穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第D(7)章 毎日が日曜日

2016-07-11 08:06:27 | 反復と忘却

 

最後の日、俺は「明日からは毎日が日曜日」と口ずさみながら会社の紙袋に私物を詰めていた。課長は昨日になって急に、送別会を開きたい、ととってつけた言い訳の様に言い出した。俺は丁寧に謝絶した。時間になって、紙袋を下げて廊下に出るとエレベーター・ホールに向った。後輩が数人一緒に部屋を出て来た。

その内の一人が「どこかに飲みに行きませんか」と話しかけて来た。他の連中もそのつもりらしい。そのつもりで一緒に出て来たらしい。私的に飲むなら問題はあるまい。我々は駅の近くにある焼き鳥屋に入った。店はまだガラガラだった。生ビールのジョッキを傾け枝豆をむしゃむしゃやった。

「驚きましたよ、鱒渕さん。突然のことでしたね」と一人が言った。

「うむ、まあな。君たちにも迷惑がかかるかな。もっとも俺はもう仕事から干されていたから君たちに引き継ぐこともなかったと思うが、なにか分からないことがあったら聞いてくれよ」

「どこかに転職するんですか」と池田という男が聞いた。こいつだけはついて来た連中とはなんとなく肌合いが違った。他の連中は入社以来事務畑でやって来た平凡なおとなしい連中だが、池田はメカニックで高卒、おまけに中途採用である。半年ほど前に転勤して来た。課長の引きだと言う。

「せっかく面倒くさい会社勤めを辞めたんだ。当分の間はのんびりとするさ。毎日が日曜日ということだな」

池田は暗い陰険な目付きで俺の顔を見た。

「うらやましいな。ぼくもそういう身分になりたいよ」と色白で脂っ気のない髪の毛をぼさぼさにした童顔の後輩が言った。

「そんなことは言わない方がいいぜ、どう課長の耳に入るかも知れないからな」と俺は柔らかく世間知らずの後輩に注意した。

そういえば、エレベーターの前で声をかけられた時には池田は見かけなかった。他の連中が俺を誘ったのを見てどんな話をするか監視しようとしたのだろう。あとで課長に報告して忠勤を励むつもりらしい。池田の存在は他の後輩にも無言の影響をあたえたらしく、話があまり弾まない。

俺も後輩に向って課長を非難するようなことは言うつもりは無かったが、スパイが同席していては気楽に話しがしにくい。つまらない言葉尻を得意げに粉飾して課長に報告されて若い彼らに迷惑がかからないとも限らない。勢いせっかく誘ってくれたが話は盛り上がらなかった。

そのうちに客が増えて来たので我々は席をたった。最後に日だったし、誘ってくれて嬉しかったので俺がおごろうと思ったが池田を見て思い直した。おごったりしたら課長にどう報告されるか分からない。かえって彼らの将来に影響が出る。「割り勘にしようや」といって池田の表情を観察した。

 


第D(6)章 狆課長

2016-07-10 10:14:22 | 反復と忘却

 「会社に愛想が尽きたんですか」と課長は安物の狆みたいな顔をいっそうくしゃくしゃにして馬鹿みたいに復唱した。自分に愛想が尽きたと言われなくてほっとしたのだろう。「身体の具合はどうです」と俺の顔色をうかがった。「最近元気がないみたいですね」

「身体の調子はよくありませんね」

「しばらく休養したらどうですか」と課長は猫なで声で言った。「なにも退職しないでも。しばらく休職して良くなったら復職したらいいじゃないですか」とさも親切そうに忠告してくれたわけだ。

「また、同じことの繰り返しになりますからね」と俺は言ってやった。

「はあ?」と間の抜けた声をだした。

この課長は高卒のメカニックあがりである。メカニックの数の方がホワイトカラーより圧倒的に多い。元の組合の中核をなしていたのは彼らであった。御用組合作りの陰謀を主導した先輩はまず彼らに目を付けた。戦略的に彼らの中から何人かをつり上げて自分たちの手先に仕立て上げた。彼らが学生運動で体験しオルグのために派遣された町工場などで実見したことが参考になっている。そしてまずメカニックの集団を分裂させる。昇進という餌で釣り上げるのである。この課長はその内の一人で異例の早さで、異例のコースで本社の課長におさまったのである。

課長は鼻が小さく、目も小さく、その上口もこじんまりとしている。そうして、それらの造作が顔の中央三分の一の面積に集中している。おまけに髪の毛は染めたのか地毛なのか知らないが獣の毛の様に茶色っぽい。

課長は小柄な身体が大きな回転椅子の中でおさまり具合がわるそうにもじもしていたが、「今後はどうするんですか」と探りを入れて来た。

「別になにも」

「どこかへ転職するんですか」。このあたりが気になるらしい。

しばらく沈黙して狆課長に気をもませた後で俺は「いやいや、しばらくはぶらぶらしていますよ。別に他に就職する予定はありません」と答えた。

「そうですか、しかしいずれは何処かへ就職されるんでしょうが、そう言う時にはこちらの推薦が大切になりますからね」とそこで言葉を切った。これが言いたかったらしい。退職して会社の悪口を触れ回られては困ると脅しをかけているつもりなのだ。馬鹿をいっちゃいけない、見損なっちゃいけない。

