穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

Z(2)章 オレの知らないドイツ語はない

2017-02-22 07:14:53 | 反復と忘却

三四郎にとって父の存在感は希薄だった。だかといって父と離れて住んでいたわけではない。同じ家で暮らしてはいたのだが、ある時期までは父の記憶が全くない。無理をして思い出そうとすると、それは畳の上に正座して尺八を一生懸命に吹いている姿であった。いかにも苦しそうにいきんで音を出そうとしている。しかし結局あきらめてしまう。そうかと思えば、きれいに掃除をした畳の上に小さなごみでも落ちていると目ざとく見つけてすばやく腰をかがめて指でつまみあげる姿である。

 それがある時期を境にして目の前に立ちはだかる力士のように存在になった。彼にとって脅威となった。三四郎にとって大きな脅威として立ちはだかったのである。それは小学校の終わりか中学生になった頃であった。彼とは一回り以上年の離れた異母兄がいたが、兄が口癖のようにいっていた「お父さんは一緒に暮らすのは難しい人」になったのである。

 兄の言うところによると、それはやはり兄が十二,三歳のころかららしい。つまり息子が大人になりかけると父にはそれが非常に目障りになるらしいのである。普通は子供が成長するのは親の楽しみであるはずなのに、父には非常に目障りなことらしいのだ。

 そういえば、そのころ急速に身長が伸びて背の低い父を追い越したのである。それが癪に障った可能性があるのかもしれない。父は自分の短躯にコンプレックスを持っていた。父は妻運がないというか最初の二人の妻とは死別してしまって三四郎の母は三人目なのだが、母は父より背が高い。三四郎はもちろん前の妻たちのことは知らないのだが、兄の言うところによると彼女たちも皆父より背が高かったらしい。兄はぐれていた学生時代に「三人の母」という小説を書いたそうだが、優生学的配慮があったらしいと言う。

 優生学的配慮の結果である息子たちの身長がいざ自分を追い越すと理屈抜きでむかついた。何事にも負けず嫌いな父は我慢が出来なかったらしい。そういえば、思春期は知的にも飛躍的に成長する時期であるが、それがまた父には気に食わなかったようだ。自分の父親としての権威をないがしろにする許せないことと受け取った。

 三四郎がショックを受けたのは、当時父に質問したのか意見を求めたのか、好奇心が旺盛になった時期で、質問が何だったかは忘れてしまったが、父に質問すると彼は必ず「そんなことを考えるのは邪道だ」とどやしつけるのである。子供でもそのころになれば幼児が際限もなく「何で何で?」と見境もなく親に聞く時期はとっくにすぎている。そんなにおかしな質問をしているわけでもないのに、見境もなくいきなり「邪道だ」と言われて唖然としないわけがない。

 車夫馬丁の類の無知な人間ならともかく父は世間ではひとかどの学者として尊敬されていた。それだけ三四郎のショックは大きかった。とにかく、息子には「知らない」ということが言えない性質であったのだろう。父の口癖の一つに「オレの知らないドイツ語はない」というのがあった。

 「負けず嫌いなんだな」と兄は笑った。「息子に追い抜かれるということには恐怖心を持っているんだ」と兄は言った。二十近く年が上の兄は父の若いころを知っている。また父の実家と父との間の長年の確執も見聞きしているらしく、「それがオヤジの若いころのトラウマになっているんだ」と三四郎に話した。

「どういうこと?」と聞くと

「おやじが田舎の実家や本家と大喧嘩をして東京に出てきた時に大変ないきさつがあってね。自分が父親になると今度は逆に息子たちに同じことをやられるんじゃないかと警戒しているんだ」

「下剋上か、うちは田舎では分家なのか」

「そうらしいな。オレも親戚から聞いた話だけどね。とにかく、とにかくオヤジがいまでは親戚の中では一番の出世頭というわけさ」

「それじゃオヤジのかたくなな態度は理屈じゃないわけだ。道理で充足理由率は通用しないんだな」

 兄は怪訝な顔をした。「なんだ、ジュウソクリユウとかいうのは」

理工系の兄には通用しないわけだ。その当時哲学科にいてショウペンハウアーにまいっていた三四郎は思わずこなれない言葉を使ってしまったのである。もっとも後年これは間違っていたことが判明するのであるが。

 


Z(1)章運命

2017-02-18 15:40:58 | 反復と忘却

 運命というのは人生の岐路である。そこでこれまでの道をまっすぐ進むつもりが外部的な力で脇にそれる結果になるイベントのことである。つまりそれは外部から来るものであって、これまでのプログラムに組み込まれた自己生成的なコースを変更する。

運命にも大きさがある。カントのカテゴリーで言えば量であり重さがある。大きな運命というのは例えば戦争で命を失うとか家を焼かれて財産を失うというような事である。これは個人の力ではどうしようもない。事後的に将来そういうことが起きない様にしよう、あるいは出来るというのは楽観論である。世の中には楽観論者が多い。

つまり彼らは大きな運命は運命ではないと考えている。彼らは例えば地球温暖化による悲惨な結果は人類の努力と叡智でかえられる、あるいは回避出来ると考えている。もとより鱒添三四郎にはそんな関心はない。 

小さな運命というのは日常的に遭遇する。たまたま道路で自動車に轢かれるとか、食中毒になるとかいろいろある。これは相当程度個人の生活態度というか行動規範に注意することで回避することが出来る。たとえば青信号が点滅し始めたら絶対に横断歩道を渡らないとか、いかにも衛生状態の悪そうな店では食事をしないとかいう用心をすればいいわけである。

