Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「欧州美術紀行」 2回目

2024年10月31日 22時20分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中はみなとみらい地区の神奈川大学の校舎での対面講座、「欧州美術紀行」(講師:中村宏美)の2回目「ヴェネツィア」。取り上げた画家は、ジョヴァンニ・ベッリーニ、アンドレア・マンテーニャ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ・ヴェチェリオ、ティントレット、パオロ・ヴェロネーゼの6名。
 以前に訪れたヴェネツィアの教会や美術館で見た作品を思い出しながら楽しく拝聴。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会で見たティントレットの《最後の晩餐》は、印象深い。居酒屋の室内のような暗い場面に窓から差し込む強い光線が、カラバッジョを思い浮かべてしまう。あるいは劇的な動きがバロック的なのかもしれない。暗い教会の中で見るといっそう印象的である。
 取り上げた作品の中では、マンテーニャの《死せるキリスト》は異様な迫力で、私は初めて見た時から忘れられない作品である。ちょっと際物めいた作品なので、評価は分かれると思っている。しかし戒律の厳しいキリスト教の規制を搔い潜って、キリストの足の甲の釘のあとに着目し、鑑賞者の眼前に突き出す大胆さ、新しい視点獲得の貪欲さには脱帽である。
 次回はローマを取り上げるとのこと。おおいに期待。

 夕方には組合の会館に出向いて、打合せ。みなとみらい地区の神奈川大学のキャンパスから寿町まで歩いた。空気が乾燥しており、気持ちよくウォーキングが出来た。膝と腰の痛みは出なかったのがありがたかった。
 帰りは関内駅まで歩き、コーヒータイムののち、地下鉄・バスにて帰宅。夕食後は団地の管理組合のアンケートなどを記入していたら、読書タイムは確保できなかった。

 明日の金曜の夜から土曜・日曜の明け方まで荒れた天気になるらしい。台風21号からの変化した低気圧の影響とのこと。被害がないといいのだが。


「古墳と埴輪」 第3章

2024年10月30日 21時03分37秒 | 読書

   

 ウィンドウズ11へのアップグレードしている間に30分ほど歩いて、喫茶店へ。横浜駅とは別のターミナル駅の商業施設にある喫茶店は空いていた。
 喫茶店では「古墳と埴輪」の第3章「埴輪の意味するもの」を読み終わった。

古墳の築造状況からは共同体の構成員は首長の私民となりつつあったと推測している。古墳出土の人骨の調査より、この時期より大型古墳の被葬者から女性首長が消え男性首長が中心となったとの指摘もある。・・被葬者の組み合わせが家長である第一世代の成人男性と家長を継承しなかった子に変化したことから、この頃に強い父系イデオロギーの流入があったの見解も示されている。

 


ウィンドウズ11

2024年10月30日 19時50分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 これまで使っているデスクトップのパソコンはウィンドウズ10であった。購入してしばらくしてからウィンドウズ11にアップグレードしようとしたら、いつもお世話になっている業者から、もうしばらく様子を見てからのほうが無難、と言われた。
 ウィンドウズ11そのものの不具合が解消されたり、使っているいくつかのソフトが「11」で不具合が発生した場合の修正版が公開されてからのほうが、良いとのことであった。「10」のサポート終了が来年10月とのことなので、来年になってからアップグレードしようと考えていた。
 本日「10」のアップデートの状況を見ているうちに何となく「11」へのアップグレードのボタンを押してしまった。新しく購入したノート型パソコンはすでに「11」になっており、操作性も特に変更点に不便は感じなかった。友人からも特に不具合が生じなかったとの報告を聞いていたので、そのまま放置。
 インストールがすぐには終わらないので、そのまま出かけた。

 帰宅してみると、特に問題なく「11」に変わっていた。今のところ特に不具合はないようだ。

 


田中一村展

2024年10月29日 21時09分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は小雨の中、昼前に家を出て、上野の東京都美術館で開催している「不屈の情熱の軌跡 田中一村展 奄美の光 魂の絵画」を二人で見てきた。
 雨にも関わらず、上野駅を降りると国立西洋美術館前まで「モネ 睡蓮のとき展」の入口まで人混みがあった。西洋美術館はとても混雑しているようであった。
 「田中一村展」も混雑はしていたが、モネ展ほどではなかったのはありがたかった。

 田中一村の回顧展ということで311点という実に多くの作品や資料が並んでいた。すべてをじっくりと見て回るエネルギーは湧いてこなかった。じっくり見て回ったのは、先週の「日曜美術館」で紹介された諸作品と、一目見て気になった作品にかぎり、残りは3500円で購入した図録に頼ることにした。特に日曜美術館で紹介された作品は他の方の頭越しにしか見ることがかなわなかった。