「ご心配なく。こちらに推薦を頼むようなことは間違ってもありませんからご安心ください」

女子社員がお茶を持って来たが俺は飲まずに席を立った。

 


第D(5)章 稟議

2016-07-08 07:51:15 | 反復と忘却

 &なんでもそうだろうが、特に対外的な仕事ではスピードと情報管理が成功の不可欠の条件である。一般的で分かりやすい例で言えば、外交交渉などを考えれば分かる。会社でもまったく同じである。それには渉外担当者が経営から完全なバックアップを受けていることが必要である。明治の日本外交が目覚ましい成果をあげたのもそういう環境があったからこそ達成できたのである。社外で目覚ましい成果をあげても、かえって来たら社内で「おれはそんな話は聞いていない」とひっくり返されてはたまらない。

どうも会社の話で説明するのは分かりにくいので大げさになることは承知で政治外交の例をひくのだが、明治の元老政治と昭和の軍部政治の違いである。軍閥というのは独裁ではない。「俺も俺も」の統制のきかない徒党集団が軍部である。実権を握った特定の軍部と言う徒党が一般国民や政党政治家や産業界を弾圧するのである。

さて、副社長の頓死で事態は一変した。会社の意思決定は稟議制度で動いているわけだが、副社長がいなくなると、「おれもおれも」がウジ虫の様に湧いて出た。稟議の回覧先に、全く関係のない、必要のない部署までいれないと文句を言う様になった。持ち回り決済先にいれておかないと、交渉の最終段階になって「おれは聞いていない」の一言で反対されて振り出しに戻ってしまう。

関係先が増えればそれらすべてに根回しをする時間が天文学的に増える。対外的な仕事というのはそうやっていても、どうしたって新しい事態が起こってくる。事後承認なんて反対派は認めないから、また一からやり直しとなる。その上社内の陰謀で資料の作成一つにしても同僚の協力を得られない。新入の女子社員にまで「わたしは鱒添さんの仕事ばかりしているのではありません」と言われて愕然とする。1、2ヶ月前に入って来ておどおどした社員がである。勿論課長が口移しにかげで指導命令しているのである。まるで文化大革命の紅衛兵だ。党幹部が裏で紅衛兵を煽動して文化人を吊るし上げるようなものである。 

計画書の配布先が増えれば内容が外部に漏れてしまう可能性が飛躍的に増大する。各部では計画案資料を沢山コピーし、課員に検討(けちをつけること)を命じる。課員達は極秘のハンコが押してある資料を無造作に乱雑なデスクの上に置いている。週に何回か社内を我が物顔に巡回しにくる業界紙の記者がいるが、彼らは机の上に放り投げてある資料をめざとく見つけて手に取る。まじめな新入社員で「それはいけません。困ります」と記者の手から取り上げようとすると業界紙の記者は総会屋の様に社員を怒鳴りつける。古参社員は黙って下を向いて知らんぷりをしている。そうして極秘裏に進んでいた計画は翌週の業界紙に「本誌特ダネ」として載ることになるのである。

そんなこんなで、俺は「私儀この度一身上の都合にて退社致したくお願い申し上げ候」と辞表を出したのである。

「残念ですね」とびっくりしたような顔を作って課長は心にもないことを言った。

別に残念なんて思っていない。しかし俺としても「ざまあ見る。俺たちにたてつくからだ。いい気味だ」と言われるよりかは良いのかも知れない。残念には思っていなかっただろうが、ちょっと驚いたことは間違いないようだ。「あっさりしすぎている」と不審の念を抱いたのだろう。おれが一悶着起こしてから辞めないのが不思議だったのだろう。

「また、どうして急に」といかにも残念そうな表情を浮かべて課長は言った。「身体でも悪いんですか」

「会社に愛想が尽きたんでしょうね」

 


第D(4)章 野心家副社長

2016-07-06 07:37:30 | 反復と忘却

 今その会社がどうなっているかっていうのか。経営破綻して会社更生法を申請したがうまく行かなかった。破産して雲散霧消してしまった。ざまあ見やがれというところだが、第三勢力の話もしておこう。

諸君の疑念の声が聞こえてくるようだ。君はこれを日記だとか個人用のノートだとか書いているが、まるで読者に向って書いている様に見えるってね。いや、ご指摘ごもっともなれど、これはあくまでも私的なメモである。しかし、なんだ、第三者の不特定多数の読者に向って書いているつもりになると、なにか文章が整ってくるような気分になるんだな。誤字があってはいけないとか「多少は」注意するようになる。一応文章は繋がっているかなとかね。もっとも意図的に飛躍しているところもあるが。もともと文章は与太っているんだが、これは是正の仕様がない。ご容赦を請う次第である。

さて、第一勢力である左翼的色彩の濃い既存の(第一組合)とそれに対抗してストに悩む経営陣への土産にと学生運動崩れの社員が作った御用組合(第二組合)の話はした。これは社員同士のシマ争いなんだが、これに加えて経営陣内部で分裂が生じた。

