Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

一年間のご訪問ありがとうこざいました

2016年12月31日 17時04分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一年間、当ブログにお付き合いいただきありがとうございました。

 私の好き勝手を、思いつくままに、自分の感覚だけを頼りに書いてきたように思います。「感覚だけをたよりに」と書きましたが、一応は私なりに下調べはしているつもりです。もとより目に入らなかったものや、勉強不足、誤解などもあり、到底完璧なものはありません。

 至らない思考ばかりですが、ほんのちょっとでもオリジナルなことが云えたら、とても嬉しいと思っています。
 そしてコメントをいただいた皆さんに心から感謝です。またこのブログはツィッターに連携しており、リツィート等をしていただいた方にも御礼申し上げます。引続きよろしくお願い申し上げます。

 あと数時間後には、新年のご挨拶をアップするつもりではありますが、何はともあれ、一年間の感謝の気持ちを込めて、一年の締めくくりといたします。

フォーレ「レクイエム」

2016年12月31日 13時45分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 世の中がベートーベンの「第9交響曲合唱付き」ばかりが耳に響いてくると、おおむね世の中に背をむけたくなるのが私の性格。世の中の「大半の人がこうだ」というときというのは、世の中が危うくなりかけている時でもある、というのが私の尊敬する先達の言葉だったと記憶している。
 私はいつも「第9」ではなく、大晦日の日を静かに過ごすためにフォーレの「レクイエム」を聴くことが多い。昔はヴェルディのレクイエムも聴いていたが、あまり派手派手しいので今は遠慮している。ただしこの曲も思い出深い曲であり、じっくり聴くと心が現われる部分が多くある。むろんモーツアルトの「レクイエム」もいいが、こちらは特定の日を限定しないで、聴くことにしている。
 今年はいつものとおりフォーレの「レクイエム」とした。ロバート・ショウ指揮、アトランタ交響楽団と合唱団、およびソプラノはジュディス・ブレンゲン、バスはジェイムス・モリス、録音は1985年となっている。

 今年も社会の病理によって多くの人が亡くなった。障害者支援施設県立「津久井やまゆり園」において19名の殺人と26名の傷害事件。過労死や労働現場での死、貧困に基づく自殺死・孤独死等々。さらに自然災害による死。
 これらに思いをはせながら‥。

            

