Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

高句麗壁画古墳報道写真展

2012年10月31日 18時49分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等




 昨日は横浜の関内にある日本新聞博物館に「世界遺産高句麗壁画古墳報道写真展-古代へのいざない」を見に行ってきた。
 共同通信社が2010年と2011年にピョンヤンとその周辺の古墳を取材撮影したものの展示である。高句麗の古墳群は、日本の高松塚古墳やキトラ古墳の彩色壁画との関連も深いといわれてきた。しかしその言葉だけが先行して、どのように関連して、どのような差があるのか、といった具体的な指摘に基づく報道はないと思う。
 また76年前の1935年に日本の研究者が発掘した高山洞1号墳の当時のモノクロ写真も展示され、現在のカラー写真との比較も出来るようになっている。同時に高松塚古墳と高山洞1号墳の実物大模型も展示されている。
 古墳群の現代の写真を見ると確かに狩猟図や女性像、四神図などの壁画は鮮やかに彩色され、作られた当時は極めて繊細な壁画であったことが十分にうかがわれる。四神図の玄武・朱雀・青龍・白虎が高松塚古墳の壁画と共通する題材であることはわかるが、描き方や構図がどのような共通項があり、どのように変化しているのかなどは残念ながら、素人の我々にはよくわからない。ここは解説がほしかったところだ。ただし高松塚古墳の実物大の写真による模型は、とても参考になった。
 解説によると、古い古墳は日常生活の場面を多く壁画に描き、墓主の日常生活がうかがえる貴重な歴史資料であるとのこと。確かに民俗学的にも貴重と思われる台所の道具などや店舗などの描写が面白かった。時代が下るにつれ、四神図などがそれらに取って代わり、最終的には四神図が大きくクローズアップされ、日常生活などの絵は駆逐されてしまうようだ。そこら辺の原因なども残念ながら言及がなかった。
 報道写真展だからそのような解釈に踏み込むような解説はなされておらず、あくまでも研究の材料となる壁画の精巧な記録写真展となっている。日本の考古学に関する報道の多くがすぐに「卑弥呼の墓か」などセンセーショナルに憶測を交えた、そして研究者の片言隻句を切り刻んで勝手に再構成する報道よりは、ずっとすぐれた展示の仕方である。ここは素人目には残念ではあると同時に物足りなさも感じた。
 北朝鮮の国内の「高句麗古墳群」と中国国内の「高句麗の首都と古墳群」は2004年同時にユネスコの世界遺産に登録されたとのこと。しかし、この写真展の展示水準から私が推量するに、高句麗の古墳群の歴史的な整理と理論化まだまだ先のことのようだ。
 1930年代に日本の植民地時代の研究成果からどのように進んでいるのか、今のヴェールに包まれた北朝鮮の現状からは推し量ることも、開かれた研究も望み薄と思われる。
 この展示は壁画だけでなく、古墳の遠景や古墳をとりまく地形の大写しの風景も若干写っている。何の変哲もない農村風景が写っていた。その畑の様子を農業に携わる人の眼で見て、現在時点でどのような水準の農業が営まれているのか、判断することも求められているのかもしれない。またピョンヤン市民向けの住宅団地造成中に発見されたという古墳の遠景写真も写っていた。
 外国のメディアにこのような写真撮影を許可したというか、頼ったということは、北朝鮮国内の保存技術に北朝鮮の関係者自体が自信をもっていないということの証のような気がする。
 高松塚古墳の保存では、日本の湿潤な気候が原因であるカビによる劣化などの極めて重大な問題が生じている。日本では「天皇陵」と指定された古墳の発掘もままならない閉ざされた研究環境にある。北朝鮮の研究も開かれた研究による進展があるとも思えない。古墳の研究の公開も、保存技術の交流も閉ざされている。なかなか前途多難と思う。

 私は、展示と今の研究成果を結ぶ解説をほしいと記述したが、これに応えるかもしれない記念講演会が、11月17日に開催される。講師は福岡県立九州歴史資料館館長西谷正氏とのこと。これは是非応募したかったが、残念ながら他の公開講座を申し込んでいて参加できない。これは講演録が手に入るよう努力するしかなさそうだ。


