「高き屋に登りて見れば煙立つ民の竈はにぎはひにけり」と仁徳天皇も歌ったが、煙が上がっている田舎の風景を遠くから見ると何となく平和な気分になり安心感が伴う。
今でこそカマドや囲炉裏で火を焚く家は多分皆無だと思われるが、子供の頃はどこの家でもそれが普通だった。
たなびく煙を見て気持ちが和むのは食とセットで身体の芯に記憶されているためかも知れない。

クンタン焼きは近所では殆んどが稲刈り直後に済ませてしまうが、我が家では大量に作るにもかかわらず例年スロースタートで、今年もようやく昨日から始まった。
農村の平和の象徴とも言える「煙のある風景」は今ではクンタン焼きと草焼きぐらいでしかお目にかかれなくなってしまった。
今でこそカマドや囲炉裏で火を焚く家は多分皆無だと思われるが、子供の頃はどこの家でもそれが普通だった。
たなびく煙を見て気持ちが和むのは食とセットで身体の芯に記憶されているためかも知れない。

クンタン焼きは近所では殆んどが稲刈り直後に済ませてしまうが、我が家では大量に作るにもかかわらず例年スロースタートで、今年もようやく昨日から始まった。
農村の平和の象徴とも言える「煙のある風景」は今ではクンタン焼きと草焼きぐらいでしかお目にかかれなくなってしまった。