「円山応挙」展から「藤花図屏風」 その2

2016年12月31日 10時54分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   



 鈴木其一(1796-1858)の展覧会が今年サントリー美術館であり、とても感銘を受けた。以前から其一という存在は知っていたが、まとめて鑑賞したのは初めてであった。その展示の中に「藤花図」があり、コメントを記載した。
 円山応挙(1733-95)には昨日触れたように「藤花図屏風」という大作がある。いろいろ「どうして」を連発しながらこの作品を見ていたが、鈴木其一の作品との比較をいつの間にか頭の中で行っていた。二人に接点は無い。応挙の死の翌年に其一は誕生している。しかし其一が応挙の作品を見ていなかったということはないとおもっている。どのような影響を受けたかは知らない。しかしながら両者の違いを見ながら、私の能力を超えているとは思うが、応挙の特徴を浮き上がらせることは出来るかもしれない。すくなくとも理解の端緒を見つけられるかもしれない。
 鈴木其一の「藤花図」は屏風ではなく、1メートルにも及ぶ細長い作品で、藤の房3つをクローズアップし、写実的ながら房の長さを極めて長く描きデザイン性の高い作品である。房は90センチを越え、開花部分もその60センチ近く、未開花部分も30センチを超えている。しかも花は向こう側が見えないほどに密生しており、藤の花の房の理想的な開花状況を描いている。
 それに比べて応挙の「藤花図屏風」は高さが157センチあるが、長いもので75センチくらい、他は30センチから40センチにおさめてある。房の数は左右で60房を超えている。応挙は房に着目したのではなく、樹木全体の旺盛な生命力に注目した描き方である。それが屏風絵に求められた特色でもあろうが‥。
 一番特徴的なことは応挙の藤の花の房は決して理想化された房ではない。密生はしておらず、向こう側が透けて見えるほどにまばらである。実際の藤の房に近い。また開花部分と未開花部分の割合も現実にちかい。其一の藤花図の葉はかなり色が暗く濃く、花の紫を浮き立たせている。応挙の葉の方が現実のうすい藤の葉に似ている。葉は房の上部に遠慮なくかかり、房を少し隠し気味である。
 応挙の藤のデザイン的な部分は幹と蔓である。其一の鶴はデザイン的でもあるが、重力を無視してはいない。
 応挙の「藤花図屏風」は「雲龍図屏風」のような迫力には欠けるが、藤の幹のうねるような形には雲龍図の形を思い浮かべることが出来るかもしれない。
 そして私は、円山応挙展を一巡して思い至った感想は、「円山応挙はクローズアップの画家ではなく、全体を描くことに力点を置いた画家」だと感じた。雲龍図も蕭白の顔を大きくクローズアップしたものに比べると迫力は今ひとつないが、龍の姿態全体を描き切ろうという執念を感じる。藤花図屏風の藤も同じことがいえる。現代はどちらかというとクローズアップによる迫力のインパクトがもてはやされる。全体を俯瞰して「焦点」がどこにあるのか、考えさせるというのも、鑑賞する側の想像力を駆り立てるものが本来はある。
 しかしながら円山応挙の場合、全体を俯瞰する視点で描いたように思われるものの、「鑑賞者の視点を考慮した」構図を採用していないのではないか。屏風や襖絵などの大画面の作品は私の目にした範囲では国宝「雪松図屏風」(1786頃)を除いて。
 こんな風に私には感じられたが、あくまでも私の狭い知見の範囲という限定付きの感想である。

「従僕」のまとまらない1日

2016年12月30日 21時07分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 いよいよ明日は大晦日となった。
 師走という一年の最後の月を指すことばであるが、実はこの意味ははっきりしないようだ。師が走る、と書くが「師」とは何かもはっきりしない。師が走ると解釈しても、御師、僧侶、学校の先生説もある。どれも違うようだ。
 奈良時代の文書に十二月と書いて「しはす」と読みが記載してあるとのこと。多分当て字として「師走」となったといわれるらしい。
 さらに「し」「果す」として、「仕事、一年の果て」という説もあるようだが、「し」にそのような意味を付与することは難しいのではないか、ということもいわれているらしい。

 言葉ひとつ、しかも時間の区切りを表す当然のように使われている言葉でも、その起源はわからないものが氾濫している。だからこそ言葉は語感と歴史を大切に、丁寧に使いたいものでもある。

 本日は昨日と同様「妻の従僕」として、近くのスーパーに出向いた。年末・年始に家の中に飾る花と、果物をいくつか購入して帰ってきた。重いものは無かったので、ただただ後ろからついて歩いた。
 足の痛みはほとんど感じなかった。しかし違和感はついてまわっている。到底無理は出来そうもない。ただしこの分では元旦の初詣のお供、二日の親族との会食には杖がなくとも支障はないようだ。
 二日に東京国立博物館での「初もうで」ということが決まっても対応できそうである。
 明日、三が日の予定を決めることにした。

 先ほどまで、「円山応挙」展から「藤花図屏風」その2」の記事を書いていたが、うまくまとまらない。だらだら書いても結論が出てこない。これでは明日中にアップすることが困難かもしれない。情けないものである。


