一昨年はバアチャン、昨年はジイチャンと連続して逝去してしまった。
ジイチャンが事故で急死後、数カ月間は「いつも居る人が居ない」という寂しさがあったが、
時間の経過と共に「居ない」ことが普通になった。
一時は、消した筈の部屋の電気が点いていたり逆に点けていた電気が消えていたりと摩訶不思議な
事象も発生して「気持ち悪がったり」もしたが、それも今は無くなった。
春の行事となっていた家族総出の種蒔きや苗箱並べがつい昨日の事のようでもあり遥か昔の事の
ようでもある。
彼岸の入りの今日、そんな父母の在りし日を偲びながら墓参りを済ませた。
ジイチャンが事故で急死後、数カ月間は「いつも居る人が居ない」という寂しさがあったが、
時間の経過と共に「居ない」ことが普通になった。
一時は、消した筈の部屋の電気が点いていたり逆に点けていた電気が消えていたりと摩訶不思議な
事象も発生して「気持ち悪がったり」もしたが、それも今は無くなった。
春の行事となっていた家族総出の種蒔きや苗箱並べがつい昨日の事のようでもあり遥か昔の事の
ようでもある。
彼岸の入りの今日、そんな父母の在りし日を偲びながら墓参りを済ませた。