先月急逝した多賀城の叔父の葬儀は、コロナ騒ぎの渦中でもあったことから
純粋に家族のみで行われた。
歳の離れた兄弟以上の親交があった叔父に「別れの挨拶」が出来なかったこ
とから、月命日の今日、市野々と中里の叔母と一緒に多賀城の自宅を訪問し、
笑顔の遺影が飾ってある仏壇に線香をあげ手を合わせた。

叔母からは次のような話しを聞くことが出来た。
・腰痛の原因が癌だったことに本人も気付かないまま、手遅れとなった。
・コロナ渦中のため50日余の入院中は一度も面会出来なかった。
・臨終の日にようやく面会可能となったが会話が出来る状態ではなかった。
それでも声を掛けると微笑んでくれ、最期は僅かに手を振って旅立った。
・入院中孫娘が作った手作りのお守りをずっと握りしめていた。
・逝去後約一週間、相思相愛の孫娘の前に亡霊として現れ続けた。
結婚間もない孫娘に曾孫の誕生を期待したのかもしれない。

(火葬の際に一緒に持たせてやれなかった手作りのお守り)
帰路、鳴子温泉峡の紅葉見物を試みたが既に終わっていた。
それでも、95℃の源泉を加水せずに利用している中山平温泉「しんとろ
の湯」に浸ることが出来て叔母達も大満足だった。
