時半近くになって出かけた。アイスクリームが亡くなったということで、私もお付き合い。往復2千歩ほどを歩いた。
 朝から厚い雲に覆われていたが、ようやく雲切れ目が出来て、全店の三分の一ほどに夜空が見え、星がいくつか見え、西の水平線近くにほぼ半分つの月(月齢7.1)が顔を出していた。
 明日月曜日は晴れ間が出て横浜も32℃と予報がでている。しかし火曜・水曜とまた雨のマークが出ている。
 梅雨の時期は平年よりも暑く雨も少なかったが、「梅雨明け」後になって気温は平年よりも低いようで、雨が多い。皮肉なものである。

 明日以降は特に予定は入っていないが、いくつかの作業は行われなければいけない。明日スケジュール表を見ながら整理をしたい。



湿度がとても高い

2017年07月30日 18時51分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 16時半を過ぎてようやく大雨注意報は解除された。厚い雲が空を覆っているが、雨は降りそうもない感じであったので、解除のメールが届いた時は「遅いな」と思った。気象庁としては用心をしたのであろう。
 本日はフリューゲルの3回の展覧会の図録を見るともなしにめくりながらうつらうつら。
 途中から市長選挙の投票に出向いて、その足で横浜駅までを遠回りしながら往復。約1万3千歩ほど。
 横浜駅ではプリンターのインクの値段を探り、有隣堂で文庫・新書の新刊の状況を見てきた。プリンターのインクは長らく値段が高値で固定して変化がまったくなかったが、夏休みに入って少しだけ値が下がった。
 ビジネスユースのインクは値段の下がりかたは鈍い。もう少し下がってから購入したほうがよさそうである。下がるか、上がるか、賭けのようなものである。

 先ほど気象庁のホームページを覗いてみた。本日警報は発令されていないが、注意報が発令されている都道府県は、静岡、神奈川、埼玉、栃木、山形の5県のみ。42都道府県が黄色く塗られていた。北海道が太平洋側だけ濃霧注意報で黄色くなっているが、日本海側は警報は出ていない。全国的にほとんどが雷注意報。また太平洋岸には台風の影響で波浪注意報も出ている。警報は出ていない。
 しかしとても湿気が高い。少し歩くとすぐに汗が出てくる。

本日の悩みどころ

2017年07月30日 11時28分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ヒエロニムス・ボスやブリューゲルの作品はなかなか理解できない。描かれていることが何を意味しているのか、何を象徴しているのか、グロテスクともいえるものが私たちの日頃接したり見たりしているものとかけ離れ過ぎていて、身近なものとは思えないからだ。そして風景や人物を見たり、色彩や構図など、感覚に作用して受け取るということがない。考えるとっかかりがない、あるいは共有できていないことが最大の原因である。時代も地域も、習俗もかけ離れている。キリスト教という世界宗教の絵画ならば、普遍性もあり、私たちの知識も一定あるが、そのようなことからも切り離されている。
 「ベルギー奇想の系譜展」の図録の解説も読んではいるが、理解もままならない。今回の展覧会の図録以外に、我が家にあるブリューゲル展の図録は2種。1989年に開催された「ピーテル・ブリューゲル全版画展」(ブリヂストン美術館)、ならびに2010年に開催された「ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル版画の世界」(Bunkamuraザ・ミュージアム)の図録である。

   

 そしてたまたま先日「図書8月号の「ブリューゲルと宗教改革(上)」(宮田光雄)という文章に出会った。ここではピーテル・ブリューゲル(父)の「大きな魚は小さい魚を食う」(1567)と「十字架への道行き」(1564)を取り上げている。図版はモノクロで目が荒く、図と対照しながら文章を読んでも分からない。「大きな魚は小さい魚を食う」は3つの図録におおきく取り上げてあり、これは問題はない。しかし「十字架への道行き」の図版が手元にない。
 1989年の古い展覧会の図録の中に、は参考図として掲載されているが、カラーではあるものの、これもまた小さい図面である。最悪拡大鏡を使いながら見るしかないのだが、拡大鏡のそのものが我が家にはない。拡大鏡で見ても印刷があらくて意味をなさない場合もある。
 図版をどこかで手に入れるか、拡大鏡を購入するか、迷っている。本日の悩みである。

雨がようやくあがる

2017年07月30日 11時08分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明け方まで降っていた雨はようやく上がった。9時過ぎに横浜市域の大雨警報・洪水注意報は、大雨注意報に切り替わった。9時少し前から、蝉が一斉に鳴き出した。
 しかし厚い雲が空一面を覆っている。陽射しがとてものぞめない。これから1週間、天気は良くないようである。台風9号は日本列島には影響はないようだが、第5号は複雑な動きである。第10号も発生している。今年も昨年に続いて台風からは目が離せないような予感がする。