フォーレ「チェロソナタ#1、#2、エレジー」

2016年12月30日 16時47分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 この2曲のチェロソナタはフォーレの晩年、72歳の1917年と76歳の1921年に作られている。共に私は初めて耳にした曲である。
 また同時におさめられている「エレジー」は作品番号の24から推定すると、フォーレの35歳の1880年というから初期の作品である。
 私はこのエレジーと第2番の第2楽章がとりわけ気に入った。エレジーを聴いた時は初期の作品とは思えなかった。そしてよく似た第2楽章はそれによく似ていた。調べてみると第2番の第2楽章はナポレオン1世没後100年記念式典のためのフォーレ自身の「葬送歌」の編曲ということになっている。政府の委嘱作品らしいが、フォーレの音楽の方向との違いから悩んだらしいが、しかしこの第2楽章はチェロとピアノのソナタというよりもチェロの独奏曲といってもいいほどチェロの独り舞台である。葬送曲よりも哀歌、エレジーといっていい。
 第1番のチェロソナタよりも第2番の方が演奏の機会が多いというが、この第2楽章の魅力にはまる人もおおいような気がする。

 これまでのフォーレの室内楽曲と同様、ピアノはジャン・ユボー、チェロはポール・トルトゥリエで、録音が1962年となっている。ドビュッシーのチェロソナタも収録されている。

円山応挙展から「藤花図屏風」 その1

2016年12月30日 12時23分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
<左隻>  <右隻> 

 最初の展示室1で人の間からこの作品を覗き見て、あまり目立たない地味な絵に見えた。今年に入って鈴木其一の鮮やかな画面にすっかり目を奪われていた私には、不鮮明な作品に見えてしまった。劣化なのかなとも思ったりしながら、この大きな作品の前を幾度か行ったり来たりした。暗い室内で蝋燭の火のもとでこの作品を見たらどのようになるのか、興味のあるところである。
 初めて目にしたこの作品を前にして感じたのは、
・どうして左隻の藤は根元から描いているのに、右隻は根元が見えないのか
・どうして左右共に上部が断ち切られているのか
・どうして幹はうすく描かれ、葉と花は大祭ながらも鮮やかに描かれているのか
・どうして右隻の蔓は重力に反してあのような格好に描かれなければならなかったのか
・どうして紫の花ばかりで、赤紫の花は描かれなかったのか
この5つの「どうして?」は、会場では結局わからなかった。
 帰宅後、
・其一の「藤花図」とどこが違うのか
ということも感じた。

 藤の根元については左右の藤に前後の遠近を表しているのだろうと予想したが、左隻の下部に緊張感がなくなりるマイナスの効果の方が大きいのではないかと今でも感じる。
 藤の上部についてはそれが伝統的な描き方らしい、という指摘を友人にされた。しかし応挙という人、そんなに伝統にしばられていたのだろうかという疑問は今も解けないでいる。図録の解説には「やまと絵や琳派の前史を抜きに、「藤花図屏風」は成り立たない」と記載がある。屏風絵という伝統的な作品世界ではそれらから離れることはなかなか大変なことだったのかもしれない。
 幹がうすく描かれているのは、幹よりも葉と花と蔓に作者の興味が無かったのではなく、濃く描くと葉や花や蔓が目立たなくなってしまうと思えた。同時に、幹の勢い、複雑で躍動感のある形体を強調するとそれが主題の作品になってしまう、とも思った。そこらへんでとりあ絵図納得しておきながら、宿題でもある。
 そして左隻の蔓の妻は、それこそ応挙の表現の根幹だったと感じた。幹の生命力は幹や枝がのたうち回るようにしていても基本は下から上への指向である。蔓の生命力は上から下へのベクトルだけでなく、鎌首をもたげるような上昇の方向も併せ持つ。
 右隻の左側2枚に描かれた蔓は風もないのに左に流れている。あたかも左隻をめざすように。そして先端に近いところから緑の葉が伸び始めている。この小さな翠の葉の芽吹きがこの作品の眼目のような気がしてきた。この蔓は左隻の右側に伸びている幹をめざしているようにすら見える。さらにうすい墨の線で勢いよく描かれている。蔓の生命力を描くのに筆の勢いも使っているということなのだろう。確かにけれんみのない線である。
 最後の赤紫の花をなぜ描かなかったのか、については結局未だにわからない。あるいは意味のない疑問なのかもしれない。
 解説によるとは藤の花、葉の描き方は大変手の込んだ方法が取られているようだ。


