Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ベルリオーズ「幻想交響曲」外

2015年09月30日 21時48分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 NHKFMで「NHK音楽祭2015 「オープニング・コンサート」」を聴いている。なかなか面白い選曲で聴いていて楽しい。久しぶりにNHKFMを聴いたような気がしている。
 さらになお番組の始めのほうで久しぶりにベルリオーズの幻想交響曲を聴いた。無論全曲ではなく第2楽章だけだったが、全曲を聴いてみることにした。
 本日は100円ショップでクリアファイルを6冊ほど購入、前期の講座の資料やノートを整理した。机の上はそれなりに片付いた。残りは椅子の上にも積み上げられた資料や展覧会の図録等の整理である。これは旅行から帰ってからの作業とするしかない。
 旅行中は運動不足になることは間違いない。ウォーキングも出来ない。ということで夕方から歩き始め、昼間出かけた分と合わせて3万歩ほどとした。汗をかいた後のチューハイはとても美味しい。この美味しさを味わうために運動をしているようなものかもしれない。
 本日は旅先の旅行情報誌を読みながら早目の就寝、ということにする。

      

 私の持っている幻想交響曲は1990年録音、レヴァイン指揮・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団のCDである。
 私にはなかなか印象深いというか、忘れられない曲である。本当はこのように劇的な曲というのはあまり好みではない。しかし人それぞれに忘れがたい曲というのがある。しかも普段はあまり聴かない現代音楽の分野にそのような曲があったり、と不思議な取り合わせの場合もある。私の場合もベルリオーズという作曲家の作品はあまり聴くことはないのだが、どういうわけかこの曲だけは昔よく聴いた。感情の起伏が激しい時、ふと思い出すことがある。
 第3楽章の出だし、イングリッシュ・ホルンとオーボエの絡み合いが私にはどうしても忘れられない思い出とともにある。


中欧3か国のツアー

2015年09月30日 12時31分28秒 | 山行・旅行・散策
 明日飛行機でチェコ・オーストリア・ハンガリーの4都市を訪れる。
 明日午前中発でまずチェコのプラハに2泊、オーストリアのザルツブルクに1泊、同じくウィーンに2泊、最後にハンガリーのブタペストに2泊。行きも帰りもチューリッヒで乗り換えることになっている。
 プラハは以前から訪れたいとは思っていた。歴史的にもさまざまな事件やエピソードが豊かである。
 「プラハの春音楽祭」は聴けなくともその雰囲気には浸りたかった。また私にとって1968年の「プラハの春」の事件は極めて印象深いものであった。社会に対する私の眼はここから始まる。カレル橋もヴァーツラフ広場、旧市街広場など事件の跡を辿りたいものであるが、それはツアーではなかなかかないそうもない。
 ザルツブルクもウィーンも、そしてブダペストも音楽愛好家として避けては通れないし、歴史的な興味も尽きない。

 本当はツアーでなく、長期滞在型が好いに決まっているが、そうもいかない。

 本日は荷物の最後の点検と、部屋の後片付けを少々で終わりそうである。

飛行機の中の過ごし方

2015年09月30日 00時02分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は準備のための最後の日。中欧の気温は20℃前後ということなのだが、着るものに悩んだ。日本の関東地方よりも少し寒そうである。半袖のポロシャツと薄手のブレザー、そしてごく薄いウィンドブレーカーを基本とした。
 しかし乗り継ぎも含めて飛行機の中で半日以上過ごすというのはつらい。特に足の曲げ伸ばしなど時々するとしても、じっと座席に座り続けるのは苦行以外の何物でもない。一応本は2冊用意した。1冊はこれから訪れる3都市の歴史的概要を記した「ハプスブルグ三都物語」(河野純一、中公新書)、これは行きに読んでしまう予定の本。もう1冊は読み始めたばかりの「モチーフで読む美術史」(宮下規久朗、ちくま文庫)、こちらは帰りの飛行機の中で読む予定。
 読み終えたら機内のシートに座って映画でも見るしかない。読書と云い、映画と云い、目を酷使するものばかりである。目が疲れたらひたすら寝ることを追求するしかない。

