霜後桃源記  

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学法石川佐々木監督  その一

2020-03-13 20:22:59 | 仲間

高校野球ファンでもあるバド仲間の中川さんから、佐々木監督の記事がネットに掲載されているとの
情報が入り、読んでみて驚いた。
「選手の自主性を尊重している」と本人から聞いてはいたが、これほどまで徹底しているとは受け止
めていなかった。

若い頃から「傑出した人物」と思っていたが、改めてその偉大さを再認識させられた内容だったので、
少し長いが全文を紹介したい。


(先日お逢いした際に頂戴した佐々木監督の名刺の裏面)

「現代ビジネス」 元永 知宏(スポーツライター)3/12(木) 11:01配信

「体罰ゼロ」で甲子園29勝、仙台育英の元監督が放任主義を貫くワケ

高校野球といば、体罰や暴力がつきもの…そんな印象を持っている人は少なくないだろう。そんななかにあって、
強豪校・仙台育英の元監督である佐々木順一朗氏は「放任主義」を貫いてきた。『野球と暴力 殴らないで強豪校に
なるために』(イースト・プレス)を上梓したスポーツライターの元永知宏氏が佐々木監督に、そのスタイルにこだ
わる理由を聞いた。

「暴力一切なし」佐々木順一朗による野球

仙台育英(宮城)を率いて甲子園に19回(春6回、夏13回)出場し、通算29 勝を挙げ、2019年秋に還暦を迎えた佐々木
順一朗は、ずっと暴力なしで指導を行ってきた。それは、選手のときに理不尽なしごきを経験したからだ。
東北高校(宮城)時代にエースとして2度甲子園に出場したが、早稲田大学に進む前に肩を痛めた。「満足にキャッチ
ボールもできなかったくらいで、大学4年間はドブネズミみたいなもんでした」と佐々木は大学時代を振り返る。

「僕はいるんだか、いないんだか、みたいな選手でした。でもそのおかげで、日の当たらないところにいる選手の
気持ちがよくわかるようになった。高校生を指導しても、 『なんでできないんだ? 』とは思いませんから」

大学卒業後に電電東北(現NTT)に入社、1993年に仙台育英のコーチになったあと、1995年秋に監督に就任した。
「僕は高校でも大学でも、殴られた経験があったので、そういうのは全部やめて、楽しく野球をしたいと思い
ました。
教え子たちに聞いてもらえばわかるけど、そういうのは一切なし。初めからずっと。自分がやられて嫌だった
ことは全部やめました」

仙台育英は東北をリードしてきた強豪校だが、選手のスカウトはしないという方針を貫いた。

「ただ入部希望者はたくさんいるので、それは受け入れました。いろいろな選手がいたことは事実です。クセの
あるやつ、少々問題のあるやつもいました。でも、そういう生徒も『仙台育英で野球をやってよかった』と言っ
て卒業してくれればいいと思ってましたね」

「放任主義」と批判されようと

おそらく佐々木ほど「放任主義」の高校野球監督はほかにいないだろう。「自由でいい」という声もある一方で
「あそこは緩すぎる」と他校の指導者から見られることもあった。
30年近い監督経験のなかで、何度も不祥事による謹慎処分を受けている。春のセンバツで準優勝した2001年秋
には、7月に起こった不祥事(部員の暴力事件)を報告しないまま夏の甲子園に出たということで、監督を辞任して
いる(2003年春に復帰)。2017年12月には、部員の飲酒、喫煙問題が発覚。その責任を取って監督をやめ、翌年3月
限りで高校も退職している。

「苦しいこともたくさんありました。退職の際には、『監督の仕事までやめるなよ』と励ましてくれる他校の
監督さんもいました。確かに、なんでもかんでも選手が起こした問題の責任を取るというのは、つらい面もあ
ります。
でも、基本的に生徒に全部任せました。グラウンドでも寮でも、選手たちの自治に委ねた。もちろん覚悟を
決めて、『何かあったら、俺が責任を取るからな』と言っていました」

2001年秋に一度監督を退いた佐々木は、順天堂大学の大学院で学び直している。他競技の指導者から刺激を
受けながら、研究論文を読み漁った。野球の現場から離れたことで、たくさんの発見があった。
「2001年のセンバツで準優勝したころまでは、もちろん殴りはしなかったけど、かなり厳しい練習をやらせて
いました。
キツい言葉をぶつけることもありました。だけど、2003年に復帰して以降は、もう全然です。そういうのは
一切やめました。

野球の世界でも、歴史をつくるのは勝者です。だから『勝たないと』とは思いますが、順天堂の大学院から
戻ってきたときに目標を全部変えました。勝つとか、全国制覇というのを排除しました。正直、勇気はいり
ました。そのときに浮かんだのが 『いい親父になれ』でした。毎日がいい親父になるための修行です。

この目標に向かって全員が頑張る。たくさん失敗したほうが将来、子どもの相談に乗るときに役に立つ。
『恥ずかしくない人間になれよ』というメッセージですね。どうしても、人間は陰で悪いことをしたがる
ものですが、そういうことがなくなるだろうと」

選手の自主性を信じる「総務部総務課総務担当」

佐々木は監督である前に、ひとりの等身大の人間として選手と接するようになった。
「監督だからといって、構えることもやめました。そもそも僕はけっこういい加減な人間なんですけど、
それをそのまま出すようにして。飲み会で練習を早めに抜けるときには正直に言うし、ゴルフに行くと
きは『ゴルフでいなくなるけど、大丈夫? 俺は遊びに行くから、みんなも休んでいいよ』と言って」

