メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

筒美京平からの贈りもの 天才作曲家の素顔@NHKスペシャル

2020-11-22 14:29:05 | 音楽&ライブ
歴代の作曲家の中でシングルの総売上枚数が第1位








みやじ:
♪あなたお願いよ〜
♪木綿のハンカチーフ
この曲もそうだったのか!って言う
知らないでいっぱい歌ってたし
知らないでいっぱい沁み込んでたと言うか



今回筒美と仕事を共にしてきた仲間たちが
ほとんど語られてこなかった創作の舞台裏を明かしてくれました

♪絵本の中で/クロディーヌ・ロンジェ

まだまだ知らない名曲も沢山あるなあ!


生涯を歌謡曲に捧げ
私たちに夢を与え続けた筒美京平の仕事を
もっともを間近で見続けた盟友が京都にいます

作詞家 松本隆
筒美と2人で送り出した曲は約400にのぼります


10月12日
筒美の死を受け、松本は SNS 上に追悼の言葉を綴りました






松本:
僕の言葉の羽というか、翼に乗せて
もう送らなくちゃいけないと思って
頭で書いたら駄目だなと思って
心で書こう
とにかく本当の気持ちを書いたほうがいいだろうなと思って






ツイート:
京平先生が亡くなったと太田裕美からメールが入った
兄と弟であり、ピッチャーとキャッチャーであり
そして別れなければならない日が来ると
右半身と左半身に裂かれるようだ

僕が京平さんからもらったものはありったけの愛
彼ほど僕の言葉を愛してくれた人はいない
ありがとう、京平さん

いつか僕も音符の船に乗り、天の園に舞い上がる日が来る
少しの間、待ってて
そうしたら笑顔で、喜んだり、怒られたり、哀しんだり、楽しく語り合おうね


♪スワンの涙/オックス


1966年 筒美京平 作曲家デビュー
筒美が歌謡界に登場したのは日本がビートルズフィーバーに沸いた1966年
若き作曲家が目指したものは
アメリカのポップスを歌謡曲に変換するということ






筒美作品の編曲家 草野浩二






草野:
洋楽を聴きまくってたよね
「あの人は洋楽のコピーだ」っていう噂も出たくらいで
ただコピーじゃないんだよ
それを取り入れて筒美京平流に料理している
そういうところにヒットの秘密みたいなものがあるんだと思う


デビューから2年後
♪ブルーライトヨコハマ で初のミリオンヒット
当時、「歌謡曲の革命」とも言われた筒美のサウンド
管弦楽器を贅沢に導入することで生み出される
ゴージャスで新しい響きに日本中が酔いしれました








ヒット曲を生み出す
それは生涯自らに課し続けた筒美京平の掟でした


メディアを遠ざけてきた筒美は
晩年、その信念を親交のあった音楽家に語った貴重な肉声が残されています


NHK FM ダブルDJショー 2008年1月3日オンエア 筒美京平と小西康陽

小西:
京平先生の曲って誰もが知っているのに
誰も筒美京平を見たことがない
都市伝説で何人もいるんじゃないか?とかね

筒美:
黒子みたいにいるべきだと
自分の持っている音楽を表明していくって感じが全然ないわけ
だからヒットすることがベスト
それに殉じる


70年代に入ると次々とヒットを飛ばし
日本の作曲家の頂点に上り詰めます

その楽曲には歌謡曲の常識を覆す
様々な仕掛けが隠されていました

(もうイントロが誰が聴いてもインパクトがあるような


筒美京平ヒットの法則1 パンチのあるイントロ

♪また逢う日まで





♪魅せられて/ジュディオング
針を落とした瞬間に溢れ出す音





♪夏色のナンシー/早見優





♪仮面舞踏会/少年隊





♪私の彼は左きき/麻丘めぐみ
(当時のアイドルはみんな個性的で可愛いなあ






ヒットを生むために筒美が仕掛けたこだわりは
歌詞と歌詞の行間の音作りにも注がれました

筒美京平ヒットの法則2 歌詞の間を音で埋め尽くす






筒美作品の編曲家 船山基紀:
いろんな歌の合間を飽きさせないように
次から次へと繰り出さないと
1曲に10曲くらいのアイデアを詰め込まないと
先生の OK にならないですよ