 こんな文句を垂れているなら、行かないにこしたことはないのはわかっているが、人間とは勝手で、かつ不思議なものである。

古代史セミナー9月講座

2015年09月29日 21時12分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は古代史セミナー9月講座の全6回の連続講座の2回目。第1回目がどうしても参加できず、本日からの参加とさせてもらった。
 第2回目は「入唐僧恵萼から見た激動の東アジア・日本と唐と新羅をつないだ謎の日本僧」と題して、田中史生関東学院大学教授の講演であった。
 9世紀半ばから10世紀にかけての唐の揚子江河口・山東半島から新羅、そして平安朝初期の日本を行き来した恵萼という傑出した僧と新羅商人の活動の解明、そこから見える普陀山観音信仰と商業活動、そして文化交流についての講演であったと思う。
 新しい知見もあり、とても刺激的で示唆に富む講演であったと思う。平安初期の平城・嵯峨・淳和の兄弟皇位継承にともなう皇統の混乱と橘嘉智子の役割、唐政権の動揺、新羅の混乱などと活発な商業活動、海の交易と観音信仰、敦煌遺跡とのつながり等々興味は尽きなかった。

 今回はあと2回ほどしか出られない可能性が高くなってしまった。残念である。


高村薫「いつもの夏ではない」(図書10月号より)

2015年09月29日 07時40分30秒 | 読書


 今月号の図書(2015.10月号)、作家の高村薫氏が連載している「作家的覚書」に「いつもの夏ではない」という一文が掲載されている。
 そこには「60年以上生きてきて、これほほど不快な思いが募る8月15日はほかに知らない」、「こんな戦後70年談話は、無用の長物である以上に、実に日本人と日本語の尊厳を傷つけるものだと言うほかはない」と記されている。
 その反面として「若者たちに近現代史を教えず、立憲主義も教えず、漫然と歴史修正主義やヘイトスピーチを生み出し、はびこらせているこの社会にあって、路上で声を上げる若者たちがひたすら眩しく映る戦後70年目の夏である。」と締めくくっている。
 私もまったく同感である。いつもこの欄は真っ先に目をとおす。時々このブログにも登場させてもらっている。
 日本語の尊厳が傷つけられた、ということについてヘイトスピーチやいわゆるネトウヨと称される人々のことば、それとほとんど変わらない保守系の国会議員のネット上の言動、はては首相や大臣の頓珍漢で無責任で空虚な答弁を聞いていると、本当に彼らによって日本語が破壊されていることをひしひしと感じる。日本語の使い方を知らないばかりか、言葉の持つ歴史的な背景や重みが失せている。ことばの意味が違ったベクトルを持たされてもいる。
 国会中継はとうとう聞くに堪えないので聞くのをやめてしまった。マスコミに記事にされた文章だけに目をとおすようにした。そのマスコミもまったく信用ならないばかりか、鼻持ちならない体たらくである。
 戦後70年目経って、保守の陣営や「右翼」という側から日本語が破壊されているという背理が、これからの70年をとてつもなく暗くしていないか。


ウォーキング&書店

2015年09月28日 23時23分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 8泊9日の旅行の荷作り、大体が終わった。自分が持たなくてはいけない着替えや薬、洗面具、カメラ、電源、資料等はとりあえず用意が終わった。あとは妻が持てない荷物が私に回ってくることになっていて、それがどの程度のボリュームになるか、今のところまったくわからない。国内旅行と違う点は携帯の電源やコンセントなどの電気関係の荷物が嵩張る。
 ただし25リットルのリュックで十分間に合うことが分かった。

