午前中は、岩波書店の「世界1月号」と1977年のエルンスト展の図録の解説を交互に読んだ。
「世界」では、地方自治に関する論考「自治のある社会へ」だけでなく、地方自治と沖縄に関する文章も読んだ。
・幸福を掲げた自治の実践 達増拓也(岩手県知事)・五十嵐敬喜
「五十嵐:達増知事は(震災直後から)宮沢賢治の言葉を引用しつつ「幸福の追求」を最大の目標として掲げていた‥」
「達増:阪神淡路大震災を教訓に‥仮に復興に10年かかるとして、それは10年かけてその10年前の時代に戻すというのではなく、10年かけて10年後のあるべき姿に追いつく復興でないとだめだと岩手では強調してきました。」
「達増:市町村・県・国それぞれがまったく新しいことに挑戦するビジョンと力を持ちたい。」
・瀬戸際の地方自治 企図される惨事便乗型の制度改革 岡田知弘
「必要なのは菅首相が強調する「自助」を基本にする「新しい生活様式」ではなく、「公共」の役割を重視する「新しい政治・経済・社会のあり方」である。何よりも住民の感染防止と命を守るために公共の責任を全うすることが求められている。」
「コロナ禍における保健所や公的医療現場の厳しい状況が明らかになったにもかかわらず、それらの現状分析をまともに行わないまま、新たな地方制度改革の方向性が第32次地方制度調査会答申として首相に提案(6.26)された。」
「(答申でいう)「地方自治」は「コミュニティ機能を強化し、自分たちで支え合いながら地域を良くしていく‥」行為であり、地方自治体の主権者の主権行為としての「住民自治」では、もはやない。行政サービス機能の効率化を図るという目標を設定すれば、団体自治は不要になり、住民自治は足元のコミュニティ活動だけに限定される‥。‥憲法上定められた地方自治権を否定し、国に従属する「地方行政サービス体」にするということになろう。」
・「大阪都構想」の失敗と自治 森 裕之
「「大阪都構想」の住民投票が呼び起こしたのは、大都市における市民主体の自治意識である。それは個人主義が強い市民が、都市共同体の一員であるという自治の精神を蘇らせたことに他ならない。このことは、新自由主義のいでおめぎーが広がった現代において共同体自治を基盤とする社会を取り戻す可能性を示すものである。」
・持続可能性の確保から自治の確立へ 倉阪秀史
「2050年に化石燃料依存から脱することができれば、エネルギーを将来にわたって自給できる国家ととなる‥平和に寄与することはいうまでもない。分散的なエネルギー供給システムが構築できれば、災害に強い国家も実現できる。いまだに原子力発電や高効率の石炭火力を輸出する政策を進めようとする考え方が残っているが、もはやそんな産業政策はやめてしまった方がよい。‥国内の持続可能性の確保にも寄与する産業政策をいまこそ進めるべきである。」
・新たなツーリズムの構築へ 沖縄 壊滅的状況からの再出発 富川盛武(沖縄県副知事)
「地域・住民との共栄を要件に、沖縄県民のウェルフェアに寄与する観光の推進が求められている。‥観光と地域経済の活性化、それと地域コミュニティへの影響とのバランスという問題は、国内外の観光リゾートにおける共通の課題です。観光客数という量の拡大を優先する観光振興策から脱却し、質を重視した持続可能な観光を推進していきたい。」
・観光のパラドクスと地域コミュニティ 小樽の観光まちづくりの教訓 堀川三郎
「都市の変化を行政主導の開発政策に委ねるのか、それとも住民をも含み込んだ社会的合意によってコントロールしていくのか、--小樽で展開された運河保存運動が‥都市再開発、都市ガヴァナンスという文脈で注目されてきた理由だ。」
・観光の根源とはなにか 横浜IR「非カジノ」構想から考える 山本理顕
カジノ誘致を前提とした横浜市の構想案募集に対して、建築家の山本理顕氏が「カジノなしのIR」を提出。「2万人が働きながら暮らす」というビジョンの背後にある思想を展開。