イントロや行間、編曲家が行う音づくりにも手を加えることで
独特なサウンドを作り上げていました


1973年
筒美はともに日本の音楽シーンを大きく変えることになる
一人の青年と運命的な出会いを果たします
ジーパンに T シャツを羽織った長髪の青年
24歳の松本隆






松本:
国立競技場のそばの彼の仕事場に行って
億ションです
「こんなに広い居間って僕は見たことがありません」ってw

この時2人は作曲家と作詞家として
初めてタッグを組むことになっていました

松本は日本語ロックを確立したとされるバンド
はっぴいえんどの元メンバー ドラマー兼作詞
解散後、作詞家の道を歩き始めた松本に声をかけたのは筒美でした






松本:
「趣味で音楽できていいね」て言われてw
「趣味で音楽って作っちゃいけないのかな」
僕は趣味でしか音楽を作ったことがなかったから
はっぴいえんどは売れ行きを無視してますから



自由を求める若き作詞家✕ヒットにこだわる職人作曲家

♪傘がない/井上陽水


船山:
世の中にシンガーソングライターとかフォークソングが多くなってきて
京平先生はその時代を捉えるために
その時代のアレンジャーだったりミュージシャンを起用していた
モチベーションをくすぐるような香りを探して
感じたかったんでしょうね、いつも






松本:
筒美京平っていう歌謡界の巨人と
どういう共同作業をしたら
これからの音楽を変えていけるんだっていう


2人が手掛けることになったのはデビューを控えた太田裕美
3曲仕上げましたがなぜかヒットに恵まれません






松本:
僕の目の前で太田裕美に吉田拓郎
「お前なんか売れないよ」って
「今に見てろよ」って心では呟いてw






ある日、松本はふとひらめいたアイデアを筒美に持ちかけます
これまで作曲の後に行うことが慣例だった作詞を
作曲の前に行いたいと訴えたのです


松本:
ちょっとメロディーに詞をつけてるだけだと
なんか世界が変わらない
詞を先に書くやり方で
それははっぴいえんどのやり方
ちょっと冒険させてくれって


3日後、松本が書き上げた歌は
後に2人の代表するヒット曲となる
木綿のハンカチーフ でした

詞は都会での人生をはじめる僕と
故郷に残った私のすれ違いが
それぞれの一人称で語られます

筒美に向けて松本が書いた文学的な詩の構造は
それまでの歌謡曲には見られないものでした
しかも詞は4番まで
型破りな長さでした



松本:
筒美との戦いの始まりです
戦争です ある意味
世代間戦争でもあるし
メインストリームと自分のいたサブカルチャーとの衝突です


松本の詞を受け取った日
百戦錬磨の作曲家は頭を抱えました

松本:
京平さんはふてくされながら
詞が長すぎるから曲がつけられないと言いたくて
ディレクターの白川さんを捕まえようと思ったんだけど
なかなか捕まえられなくて
たぶん午前3時ぐらいにあきらめて曲を作り出したらしいの
作り出したら
「すっごいいいのができちゃった!」


筒美は創作の苦労を一切語らなかった代わりに
この曲の大ヒットを予言したと言います

♪木綿のハンカチーフ は、86万枚を売り上げる大ヒットとなりました



当代屈指のロックシンガーをも身悶えるさせる名曲






宮本浩次:
最初、男性と女性の微妙なすれ違いみたいな
この掛け合いのところがすごく男の子が何か得意になって

でも♪いいえ、あなた…
優しさと…

(すごい考えてる

本当に可憐な女性が歌を歌っている…

(動きが止まったまま、すごい間
 もしや泣いてる?!