 本日は日曜美術館を見た後、東日本大震災の記録というNHKの番組を見ていた。大船渡市と気仙沼市に隣接した住田町の仮設住宅建設をめぐる記録ということになるのだろうか。地方自治と災害対応(特に都市計画・建設・土木関係)ということは現役時代に私のこだわってきたことなので、興味深く見た。

ふたたび強い雨

2017年07月29日 23時09分10秒 | 天気と自然災害
 この時間(23時過ぎ)でも、なかなか雨が上がらない。いったん収まるように強い雨の区域は川崎・横浜市域から消えたものの再び時間雨量50~80ミリの強い雨の区域が現われ、横浜市の中心部に居座っている。ほとんど動きがない。明け方までこのような状態が続くのであろうか。
 大雨(土砂災害)警報・洪水注意報が継続している。浸水等の警報は解除になった。

「吉田博展」

2017年07月29日 22時12分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は損保ジャパン日本興亜美術館に「生誕140年 吉田博展」を急きょ見に行くことになった。妻と二人分の無料招待券があると朝にいわれ、昼前に慌てて出かけた。「ベルギー奇想の系譜」の感想の方が本当は先に仕上げなくてはいけないが、今回は先にこの吉田博展を取りあげる。
 吉田博という画家、那覇聞いたことがあるが、作品を直に見るのは初めて。黒田清輝の「白馬会」に対抗した「太平洋画会」の設立者であることをはじめて認識した。太平洋画会(現太平洋美術会の前身)は「白馬会」解散後、現在まで存続している。日本においてよりもヨーロッパ・アメリカで人気があった画家であると聞いていた。
 本日まとまった展示をはじめて見たのだが、今のところ私にはまだピンとこない画風である。特に気に入った、感銘を受けたという作品はなかった。ホイッスラーの影響など、確かに確認することは出来た。夏目漱石が「三四郎」で取り上げた「ヴェニスの運河」(1906(M39)年)は奥行き感もあり、色彩の対比も好ましいとは思った。
 その他薔薇の花を描いたシリーズ「バラ(1)~(7)」なども印象には残った。山岳を描いた作品でいくつか印象に残ったものはある。「雲海に入る日」(1922(T11)年)、「穂高山」(1910~20(大正期)年代)などは陰影が強調され、山岳絵画としての視点は斬新に思えた。
 版画作品も多くが展示されていた。広重や川瀬芭水などを思い浮かべるような情感ある作品には惹かれるものもあった。大きな作品や同じ版木で色彩を変えて、時間の推移を表現する試みなどもある。
 しかし私の目には新しい表現、新しい色彩感覚、造形感覚という点で、私の頭にはインパクトがなかった。私にはまだまだ理解できるだけの経験はないのかもしれないと、感じた。
 印象として縦長の画面の油彩画などがあった。たぶん水墨画や日本画の素養に基づくものであったと思われる。しかしあの縦長の画面の特徴ないし遠近法などの技法が油彩画に生かされていたとは私には思われなかった。
 もうひとつの印象として、日本と西洋という関係での葛藤が画家の中でどのように処理をされたのか、手がかりが感じられなかった。

         

         



横浜には大雨・洪水警報

2017年07月29日 20時22分30秒 | 天気と自然災害
 17時40分には横浜・川崎市域に大雨(土砂災害・浸水害)警報ならびに洪水警報となった。雷注意報も継続している。
 レインアイよこはまで見る限り警報が発令されたころには時間雨量換算で80ミリの雨の区域があったものの、今は10ミリ未満の区域ばかりとなった。
 20時20分現在、大雨・洪水警報は出たままで、変更・九死にはにはなっていない。
 横浜駅の東西自由通路は混雑ですごい人混み。強い雨で幾分電車に遅れも出ていたのが原因であろうか。夕食を食べてビルの外に出たがまだ強い雨が降っていた。家に着いた頃にはその雨も落ち着いている。