だから大きな運命は考えてもあまり意味がないし、小さな運命は日常の用心で相当程度回避出来るから気に病むことはない。問題はその中間である。運命の厄介なことはいきなり襲ってくることである。襲ってくる前に視界に入ることはまずない。

しかも人生に与える影響は決定的な場合が多いのである。個人の人生にとっては決定的と言える。鱒添三四郎にとっては、十三歳の夏のイベントからまず始めなければならない。運命の一撃を受けるとだれでも「何故?」と間の抜けた質問をする。しかし分からない。分からないから運命というのである。

それ以前にもそのようなイベントは何回かあっただろう。複雑な家庭環境では当然予想されることである。しかし、それ等は茫茫として忘却の海に沈んでいる。サルベージするにしても一番困難な問題から始めるべきではないだろう。その夏のこともかなりの部分が砂に埋まってしまっている。百条委員会を設置するにしても出席出来る証人も少ない。それは三四郎の航路を90度以上変えてしまった非常に不可解な出来事だった。しかしこの縺れた糸をなんとかして辿ってみなければならない。ほどいてみなければならない。

実存主義者はそんなことは考えないらしい。ポンと発射台から出てしまったのだからあとは自分で軌道を考えるというのが実存主義らしい。その割には、彼らは大きな運命には拘泥する。つまり実存主義者には社会主義者が多い。すなわち大きな運命は変えられると思っている訳である。どうも矛盾があるようである。

 


N(26)章 女子修道院というところ

2016-10-27 09:08:30 | 反復と忘却

 ボヴァリー夫人はエンマというのだが父親は田舎の富農だったので、娘が13歳になると教育を受けさせるためか、躾見習いかしらないけど女子修道院の寄宿舎に入れた、と平島は話した。 

「女子修道院というのは修道女を育てるところだろう」

「かならずしもそうではないらしい。十九世紀前半の話だよ。よく知らないが修道女を育成するだけが目的ではなかったらしい。希望者で、勿論資産もある家庭の子女を受け入れて普通の学校みたいなことをしたらしい。勿論メインは宗教教育だろうけど一般的なことも教えたらしい。いわば女子教育が完備していないというか、全くないに等しかった時代に慈善事業みたいにやっていた副業らしいな」

なにしろナポレオンが男子教育は19世紀の初めに力を入れたらしいが、女は考える能力がないから教育等不要だとして女子教育は放置していたらしいんだ、と平島は続けた。 

日本だって教育の不備を補ったのは寺小屋といって寺院のボランティア活動みたいな物だったじゃないか。それで彼女もそこですっかりはまってしまったんだな。なにしろ宗教というのは宗派に限らず途方も無いことを吹き込むからな。法悦とか恍惚なんてことを浅いながらもエンマも味わったわけだ。同時に結婚についても理想的なことを吹き込むから、とてつもない期待に胸を膨らました。ところがエンマが結婚したのは平凡な田舎医者だった。

こんな筈じゃない、と彼女は不満だった。ドラッグと同じで法悦中毒は一生直らない。それで手を変えイロを変えた。現実の男性で誠実でかつ恍惚を長い間味あわせてくれるなんて都合のいい相手はいない。中年の遊び人に入れあげるがていよく逃げられる。つぎに年下の学生と出来る。彼女の不倫が大胆になると共に彼女の濫費がひどくなる。それにつけ込んだ悪徳商人の口車に乗って言われるままに手形を書く。

ついに莫大な借金の期限が来る。彼女は学生か見習いの情人に金策を頼むという出来っこないことをする。勿論体よく断られて彼女は村の知り合いで金のありそうな連中に身体を代償に金を工面しようとするが、皆に逃げられて自殺するという話さ。平島は話し終わった。

「だけどさ」と少し酔いが醒めて来たらしい女が口を出した。彼女が結婚生活に不満を持ったのは修道院時代に読んだ恋愛小説の影響だって言うのが定説だよ」

「それは間違いだな、何しろ評論家とか出版社は途方もないほらを吹くからな。たしかに文庫本の帯にはあんたの言ったようなことが書いてあるが完全な間違いだな。文章は短いが全編にわたって最終部分にいたるまで修道院の教育が彼女の欲求不満の原因であると書いてある。本は丁寧に読まなくちゃいけない」

外で馬鹿でかい声でカラスが鳴いた。彼女はびくっとして壁の時計を見た。

「まだ四時まえだよ。カラスも酔っぱらっているのかな」

バーテンが呟いた。「このごろは夜でも街灯なんかで明かりが有るからな。それにもう車も走り出す頃だからライトで照らされることもある」

「鳥が夜は目が見えないというのも嘘だな」と平島が言った。真っ暗じゃ人間だって見えないが、薄明かりなら鳥も自由に飛べる」

女がいった。「そろそろ帰ろうか。もう店もおしまいでしょう」

「ええ、あなた方が帰れば店を閉めます」

見ると和服の女はいつの間にかいなくなっていた。

 


N(25)章 「ボヴァリー夫人」

2016-10-26 08:03:00 | 反復と忘却

恍惚とは宗教用語であった。

現代では精神医学用語であり、またポルノ作家の濫用するところとなっている。

ボヴァリー夫人エンマは少女時代を女子修道院ですごし宗教的恍惚の中毒となった。

つまり、精神という子宮は最大限に膨張したのである。押し広げられた膣道は以後

巨根でなければ満足しなくなった。

なぜならばそれは上質新鮮なゴムが持つ可塑性、柔軟性を失ったからである。

彼女の形状記憶合金は極大に固定されたのである。

彼女はイロ(愛人)をとっかえひっかえて拡張された膣道を満足させよう

としたのである。

 