歌ってるだけで涙が出てくる







邦楽と洋楽の融合
現代のヒットメーカーは、その魅力を意外なものにたとえました






音楽プロデューサー・本間:
極上の味噌ラーメンw
元々のラーメンは中国の味付け
もしかしたら香港や上海で食べたら経験されたことがあると思うんですけど
ちょっと香りが日本人には強いかもしれない

でもそこで誰が考えたのか
日本的な味噌とラーメンを合わせた味噌ラーメンが出来上がって
これが一番発見だと思うんですよ
洋楽の美味しい所と日本の歴史的な部分を掛け合わせて作った


それは冒頭の1行目に象徴的に表現されているといいます

本間:
この5つの音だけを使うのをペンタトニックと言いますけれども
それで成り立っている

この5つの音階だけでメロディーを構成するのは
日本の歌謡曲などに見られる古典的な音使いでした

本間:
どうしても演歌チックな響きを持ってたりするので
ちょっと臭い音階なんですよね


しかし筒美はこの日本的な音階のメロディーに
ある洋楽的なエッセンスを加えることで
誰も聴いたことのない新しさを生み出しました

それは譜面に記されたコード
メロディーの主旋律を引き立たせるための
複数の音の組み合わせです








当時、日本的なメロディーには
3つの音からなる A のコードをあてるのが一般的でした
しかし筒美はそれにもう1つを加えた

A メジャーセブンスという
歌謡曲ではあまり使われていなかったコードを取り入れたのです
この小さな音の差による日本的なメロディーと
洋楽のエッセンスの遭遇が多くの人をとられたと言います

(実際聴くとすごい微妙な違いで私には分からないけど


本間:
このわずかな動きというものが
なかなか思いつくようで思いつかないですよね

聴く者を飽きさせない筒美の工夫は、随所にも散りばめられていました


本間:
♪探すつもりだ〜
一瞬それを差し込むだけで楽曲が光り輝く
それがセンスの象徴だと思います


かつてない構造を持った松本の詞と
筒美のメロディーの融合が
日本の歌謡曲の流れを大きく変えたのです






アイドル全盛となった80年代
あらゆるアイドルの楽曲も引き受け
次々とヒットさせていった

♪卒業/斉藤由貴








近藤真彦:
失礼ですけれども名前までは僕は知らなくて
ただ当日、うちのジャニーさんに
「筒美京平先生というとても大変な先生に会いに行くんだぞ」
と言われた時に曲を色々聴かされて
あの♪ブルーライトヨコハマ を作った
「そうなんですか!」と言った覚えがあります

その先生にピーンとピアノのコードを押されて
「これと同じ音 声で出してみな」
と言われたのを覚えています


それまで歌の経験が全くなかった近藤を
自宅に招き、度々レッスンをつけた筒美

歌声にじっと耳を澄ませていたと言います

近藤:
先生には非常にご心配をかけたと思うんですけれども
「近藤君は思うように近藤君らしさで歌うのがあなたの曲なんだ
 器用に歌おうとしちゃだめだ」

そういうことを教わりました
きっとそれ以上のことができないだろうなと思ってたんじゃないですかw


♪スニーカーぶるーす/近藤真彦
筒美が作曲、松本が作詞を手がけたデビュー曲
新人のデビュー曲として
史上初めて週間チャート1位を獲得するミリオンセラーとなります





筒美は歌手の経験が少ないアイドルの楽曲には
いつも以上に多彩な音をつけるようにしていました
歌詞の間に差し込まれるギターやコーラスが
歌を補い、豊かな表情を持つ楽曲へと変貌させるのです


近藤:
ギターがキーンと鳴くんですよね
ギターがすごく印象的で
僕にとっては宝物ですね


♪センチメンタルジャーニー/松本伊代





♪夏色のナンシー/早見優






♪抱きしめて tonight/ 田原俊彦
(私はどちらかと言ったらマッチ派だったかな






船山:
ものの見事に一人一人に全く違う曲を持ってきて
絶対にかぶらないことをお考えになる
それを音で本当に表現なさるので
すごいなと思いました


♪1986年のマリリン/本田美奈子






♪ブルージーンズメモリー/近藤真彦





近藤:
マッチのマッチらしさ=やんちゃらしさみたいなものを
きっとそこで生かせたらみたいな話があったんだと思いますけど
筒美京平で全部ヒットしたので本当に感謝しかないです


