穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

荷風の読書日記

2023-10-14 13:12:20 | 書評

荷風の日記は来訪者あるいは飯を一緒に食った人の名前、場所それらが読書日記が主要な内容をしめる。他人の文章で一番多いのは江戸時代の漢文(墓碑銘を含む)、それからフランスの書籍が多い。

フランスではもちろんモーパッサン、ゾラ、ジッドが目につくが、その他では無名の(或いは私の知らない)作家の作品が多い。おそらく同時代の作家だろう。たえず、フランス文壇の時流に関心があったようだ。

アメリカの作家もみられる。荷風は銀行員としてニューヨークに滞在していたし、その関係で実業界との交友があった。それらの友人がアメリカの最近の事情を報告していたらしい。

前に読んだ作品でタイトルは思い出せないが、ハードボイルタッチの作品もある。おそらく実業界の友人が「こんなのがアメリカで流行っているよ」と雑誌を持ち帰ったものらしい(ブラックマスクあたりか)。それを模倣したのか、ごく短い作品で駕篭かき風のタクシー運転手とキャバレーの女給を思わせる女とのトラブルを描いている。ハードボイルド・タッチはこの作品一つだとおもうが、

 


いまさら何ですが

2023-10-13 14:30:26 | 書評

食わず嫌い、というのではないが、有名な小説で長年の間読む気がしなかったという小説があるものだ。理由は本人にもわからない。書店で思いついて引っこ抜くがまた棚に戻してしまう。

なにか、作者に反感があるというわけでもない。伝え聞く内容が気に食わないというわけでもないのだが。

そういう本の一つにスタンダールの「赤と黒」がある。大抵の人なら読書経験の浅いうちに読んでしまっているものだろう。ところが私の場合、上に述べたような事情で読んでいないのだ。

岩波の荷風全集の断腸亭日乗全七巻をどうやら読み終わって、口(目)寂しい折からか、今日、本屋で新潮文庫の赤と黒を買った。上下巻で千ページ近くある。だいぶ持つだろう。


版権のとらぶるか

2023-10-11 16:15:43 | 書評

岩波版荷風小説には戦後の作品が四編しか採用されていない。最晩年はともかく、短編が主とはいえ、断腸亭日乗によれば戦後多くの作品を発表しているにも関わらず四作品しか採用されていない。

採用される質が劣るというなら何らかの言及があって然るべきである。」普通作家の全作品リストがあり、作品の年譜があるがそれもない。

考えられるもっとも有力な説は版権の問題で収録できなかったのであろう。終戦直後の混乱期で各出版社、雑誌に発表されたものは版権がはっきりしない、あるいは紛糾があるという理由しか考えられない。

晩年の作品は不可欠だ。傾向、筆力、などの観点から網羅的に収録するのが良心的である。出来なければその理由を明記するのが岩波の義務である。


永井荷風は豪脚だった?

2023-10-10 17:31:46 | 書評

さて、太平洋戦争が激しくなり(アメリカに攻めまくられて)荷風は麻布のペンキ館を焼け出され、中野のアパートも焼け出され、明石の寺に身を寄せたが、そこもアメリカ軍の空襲で焼け出された。こんなに空襲で避難する先々で続けざまに被災するのも珍しい。

そして、敗戦、帰るところのない荷風は仮住まいを転々とする。その事情や社会の経済状況などが昭和二十四年ころまで続く。それはそれで読める。世相の変遷の記述はそれなりに読ませる。さて、二十四年になって、またまた浅草の劇場で自作の上演が始まり、連日連夜の浅草がよいが復活する。昭和十年ころのように。

日和下駄があるように荷風は散歩好きである。そういえば、ちょっと私が興味をひかれたことのある、おーすたーもニュウヨークを歩き回るが、荷風も散歩好きである。ちょっと病的である。

それでこんな風な記述が多い。相当はなれているところで、たとえば、「小岩浅草辺を散歩」みたいな記述がある。相当な健脚でないと歩けない。もっとも小岩でちょっと電車を降りて付近を散歩し、また電車にのって浅草にいって散歩したというならわかるが、小岩浅草辺を散歩というと小岩から浅草まで歩いたととるだろう。超人的な健脚である。それが70歳を過ぎてからの話である。

どうなんだろうね、

 


買ってすぐメモリーが足りません?