 

 

 

 


N(24)章 「ボヴァリー夫人」まえせつ(前説)

2016-10-26 07:43:37 | 反復と忘却

 女のからだってのはな、と平島が話し始めた。粗悪なゴムで作った風船みたいな物だよ。そうなんだ、と三四郎はすぐに彼の人生の師匠である平島の言葉を採用した。何の問題もない。

「おんなにも精神があるわよ」とポルノ小説編集者がよこから口を挟んだ。もう大分アルコールが回ったような話し方だ。

「それはある。しかし女の場合、四輪駆動なんだ。精神と肉体は分離しがたい。それだけにいざギアがかかると全車輪が分ちがたく連動してとんでもない暴走をする」

女がむせて口に含んだ液体を霧状にカウンターの上にまき散らした。彼女は濡れたカウンターを手のひらでなで回している。バーテンダーが飛んで来てダスターで拭いた。

彼女は濡れた手を平島君の上着の肩で拭いた。そしてポツンと「上だったの」と三四郎に聞いた。

「えっ、何ですか」

「それは上だろうな」と平島君が注釈を入れた。「まさか後ろじゃないだろう」

「レスリングじゃあるまいし、バックをとるなんて手が初心者の彼に出来わけがない」

「それもそうね」

上下、前後と大分ややこしくなってきた。平島が初めて気が付いた様に呟いた。「いつからだろう、正対位になったのは。類人猿の体位はどうなんだろうな」

「ホモ・エレクトスからじゃないかしら。物理的にも」

「ホモ・エレクトスってなんですか」

「ホモ・サピエンスの前にいた種じゃなかったかな、違うかな」

彼女が言った。「哺乳類に正対位は不可能ね。四つ足が邪魔してどうアクロバットをしてみてもドッキング不可能よね。鳥類も駄目だ、魚も無理よ」

「ちょっと待てよ」と平島が言った。「クジラはどうなんだろうな。アザラシとか。あの体系だとなんだか正対してやれそうだな。水の中でくるくる回りながら出来そうだ」

「からだ付きからすると水棲の哺乳類は正対位で可能じゃないかな。第一それ以外の体位は不可能なからだをしている。クジラなんかは」と平島は得意そうに総括した。

彼女が馬鹿にしたように言った。「そんなこと、専門の動物学者に聞けばすぐ分かるわよ。私たちが知らないだけでありふれた知識でしょうよ」

「そうすると、人間だけが三十八手の使い手ということだな」

ところで、と三四郎は聞いた。「お前、ボヴァリー夫人がどうのこうのと言っていたな。なんか体位と関係があるのか」

「彼女が唐突に妙な質問をするから話がそれてしまったな。ボヴァリー夫人の物語というのは膨らんだ風船は元に戻らないという話でね」

「それで、それがなんで俺と関係があるんだ」

「あるといえばある、ないといえばない」

 


N(23)章 つまらない話

2016-10-22 08:16:02 | 反復と忘却

「そういえば俺にも一つ報告することがあるぜ、ぎょっとする女に会って、ぎょっとすることをしたんだ」

平島の連れの女が三四郎のほうへ顔を向けた。正五角形と台形の中間の輪郭をしている顔だ。目が大きくバーの暗闇の中で猫の目の様に光っている。鼻筋は太くて長い。口は間口二尺半と長くて唇はやや厚めである。我の強い職業婦人(キャリアウーマン)という感じだ。あきらかに平島より年上で30歳にはなっているだろう。平島が狙いそうな女だ。 

「通過儀礼か、たしかお前はまだだったよな」彼はグラスに入っている茶色い液体を一口飲んだ。

「なんだって、うん、そうかもしれない。お前はやたらと民俗学的用語を使うな」

「よかったな。鱒添君の門出を祝して乾杯をしよう」と彼は女も誘った。液体が皆の胃袋に到着すると平島が催促した。

「それで?」

「それで?」

「どんな塩梅だった」かれはまたグラスを傾けた。三四郎はだまっていた。どうっていわれても友に語るほどの感銘はなかったのである。それに一癖有りそうな女性だが、未知の女の前であまり露骨な話をするのをためらったのである。 

「遠慮しないで話せよ。彼女に気を遣っているのか。そんな心配は要らないぜ。彼女はその道のプロだからな」

というと、AV女優かな、あるいは風俗の女か、と三四郎は考えた。

「彼女は週刊誌の編集者なんだ。雑誌にエロ小説を連載している某先生のためにネタを蒐集して、出来上がった原稿を毎週貰ってくる役さ。だから免疫はある」

「それじゃ彼女のお役に立つ話はできないな。なんていうのかな、肩すかしを食った感じでね。これってこんなものなの、っていうほど平板な展開でね」

女が平島の背中から話した。「ひょっとして期待が大きすぎたからかな」

ふむ、うまいことを言う。

「女性の場合はどうなんですか、人それぞれでしょうけどね」

「女性の方は、それはもう大変な期待をしているのよ」

「恐れとか言うのはないんですか。男の場合恐れというのはないけど、女性の場合は恐怖心があるんじゃないですか」

彼女はタバコを深く吸い込んで猛烈な勢いで吐き出すと、恐れなんて、と馬鹿にした様に言った。「今時の女性にはそんなものはないわよ。あなたの相手は未通娘だったの」

「えッ?」

「初体験だったの」

「いや経験者でしたね」

「じゃあ彼女がリードしたんでしょう」

「そうですね、ツアコンみたいだったな」

「きっと期待が大きすぎたのでしょうね。想像していたほどでなかったというのは」

なるほどそうかも知れない。

平島が言った。「おれも思い出したよ。お前ボヴァリー夫人を読めよ」

「なんだい、それは」

「フローベールの小説さ、期待が大きすぎて欲求不満になり不倫を繰り返して破綻する女の物語だ」

また平島の読書指導が始まったと三四郎は苦笑した。

 