銀行からの天下りの役員がいたが副社長にまで上り詰めていた。彼は社内のていたらくと役員の無能力をみてにわかに野心鬱勃たるものを感じたわけである。経営陣のなかで自分の同調者を集め始めた。なかなかのやり手で銀行上がりで対外的な折衝では実績をあげていたから、今では経営陣の三分の一ほどが彼についていた。社員の間には組織はなかったが、海外事業とか国内の業界内の事案については自分の職掌範囲だったし、自分が目をつけた社員を囲い込んだ。そこで俺も目を付けられたわけだ。

俺は前にも書いた様に社内のアフターファイブの付き合いは毛嫌いしたが、対外的な折衝は嫌いではなかったしそれなりの評価はされていたのである。入社以来内向きの仕事と対外的な仕事をローテーションの様に交代でやらされたが、俺の性格から対外的な仕事をしている時のほうが楽しかったし、好調だったのである。

そんな訳で、どの組合にも入っていないという希少価値も使い勝手があると副社長に目をつけられたのだろう。

ところがその副社長が突然退場してしまった。ゴルフ場で素振りの練習をしていた相手のクラブが彼の頭部を強打したのである。

 


第D(3)章 スパイの情報伝達スピード

2016-07-04 07:35:36 | 反復と忘却

そこでだ。大学の先輩で組合の専従をしていた男に俺は就業時間中会社の近くの喫茶店に呼び出された。ようするに彼らの仲間に加われというのだ。その派閥は第二組合という機関を持っていた。 

従来からある組合はスト等を時々打ったり、ベトナム戦争反対の街頭デモをしたり、社会党みたいなスローガンを掲げていた。今喫茶店で俺の前にいる男はそういう組合に対抗して第二組合を作ったメンバーの一人である。そしてその御用組合というお土産を引っさげて経営陣に近寄ったのである。

「第一組合を脱退したそうじゃないか」と彼は切り出した。もともと会社には一つの組合しかなかった。だから新入社員は自動的に第一組合(そう言う名前も目の前の先輩が第二組合を作って以降そう言われる様になったのだが)に加入することになっていた。彼らが第一組合のなかに放ってあるスパイがすばやくこの情報を伝達したらしい。とにかくあらゆる所にスパイ網が張られていた。

近年のあまりにも薄汚い争いに嫌気がさして前日に俺は第一組合を脱退したのだ。それをこの男は早くも聞きつけて誘いをかけてきた。この男は第一組合を脱退することは第二組合に自動的に加入することだと思っている。

「どの組合にも入らないと不利なことが多いよ」と脅かすのである。

俺はこの先輩が前から気に入らなかったから「僕には思想なんか関係ないんですよ。こういう闘争は性に合わないだけなんですよ」と言って運ばれて来たコーヒーを一口飲んだ。

「あんまりご清潔なことばかり言っていたら会社員は務まらないぜ」

図体がでかくていかにも田舎壮士風の彼はゼイゼイ鼻を鳴らしながら言った。なんでも前に蓄膿症の手術をしたが痛さに堪え兼ねて手術を途中で止めた経歴があるそうでいつでも話す時に聞き苦しい音を立てるのである。

「法律的に、というと大げさですが、例えば就業規則で社員はどこかの組合に必ず属さなければならないということになっているんですか」と俺は先輩に聞いた。

この俺の発言で彼は諦めたらしい。と同時に俺の名前の上にはハッキリと横棒が引かれたようであった。そういうリストは人事部に直ちに回されるのだ。

 


第D(2)章ノートから

2016-07-02 08:28:24 | 反復と忘却

 三四郎は学生時代から気まぐれでしばらく日記をつけていたと思うと別に特別の理由も無く止めてしまう。また何かのきっかけで日記を付ける、ということを繰り返してきた。現在の日記は会社を辞める前からつけ始めて今でも書いている。今回は意図的であり、具体的な目的もあって始めたので、その目的は会社を辞めて消滅したのであるが、惰性で今でも続けている。

日記と言ってもつける日もあれば数日かかないこともある。従って今後はノートということにしよう。彼は記憶力が弱い。昔のことは茫茫として鮮明に想起出来ない。すぐに記憶から飛去ってしまう。したがって日々のことをノートしておくと読み返して意外に役立つことが多い。それで今回は中断もせずに続けているのだろう。

以下では直接彼のノートを引用しよう。

&:今日から又日記をつけることにした。俺のまわりには陰謀が渦巻いている。なにかおかしいなということが、会社にいても感じられる。しかし意識にたまたま登ってもすぐに消えてしまうし、それらの徴候が何を意味しているかは把握出来ない。何しろ陰謀というものはコソコソと人の背後で隠微のうちに進行するものであるからして。

&:段々分かって来た。会社のなかで起こっている生存競争のとばっちりを受けているのだ。俺は生来徒党を組むことを忌み嫌う。つまりだな、集団生活にはむいていない。

なにしろ日本の会社というのは派閥争いが激しい。うっかりしていると渦に巻き込まれて奈落に引きずり込まれるか、渦の中で粉々になるか、渦のそとにはじき出されてしまう。俺の一世代上の先輩には派閥争いが飯より好きな連中が多い。学生運動をやっていた連中で派閥争いが生き甲斐のような連中なのだが、そろそろ会社で徒党を組んで暴れ回れる地位になったのである。始末に負えない。