セキセイインコ危機一髪

2012年10月30日 11時43分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中ジョギングから帰宅したら、妻から「猫がきた」との報告。
 セキセイインコは午前中いつもベランダにおいてある空調の室外機の上に乗せている。朝餌を補充し、菜っ葉と水を取替え、下に敷いてある新聞紙を替えるのは私の日課になっている。しかしこのセキセイインコ、まったく人間になつかず、かといって籠から外に出ようという意識もまったくない。芸もしないし、一般的な可愛さは持ち合わせていないが、我が家では夫婦二人を除いて唯一の生きもの。世話をして反応はなくても、あるいはおびえた目で飼い主を見るようでも、それなりに情はうつる。
 このセキセイインコ、我が家では3代目にあたる。団地で犬・猫を飼ったり、団地内での餌やりは禁止されているが、それでも猫を家の中で飼ったり、団地内で野良猫に餌を与える住人がおり、時々1階の我が家のベランダの初代のセキセイインコを襲ってきた。その都度撃退していたが、セキセイインコも心得たもので遠くに猫を認識するとバタバタと危険を知らせたものだ。
 2代目以降は、猫に餌を与える住人も歳をとり、餌やりを止めたみたいだ。幸いにも猫は寄り付かなくなっていた。それが3代目を飼いはじめて初めてベランダに黒猫が現れたとのこと。
 今のセキセイインコは猫を見るのが始めてで、猫が近くによって来て、室外機の上にきてもバタつかなかったらしい。そして猫が籠に体当たりをしたか、手を籠にかけたか、籠がまっさかさまにベランダの床に落ちた。その音で妻があわててベランダに出て、猫を払いのけたらしい。
 籠は天地が反対になって転がっており、籠の扉は3つとも空いていたという。しかし、セキセイインコは籠から出ることもなく、無事だった。
 この10年近く、野良猫はやってこないが、味をしめてまた来る可能性がある。当面外には籠をだせない。
 この3代目のセキセイインコ、籠をベランダに出すと大きな声で鳴く。時々訪れる雀の一家の鳴き声を真似しているようにも聞こえる。「ちゅんちゅん」という声に似た鳴き方をする。外に出ていると緊張しながらもそれなりに楽しんではいるようだ。だからいつも家の中に閉じ込めておくのはかわいそうな気もするが止むを得ない。

飲み会の約束

2012年10月29日 19時29分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩から本日の明け方まで、強い風と雨がガラス戸をたたき続けた。大雨・洪水・強風・雷注意報が出ていたが、さいわい雷雨とはならずホッとした。

 本日明け方以降は好天に恵まれ、午前中のジョギングの後、横浜駅で所用を済ませてからは関内周辺まで足を伸ばしてみた。特に行きたい場所などがあるでもなく、温かい日差しの中のオフィス街を気持ちよく散歩させてもらった。
 帰り道、市庁舎により現役の頃の職場に顔を出したが、9月の始めに一部別のビルへの引越しが行われていて、少々戸惑った。それでも以前の複数の友人と挨拶を交わし、明日に一緒に飲もうとの約束を取り付けるなど若干の楽しい時も過ごすことが出来た。
 そして自宅まで約1時間30分ほど歩いた。


映画「天地明察」

2012年10月29日 13時25分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 私も妻も普段は映画を見ることはあまりないが、天地明察という映画を見に出かけた。
 さてこの話は二代目安井算哲=渋川春海、私が中学二年生の頃、当時の天文ファンのための雑誌などに盛んに取り上げられていた。生誕250年ということだったのだろう。ただし安井算哲という名ではなく、渋川春海。という名の方が通っていた。しかも「はるみ」ではなく「しゅんかい」と音読みだったと思う。
 江戸幕府の初代天文方という役職についた学者ということで、また貞享暦の考案者、そして当時はほとんど取り上げられることのなかった和算にも秀でた人ということで紹介されていたのを記憶している。そんなことで名前だけは知っていた。いくつか読んだ記事から、初めての本格的な天文台長と天体観測家であること、地球が丸いということの認識、地球儀・天球儀などの製作者などのことを知った。
 貞享暦自体は、それまでの宣明暦の手直し程度だということだが、経度による誤差を組み込んだ功績は大きいし、「時間」を支配していることでその存在を示していた朝廷を向こうに回して、幕府を動かして改暦を迫った政治的な動き、社会を動かしたという意味での評価がより大きいと思われる。単なるオタクではなく、探求者ではなく組織を動かす、人を動かすという意味での開拓者としての重みがあったのだと思う。