本日の外出は短時間

2016年12月29日 23時13分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日はすんでいるところの近くのスーパーへ妻と。半月板損傷疑惑この方、妻と連れ立って外出している。私は、お屠蘇用の4合瓶の日本酒2本と、酔いにいいという干し柿と、八つ頭をリュックに背負い、杖を突いてお供。妻はその倍の重さの買い物袋を両手に持って帰ってきた。私の両親は八つ頭を料理する習慣はなく、結婚して初めて妻が八つ頭の煮しめを作ってくれた。それ以来私は病みつきに。これだけは正月は欠かしたことがない。

 購入した日本酒は「一ノ蔵 無鑑査」と「菊勇 原酒」。ともに屠蘇散につけるのはもったいないことは承知をしている。一ノ蔵の半分にあたる2合だけは屠蘇用に使うつもり。一ノ蔵の残りと菊勇原酒は、大晦日から三が日にかけてじっくりと味わうつもりである。本日は菊勇をお猪口で3杯ほどの「味見」で我慢した。

 さて、左の膝はあまり痛みが走ることはなかった。痛みは和らいでいる。炎症自体はおさまっているが、足を伸ばそうとすると膝の裏がやはり痛い。そして伸ばしきれない。

人間の顔が見えなくなった社会

2016年12月29日 20時18分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 有名な電通の「鬼十則」なるものを読んでみて、何か気がつかないだろうか。
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

 私は数年前にたまたまこの「鬼十則」を読んで二つのことに気が付いた。
 まず、この十則には「組織」という概念が何ら反映していない。勤め人がこなす仕事は一人でやるものではない。どんな仕事も相方もいるし、組織で取り組むものである。かろうじて「組織」についてかすかに言及しているのは最後の10番目だけである。それも組織的な摩擦を恐れるなというだけである。6番目など組織そのものを否定している。
 次に、仕事がうまくいかないのはすべて個人せいである、と感じないだろうか。この十則の基本姿勢は、仕事ができないのはすべて個人の努力の至らないことに還元させているところである。組織で仕事をして、組織の意志として業務をこなしているのに、責任はすべて個人に還元される。責任と労力は個人持ち、利益だけは企業で吸い上げる、では個々の社員は単なる奴隷でしかない。社員一人一人は無限に責任と労力をひたすら提供するだけの機械でしかないと思われる。そのように経営者も社員を見ているだけである。経営者-管理職-末端社員-新人職員-下請け業者と責任は下部に押し付けられていく。戦前の帝国軍隊のように。社員の働き甲斐や達成感などどこにもなく、疲労だけが残されるのは目に見えている。また企業に働く社員には家族がおり、そして仕事を離れた時の自己というかけがいのない個人の世界が存在する。しかしそれを何ら前提にしていない。
 これは「企業」という組織の集合体の組織の在り方を規定しているとは思えない。それが社訓として大手を振っている「企業」組織とはとても恥ずかしいとは思わなかったであろうか。私が経営者なら、こんな恥ずかしい「社訓」を掲げることはしない。
 この「十訓」は成功したことのある経営者の仕事に対するこれまでの個人的な処世訓・姿勢を組織全体と組織の構成員に強引にすり替えたものでしかない。個人の論理と組織の論理を混同するという、子どもにでもわかる間違いを犯している。

 職人といえども相互関係の中で、つまり人間の集団の中でひとつの仕事を達成するのである。ひとり親方、ひとりでこなす職人もいるかもしれないが、それは自分で業務全体の計画から完成までをすべて見通しながらこなすことが出来る。仕事の達成感も見通しも自分の力量でこなす芸術家肌の職人技もあるであろう。あるいは会社経営が自己目的であった人の処世訓であるのだろう。これを一般化するのは個人の思想の押し売りでしかない。
 勤め人の場合は、仕事では自分ですべてを見渡して自分のペースで、こなすものではない。いつも切羽詰まった期限と、相手側の都合にあわせたスケジュール、そして利益という企業の論理の前に押しつぶされかねない無言の圧力に常に心身をすり減らしている。