 本日は横浜まで買い物につきあい、帰りは私一人で本屋経由で帰ってきた。日曜日に「風景画の誕生」の刺激を受けて、ふと思いついてヨーロッパ中世史の阿部謹也の著作を読みたくなった。昔網野善彦を盛んに読んでいた時、次は阿部謹也にシフトしようと考えたもののそのままになっていたことも思い出した。ちくま文庫で何冊か出ている。実はBunkamuraのミュージアムショップに2冊並んでいたのだが、持ち合わせが心もとなくて購入できなかった。
 本日有隣堂で探したが残念ながら置いてなかった。旅行から帰ったら読んで見たくなった。ただし鶴見俊輔の「限界芸術論」読了後になるが‥。

 有隣堂から帰宅後、ウォーキングに出かけて気持ちのいい汗をかくことができた。買い物の行き帰りとウォーキングで1万2千歩ずつの合わせて2万4千歩。ちょうどいい位の運動量だと思う。


スーパームーン

2015年09月28日 23時07分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日はスーパームーンと喧伝されている。スーパームーンの定義としては「満月または新月と、楕円軌道における月の地球への最接近が重なることにより、地球から見た月の円盤が最大に見えることである。天文学的に外からの視点で説明すると、太陽-地球-月系において、月が地球に対する近点(近地点)にあると同時に、太陽と地球に対し月が衝(望)となった時の月のことである」ということらしい。遠点の時と比べると「14%大きく、30%明るい」と云われている。
常に月を観測し続けている方はその明るさの変化、大きさの変化がわかるかもしれないが、たまにしか月を見ない私にはそん変化はわからない。「変わる」ということを知っているから大きく、明るく見えるにすぎない。

 月と云えば、坂本繁二郎と高島野十郎の絵を思い出す。坂本繁二郎は牛の絵、高島野十郎は蝋燭の絵でも有名だが、二人の月は一度見たら忘れられない。



 《高島野十郎「月」(1962)》高島野十郎72歳の作品と云われている。
 いくつも月の作品があるがほとんどが満月であるのも特徴である。高島野十郎の月が浮かぶ空の紫がかった深い青い色が印象深い。

   

 《坂本繁二郎「馬屋の月」〈1967〉》坂本繁二郎85歳、亡くなる二年前の作品である。
 絶筆の「幽光」(1969)も隣りに掲げた。好きな作品であるが、私はこちらの「月」の絵もまた印象深い作品である。
 馬が月と対している。馬はじっと何か考えている。夏目漱石は初期の牛を描いた「うすれ日」に対して、「荒涼たる背景に対して何の詩興も催さない」が「牛は何か何か考えている」と評した。最晩年に至って坂本繁二郎は牛を馬に変えて、そして太陽の強い日が満月に変わり、そして砂浜は月に照らされた牧場のような背景に変わり、馬は月に相対している。ものを考えているばかりか、詩興を催す背景を獲得したのかもしれない。
 絶筆の方の月は雲に隠れた満月なのか、欠けた月なのかはわからない。私は半分以上雲に隠れた満月だと思っている。そして下の半円形の紫は櫨(はぜ)の木と云われている。
 坂本繁二郎の絵は紫が初期から晩年まで通じて重要な色彩である。特に晩年は青みがかった暗い色調の紫のグラデーションが印象深い。
 高島野十郎も、坂本繁二郎もともに青みがかった紫に特徴がある。そしてこの色がスキャナーではうまく再現できないこともまたもどかしい。