 さて映画であるが、これは映画である以上歴史的な事実の羅列ではなくフィクションとして成り立たなくてはならない。だから史実とは異なることは前提で見なくてはならないが、史実と異なる点で気づいたことはとりあえず押さえておく必要がある。
 まず、渋川春海とえんの夫婦は映画では、春海があたかも初婚のように描いてあるが、共に再婚だったようだ。
 次に山崎闇斎はあんな切り合いの中で死んだのではない。時代劇だからアクションも必要ということで天文台の襲撃場面が設定されたようだが、ここまで作り話にするのはなかなか勇気がいる話だ。韓国の歴史劇の影響だろうか。
 また改暦の動きは二度となっているが、実際は三度だったようだ。そして三暦勝負なるものと改暦の働きかけの時期は微妙に違うようだ。
 最後の場面、群衆に囲まれ台の上で春海夫婦が抱きあう場面があるが、江戸時代に武士の夫婦があんなアクションをするわけがない。ここはもう少し別の場面設定があった方がドラマとしてもっとよかったように思う。
 本因坊道策との御前試合の天元打ち、これは映画では天元に打たれた道策はその横に白石を打つが実際の棋譜はまったく違う。これもちょいと大向こうをねらった大げさな表現である。
 私が気づいた史実との違いはおよそこれだけだが、ほかにもいっぱいあると思われる。特に観測機器の細かい仕様などはいろいろ議論がありそうだが、これは逆にたとえ少々の間違いや勘違いがあったとしてもここまでよく調べたという評価のほうが先に立つような気がする。
 ドラマとしては、春海が幕府の重鎮とのつながりを利用して政治的にステップを踏んで前に進める努力、朝廷の抵抗、妻との愛情物語、天才肌の関孝和の存在、緻密な観測データの集積の努力、天文台の建設、山崎闇斎との関係等々のエピソードを丁寧に積み上げているという感じがした。
 春海夫婦の二人の俳優や脇を固める老練な俳優も良かったが、ただ道策役の俳優はこれは残念ながら足を引っ張っている。坊主頭にするのが嫌だったのかかつらで坊主頭にしたてていたが、かつらが頭の上に浮いていて見られたものではなかった。ドラマとして、春海の碁の好敵手であり、畏友として失意の春海を批判する、とてつもなく重要な役であるにもかかわらず、その表情も仕草も素人芝居であった。確かに囲碁の命を削るような真剣勝負の世界に身を置く、目が据わって常に真っ向を見据える隙のない、常に精神が緊張している人物造形の努力は認めるが‥。
 開明的、ある意味怪物的な魅力の光圀のつくり方は良かった。南蛮渡来の文物・食材に関心を示した実際の光圀、後代の作られたイメージとは少々違う実情に挑戦しているように見えた。
 また4代将軍家綱が御前での囲碁対極に身を乗り出してきて自らの意思で対極を続けさせようとするなど(これも史実とは異なる場面かもしれない)、これまで「将軍」は自らの意思を表すことはなかったように演出された映画・芝居ばかりであるが、そうではなかったような演出は斬新に感じられた。実際も家綱は操り人形ではなかったようだ。
 北極出地隊の二人の学者の造形もドラマとしては面白いし役者も良かった。
 春海の妻を演じた宮崎あおいは出色の出来ではなかったかと感心した。役者としての力量を感じた。
 総体的に史実としてではなく、ドラマとしての出来はとてもよく、1時間半は十分に楽しめた。特に今年の天文現象で記憶に新しい金冠日食をあしらい、天文ファンも多くなっているおり、楽しい映画ではある。
 「疑問、観測、仮説、予測実証」という科学者としての道筋を踏まえながら、政治的な枠組みを変えていく方途と格闘した江戸時代の学者のドラマとしては出色の出来栄えと思う。
 そして私が感銘したのが、久石譲の音楽だ。なかなか場面とうまくマッチしていて心地よかった。
 ただしいつも感じるのだが、映画館の音響は何であんなに大音量にしなくてはいけないのだろうか。私が映画館で躊躇する大きな原因のひとつにあの大音量で耳を圧迫される不快がある。これが解消されれば、私はもっと多くの映画に足を運ぶのだが‥。

 映画の入場料、1人1800×2=3600円のところ50才以上の夫婦二人で1000円とのこと。これは1人1800円というのがもともと高すぎる設定ではないの?と思いつつ、券を購入した。若い人に映画に興味を持ってもらえるようにした価格設定を真剣に考えるなら別の料金体系があるのではないだろうか。そのほうが将来性を確保できると思うのだが、余計なお世話・心配か。

目刺幻想

2012年10月28日 13時42分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日目刺を食べた。実に久しぶりだ。ここ20年ほど食べていないかもしれない。長さ15センチ位の小ぶりのもの。4尾一連で二連を一パックにして売っていたもの。確か160円くらいだったか。
 10月23日の夕食づくりの買い物のとき懐かしくてつい購入したもの。献立の量が十分だったので、そのまま冷蔵庫にしまっていた。賞味期限が切れそうだというので急遽焼いた。
 妻は食べた記憶はないようで、内臓の苦さや頭も食べるということが苦手の様子。私はこの内臓付近の苦さも頭から食べるというのも好きだ。学生の頃は居酒屋や定食屋にいっても目刺はメニューによく見かけたものだ。最近はごく安いメニューを並べている居酒屋にいっても、ちょっとしゃれた値の多少張る店でも目刺を見ることはまずない。
 就職してから今までにどこかの居酒屋で食べたかもしれないが、記憶はない。仙台で過ごした学生時代にはメニューにあるものを注文した記憶もあり、また自分でも焼いて夕食のお膳に乗せたことが幾度もある。
 20センチを越える大きな目刺よりも15センチ位の柔らかめの干し加減の目刺が私の好みだ。品物によって硬さや塩味の加減に差があり、それもまた食べるときの楽しみである。また焼加減によって随分食感にも違いが出る。十分に固めに焼くと内臓の苦味が少しだけなくなり、塩味が強く感じられる。柔らかめで火からおろすと苦味や独特の臭みは強いものの鰯の食感が残り、これもまたいい感じだ。臭み・頭の固さ・内臓の苦味が苦手な人は少し固めに焼くのがいいのだろう。
 そういえば私の子供にも目刺を食べさせた記憶がない。ひょっとしたら忘れられてしまう味なのかもしれない。口にした記憶がなければ、伝統的な食材は忘れられてしまうものだ。安いのが取り得の目刺、そのうち値が張る高級品になってしまうのがさびしい気がする。