 繰り返してはいけない新人社員の自死という痛ましい事件があり、この「鬼十則」は一気に有名になった。しかし悲しいかな、このような自死に至った惨劇は数知れずあった。新人だけでなく、あらゆる世代の勤め人が現役時代に数多く見聞きしてきた。
 この「鬼十則」を読んで、日本の経営が当初のイギリスの産業革命の時代、それに意義を唱えたマルクス・エンゲルスの時代のように人間性を否定した先に、労働というものを捉えているとしか思えない状況がこの21世紀に日本という国で生きていることに茫然としている。たぶんそれが現代の社会なのであろう。
 人はなんのために働くのか。むろんなにがしかの仕事をこなした時の「達成感」というものも大切である。その仕事が「社会」との関係の中で有意義なものだったという思いが強ければ働き甲斐も強まる。
 同時に人は仕事だけで生きているのではない。家族を持ち、そして自己の趣味や理念などの個人の領域に属することで、生きがいをさらに強く感じるものである。8時間労働というものが、社会の進歩に従い労働時間が短くなるのではなく、社会の進展とともに労働時間が長くなり、責任ばかりに追い詰められるとは、社会の退歩ではないのか。

 人間性を否定した企業社会、個人個人の生き生きした人間の顔が見えない社会、これは根底から見直さなくてはならない。そこに抵抗するのは、それでいい目を見ていると勘違いしている人々と、奴隷であることに慣れ親しんでしまった奴隷だけである。この社会でいい目を見ている人やこの社会を作ってきた人は、意外とこんな社会では先行きが不安であると思っているのではないか。
 勘違いしている人は、次の社会では奴隷になるかもしれない、明日には奴隷になるかもしれないから、と這いあがるために周囲の人や自分よりも弱い立場の人を奴隷扱いする人でもある。自分の立場に対する不安が勘違いを増幅させている。この手の人々がもっとも手に負えない害悪である。

杖を突いて外出

2016年12月29日 12時27分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 医者からの指示は「安静にしてやむを得ず歩くときは杖を忘れずに」ということであった。昨日は散髪に行きたいと思っていたので、登山用のT型トレッキングポールを使って歩いてみた。このトレッキングポールは以前膝のお皿のうらの軟骨の炎症を直した時につかったが、登山では使ったことがない。横浜駅まで歩きたい気分を抑えて普段なら12分ほどで到着する私鉄の駅まで歩いてから電車を利用した。
 登山と違って左足にかかる力をセーブするためなので、左足が着地すると同時にポールを突く必要がある。右手でポールを持つときは普段腕を振る時と同じ要領だが、左手でポールを持つときは普段歩き時の腕の振りとは反対にする必要がある。妻に同伴してもらったが、要領を飲み込むのに時間がかかり、結局妻のスピードには追いつけない。ゆっくりと歩いてもらった。
 横浜駅で妻と別れ、私だけ1000円の理容店に行くとなんと12人待ち。年末のかき入れ時である。それでも一人10分かからないというのが売りでもあるので15分ほどで順番が回ってきた。一人10分以内といっても私などは髪の量が少ないので5分ちょっとで終わってしまう。
 横浜駅地下街を人の流れよりもゆっくりと歩いてバス停まで到着。いつもは人を追い抜くばかりだが、昨日は追い抜かれる立場。

 さて、私の症状の場合ポールを突いているが、足を曲げるのが辛いのと、立つときに面倒なのでできれば立ったままでいたい。多くの方が席を譲ってくれるのはとてもありがたいのだが、2駅や3駅では立ったままの方がずっと楽なので申しわけないがお断りすることになる。それが煩わしいが、昨日はガラガラだったので助かった。
 しかし降りる時が怖かった。ドアの端についている握り棒を掴んだまま降りようとしたが、全員が降りる前に強引に脇をすり抜けて乗り込もうとする中年の女性にぶつかった。そして握り棒から手を外さざるを得なかった。とても怖い一瞬であった。あれだけ空いていれば最後に乗っても十分座れるし、あの強引さがあれば体力は十分なので座る必要もないものだが‥。座ること自体が価値があと勘違いをしているようである。座らなければ電車賃の元が取れないと考えているのだろうか。
 帰りのバスは安全のため座った方がいいと思い、後ろの方の前向きに並ぶ二人掛けの席に座った。ところが前後が狭いのでポールの処置が難しい。座る時も立ちあがる時もポールが使えないのでお尻の移動が難しい。
 なかなか難しいものである。