N(22)章 四谷荒木町

2016-10-21 09:00:24 | 反復と忘却

夜の十時、平島から電話がかかってきた。これから四谷のバーに来いと言われた。平島は連絡がないときは全然ないが、電話をかけてくる時は時間にお構いなしだった。夜の十二時過ぎに電話をかけてきて朝まで引き止めることもあった。 

三四郎はもう寝ようと思っていた所で断るのだが、しつこく誘われて結局いつものように平島の要求に応じてしまう。着替えをして四谷に着いたのは午後十一時だった。荒木町のバーだと言うのだが土地勘のない三四郎には右も左もわからない。さっき聞いたバーの電話番号に公衆電話ボックスから電話をかけた。場所を聞いてバーに入った時にはもう新しい日になろうとしていた。

バーは安アパートの建物の外階段を上って行くと二階に入り口があった。バー ダウンタウンと看板が出ている。ドアを押開けてなかに踏み込むと真っ暗な店内はむっと籠ったタバコの煙が目をちくちくと刺激した。暗闇に目がなれてくると、店は狭くて細長く奥行き三、四間で鰻の寝床のような空間を真ん中でカウンターが中央分離帯のように区切っている。平島は一番奥のスツールに腰掛けていた。カウンターの中には中年のバーテンがひとり、平島の横には連れらしい若い女がいた。そのほかに客は和服姿の女がひとりいた。顔はよく見えないが雰囲気やガラやうなじの感じから判断すると50代の雰囲気だ。もっとも素人では無さそうだからかなりの誤差があるだろう。 

「何だ、用でもあるのか」と三四郎は仏頂面で聞いた。

「まあ何か呑めよ」と平島はいった。バーテンがよって来た。

三四郎はバーテンの方を向いて「アブサンはある」ときいた。

彼はぽかんとしていたが、しばらくして「あいにく切らしていて」と返事をした。

「それじゃ水でいいや」というと平島の連れの女が「ふふふ」と笑った。

平島が「そんなことをいうなよ、まずビールでも呑め」と取りなす様に言った。

「そうか、それじゃ小瓶はあるのか、瓶のまま持って来てくれ」と三四郎は言った。バーテンがもってきたビールを自分でコップに注ぐと三四郎は顔をしかめて一口飲んだ。「ところで何だ」と彼は質問を繰り返した。

「別になにもない。君と話したくなっただけさ」と平島は言った。「そうだ、報告することが一つあるな。こんど専攻を変えた」

へえ、文学部を辞めて法学部とか、と聞くといや心理学を止めて哲学をすることにした、と彼は答えた。

「ふーん、理由があるのか、君のことだから理由なんてないだろうな」

「馬鹿馬鹿しくなったのさ、それに心理学というのは女子学生がやけに多くてな。雰囲気が悪い」

「哲学を専攻するのは男ばかりか」

「そうでもないが、いわゆるぶりっこはいないな。そのかわりぎょっとするようなのはいる」

「ぎょっとする女の方がいいわけか」

「それはそうだろう」

 


N(21)章 あれよあれよという間に

2016-10-20 11:07:03 | 反復と忘却

一週間ぶりに予備校に行く。お茶の水の橋の上で三十分もバスを待っているうちに骨の中心まで凍ってしまったらしい。翌朝目が醒めたら起き上がれない。額は火傷しそうに手のひらを焦がす。いつまでも起きてこない三四郎の様子を見に母が上がって来てほとんど人事不省に陥っている彼を見て驚いてしまった。病院に行くことも出来ない。一歩も蒲団から離れられない状態が三日続いた。四日目に嘘の様に熱が引いた。しかしからだの自由がきかない。ぎこちない。紐の先で操られる人形芝居の登場人物の様にぎくしゃくしてのろのろとしか動けない。首がスムースに回らない。鳥みたいに30度ごとにギクッギクッ動く。 

這う様にしてトイレに行くとびっくりするくらい大量に小便が出てきた。昨日あたりから食事が出来る様になった。席につくとベレー帽がよってきた。「どうしたの、病気?」と聞いた。きっとまだ真っ青な顔をしていたのだろう。ところで彼女の名前は足立洋子というそうだ。その日に始めて名前を聞いた。階段を下りる時も手すりにつかまっていないと怖くて歩けない。その後は結構回復が早かった。それから更に十日したころには彼女の部屋に誘われて彼女が作った食事をごちそうしてもらい、気が付いたら彼女と一緒にベッドにいた。

なんなんだ、こういうものなのか、と彼はいささかあっけにとられた。山もなければ谷もない淡々としたものだった。「週間特ダネ」のヌード写真を相手に大暴れするのとは全然違っていた。