 つい今しがた20時24分に、洪水警報と雷注意報は解除となった。大雨警報は継続している。

「図書8月号」を読みながら‥

2017年07月29日 15時10分24秒 | 読書
 先日訪れた「ベルギー奇想の系譜」では「大きな魚は小さい魚を食う」(ピーテル・ブリューゲル(父)の版画版、1567)を見た。とても理解が難しいのだが、「図書8月号」におさめられている「ブリューゲルと宗教改革(上)」(宮田光雄)ではこの作品を解説している。
 また同時にピーテル・ブリューゲル(父)の「十字架への道行き」(1564)も取り上げている。この作品は今回のBunkamuraザ・ミュージアムでは展示されていなかったが、どこかで見た記憶がある。この解説を読むのに、「図書8月号」の図版が荒すぎて解説が今ひとつの見込めない。できればもう少し鮮明な図版を見ながら解説を読みたい。
 私の家に図版があるはずだと思って探したが見当たらない。せっかくの解説なので、どこかで手に入れたいものである。
 「ブリューゲルと宗教改革」という表題ももた私には魅力的な題である。

天満敦子「望郷のバラード」

2017年07月29日 11時30分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 先日に続いて天満敦子のヴァイオリンのCD。本日は「望郷のバラード」。ビアノが本多晶子。録音は1993年。
 前回の「哀歌 ベルタのノクターン」とは違ってある意味西欧的な明るというものが漂っている。よくスラヴ的な「哀愁」とうことばが云われる。厳密にどういう感情なのかはわからないが、私の感覚ではこのCDから漂うのは「哀感」という言い方があっているかもしれない。
 ヘンデルのヴァイオリンソナタの第4番と第6番、ブラームスの「ハンガリア舞曲」から3曲最後にポルムベスクの「望郷のバラード」で締めくくっている。その間にコレルリ、ベートーベン、クライスラー、サラサーテなどの小品が挟まっている。
 この最後の「望郷のバラード」に至って私はどこかホッとするものがある。
 そして「望郷のバラード」の直前にスペインのバスク出身のサラサーテを配置している。
 ヨーロッパの歴史を紐解いて論じるのはあまりにことが大きすぎる、そして私はそこには住んでいないので、何とも言えない。ヨーロッパの東西、言語、民族、文化、歴史、音楽のありようも違いがあるのであろう。
 二つの曲集、天満敦子がどのように選択し、どのように弾き分けたのか、ただ雰囲気としてその違いがわかる。そこに演奏者が、ヨーロッパの歴史をどのように解釈しているのかまではわからない。
 人は、世界を理屈で理解はなかなかできないが、感覚では理解できるものであるらしい。
 天満敦子の厚みのあるヴァイオリンは心地よい。

         

「図書8月号」から -2-

2017年07月28日 23時11分32秒 | 読書
 引続き覚書風に。

★命は描けるか                        舘野 鴻
「命は描けない。命は静止しているものではなく、状態であり、関係の中で、いつも運動し変化しているものであるから。姿を平面に描いてもそれは命ではない。私にできるのは、断片を誠実に描くことくらい。その静止した断片の連なりが絵本であり、頁という製紙と生死のはざまに、永遠に描くことのできないいのちのようなものが忍び込んでくれたらと願うのだ。」

★父  その2                        加藤典洋
 山形県で特高であった父親の軌跡を綴る第2回目。

★洞窟壁画とアール・プリュット                齋藤亜矢
「同じホモ・サピエンスであるわたしたちの表現活動は、クロマニヨン人の壁画から現代にいたるまで、ほとんど変わらない‥。時代や文化を超えて作品をシャッフルしても、違和感はないのではないか。お互いのそれを見たらきっと、いいねえ、と言いあえるのではないか。
 連載の2回目であるが、なかなか勉強になる。

★道徳。その呪いのテンプレを打ち破れ             プレディみかこ
 金子文子の生涯をたどる連載の5回目。金子文子は、大正期日本の社会主義思想家、アナキスト。関東大震災の2日後に治安警察法の予防検束で、内縁の夫朴烈と共に検挙され、大逆罪で起訴され有罪。後に無期懲役に減刑されたが、宇都宮刑務所栃木支所で獄死。

★内視鏡手術だからといって侮ることなかれ           高橋三千綱

台風5号・9号が気になるが‥

2017年07月28日 22時27分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜の空は、雲は多かったが、雨の降るような雲には見えなかった。15時前に32℃を記録した。この時間帯、石川町駅傍から桜木町駅まで歩いていた。本当は横浜駅まで歩こうとしたが、暑いので桜木町駅からJRで横浜駅まで。横浜駅からはバスで帰宅した。
 多分昨年の体力ならば、歩いていたような気がする。今年は正月の長い風邪、左膝痛、坐骨神経痛、長期の痰・咳の症状等々ですっかり体力が衰えてしまった。まだ50代の体力はあると思っていたのだが、悲しいかな、あっという間に体力というのは落ちるものであるようだ。

 夕食後は引き続き「図書8月号」を読んでのんびりしている。