「案はヴェネツィアをモデルにしていますが、人種の坩堝として多様な文化が花開きました。‥その中心概念は多民族都市です。‥横浜市にかぎらず、最近の地方自治体のコンペには、公共建築を主導するのは市民ではなく地方自治の首長だという、悪しき行政中心主義があります。観光地を形作っているく上で重要なのは住民自身であり、住民自治です。」
「われわれの案は長期滞在を前提・目標にしています。これは要するに異文化の人たちを横浜市民のコミュニティに招き入れて、その一員として生活を一定期間ともにするということです。‥横浜市民は見直す一つの契機になる。‥今回横浜市の要請で、事業期間を40年で考えてくれ、というものです。新しい観光地を作るにに40年もでは事足りるとするのは、あまりに近視眼的です。もっと長期的な視野に立った良い方向に進めるべきだと思います。」
・コロナ戦記 沖縄-第三波のプレビューだった苦闘 山岡純一郎
・片山善博の「日本を考える」 大阪都構想から汲み取るべき教訓 片山善博
この住民投票の「罪」について次のようにまとめている。
「コロナ対応の真っ最中に大阪市を潰そうとした愚‥新型コロナウィルス対策に尽力している市職員たちの士気に影響を与えずには置かないことは容易に想像される。‥首長や議員たちには、府政や市政にとって今何が一番大切なのか、わからなかったのだろうか。その見識が問われてしかるべきである。」
「国会議員ポストの犠牲にされかかった大阪市‥公明党が大阪都構想に賛成に回ったのも一種の妥協である。ただ通常の妥協とは性質を異にする。府と政令市の統治機構を変えるという重大な政策を国政選挙の議席の取引材料に提供した」
さらに
「東京都政を点検するとして、東京都の行政は23区に焦点を当てすぎている‥。多摩地域の市長との意見交換では、東京都にとって多摩や島しょ部はおまけのような存在でしかないのではないか、という不満もあった。」「そもそも東京都制とはどういうものか、改善点はないのか、近隣の自治体と比較点検してみるのも意義あることだと思う。」
・但馬日記 「知らんけど」の文明考 平田オリザ
「学術会議の問題は落としどころのみつならぬまま長期戦に入るようだ。‥任命拒否の理由の開示を愚直に求めていくしかない‥。この問題の背景には、この10年で肥大化した反知性主義という視点が外せない。政治家はやせ我慢でも「知らんけど」といってはいけないことになっていた。そのタガが相当緩んでしまった。(トランプ、橋下徹、杉田水脈などの例をあげ)それを許容し賞賛さえする勢力が周りにかなりいのだろう‥。「風俗産業をもっと使え」となどという発言は「本音の政治」と呼ぶに値するだろうか。「本音」ではなく「本能」ではないか。人間は動物としての本能を理性によって制御することで、高度な文明社会を築いてきた。‥子育ては本能との闘いだ。こうして人は少しずつ人になっていく。その営みを後退させてはならない。」
・沖縄という窓 大城立裕氏が照らした「自分ごと」 松元 剛
「政治とは一線を画し、文学を通して沖縄人に歴史と文化、アイデンティティの大切さを自覚すること、本土の国民に、戦後も変わらぬ沖縄の不条理に「自分ごと」として向き合うことを穏やかに求めた秀作群にぜひ触れてほしい。」
街づくりの視点、行政の立場、などさまざまな発言・論考がならんでいるが、共通点がある。地方自治というのは首長の主導でもなく、まして国の政策の実現のための第一線のサービスでもなく、あくまでも「住民自治」「住民コミュニティのための憲法に保障され規定された制度」であるということである。それが今、ないがしろにされ、国によって骨抜きにされようとしている。新しい時代の新しい都市や地方のコミュニティ形成に敏感になる必要がある。
コロナ禍、地方自治という観点からみると、この間の地方自治体の疲弊と政治の貧困が大きく災いの拡大に火をつけていることが理解できる。
いづれも大変興味深く読んだが、特に横浜のカジノを含むIRについての論考はとても参考になった。