「もう大丈夫だよ。完全に回復したみたい」と彼女は彼の髪のなかに手を突っ込むともしゃもしゃと彼の髪をもてあそびながら彼の耳にささやいた。

そうか、もう操り人形みたいなギクシャクしたところが無くなったらしい。

そういうものか、と憮然として彼は考えていると、どうしたの、急に黙っちゃってというと、彼女は蒲団を撥ね除けてベッドの上に立つた。そして彼を跨ぐと床の上に飛び降りた。からだに何もつけていない。彼はぼんやりと感心した様に彼女の後ろ姿を見ていた。彼女はバスルームに入ると何をしているのかなかなか出てこなかった。

 


第N(20)章 官能的な楽器

2016-10-15 10:18:29 | 反復と忘却

質問をすることを思いつかないから彼は黙ってしまった。彼女もうつろな目付きをして店内に流れる曲を聴いているらしい。突然彼女がラフマニノフはお好き?と聞いた。そうすると今流れているのはラフマニノフらしい。

「いえ別に、これはラフマニノフなんですか」

どんな音楽家が好きなの、と彼女は質問には答えないで聞いて来た。聞かなくても分かったらしい。彼はこういう曲は好きではないと理解したらしい。本当のところは好きでも嫌いでもないのだが。

「別にありませんね。音痴ですから。強いていえばハッキリとした曲かな。よく途中をちょこっと聞いてこれは誰のなんと言う曲だとかクイズを当てるみたいにいう人がいるでしょう。そういう人を見ると驚いちゃうんですね。僕が聞いてすぐにこれは誰だって分かるのはエルヴィス・プレスリーくらいですよ」

猫も杓子もビートルズの時代である。古いわね、というように彼女は顔をしかめた。「嫌いな曲というのはありますよ」と彼は言ってみた。「たとえば演歌ですね。流行歌も大体嫌いですね」

「それじゃスナックじゃ浮いちゃうわね」

「そうでしょうね。童謡もすきですよ」と彼は追い打ちをかけた。「演歌が嫌いなのは母親の影響なんですね。クラッシックは母親がよく演奏会に連れて行ったから好きにもなってよかったんですがね。どうしてだろう。もっともドニゼッティのレコードはよく聞くけど」

「ドニゼッティって」

「イタリアの歌劇作者です。ちょっと古いけど」

「どうしてその曲が好きなの」

さあ、どうしてだろうと彼は考えた。普段は反省的に分析していないのである。

彼女は新しいハイライトに火をつけた。

「そうですね。考えてみると、人間の肉声というのも一種の楽器ですよね。そしてもっとも官能的な楽器である。ドニゼッティは非常に技巧的な作曲家で非常に技巧的なテクニックを歌手に要求する。そんなところが関係あるのかな」

「なるほどね、演歌が嫌いというのもその同一線上にあるみたいね。非常に技巧的にもっとも嫌らしく官能的に歌うのが演歌だものね」

三四郎は彼女の顔を見た。なるほど、そう言うことかも知れない。

彼女は左腕をすこし挙げると目を細めて時計を見た。ちょっと待っててね、というとハンドバックをさらって席を立った。三十分ぐらい戻ってこなかった。

「そろそろ出ましょうか。さっきからボーイが催促するみたいにこっちをみているから」

彼女はお茶の水から電車に乗るという。外に出ると雨が降り出していた。二人は傘もなしに駿河台の坂を登りびしょ濡れになってお茶の水駅に着いた。

「あなたの家は?」

「僕はバスで帰りますから」といって分かれた。バスはなかなか来なかった。川底からは冷たい風が橋の上に吹き上げて来ていた。

 

 


第N(19)章 あなたは?

2016-10-10 07:18:43 | 反復と忘却

 小説家になるんですか、と三四郎は聞いた。世間を知らないから文学部に行くということは小説家になりたいということだな、と短絡したのである。ところがこれがあたりだった。彼女は小説を書いてみたいというのである。

「いつも熱心に読んでいる本は小説なんですか」

「大体そうね。ところであなたはどこにいきたいの」

これを聞かれてかれは困ってしまった。目新しい質問に戸惑ったということではない。大体が誰でも聞くことなのであるが、気の利いた答えが出てこない。別に立派な模範解答をする必要もないのであるが、いつも彼はこういう質問につまってしまうのである。

かれはどきまぎしながら「まだ決めていないんです」と答えた。

「理科系でしょう、そんな感じだわ」

彼女に勝手に決められても困るのである。

「結局僕もどこかの文学部に入れて貰うことになりそうですよ」

「小説に興味があるの」

「全然ありませんね。読んだこともないし」

「じゃどうして文学部なの」

「なんだか一番あいまいな学部みたいなきがするんですよ。たいして拘束力がないような。よく言え包容力があるような、間口が広いような」

「ふーん、文学部と言ったって歴史学とか哲学もあるしね、心理学なんて文学部にあるところが多いんじゃないの。そうだ、社会学なんてのも文学部だよね。大学によって違うんだろうけど。たしかに間口は広いわね。そう言うことに興味があるんじゃないの」

「そういうわけでもないんですね」

彼女は困った様に口をつぐんでしまった。取りつくしまがないと思ったのだろう。

「あなたは小説を書いたことがあるんですか」と彼は聞いた。

「練習には書いているわよ」

彼は質問されるのは嫌いだからまた答えられないことを聞かれない様に彼女を質問攻めにしようとした。

「どんなことを書くんですか。例えば誰の小説を模範にしているんですか」

「あなたと同い年だけど、いろいろと世間を見て来たからそう言う経験を書いてみたり」

「告白小説ですか」とかれは思わず言ってしまってから、まずかったかなと心配して彼女の顔を見た。

「ふふふ」と彼女はかすかに顔を緩めた。「暴露小説かな、もっとも小説のていをなしてはいない筆ならし程度だけど」

「お手本はあるのですか」となにも斯界の事情を知らない彼は間抜けな質問をした。

「林芙美子の放浪記かな」と彼のまったく聞いたことのない名前を彼女は上げた。

 