旅行は身軽でコンパクトに

2015年09月28日 10時37分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 これから8泊分の荷物をリュックに詰める作業。10月1日の出発から9日に帰宅するまでの分となる。まだ何も用意していないので、まずは荷物の準備から始めなければいけない。私は、音が煩い、通行人に迷惑、持ち運びに不便、嵩張るという4悪揃い踏みの旅行用スーツケースは嫌いなので、登山用リュックに詰め込むことにしている。
 私の自慢は荷物が少ないこと。登山慣れしていると荷物は少なくする自分なりのノウハウがある。包装材をはがし、手洗いの洗濯を前提とし、柔らかいビニール袋に小分けすれば大体一般的な荷作りより3割は嵩を減らすことができる。空間の無駄になるハードケースはどんなに小さなものでも使わない。また減らすためにいろいろ悩むことが、旅行前に荷物を準備するときの楽しみでもある。
 本当は毎日洗濯する元気があればズボン以外の着物は2組で十分なのだが、手洗いであることを考えると残念ながらそこまでは出来ない。廃棄予定の下着・靴下の利用も考えている。
 ということで、取りあえず25リットルと手荷物用10リットルのふたつのリュックに詰めることを目標にしてみる。どうしてもだめなら25リットルのものを30リットルに変更の予定。
 そしておみやげは嵩張らないことが前提で、小さな手荷物紙袋1個の範囲でしか購入しない。国内外ともに買い物ツアーは二人共したことがない。おみやげを含めても、行く時よりも帰宅時の方が荷物が減るようにするのが荷物を少なくするコツでもある。これを目標にしてようやく行き帰り同量の荷物にできる。
 旅行は身軽でコンパクトが楽しい。

本日は中秋の名月

2015年09月27日 22時08分35秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 雲の間から美しい月が顔を出している。夕方雲が暑く月は顔を出さないかもしれないと悲観していたが、さいわいにも雲の切れ目がところどころあり、雲の間を縫って行く月が美しい。まったく雲が無いよりも雲があった方が風情がある。

名月の御覧の通り屑家かな     小林一茶
名月や故郷遠き影法師       夏目漱石
明月と我との中を風が吹く     正岡子規
十五夜や母の薬の酒二合      富田木歩
筆硯に多少のちりも良夜かな    飯田蛇笏
正面に満月のある夜勤かな     小野寺百合子
一湾の一島膨らむ良夜かな     二見登紀
良夜なりたぶんたぶんと水枕    金城照子
良夜の寝息たましいほどけてゆく  吉原陽子

「風景画の誕生」展

2015年09月27日 13時34分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 昨日夕刻にBunkamuraザ・ミュージアムで開催している「風景画の誕生-ウィーン美術史美術館所蔵」(副題:風景を旅する-巡る季節の物語)を見てきた。
 チケットショップで1500円のところ、350円の格安で妻がチケットを手に入れてきた。

 ネットの解説では、以下のように記されている。
★美術の歴史のなかで、いつ頃、どのような過程を経て「風景画」が誕生したのかを問うてみるのは、大変興味深いことである。幸い、わが国の美術愛好家にもなじみ深いウィーン美術史美術館には重要な風景画が所蔵されているので、厳選された約70点の作品を本展で展示することによって、私たちの抱いている興味に答えることができる。
 よく知られているように、そのなかに人物を描くことのない純粋な「風景画」は、17世紀のオランダを中心とする文化圏で生みだされている。だがそれ以前にも、たとえば、イエス・キリストの降誕の場面の背景にそれを祝福する美しい風景が描き出されているし、聖母マリアが危難を避けてエジプトへと逃れる途上で、嬰児イエスを抱きつつひとときの休息をとる場面には、いかにも平穏な心休まる風景が描き出されている。また風景とは単なる空間の広がりのことではなく、人がそこに生きて過ごしている時間の流れでもあるとするならば、このような人が存在し生きている空間と時間の表現は、古代より描き続けられて来た一年12ヶ月の月暦図のなかに年中行事や風景とともに見られる。さらに画家たちは、心の中に想像される幻想の風景も描いた。ネーデルラントの画家ヒエロニムス・ボスの工房で生みだされた奇妙な「風景画」は私たちを大いに驚かせ楽しませてくれる。
 本展は、風景画の誕生というドラマをたどりながら、個性豊かなそれぞれの「風景画」の中を、まるで旅するかのようにご覧いただくことのできる展覧会である。
木島俊介(Bunkamuraザ・ミュージアム プロデューサー)
 展覧会の構成は、次のとおり。
【第1章】ヨーロッパでは15 世紀以降、描かれた窓を通して風景が絵の中に取り入れられはじめ、次第に聖書や神話の物語の舞台として生き生きとした風景表現が登場します。
16世紀にアントワープで活躍し、美術史上初めて「風景画家」と呼ばれたと言われるパティニールは、聖なる主題と背景の風景の比重を逆転させ、はるかなる眺望へと観る者を誘うパノラマ風景を生み出しました。
【第2章】風景は17世紀になると聖書や神話の物語の舞台としてではなく、独立した主題として広まり、次第に専門分野へと分かれていきます。そして17世紀半ばのオランダの画家たちは、身近な風景をそれぞれの感性によって、誇りを持って描き出しました。