経営陣に媚を売って実権をにぎり、彼らを忌み嫌う役員を社外に追放する工作の先棒をかつぐ。何時の時代でもどんな組織でも彼らのような跳ねっ返りの青年将校を操って組織の実権を握ろうとする者がいる。要するに彼らは持ちつ持たれつの関係なのである。大げさなたとえをすれば226事件の後で統帥派が政治の実権を掌握するようなものである。

彼らは入社した時から自分たちの利用出来る役員と邪魔になる役員を識別する臭覚を持っていたらしい。それじゃなければ学生運動で内ゲバを生き残れないのだろう。三四郎が入社した時の社長が新入社員に訓示した。先輩がその印象を聞いたので、率直に感銘を受けたと答えた時にその先輩が明らかに軽蔑したような薄ら笑いを浮かべたのを覚えていた。2、3年前から始まった派閥争いでその社長は社外に追い払われてしまった。他にも常識的で温厚なと三四郎が見ていた役員はすべて粛正されてしまった。

当然一つの派閥が出来れば反対勢力が出来る。第三勢力も出来た。俺の場合問題なのは、俺はどの派閥にも属していないことなのだ。これくらい彼らにとって手の出しやすい相手はいない。

社内で情報が飛び回るスピードには驚かされる。実は昨年俺も「226事件の青年将校派」からアプローチを受けた。俺はどう見ても会社員には向いていないが、ジプシー占いの婆さんの言葉ではないが、運が間欠的に巡るらしい。ちょうどその頃は運の向いていた時機で彼らも俺を仲間に入れた方がいいと思ったらしい。

 


第D(1)章 初めてのノン

2016-06-29 08:53:57 | 反復と忘却

テレビのニュースで日本人の平均寿命が80歳に達したと聞いた時に三四郎は突然マラソンの折り返し地点を通過したことに気が付いた。

「これからは、高高度水平安定飛行だな、いやそうも行くまい。せめて低空でも安定飛行で行きたいものだ」と思ったものである。「低空で飛ぶから気流の悪い所に遭遇することもあるだろう」。むかし、三千メートル当たりをうろうろして日本全国を飛び回っていた頃を想起したのである。気密装置もない飛行機で頭はがんがんするし、耳はキンキン鳴る。プロペラの騒音と振動は腹にひびく。乱気流でしょっちゅう揺れては吐きそうになった。

彼は人生でかって一度も自分で決断したということがない。強いて言えば決断を拒否するという意志が、つまりすべてにノンというのが彼の性向であったのである。しかし、三年前に人生で初めて一つの決断をしたのである。すべてにノンというかわりに一つの俗っぽい具体的なことにノンを突きつけたのである。会社に辞表を出したのである。その辺の事情を記述しても一つの面白小説が出来ないことはないがそれはしばらく脇に置いておこう。

大体、大学に入る時も会社に入る時も彼には決断をしたという自覚も無かったし、まして気負いも抱負もなかった。彼の性格からして退社後の展望等まったくなかった。脱サラなんて馬鹿馬鹿しい気負いは彼には無縁であった。

彼は数年前に欧州に出張したときに、休日にジプシーの占い婆さんに見てもらったことがある。ニースの裏通りにある婆さんの店の前を通りかかったのである。その婆さんの占いは彼を感心させた。黙って座ればピタリと当てる、というのが占い師の才能であるが、よく言うことが当たっているのである。

そのなかで「あなたは一生小金には困らない」というのが一番印象に残った。「小金」という言葉に少し引っかかったが三四郎の経験にも合致していた。入社後友達に誘われて始めた競馬でまだ手ひどく負けた経験がない。別に収支をつけている訳ではないが、感覚的には二十年近くやっていて、かなり浮いているのではないかと思われた。また、株も会社に入ってからちびちびとやっていたが、これもどうやら浮き沈みが無かった。競馬ほど身を入れてやらなかったがマアマアの成績じゃないかな、と思っている。

そこにこのジプシーの婆さんの「保証」である。会社を辞める時にこの時の魔女ヅラの婆さんの占いがどこかで彼の「決断」をプッシュしていたことは間違いないようだ。

 

 


第N(12)章 二人目の侵入者

2016-06-26 08:52:17 | 反復と忘却

 三四郎は平島と分かれて水道橋で国電(省線)を降りた後楽園球場のそばを通った。誰かがホームランを打ったのか、あるいは守備でファインプレーがあったのか夜空をどよもした観客の歓声が彼の上におりてきて彼を包んだ。競輪場の横を右に曲がると千川通りに入り、こんにゃく閻魔の近くまで来た時に彼は一昨年同級生と家の中で鉢合わせしたことを思い出した。警察ザタにもなったどろぼうの被害はまだ彼が小さい頃の話であったが、同級生が家に侵入して来たのは一昨年のことだった。

家にかえって来た彼は二階にいた同級生と鉢合わせしたのである。顔を知っていたが話したこともないし、友達でもない。二階の座敷に入り込んでいたその少年は帰宅した彼を見ると狼狽を隠す様に訳の分からないニタニタ笑いを浮かべ身を翻して納戸の小窓からベランダに出てそとに生えている木を伝って逃げて行った。

ちょうど入って来た所らしい。なにも取られていないようだった。三四郎はこの事件を家族にも報告しなかったし学校の先生にも言わなかった。どうしてだか分からない。少年の浮かべた恥ずかしそうなニタニタ笑いが彼の警戒心を解除したとしか言いようがない。又、あいつがはいったのだろうか。かれとは高校で顔をあわせたことがないから別の高校に行ったのかも知れない。あるいは中学を出てすぐに働きに出たのかも知れない。