 構図、余白、色彩、写真、この4点を軸に見て回った。まだ頭の整理が出来ていない。

 16時過ぎに横浜まで戻り、久しぶりの沖縄料理店で泡盛を2杯。モズクや島豆腐などをつまみにした。横浜では本降りの雨になってしまった。


「古墳と埴輪」 第2章

2024年10月28日 21時07分18秒 | 読書

   

 明け方まで雨が降っていたようだ。再び降りそうな厚い雲のなかを、横浜駅近くまで歩いた。一応退職者会ニュースの原稿もできあがり、他の役員に送信した後なので、気分的にはずいぶん楽になった。
 短時間であったが、いつものオフィス街の傍にある喫茶店でも周囲の騒音に惑わされこともなく、また眠気に襲われるわけでもなく、「古墳と埴輪」(和田晴吾、岩波新書)を40頁余り。すでに読み終わったところを思い出すため10頁ほどさかのぼって読んだ。

 ちょっと面白いと思った指摘があった。

棺の多くが船棺となると、死者と船との関係は船が使われる場面によって次のように整理できる。
 a 死者を入れ埋葬する陽気としての船、または船形のもの
 b 死者を古墳へと運ぶ乗り物としての船
 c 死者の魂を他界へ運ぶ観念上の乗り物としての船
 d 死後の世界で死者が使う観念上の乗り物としての船
 船形の棺も、遺体を運ぶ船も、いづれも船が他界への乗り物であるという観念の上に成り立っている。古墳の儀礼が完成していく過程で、遺体を運ぶ船や他界への乗り物としての船が重視されると、据え付ける棺そのものは船である必然性がなくなっていった。古墳には死後の世界で死者が用いるといった発想の船は内容である。」(第2章「他界としての古墳」)

 古墳の段階では魂と肉体についての死後の世界でのあり様に、両者が未分化なままの他界観であったことがうかがえるようだ。当時の人にとってはそれは特にこだわることではなかったのだろうが、時代の推移とともにその未分化であることが人びとの間に意識されるようになったのではないだろうか。
 先日までの「日本霊異記の世界」の問題意識を忘れずに追って行きたい。

  次回は第3から読み始める。


「与党過半数割れ」という表現の不思議

2024年10月28日 19時48分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースの11月号の原稿は14時過ぎまでかかってようやく出来上がった。さっそく他の役員のかたに送信。昨日の総選挙の結果を簡単な論評をつけて記事を作り上げた。短いとはいえ機関会議で決める見解に影響の出ない範囲で記事を作り上げるというのは難しい。ほぼ客観的な議席数だけの報告に近いものになってしまう。

 しかし「与党の過半数割れ」という表現は情けないものがある、と今更ながらようやく気がついた。「与党の過半数割れ」というのがすなわち「野党が過半数=政権交代」という見出しにならないのは、いかにも民主主義未熟と云われる日本的政治状況である。

 


パソコンがないとお手上げであるが・・・

2024年10月27日 21時41分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中に一応できあがった退職者会ニュースの11月号、打ち出してみると20箇所程の訂正が必要なことが判明。変換ミスや訂正したほうがよい表現、言い回しの間違い、重複などなど。打ち出してようやくわかる訂正箇所が毎回いくつもある。
 パソコンがなければ、日常が回らない私である。しかしそうであっても画面だけではどうしても訂正すべき個所を見つけられない。アナログ世代の名残なのだと云われそうだ。このブログにもたくさんの誤字・脱字、誤変換、言い回しの不適切な表現などがたくさんあると思われる。が、ブログの文章は打ち出して点検はしていない。
 退職者会ニュースの原稿は、本日から明日にかけての開票状況を踏まえた記事を加えて、PDF形式にしたうえで、明日の朝には他の役員に送信して点検してもらう予定。30日には印刷会社に入稿予定となっている。

 正午過ぎに投票所へ。14時過ぎには上記の訂正箇所を修正。15時過ぎにコーヒータイムを求めて出かけた。
 夕食後は、開票速報を聞きながらブログの記事を作成した。


読了「日本霊異記の世界」

2024年10月27日 20時24分23秒 | 読書

   

 15時過ぎに家を出て、いつものとおり値段の安い喫茶店で「日本霊異記の世界」を読み終えた。

「日本霊異記」が見出した心と表現、また山上憶良が題材とし表現しようとした「志」は、その後の文学史のなかでどのように展開したかということについては追跡と検証を行うことができないままである。そこに描かれ歌われた家族の生活や心の傷みや生きることの苦しさは、どのように文学史の中に根づいたのであろうか。あるいはどこかで消えてしまったのであろうか。山上憶良の作品と思想を受け継いで、平安以降の和歌世界はどのような歌や歌人を生みだしたのか、残念ながら思い浮かべることができない。のちの説話集のなかには、霊異記説話が抱え込んでいた泥くさい生活が見えにくくなっている。・・・文学史の主流が貴族たちを中心として宮廷社会に入り浸ってしまうということと関わるのではないか。和歌にしろ物語にしろ、宮廷と貴族社会に占有されて平安という時代は続いた。日々のくらしの中に生じる貧困や病の苦しみが取りあげられるはずもなく、個々人の心は埋没せざるをえない。」(補講2「文学史のなかの「日本霊異記」)