 戦前までの、食材に貧富の差が濃く反映していた頃、目刺は庶民の、言い方は悪いが貧乏人・下層階級の食べ物であった。私の親なども「目刺なんか」という意識が強くあるようだ。
 だから今から30年ほど前、土光敏夫が第二次臨時行政調査会長になったとき、「朝食はいつも目刺」という触れ込みが盛んに行われ、「庶民の味方」宣伝が行われた。私の仲間内の活動家からは「あの目刺は特別製で我々には手に入らない高級品」なんていう頓珍漢な反発を声高に、そして真剣にいうものがいた。そんなことは実につまらない反発で、私はあきれてその人間とはもう付き合いたくないと思ったものである。
 この時期は、食材に貧富の差や階層・階級の出自が色濃く反映していた時代が完全に終焉したちょうどその時期ではなかったか。その頃からテレビの料理番組が大きくクローズアップされ始めたと思われる。
 土光敏夫の「庶民性」を宣伝する当時の政権の担い手が「目刺」に着目したのは、まだそのような食材の階級性のにおいを引きずっていたから利用したのだろうか。それとも食材にはりついた階級性がもう消滅し、「戦後」の貧しさがもう解体したことを宣伝したかったのだろうか。そこのところは不明だが、反発する自称「左翼」が昔のままに、食材に階級性が張り付いたままの感性しかないのだから、どうしようもない。しかし新旧左翼の多くの活動家も同じような水準であったのかもしれない。実に情けない恥ずかしい記憶である。

 ということで、しばらくは目刺ウォッチングをしながら、たまには目刺を購入して食べることを忘れないでおこう。

昨日の横浜での吟行・句会提出句

2012年10月28日 11時53分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日は横浜駅から山下公園までシーバスに乗船して、山下公園界隈を吟行、中華街で昼食後関内の駅までゆっくり歩いて句会場へ。曇り空で日がかげっている時間が多かったもののまずまずの吟行日和。
 シーバスは久しぶりに乗船した。他の横浜近辺の参加者も初めて乗船した方が多く、海面近くの視線で見た横浜の港や高層ビル街の印象に、新鮮な印象を得たようだ。
 私の俳句はどうも今ひとつの出来。自分でもそう感じる。どうも吟行句とか、即席の句というのは苦手な意識が先に立つ。

 句会のあと近くの寿司店で懇談会。終了後横浜駅まで歩き、銭湯&サウナに入り、12時近くに帰宅。

句会提出句
★紅葉手にベンチの二人港町
★菊咲いて噴水忽と輝けり
★梨を剥く少女の指の透き通る
→ラ・フランス少女の指の白きかな


 本日は明け方から水っ洟が出て、鼻づまりとなり幾度も目覚めた。くしゃみもよく出る。これではジョギングはできないと決めた。まもなく雨も降り始めてきたので、この決断は良かったようだ。
 さて本日は何をしようか‥。

東京国立博物館「出雲-聖地の至宝-」展

2012年10月26日 21時19分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等





 先日東京国立博物館に出向き、古事記1300年出雲大社大遷宮特別展「出雲-聖地の至宝-」を見てきた。
 出雲大社には随分昔に行ったことがある。日本史の中では特別な言い伝えや神話の世界を持つ地域である。見たい眼目は二つあった。
 それは空中楼閣としてあったという昔の出雲大社の高さは平安時代で約50メートルだったらしい。その模型が展示されているのでみたかった。
 そして二番目の目的は真名井遺跡や加茂岩倉遺跡で大量に埋納さしますのでれているのが発券された銅矛や銅鐸の実物と、当時の輝きを復元した模造品を見たかった。

 まず、この空中楼閣の規模の大きさにはちょっとびっくり。想像していたより大掛かりでそしてその威容に圧倒された。そして柱が太い木を3本束ねて柱としていたことなどが展示されておりとても興味深かった。
 古代の人々がこの社殿の威容をみてどのように感じたのだろうか。その本音を質してみたい気持ちになった。
 銅矛・銅鐸はなかなか見ごたえがあった。特に当時の輝きを再現した模型をみて、当時の威信財としての銅矛・銅鐸の役割が復活したような新鮮な驚きがあった。銅矛も銅鐸もこの再現品は他の博物館で幾度かはみたことがあるが、出雲のこれだけ多くの発掘品の展示を背景にこの輝きを見るとまた格別の驚きがあった。10月14日と27日の記念シンポジウム、記念講演会は行ってみたかったと、メルマガに目を通しきれなかった自分が情けなく感じた。

 明日は横浜での句会だが、朝から山下公園界隈を吟行することになっている。天気は悪くないらしい。


深川での句会投稿句

2012年10月25日 23時02分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日と本日の最低気温はほぼ同じと天気予報で言っていた。我が家では昨日は南側の窓ガラスに結露が今秋初めて生じた。しかし本日は結露は生じなかった。気温がほぼ同じだったとしてこの結露の生じ方の差は、大気の湿度の差であろうか。ちょっと不思議な感じだ。
 今年は残暑が長かったので、秋の深まりが短い期間に急である。つい先日まで半袖のTシャツと半ズボンで出かけていたのが、急に長袖に上着、そして長ズボンが必要になってあわてている。体調管理に注意が必要であると思う。

