

昨日は横浜の関内にある日本新聞博物館に「世界遺産高句麗壁画古墳報道写真展-古代へのいざない」を見に行ってきた。
共同通信社が2010年と2011年にピョンヤンとその周辺の古墳を取材撮影したものの展示である。高句麗の古墳群は、日本の高松塚古墳やキトラ古墳の彩色壁画との関連も深いといわれてきた。しかしその言葉だけが先行して、どのように関連して、どのような差があるのか、といった具体的な指摘に基づく報道はないと思う。
また76年前の1935年に日本の研究者が発掘した高山洞1号墳の当時のモノクロ写真も展示され、現在のカラー写真との比較も出来るようになっている。同時に高松塚古墳と高山洞1号墳の実物大模型も展示されている。
古墳群の現代の写真を見ると確かに狩猟図や女性像、四神図などの壁画は鮮やかに彩色され、作られた当時は極めて繊細な壁画であったことが十分にうかがわれる。四神図の玄武・朱雀・青龍・白虎が高松塚古墳の壁画と共通する題材であることはわかるが、描き方や構図がどのような共通項があり、どのように変化しているのかなどは残念ながら、素人の我々にはよくわからない。ここは解説がほしかったところだ。ただし高松塚古墳の実物大の写真による模型は、とても参考になった。
解説によると、古い古墳は日常生活の場面を多く壁画に描き、墓主の日常生活がうかがえる貴重な歴史資料であるとのこと。確かに民俗学的にも貴重と思われる台所の道具などや店舗などの描写が面白かった。時代が下るにつれ、四神図などがそれらに取って代わり、最終的には四神図が大きくクローズアップされ、日常生活などの絵は駆逐されてしまうようだ。そこら辺の原因なども残念ながら言及がなかった。
報道写真展だからそのような解釈に踏み込むような解説はなされておらず、あくまでも研究の材料となる壁画の精巧な記録写真展となっている。日本の考古学に関する報道の多くがすぐに「卑弥呼の墓か」などセンセーショナルに憶測を交えた、そして研究者の片言隻句を切り刻んで勝手に再構成する報道よりは、ずっとすぐれた展示の仕方である。ここは素人目には残念ではあると同時に物足りなさも感じた。
北朝鮮の国内の「高句麗古墳群」と中国国内の「高句麗の首都と古墳群」は2004年同時にユネスコの世界遺産に登録されたとのこと。しかし、この写真展の展示水準から私が推量するに、高句麗の古墳群の歴史的な整理と理論化まだまだ先のことのようだ。
1930年代に日本の植民地時代の研究成果からどのように進んでいるのか、今のヴェールに包まれた北朝鮮の現状からは推し量ることも、開かれた研究も望み薄と思われる。
この展示は壁画だけでなく、古墳の遠景や古墳をとりまく地形の大写しの風景も若干写っている。何の変哲もない農村風景が写っていた。その畑の様子を農業に携わる人の眼で見て、現在時点でどのような水準の農業が営まれているのか、判断することも求められているのかもしれない。またピョンヤン市民向けの住宅団地造成中に発見されたという古墳の遠景写真も写っていた。
外国のメディアにこのような写真撮影を許可したというか、頼ったということは、北朝鮮国内の保存技術に北朝鮮の関係者自体が自信をもっていないということの証のような気がする。
高松塚古墳の保存では、日本の湿潤な気候が原因であるカビによる劣化などの極めて重大な問題が生じている。日本では「天皇陵」と指定された古墳の発掘もままならない閉ざされた研究環境にある。北朝鮮の研究も開かれた研究による進展があるとも思えない。古墳の研究の公開も、保存技術の交流も閉ざされている。なかなか前途多難と思う。
私は、展示と今の研究成果を結ぶ解説をほしいと記述したが、これに応えるかもしれない記念講演会が、11月17日に開催される。講師は福岡県立九州歴史資料館館長西谷正氏とのこと。これは是非応募したかったが、残念ながら他の公開講座を申し込んでいて参加できない。これは講演録が手に入るよう努力するしかなさそうだ。