 絵画が宗教や神話の世界から切り離される過程で風景画が誕生した、と簡単に言ってしまうのはなかなか勇気もいることかもしれないが、その過程には同時に「風景を楽しむ」という人間の観念の独り歩きの肥大化も進行していたと思われる。
 また同時に人間のさまざまな営みと自然との関係を自覚的に見つめる、という行為や観念が価値を持つにいたったともいえる。
 キリスト教の分裂、プロテスタントの成立や都市の発展、農村のあり様などの観点とすり合わせながらの考察もまた魅力的な課題になるのであろう。中世という時代そのものの把握につながる。
 こんな大それた鑑賞はとてもできないが、それらの一端くらいは覗いてみたいものである。

 そんな中で気になった作品を時代順に並べてみた。



〈ヨアヒム・パティニール「聖カタリナの車輪の奇跡」(1515以前)〉
風景は遠景であまり現実感はない。しかし風景の校正はかなり現実が反映されているように思える。宗教的な主題が最前面であるが、画面に占める割合は小さく、ドラマチックな場面にもかかわらず点景として描かれている。奇跡にもかかわらず大きくアップされていない。
 港では大きな火を囲んで円形に人が集まっている。これがとても気にかかる。表題の「車輪の奇跡」との関係があるのだろうか。それとも港の習俗の一環なのか、知りたいものである。



〈ヒエロニムス・ボスの模倣者? 「楽園図」(1540-50頃)〉
 この「模倣者」というのがよく理解できないが、「工房」でもないということなのだろう。風景画といえるかどうかはわからないが、ボスの作品と云うと寓意画と捉えてしまう。しかし背景の風景に限らず描かれたものが風景的要素も持っていることは確か。風景に寓意を込めるという観念が膨らんでいたと考えることも出来るのであろう。
 しかしこれを読み解くのは、当時の観念に生きてきたわけでもない私にはとても不可能に思える。ヒエロニムス・ボスの描く作品の寓意を読み解くのは私にはとても理解不能である。それでも気になり絵の前に吸い寄せられるのが不思議である。
 絵画作品は読み解くのではない、ということの表れでもあるのだろうか。そのようなことをボスは思っていたのであろうか。



〈アールト・ファン・デル・ネール 「月明かりの下の船のある川の風景」(1665-70)〉
 この作品はもう神話も宗教もそして寓意も感じられない。全体の3分の2以上を占める広い空に立ち込める複雑な雲とその隙間から差す月光、その下の船のありように画家の視点は完全に移行している。
 月の光とそれを反射する水面、その下での人間の営為、共に画家の関心事であるようだ。宗教的観念を媒介とした絵画ではなくなっているように見受けられる。だが、この風景の中にある種の人間のありようの理想像が書き込まれているとしたら、従来のキリスト教的な観点とは別の観念が生じているのかもしれない。それは私にはわからない範疇である。