佐々木の指導方針は「選手の自主性に任せる」。これを徹底した。

「不思議なことに、チームが前よりも勝つようになったんです。強くなったわけじゃないんだけど、
あきらめなくなりました。実際、僕がチームを強くしたという感じはまったくない。生徒が勝手に強く
なっている」
2003年に佐々木が監督に復帰して以降、辞任するまでの14年間で、仙台育英は甲子園に12 回出場し、
20勝12敗。2015年夏は準優勝、2017年夏はベスト8まで進んだ。

年齢を経るごとに貫禄がつき、大物感の増す監督もいるが、佐々木は驚くほどに自然体だ。

「高校野球の監督は、〝総務部総務課総務担当〞になるしかない。10年間サラリーマンをやった経験
からそう思っています。カリスマになんか、なる必要がない。みんなの仕事がうまく回るようにする、
陰の存在でいいんです、目立たなくても。
一方で、広報としての役割もあって、対外的な〝顔〞になるときはある。だから、あいさつや笑顔が
ものすごく大事なんですよ。生徒にもよくそう言います。『営業マンは鏡の前で笑顔をつくってから
商談に行くんだぞ』と。僕自身、笑顔をつくれと言われればそうするし、バカをやれと言われれば
バカになります」

かつては監督が指示を出し、選手はそれにただ応えて動いていた。しかし、時代は大きく変わった。

「絶対君主の時代というか、カリスマ監督がいたときは、発言や指示の説明がいらなかった。いまは
そうじゃない。生徒ひとりひとりに説明してあげなきゃいけない。どうしてベンチに入れないのか。
試合に出られないのか。
僕のポリシーとして、誰を選んで誰を落としたか、その選考理由をみんなの前で説明しています。
そうしないと、チームのなかでひずみが生まれるから。説明不要の時代から、説明〝要〞の時代に
変わったと思うんですよ。だから、ひとりひとりが納得できるように話をします。生徒はそれぞれ
理解度も違うので、毎日、ひとりひとりに理由を説明して回っている感じですね」

高校野球では珍しい〝総務担当型の監督〞である佐々木は、いまだに残る暴力についてどう考えるのか。

「野球に暴力は必要ないと思ってずっと指導しているので、いまさら暴力追放などとは思いません。
人間は怒られたり恐怖を感じたりすれば、身がすくむし、体が硬くなる。その状態でいいパフォーマンス
ができるはずがない。僕が目指すところはストレスフリーなんです。大事な場面で、『この1球! 』と
いうときには、ストレスフリーで臨んでほしい。
『いまが楽しくてしょうがない』という状態でプレイしてほしい。チーム全体がそうなれるように心がけ
ています」

エラーしても笑顔、打たれても笑え

2018年3月に仙台育英を離れた佐々木は、同年11月に学法石川(福島)の監督に就任した。
「就任してすぐの春の練習試合は、ほとんど負けました。それでも全部、笑顔でやりました。生徒には、
『当たり前の反応は赤ちゃんでもできる。エラーしても笑顔、打たれても笑え。努力しないと前向きにな
れないぞ』と言いました」

佐々木は選手たちに「髪の毛を伸ばしてもいいよ」とも言った。

「僕は何十年も前から、ずっと生徒にそう言ってきました。だから、仙台育英は丸刈りじゃなかったんで
すよ。髪が長い、短いかは、本当はどっちだってよくて、伸ばしたら進歩的だとか自由だとかいうもので
もない。仙台育英が春のセンバツで準優勝したとき、生徒はみんな髪が長くて。賞賛の声もあったんです
が、お叱りの手紙もたくさん届きましたよ。

着任早々、生徒に『どうだ、伸ばしてみないか? 』と言いました。学法石川ではこれまでやったことが
ないから、OBやまわりの人から批判されるかもしれない。もし髪の毛を伸ばして負けたら、もっとキツい
ことを言われるでしょう。それも含めて『覚悟して、やってみたら? 』と。最初に生徒が選んだのは
坊主頭です。
それがいまでは丸刈りをやめています。どちらでも、彼らが選択したんだから、それでいいんです」

10代半ばから後半にかけて暴力を受ける経験もした佐々木は、指導者として独自の道を歩んでいる。選手の
自主性を重視する佐々木の指導法に対して「あまりにも自由すぎて、こちらが心配になるほど」という声を
強豪校の監督から聞いた。

ルールで選手を管理するのが〝常識〞である高校野球では、間違いなく異端の指導者だ。事実、何年かおきに
不祥事に見舞われてきた。だが、それでも佐々木は、「全部、俺の責任」と覚悟を決めてここまでやってきた。
還暦を迎えたいま、新天地の学法石川でその指導方法をさらに進めていくことだろう。就任直後の2019年春の
福島大会では、準決勝でサヨナラ勝ちし、準優勝した。春のセンバツ出場がかかった2019年の秋季大会では、
強豪・聖光学院(福島)を相手に、7回コールド勝ちという番狂わせを演じた。準々決勝で敗れたため、センバツ
出場は叶わなかったが、佐々木の笑顔がまた甲子園で見られる日はそう遠くないかもしれない。
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