 さて本日はいつもの渋谷での句会が会場の都合で、深川での開催となった。

句会投稿句
★点す灯に家の来し方秋時雨
→点す灯に違いのありて秋時雨
★ひとつ星地球の裏に虫すだく
→ひとつ星都会の隅に虫の鳴く
★神将に腑の痛みあり山紅葉

NHKカルチャーセンターの講座

2012年10月24日 17時45分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日はNHKカルタゃーセンターの「日本書紀の世界と古代史を考える-壬申の乱を中心に-」。講師は横浜歴史博物館館長鈴木靖民氏で、ネットでの情報では私よりちょうど10歳年上の國學院大學の教授を今年3月定年退官されたとのこと。
 本日はこの講座の第2回目の講義。先日ブログにアップしたとおり、10月3日の第1回目の講義は日程を間違えて参加できず、今回の第2回目が初参加となった。
 横浜のランドマークタワーの16階、まず普段は入ることのないところである。ドキドキしながら講座の案内書をもらいに行ったのが7月はじめ頃であったか。神奈川大学のエクステンション講座の受付・教室は隣のビルのクイーンズタワー14階だから、当面はここら辺界隈を各講座の前後にいろいろ歩き回ってみることにしよう。横浜のみなとみらい地区という先端の場所で働くサラリーマンの昼時を中心とした実態の観察もまた楽しいとおもう。いろいろと刺激や感想が浮かぶかもしれない。

 さて本日の講義の中身は、日本書紀の天武天皇条の講読。実際は古代史の周辺の話題が中心のようで、本日は最後の20分ばかりがそれにあてられただけ。この講座は実に長い期間行われているようで、継続の参加者同士、そして継続の参加者と講師がかなり親密と見受けられる。講義の前の参加者同士の会話を聞いていてもかなりマニアックな感じ。私のような新参者はちょっとその中に溶け込めない雰囲気がある。
 まあ払った受講料分は回収するつもりで残り全8回ある。この場になじめるかどうか、当面は参加するが、私としては心配なところである。
 本日の講義の中で、漢城百済博物館の話しが出た。ソウルのオリンピック公園内にあることが帰宅後のネット検索でわかった。今年の4月30日に開館したばかりのようだ。これは機会があれば見学にいってみたい。来月の韓国旅行のおり、時間が取れればいいのだが。

本日の夕食はシュウマイの野菜包み焼ほか

2012年10月23日 21時15分30秒 | 料理関連&お酒


 本日は強風・雷注意報、そして神奈川県に竜巻注意報が発令される中、東京駅丸の内の三菱1号館美術館の「シャルダン展」と、上野の国立博物館の「中国王朝の至宝展」と「出雲-整地の至宝」を見に行った。 朝10時前に家を出たときは強い陽射し、横浜駅につく頃には厚い雲に覆われ大粒の雨が落ち始めていたが、駆け足で地下街に滑り込み雨に会わずに住んだ。東京駅についてからも雨は降らなかったものの、「シャルダン展」を見終わる12時少し前には土砂降り。雨が上がった瞬間をねらって1号館の地下の食堂街に駆け込み、ローソンでパンとコーヒーを購入してサラリーマン諸氏と並んでベンチで昼食と一服。
 その後雨の上がっていたのを確認して上野まで出向き、上記の二つの特別展を鑑賞。とはいうもののこれは少しばかり、いや大いに欲張りすぎのスケジュールであった。「中国王朝の至宝展」では足もくたびれ、後半の唐以降は足も次第に速くなり、「これでは出雲展を見る体力はない」と判断しほぼ素通り状態で、「出雲展」に直行。第2章の銅鐸・銅矛の発掘で有名になった、荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡の出土品目当てに切り替えた。

 上野では西洋美術館前が花で覆われ、コスモスの花がきれいに咲いていた。


 午後3時には見終わって、京浜東北線・湘南電車を乗り継いで横浜駅に帰着。急いで横浜駅地下街のスーパーで夕食の材料を購入して帰宅。
 17時15分過ぎから本日の就職調理を開始した。無事18時半に出来上がったものの、ちょっと過酷なスケジュールで疲れてしまった。





本日の献立(2人分)

1.豚肉の野菜巻き
 材 料:豚肉の薄切り肉(しゃぶしゃぶ用12枚ほど)、長ネギ1本、シシトウまたは    万願寺唐辛子3本、みょうが3個、ニンジン4センチほど、カタクリ粉少々、    塩・胡椒少々。
作り方:ア、ニンジンは厚さ2ミリほどの薄切りにして、フライパンに油をひき火を十分に通し、皿に並べる。
     イ、ネギ・シシトウ(万願寺唐辛子)は長さ4センチくらいに切りそろえる。各2本くらいで一組にする。
     ウ、みょうがはそのまま一番外側の衣を取り去る。
     エ、豚肉一枚で、ネギ2本またはシシトウ等2本またはみょうが1本をそれぞれ巻いて、肉の端をカタクリ粉少々をつける。
     オ、フライパンに肉巻きにしたオを敷き詰め中火または弱火でじっくり焼く。
     カ、途中で塩・胡椒を薄めに振りかける。

2.シュウマイの野菜包み焼
 材 料:市販のシュウマイ12個、キャベツの葉大4枚、ピーマン2個。
 作り方:ア、電子レンジにかけられる少々深めの皿にキャベツを2重に敷き、その上にピーマンを四つ切にして並べる。
     イ、シュウマイをその上に並べる。
     ウ、その上からキャベツで覆い、ラップをかけて隙間を少々開ける。
     エ、電子レンジの蒸し機能または煮込み機能で5分から場合によって10分ほど蒸し焼にして出来上がり。