 横浜駅で別れた妻は買い物の後、元の駅に戻り駅前商店街の和菓子店に予約していた餅を受け取って帰ってきた。例年なら私が荷物持ちで運ばされるもののひとつである。

 膝用のサポーターの緩めのものを使っていたが、丸二日着けっぱなしにしたらさっそくかぶれてしまった。サポーターというものが、どこの部位でも私はかぶれてしまう。

茨木県で震度6弱

2016年12月28日 23時08分23秒 | 天気と自然災害
 茨城県高萩市で震度6弱の地震が発生。深さ10キロ、マグニチュード6.3という。横浜でも震度3を記録した。
 長い時間揺れていたのでもう少し遠くの地震かと推定したが、頻繁に地震の発生する場所が震源と思われた。しかし震源の深さの割に広範囲に揺れており、規模も大きい。これまでは震度5位だったのだが、今回は揺れが大きかったようだ。震源の深さや、震源の場所の細かな分析が待たれると思う。
 深度6弱ということは被害が出ている可能性がある。今のところ宿泊施設で天井の落下があったとの情報があった。
 TBS/JNNのニュースを自動配信によると「原子力規制庁によると、震度6弱が観測された茨城県内の東海第二原発、日本原子力研究開発機構の各研究施設、核燃料の製造を行う原子燃料工業と三菱原子燃料の施設で異常は確認されていないという」となっている。しかしこの地域にこんなにも原子力施設があるということに今更ながら驚いている。

 ツィッターでの情報はつぎのとおり。この地域は2011年3月11日の震災以降活発化していると指摘している。震災以降最大の地震であったとのこと。


   

円山応挙展から「秋野暁望図」

2016年12月28日 22時26分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 円山応挙展は後期展示の時に行った。その時に目についた作品の内のひとつがこの「秋野暁望図」(1769、個人蔵)である。全体的にぼやけているのと、紙が茶色に変色しているように見えたのとで、忘れられていた作品のひとつかなと勝手に思っていた。
しかしその割には丁寧に草が書き込まれている。暫くしてようやく紙の劣化とは違い、意図的にぼやけさせたのだと分かった。さらに題名を見て、明け方の日がさす直前の雰囲気を出そうとしたのだと理解した。このぼやっとした情景からは朝露に濡れた草の葉を思い浮かべることが出来る。
 白い塊が何かわからなかったが、解説によると芙蓉の花とのことであった。そして座って鑑賞する位置でこの作品を前にして上方を見上げると薄の穂がこちらに覆いかぶさるように立体的に見えた。それはすらっとした薄の穂の曲がり具合によるだけでなく、薄の穂の細かな描写によってくっきりと浮かび上がることによる立体感だと感じた。細かい描写によって穂がこちら側に迫って来るように見えた。穂よりも茎をぼやかして描くことで根元が向こう側に強調されて認識する。遠近法に脱帽した。上の方の黄色の大気が柔らかく鑑賞者の身を包んでくれ。
 解説には「輪郭のぼやけた陰影表現はどこか「朦朧体」を想起させる斬新なもの」と記されている。芙蓉の大きな葉は確かに輪郭線はうすく、地にとけ込んでしまいそうである。



 次の「鵜飼図」(1770、個人蔵)は前期展示だったので直接見ることは出来なかった。図録で「秋野暁望図」の前のページに掲載されており、ちょうど見開き状態で二つの作品を鑑賞できる。この作品も初めて目にする作品である。是非とも実際に目にしてみたかった。