2023-10-08 08:28:54 | 社会・経済

まだ、インターネット検索しか使っていない。そんでもって、成功したのは3,4例。

それなのに、メモリーが足りませんだと、耳をいや、目を疑ったね。そんな売り方があるのか。

 


メニュがなっていない

2023-10-08 07:52:16 | 社会・経済

パソコンについてもいえることだが、メニューかなっていない。

メニューは系統樹のように整理配列してあるのが理想である。スマホはこの点が

なっていない。これは大なり小なりウィンドウなどのパソコンについて言えるが、

PCは自分の領域に習熟すればあまりメニューをたどっていくのに苦労はしない。

スマホにも慣れで問題はあるいは解決するのかもしれない。しかし、まだ乏しい経験からすると

それは「しちゃかめちゃか」である。

それとやたらとソフトのダウンロード画面があらわれる。ある程度特殊な場合はしょうがないが、

スマホでは何かやろうとすると「ソフトをダウンロードしろ」と画面が出る。パソコンにはこういう画面が出てくると、用心して一切応じないのだが、スマホでは素直にダウンロードしないと

そこでスタックする。馬鹿にするなよ。こういうご時世でそんな誘いにひょこひょこ乗れるか。

また、ちまたにはスマホの解説書が溢れているが、この混乱を助長するばかりだ。こういう解説本は買ってはいけない。全然助けにはならない。

性悪女を小突きまわしてそのうちに偶然あたりがくるようなものだ。

 

だからスマホに習熟するには、とんまな悪性女を小突きまわして、そのうちに勘所を見つけるしか方法がないのだ。嗚呼。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


スマホ導入体験記ー2

2023-10-01 10:00:59 | 社会・経済

ところでアップルのスマホはどうなっているのかな。

相変わらず指入力かな。入力というが、実際には出力ね。情報が入ってくるのが入力とすれば、情報を送るためにmsgなどを作るのは出力といわなければならない。そうだべ?

入力と出力はその重大性でおなじ比重を持つ。とすればだ、いくら入ってくる情報が増えてもかたちんばだ、

おっといけない。禁止用語を使ったかな。

アップルのスマホはどうなんだ。やはり指入力なんだろう。こういうところはすぐ真似をするからな。真似をしないところを見ると「指入力なんだ」

スマホはすり養成機械だぜ。もっとも指先を訓練すれば、おんなタラシのためにもなるかな。

どうりで最近、達者な若い女が増えたね。

補足訂正 十月四日

スマホにもquery入力という選択肢があるんだね。実際には小さくて使い物にならない。

それに説明書には書いていない。画面を注視していたら見つけた。ようするに実際には無いとおなじであある。うるさい人がいるといけないので補足しておく。

 

 


スマホ購入記ー1

2023-10-01 06:25:16 | 社会・経済

スマホを持っていないと損をしそうな世の中になった。錯覚かもしれないが。

それで安いスマホを買った。一万五千円。馬鹿に安いので「腰が引けた?」、最初から疑念をもった。

それで早速失望した。相変わらず親指入力だ。この入力方法が進歩しない限りスマホの

進歩はない。あまり安いので量販店で故障した中古を売りつけられたと思った。いろいろ能力は付加されたが、一番肝心な入力方法が十年、あるいは二十年以前から進歩していない。

また、マニュアル通りにやっても途中でスタックする。


荷風の断腸亭日乗

2023-09-28 08:13:19 | 書評

どうも昭和十二年ごろまでは興味が持てない。最初のころは歌舞伎界との交流が毎日に記述で、それもどこで飯を食ったとか、誰と会ったかという一日二、三行の記述で興味がわかない。それに、秋庭太郎の伝記では交友範囲の具体的人名が一切ない。これはのちの伝記を通していえる。これは致命的な欠陥である。

ぷらいばしーへの配慮があるのだろうが、荷風の記述が「誰それと飯を食った」という記述にとどまっているから、そういう配慮を必要としない。まれに配慮を必要とする人物が出てくるが、その個所はしかるべき書き方があるだろう、職業的売文家としては。

昭和初年になると歌舞伎界との付き合い記述が一変して変名?の人物との銀座界隈での会食の記録の連続連日であるが、これも無味乾燥である。もちろん女出入りも記録しているが興味をひくものではない。この変名が誰であるかがわかれば興味が持てるかもしれない。秋庭太郎の伝記でもその辺の記述は全くない。したがって興味が持てない。交友関係が一変しているらしいので。これらの人物が誰であるかが分からければ全く無意味な記述である。

昭和十年前後になると、一年以上にわたって浅草の小劇場で自作の上演の経緯が中心となる。これも正直言って興味が持てる書き方ではない。しかし、連日連夜夜明けま舞台台稽古に付き合ったり、けいこが終わった後女優や、踊り子たちを引き連れて飯を食ったり、吉原に上がったりの記述が延々とつづく。はっきり言ってモノトーンである。

昭和十年以降になると険悪な、政治情勢や軍部横暴に対する荷風の嫌悪、批判が多くなり、やや読めるようになる。ひっ迫する日常生活の具体的記述が多くなり、読める。

これは昔所読した時の記憶であるが、このころから戦争末期、終戦直後の混乱の「体験記」は「読める」

 