 


第N(18)章 左利き

2016-10-09 10:58:20 | 反復と忘却

 彼女はスプーンでカップの中の紅茶をかき回している。「左利きなんですか」と三四郎は聞いた。彼女は上目遣いに三四郎の顔を見上げて頷いた。

「気になりますか」

「いいえ、そう言う訳じゃないんです。もともと高校時代までは右と左が区別できなかったんですよ。例えば心臓は左側にあるというでしょう。自分のからだのどちら側が左か分からなかった。からだの真ん中と言われれば分かるんですけどね」

かれはまじめに言ったのだが、彼女は冗談と思ったのかおかしそうに笑った。

「本当に?」

「本当に。体操の教師なんかに左足を出して、とか右肩が下がっているとか言われても分からなかった」

「「へえ、変わってるわね」と彼女はまだそれがからかわれていると思ったらしい。

「人は何時頃から自分の右と左が区別出来る様になるんだろう」

「そりゃあ子供の頃でしょう。わたしの弟なんて五歳だけどもう分かるわよ」

なるほどやはり俺は異常なんだ、と三四郎は思った。いまでも右と左を区別する時には精神を集中しないと出来ない。それが車の教習所に行かない理由なのである。

「だけどね、他人の左利きとかは瞬時に判別出来るんですね」

彼女は呆れた様に彼を見た。「だから私が左利きだってすぐ分かったのね」

三四郎はショルダーバッグから小型のノートを出すと平島への質問事項を書き留めた。

「何を書いているの」

「僕の友達が大学で心理学を専攻しているんですよ。今度彼に聞いてみようと思って。子供はいくつから左右の判別が出来る様になるかの研究があるのかなって。僕は記憶力もとても弱くてね。すぐ忘れちゃうんで、なんでもメモするんです」

「お友達はもう大学の専攻課程なの、あなたは浪人何年目なの」

「恥ずかしながら三浪です」

「へえ、若く見えるけど。一浪くらいかと思ったけど」

三浪しても時々高校生と間違えられることもあるのだ。

「三浪と言うと私と同い年かな、遅生まれなの」

「いえ、早生まれです」

「そうするとわたしのほうが年上だわね」というと彼女はバッグからハイライトを取り出して店のマッチを擦って火をつけた。たばこを左手の人差し指と中指の第一関節あたりで挟む。様になっている。吸い慣れている感じが出ている。

「女性の三浪というのは驚いたでしょう」

「いえ、別に」と三四郎は慌てて答えた。

「私は四国の太平洋側の小さな漁師町で育ったのよ。高校を出てからしばらくは松山のバーで勤めていてね」と話しだした。

「ちいさなスナックだったけど、結構いろいろとあってね。先が見えちゃったというのかな、これじゃいけないなんて遅まきに思いはじめた訳」

「どこを狙っているんですか」

彼女は泥臭いことで有名な東京の大学の名前をあげた。文学部を目ざしているそうだ。そういえば予備校の休み時間には大抵小説らしい文庫本を読んでいた。

 


第N(17)章 ベレー帽の女

2016-10-05 09:01:29 | 反復と忘却

予備校を出るとベレー帽の女が立っていた。気づかぬふりをして通り抜けようとすると女は前に立ちふさがった。立ち止まらざるを得なくなった。女は笑っている。三四郎は初めて気が付いた様に「ああ」と言って曖昧に顔をゆがめた。

水道橋の駅の方には曲がらずに神保町のほうに歩き出すと彼女も並んで付いてくる。夕暮れ時の人通りの多い白山通りを背の低い彼女はちょこちょこと走るように付いてくる。先ほどの国語の講義で教師があまりにも馬鹿馬鹿しいことをいうので休憩時間に横に座っていた彼女に教師の批評をしたが彼女が大変熱心に感心した様に聞いていたのだ。それっきり忘れていたのだが、その話の続きを聞きたいのだろうか。

彼女と会話をしたのは初めてだが、ベレー帽が教室では前から目立つ存在であった。一緒に歩くと通行人が皆注目するようで落ち着かない気持ちにさせられた。どういうわけか彼女はどこまでも付いてくる気らしい。通行人の好奇心に溢れた視線を避けたかったのかもしれない。近くの薄暗い喫茶店に入った。どちらが誘ったのだろう、と三四郎は思った。知らない間に喫茶店の座席に向かい合って座っていた。きっと、俺が誘ったんだろうな、と三四郎は曖昧に考えた。というのはコーヒーが運ばれてくると「こんな所でなくても良かったのに」と彼女が不満そうに呟いたからである。

そうすると、俺が誘ったということになるのだろうな、と彼は考えた。所謂名曲喫茶という店らしい。クラッシックのレコードが店内を流れている。中の照明はムードを出すためか、静かに音楽を聴けるようにするためか、薄暗い。座席の背もたれは高くて周りの客席はよく見えない。