〈ヤーコブ・ファン・ロイスダール 「渓流のある風景」(1670-80)〉
 ロイスダールの名は、ネーデルランドの風景画家として聞いたことはある。風景画家として幾度か作品も見た記憶がある。私の記憶の範囲では、ロイスダールの作品に人は現れない。農民も職人も、典型としての人間も現われていない。ただし家や風車や船などの建築物は描かれている。森や海などの自然だけではない。
 人間を排除して、風景画そのものとして成立したことの証左であろうか。
 またロイスダールの風景画は画面の半分以上を占めるボリューム感いっぱいの雲と空が美しい。この作品では水の流れそのものが主題である。「さみだれや大河を前に家二軒」(蕪村)よりもさらに人間の痕跡は排除されている。


土門拳「西芳寺庭園細葉翁苔」

2015年09月26日 22時45分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 土門拳「西芳寺庭園細葉翁苔」(1965)はとても気に入っている作品のひとつである。2010年に私がこのブログで土門拳の作品を取り上げた時、これを取り上げなかった。その理由はよく覚えていない。
 今からいえることは多分、文字で気に入った理由をうまく説明できなかったことが大きな原因だったのではないか。私がこの作品が気にっている理由、それがよく理解できていなかったと思う。
 それは何といおうと明るい苔の部分の美しい起伏であるが、その柔らかな感触が手に取るように目に飛び込んでくる仕掛けがあるからである。それはこの作品の7割を占めるあの黒い影の部分である。この黒い影の部分の柔らかな丸い起伏が必要であったと思う。この作品が心に沁みるのは、この陰の部分を大胆に取り入れたことにあるのだと思い至った。当たり前と云えば当たり前なのだが、そのことに気がつくまでに時間が経ってしまった。
 黒い影の部分をじっくりと見ると、意外と起伏に富んでいることがわかる。明るい部分以上にその起伏が伝わってくる。
 さらいもうひとつ気になることがある。中央から右上に向かって直線的に黒い影がある。塔の上にある尖塔が、現代的な電柱か何かの無機質な物体の影に見える。これが初めはとても興ざめなものに思えた。
 明るい部分が丸い形の重なりのように繋がっているが、それだけならばその丸みの柔らかさにアクセントがない。この直線的なものがあることにより、光と影の境の丸みと、光が当たっている部分の柔らかな起伏に焦点が当たっていると思い至った。
 丸みのある柔らかな部分だけでは、その有難味がわからない。それだけでは変化がなくてつまらない。
 この作品を見ながらこんなことをつらつらと思っている。

 私にとっていい作品というのは、いろいろなことを思うよすがとなる作品のことである。思うことが楽しい作品、見ることで頭が回転して活性化する作品、それが私にとってはいい作品という基準である。

山種美術館「琳派と秋の彩り」展(その2)

2015年09月26日 11時39分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「琳派と秋の彩り展(その1)」をアップしてからもう2週間以上たってしまった。その2にようやく着手してみた。

 酒井抱一の作品をその1では取り上げた。抱一に先行する俵屋宗達の作品もあったが、どうももう一つわからなかった。機会があればわからないということも含めて取り上げる機会を作ってみたい。



 江戸時代の作者で惹かれたのが、まずは尾形乾山。云わずと知れた尾形光琳の弟である。陶工として有名であるが、絵画もいい。今回は2点あり「定家詠十二ヶ月和歌花鳥図(二月)」(1743)と「松梅図」(1740)。いづれも山種美術館蔵ではないのでスキャナーで取り込んでの掲示は出来ないそうなので、前者の画像をネットで得たものを掲示する。
 私が気に入ったのは、どちらも書のほうである。余白に和歌がかかれている。展示の横の注釈がないと何が書いてるあるかわからないのだが、それでも字の美しさに脱帽である。字の大きさも揃い、素人目にも美しく整っている。ふたつの作品を比べると字体が違う。しかし絵とのバランスや、絵として描かれた桜や梅の雰囲気の違いを字体の違いで表しているようにも感じた。