広さの比較単位

2023-09-23 08:52:41 | 無題

テレビなんかでよく後楽園球場、ビッグエッグとかいうんだろう。それみたいに広いというのが常套句になっているが、いまもテレビでやっていたが、あのドーム球場はちっとも広くない。

東京競馬場みたいに広いと表現すれば分かるけどね。ぱかの一つ覚えでやられるとしらけちゃうんだよね。

おそらくテレビのアナウンサーの田舎にはああいう人工の建造物はないから、広い広いと感心するのだろうが、噴き出してしまう。


公募小説の慣習

2023-09-21 08:02:10 | 社会・経済

日本では小説(アニメ原稿でも)募集要領に、公募原稿は返却しないと一方的に書いてある。

京アニの犯人の不安にも一理ある。自分の原稿が記憶の中にしかないならあんな風に考えやすい。

アメリカでは公募原稿は落選であっても必ず筆者に送り返す。それもコメントをつけて返すのが普通の礼儀である。日本の高飛車な業者特権をかさに着た公募要領のほうが異常である。

誤解に無いように言っておくがね、「不安」が理解できるというので「放火」が理解できるというのではない。日本ではこう分かり切った「ことわり」を入れないと何が起こるか分からない後進性があるのでね。

 


新聞の進歩

2023-09-21 07:47:35 | 社会・経済

読者の側から新聞界の変化を総括しよう。

まずハードウェアから:

指にインクが付かなくなった。進歩

紙の質がなよなよして腰がなくなった。昔は新聞紙はパリッとしていてめくりやすかった。それが期待感にもつながった。今は腰がなくておまけに神と紙がくっついて容易にめくれない。退歩

値段が理解できない。高すぎて、ちゃんとした理由があるのか。

三面記事がなくなった、つまらなくなった。いわゆる社会面というか、あまり高尚ではないが、新聞の特徴だった。現代ではテレビ、週刊誌に完全にさらわれてしまった。いま、社会部記者なんて種族がいるのかな。

広告;値段の上がる割には広告紙面がお粗末で汚らしくなった。朝日新聞の唯一の取り柄は広告のきれいなことだったが、最近はアサヒもひどい。スーパーのチラシと同じだ。

記事内容について、言わないほうがいいだろう。ハードウェアの低下以上である。

 


昭和八年夏早くも防空演習

2023-09-08 12:44:10 | 書評

昭和八年というと満州事変の翌年であるが、夏に早くも銀座あたりで防空演習が行われている。

まだ日本の国際連盟脱退前だと思うが、軍部ではアメリカ軍の帝都空襲を予想していたらしい。

一応先の先まで読んだ布石だったのだろう。荷風の日記によると銀座はお祭り騒ぎの人出だったらしい。

断腸亭日乗昭和八年八月連日防空演習


荷風日記昭和七年十二月六日

2023-09-07 19:02:48 | 書評

断腸亭日乗・昭和七年十二月六日:

「陸軍士官軍服のままにてカフェまたは舞踏場に出入することさらに珍しからず」

大正末から昭和初年までは内外の軍縮ムードで職業軍人は軍服を着ては街中を歩けなかった。国民から「税金泥棒」とののしられたからである。ところが満州事変で連戦連勝すると、様子が一変したのである。「兵隊さん(将校のことである)ありがとう」というわけだ。軍服を着て女遊びがおおっぴらにできるようになった。

なんか、サッカーやバスケットで国際試合に勝つと気が触れたように熱狂する放送解説者や視聴者に似ているようで怖いね。


悪書秋庭太郎「永井荷風伝」

2023-09-03 06:59:10 | 書評

漢詩といっても広うござんす。文字通り古代漢の時代から唐代、モンゴル支配の清国のまで。

荷風が好んだのやや近代感覚の現れた清国の時代の詩らしい。荷風は外国語大学の清国科に学んだ。清国滅亡の寸前の時代だ。

秋庭太郎の永井荷風伝によると、荷風の漢詩はめちゃくちゃに批判されている。該書300ページあたり。しかし荷風は漢詩を売りにしていたわけではない。彼の発表した漢詩は多くはないが、文筆家として一家をなした後でも、必ず少年時代から師事した漢学者の校閲を得て発表している。第一荷風自身が昭和五年二月十四日の記に「余満腔の愁思をやるに詩をもってせむと欲するも詩を作ること能わず。わずかに古人の作を抄録して自ら慰む。」とある。

秋庭の文意は荷風が自覚なしに出鱈目な漢詩をもてあそんだ、という調子であるが、これをもってするにこの伝記は眉唾ものであろう。これは何とかいう文学賞を取った作らしい。憐れむべし、笑うべし。

さて、該当の断腸亭日録は昭和に入ってから文章に潤いが出てきたようだ。