彼女が「どうしたの、深刻な顔をして」と言ったのが急に耳に飛び込んで来た。彼は彼女の「こんな所に来なくても」という言葉に引っかかって考えていたのだ。注意がおろそかになっていたらしい。彼女がおかしそうにわらっている。三四郎は初めて彼女の顔を正面から見た。

子供の顔の様にお月様の様に丸い。顔色は妙に白い。若いのに白粉でも塗っているのだろうか。香水の匂いが強かった。鼻がサイコロのように四角い。磨き込んだ様に光っている。

「深刻な顔をしていますか」

「ええ、とても。ベートーベンみたいに」

「よくそう言われるんですけどね、なにも考えている訳ではないんですよ。放心状態なんですね。それが深刻に見えるらしい」

三四郎はまだ考えていた。「こんな所に来なくても」と言ったのはどういう意味だろう。彼女に聞けばいいのだが、なにか本能的にそれは危険だと彼のこころに告げるものがあった。

 


第D(23)章 五月祭の汚物

2016-09-23 08:20:53 | 反復と忘却

どういうわけか、俺の家族、親戚には医者が多い。父方、母方にも複数いる。やたらに医者が多いのだ。前にも書いたような記憶があるが、父母の死後、まったく謎であった家系を調べてみたのだ。母方にも医者が複数いる。ずっと昔は代々薩摩藩の茶坊主だったらしい。僧侶みたいな名前がついている。医者が増えて来たのは二、三代前かららしい。

オヤジの方はもう少し古くて幕末には徳川譜代大名の御典医だったのがいる。御典医といっても驚くことはない。現代で言えば大企業の診療所の医師みたいなものである。眼科、歯医者、外科、内科すべてに御典医がいるわけで、それも各科で数人はいたらしい。現代の企業付属の病院と同じである。

この医師は御典医といっても特定の藩にながく勤めるというのではなくて、短期間であちこち渡り歩いたらしい。女好きで(どうも家系らしいな)女を求めて各地の大名の間を放浪して歩いたらしいのだ。腕が相当よかったらしい。だから大名家を渡り歩けたわけだが、どうもおんな好きで放浪癖があったというのはカモフラージュらしい。

というのは、調べた所では渡り歩いた大名が幕末維新で政治的な動きをした藩ばかりであったのである。今も昔もそうだが、医師というのは病人がいれば何処にでもいく。言い方を変えればどこの屋敷にも入り込める。そうして大名や維新の志士(今で言えば政治家だな)の間を毛シラミのように情報伝達を仲介する。時には反対派或は佐幕藩にも潜り込める。そうして色々な情報伝達の経路となる。これは今も昔もかわらないだろう。医者というのはそういう役割には目立たなくて自然である。

そういうわけで母親も俺をどうしても医者にしようとしたわけである。それでまだ小学生のころから東大の五月祭に俺を連れて行く。そして医学部の展示を見せる訳である。シナの故事ではないが、孟子三遷の教えだったかな、幼いうちからそう言う物を見せておけば自然と医者になるだろうと短絡的に考えた訳だ。

皆様ご案内の様にそこには切り刻まれ皮を剥がれた人体の標本が所狭しと陳列してある。死体の汚物置き場である。これを見て医者に興味を持つだろうと思うのも短慮の極みだ。

俺の兄にも一人医者がいるが医学部に入って最初の解剖の授業を見た時は昼飯が食えなかったといっていた。まして小学生低学年の子供がどういう拒否反応をするのか分かりそうな物である。そう言うわけで医者は俺のキャリア・パスからは真っ先に消えた次第である。

 

 


第D(22)章 ほとんど感染症といえる

2016-09-21 08:40:35 | 反復と忘却

父の存在については大きくて強圧的で、言ってよければ理不尽な存在だったから「壁」という意識は子供のころからあった。しかし、その壁がなんなのか、というのは分からない。壁の向うに何があるのかも分からなかった。だた「ある」という認識は強烈明晰に持っていたわけである。父の死後、村上春樹流にいえばその壁をどうやら夜間知らない間に時々通り抜けているらしいのだ。もっとも戻ってはこれるのだが。そうじゃなかったら大変だ。

母の存在はこれと違って親密で懐かしい存在ではあるが、ふわふわしていて実体観が無かった。ところが死んだ後でじわじわと実体というか手応えが出て来た。ある意味で非常に大きな影響力のあった存在で、逆にそれがために実体が見えなかったということかもしれない。

母の胎内を出たあとも相当長い間強い感染力を受けていた。正調日本語では感染力とは言わず影響力というのだろうけどね。不安の気分である、特に感染力が強いのは。母は元々神経質でなんでも気に病む所があった。それはそれでいい。人それぞれに性格というものはある。いわば人格権の一つである。

困るのはそれが電波の様に媒体のないところを飛び越して俺の所まで伝播してくるのである。大人なら多少そういう空気感染にも抵抗力があるのだろうが、こちらは幼児である。低学年の小学生である。抵抗力がない。どうしてそうなったのか、俺は考えたね。おそらく母があまりにも違う父との折り合いをつけるかつけないかの決断を迫られた不安定な時期と俺の胎生の時機と重なったためだろう。母が父と折り合いを付けて行く決意をしたのに、何年間を要したのか。最低でも二、三年はかかっただろう。それが俺の胎生と新生児の一、二年の時機にだぶっていたのではないか。