 ほぼ同時代に描かれた蕪村の「闇夜漁舟図」(1760年代、逸翁美術館蔵)を思い浮かべた。蕪村の作品の方が、人家の明かりを描いていることと、陰影が濃く、そして物語り性も強いが、人物の表情はこちにの応挙の方に軍配は上がるかもしれない。同じ船の上の火が描かれているが、応挙の描くかがり火からは暖かさは感じない。点景としての篝火に徹している。悪く言えば生活感という暖かみがない。たぶん煙や人家からの暖気によって明かりに照らされた暖かみを主題にした蕪村と、あくまでも光としての篝火の視覚的イメージに着目した応挙の差なのかもしれない。
 二人の交友関係などから双方の影響をわたしは否定できないと感じている。あくまでも根拠のない私の推論でしかないが‥。
 解説によると賛は「鵜飼舟高瀬さしこすほどなれや結ぼほれゆくかがり火のかげ」(寂蓮・新古今和歌集)である。和歌に題材を取っているために余計視覚的なイメージが先行しているのではないだろうか。


「俳句世がたり」(小沢信男著)

2016年12月28日 12時02分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日病院に行ったついでに、足を引きづりながら横浜駅の有隣堂を覗いた。そこで購入したのが「俳句世がたり」(小沢信男、岩波新書)。みすず書房の月刊誌「みすず」に2010年から約7年の連載記事をまとめたもの。
 俳句をマクラにしたエッセイ。なかなか軽妙でおもしろい。「パウロ 十字架の使徒」(
青野太潮)と「漱石のこころ」(赤木昭夫)も触手は伸ばしたが、遠慮した。
 ブログに引用するのも面白いと思った。このような軽妙な文章というのは私にはなかなか書けない。
 真似をするのも勉強の内、かもしれない。「しなやかに世を斬る練達の筆」、そんなしなやかさが私にもほしいものである。ということで、これから読み始める。

年賀状作成終了

2016年12月27日 23時25分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 115枚の年賀状の作成終了。明日中には投函できることになった。失敗が6枚、予備が2枚。失敗が予定より多かったので予備が予定の半分以下になってしまった。

 明日の昼までには投函する予定。

 ウォーキングはダメというが、まったく歩かないわけにはいかない。家の中ではいろいろなものに手をかけて伝い歩きをするしかない。家を出るようなときは、近場ならば登山で使っている杖を使えば足の負担はかなり軽減できる。
 問題は遠出ができないことである。いろいろと悩みごとが増えてしまった。
 

半月板損傷か?

2016年12月27日 19時37分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日整形外科を受診して「半月板損傷の疑いが濃厚」といわれた。そして年内の診療がもう終了になるので「正月4日に検査も含めて治療したい。手術も含めて判断しなくてはいけないかもしれない。それまで安静にしてやむを得ず歩くときは杖を利用した方がいい」とのことであった。
 これは私にはかなりショッキングな診断である。ウォーキングは当然無理としても手術ともなれば最短3日の入院などが必要となるらしい。運動が可能になるには3カ月はかかるらしい。
 せめてレントゲン検査などの検査位は受けたかったが、明日以降他の医院かかっても年内の処置は難しそうなので、年末年始じっとしているしかないようだ。これが私には耐えられそうもないことである。

 夜のウォーキングもご法度とのこと。本日の夜は年賀状の印刷でもしながら、大人しくしているしかないようだ。

雨と風はおさまった気配

2016年12月27日 14時13分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜の雨と風は一息ついたようだ。風も10時40分過ぎに11.6mを記録したようだ。思ったよりも大きな数字にはなっていない。
 昨夜届いたハガキに返事をしたため、投函がてら横浜駅まで出かけてみることにした。ゆっくり歩いて様子をみながら、整形外科まで行けるだろうか。
 外はだいぶ明るくはなったが、すっきりとはしない。気温は予報より下回っているように思える。景色を見たり、ベランダに出た見た限りでは寒々しい感じがする。