今回も三四郎には彼が又入って来てエロ雑誌だけを持ち去ったとは考えられないのである。「おたよりください」欄を見たと言って電話をかけて来たのはその後数人いた。彼は家にいるときは階下の廊下にある電話の近くをうろうろしていて、電話のベルが鳴ると受話器に飛びついた。ひと月もたつと彼を恥ずかしさと恐怖のどん底に陥れた「エロ電話」もかかってこなくなった。

そうすると、と彼は考えてぞっとした。ショウコでないとすると、俺が夢遊病者の様に知らない間に投書をしたということがあるのだろうか。あの一撃以来彼はふっと自信が持てなくなる時があるのである。栓をあけた途端にポンと出てくるコーラの気泡の用に何かが身体から飛び去って行ってしまったような気がするのだ。

 


第N(10)章 平島君

2016-06-22 08:21:59 | 反復と忘却

 東京の西の外れにある講師のアパートをおとずれた高校生達はまとまって中央線で帰った。途中で一人おり、二人おりて市ヶ谷ではとうとう三四郎と平島の二人だけになった。

このサークルに三四郎を誘ったのは平島だった。三四郎には去年あたりからまったく友人がいなくなった。誰も寄ってこないし、彼自身が友達を求めて行く気もなかったのである。そんななかでどういうわけか平島はよく彼に話しかけて来たのである。もっぱら平島が一人で話していることが多かった。三四郎はたいてい黙って聞いていた。話は大体が詩の話とか小説家の話題だった。三四郎は全然興味が無かったから黙って聞いていることが多かった。

なにを言っても文句も言わず反論もせずに黙って聞いている彼が平島にとっては都合が良かったのだろう。彼はまた映画の話をよくした。彼の兄がテレビ会社に勤めていた。外国の映画の輸入に関わっていたらしい。そういう関係なのかまだ日本のテレビで放映されていない映画の話を得意そうにすることがあった。これも三四郎にはさして興味はなかったが黙って聞いてやっていた。

彼は又自分が読んでいた本を三四郎に貸したがった。この間も熱に浮かれた様にリルケの話をしていたが、彼にその詩集を押し付けたのである。少し読んで三四郎には何の感興も湧かなかったが、返す時になにか言わなければ悪いと思って無理をして飛ばし読みをしたのである。

「世の中にはすごいアルバイトがあるものだね、そうとう給料はいいんだろうね」と平島はさっき若い先生のアパートで聞いた話を持ち出した。電車はお茶の水渓谷の崖の上を走っていた。

「いつごろから始めたんだろうか。前にはあんな臭いはしなかったよね」

その講師は昨年から高校に来たのである。

「そういえば去年の暮れころから気が付いたな」と三四郎は言った。

「ベトコンの反撃が激しくなって米軍の死傷者が急増しているというから小島先生みたいな人まで募集しているのだろう」

「あんなことをぺらぺら話して良いのかな。米軍から厳重に口止めされているんじゃないかな」

「そうだよね、口が軽すぎるみたいだ。皆に臭い臭いと言われるから弁解しないといけないと思ったんだろうね」

「よく分からないのは、彼はベトナム戦争反対運動家なのに、よくあんな仕事に就けたね。アメリカは身元なんかチェックしなかったのかな」

「取り出した内蔵はどう処分するんだろう」と三四郎は平島の疑問には答えず、ぽつんと言った。平島はびっくりしたように横に座っている彼の顔を見た。

「そういえば、小島先生も最近変わって来たね」と平島は話題を転じた。 

実際、金回りが良くなったせいか、講師の金遣いが荒くなり女遊びが激しくなっていた。口の悪い生徒達は彼のことを「コンクリートで下半身を固めたおとこ」と揶揄していたが、その頃には下半身を覆っていたコンクリートは破砕されていたらしい。

生徒達のなかには彼に新宿二丁目あたりに連れて行かれたもの達もいた。やがて彼は共産党を除名され、サークルも自然消滅したのである。

 


第N(9)章 ミイラ作成のアルバイト

2016-06-19 09:31:54 | 反復と忘却

その講師が働いている米軍基地の隔離された倉庫には毎日ベトナムから戦死した米軍兵士の死体が運び込まれた。それらの死体が腐敗しない様に内蔵を掻き出すのが仕事であった。それが終わると身体に古新聞とか充填剤を詰め込んで縫合する。そして死体の顔にお化粧をほどこす。もっともこれは専門家の仕事であった。