3.味噌汁
 材 料:今回は大根の千切りとピーマンザク切り、煮干、味噌適宜。
 作り方:省略

 今回は魚ではなく、豚肉で献立を作成した。1ではしゃぶしゃぶ用の豚の薄切り肉を使用。当初はテレビの番組で茗荷を豚肉で巻いて焼くとなかなかおいしいとのことだったので、今回はそれに長ネギと万願寺唐辛子を加えてみた。肉を巻いてから肉の端っこら片栗粉を指でくっつけるとキチンとくずれずに焼く秘訣らしい。応用としてベーコンで巻いてもおいしいかもしれない。醤油をたらして食べた。アスパラガスに豚肉をまくのはすでに私も食べたことがあるのでそれは今回は避けた。
 みょうがに熱を加えて食べるということ、初めて聞いたときはちょっと信じられなかった。それまでみょうがは生で薬味として食べたことしかなかったので。あの生の時の食感・味が熱を加えてどうなるか想像ができなかった。今回初めて熱を加えかつ豚の脂とともに食べてみてみょうがのイメージは変わった。ちょっとスーッとする感じが少しだけ残っているが、あの独特の味はなくなり、歯ごたえもなくなっている。意外と豚肉とその脂にマッチしている。これはなかなかいいものだと感じた。
 シュウマイは横浜駅で崎陽軒のキノコシュウマイと通常のシュウマイをそれぞれ6個ずつ購入した。
 シュウマイのうまみがキャベツとピーマンにこぼれ出て野菜に味がつくことをねらったが、これがうまくいかなかった。もう少しキャベツを厚く敷くなり、電子レンジに入れる前に皿に少々の水を加えないと生けなかったようだ。それでも野菜には十分火が通り、柔らかくなっており食べる分には問題はなかった。
 野菜はこの2品の料理で十分な程度に使用したと思う。生野菜がなかったので食後には果物(今晩は葡萄)を食べた。
 これに娘からもらった濁り酒で乾杯。
 ご飯の時は、先日箱根に行った時購入した唐辛子味噌と焼き海苔を加えた。


 「シャルダン」と「中国王朝の至宝」「出雲」の感想は明日以降に掲載予定。

俳句誌1月号投句

2012年10月22日 11時47分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連
俳句誌1月号投句
★筑波嶺のどっかとありて刈田道
★すれ違う笑い底抜けいわし雲
★靴音のためらいがちに虫しぐれ
★若人のあかるい抱擁秋落暉
★手に包む湯呑の熱や残る虫
★柩にもランクのありてすがれ虫
★雨去りぬ谷戸の底から虫時雨
★レリーフの彫り深き顔秋入日
★紅葉して笑みは上向き塞の神
★蝶の舞そこだけ秋の綻びぬ

秋の好天

2012年10月21日 19時55分25秒 | 山行・旅行・散策
 バリウムは昨日の朝の段階ですべて出きっていたようだ。本日は午前中は来月の韓国旅行の自由行動日の概略の予定を立ててみた。午後からは運動靴を履きつぶしたので、購入のため出かけた。ついでに大森駅まで足をのばして夫婦で親族の家にお邪魔し、私は歩いて鶴見駅まで南下。今回は旧東海道ではなく国道15号線(第一京浜国道)の広い歩道を体験した。
 鶴見駅で18時となったので、自宅までのウォーキングは止めて、横浜駅までは京浜急行を利用した。途中京急蒲田駅を通り過ぎたとき、羽田空港線の「10.21高架化完了」の表示が大きく出ていた。そして古い地上の線路部分はフェンスに囲まれていたが、行く人かの人が、その隙間からこの線路部分を写真に収めていた。わたしも携帯電話のカメラにおさめておけばよかったと、大分通り過ぎてから思いついた。
 六郷橋からJRの鉄橋の向こうに、ビルの間に挟まるように富士山が夕日に赤く染まって美しい姿を見せていた。これを携帯の写真に写したが残念ながら小さくてよく見えない。そこだけトリミングしてみたが画像が荒くなってここには掲載できなかった。
 もう少し早めに出発していれば、六郷橋をわたる手前に「六郷温泉」という銭湯があるので浸かろうとしたが今回は時間がなくて断念。これまで2回ほど入ったが、なかなかいい銭湯である。六郷土手でのジョギングなどの運動帰りの人なども多く利用しているようだ。そういった意味では便利な銭湯でもある。
 15号線の歩道は幅員が広いだけあって、都内でも川崎・横浜地域でもウォーキング・ジョギングの人が多く行き交っていた。
 鶴見で京浜急行に乗ったら先ほどの蒲田での高架化完成を受けて「10.21ダイヤ改正」の初日であった。そして急行電車は4分遅れ。JRと違ってお詫びやお知らせのアナウンスはない。ちょうど急行の発車予定時間の1分まえにホームについたので、もう行っちゃったのかとあきらめて次の各駅停車に乗る覚悟をしていたら急行がきた。ダイヤ改正の初日で乗務員・駅員の不慣れで時刻通りの運行が出来ないのかと思ったが、その割に放送がなにもない。どうもその程度の遅れは日常茶飯事のことのようだ。
 そう、思い出した。現役の頃時々横浜市内で京浜急行を利用したがいつも数分遅れていた。特急偏重でもともとチョット無理なダイヤ編成なのではないか、という思いがあらためてわいてきた。事故が起こらないことを切にお願いしておこう。