古層の伝承世界と新たに列島に根付いた伝承世界と、二つの世界を覗けるところに霊異記説話の魅力がある。」(選書版あとがき)

天皇賛歌をうたい、類型的な相聞歌を交わす男女の傍らに、人間に向き合い社会の矛盾に苦悩する山上憶良が生きた時代、銭に執着し政争に血眼の貴族たちの傍らに、奉仕活動に身を投じ人びとを導こうとした修行者が生きた時代、それが、極東に位置する島国の八世紀だった。これだけをみても、八世紀と現代とは瓜二つだ。山上憶良を異端のようにみなす研究者や歌の愛好者は今もいるように思うが、実は、憶良の歌や文章に共感し同調する人は八世紀にはたくさんいたはずだ。憶良は地域も時代も超えうるグローバルな人だが・・。」(文庫版あとがき)

 この最後の引用は心に止めておきたい。
 著者の意を充分汲み取れたのか、自信はないが、問題意識は理解できたと思う。同じ著者の「平城京の家族たち 揺らぐ親子の絆」(角川ソフィア文庫)もできるだけ早めに読みたいと思っている。


選挙戦終了、開票結果はいかに・・

2024年10月27日 10時38分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 昨日、午前中の編集作業で退職者会ニュースはほとんど出来上がった。裏面は完成。おもて面は本日の開票結果を掲載するスペースだけが残っている。それはおもて面の面積のおよそ5%である。

 マスコミの報道では与党の自・公で過半数割れといわれているが、実際に開票結果が出ないことには何もわからない。低投票率という結果はマスコミの「予測報道」もひと役買っているようにも思えている。もっともそれを覆すだけの与党の力量も情けないとは思うのだが。

 夕方からは、私の属していた組合の退職者会と関係の深い立候補者の最後の演説と「マイク納め」の模様を見聞きしてきた。
 本日は開票結果を待つだけである。私は期日前投票に行くことが出来なかったので、本日が投票日。親と妻とともに投票所に向かう。

 本日の午前中は退職者会ニュースの細部の仕上げ作業に勤しむ予定。


新聞づくり、ボランティア活動、選挙演説

2024年10月26日 14時33分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝は、退職者会ニュースの原稿づくり。少し時間をかけすぎてしまい、午前中から昼にかけて団地のボランティア活動に少々遅刻。涼しい気温であったが、だいぶ汗をかいた。心配した膝と腰の痛みは出なかった。

  これより外出、夕刻からは先日に続いて選挙期間中の最後の演説を聞きにでかける。期日前投票にはいかず、今回は明日に家の近くの投票所に出向く予定。投票率の高いことを期待したいものである。


選挙の演説を聞きに・・・

2024年10月25日 22時50分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 曇がちな本日、最高気温は22.7℃となっているが、これは本日の日付になったばかりの深夜の気温。昼間はもっと低かったらしい。しかし寒いは感じることはなかった。

 午前中から午後にかけて、退職者会ニュースの原稿づくり。頼んでいた二つの記事の原稿も既に送信してもらっており、私の作成した記事は六つ。全体の90%が埋まった。あとは、小さな「お役立ちのミニ情報」の記事と、総選挙の結果の速報の記事を加えると出来上がる。
 印刷会社への最終入稿予定は30日なのでまだ充分に間に合う。しかしもうすでに10年以上このニュースの原稿づくりをしているが、入稿日までは毎回ドキドキ。間に合わないのではないか、という不安が入稿日までは続く。

 夕方からは、組合の退職者会の活動と関係の深い立候補者の演説を聞くために出かけた。しかし本日はあまり人出の多くない駅頭であったので、演説よりは声掛けと握手作戦。演説をじっくりとは聞くことはできなかった。明日は最終日でターミナル駅頭での演説。選挙戦の最後の演説ということで、これを聞くために出かけることになった。
 今回の選挙、選挙管理委員会も実務的に大変な思いをしたと思われる。選挙公報の配布も遅く、投票所への入場券の配布もいつもよりだいぶ遅れて届いた。

 帰りは久しぶりに横浜駅近くで一人居酒屋。数か月ぶりに入店してみると経営者が変わっており、少々慌てた。それでも安かった値段は変わっておらず、助かった。
 明日は別の店で一人居酒屋の続きになる予定。