「それでさ、それをかちかちに冷凍してコンテナでアメリカに送り返すんだ」

「それでどうするんですか」と生徒の一人が聞いた。

「遺族に渡すのさ」

しばらく一座には沈黙が支配した。

「随分面倒くさいことをするんだな、なぜベトナムで火葬にしないんですか」

「キリスト教では火葬はしないらしいな。アメリカで土葬にするんだ」

「キリスト教ではどうして土葬にするんですか」

「復活って言葉を知っているか」とやせこけた大学院生は高校生達に問いかけた。勿論高校生達にわかるわけがない。

「最後の審判ってのがあってさ、そのとき死者の魂がかえって来て蘇る訳だ。その時に身体が残っていないとたましいが戻って来れないだろう」

フーンと一座は感心した。一人がいった。「エジプト人がミイラを作るのと同じですね。」

「そのとおりさ」と講師は答えた。

「なぜです」と一人が不思議そうに聞いた。「エジプトのミイラも将来魂がこの世に戻ってくる時に目標にするためなんだ」と講師が言った。

しかし戦争だからひどく損壊した死体もあるでしょう、そう言うのはどうして復元するんですか、と好奇心の旺盛な一人が聞いた。

「どうするのかな、そう言う死体は現地で火葬でもするのな」

「そうすると、そういう復元不能な死体は日本に送ってこないんですか」

「見たことはないな」

「遺族にはなんて説明するんだろう」

「戦闘中行方不明とでもするのかな」とオルグの大学院生はちょっと考えた後で答えた。

「それでさ、毎日そんな仕事をしていると死臭がしみ込んで取れなくなる。もちろんゴム手袋をしてゴムのオーバーオールを着て作業するが、全然役にたたない」

一座が講師の話にショックを受けた様に沈黙に包まれるとアパートの窓の前に広がっている田んぼの向うから中央線が通過する音がかすかに聞こえて来た。

 


第N(6)章 消えた週間特ダネ2

2016-06-13 08:26:37 | 反復と忘却

翌日三四郎は学校の帰りに家の近くの小さな本屋に立ち寄った。大通りから脇に反れてだんだら下りの坂道で車がようやくすれ違えるような狭い道にある米粒の様に小さな本屋である。売り場はせいぜい三畳か四畳くらいで古本屋のような黴臭い臭いが何時も漂っている。すぐ後ろには薄暗い茶の間が覗ける帳場には影の薄い脂っ気のない白髪あたまの老人が意地悪そうな顔をして汚い座布団の上に座っている。狭い売り場の平台の上にはエロ週刊誌や女性雑誌しか置いていない。彼がときどきマスターベーション用のピンナップ・ガールの写真の効果が薄れてくると新しいのを買いにくるのである。「週間特ダネ」を取り上げると、さっそく「おたよりください」欄を探してかれは立ち読みを始めた。小さな活字で四頁をぎっしりと埋めている。これに全部目を通すのは大変である。まして三四郎は強度の近視である。店内は薄暗い。彼の投稿はないようだ。もう一度見直していると親父がわざとらしくゴボゴボと咳払いをした。

すると先週号だろうか。とうとう老人が土間に降りて来てかれの隣で嫌がらせをするように、ぱたぱたと帚をかけはじめた。彼は老人に聞いた。「この雑誌の古い号はとってありますか」

老人はびっくりしたような、探るような眼つきで彼を見た。

「どうだったかな、何日のだい」と老人は疑わしそうな眼をしてぞんざいに訊いた。

「さあ、わからないんですが、この前のじゃないかと思うんですが」

老人は彼の持っている雑誌を覗き込み「おたよりください」欄を見とがめる様にみていたが、「ちょうと待ちな、まだあるかもしれない」というと帳場の近くに積み上げてあった雑誌の山を調べ始めた。その間に彼は手にもっている雑誌の欄を二回読み終わった。やはり彼の名前はない。

老人が声をかけた。「もうないな、そいつは人気があって、いつも売り切れてしまうからな」というと訳知り顔に三四郎を見て、にたりと笑った。

三四郎はとぼとぼと坂を登りながら、やはりショウコに違いないようだと思った。まだ白いあじさいの花が咲いている寺の脇を通りながら、彼はふと思い出したことがあった。彼の家は二回泥棒に入られている。そとから侵入するのに、お誂え向きに出来ている家なのである。家は二階建で全面にベランダがある。そしてベランダの近くにところどころに樹が植えてある。その枝に脚をかけて登るとちょうどベランダに乗り移るのに具合がいい所が何カ所かあるのである。彼自身が遅く帰宅した時にそこから直接自分の部屋に戻ったこともあるから、随分不用心な家だと思っていたのである。

一回目は本職の泥棒に入られた。一家が一階の食堂で夕食後テレビを見ている間に入られたのである。

 


第N(5)章 消えた週間特ダネ

2016-06-11 09:44:02 | 反復と忘却

間抜けな雀が部屋に飛び込もうとして網戸に気づかずにぶつかってドサリとベランダに落ちた。びっくりして三四郎が窓の方を見ると栄養失調のような痩せた雀はようやく体勢を立て直して庭の奥へ飛去った。彼ははっとして意識を取り戻すと押し入れを開けた。とにかく母には見つからないうちにエロ雑誌を捨てに行かなければ、と気が付いたのである。

蒲団の下に手を突っ込んで探るが雑誌はない。彼は蒲団を一枚一枚取り出して畳の上に放り投げた。空っぽになった押し入れにはどこにも週間特ダネは見当たらなかった。がらくたを詰め込んである押し入れの反対側も調べた。天袋も苦労して中身を取り出して調べたが無かった。誰かが持って行ったに違いない。母でないことは確かだ、もし母が見つけたなら黙っているわけがない。きっと何か言われる。第一母がそんな留守中に彼の持ち物や部屋をこそこそ探るような人ではない。父親の筈がない。父は彼の部屋には入ってこない。