母も年子のように次々と生まれてくる妹達の世話に忙殺されているうちに夫との生活にも妥協したと思われる。不思議なことがある。昔からどうしても長兄の声が我慢出来なかった。胎児の聴覚というのは早く発達するらしい。妊娠五ヶ月目には外界の音を認識すると言われている。新しい母に反抗したり、意地悪をして諍いを起こしていた体外の声と母親の反応、表面では平静を保っていても、当然嫌悪の感情は各種の内分泌ホルモンの異常な分泌をもたらすだろうから胎児に条件反射的な回路を作らせることは間違いないだろう。 

犬は主人の気分に敏感に反応する。この伝播力も不思議だ。馬も乗り手の気分を驚くほど正確に感知するのはよく知られた事実である。人間も同じなのかもしれない。

母は俺が咳をすると、結核じゃないかと、身を震わせる様にして騒ぎ立てる。俺も巻き込まれて次兄の様に寝たきりになるんじゃないかと暗澹とした気分になったものだ。次兄が結核に取り憑かれて長い間起きられなかったが、それが俺に感染するのではないかと怖れていた。また、母のきょうだいでも結核で死亡した人が複数いたことも母の恐怖の原因だったらしい。

この母の不安が俺の全身に取り憑くのは何とも言えず嫌な気分だった。父が、母を気が利かない、と不満に思っていた理由も案外こう言う所にあるのかもしれない。子供の健康に気を遣ってくれるというのは当然のことだが子供が恐怖で発作を起こしかねないような騒ぎ方をするのも配慮が足りないとは言える。

こういうことは日常的にあって、今でも思い出すのは母が同じ話を繰り返すのだが、夏のある日、警官が家に来て「お宅の坊ちゃんは今うちにいますか?」と聞きに来た。物々しさに驚いて母が問い返すと近所の公園の池で子供が溺れたという。誰か見物人が俺に似ているとか言ったらしくて、警官は確認にきたのである。折悪しく俺は他の所で遊んでいた家に帰っていなかった。母は不安と恐怖で動転してしまったらしい。すぐに身元は確認されたそうだ。俺もそれきり忘れてしまったが、母が執拗にその時の恐怖を後年、もう高校生になり大学生になったおれに繰り返すのである。あれは何故だろう。

母の心配はすべて善意から来ているのだが、ピントが外れているなと思うことがあった。あれは中学の頃だったか、進学のための模擬試験なんてのがあって、週末に時々受けに行った。その成績が「抜群に」、「目を見張る様に」良かった物だから母親は急に関心を持ち出し、心配しだした。ちょうどはしごの上から、今度は落っこちるんじゃないかと余計な心配をしだしたのである。

あるとき、模擬試験の会場で、休み時間にばったりと母親に出会った時には驚いた。なぜここにいるんだ?というわけである。余計なことに母親は近づいてきて「顔が緊張しているわよ、リラックスしないとだめよ」というんだな。余計なお世話だ。俺は緊張してなんかいないし、午前中の答案は完璧な自信があった。

母はおそらく新聞の婦人欄か家庭欄で子供の試験の時は緊張させては駄目だとかいう記事を読んだのだろう。彼女はそう言う記事を切り抜いたりしていた。予期しない時につけて来た母親に受験生達の間で遭うなんてそれだけでも目立つ。「顔が緊張してる」なんて暗示をかけるようなものですっかり調子が狂ってしまった。そのくらいのことで調子が狂うなんてどうかと思うが、それほど前にも書いた様に母親の不安は俺の全身に影響を与える様に出来ていたのだ。午後の試験は午前と違って全然駄目だったのは言うまでもない。

 

 


第D(21)章 カフカの謎

2016-09-20 08:15:33 | 反復と忘却

ウィトゲン石の話が出たついでだが、俺だって少しは本を読んだ。大抵は途中までだけどね。カフカの話を少ししようと思うんだが、まず変身ね。これは短いし全部読んだ。ムンムン度満点、迫力十分な面白い小説だ。 

それと「審判」ね、これも読んだ記憶がある。これは非常に世評の高い作品らしいが、つまらなくて最後まで読めなかった。最近ある書評が目に触れた。それに流し目をくれたんだが、この両書に共通点があるらしいと気が付いた。それで又読む気になった。

前に読んだ本が同じ訳者のものかどうかは、もう記憶がない。今回は池内氏の訳。一応買ったんだがまだ読んでいない。

両書とも同じテーマじゃないかと思ったのは、どうしてか理由も分からず災難に遭うという設定が同じなんだな。もっとも審判の方はインターネットという「汚水溜」のような海を漂流している「書評もどき」から得た知識なんだが。

変身では朝、目が醒めたら自分がゴキブリになっていたというんだろう。何故だか分からないというか書いてない。つまり「充足理由律」の圏外なんだ。審判もある朝、目が醒めたら逮捕されるが理由が最後まで分からない。読者にも、ということは主人公にもということだが。それで一年後に死刑を執行されるというわけだ。読者に「充足理由律」は開示されていない。なんだか似ているよね。

当然裏にカフカの経験と言うか見聞があるのだろう。勿論幾重にも原体験は変換されているのだろうけれど。カフカは膨大な日記を残しているらしい。カフカ全集というのがあるらしいが、買う気がしないしな。それに日記の中から原体験を探し出すというのは、堆肥の山のなかから真珠を見つけるような作業であまりぞっとしない。

ま、以上は俺の仮説なんだが、小説家である以上、その媒体である文章がすぐれていなければいくらテーマが斬新でも意味がない。随分昔に読んだ初読の印象が正しいのか、その後俺の文章鑑賞能力が向上して今回は面白く読めるのか、ぼちぼち試してみよう。