 そして今回の展示のもうひとつの目玉の作品と思われるものが、鈴木其一である。展示されているのは4点である。伊勢物語に基づく絵画とここに掲げた「牡丹図」(山種美術館蔵)である。図録にある「四季花鳥図」(山種美術館蔵)は残念ながら展示されていない。
 「牡丹図」は明治以降の牡丹の絵におおきな先例となるような作品だと昔から思っている。お手本のような絵である点がかえって鈴木其一の名を落としているように感じる。この作品、解説にも取り上げていたが、根元にあるタンポポが見どころでもある。牡丹の絵と云うと大きく牡丹だけが描かれるが、タンポポとの取り合わせが意表をつく。
 鈴木其一というと「夏秋渓流図」「朝顔図」が有名だが、この2点以外にもいくつか小品を見る機会を得た。私は、明確で鮮明な色彩や形体、ことに緑色の美しいグラデーションを思い出す。
 「牡丹図」は初めて見るが、背景の金や黄色に紛れて見づらいと最初は思った。牡丹の花の雄蕊の黄色が、花の赤や白に囲まれて印象が強いものの、低い地面で背景のの色に直に接する蒲公英の黄色は随分控え目に感じる。しかしとても記憶に残る。この目立たないが印象に残る秘密が何なのか今でもわからない。



 図録で見ると「四季花鳥図」ではひまわりの黄色の花弁、小菊の黄色、蒲公英の黄色もまた印象的なようである。こちらも実物を見て印象的な黄色の使い方を見たかった。



 今回明治以降の日本画家が琳派をどのように継承しようとしたか、に力点を置いた展示がされている。さまざまな画家のさまざまな場面に琳派を意識した作品がある。それを体感しただけでも大きな収穫があったが、その中でも菱田春草の最晩年の「月四題」(1909-10)(山種美術館蔵)が印象的であった。春草の死の前年に出来上がっている。この作品は昨年国立近代美術館で開催された「菱田春草展」では展示されていなかった。
 たらし込み技法を多用した、この技法のお手本のような作品である。淡い濃淡に満月の柔らかく白い光が画面全体を覆っている。いづれも左上から右下に斜めに画面を区切る構図で統一している。
 墨絵・水墨画の範疇のようであるが、「春」には胡粉のような白い色が使われている。しかし全体の印象は、色彩を大いに感じる4点でもある。殊に秋の葡萄の実と葉、夏の柳の細い葉と雲の切れ間に見える空、ともに人の気持ちに深く入り込むような深い色合いが込められている、と思った。
 抱一や其一の鮮明でくっきりした色彩と、たらしこみによる淡い微妙な感覚、琳派の不思議な両側面である。

《なお、コメントでご指摘のあった「牡丹図」(鈴木其一)の「茎が2本で3種の花」の不思議については今後勉強してみます。》

   

 なお、尾形乾山の作品を覗いて掲げた作品はすべて山種美術館蔵で、図録より取り込んだ。

本日からはじまる講座「戦後70年と日本社会」

2015年09月26日 08時22分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日からはじまる神奈川大学のエクステンション講座は「戦後70年と日本社会-歴史と未来の交点」。
 戦後70年、これが次の戦後70年に続くことを願いたいものである。「戦前への転換点」と後の時代に云われることのないことをひたすら願いたい。

 本日の第1回目は、「秘密保護法と萎縮する社会」という題で、中島岳志北海道大学教授。
 第2回目は、「フクシマのあとさき-原発社会からの脱却」(作家 鎌田慧氏)。
 第3回目は「戦後70年とアジア・太平洋戦争史観」(森武麿神奈川大学教授)。
 第4回目は「戦後70年と科学技術政策、そして原発政策」(藤垣裕子東京大学教授)。
 第5回目は「東アジアの冷戦体制と戦争記憶の民主化」(米谷匡史東京外国語大学教授)。