松本:
作詞家とか作曲家ってそんなに責任を負わなくていいんじゃない
いつも1位取らなくていいと思うけど
それは彼の持論と全然違くて
彼は売れるというのを自分に課してやっているわけだから
ヒット曲作りをすごいプライドかけてやってるから面白い
売れなかったら自分の作品としては失格みたいな



1980年代
コンピューターやシンセサイザーなどの技術革新によって
音楽の潮流が変わろうとしていました





RYDEEN /イエローマジックオーケストラ
(これもYMOの作曲じゃないんだ!驚


本間:
新しい音楽が生まれる時には
必ず新しい楽器の発展が絡んでいる

そういった時代の流れを先生は見逃さない

船山:
その頃とっても最先端だったニューウェーブ
ロックみたいなサウンドにしたいんだということをおっしゃって
ファッション、サウンド、そのかっこよさをぜひバントでやってみたい








C-C-B





ドラマーがボーカルであるという独自のスタイルで一世を風靡した
シンセサイザーや電子ドラムなどのデジタル機器を
いち早く取り入れて活躍したロックバンドです

しかし筒美が出会った頃はまだ無名
次が売れなければ解散やむなしという状態でした

歌謡曲で一時代を築いていた筒美は
この若者たちと新たな音楽を作ろうと考えたのです

松本:
京平さんはロックバンドを自分で育てるというのが
やりたかったことなんじゃないかな

六本木で打ち合わせをして
髪の毛が青や赤だったりして
一緒のテーブルにいるのが恥ずかしいなと思ったくらい派手な人たちw
でも、音楽的にはすごくしっかりしている


筒美が注目したのは
当時メインボーカルを務めることはなかったドラムの声
透明感のあるハイトーンの持ち主、笠浩二でした

笠の声ならデジタル技術に飾られたサウンドにも埋もれないと筒美は直感したのです


船山:
京平先生はアーティストの声質をとても重要視する
ただ綺麗なだけじゃなくて
何かちょっと引っかかりのある声
先生の中の感覚にリュウの声がとても響いた


筒美はリュウのために常識より2音高いキーでメロディーを作りました
ドラマーを主軸とする異例の試みに周囲は懐疑的でした





リュウ:
なんで俺をボーカルに選んだの?っていう感じなの
自分は自信がない人間だったから
自信を持ってドラムを叩いたり
歌ったりっていうのが全然できなくて

メンバーは自分が本当はセンターなのに
なんでリュウがメインを取るの?っていう
板挟みみたいになっちゃって 地獄だった

ドラムだけだったらいいのに
最後は泣きながら帰った時があったから


レコーディングに筒美も立ち会います
しかしハプニングが起きました
リュウが勝手にメロディーラインを変えてしまったのです

リュウ:
誰かロマンティック
止めてロマンティック
胸が胸が苦しくなる↑

そこを結構みんなに責められてた
「お前違うよ そこは上じゃなくて下」

メロディに手を加えたリュウに対して
筒美がかけたのは意外な言葉でした

リュウ:
筒美先生と通路で会って
「うん、これでいいよ
 自分が歌いやすい所で歌ってるんだからいい
 これが君のメロディーなんだから」って言ってくれた

44歳になっていた筒美
ヒット曲を生み出し続けるためには
若者の感性や才能が必要だと考えていた


リュウ:
ロマンティックのイントロをやっていて
筒美さんはもう少し違うものにしたかったらしいの
でもあのイントロを聴いただけで
僕が「これすごい! 絶対売れる!」
ってはしゃいでいるから
「彼がいいって言うんだからいいよ」


本間:
「若い人の感覚のほうが時代に合ってるんだよね」ということで
筒美京平と若手のミックスが出来上がってきた
新しい才能と一緒に新しい音楽を作りたいというのは
当時の先生の考え方だったと思う


