安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
昼前から降り始めた雨が夜まで降り続いた。
甲子園の高校野球が順延になるぐらいの雨が当地でも降るものと思われた。
後山で堆肥撒きの予定だったが、変更して軒下で作業ができる「薪割り」に専念した。
これまで「多賀城の叔父任せ」だったので気が付かなかったが、一本一本が太くて重いので
「薪割り」も意外と重労働だった。
出来上がった薪は薪小屋にも並べ始めた。
いずれこの小屋も満杯になるので耕作予定の無い一号ハウスの一部を薪置場として活用する
ことにしている。
晩秋から冬にかけて収穫する白菜、ダイコンそれにカブの畑は当然のことながら
「秋掘り」は出来ない。
好天続きと春の「やや強めの風」が畑を乾かしてくれるのを待って「春の耕耘」を開始した。
いつの間にか夜明けも早くなり厳しい寒さも和らいで来た。
休業中だった本格的な「朝仕事」を今朝から再開した。
市野々の畑で年を越したバックホーがようやく後山に移動した。
バックホーのこの冬の最大の使命は坂道の拡幅工事だった。
昨年の10月、ジイチャンの事故死直後に私もトラクターの横転事故に遭った。
命に別条が無かったのは「いきなり男手が皆無になるのは気の毒」と神様が配慮してくれたものと
受け止めていた。
救出に来たクボタの営業マンから「こんな狭い道を利用すること自体が自殺行為」と批判された
坂道だった。
(転落事故を防止するため左側の土を厚く盛った)
後山には他にも四カ所ほど「自作の危険な坂道」があるので、同様の拡幅工事を行った。
そんな土木工事が半日程度で終わるのだから「バックホー様様」と讃えなければならない。
多賀城の叔父は腰痛と闘いながらも八日間頑張り通し今日が最終日となった。
お陰で「薪切り」と「薪割り」は積滞分の半分ぐらいが解消した。
叔父の仕事の進め方は私とは違っていた。
写真右のように叔父は玉割りした薪を綺麗に並べ、運搬車で薪置場に運ぶ際も同様に並べ、
薪置場でも綺麗に並べる。
私の流儀は「並べるのは薪置場のみ」なのでそれまでは「山積み」状態となる。
見た目は叔父の方が優るが「効率性」の観点からすると私流が数段優ると思われたが、
事故防止のためにも叔父の「仕事の流儀」を尊重した。
叔父は来月上旬の「土入れ」と「種蒔き」に備え今月末に再度応援に駆けつける。
叔父の仕事確保のため「薪作り作業」はそれまで一旦休止としたい。
一昨年はバアチャン、昨年はジイチャンと連続して逝去してしまった。
ジイチャンが事故で急死後、数カ月間は「いつも居る人が居ない」という寂しさがあったが、
時間の経過と共に「居ない」ことが普通になった。
一時は、消した筈の部屋の電気が点いていたり逆に点けていた電気が消えていたりと摩訶不思議な
事象も発生して「気持ち悪がったり」もしたが、それも今は無くなった。
春の行事となっていた家族総出の種蒔きや苗箱並べがつい昨日の事のようでもあり遥か昔の事の
ようでもある。
彼岸の入りの今日、そんな父母の在りし日を偲びながら墓参りを済ませた。