 来年の3月までの連続講座である。

少しだけ片付け

2015年09月25日 23時28分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 机の上とそこからはみ出している書類と資料の山を少しだけ片付けた。片付け終わるための作業量の4分の1くらいだろうか。机の上だけで見ればそれなりに片付いたが、ファイルに閉じたり、本箱からはみ出ている本の片付け、机の横の丸椅子の上の書類の整理を考えるとまだまた時間はかかる。
 年に4~6回くらい片付けると大体きれいに見えるのだが、年に1~2回だと常に散らかって見えており、整理されているという感じではない。しかも、当然のことであるがたくさんたまればたまるほど労力がかかる。
 書類の下の方から、「これはもうファイル化したはずだが‥」というものも3つほど出てきた。記憶というものはどうも自分の都合のいいように捻じ曲げて記憶している。これは世界に共通であるらしいが、子どもの頃と大して変わることのない習性なのだそうだ。
 明日は午後1時からの講座のあと、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生」展を見に行くことになった。どこからか招待券を2枚手に入れたようだ。これは儲けもの、ということで早速出かけることに決めた。


追悼!福島菊次郎

2015年09月25日 19時04分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 写真家の福島菊次郎氏が亡くなったとのことである。毎日新聞は次のように報じている。
http://mainichi.jp/select/news/20150925k0000e040205000c.html
★ヒロシマからフクシマまで--。戦後の激動の現場を撮り続けた反骨の報道写真家、福島菊次郎さん(94)が、24日亡くなった。突然の訃報に、福島さんを知る人たちから悼む声が相次いだ。
 1960~70年代の成田空港(千葉県成田市)建設を巡る「三里塚闘争」を同じ時期に撮影していた同県市川市の写真家、北井一夫さん(70)は「福島さんの写真は、学生と機動隊が衝突し合う過激な写真がほとんど。『もっと柔らかい写真があってもいいのでは』と周囲で言い合ったが、多くが柔らかい作品に流れていく中で、最後まで『反権力』を貫いた。写真界に一つの方向性を示してくれた」と振り返った。
 東日本大震災後、被災地入りした福島さんに同行したフォトジャーナリストの那須圭子さんは「言うことと、やることがすべて一致している人で、94年間のあっぱれな人生だと思う。安保関連法の成立を心配し『戦争なんて始まらないと頭のどこかで考えているだろうね。でも、もう始まるよ』と最後まで危ぐしていた」と惜しんだ。
 30年近い交流があったフォトジャーナリストの山本宗補さん(62)は「福島さんは戦争が再び訪れる社会を予想し、その現実にあらがってきた。『戦争法案』が可決された現在、私たちや次の世代に報道とはどういうものか伝え続けてほしかった」と述べた。
 親族によると、福島さんは今年8月ごろに自宅で転倒し、足を骨折して入院生活を送っていた。肺に水がたまるなど体調を崩しがちだったが、24日昼ごろは耳元で話しかけると目を開き、うなずく仕草もしていたという。


 ツイッターでの投稿によるとなくなる直前にも安保法案で国会前が騒然としていた時にも撮影に訪れていたとのことである。

      

 私は一昨年2013年10月12日に、日本新聞博物館(横浜情報文化センター内)にて開催されていた「92歳の報道写真家福島菊次郎展-ヒロシマからフクシマへー。戦後、激動の現場」を取り上げて、感想を記している。
 この時初めて福島菊次郎という名前を知ったのであるが、私にとっては取り上げられている社会的事象は、広島の原爆、60年安保闘争、三里塚闘争、東大闘争とあさま山荘事件、水俣病等の公害、ウーマンリブ、福島原発事故の南相馬市等と自分にとっては同時代的なものである。報道写真というジャンルについてはなかなか私にはよくわからない面もあるのだが、自分が関わった社会との同時代性を感ずるということでは、それなりに関心は強いものがある。
http://blog.goo.ne.jp/shysweeper/s/%CA%A1%C5%E7%B5%C6%BC%A1%CF%BA

 同時代を切り取り続けてくれたことに敬意を表さなくてはいけないと思う。