完成した曲♪ロマンティックが止まらない
売上枚数51.63枚
この曲は80年代を象徴する歌の一つになりました


第36回 NHK 紅白歌合戦
解散間際まで追い込まれていた C-C-Bは
筒美との出会いによって
紅白への出場も果たしました






リュウ:
筒美先生は日本人が歌って
日本人が演奏するロックバンドを作ったから
そういうふうに伝えられたりとかすると
めちゃめちゃ嬉しくて


この4年後 C-C-B は解散
リュウは一人で音楽を続けました
しかしヒットに恵まれず
心身ともに病み、ギリギリまで追い詰められました

どん底のリュウを救ったのは1本のネクタイ
紅白出場が決まった時に筒美から贈られたものでした

リュウ:
「これ、おめでとう」っていう感じ
これを見て、筒美先生が俺のこといいよって言ってくれたんだよな

筒美さんが「もっと好きに音楽を楽しみなさい」って言ったから
自分が生きている間は一生懸命歌おうと思っている
歌えなくなるまで歌う






1960年代にデビューしてから日本の歌謡界を席巻し続けた筒美京平
ヒットチャートに筒美の曲がない週を探すほうが難しいとさえ言われました


筒美の最大のヒット曲となった♪魅せられて/ジュディ・オング








ジュディ・オング:
裏声にするか、地声にするか
そこですごくどっちがいいかなとお考えになっていました
今になってもつま先立って緊張して歌う歌ですね
さなぎから脱皮するかのように
筒美先生は私に歌手としての目覚めをくれた恩師だと思います


日本の歌謡界は筒美とともに進化したと言っても過言ではなかった

筒美作品の編曲家・藤田





藤田:
日本の音楽シーンの2歩も3歩も先を行っている
歌は世につれ世は歌につれという言葉がありますけれども
まさに世は筒美京平の歌につれだったんじゃないですか


1990年代 音楽シーンはめまぐるしく変化する
時代の速さに戸惑う筒美の肉声が残されていました


♪BOY MEETS GIRL/TRF


筒美:
びっくりした
我々みたいに職業作家の名前がベスト10からパッと消えた
本当にあっという間に消えた
日本の文化と言うか
そういうのが変わり目にきていたんだろうね

時代がいつでも先に行って
時代が作家を選んでいくということだなとつくづく思いました


ヒットチャートから遠ざかる中
時代に抗おうとする筒美の姿を松本隆は見ていました





松本:
「なんか老けたような感じがする」って言うからさ
「じゃあなんか今までやったことないことをしなよ」って言ってさ

京平さんはあまり運転は得意じゃないから
逆にポルシェ買っちゃいなって説得したら
マジで買っちゃって

「新車来たから見に来て」って言うから
行ったら真っ黄色でw
やっぱりこの人天才だなと思った


1994年 筒美はひとつの曲を書き上げた ♪人魚/ NOKKO





この時、筒美は54歳
もっと曲を頼んで欲しい
プレッシャーの中で名曲が生まれる

2700曲を世に送り出し
80歳で生涯を閉じた


筒美は最晩年まで曲作りを模索し続けていたと言います





筒美作品の作詞家・橋本淳
本当に世の中で愛されて成功したと思うんですけれども
自分でそれは素晴らしいとか思ったことないと思いますよ
「3年後はこうなって、5年後はこうなって」とか
そういうことをいつも考えている人で
必死でやっていましたね


日本の歌謡界がまだ若かった時代に出会った作詞家と作曲家
半世紀近くの歳月が流れました





松本:
京平さんに関しては心残りって全然ないよ
全て教わったし
会話もしたし
生きたしね
そういう意味では心残りはないね

もう1度会いたかったっていうだけ
もう1度会って話がしたいとか
手が握りたかったなぁとか そのぐらい

僕は会いたかったよ
手を包んであげたい


未発表曲
筒美が最晩年に制作した未発表曲が見つかりました

















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