追悼 高階秀爾

2024年10月24日 20時51分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 10月17日、高階秀爾東大名誉教授、元西洋美術振興財団理事長・大原美術館長が心不全で亡くなったとの報があった。享年92歳。
 近いうちに田中優子との共著「江戸への新視点」(2006年)を手に入れようと考えていた。以下私が勉強させてもらった著作をあげてみた。実に多くのことを学ばせてもらった。

☆「近代美術の巨匠たち」(岩波現代文庫)
☆「名画を見る眼 Ⅰ:油彩画誕生からマネまで」・「名画を見る眼 Ⅱ:印象派からピカソまで」(岩波新書)
☆「近代絵画史 上:ロマン主義、印象派、ゴッホ」・「近代絵画史 下:世紀末絵画、ピカソ、シュルレアリスム」(中公新書) 
☆「ルネッサンスの光と闇:芸術と精神風土 上・下」(中公文庫)
☆「芸術のパトロンたち」(岩波新書)
☆「バロックの光と闇」(講談社学術文庫)

 いづれも啓蒙書ではあるが、啓蒙書に見られがちな説教臭さを感じさせない著述に思えた。豊富な知識と思考の柔軟さに敬服していた。つい最近も日曜美術館で辻惟雄氏との同年代(ともに1932年生まれ)対談があったばかりである。
 追悼の意を込めて、早めにその他の著書にも目を通したい。


沼津へバス旅行

2024年10月23日 21時45分22秒 | 山行・旅行・散策

 本日は退職者会のバス旅行。朝6時半に起床、7時半に家を出るという何年かぶりの早出。8時過ぎに横浜駅の集合場所に辿り着いた。
 この「秋の日帰りバス旅行」には産別の県下の退職者会から40名を超える参加者が集まった。沼津港での買い物、めんたいパーク、みかん狩りなどを楽しんだ。残念ながら静岡県に近づくにつれ雨模様。結局みかん狩りは雨で断念、そのかわりお土産にみかんを二袋も手にしてご満悦。
 バスの中に持ち込んだ美味しい壱岐焼酎を出発時からだいぶ飲んだ。昼食も沼津港で刺身と金目鯛の煮付けの定食におおいに満足。
 重い荷物となったが、予定よりも早い時間に帰宅できた。

 帰宅後はシャワーを浴びてすぐに2時間ほど寝てしまった。


「日本霊異記の世界」 その5

2024年10月22日 22時32分04秒 | 読書

   

 夕方は「日本霊異記の世界」の第10講「あの世からもどった人、地獄を語る人びと」を読みながらコーヒータイム。多くの臨死体験譚を分析している。

昇天する魂という発想は、土着的な観念からは出てこない特異なものではないか。肉体と魂とを明確に切り離して人間の存在を認識するというような観念は、仏教思想を受け入れる以前に、この列島に暮らす人びとは持っていなかったのではないか・・。・・・ヤマトタケルがクマソタケルを殺した時、体をずたずたに切ってしまったとか、相模の国造を切り殺し、死体に日をつけて焼いたなどと語る「古事記」の伝承を読むと、肉体をそのままにしておくと再生するという観念が存したことは確かめられる。・・・草壁皇子挽歌における天武の霊魂が天空に昇るという認識は、仏教思想が介在することによって初めて生じたものではなかったか。」(第10講)

 第10講は長いのでまだ数ページを残しているが、この指摘はとても興味深い。今読みかけの「古墳と埴輪」(和田晴吾、岩波新書)を読むときの視点として覚えておきたい。

 仕事の終了後、居酒屋で続きを読もうとしたが、店内が薄暗いこともあり、すぐにうつらうつらしてしまった。お酒を飲みながらの読書では申し訳ないので、お酒を飲むことに専念。

 


年末にかけてやはり慌ただしい

2024年10月21日 22時13分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会の昼からの役員会と午後の幹事会、そして終了後のワンコインでの飲み会、二次会と本日はお疲れモード。楽しく飲んで「お疲れモード」というのは不思議なことばであるが、それなりに気を使いながら、ワイワイガヤガヤの席で明るく振舞っている。
 最寄駅から5000歩近くかけて酔い覚ましを兼ねてウォーキング。帰宅すると、飲み会での緊張がほぐれてどっと脱力感が湧いてきた。気分を奮い立たせて、パソコンの前に座っている。
 役員会と幹事会では今月もたくさんの日程が提起された。酷暑のあとのごくごく短い秋と初冬の中でのハイキング等のイベントは健康には悪くない。ハイキング等のイベント以外のすべての行動をこなすのはなかなか厳しいものの、それが私の活力の元になっているとも思われる。
 行動に参加すると自腹のお小遣いも使ってしまうが、楽しい会話も期待できる。時にはとても懐かしい人と顔を合わせることもある。お小遣いのことよりも懐かしい人との会話のほうに軍配が上がる。