お手伝いだろうか。それも考えられない。彼女はいかにも善良そうなおばあさんである。もし、掃除や蒲団干しでもして雑誌を見つけても、中を見るようなはしたない真似をする人ではない。第一それを持ち去るなどということは絶対に考えられないことである。

「そういえば」と彼ははじめて気が付いたように思った。「自分の留守中に部屋を探られた気配があった」。時々有った筈の文房具が何処を探しても見当たらないことが何回かあった。気にもしていなかったが、急にそれらのことが意識のなかに集中して上って来た。

妹だろうか。ショウコかも知れない。彼女は幼い頃から人の物と自分の物の区別に気が付かない所があった。自分の気に入ると眼を付けたら他人の物も勝手に自分の物にしてしまう。気が付いて注意してもまったく何も感じないらしい。絶対に返そうとしないのである。子供の持っている物だから金額のはる物という訳ではないが、彼が中学生の修学旅行で関西に行った時にお土産に買った民芸品風にこしらえた筆立てもいつの間にか彼女が使っていた。

彼女のことを年上の兄達はメエメエと可愛がっていた。名前が羊子とかいてショウコと読ませていたのである。兄達になぜそう読んでいるのか聞いたことがある。確かに妹は彼より三つ年下でヒツジ年うまれだった。干支ではヒツジは未と書く。羊とか書かない。彼女はもともと祥子という名前だったらしい。父親が妾に生ませた子であるそうだ。生まれてまもなく生母が病没した。兄達の表現によれば父親に乗り殺されたのである。生母の親戚に赤ん坊の引き取り手がなかったので父が家に入れたのである。彼自身もそのころは物心もつかない赤ん坊であったので、勿論そんな経緯は大分後になってから兄に聞くまで知らなかった。

三四郎のすぐ下の妹がヘビ年ですでに巳江(ミエ)という名前を付けられていたので、おなじ未(ミ)を使うと呼ぶ時に紛らわしいというので、最初につけた名前の祥子から、偏だけ除いて羊の字を残したということだ。

 


第N(4)章

2016-06-09 08:27:23 | 反復と忘却

5月の連休明けの太陽光線は調教のない休日開けに覆馬場に放たれた休養十分の性悪サラブレッドのように皇居前広場の芝生の上をスタンピードしていた。焼かれた芝生の照り返しは三四郎の顔をフライパンの上のたまごのように炙った。彼の眼はチカチカしてきた。眼鏡のつるは側頭部を強く圧迫して疼痛を与えていた。三ヶ月前に買い替えた眼鏡の度はもう合わなくなって来たらしい。かれは鞄からアスピリンの箱を取り出した。今朝飲み忘れたせいか、注意力が散漫になっていた。都庁での失態もこれが影響しているのかも知れない。

彼はアスピリンの錠剤を一粒押し出すと口の中に入れて噛み始めた。酢酸のような写真の現像液の様に嫌なにおいが口の中に広がった。彼は噛み砕いたアスピリンを舌の下に押し込んだ。彼はアスピリンを水で飲まないのである。こうやって噛み砕いて粉末にして舌下に押し込む。この方が口腔の粘膜から薬が直接体内に吸収されて効果が格段に早く出る。一錠目を食べ終わると彼は二錠目を食べ始めた。三錠食べた後でようやく三四郎は人心地がついた。

この間も女から電話がかかってきた。階段を上がって来た母親が「女の人から電話よ」と彼の顔をじっと見ながら告げたのである。母親としての母は分かるのだが、女としての母親というものが最近三四郎には分からなくなった。その時は心配している母親ではない顔をしていた。

三四郎は眼を伏せて母親の横をすり抜けると下に降りて受話器を耳にあてた。全然知らない女であった。声からすると想定していた年齢より相当な年配である。彼が想定した様に同級生の女の子ではない。おまけにタバコ焼けをしたようなしわがれた声である。

「雑誌**実話を見たんですけど」と女は言った。ぜんぜん心当たりはないのだが、直感的にこれはヤバいぞ、と彼は身構えた。その雑誌は彼の部屋にも母親の眼に触れない様に押し入れの奥に隠してあるエロ雑誌である。彼はときどき買っているのである。マスターベションの時に利用しているのだ。だからその雑誌の名前を聞いた時にはぎょっとしたのである。

台所の方をうかがうと階段をいつの間にか降りて来た母親が台所の影で聞き耳を立てている気配である。彼は逆上してしまった。急いで電話を切ろうとしながら、電話のかけ間違えですよ、と言って受話器を置こうとすると、受話器の下から

「あなたは鱒添三四郎さんでしょう」と女が叫んだ。おもわず彼が再び受話器を慌てて耳にあてると、女が言うには、なんでもその週刊誌の「おたよりください」とかいう投稿欄に彼の名前が出ているそうである。

「違います、違います」というと彼は受話器を投げつけて二階に駆け上がった。

しばらく様子をうかがっていたが母が階段を上がってくる様子は無かった。彼は急いでアスピリンの箱を取り出すと三錠ほど食べて気を鎮めようとした。

 