本日はがん検診の2回目

2012年10月19日 17時35分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 がん検診を6種類受けた。大腸がん、肝・胆・膵がん、口腔がん、肺がん、前立腺がんの6種。15日の喉頭がん検診とあわせて7種を受検したことになる。市の制度と健康保険の制度を利用して、随分安い料金となった。
 前回まとめて受検したときと基本的に変わらないが、喉頭がん、口腔がんがメニューに入った。
 大腸がんは2日分の大便の潜血反応を見る検査、肝・胆・膵がんは採決による血液検査と腹部の超音波検査で腎臓・脾臓の検査も実施、口腔がんと喉頭がんは触診・視診、肺がんはエックス線撮影、胃がんはバリウムによるエックス線撮影で十二指腸も検査するとのこと。そして前立腺は採決による血液検査とペーパーによる問診検査。
 前立腺がん検査は前回では触診であったが、今回は血液検査であったので随分楽であった。ただし問診による判断は、血液検査で異状がない場合でも前立腺肥大の可能性で多分再検査になりそうだ、とのこと。三週間後に正式に検査結果が通知されるらしい。
 胃がん検査のバリウムは、大昔の大量に飲む方法が大幅に改善され飲む量も随分と少なくなった。しかし体外に排出するのはまだまだつらい作業だ。
 今回の検査ではよく聞くがんの部位では食道がんがないが、これは内視鏡検査というのが現在の検査方法のようで、今の市民病院では、あるいは市の助成制度では体制として実施が無理なのかもしれない。希望者は別途自費で実施医療機関に申し込むことが必要らしい。私どもは今年は実施しないことにした。1人5万円前後らしい。これは二の足を踏む値段だ。
 汗をかく運動はバリウムの排出には向かないので、本日はジョギング・ウォーキング・サウナは避けなければならない。汗をかかない程度の散歩で腸の運動に刺激を与えることにした。そこで今回は病院から遠回りして横浜駅まで歩き、整形外科での腰の電気治療を受けたりして、また歩いて帰宅した。
 検査は8時半に受付後、11時半くらいには終了。妻の検査も早めに終わり、一緒に食堂で温かい蕎麦を食べた。朝食抜き、水分抜きだったので、とてもおいしく感じられた。蕎麦には七味唐辛子をいつもより多めにかけた。この唐辛子が排出されればバリウムが全部出たことの指標になるのではないか、と勝手に考えた。そんなにうまい話にはならないとは思うが‥。
 2人ともまだバリウムの排出が完了したとはいえないので、夕方には近くのスーパーまで買い物に歩いて出かけた。
 さらに夜の10時頃に45分ほどの散歩を実施した。いづれも効果はあったが、まだ全量の排出には到っていない。本当は本日中の完了をめざしたのだが、明日に持ち越しのようだ。

神奈川大学生涯学習・エクステンション講座の初回

2012年10月18日 22時30分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の午前中は「神奈川大学生涯学習・エクステンション講座」の「芭蕉・『去来抄<修行教>を読むその1」、午後は同じく「俳句実践講座・古典に親しみつつ俳句を楽しむ」のそれぞれの連続講座の第1回目。講師はともに寒川大学の名誉教授の復本一郎氏。
 復本一郎氏は1943年愛媛県宇和島市生まれ。早稲田大学大学院卒、静岡大学助教授・教授を経て、神奈川大学教授。専門は近世・近代俳論史とのこと。
 午前中の講座は講義中心で、「去来抄」の修行教の講読だが、初回の本日は「不易流行」についての前段の理解のために、向井去来が榎本其角に送った書と、去来の「旅寝論」の講読が行われた。次回からは「去来抄」の本文に入る。なかなか難しいが何とかついていきたい。大学の少人数のゼミのように、講義の後、参加者一人一人に感想を述べさせるなどなかなか気が抜けないがいい刺激である。テキストはワイド版岩波文庫「去来抄・三冊子・旅寝論」(頴原退蔵校訂)だが、絶版につきコピーが配布される。
 午後の講座は、上島鬼貫の「独ごと」の講読と句会を隔週ごとに交互に行っていく形式。本日は岩波文庫「鬼貫句選・独ごと」をテキストに「独ごと」のせら27「「つよき句」と「よわき句」」、28「百日の稽古より一日の座功」、29「心と詞」を講読。この講座はすでに4月からこの「独ごと」の講読を行っていたらしく、大半は4月からの参加者のようであった。理解が追いつけるか心配であるが続けるしかないようだ。これもゼミのような形式で、一人一人に内容の感想を実作との関係から必ず求められる。1から26までは独習で読みこなさなくてはならないようだ。なかなか厳しいものでもあるが、鬼貫のいう「まこと」の意味の理解にはとても役に立った。初回の理解では「まこと」とは今の言葉で言えば、作者の実際の感動、とも理解できそうである。
 再来週の第2回は兼題「虫しぐれ」での句会、3句提出とのこと。即吟でなくてとりあえず助かった。
 この講座、すでに5年程続いているようで、最初から参加している方もいるようだ。次回の句会、とても緊張すると思う。