南米移民

2016-06-03 08:17:27 | 反復と忘却

第N(3)章

実際その頃の彼は『現状全否定モード』だった。南米の農業移民に応募しようと思ったことがある。南米か中米の何処かの国への農業移民を募集していたのをテレビで見たのである。朝飯を食うと彼は家を出たが、高校には行かずに鍛冶橋の都庁に行った。どの部屋に入ったらいいのか分からないので見当をつけて入った部屋で南米移住の希望を話した。

初老の意地の悪そうな口やかましい田舎親父のような面をした職員は馬鹿にしたような陰険な目付きで彼を観察した。

「この間テレビで募集していたでしょう」と三四郎はテレビ・ドキュメントの内容を伝えた。

「今頃移民の話なんてあるわけがないだろう」と田舎親父は馬鹿にした様に言った。考えてみれば高度経済成長を達成してジャブジャブと金を捨てるように海外への経済援助を始めた日本から移民する計画等ある訳が無いのである。

「ドキュメンタリーだって、そんなことはしていないよ」とつっけんどんに言われた時に、たまたまそばを通りかかった別の職員が彼らの話を小耳に挟んで

「それは終戦直後の話だろう」と同僚に教えた。

そこで三四郎ははっと気が付いたのである。『そういえばテレビの映像はモノクロだった。しかも映像はかなりぼやけていた。そうか昔の記録映画なのか』と初めて気が付いたのである。そういえば、そのテレビ番組も最初から見ていた訳ではない。たまたまチャンネルをひねったときに途中から眼に飛び込んで来たので、彼はてっきり現在募集中だと思い込んでしまった。こいつは絶好の現状からの脱出機会と思ったのだったが。番組の最後に都庁が受付窓口になっているというテロップだけはハッキリと覚えたいたのである。

すごすごと都庁を出ると彼は馬場先門まで歩いて行って日比谷公園のベンチに座り込んだ。じっさい三四郎が崩壊しなかったのはインスタント・コーヒーとエルヴィス・プレスリーのレコードのおかげだったかもしれない。一日スプーン山盛り15杯のインスタント・コーヒーと100グラムの砂糖が無かったら彼の意識は持たなかっただろう。インスタント・コーヒーだけでは駄目なのである。大量の砂糖は必需の薬品のようなものであった。それとプレスリーのロックンロールだ。いわばネガに対するポジのようなものだ。

 


第X(X)章 Who are you ?

2016-05-27 08:31:14 | 反復と忘却

 完成前のアトランタのホテルにチェックインした直後にその電話は鳴った。コンクリートは打ちっぱなしのままで本当ならちゃんとお化粧してから開業すべきなのだろうが、大きな全国的なコンベンションでも開かれていて何処のホテルも満杯だったためか、開業前のホテルも宿泊客を受け入れていたらしい。部屋に入ると間髪を容れずにベッドの横に置いてあった電話がけたたましくピョンピョン飛び跳ねだした。何の警戒もせずに反射的に受話器を取り上げた。

「Who are you」といきなり高圧的な男の声がドスの利いた低音で誰何した。何だって、フロントで部屋を間違えたのかな、と考えて応答しようとすると突然相手は電話を切ってしまった。あっけにとられて手の中の受話器を眺めていたが、気持ちの悪い声だった。日本語でいえばスジ者の声のようだった。当地ではマフィアというのかギャングというのか、そんななりわいを連想させる話し方であった。

開業前のホテルの部屋が麻薬の取引に使われていて、そのつもりで電話して来て、電話に出たのが聞き慣れない声だったので、警戒して誰何したのかもしれない。そう考えると怖くなった。しかし考えたってそれ以上の知恵も浮かばない。くそ暑くてものすごい湿気のせいで汗でべとべとになった身体をシャワーでまず洗うことにしたが、今の電話が気持ちが悪かった。ひょっとすると、電話の声の主が部屋まで確かめにくるかも知れない。

 

ドアのロックを確かめチェーンをかけた後で、部屋で一番重そうな椅子をドアの内側まで引っ張って来てバリケードの様に置いた。心配なので慌ただしくシャワーを浴びると急いで部屋に戻りシャツを着た。ドアの椅子は動いていないようだ。ひょっとすると「アレ」かもしれないな。彼は考えた。

鱒添はスーツケースからバーボンの小瓶を取り出すとグラスに注いだ。ひょっとすると俺にも、と回想した。彼の親戚で大学生の頃に田舎のあぜ道でいきなり背後から声をかけられたのがいた。振り向くと誰もいない。声はどうも後方の高い方からしたらしい。「お前はソクラテスや孔子のようになれ」と言われた。それが彼の乱調子になったきっかけらしい。とうとう脂ぎった叔母さん達を親衛隊とする新興宗教の教祖になってしまった。

「あの電話は」と彼は考えた。仮象だったのかも知れない。いよいよ俺も其の気が出て来たのやも知れぬ。それにしてもタイミングが良い。サラリーマン生活十五年、社内の内紛なんか関係のない新入社員ではなくて、否やも応もなく巻き込まれて当事者となってしまっていた。薄汚い世界の先も見えてしまった。その後気味悪い声は電話をかけてこなかった。

あの電話は叔父の場合の様に空からかかってきたもかもしれない。サラリーマンとして日常的に非本来的生活をこのまま送るのか詰問する天の声だったのかも知れない。彼が会社を辞めたのはそれから間もなくでであった。