 さて今横浜に大雨・強風注意報がでた。最近はかなり早めに注意報・警報が出る。こんな程度で?と首を傾げるような時も多いが、時勢が時勢だからやむを得ないと言ってしまって好いものだろうか。と思っていたら、急に雨風ともに強くなってきた。音がとても騒がしい。

箱根路

2012年10月17日 21時02分05秒 | 山行・旅行・散策
 本日は組合の退職者会主催のバス旅行。
 バス旅行・自動車での旅行というのは、団体でも個人でも狭い空間の中でじっとしているのが私も妻もとても苦手なのでいつも避けている。我が家には車はない。私は免許も持っていない。妻は免許は持っているが、結婚して以来車は運転したことがまったくない。路線バスはやむを得ず利用するが、基本は鉄道利用である。今回は退職者会の主催でもあるし、退職者会の活動の一端を幹事として体験すべきだという思いが勝って参加した。そして南足柄市にあるビール工場見学とビールの試飲、箱根湯本の温泉と昼食バイキング、箱根の紅葉見学という強い誘惑もあった。
 旅行そのものは参加者相互の和気藹々とした雰囲気、懐かしい顔ぶれとの会話などとても楽しいものであった。が、さすがにずっとのバスの車内でじっとしているのはつらいものがある。毎日3万歩近く走ったり歩いている身には、じっとしていることで何といっていいかわからない不思議な疲労感が残った。太ももの筋肉をはじめとして体全体の筋肉が何か強い違和感を放ってくる。横浜駅までの往復は早足で歩いたが、それでも高々8000歩ほどである。パーキングエリアの休憩時間にエリア内を大股で歩き回ったり、途中の箱根神社では階段を走って往復したがそれでも5000歩ほどの運動量。しかも夜には雨が強くなり、帰宅後のウォーキングの計画は不発になってしまった。

 ビール工場でのビールの試飲は20分で3杯まで、とのこと。確かに20分で3杯を飲みきるのはなかなか難しい。しかしやはりとてもおいしく感じた。
 しかし衛生面での配慮とは言え、全自動のあの無人の工場にはいささか違和感を感じた。定期点検の行程のセクションと官能試験という製品の検査の工程をのぞいてまったく人影がないのだ。確かに製造過程や瓶・缶詰作業の衛生重視とあの早いスピードでの機械作業では人の手は「不要」であり、人の眼は重要でないのかもしれない。だが、機械の点検と監視以外の人の手がまったく入り込まない無人の工場とは一体何なのだろう。人の労働とは何なのか、という思いがずっとついてまわった。
 ビールは確かにおいしいのだが、それでも人の温もりがない無機質なビールのような気もする。一部のいわゆる地ビールや零細な生産体制のビールをのぞいて、日本全体、いや世界全体のビールの生産がこのような工場で大量生産されているのであろう。今やそれが圧倒的に主流であるのだろう。でもこの違和感は大切に心の中で大事にしていたいと感じた。
 生産工程で出る二酸化炭素の排出量の削減、100パーセントリサイクル達成などのシステムそのものに異論は出せないのだが‥。人間を相手にする労働は工場の見学者相手の案内と試飲コーナーのビールの注ぎ手が主である。その他、人の五感が大切という製品検査の従事者が私たちの目に触れた、生身の労働者である。とても切ない気持ちになった。

 温泉はとてつもなく広い浴場で、洗い場が36席もあり、露天風呂も併設されていたが、通常の温泉旅館の4~5倍はあろうかという大規模なもの。ある意味極めて人工的な空間である。
 しかし、人工的な空間であることを強く意識させる大規模温泉浴場だが、森が身近にあり、日光と空と、木々の緑の中での入浴は気持ちをゆったりさせる。40分ほどの入浴時間であったが、今回の旅行はこの温泉だけでも十分価値があると感じた。
 バスの中での饒舌な、しかし楽しいおしゃべりもにぎやかさも、この広い浴室、露天風呂の中では途端に無口になる。きっと裸で自然に浸ると、人は自然との対話に意識の大半のエネルギーを奪われるのだろう。そして人は内省的になるのだろう。私にはこの静謐な時間もとても好ましい。そして体内から汗と共に猥雑な喧騒も滲み出ていくようだ。
 そんなことを考えていたら、昼食時間ギリギリになってあわてて体を拭いて昼食会場に駆けつける羽目になった。

 箱根では紅葉はまだまだ。いつもの年より紅葉は大幅に遅れているようだ。また極早稲種の蜜柑畑、例年ならもう黄色く色づいているのだが、今年はまだ緑色だとのバスガイドの説明もあった。これは残念であった。芦ノ湖周辺も紅葉は見られなかった。

 午後からは雨が少々落ちてきた。横浜駅では雨がほとんど降っていなかったので歩いて家まで向かったが、途中から雨脚が強くなり、帰宅後はかなり強い雨となった。

 初めて参加した退職者会のバスツアー、人とのつながりの点では貴重な企画である。これについてはここでは記さないが、私の個人の好みとは別に参加する意味は十分に私としては見出すことが出来た。
 幹事の端くれにいる者としては、組織全体の企画の中に自分の楽しみを少しでも見つけられれば、参加の意味は倍増する。そんなことも考えながら、お土産で重いリュックを担ぎながら帰宅の途についた。